2006年6月アーカイブ

以前、すさまじいパフェなどを大崎に食べに行った、名古屋出身蕎麦屋の娘とともに神楽坂…というより榎町に近い蕎麦屋「玄菱」へ食事に出かけた。以前、お昼に入ったことがあるこの店、蕎麦もうまかったが私としてはてんぷらに驚愕。どうやったらこんな上手に揚げられるものかと驚いた。
ここまで足を伸ばすのは久しぶり。店に入るとおじさんたちが酒を飲んで騒いでいる。そんな様子を横目にしながらビールとてんぷらをいくつか、ゴマ豆腐、とりわさ、出汁巻き玉子などを頂く。まずとりわさ。新鮮でなくてはとても危険で食べられない一品であり、レギュラーメニューではなく「今日のおすすめ」としてメニューに記載があった。以前、実家が鳥取県の友人宅でいただいたことはある。とてもおいしかったが、中々外で食べられるものではない。わさびが好きな私にはたまらない一品。ビールにも良くあいます。それとてんぷら。アナゴ最高。身がプリッとしまっていて、口に入れて噛めばアナゴの味が口中に広がる。これもビールに良くあう。ゴマ豆腐はゴマの触感を残した変わったタイプのもの。私はこのタイプのゴマ豆腐は初めてである。当然、ビールにあう。さらに玉子焼き。もうねぇ、どうしたらこういう風にふんわりと焼けるわけ?と、問いたい。小一時間問い詰めたい。ビールにあう。っていうか、全部ビールにあうんです。もう、たまらないわけです。蕎麦屋の娘さんまでも「うまい」というわけですからねぇ。
と、ここまで食して蕎麦を食っていなかったことに気がつき、スタンダードなせいろを注文。麺の固さ良~し、出汁良~し。暑い日にはたまりませんね。
こうして恐ろしいほど大量に食し、ビールも飲みまくった。いけねぇいけねぇ。これだけ好き勝手して、二人合わせて\7,000でおつりがくる。うむぅ。いつかは蕎麦好きの妻を連れてきたいものです。

妻が映画上映時に「見たい見たい」と言っていたのを思い出しレンタル店で借りたのだが、ゴールデンウィークに私が福島へ戻っている間に借りてみていたという。といいつつも、一緒に見たのですけど。
元々はロアルド・ダール原作の童話らしいが、かなり毒入り童話である。映画になってその毒がどの程度抜けた(増えた?)のだろうか。私は童話は呼んでいないのでわからない。ちょっと怖いものが苦手な子供だと、退いてしまいそうである。
監督はティム・バートン、主演はジョニー・デップ。それだけで見たいと言う方もいるだろう。チョコレート工場のオーナーのウォンカ氏をジョニー・デップが演じる。見事な変人ぶりである。適役だ。
世界中で販売されているこのウォンカ氏のチョコレート。そのチョコレートに5枚だけゴールデンチケットが入っており、これを手にしたものだけがウォンカ氏のチョコレート工場を見学することが出来る。そのゴールデンチケットを手にするためにチョコを買い占めたり、輸送時間等から計算して手にしたりと、あらゆる手法をとる子供たち。一癖もふた癖もありそうな子供達が4枚のゴールデンチケットを手に入れる。残り1枚はチャーリーが買ったチョコレートの中に入っていた。5人が揃い、保護者を1名ずつ連れて工場見学が始まる。
私的には大変面白かった。とにかく工場の内部が面白い。そして、自由奔放に振舞うチャーリー以外の4人の子供達。そんな4人に色々なハプニングが起きるのだが、それは見てください。チャーリーは本当にいい子過ぎ。しかも可愛らしいし。すごい子役だと思う。
ちょっと意外な人選に思えたのが、ウォンカ氏の父の役。クリストファー・リー(というよりも、スターウォーズでデュークー伯爵役だった人といったほうがわかりやすいかも)である。しかも歯医者。親が歯医者で子供がチョコレート工場のオーナー。対極的であるお互いの仕事が、作品の中でも影を落としている。
まぁ、見てみてください。レンタル料の元は確実に取れるくらい良いですよ。

今日はビデオレンタルショップの半額の日。久しぶりに借りに行ってみた。狙いは去年?放映になった「まだまだあぶない刑事」だったのだが、全て借りられていた。
代わりと言うわけではないが、「亡国のイージス」は見てみたかったので今日はこちらを借りることに。
自衛隊の全面協力が得られた作品らしく、一部のCGを除いて戦闘機や船内にリアリティがあり、中々のものである。
ストーリーは…書くのがめんどいので、amazon様から引用させていただきます。

最新鋭の防空システムを搭載したイージス護衛艦「いそかぜ」に、沖縄米軍基地から盗まれた化学兵器「GUSOH」が特殊工作員によって持ち込まれたのだ。「いそかぜ」の先任伍長の仙石はその情報をつかみ、新入りの如月が工作員ではないかと、目星をつけるが、副長から離艦命令が。そのあと「いそかぜ」の全ミサイルの標的が東京に設定された。黒幕は対日工作員のヨンファ。彼の目的は?そして東京はどうなる?

ちょっと補足すると、このミサイルを打ち込まれたくなければ、政府が今まで行ってきた軍事的な隠ぺい工作の公表を行うことなど、要求を突きつけられている。「いそかぜ」には広範囲かつ正確な360°レーダーが配備されており、対空、対海戦ではとてもかなわない。唯一、潜水艦だけが攻撃の可能性を持つが、いそかぜは東京湾に入ってしまったため潜水艦は浅瀬を乗り越えられず使えない。もうどうにもなりませーん状態。
とりあえずネタばれになるのでこの辺までの紹介といたしますが、見終わって思ったことが「よくわからない」ということ。この作品は元々小説があり、上下巻あわせて1,000ページに及ぶ。この内容を2時間とちょっとの映画にまとめるわけだから、無理が出てきてしまう。中途半端に人物のエピソードなどが出てくるのだが、小説を読んでいない人からすると意味がわからない。そぎ落とすべきところはバッサリとやって、変な疑問を残さないようにしてしまった方がよかったと思う。
とは言いつつも、娯楽的に見ればまぁまぁよい映画だと思う。政府の数々の隠ぺい工作ってのがらしいといえばらしいし、この乗っ取り事件もこういう解決をした後、適当に隠蔽されながら報道され、人々は信じてしまうのだろうなぁ。私はそういう点の方に面白みを感じました。最近は色々と隠蔽された事実が暴露され、よく叩かれてますし。でも、氷山の一角なのでしょう。この国も平和なふりをしていますが、実際は色々とあるのでしょうね。

2007年に大量の定年退職者が出る。これを世の中では2007年問題と言っている。
労働力、スキルがこの2007年にて一気に低下すると言われているので、定年以後の雇用もきっと生まれてくると思う。65才位まで働ける環境がその頃には生まれているのではないか。
定年を迎え、仕事から身をひくことを「リタイア」と言うことがある。晴れて自分の時間が作れると喜べる今の定年退職者がうらやましい。年金生活までのブランクを十分に退職金でカバーできる方が大半なのだろう。
私達がこの年齢に達する頃はどうなっているだろう?そもそも退職金なんて制度が残っているのだろうか?(ちなみに、現在勤める会社に退職金はありません。そのために貯金でもしとけってことですね。)年金の給付開始年齢も70才位まで上がるだろうし、安心できるリタイアという道はちょっと見えない。
まぁ30年以上先の話で、自分が生きていると言う保障すらないものの、将来に希望を持てないということは辛いことである。絶望的な話はよく聞かされ、よくなるという話はあまり聞こえない。また、そういう話とは別に「とりあえず今月乗り切るのに精一杯」という現実もあり、あまり先のことなど考えられない。いつになったらそういった余裕が生まれてくるだろうか…

東京で年がら年中JazzやFusionを聞けるのはBlueNote東京くらいかと思っていた。しかしあそこは入場料が高い。酒も高い。気絶するほど料理も高い。中々行くことができない。ムムム…
と悩ましく思っていたところに、あのFusion界の大御所「shakatak」のBill Sharpeが来日という話を小耳に聞く。現場どこだよそれ?と調べれば、舞浜のClub IKSPIARIである。私は舞浜には非常に疎い。舞浜から3kmのところに住んでいたことすらあるのだが、縁が無かった。大御所の来日ライブは7/19(水) 19:30~である。サイトを見ればBill Sharpeだけではない。元T-SQUAREの本田さん、カシオペアの櫻井哲夫さん、渡辺香津美さんもか!!
と、気がついたら予約してた。いやぁ、これはとても贅沢ですよ。うちにあるCDのうち40枚くらい、このメンバーの中の誰かが入っているし。しかも安いよぉ。BlueNoteの半額くらいだよ~~。
Live Scheduleを見れば、二週に一日は必ず私がCDを持っているアーティストが演奏しているじゃありませんか…あんなに近くに住んでいる頃に行っておけばよかったよ…

昔の日本では写真を撮られることにより魂が吸い出され、寿命が短くなると本気で信じられていたという。確かに、鏡で見たままのような姿が紙に焼かれて出てくるわけだから、そういう風に感じてしまうのもわからないでもない。
昭和の戦後くらいまで、人物の写真といえば正装でポーズをバシッと決めて写真館で撮影する。出てくる写真は「お見合い写真か?」と言いたくなるくらい立派である。
亡くなった私の祖父は肖像画家であった。主に仏壇などにおいてある写真のような肖像画を書いていた。綿にコンテをつけ、それで濃淡を表現し写真と寸分違わぬ(多少、いい男&いい女にするサービス付き)絵を描いていた。最近は写真にとって代わられることが多くなったが、祖父の絵を見て育った私にはなんだか物足りない。その写真もせめて先ほど書いたような正装ならまだ格好が付くが、最近はスナップ写真を無理やり引き伸ばしたようなものが多く、切り抜きも雑でげんなりさせられる。
今はカメラといえば携帯電話に標準装備の時代である。昭和初期まで、写真は簡単に撮る事はできないくらいの費用がかかったことであろう。費用がかかるとなれば勝負服で撮りたくなるだろう。それが普通の人でもカメラを持つことができるようになった。しかし写真1枚にフィルム&現像代がかかる。やはりいい加減に撮影することはできない。私もよく写真を撮ったが、デジカメのように気軽には撮れない。それなりに構図を考え、被写界深度やシャッタースピードを考える。結果は現像するまでわからない。作品作成のために人物を撮影するときなど、本当に気合を入れていた。そして、中々デジカメを買おうとはしなかった。まぁ、私は一眼レフしか興味が無く(とにかくファインダーに映ったイメージと写真が同じでないとイヤ)、プライベートマネーでそれを買うほど金持ちではなかったからである。
そんな中、デジタル一眼の登場である。NIKON D70の発売でさすがに痺れを切らし、購入した。「フィルム撮影していたときと同じような設定ができる」ことが最低条件だったが、ISO感度までフィルムを変えることなく変えられるデジカメに「参りました~~」という感じである。
結果がすぐに見られる。ガンガン撮影できる。だから写真の腕が上がるかなぁと思ったのだが、逆にあまり考えずにシャッターをきるようになってしまった。偶然にすごい傑作が撮れるが、それを意図していたかといえば、そうでない場合が多い。
こうして写真というものを100年位の歴史の中で考えていくと、ここ数年で1枚あたりの費用が大暴落していることに気づく。1枚1枚の写真がそれほど大事に思われなくなっていく。それはそれでなんだか寂しいことである。おそらく、これから生まれる子たちはフィルムのカメラなんて存在を知らないまま大きくなるのかもしれない。
「魂を奪う覚悟で撮影しなさい」といっても笑われるだけだが、1枚1枚の写真の重みが無くなり、散々撮影しているにもかかわらず自分の葬式に出す写真が1枚も見つからないようでは何だか滑稽である。

運動不足である。そのくせして体は疲れきっている。そうしてさらに動きたくなくなる。体力が落ちていく悪循環ループである。
私は集団でするスポーツが苦手だ。しかも球を使うのはほぼすべてイヤ。嫌い。地味に走り続けるとか、そういうほうが性に合っている。
体重加速カーブは一時に比べれば相当鈍化したが、なんとなくこの不健康な生活。どうにかしたいと思い水泳に通うことにしました。泳ぎが得意かって?全然。
私はここ10年間、たった1度も泳いだことが無い。泳力がどの程度残っているのかも未知数である。今日は入会のための手続き&レッスンの見学に出かけてきた。なるほど、私より年上の人が多そうだ。レベルも細かく分かれているようだ。手前の人たちは非常に泳ぐのが上手。奥のおばさまは水中を歩いているだけである。まぁ、これならやれるであろう。
来週からレッスンスタートである。どれだけ泳ぐ感覚がのこっているのやら。

ぎゃあああ!!
と叫びたくなるほど画期的。AQUOS携帯ことVodafone 905SH。そしてAQUOSブランドの製品として市場に投入。液晶に強いというイメージが非常に強いSHARPの見事な販売戦略。おみそれいたしました。
私はDocomoユーザーなのでほとんど関係ないこの携帯。見てみぬフリを決め込んでいたが、会社にて私の向かいの席に座るHさんがこのモデルに機種変更してしまいました。見られるというのなら見てみたい。本体もそして、ワンセグも。早速液晶を横に倒すギミックにドキドキしながら、Hさん含む会社の仲間4人でグッと液晶をにらむ。しかし、地デジ電波が入らず!
頭に来たのでその携帯を持ちながら我々は屋外へ。「来てる来てる!」とか言いながら液晶を覗き込む我々は盗聴器を探す探偵のようである。外に出ても弊社が入っているビルの前の道路はまさにビルとビルの間。ここでもダメか…と、開けた十字路の交差点まで向かう。すると「う、映った!」
いやー、見られますよワンセグ。あの携帯なら液晶大きいし美しい。視聴ばっちりいけます。ちゃんと字幕まで見えます。いわゆる「他の球場の試合状況」なんかが流れているのですが、それ以外にもニュースキャスターが話す台詞を文字としても見られる機能に激しく驚く。あれはどういう原理でやっているのだろうか?たまに漢字を誤変換していたりするってことは、ライブでタイピング?誰か教えてください。

先日から妻も携帯を持つようになった。妊娠中の妻がどこか出かけているときに、万が一のトラブルがあったら…と思い、持たせた。妻は携帯がなくてもあまり困らないらしい。私など携帯がないと、特に人と待ち合わせているようなときに相手の携帯がないととても不安になる。無くても平気だった昔には戻れそうもない。
私はNTTドコモの携帯を使用している。かれこれ5年くらい継続して契約しているので、一年割引の割引率が非常に高い。ナンバーポータビリティが有効になっても、この辺の兼ね合いでキャリアを乗り越えることは出来ない。まぁ、乗り換えたいともさほど思ってはいない。いろいろ機能が付加されたところで、私はあまりそれら機能を使うことはない。ワンセグモデルは気になるが、ドコモは他のキャリアに比べて完全に遅れをとっている。私自身が機種変更するならば、使えるワンセグモデルが出てからかなぁと思う。
いつからそういうことになったのか、FOMAの料金プランが大幅に変更となった。かなり料金がお得になっているし、1年割引の割引率も高くなっている。しかし、これは自分でプランを変更しない限り、過去のプランがそのまま使われてしまう。私も最近気が付いたのだが、気が付かないと過剰に料金を払い続けることになる。うちの場合、見直したところ約\3,000ほど月額料金が下がった。まだやってないFOMAユーザーの方にはぜひやっていただきたい。
恐らく携帯の明細と共に案内があったのだと思うが、家ではあっという間に捨てられてしまうので、目を通すことが無い。私はいったいどれくらい過剰に料金を払い続けていたのだろうか?

世界各国を相手とした議論をする中で、軍事力や核の保有というのは発言力にも影響が出てくる。という話は過去のものだと文化人の方は言うが、私は現在もそれは必要であると考えている。侵攻する力は無くても、自分の国くらい自分達で守りたい。日本は同盟国に甘えすぎである。
北朝鮮のテポドン2に燃料が注入され、それが発射されるのでは…と危惧される問題が先日あった。不測の事態に備えて迎撃ミサイルを米軍が仕向けたが、こうしたことを同盟国に頼まなくてはいけないというのは大変情けない。同盟国とはいえ自国の危機があればそちらに向かうだろうし、全ての国防を安心して任せることは出来ない。しかし、憲法9条の制限がある以上、危機管理の一部を米軍に依存しないといけないのが実際である。しかし、9条の改正があっても米軍は残るだろう。極東地区はアメリカの戦略上、影響の少ないエリアではない。現在最も警戒している北朝鮮、中国とも近い。日本がいかに危ない場所にあるかと言うことをもっと認識してもらいたいと思う。
こういうことを言うと非常に不謹慎だと言われるが、私は一度くらい核が入っていないミサイルを本当に日本に打ち込んでもらいたいと考えている。死人も出るかもしれないがこれくらいしないと危機意識が生まれてこないように思う。また、自衛隊の軍備を強化する引き金になるだろうと思う。「平和憲法」などと言い、憲法改正に対して大きく抵抗する人たちの意見は聞く必要すらない。「平和憲法である」という認識は日本国民が勝手に思い込んでいるだけで、他国がそのようなことを認識しているわけではない。平和憲法を掲げる国だから他国に侵攻されないなどということはあり得ない。
靖国問題にしても、9条改正にしても、他国からの干渉など全く聞く必要はない。話を聞きすぎるどころか、こうした情報をわざわざ中国や韓国に報告し、マスコミ報道にしてしまうとんでもない奴等がいる。中国や韓国も国民の意識統制のために義務教育の中で日本に敵対心を持つように教えられている。そこに売国奴が情報を売り、「大東亜戦争で懲りてないのか?」とか、「また侵略するのか?」といったような、油に火をつけるような報道を海外でされてしまう。これらニュースは日本にも届き、日本の世論までコントロールされてしまう。
話は尽きないのでこのあたりで止めるが、とりあえずマスコミは変なバイアスがかかった情報を流すのだけはやめてほしい。それが新聞やテレビ局のオリジナリティなのかもしれないが、世論に影響を与えすぎているように私は感じる。

私は東京の会社へ通っており、家に帰ってくるのが大体9時位である。電車の中で1時間近く立っているので、疲労が足に溜まっていき、次第に重くなっていく。それがひどくなってきたら、マッサージ屋に行って揉んでもらっている。
9時というのは首都圏サラリーマンからすると比較的早い時間に帰宅できていると思う。そこからお酒を飲みつつご飯を頂く。10時位に食器を洗ったりする。それが終われば風呂だ。大体もう11時をまわってしまう。
私は少しだけでも家で遊ぶ時間がほしい。そのまま寝てしまうのは非常にもったいない気がしてならない。だが、翌日も仕事だったりすると、遊んでばかりいるわけにもいかない。仕方が無いので、平日は時間がかかるようなことは家でやらないことにした。ストレスが溜まるのですが。
そのかわり、休みの日はかなり長く自分の時間を取っている。お互い好きなことをしていることが多いが、ここに子供がやってきたらどうなるのだろうか?私の友達でパパになっている人は「自分の時間はほんとうに無くなる。だけど、子供と遊ぶのはそれ以上に楽しい。」だそうだ。彼らも父親になる前は私と同じようなことを言っていたのだが、このように変わると言うのはすごいものだと思う。私も変わるのだろうか?
最近、妻のお腹がますます大きくなってきた。妊婦をまじまじと見たことが無い私にとっては信じられないほどの大きさだ。しかもお腹の中で子供が動いていて、触るとそれがわかるのである。ほんとうに不思議でならない。

もう大ヒットの漫画である。私は妻の友達の家に行った際に見せていただいた。そしてはまった。
鉛筆書きでわら半紙を少しマシにしたような紙。やる気ないのかと思いそうだが、読み続けていくとかなり面白い。特に私のように猫を飼っている人にはとても楽しめる作品である。\1,200と少々高いのが難点だが、私も1巻だけではなく、最近出た2巻も持っている(お風呂セット付きは買えなかった…)。
ほんとうにうちの猫どもも猫村さんのようになってくれたら…と思いながら読んでいる。猫を飼っている方がこの本を読めば、私と同じような心境になるだろう。うちでも「まずは二本足で立ってみよう」計画を実行してみたが、猫がヘルニアになりそうなのでやめた。猫というものはほんとうに気まぐれなもので、まさに猫村さんとは正反対。あんな猫がいたらなぁ。水洗トイレで自分のしたものを流すという猫を外国のテレビ番組で見たことがあるが、せめてそれだけでも大変助かるのだが。
この本の作者は絶対に猫を飼っていると思う。猫村さんの描写や仕草を見ていると、猫を飼ったことがないとわからないものがとても多い。疲れると「ちょっと休みますよ」と言って、猫らしく寝たりする。
猫村さん以外にもキャラクターが強烈で面白い。派遣先の犬神家の家族も面白いし、尾仁子のヤンキーの友達のせりふもかなり笑わせてくれる。
この漫画、ネット上では1日1ページのペースで掲載しているとの事である。今回のページ数が何ページまであったかは覚えていないが、恐らく次の号が出るのは十ヶ月位先ではないだろうか。楽しみに待っているぞ。

厳密には6/17開通なのだが、まぁいい。
122号線は東北自動車道の側面をほぼ並行して走る道路である。途中まで片側2車線で、隣の高速道路に匹敵するほどのスピードが出せる(当然オービスがあるので、あまり気を抜いてはいけない)。この道路のおかげで、蓮田から川口方面に出るのがものすごく楽なのである。距離の割にはかなり早く到着できる。
その122号線なのだが、バイパスは蓮田市内で途切れていた。本来であれば「旧道」と呼ばれるべき狭い道路に122号線を走っていた車が集中する。踏切を横断せねばならないためによく渋滞になる。また、トラックなどもこの道路を通る(前のブログでも何度かどうにかしろ!といっていた道路である)。歩行者はいつ撥ねられてもいいような状況であった。(詳しくはこのサイトをご覧下さい)
そのような状況を放置している蓮田市にもずいぶんとあきれたものだが、蓮田に住んで知った「実は122号バイパスはほとんどできている」という事実にぶっ倒れそうになった。どの程度出来ているのか道路を実際に確認してみたのだが、一部を除いてほとんど完成している。この状態が既に20年近くも続いているという。保守的な住民が多く用地買収がうまく行かなかったと聞いているが、20年というのは冗談にもならない。ほんとうに困った市である。
開通したバイパスをさっそく車で走行。踏み切りを地下道を通ることで回避できるのはとてもありがたい。この道路が開通する以前は車1台が精一杯、前方から車が来た場合は横によけられる場所でずっと車が通り過ぎるのを待たなくてはいけなかった(ここの道路問題は開通により解決したが、他の道路もものすごく道幅が狭いため、すれ違うのはとても難しい。一方通行にしたりしないのである)。細い道、踏切を通らないと、あっという間に家の近くまで来れる。感動した。
後はこのバイパス沿いにコンビニができてほしい。一番近い(といっても10分くらい歩く)コンビニが最近つぶれたばかりである。ほんと、ひどいことばかりだわ…

昨日、大宮某所にあるマッサージ屋に行ってきた。いつも行っている店である。最近、肩こりの症状はそれほど出てこないが、通勤列車の中で立ち続けているせいで足がパンパンに硬くなっている。その硬い足に「ツボ」を熟知したマッサージのプロが指を入れると一気に血流が良くなり、冷え切った足の先まで血がめぐってくる。これをしてもらうと、ほんとうに調子が良くなる。
そのマッサージ屋に先週挫いた足を見せたところ「それは念のために外科に行ってレントゲンを撮ったほうがいい。ひびが入っているんじゃない?」と半ば脅されたので、一応整形外科に行ってきた。レントゲンは写真撮影代ということで請求されるのだが、比較的高い。なんとなく医療費を払うのが嫌で避けていたのだが、仕方が無く行く。
最近、車は私より妻が乗ることの方が多い。本当は毎日でも運転したいのだがそうも行かない。せめて週に一度以上は乗りたい。ここぞとばかりに車で行ってきた。
最近、ガソリンが非常に高い。なんとなく運転から遠ざかる理由の一つである。車を動かす理由がないと、どうも走るのがもったいない気がしてしまう。でも、動かさなかったら宝の持ち腐れだ。使う。
整形外科でレントゲンを撮ってもらったが、骨に問題はなかった。ただ、腫れが引かないのは挫いてすぐに足を固定しなかったせいらしい。「たかが…」と侮ったが、気をつけなければならない。

妻がDVDを借りてきた。前々から予告は見ていたが、どのような話なのか全く想像ができなかった。
この作品は東野圭吾著の「レイクサイド」を原作とした 2004年日本製作の映画。監督、脚本は青山真治。そういえば妻が「レイクサイド・マーダーケースって映画、気になるわ」と言っていたことを思い出した。役所広司が好きなのかと思っていたが、青山真治の方に興味があったようだ(ユリイカという映画が良かったそうだ)。
タイトルを聞いたとき、連続殺人か何かの話かと思ったが全然違った。小学生?の中学お受験合宿の話である。3人の子供が名門私立中学へ合格するために、その3人のうちの1人の親である医者(柄本明)が持っている別荘に名門私立入学を専門とした予備校の講師(豊川悦司)を呼んで親子ともども面接などを含めて色々と勉強していく中、殺人事件が起きる。当初、犯人だと役所広司の妻役である薬師丸ひろ子が自白する。これが、怖い。顔が超怖い。荻野目慶子の次くらいに怖い。子を思う故の狂気じみた演技を淡々とこなす。
お受験…名門私立校への入学など経験が全く無い私には良くわからない世界である。面接では子供以上に親の方が見られるようである。そもそも「いい私立の学校に」などと考える主体は親の方にあるからだ。「社会的敗者にならないように親は子供のためにレールを敷いてあげて、その上を安心して進ませればいい!」と鶴見辰吾だか柄本明が言っていたが、なんだか同意できない話である。まぁ幸せになってほしいとは思うが、その幸せというものが何なのか、親の価値観を押し付けるだけだと社会に出た後におかしくなりそうである。「こんなに楽しくないものか、社会とは」なんてね。確かに学歴が高いということは職業選択の幅は広がるわけだが、プライドや周りのプレッシャーがあって中々ほんとうに好きなことを仕事になどできないのではないか?
あまり書くとネタバレになるのでこの位にしておくが、自分の子供が犯した罪を親が必死にもみ消すという感覚は全く持って異常である。そうならないように育てるのがベストだし、何かしたならばそれは子供であろうと罪として償わせなくてはいけないだろう。なんとも後味の悪い作品であったが、そこそこ面白かったです。

(お食事中の方は閲覧するのをお控えください。)
会社のトイレに入る。弊社があるビルのトイレはどうもおかしい。まず狭い。臭い。虫が多い。それに、小用の後の水洗が、押しボタン式なのである(女性の方にはわかり難いが、申し訳ない…)。いまどきはアレでしょ?赤外線で自動水洗でしょう?それが常識と私の頭の中では勝手になっているので、うっかり流すのを忘れそうになることがある(これが臭い原因かもしれん)。
さて、この写真をごらん頂きたい。こういうお茶のペットボトルをトイレに持ち込むっていう感覚も私的には「はぁぁああ?」って感じなんですが(その写真を撮っている俺はもっと「はぁあぁああああ??」って感じだな)、それをまた便器の上に忘れていくのがいいセンス。これがコーラとかスポーツ飲料なんかじゃなく、お茶であるところがポイント高し。
これ、罰ゲームでも飲むのいやですよねぇ。いやねぇ、中身はまさかねぇ、お茶だと思うんですよ。でもね「飲め」といわれても、飲むことばかりは御免被りたい。ねぇ、そんなねぇ。お茶でしょうけどね。嫌ですね。ちょっと…いや、とても嫌。これが紙コップだったらもうね、後退り。紙コップに目盛りがついていたら、逃げ出したいですね。

ドイツにてワールドカップが始まったわけだが、日本の初戦、オーストラリア戦は残念であった。と書いてみたものの私はサッカー(というか、スポーツ全般)にあまり詳しくないのである。自国代表が負けたということについて、残念だと思っているのである。
最近のニュースはワールドカップの話題でスポーツの時間が4倍くらいに膨れ上がっている感じである。そこに必ず映る熱狂的なサポーター。青い日本のユニフォームに国旗を体のどこかにつけている。そういえば丸坊主の頭が国旗になっていたというサポーターの方も居た。まぁ一種のお祭りですしね。いいじゃないですか。
と思いつつも、ちょっと不思議な感じも覚える。これほどまで日本という国(の代表)を応援し、熱くなれる方がいるということに対してである。私は日本の国民ほど国家意識が希薄な人たちは無いのではないかと本気で思っていた。スポーツというインターフェースを介して日本という国を見た場合、熱くなれるものなのだろうか?冬季五輪、WBCの時も少々感じていたが、サッカーは熱狂的な人が多い分、余計そのように感じられるのかもしれない。
ちょっと前になるが、中国で反日のデモが起こった。彼らは日本の国旗や小泉首相の写真を焼き、日本料理店などを襲い、領事館へ物を投げつけるというとんでもないことをしてくれた。私はこれには非常に怒りを覚えた。そんなことをされても黙っている国にも呆れたが、それ以上に国民の皆様の反応に呆れた。なぜ平気で居られるのだろうか?彼らと同じことをしろとは言わない。あのようなデモは国と国のまともな付き合い方ではない。デモは一朝一夕に発生したわけではない。中国の反日教育そのものが露骨に表れた結果がアレである。まぁ、立派に教育の結果が出たものである。その時の国民の反応や国の対応を見て「もう、どうなってもいいわけですか?」と、非常にげんなりした想いがある。
例えば、試合前か試合後にオーストラリアのサポーターが日本のサポーターの前で日の丸の国旗を焼いたり破いたりしたらどうなるであろうか?これは間違いなく日本のサポーターが暴動を起こすと思う。ドイツはとても大人な国(っていうか、どの国でも普通そうだと思うのだが)であるから速やかに鎮圧されるかと思う。オーストラリアも政府がするかどうかはわからないが、本件について何らかの謝罪があるだろう。それがまともな国の対応である。
私は熱くなることがいけないとは思わない。過激すぎて人に怪我をさせたり殺したりするのはさすがにまずいが、腹立たしいと思うこと、それに対して正直な感情が出るということは人として決しておかしいことではないからだ。ただ、スポーツでは熱くなれるのに、政治ではなぜ熱くなれないのだろうか?この温度差は何なのだろう。政治は既に国民に見捨てられたような扱いなのだろうか?
私は日本という国がとても好きである。生まれた国だからというだけではない。美しい自然がある。四季がある。優れた文化がある。おいしい食べ物がある。そして、とても繊細な表現ができる言語がある。大事にしたいと本当に思う。
少しだけでもいいので、サポーターの皆さんの力を貸していただきたい。インテリな方は「そんな野蛮な…」と関わらないことが高尚であるかのように振舞うが、私にはただの無神経な人としか思えない。子供ができる身だから感じるのかもしれないが、このまま「希望が抱けない国」にはしたくないと本当に思うのです。

人間だから機嫌が悪くなることもあるし、良いときもある。例えば、昨日夫婦喧嘩をしたとか、通勤途中の電車の中でひどい目にあったとか。だが、そうした感情を表立って仕事中に見せたりすることは良くない。そのとき取り組んでいることに対して感情が伴うことは私は仕方が無いと思うが(得意先にひどい物言いをされるとか、上司との間で何か問題があったとか。冷静に対処できるのが一番だが、そうもいかないこともあるだろう)、他の場所で起きたことが原因となって感情がコントロールできなくなるのはいかがなものか?(誰かが死んだとか、恋愛で…ってのは…対象外にしたいなぁ)
そういう私は気持ちを切り替えることがとても苦手である。特に怒りよりも悲しみがダメ。(私は怒るという感情がうまく表現できないのである。もし怒ったら、どうなるのだろうか?)表面上普通を装っても、頭の中ではそのことばかり考えてしまう。ボーっと虚空を見ているようなことが多くなるらしい。これは今に始まったことではなく、小学校くらいからそうだったと思う。よく授業中に「なにをボーっとしているんですか!」と、小学校の担任によく言われていた。ボーっとしているように見えて、頭の中では色々と考え事をしている。本来ならばそのとき集中すべきことに集中できない。私の悪いところだ。
プライベートと仕事という枠だけではなく、さらに仕事の中でも、感情が細分化してコントロールしなくてはいけないような仕事がある。例えば医者の外来の仕事。前の患者ともめたからといって、次の患者と接する時にそういう不満をぶつけられてはたまらない。今見ている患者だけにその瞬間は全力で向かっている。そして次の患者になったら、またその患者に全力で…と患者が変わることによって、前の患者のことは全て引き出しに入れて、また新しい引き出しをあけて次の患者に対応する。(もちろん、そうじゃない医者もいるが…)そして、次の外来の時には、医者は前にしまった引き出しをあけて、そのときの情報を元に対応する。私のボキャブラリーが乏しいもので他の職業を例にできないのだが、そういう気持ちの引き出しをちゃんと出し入れできる人を見ると「プロだなぁ」としみじみ感じさせられる。医者や看護士が、患者の死をも乗り越えて仕事ができるというのは、そういうことができるからなのではないか。
先天的な性格もあると思うのだが、これができる人がうらやましい。多くの会議に出席しなくてはならない場合など、とても有効そうだし。

あまりカップラーメンを食べない私だが、どうしてもやめることができないものがある。それはソース焼きそばである。私はぺヤングのものしか食べない。他のものがどうも私にはしっくり来ないのである。
昔は大きさが一種類だけだったぺヤングソース焼きそばだが、最近は4種類ほどラインナップされている(2006年現在)。
 1.レギュラーサイズを小さくしたもの
 2.レギュラーサイズ
 3.大盛
 4.超大盛
といった具合だ。ちなみに2と4の比較はこちらを参考にしていただきたい。2と3は今まで見かけたことがある。そこそこの大きさのコンビニであれば、この2つを置いていることが多い。私も2と3は今まで食べたことがある。どうしても気になるのが4である。これの存在は立川志の輔と山田隆夫が出演しているCMを見て知った。しかし、私が利用するスーパーやコンビニでは売ってないのである。なので、行きつけではないスーパーに行ったりすると思わず超大盛ぺヤング探しをしてしまっていた私だが、昨日初めて発見した。この大きさにも驚いたが、1100Kカロリーという食品成分表を見てぶっ倒れそうになった。4を2つ食べたら、その日はもう何も食べられないということか!!
そして、本日の昼に食してみた。中を開けると「うぁぁあ!」というか、単にレギュラーサイズが2つ並んでいるだけである。単純に2倍かよ!おい!調理(?)方法はどれも同じ。かやくを入れてお湯を入れ、3分経ったら湯を捨てる。捨てたらソース、スパイス、ふりかけをかけて、全ての麺にソースがまわるようにとにかく混ぜる。面の量が多い分、この作業がいつもよりも中々難しい。そして、食す。
どうだったかって?いや、実はあんまりおいしくなかった。決してまずいといっているわけではないが、レギュラーサイズとどうも味が少し違うような気がするのである。これは過去に3の大盛を食べたときにも思った。レギュラーサイズが一番うまい。同じ麺、同じかやく、同じソースなのに何ゆえこのような現象が起こるのか?
レギュラーサイズと1点だけ、3,4が違うことがある。容器なのである。2はプラスチック容器、3,4は発泡スチロール容器なのである。特殊な何かが溶け出したりしているのであろうか?謎は深まるばかりだ。同じような感想を持った方が居たら、ご意見を伺いたい。
私の場合、レギュラーサイズでは物足りないのである。お腹いっぱいにはならない。他の食べ物があればそれとセットで足りるという感じ。だから大盛や超大盛はとてもありがたい存在なのである。これを何とか2と同じサイズにはできないものか。ファンとしてぜひともお願いしたい。
ならば2を2つ買えばいいって?2が\155で4が\175である。ほとんど物流に金がかかっているのか?原価はいくらくらいなのだろう?

蓮田市が主催している父親学級に参加してきた。年に3度位しかないもので、一度逃すと出産後にしか受けられない。それでは遅いの、で朝の9:30からと私にとっては非常に過酷な時間からの開始であったが、何とか出席することができた。
恐らく20組以上の夫婦が参加していた。出席者は35才位の夫婦が多かったように思う。私は若い方だろう。プログラムは「妊婦体験」、「生後すぐの赤ちゃんの沐浴体験」、「子育てにおける父親の役割(ビデオ、お話)」の3つ。
妊婦体験というのは、臨月近くの体の重さを体験すると言うもの。エプロンのようなものの胸、おなかにおもりを付けたものである。これを装着して、まぁ色々な作業をしてその大変さを知ってもらおうというもの。私も装着したが、かなり重い。まず、かがめない。靴下が履けない。しかしそれ以上におなかが出ているので足元が見えないということがとてもこわかった。階段などは手すりがないとつらい。かなり慎重に上り下りしないと危険である。寝るときはお腹が重いので、横向きにしか眠れない。立ち上がるのも一苦労。まぁ、妊婦だからこれは関係ないけど、男性が洋式便器で小用をするときにとても大変な気がする。見えないし。間違ってもこんなお腹になるまで太ってはいけないな。
次が沐浴体験。あかちゃんをお風呂に入れるのは、どういうわけかお父さんの役割として半ば常識化しているようなので、恐らく私の仕事となるのだろう。ベビーバスにあかちゃんの人形を入れるわけだが、なぜか私のあかちゃん人形は髪の毛が赤く、やたらにでかい。他の夫婦のあかちゃんはちゃんとした日本人で、髪の毛も黒く、大きさもかなり実際に近いのだが…。人形で体験するのと本当にするのでは大分違うと思うのだが、大事なところは覚えられたつもりだ。とりあえず「首は必ず固定」、「汚れはしわになるところにたまりやすい」、「そんなに気合を入れて長く入れる必要はない」。後は本物で実体験するしかないな。赤ちゃんの抱き方もここで教えてもらったのだが、ここでもやはり首の固定が大事。通常の横抱き、泣いた子をあやすのに効果絶大な縦抱きとどちらも教えてもらった。また、生後2ヶ月くらいまではスーパーでくれるビニール袋の「カサカサ」という音も効果があるとの事。そういう音がお腹の中にいるときに聞こえるそうで、その頃のことを思い出すらしい。関係ないが、わが家の猫の「しろ」は、このビニールの音が大好きらしい。猫のお腹でもこんな音がしていたのだろうか?
そして最後が子育てにおける父親の役割について。25分位のビデオを見た。子供は生まれる前からおなかの中で父親と母親の声の違いをお腹の中で認識していると言う(子供がいるお腹に向かって話しかけた時の声は、羊水を介してもほぼ同じように聞こえるそうだ。むしろ男性の声は低音域が多く、低音は羊水によって音がさえぎられにくいため、よく聞こえると言う。生まれた後に声をかけると、それがお父さん(というか、ずっと声を聞いていた人)として認識するそうである。父親、母親、その他の人と声をかける人によってあかちゃんも明らかに態度が違うのである。全くもって不思議だ。また、母親は愛情を与えてくれる人、父親は好奇心をかき立てる存在として、あかちゃんは相当早くから意識しているそうだ。好奇心を与え、刺激すると言うことは脳に対して送られる情報量が増える原因となるため、神経のネットワークの発達やシナプスの形成に非常に役立つと言う。子供と遊ぶと言うことは、子供の発育のためにも非常に重要なことであるようだ。
最後に、喫煙と飲酒について。基本的に妊婦は子供の発育に影響を与える恐れがあるので、どちらもダメというのが常識だ。しかし、喫煙は妊婦が吸わなくても周囲のものが吸っている場合、副流煙として体内に入ってしまう恐れがある。私は知らなかったのだが、有害物質は喫煙している人よりも副流煙として周りに撒かれているものの方が多いとの事。これは非常にまずい。幸い、私も妻も吸わないのであまり問題にはならなかったが、街中でタバコを吸っている人を見る目がさらに冷たくなりそうである。
12:30頃に全てのプログラムを終えた。朝ごはんを食べていなかった私達はとてもお腹がすいていた。即、近くのレストランに行くことにした。蓮田市内にある店なのだが、わりとしっかりしたレストランである。このような店に客が入るのかと疑問を持っていて、「つぶれる前に行こう!」と思って店に入ったのだが、かなり客の入りはいい。土曜日というせいもあるかもしれない。平日はどうなのだろうか?私達は\1,500のランチを頼む。サラダ、前菜、パスタ、メイン(肉 or魚)、パン or ライス、デザート、ドリンクと、すさまじいコストパフォーマンスの高さである。この下に\1,000のランチがあるのだが、パスタとデザートが無いようだ。量的に見ると\1,000で十分なのかもしれない。
店に入って席を案内されてオーダーしてからその後20分位、水しか出てこない。せめてサラダをすぐ出してくれればいいものの、そうした様子は無い。私達の料理だけが来てないわけではない。周囲を見るとみんな待っている状態。ホールを担当する人が2人居るが、もう片方は恐らくシェフのお母さんか何かだろう。あまり手際が良いとはいえない。鏡越しに厨房が見えたのだが、どうみても中には1人しかない。この店、恐らく席は40席近くあるはずだ。全部埋まらないにしても、1人のシェフでこれだけの対応をするのは難しい。この店はランチメニューの値段を\300上げてでも、人を雇うべきである。厨房とホールに1名ずつ。平日は人が来ないとすると、雇うのは難しいだろうが。味は全てにおいてすばらしい。これほどのコストパフォーマンスの高さを誇る店は中々無い。最後に出てきた黒ゴマのババロアには横に生のアジサイが添えてある。私のはアルカリ性のブルー、妻のは酸性のピンクである。そうした芸一つ一つを見ても立派なのだが、やっぱり時間がかかりすぎる。何も完璧を求める必要はないのである。これは\1,500の範囲をとうに超えている。もう少し手を抜いて、その分だけスピードを上げてほしい。なにしろ私と妻が全ての料理を食べ終えたのは、入店から2時間以上後なのである。これほど昼飯に時間を使うことが許されるのは、イタリアくらいではないだろうか?味がいいだけに、本当に惜しい。だが、時間があるときはまた食事に来たいと思う。
食後に妻が通っていて、恐らく出産もそこでするであろうと思われる産婦人科に行ってきた。はっきり行ってびびった。もう、エントランスから全てがホテルのようなのである。大理石の壁、個室、椅子…もう、何もかも!!!総合病院の産婦人科しか知らない私にとってはスーパーカルチャーショック。出産という大仕事があるので、それまでにストレスをためないような環境というのは大事なのであろう。出産無しなら、俺が入院したい。面会時間であったせいか、生まれたばかりのあかちゃんを見ることができた。本当に可愛いのである。他人の子ですらこう思うわけで、自分の子供ならばどのように思うだろうか?今日一日で「父親になる」という実感がかなりわいてきた。

私は社会に出てもう少しで10年位になるが、ずっとパソコンを使った仕事をしている。というか、仕事の道具としてパソコンが当たり前のように用意されており、これが無ければ全く仕事ができない。パソコンが無い頃はみんなどのようにして仕事をしていたのであろうか?本気で想像がつかない。
ここ10年間でパソコンの性能及び、パソコンでできることがものすごく増えた。私が入社した手の頃、Pentium2の266MHz位のマシンを使った時は高速で、とても驚いた記憶がある。それが今は10倍以上のクロック周波数になっているし、それ以上に様々な技術によってクロック周波数だけで速度の比較はできず、実際には何十倍もの速度になっている。それとネットワークの速度。これほどのスピードの回線が自宅で利用できることになろうとは夢にも思っていなかった。10年前は100Base-TXのLANを敷設した環境でネットワークを介したデータの移動をしただけで「うぉぉー!すげぇ!」と本気でその速度に驚いていたし、ギガビットイーサの実験を見て「おいおい、これなら映像でも何でもいけるな」と夢のように思った。
例えば、例えばだが今までクロック周波数1GHzのパソコンを使っていて、それが2GHzになったとしても、仕事の速度が2倍になるわけではない。人間が使っているものだから、人間の速度が2倍になったりはしない以上、ちょっとした変化である。しかし、1.2倍くらいにはなっているかもしれない。こうしてパソコンの処理速度が上がることで仕事が早く終わればありがたいことなのだが、どういうわけか1.2倍のスピードになると1.2倍の仕事がやってくる。高性能なパソコンを使っているのは私だけではなくライバル会社の社員も同じわけで、そこで優位性を見出すことは一時的には可能かもしれないが、いずれ変わらなくなる。そういうことの繰り返しで、1日でできる(している)仕事の量は増えているわけである。
技術の発展で色々なことができるようになった。携帯電話や、それらを使った野外からのネット接続、長時間駆動が可能になった高性能のバッテリー、メールによる情報交換などなど。単純に新しいもの好きの私としてはそうした技術進化を楽しむことはできるが、最近はそうしたものがあるが故に、自分自身で忙しくして首を絞めているような気がしてならない。というか、社会全体がそうした向きに加速しているように感じる。
本当にリッチな充実した時間を過ごすためには、こうした機器とは縁を切ったほうがいいんじゃないかと本気で思う。将来、パソコンや携帯電話は貧乏暇なし人が持つ程度の低いガジェットになっているように私は思う。
なんだか最近、ちょっとパソコンなどが嫌いになりそうです。

企業の不祥事が絶えない。信用を確立することはとても大変だが、それを失うのはあっという間である。法令順守。1人の社員のふとしたことが、会社自体の存亡に関わる。社員の意識を高め、仕事を通じて絶対に法を犯すことをしてはいけない。
私の所属する会社でも、親会社の意向もあってかコンプライアンスのe-ラーニングを受けさせられた。所要時間はテスト込で90分というところ。研修を受けて心に残った結論、それは「自分の持つ善・悪の価値観を信じなさい。」、「おかしいと思ったときには毅然とした態度で、上司であっても断りなさい。」、「おかしいことは会社のそのまた上司または、コンプライアンス担当に相談しなさい。」といったところ。社員が持つ善の意識を信じた、性善説に則った考え方であった。物事の多くは杓子定規に進まない。コンプライアンスの問題も「どうこうすればいい」と決め付けることはできない。それぞれの問題は個別の判断が必要となる。その判断を社員はしっかりしてほしいというメッセージであった。
そこで思い出さずにいられないのが、伝説の会社である。どこまで語ってもこの会社はすごい。いわゆる労働者派遣事業や工場内の業務請負などをやっている会社なので、個人情報が大量にある。しかし、応募してきた方の履歴書は机の上におきっぱなし。個人情報のデジタルデータはただのパソコンの外付けHDDに保管。これを全国の支店から参照している。しかもHDDのおき場所は机の下。思わず蹴りが入る。RAIDなんてものは全く無い。会社のプリンタからプリントアウトすれば、紙の裏には派遣者の名前と自給とピンはね代がしっかり書かれている。もう、個人情報持ち出し放題。これを売っている社員がいても全くおかしくは無い。そのような実態であるのに「個人情報保護方針」などというものがWebサイトには掲載されている。内容は嘘っぱちである。全然守られていません。よくここまで堂々といえるものだ。
この伝説の会社はいわゆる封建社会の領主と領民のような関係が社長と社員の間にある。しかも恐怖政治である。中間管理職のことを「そこまで言うか?」と思えてくるほどに社長はこき下ろす(確かにこの人たちがなぜ中間管理職なのであろうかと思いたくなる人が多かったのも事実)。そうした行動は、社員のモラルを著しく低下させる。きっと持ち出しているやつは何人か居そうである。
この労働者派遣、請負業界は違法なことが結構まかり通っていて、たまに労災で死人が出たりする。しかし伝説の会社の社長は「違法」なことは(あまり)しない。かわりにするのが「脱法」。これは大好きなのである(会社には何故か漫画の本が多く置いてある。建前は面接に来た人の暇つぶし用。その漫画ラインナップの一つのタイトルが「法律の抜け穴」というもの。こんな本が置いてある会社には入りたくないですよね、普通)。労働基準局や労働法のギリギリを攻める。法律というものはまぁ、世の中の動きに対して後手、後手に回りがちであるから、儲けられそうなその辺の情報のキャッチは素早い。そしてそれをビジネスに生かす。「法律的には大丈夫でも、道義的にはどうなんだ?」と思わせられることも少なくは無かった。
さて、そんな伝説の会社のコンプライアンスであるが、社長の一言で物事が決まり、その通りに中間管理職は動く。その中間管理職に社員が「それでいいんですか?」と聞けば、「社長が言ったから」で終了。っていうか、伝説の会社内ではこれ最強。もうみんな思考停止なのですね。というか、停止して言いなりにでもなっていないとこの会社では常に社長からひどい目に合わされ、まぁまともにやっていけないんですな。
本当に思うんですよ。この会社、コンプライアンス的な問題で大失敗してつぶれるんじゃないかって。でもつぶれて欲しくは無い。それは何故かというと、さらなる伝説に期待しているからである。これからもがんばって脱法しながら儲けていただきたい。

実はもう既に51号が販売されている。結構前に買ったのだが、ようやく今日読み終えた。50号の特集は「今、日本という社会で生きること」と、ちょっとハードなテーマ。しかし、この本を売る人も読む人も当然、今を日本で生きているわけだから興味が無いテーマとはいえない。特にこのような雑誌に興味を持つ人の中には真剣に考えている人も少なくないだろう。
『自分は、何を頼りに生きればいいのか? この生きている実感の無さは何なのか? 今の若者はどんな苦境に立ち、何を苦悩しているのか?』と、大分大げさに構えられた特集だったが、読了して「そういう考え方もあるかなぁ?」という位の印象というのが正直なところ。生きている実感の無さ、わかりますよそれは。「自分って何?何のためにこんなことしているわけ?」そんなことは毎日(特に仕事に行く途中)考えていますもの。本当は仕事なんて苦手なんだよな。でもまぁ、妻もある身としてある程度は格好つけておかないとという建前と、衣食住の確保を原動力に動いているようなものですから。
社会に出てから、親類やら色々と人と会う際に「今どのような仕事をなんと言う会社でしているのか?」といったようなことをよく聞かれる。なんだかそこで自分が値踏みされているような感じでたまらなくなる。そして、そこで偏見を生まないように慎重に話をしている自分を省みて、なんかねぇと思う。滑稽である。しかしここで「いや、バイト暮らしで…」、「今は家事手伝いで(男は使わないか…)」なんて言ってみると相手の方は「はぁ、今流行のニートってやつかぁ?ダメだこりゃ。」みたいな感じのステレオタイプで見られてしまう。まともな会社に属してなければ?いい学校を出ていなければクズのように扱われてしまったりする。
本当にそれがクズなのか?
こうしたことを聞いて値踏みをするような方の多くは、満員電車でもみくちゃにされながらも会社のためにがんばって夜遅くまで働き続けた方、または続けている方に多いように思う。それをしない若者を見ると今まで必死にしてきたことを否定されたような気持ちになるのだろう。同世代の暗黙の了解なのか、ここ最近ではマスコミまで動員して「最近の若者問題」を日々発生する事件に照らしながら報じてる。(ついでにアレだ。堀江とか村上ファンドの村上さんも自分たちが経てきたような金のもうけ方をしてないから認められないのだろうな。という私もこの2人は好きになれないが。)
人が社会と接するということは、こうした仕事のような経済を介したものだけなのだろうか?金が動けば全て解決。そうした社会を作り上げ、その波(よく言われる「勝ち組」ってやつですかね?私はこの言葉が大嫌い。負け組だからかも。ふっ)にうまく乗れない人間を非難する。私はそこが一番おかしいのではないかと思う。最近の波はかなりでかい。ビッグウェ~ブである。その大波に乗ろうと必死にもがけば、体や心を壊してしまうこともある。そして、大波に乗ることを諦めた人、諦めるしかなかった人はクズのように扱われる。乗れる、乗れないのデジタル思考で人を判断するような短絡的なものではないと思う。本当に引きこもっている人、ニートになってしまっている人、それは本当は人いちばいおかしな社会に敏感な人なのかもしれない。だが、大波に立ち向かうだけが社会での生き方ではない。経済以外の社会との接点はボランティアをはじめとして、いくらでもある。大人が作った現代日本の成功者のイメージ。自殺者を3万人以上も出しながらこんなものが常識として通用するのは日本だけであろう。
といいつつこの社会から出られない、情けない私。だから長生きしたいと思わないのだろうな。

いつも行き来している場所であっても、気がつかないところはあるもので、あるとき突然発見して驚くようなことがある。
今日の発見はこれです。110番ブザー。これは蓮田駅の改札すぐ横にあったわけだが、これがあるのは東口側。私は西口側に降りるので気がつかなかったのだろう。改札に入ろうとするときは、その上にある電光掲示板の時間を見ていることがほとんど。逆に帰るときは西口側しか見ていない。今日は普通に飲む酒(我が家の中ではそれぞれ酒に階層があるのです)を購入するために東口側に向かったから気がついた。
しかし、どんなものなのだろう?110番ブザー。すごい音が出る道具か何かなのか?ちゃんと警察に連絡が届くのか?そのブザーの発信位置が正しくわかるのか?疑問は尽きない。一つあけてみてどういうものかを確認すれば良かったのだが、なんとなくその勇気は出なかった。写真で精一杯。
しかし「思いついたら使いましょう」という予言じみている台詞がなんともいえない。誰が「今日はひったくりや痴漢に会いそうだ」とわかるのだろうか?それだけの感性をというか、予知ができるのであればそこを通るのをやめるとか、タクシーを使うとか、回避策はあると思うが…。「翌日返してください」というさり気ない書き足しもなんともいえない。つまり、自宅に帰るまでこれを持っておき、翌日の出勤のときに返せというわけか?

様々なWebサービスが開発されていく昨今、最も重要視されるのがサービスリリースのスピードではないかと思う。思いついて、ある程度あたりが見えたら即開発。PHPやcoldfusionなどはとにかく早くシステムを開発すると言う点を見ると、非常に優れたプログラミング言語だと思う。
開発のスピードが重視されると、どうしても詳細仕様書などがいい加減になりがちである。まっさらな状態から開始するサービスのシステム開発の場合あまり影響が無いのだが、継続してサービスを続ける中で、またはサービスのレベルを上げるような追加開発が発生する際にはとても困る。この状態だと開発会社の開発担当のみが仕様詳細を知るという状態になり人間仕様書となるわけだが、この転職が多い業界ではその人が開発会社からいなくなってしまうなどということがザラにあり、非常に苦労させられている。
既にできているシステムを紐解き、内容を解析する。リバースエンジニアリングという言葉の狭義の意味といっていいだろう。昔からこの手の仕事をすることは割と多く私も苦手ではなかったのだが、あまり進んでやりたくなる仕事ではない。特にコードを実際に読むレベルまで対応するのは、そのコードを書いた人の癖や考え方の傾向(何でもClassにしたがる人、全然構造化しない人とか)をつかまなくてはならない。
私自身がコードを書くこともあるが、最近は直接することは無い。というかしたくない。プログラマーと言うのは責任も大きくその割には見返りも少ない仕事だと私は思う。よく「デジタル土方」などともよく言われるほどハードな仕事で(失礼な発言であることは重々承知しております)、ストレスが随所に出ている(禿げる、老ける、目が虚ろになる)方が多い。
そんな仕事はちょっと私には無理である。そして、その苦労がわかる故にあまり無理をいえない自分も居たりする。肉体的にも精神的にも、私はそんなにタフではないのですよ。

今日は横浜の親戚の家へ遊びに行くことに。交通手段は電車。毎度おなじみの湘南新宿ラインで直行である。妊娠中の妻のことを考え、グリーン車に乗ることにした。湘南新宿ラインのグリーン車を使用するのははじめてである。横浜までだと51kmを超えるため、事前取得で\750。休日は平日より\250安いわけだが、それでも高い…この値段だけの価値があるかどうか乗って確かめてみましょう。
まずはグリーン券の購入をするのだが、これはホーム内の券売機から買える。とはいえ、実際に券を買うわけではなく、Suicaにチャージされたお金で料金を支払い、Suica内にグリーン券取得の情報が入る。つまり、Suicaがないと全然ダメ。\250割高な社内料金を支払うことになる。もうJRを利用する人はSuicaを必ず持っておけと言うことか。高齢の方などは大丈夫なのか?
グリーン車は2階だて車両で、私達は2階の座席に座る。これで座席が空いていなかったら暴れだしたいところだが、幸い空き座席があった。座席の上にはランプが付いており、それが赤の場合には席が空いているということのようである。そのランプの隣にはSuicaのリーダーがあり、先ほどグリーン券を購入したSuicaをかざすと緑色に変わる。ランプが赤なのに座っている人がいると、グリーンアテンダントの方がその席に来て、お金を払わせられるわけである。
私達は二人一緒には座れなかった。仮にこれから座席が空いたとしても、自分の席に対してグリーン券をかざしているわけだから席の移動はできないものかと思っていた。そんなことは全く無く、他の席に移った際に、その席のリーダーにSuicaをかざせばいいだけである。そうすると、前に座っていた席のランプは赤に変わり、移った席の上のランプが緑に変わる。ちゃんと考えてあるなぁと関心。
乗り心地は、明らかに普通の車両とは異なる。とにかく振動が少なく動きがスムーズに感じられる。グリーン車とは名ばかりではないようである。新幹線ほどの品揃えは無いが、飲み物や食べ物も販売している。座席が結構しっかりしたテーブルが付いており、帰宅中のおじさんが車内で1杯やるには十分である。座席も当然倒せるようになっており、ちょっと眠るには最適である。\750はまぁ妥当かもしれない。
蓮田-横浜間は実質80分かからないくらい。湘南新宿ラインは停車駅も少なく、車両もE231系で時速120kmで走行する。埼玉から東京を経て神奈川に入らなくてはならないので非常に遠く思えた横浜だったが、この電車ができて非常に近くなったように感じられる。近いうちにまた遊びに行くこととしましょう。

相変わらず体は不調。今朝は3:30に目が覚め、それからろくに眠れなかった。いつもを超える頭痛。
薬で抑えて、会社へ向かう。湘南新宿ラインという上野方面ではなく新宿方面へ向かう電車に乗る。これであれば途中駅で乗り換える必要が無いし、停車駅が少ないので到着時刻も早まる。頭痛がまだ残っているので、眠ることはできないが、目を閉じる。
大宮駅で私の向かいの座席に女性が座った。見た目は華原朋美を10才位老けさせた感じ。地はいいのだが、もう少しケアが必要という印象。そんなことよりも頭が痛い。私はまた目をつむった。
赤羽駅に到着。大宮-赤羽間は湘南新宿ラインなら所要時間は26分。これでも眠ることができれば頭痛が多少は治まりそうなものを…と思いながら目を開けると、前に座っている女性がすごい勢いでメイク中。もうベースは完成しており、アイラインをかいている。
べ、別人だ!あまり見ては悪いと思いつつも、とても綺麗になっていて目が離せない。その女性は鏡から目を離さない。多少なりとも揺れる電車の中でよくも器用にできるものだなぁと関心。赤羽駅を発車して、数分でフィニッシュ。お見事。beforeとafterを比較したい。私のPhotoshopのテクをもってしても、ここまでは不可能だ。
私は思う。こうした「化粧」のテクニックを応用したフォトレタッチソフトはできないものか?Photoshopでもツールによっては化粧のオペレーションに近いものがあるが、そもそも使う側が化粧の経験が無いため、思ったような結果が得られない。メイクの権威(なんか変w)にでも監修してもらって、証明書写真等の編集に特化したメイクアーティストを対象としたフォトレタッチソフトは作れないものか。毎年新しい化粧品が生まれているが、これはプラグインとして販売。となると、デパート1Fの化粧品売り場でも使えるぞ!誰か、一緒にやりませんか?(女性求む)

昨年の自殺者総数である。8年連続で3万人の大台を超えている。前年比では減少しているものの、相変わらずその人数は多い。昨日与野党間で内容の合意がなされた「自殺対策基本法」を嘲笑うかのような結果である。
今回の統計結果を見て、年齢層別自殺者数に変化が生じていることが気になった。年齢別内訳を見ると

60才以上10,894名(前年比0.9%減)
50代7,586名(前年比2.4%減)
40代5,208名(前年比2.1%増)
30代4,606名(前年比6.3%増)
20代3,409名(前年比5.0%増)
10代以下608名(前年比5.0%増)
といった具合だ。気になるのは20~30代の増加が著しいこと。(なお、20~30代における死亡原因では自殺が占める割合が最も高い)一昨年度と昨年度の市場動向を見てみると、景気がだいぶ好転している。思うに50代の自殺者が減ったのはそのためではないか。景気回復による恩恵は末端まで届いてはいないと聞くが、それでもそれなりに自殺しなくてはならないほど追い詰められる状況は少なくなったのだろうと思う。60代以上となると健康問題が原因となっていることが多く、ここはそれほど変わらなかったのであろう。
遺書等から調査した20~30代の自殺原因トップは「経済・生活問題」で、30%を占めている。思うに「将来に希望(生活的・金銭的なものも含む)が持てない」ということであろう。先にある希望となるものが無いと、何かしようという動機も生まれない。とても不安になる。その真っ只中が20代で、その結果として向かうべき道が閉ざされたのが30代なのではないだろうか。よく年上の方は「若いってのは、これから何でもできて希望があってうらやましいねぇ」などとおっしゃるのだが、最近はそうではないと思う。人によっては年をとって死に行くのに等しい不安や悲しさがあるだろう。20~30代が数年で年上にシフトしてゆき、40代の自殺者の割合が今後は増えてくるだろうと思う。団塊世代の子供がこの年齢層には多くいるため、人口のパイも大きい。
実際に死んだ人数としてカウントされているのが上の結果だが、自殺未遂のために身体に障害を残してしまった人の数はおそらく3倍以上いるのではないだろうか。障害が残らず助かった人ならおそらく8倍くらい…結果として死ねなかったが、未遂までくると精神的には既に死んでいるに等しい状況にある。精神的な自殺者と命を落とした自殺者。前者を健康に戻すということはとても難しいと思う。
必要なのは事前措置と事後措置。つまり「(精神的な)自殺者にならないような環境」と「精神的自殺者の心のケア」が必要と思うが、昨日合意が出た「自殺対策基本法」がそれらを担えるかといえば、私的には答えはNo。とにかく内容が抽象的であり(というか、個々のケースがあまりに多様なため、具体的にしにくいという現実は理解している)あれを押し付けられても何をしていけばいいのかわからないというのが正直なところであろう。ミクロにそれら問題に既に立ち向かっているカウンセラーという方々を見ても、クライアントの思うことに対してしっかりと話を聞き、理解しているかどうかは良くわからない。(カウンセリングをしてみるとわかるが、本当によい結果になったかどうかはわからない。ふと、「自分の仕事に自身をもてない」という思いを正直に言うカウンセラーも居るくらいだ。)
ミクロに見ていくと非常に多様で非常に骨が折れることなのだが、経済の進む方向をマクロに見るとこうなることは必然であったと思う。そこをどうしていくか?あえて何もせず、社会不安を起こすか?それとも細かく対応できるシステムを作り、税金をかけていくか?どちらにも明るい未来を見出せない私はどうしたらいいものか。

歯のケア対策にはインプラント・矯正歯科・入れ歯などに役立つ情報サイト

定期的に歯のケアをされている方がいます。そのような方々は受診前に歯に関する情報サイトで、知識を吸収しているようです。歯医者さんで、インプラント・矯正歯科・入れ歯などの受診に役立ててください。

MTBlog50c2BetaInner

2010年7月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
MovableType(MT)テンプレート 無料(フリー)
Powered by Movable Type 5.02