2006年10月アーカイブ

都心には公園が数多くある。多くは人工的なもので、規模も大小様々である。木々や植物が植えてあり、春夏秋冬を一応、感じることができる。
私はよく公園に退避する。出来ることなら昼ごはんも公園で食べたいくらいなのだが、私と同じようなことを考えている人は少なくないらしく、飲食のためのスペースが確保できないことがほとんどである。考えや作業に行き詰った時、コンビニで何か甘いもの(糖を摂取すると、明らかに脳の回転が変わる)を購入し、食べながらボーっとしたり、ベンチに寝転がったりする。多少、気分が変われば職場に戻る。今日は幸いにも、食事の時間をずらしたせいか人が少なかった。木々の色が黄色や茶色に変わっている。
この抜け出し癖が始まったのは、6年前位からだったように記憶している(幸いにして、職場を抜け出しても問題ない仕事ばかりだった)。PCのメッセンジャーで「行きますか?」と後輩から誘いを受けて、よく公園へ気分転換をしにいった。片手にはソフトクリーム、座っているところはブランコの板の上。ソフトクリームが猛烈にうまくて、とてもいい気分転換になった。休憩している時間帯が幼稚園児が遊びに来る時間と合っていたため、よく「おにいちゃん、ブランコ乗せて」などと言われたこともしばしば。そのうち、目が合うだけで譲るようになったなぁ。ソフトクリームは譲れなかったけど。彼らももう小学生だろう。自分も年をとるわけである。

昨今、飲酒運転の取締りがとても厳しくなっている。私は運転にそれほど自信があるわけでもなく、酒を飲んだ後の判断力にも自信が無いため、絶対に飲酒運転はしない。大事な車をそんなことで潰したくないですし。
先日、アルコール依存症のことを本ブログで書いた。2004年の調査結果だが、顕在化しているアルコール依存症の患者は日本全国で約82万人いるという。おそらくこれは氷山の一角で、実際はもっと多くの患者がいることであろう(一説では220万人という数字もある。この数字とすると、日本人口の2%程度がアルコール依存症であるということになる)。
220万人説を採ると、これだけ運転免許が交付されているのだから、アルコール依存症のドライバーというのも相当存在することが容易に予想できる。この「アルコール依存症」と「運転免許」という危険な組み合わせが起こらないよう、道路交通法第90条にて「アルコール、麻薬、大麻、あへん又は覚せい剤の中毒者には免許を与えず、又は六月を超えない範囲内において免許を保留することができる。」と規定がある。しかし、アルコール依存症患者は50~70代に多く、その多くは既に免許を持つ方が多い。アルコール依存症というのは、趣味の酒飲みとは違う。病気なのである。アルコール依存症の方に処罰や免停を食らわしても、根本的な解決にはならない。そのため、中には免停5回のアルコール依存症ドライバーという方も存在するほどである。こうした患者の存在も考えて、飲酒運転の取締りばかりではなく、治療・更生についても警察が動く必要があるのではないかと私は考える。
都心近くに住んでいると、生活に車が無くてもさほど困りはしない。しかし、地方に行けば「バスが一日二本しか来ない」といったような、交通の過疎化がひどいところもある。こうしたところにおける交通手段は当然、自動車が中心となる。こうした地方に住む方々にとって、自動車の有無はライフラインの有無に近い。車は便利であるが凶器にもなりうるもの。本当に難しい問題である。

ベビーシートを車の後部座席に付けたはいいが、なんとなく不安で運転手(私か妻)1人+息子1人という状態では出かけられず、しばらく時間が経ってしまった。せっかく買って何とか取り付けたわけだから、いい加減そろそろ私も妻も使えるようにならないと…と思い、今日は初めて息子を連れて3人でドライブに出かけることにした。蓮田市の隣、伊奈町のバラ園では秋のバラが咲いているだろうし、まだコスモス祭りもやっているかもしれない。今日は出かけることそのものが目的だから、まぁやってなくてもイイや。
昨日、少しガソリンの価格が安くなっているのを見て、ハイオク満タン&洗車をしておいた。美しい。やはり黒いボディは洗った後の効果が歴然としていていいなぁ。今日は天気もいい。ドライブをするに当たって、不安要素が何も無い本日を逃す手はないな。
息子をベビーシートに乗せ、妻をその隣に。私が運転をする。子供を乗せて車を運転してみて、車の後部に「子供が乗っています」というシールを張っている運転手の気持ちがわかった。子供を一緒に乗せていては、心配で無茶な運転などとても出来るものではない。今まではガンガンにエンジンを回し、道路を突っ走っていたのだが、反省。318tiはセダンモデルに比べて足が硬い。さらに、ホイールは318ti純正の「スタースポーク・スタイリング45(205/55R16)」ではなく、「クロススポーク・スタイリング42」に変えているため、タイヤは225/50R16という扁平ぶり。ぶっ飛ばして運転する分にはロールも少なくていいのだが、逆にゆっくり走ると路面の突き上げが感じられる。これでは乗っていて気持ちが悪いかなぁと心配したが、息子はずっと寝ているだけだった。いい「ゆりかご」になっているようである。
伊奈町のバラ園は元々は町制の記念公園であり、遊具等も充実しており敷地も広大だ。どのくらいの状態でバラが残っているかなぁとあまり期待しないで言ったのだが、このとおり立派なバラがたくさん。しかし息子はバラなどどうでも良く、眠そうにしている。赤、白、黄色のバラはバラらしいが、ピンクっぽい色のものはどうも「さつき」の花のようである。
バラ園を1時間位で発ち、そのバラ園の近所にあるケーキ屋へ。ケーキ屋とカフェが一緒になっており、おいしいコーヒーをいただけるのだが、息子連れではちょっとリスキー。ケーキを買うだけで店を出る。マロニエ、レアチーズケーキ等を購入。マロニエは栗嫌いの私でも食べられるような、甘さが上品に抑えられた逸品。でもこのサイズで\420は高いなぁ。

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コスモス祭りは特定の場所に集中して行われているわけではなく、伊奈町に点在するコスモスの花が咲いているところで開催されている。まだ花は咲き乱れていた。ああ、きれいなものである。天気が良いせいか、蝶やミツバチもたくさん居る。しかし、花畑の近所にある化学工場からの匂いがひどい。これでは花の匂いもわからん…と思ったのだが、私達以外の花を見ている方は、匂いのことは気にならないようである。不思議だ。
最後に、いつも買い物に来ているマルエツへ。息子は初マルエツ。これから幾度と無くここに訪れることになるだろう。しかし、また寝てるし。日中、外で活動し、今夜は疲れてぐっすり休んでもらうという我々の計画がぁ!とても二ヶ月とは思えない重量感の息子をずっと抱えていたせいか、右腕が笑ってる~。
今日は近距離ドライブだったからまぁ良いが、福島の実感に帰るとなったらそれこそ大事である。年末、正月は帰省できそうも無いが、来年のGWは大変だろうな。

久しぶりにNHK、テレ朝、テレ東以外のチャンネルをまわす。フジテレビって…ああ、8だったな。
踊る大捜査線の周辺人物を中心としたドラマスペシャルなのだが、もう、青島刑事の直接的な周辺人物ではなく、そのまた周辺人物の話ですなぁ。映画では「交渉人・真下正義」、「容疑者・室井慎次」があり、テレビでは「逃亡者・木島丈一郎」と同じようなシリーズ。「逃亡者・木島丈一郎」がかなり楽しめたので期待して見てみようと言う気になったのだが、全然おもしろくなかった。
これは「容疑者・室井慎次」を私が見ていないため、面白くなかったのかもしれない。しかし、「逃亡者・木島丈一郎」は前提知識無しでかなり楽しめた。そもそも映画よりも視聴する人間が多いテレビで「映画前提」ってのはナシだろう。(以前、テレビで始まり映画で終わるという「あぶない刑事」のスペシャルがあったが、あれは片方だけでも話がそこそこ完結していたこと、そして続編が映画であったためにいい相乗効果を生んだと思う)
フジテレビにとってドル箱作品と言える「踊る大捜査線」シリーズも、こういう感じで安売りしていくとその価値が失われていくだろう。というか、織田裕二ナシ、いかりや長介ナシでしかできないのだから、もうこのシリーズは封印してもいいんじゃないだろうか?

まぁ、この番組のことよりも、問題は次週である。驚いた。「仕掛人 藤枝梅安」が次週放映される。梅安役は岸谷五朗。まぁ、悪くは無いと思う。そして悪役(っぽい…予告しか見てないから)の石橋蓮司。必殺シリーズの名悪役の1人と言って過言ではないこの方が出ることは嬉しい。そしてなによりも…スタッフロールの最後には藤田まことの名が!思わず飛び上がって喜んでしまったよ。

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変な物体だが、里芋である。季節は秋。日光の紅葉はとても鮮やかになっていると、先ほどのニュースで伝えていた。わが故郷、福島では芋煮の季節真っ只中である。
かれこれ東京に出てきて9年以上になるが、川縁でする芋煮会というのは一度もやっていない(一度、東京湾を囲みながら芋煮をしたことがあったけど。もう5年くらい前になる)。親戚同士で1回、学校の部活などで1回、友人たちと1回と、年に3度の芋煮は欠かさなかったほどの芋煮野郎であったのだが。味付けは味噌、肉は豚とガチガチの福島・宮城流芋煮である(山形県民に「それって豚汁じゃん」といわれたときの屈辱は、未だ忘れられない)。
そんなことを、この芋を見ながら思い出していた。子供の頃、親戚同士でやったのが思い出として残っている。蓮田市には元荒川なる川があるが、芋煮をするような川の上流感は全く無い。しかも汚い。やっぱり東北に戻って、芋煮はしたいものです。
ところでこの芋、何に見えますか?

そこそこ有名なアーティストならば、リリースすればほぼ確実に多く売れるベスト盤。大ファンというほどでもないアーティストの場合は非常にありがたいが、熱を入れているアーティストがこれが発売すれるとちょっと頭にくる。特に「ベスト盤専用アレンジ」の曲や「ボーナストラック」が含まれていたりすると、非常に悩まされる。また、CDといったものは収集の対象にもなりやすい。ジャケットの写真もみたい…などという理由で、ほとんど持っている曲ばっかりのCDを買う羽目になったことが私にもある。
そんなベスト盤だが、インターネット上の各Music Storeのおかげで、今後は売れ行きが減少するかもしれない。理由は聞きたい曲のみを1曲単位でダウンロードし、購入できるからである(このビジネスモデルのおかげで、米国のタワーレコードはこれが元で倒産してしまったしなぁ)。
しかし、実体をリアルに手に取ることが出来ないモノというのは所持している感覚が希薄で、なんとなく頼りない、心細いような感じがする。あ、これはダウンロード販売された音楽のデータのことを言ってます。まぁCD-Rなりに焼けば実体になるのだが、専用のジャケットがあるわけではなく、あくまで普通のCD-R。コレクション対象としての魅力は希薄である。Music Storeで購入した場合、専用のCD-Rプリント用の画像と、印刷して切ってホチキス止めすれば歌詞カードになるようなものを一緒にダウンロードさせればいいのかもしれないが、所詮素人仕事。でも、無いよりマシか?
最近はどうなっているのかわからないが、ATRAC3のように「移動のみ、複製不可」な形式のデータは、著しくユーザーに不利益を与えるので勘弁いただきたい。携帯電話の着メロも、機種交換後要際ダウンロードのようなのはどうにかして欲しいものだ。
今後、このようなビジネスモデルが普及すると、1曲に対する値づけの方法も変わるかもしれない。ダウンロード数の多寡により価格が上昇するなど、ランキング=価格のようなモデルも考えられる。そうすると、マイナーなアーティストにもビジネスチャンスを与えることができる。これ以外にもどんなビジネスモデルが出来るのか、楽しみである。

最近、市ヶ谷駅前には本書の販売をしているおじさんが毎日立っている。市ヶ谷は販売員常駐の駅になったのだろうか?この駅前で日々、実際どのくらいの売り上げがあるのだろう?
先日、限界効用逓減の法則のブログにおいても依存症の事について触れたが、BIG ISSUE Vol.59でも依存症の特集がされている。潜在的にはわからないが、表面化している依存対象としてはアルコール依存症が最も多いように思う。アルコール依存症の定義だが
アルコールを繰り返して飲むことによって、アルコールがいつも体内にある状態に慣れてしまい、アルコールが体内から消えるとき手指が震えたり発汗したりなどの「アルコール身体依存」が見られたり、病的な飲酒行動
 1.飲みだすと止まらなくなる
 2.今日は飲むまいと思っていても結局飲んでしまう
 3.飲酒で人間関係にひびが入っているのにやめられない
 4.飲酒によって体調悪化しているのにやめられない
があるとき。なおアルコール中毒とアルコール依存症は異なり、前者はアルコールが体内に取り込まれたことで、アルコールの毒にあたることを指す。
もちろん医者にかかって治療する必要があるのだが、この習慣を断ち切るためには通院だけでは不十分である。よくあるのが、夫がアルコール依存症で、妻がそれを支えるために必死に夫を助けるという関係。しかし妻の支えがあるという甘えから、夫はアルコール依存をやめることが出来ない。依存症から回復した人々の話を聞くと「底づき状態」に達しない限り、依存症脱出からの一歩は踏み出せないと言う。この底づき状態というのは、依存症の当人に対する助けの手を全て離し、「このままでは生きていられない」と本気で感じる始める状態を指す。しかしこれが中々難しい。依存症の当人がアルコールから抜け出せないのと同じように、それを支えようとする妻も夫の手を離すことが出来ない。「私が居なければこの人は…」という、依存者に対して依存するという「共依存」という状態にある場合が多いからだ。
アルコール依存症から抜け出すきっかけとして多く聞かれるのが、アルコホリックアノニマス(Alcohoilcs Anonymous 略してAA)という自助グループの存在である。AAは直訳すると「無名のアルコール依存者たち」といった意味になろうか。お互いの名前や素性を知らない不特定な存在で自助グループが構成されるのは、支配者的な人物が生まれたりすることを避けているのだろう。このAAではミーティングと呼ばれる経験や希望の分かち合いの場と、AAの12ステップと呼ばれるプログラムに基づいた、日々の生活の助けなどをしている。12ステップを見ていると「神」やら「ハイヤーパワー」といった宗教的印象を受ける単語が見受けられるが(日本人はこうした言葉に対して比較的敏感であり、嫌悪感を感じやすいですよね。私もそうですが)、これはキリスト教社会であるアメリカから来た考え方であるためこうした言葉が残っているのだろう。私なりに日本語に置換すれば、神やハイヤーパワーという言葉は「自分の意思でどうにかすることができないような大きな存在や力」といったところであろうか?意外と「辞める気になればすぐに辞められる」なんて事を言っている人に限って、酒もタバコもやめられなかったりする。こうした「自分の力は無力だ」ということを認め、人やグループに助けを求めるという素直な気持ちが大事なのだろう(しかし、この段階に達するまでがとても大変であろうと思う)。そして「今日一日、酒を飲まない」という一日、一日の積み重ねがとても大事であり、同じ悩みを共有する人たちが本気で助け合うから、依存症克服に大きな効果があるのだろう。
私もこの本を読み、少々調べてAAという組織のことを知った。実にすばらしい運動であると思う。もう少し、メディアでの紹介があれば、救われる人も出てくるのではないだろうか?

「待ちに待った…!」という方もいらっしゃるのでしょうが、個人的には全く興味が無い携帯電話のナンバーポータビリティ。
私はDocomoの携帯をかれこれ5年以上使っており、1年割引や家族割引といったシステムによる恩恵を受けている。ここ最近、Docomoはかなりこの点にご熱心である。これはDocomoのユーザー囲い込み戦略以外の何物でもないのだが、まぁ戦略はどうあれ、実質安いので変える気にはなれない。それに、携帯のメールアドレスが変わってしまう点はやはりナンバーポータビリティの魅力を半減させている。
つい最近まで、Docomoの携帯は端末自体の魅力がいまいちであった。しかし、FOMAに変わりかなりサービスも充実してきているし、ワンセグ対応機など、次世代の新機能を搭載した商品もラインナップに加わっている。
このナンバーポータビリティによって、キャリアのシェアはどのように変わるのだろうか?私個人の予想は「結局変わらない」である。

昨日、現職の死去に伴う衆議院補欠選挙が神奈川、大阪にてあった。どちらも自民党勝利であり、安倍政権運営に弾みがついたことだろう。
神奈川の補欠選挙では、死去した現職の長男である亀井善太郎氏が当選した。銀行員を経て、父の議員秘書となり、父の地盤を受け継いでの出馬であった。まぁ、やる前から結果がわかっていたような選挙であり、開票後数分で当選確実という報道がされた。
彼の公約は「失敗した人が再チャレンジ可能な社会の創生」だったか何だったか。とにかく、二極化した社会の中の弱者にチャンスを与えられる社会にしていくというような内容であったと記憶している。確かに、希望が抱けないというこの社会を変えたいと思う気持ちは買うのだが、銀行出身、二世議員の亀井氏がこうした公約を出しても、とても信じる気にはなれない。
都合のいいときにガンガン融資し、バブルが弾けたら手のひらを返したように中小企業をつぶしまくった銀行。経営建て直しのためには大量の税金が投入され、いわば「潰れぬ企業」とも居える銀行に居て、特に苦労も無く父親の地盤を受け継いだ二世政治家。そんな彼に弱者の悲鳴は聞こえるのだろうか?

ビールは1杯目、一気にのどを通して胃に突き抜けさせるように飲むのが非常にうまい。だが、本質的にビール好きなわけではない私は2、3杯目になると飽きてしまい、他のお酒に変える。
とても気になる女性がいる。何とか仲良くなり、付き合うことができた。そんな関係が長く続くと、はじめて出会ったときのような思いは次第に薄らいでゆき、彼女の大切さを忘れてしまう。

上の二つのような例は枚挙に遑がない。楽しみも回数を重ねるにつれてその楽しさが逓減してしまう。このような現象を、心理学の世界では「限界効用逓減の法則」と呼んでいる。
最近、依存症の話を良く聞く。先日購入したTHE BIG ISSUEの特集も依存症の特集であった(これの感想は別な日に書きましょう)。厳しい社会の中で、アルコール、薬物、性といった「瞬間的に快楽を与える」ものに逃げ込んでしまいたくなる気持ちはとてもよくわかる(私も半ばアルコール依存症に近い時期があったし)。これら依存の対象にも限界効用逓減の法則はもちろん当てはまる。回数を繰り返すうちに、強い酒へ、強い薬へと、奈落に落ちていくように求めていく。依存症患者、それは「自己責任の時代」の代償の一つと言っていいと思う。
心理学者のラッセルが「幸福論」の中でこう言っていた。「道楽や趣味は、多くの場合、もしかしたら大半の場合、根本的な幸福の源ではなく、現実からの逃避になっている」と。そんなことを聞くと、人は何のために生きているのだろうかと、落胆せずには居られない。

出産してから今日初めて電車に乗ったという妻。ほとんどが家の中での生活だったし、外出の必要があるときには車を使っていた。
今日は龍之介を義理の父母に預けて、埼玉スーパーアリーナでレナウンが主催するバーゲンへ行くことにする。ここで開催されるバーゲンの品物は、私より少し年上の人をターゲットにした商品が多いのだが、結構いいシャツが購入できる。パンツ、シャツにターゲットを絞って買い物をすることにする。
まずは昼食のために大宮へ。行くところは毎度おなじみの寿司屋である。妻とこの寿司屋に来るのも久しぶりである。にぎりの大盛を頂く。ところで、この店の寿司には必ず1個以上「わさび大盛」のネタが存在する。今までの傾向を見ていると、イカに仕込まれていることが多い。しかし、今日はいきなりヒカリモノ(アジ?)でわさびヒット。うまいのだが辛い。立て続けにエビ、イカと頂いたが、どうも今日はわさびの盛りがいい。わさびがとても好きな私には喜ばしいのだが、妻には少し多いようである。
食後、大宮のLOFTで醤油差しを購入。急須のような形をしたかなりいいものを今までは使っていたのだが、先日、いきなり注ぎ口が取れてしまった。妻は値段を言わなかったのだが、どう見ても安いものではない。しかし、何が原因だったんだろう?
そして大宮から隣のさいたま新都心へ。会場内で一度妻と別れ、一人で色々な服を見る。シャツは欲しいものが5候補もあったが、3つに絞込む。パンツは気に入ったものが1点あったのだが、ウエストがギリギリ。どうしようと思いつつも、これ以上太らないようにとの戒めの意味もこめてかごに入れる。妻と合流後、お互いに買いたいものを見せ合い、買うもの、買わないものを分けてレジへ。レジの先では北海道物産展(大宮駅でもやっていた…)が。うっかりホッケの干物を二つとブロックのベーコンを購入。試食に負けてしまった。
バーゲン会場から出た後、久しぶりに歩き回って足が痛くなったので、駅の近くで一休み。色々なビルが立ち並ぶこの街の風景も、ゆっくり眺めてみると面白いものだ。視線の先には紫色のカラス?のような着ぐるみが動いている。これは昨年、埼玉県で行われた国体のマスコットキャラであったと記憶している。可愛くないせいか、子供からも完全無視状態でぐったりしている。国体は終わったのに、何で今頃こんなものがフラフラとしているのだろうか?

パソコンのフルキーボードの右についているテンキー。数値入力が連続するとき、とても役に立つ。このテンキーや電卓の数字の配列は、左下から右上に向かっている。4列あって、最下段が0、2段目が123、3段目が456、4段目が789。テンキーを使っているときは無意識に、このキーをタッチタイピングしている。
しかし、世の中にはこの配列ではない、とても身近なものが存在する。例えば電話。最上段が123、3段目が456、2段目789。最近良く電話のかけ間違いがあるなぁと思っていたのだが、テンキーとのキー配置の違いが原因のようである。
それ以外にも困ったのが銀行のATM。何度暗証番号を入力しても、通らない。あまり間違いばかりしていると不振な人に思われてしまう。後ろに立っている警備員の熱い視線を背中に感じる。暗証番号以外では、金額の入力を誤り、法外な金額を下ろしてしまったり。最近のATMだと、暗証番号を入力するときの数字の配列がランダムになるものがあるが、あれはいいね。もっといいのは、手のひら静脈認証。指紋認証よりも読み取りミスが少ないような感じがする。ATMでは無いが、生体認証の一つとして虹彩認証というものがあるが、何だかアレは読み取るところから指が「びょっ!」と出てきて、目潰しされそうな不安感あり。ちょっと抵抗があります。

先日、肩こりがひどい私は自室の椅子に座りながら、後ろの方に伸びをした。途端、「めきぃっ!」という音と共に背もたれが割れた。元々ひびが入っていたようだったが、これでとどめを刺してしまった。
この椅子、買って5年くらいになるだろうか?決して高いものではないのだが、francfrancのもので、曲線を多用したモダンなデザインの椅子。バウハウス信奉者の私はデザインだけではなく、その機能性の高さをとても気に入って使っていただけに残念である(現在は既にその椅子は販売されてないようです)。
背もたれが無い椅子を使い続けるわけにもいかず、椅子を購入することにした。Herman Millerのアーロンチェアのような機能性あふれるもの(といっても、高すぎてアーロンチェアは買えない)を狙ってみたのだが、この椅子に似たまがい物がたくさんあり、何だか探すのがイヤになってきた。もう機能性はどうせもいいから、デザイン優先…で、送料が高いにもかかわらず、ヤフオクに素敵な椅子が出品されていたので、コレの白を落札。本日、届きました。
アームレストがある椅子はあまり使ったことが無かったが、まぁ悪くは無い。一応、いい買い物だったのでしょうね、これ。

実際に読んでいる人がどれほどいるかはわからないが、ゴルゴ13という漫画が存在はたいていの人が知っていると思う。
私はこの作品のファンで、全巻持っている。作者は「さいとうたかを」氏。1968年10月から連載され、現在も連載中である。ちなみに最新刊は142巻、9/5に発売されたばかりだ。
超人的な狙撃技術と肉体、頭脳を兼ね備える男、デューク東郷が本作の主役である。自分の主義に反さなければ、どのような困難な仕事でも引き受け、完璧に遂行する。まぁ劇画とは言え、漫画の世界のことで、実際にこのような人物がいるわけがない(いて欲しいと思うことはあるが…)。
彼が受けつける仕事は非常に社会性が強く、漫画とは言えどその話の裏づけや設定の的確さにはいつも関心させられる。国際問題、経済問題、民族問題など、かなり深く内容が調べられており、この漫画を通じて知った社会情勢も少なくは無い。また、兵器や車両、風景の描写も非常に的確で、その各方面のマニア(私は車には結構うるさいのだが)をもうならせるほどである。こうした漫画を描けるさいとうたかを氏もすごいが、資料を用意したりする編集者やアシスタントも優秀なのだろう。
これからも面白い作品を楽しみにしております。

今日、週間アスキーを買って電車内で読んでいると…!!
Docomoの903iシリーズが近日中に発売されると…なんだってぇぇえ!せ、先日機種変更したばかりなのに…。しかもだ、愛用の三菱製携帯であるDシリーズの903iの後にTVって2つのアルファベットが入っているモデルがあるじゃないか。TV。もちろんTerrorist Vacuumでは無い(意味不明)。テレビジョンである。携帯でテレビ。つまり、ワンセグですな。もうさぁ、マジかよー。でも、高速通信機能やGPSは含まれないんだねぇ。何で、Docomoの携帯はこう「全部入り!」みたいな機種がないのかなぁ?まだ技術的にしんどいのか?
まぁ、D903iTVは来年発売と書いてある。どうせ発売直後に購入できるわけが無い(私のポリシー、「携帯電話に\10,000-以上は払わない」に反する)。そう考えるとこのタイミングでの機種変更というのは悪くなかったのかもしれないが、新型が出れば旧型は当然安くなるよなぁ。やっぱ損してるよなぁ、俺。

ミュージシャンの話ではありません。ただの英単語です。
今、仕事に対してどのようなスタンスをとっているか…と聞かれると、実に答え難い。私ははっきり言って仕事が好きではない(二十代前半のころは、実は仕事が好きだった。今では考えられん)。今の仕事に多大なる不満を持っているわけではないのだが、まぁ「もう少し気分が乗るだろうなぁ」と思える仕事が無いわけではない。だが、ある程度の収入が保証され、様々な恩を受けてているこの会社から離れたいとは思えない。家庭がある私は完全に守りの姿勢である。
今日、職場の同じグループの方から今月下旬に退社するとの話を聞いた。30代中ごろの男性であり、家庭もある方なので今後、何らかの職場に移るのだろうと思う。仕事に対してあくまで守りではなく、他に変わるという方向での攻めが出来るというのはすごいなぁと正直、思う。
10月は年度の上期から下期に移る時期である。上期の目標に対する成果を見られる。そして、下期の目標設定をしなくてはならない。今の少し沈んだ気持ちの状況で目標設定をするのは、本当に苦しい。
「どういう仕事をしたいのですか?」採用面接のときの質問の一つだ。あの当時はビジョンを語ることが出来たが、今はそれが出来ない。だから今「どういう仕事をしたいのですか?」と聞かれるのが最も辛い。「やりたい仕事」よりも「できる仕事」を選んでしまっている私である。

今日は妻の友人の女性2人が我が家にやってきた。1人は昔、バイトで一緒に仕事をした友達、もう一人は妻が以前勤めていた弁護士事務所の事務を引き継いでくれた方だ。
お客様がみえる日なのに、龍之介の顔はにきびだらけ。1日、1日で出ては治ってというのを繰り返している。今日出来てしまったにきびも明後日くらいになるともう消えている。新陳代謝がそれだけ良いということなのだろう。
お昼くらいにお客様は我が家に着いた。お客様が太巻きを作ってきてくれたので、それとサラダや煮物をこちらで用意し、一緒に昼食をとる。妻が妊娠してしまったために、我が家でしばらく寝かせていた白ワインをあけることにする。久しぶりに妻も少しだけ飲む。この後の授乳は粉ミルクにするそうだ。
食事をしていると龍之介の泣き声が。体は小さいのに、声はものすごい大きさである。まぁ元気で良いのだが、おしめを交換しても、抱き上げてもどうもぐずっている。妻曰く、日中はこういうのが日常茶飯事なのだが、あまり居合わせることが無い私は「何事か?」と思えて仕方が無い。仕方が無いのでミルクを急いで作ってもらい、それを飲ませる。泣き止んだ。ミルクの風呂は、誘眠効果抜群である。しかし、一日に出来る回数に限度があるのが難点だ。
先週の日曜も日中から酒を飲み始めたのだが、やはり昼間の酒と言うのは胃にダメージが大きい。4時頃にお客様が帰った後、急にぐったりと疲れが出てしまった。昼寝はしない派の私もさすがにつらくなり、自室で休むことにする。2時間仮眠をとった後、龍之介を風呂に入れるために、風呂掃除を開始。平日はあまり気合を入れて風呂掃除が出来ない分、休日にはしっかりと洗わなければ。ちょっとカビが出てきているところもあり…二ヶ月の赤ちゃんが入るので、どうにかしなくてはなぁ。カビキラー等で一掃したいのだが、今日はその余裕無し。そのうちやりましょう。
風呂掃除といえば、バスポリッシャーという電動たわしのようなものがあるのだが、あれは便利そうだなぁ。

「嘘をつくと閻魔大王に舌を抜かれると言う。私は何枚の舌を持っていけばいいのか…」
横浜に住む、私のおじの書の中一つである。何だかコレばかり印象に残ってしまった。
「嘘つきは泥棒のはじまり」と言われたり、あまり良いものと認知されていない。しかし、私は1日に幾度と無く嘘をついている。出来るだけ言わないに越したことは無いのだが、嘘をつかないとどうにもならない場面、それが年をとるにつれて増えてきているように思う。そんな私が「嘘をついてはいけません」と子供に教えることができるのか?そして、成長するにつれて息子も私のように嘘をつくようになっていく。仕方がないことだが、自分が出来もしないことを教育していくことには何だか抵抗感がある。
嘘を一度つくと、そのことに対してはずっと嘘で接しなくてはならない。そんなことを繰り返していると、何だか自分が嫌になってくる。
私も、何枚の舌を持っていけばいいのだろうか?

DocomoのD901iを使ってもう14ヶ月。ずっと何世代も三菱製の携帯を使っているが、前回はMova→FOMAへの変更だったため、多すぎる機能についていけない。しばらく使い方がわからない機能があったものだ。
携帯の機種変更をする動機、それは新しい機能に惹かれてということが多かった。今どんな携帯が欲しいかと聞かれれば
 ・ワンセグ受信可能(現在、P901iTVのみ可)
 ・携帯単体利用時だけではなく、PCと接続時も実現できる高速通信(N902iX HIGH-SPEEDのみ可)
 ・光学ズーム、手ぶれ防止デジカメ機能(該当なし?)
を兼ね備えているもの。その登場を待って機種変更しようと思っていたが、今のDocomoの携帯ラインナップを見ていると絶望的である。いつまで待たされるかわからない。
D901iには大いに不満がある。最も大きな不満、それは本体の厚みである。体にフィットするパンツをはいたとき、前面のポケットに携帯を入れるとモッコリして見えてしまう。別に見栄を張っているつもりも無いのに、何だかちょっと恥ずかしい。気になってならない。
完全に理想を満たす携帯はしばらく出てくる気がしない。ならば、とりあえず現状の悩みを解決するために機種変更をすることにした。携帯電話の機種変更における私のポリシー、それは「一万円以上の現金は出さない」である。色々と新しいものが好きな私だが、携帯電話に関してはあまり興味が無い。最近導入された新機能、PushTalkとかおさいふケータイなど、とても使いそうもない。金銭的な制限ができれば、当然選ぶ機種も制限される。最新の902isシリーズは無理。その一つ前世代の902iである。メーカーは浮気をせずにまた三菱を選択(スライド型が好きなのである。液晶でかいし。)。D902iに決定。色が4種類もあるが、この中では白が一番好みである。
変えるときまったら、市場調査である。一週間ほど色々な店を見た結果、池袋駅前にある某店で最も安価に購入できることがわかった。希望の色、白のモデルの在庫もある。一部の契約オプション付きで\11,000-。「ポリシーに反している!」といわれそうだが、私はポイントを12,000以上持っているのである。すべてポイントで購入。一銭も払ってはおりませんので、ポリシーには反しないのです。
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で、厚さの比較。左がD902i、右がD901iである。写真じゃ大した差が無いように見えるかもしれないが、手に取ると、あたかも厚みが半分になったかのようである。もちろん、モッコリも解消。ほとんどのインターフェースはD901iに準じているので、前回の機種変更ほど困りはしない。いい買い物であった。金は払ってないけど。
しかし驚いたのは、機種変更の手続き時間の短さ。15分位で渡されてびっくりした。昔は2時間とかザラだったのにねぇ。

NHKの木曜時代劇、時代劇好きの私は結構見ている。ほとんどの作品は単発だが、慶次郎縁側日記ははシリーズ化され、ついに3シーズン目に突入。きっと人気があるのだろう。私はこの作品が最も好きである。なお、本作は北原亞以子の「慶次郎縁側日記シリーズ」を原作としている。
主役は元八丁堀同心の森口慶次郎(高橋英樹)。引退した今は根岸の寮番を飯炊きの左七(石橋蓮司)と共にしている。寮番といえど、元同心に出来ることといったらほとんど何もない。ほとんどの仕事を左七に任せて、ご隠居として居る様なものである。慶次郎は妻を亡くし、そして1シーズンの初めに三千代という娘を亡くしている。亡くなった三千代の許婚であった晃之助(比留間由哲)が養子となり森口家を継いでいる。そして晃之助は皐月(安達祐実)という妻を娶っている。2シーズン目に夫婦の間に子供も生まれた。
慶次郎は八丁堀同心で会った頃「仏の旦那」と呼ばれているほど寛容な男だった。義理や人情を重んじ、被害者にも下手人にも出来る限りの事をしてきた。だが、どれだけ心を砕いても、彼は無力であった。切なくなるほどに。隠居した今でも家のこと、左七のことをはじめ皆のことを思うが、どうしてやることもできない。しかし、それでも彼は「もっと、もっと」と世俗に分け入り生きながらえながら無力であることを感じ続ける。
初回である今回のタイトルは「峠」、半ば正当防衛で人を殺してしまった男の話(どうも初回は衝撃的なものが多い)である。まだ慶次郎が八丁堀同心であった頃の話。峠越え途中の男の前に野盗が現れ、襲いかかる。男と野盗がもみ合いになっていると、足を滑らせて2人は谷に落ちそうになる。間一髪、落ちる途中にあった木につかまり助かるが、野盗が男の足につかまり「助けてくれー」と叫んでいる。しかし、男の手も大人2人分の重さを支える力は無く、このままでは2人とも助からない。思い切って野盗が持っていた鎌を足元に振るう。すると野盗は男の足に大きな傷を残し、絶叫と共に谷底へ落ちていった。
これは人通りのない峠での出来事。誰もこのことを知るものはいない。だが、人を殺したという事実は男の気持ちの中に残り、その恐怖から逃れることが出来ない。野盗が落ちていくときの叫び声を忘れることが出来ない。男は自分も死にたいと思うようになった。
その重荷から逃れるため、男は仏と呼ばれた同心に全てを伝える。そして慶次郎は男に向かってこう言う。「生きて償え」と。
男は自首し、島送りになった。島でも金があるやつ、権力があるやつは様々なことで優遇されていた。罪が重くなかったため、そこそこの期間で島から帰ったが、罪人と呼ばれ全く相手にしてくれない。長屋の連中からも「島帰り」と陰口をたたかれるばかり。自首した後、生きて得たものは何も無かった。その恨みから、男は隠居した慶次郎を襲う。

生物には生きたいという本能がある。だが、絶望や諦め、憎悪の果てに、生きる希望を人は持ちえるのか?「それでも生きて欲しい」という思いがこのシリーズの中で一貫している大きなテーマである。1シーズン目では、慶次郎は娘の三千代を死に追いやった男を殺そうとした。だが、慶次郎にはそれはできなかった。2シーズン目ではその娘を死に追いやった男が病に倒れる。恨むべき目標を失う。そして、慶次郎と晃之助のお手先の辰吉と、三千代を死に追いやった男の娘との結婚を許した。慶次郎は絶望、諦め、憎悪を全て許した。
何か大きな流れの中で、人は本当に無力である。不条理な中、流れ流れて翻弄されながら生きていく。甘っちょろい勧善懲悪な話ではなく、何か心に残る。また来週が楽しみである。

最近、妻の調子も大分戻ってきたためか、息子を見に妻の友人がよく来るようになった。私としては一向に構わず、むしろゲストと話をしてしっかりと楽しんでいるほどである。
今日は妻が妊娠前に勤めていた会社の同僚がやってきた。大宮での仕事を終え、18:30位に来てくれたのだろう。妻は元気になったとは言えど、子供の世話があるのでそれほど気合の入った待遇をすることはまだ難しい。もう少し私が子供の世話を見られればよいのだが、食事の部分がどうにもならない。ミルクを作るってのは意外と大変である。使った後も消毒したりする必要があるし。
まだうちの子は人見知りをしたりする年ではない。逆に人が多くいて、会話をしているところにいる方が落ち着くようである。また、「あー」とか「うー」とか、彼なりにがんばって話をしているような気配すら感じられる。聴覚などの外部からの刺激は脳の発達に欠かせないという話を聞いた。そのためだけではないが、私は出来るだけ話しかけるようにしている。それに対しても「あー」、「うー」。
何を言っているのかはわからないけど、何だか嬉しいものです。

友人の誘いで数ヶ月前から某大手SNS(っていうか、mixiだ。隠す必要もあるまい)のユーザーになった。SNSのブームは私が加入する前からとっくにあったようで、ここまで普及していることを知らずにいた自分自身にも驚く。やはりやりたいこといに対して時間が足りないのである。
mixiのユーザーは私が想像する以上にたくさんいた。現在進行形の友人、同級生、自分の妹まで…妹は利用して1年近く経つらしい。大先輩ですなぁ。
このmixiで私を発見してくれた同級生が数人おり、彼らも在京だというので先日飲みに行った。学校を卒業してからのこと、今の仕事、生活のことなどなど。話し尽くせないほどのネタがあがり、あっという間に時間は過ぎ去った。私は集団で飲むのがあまり好きではない。だから、同窓会というかたちで会うよりも、このような飲み会の方がとても楽しい。
mixiには私の出身中学校のコミュニティがある。ここには多くの卒業生が書き込みをしているのだが、どうも年が私より5年以上若い人たちばかりで、眺めてはいるものの書き込む気になれなかった。そんな中、今年30才になるという方のメッセージを見かけたので、「もしかして知ってるかも…」と思い、プロフィールを見る。
絶句…これは私が中学生のときに付き合っていたAさんではないか…。中学校卒業後は連絡を取り合うことも無かったので、どの高校に行っているか…それ位のことしか知らなかった。また、その後はどうなったのか聞く機会も無く(一度十代の頃に中学校の同級会で出会ったのだが、当時の私には彼女に話しかけることはちょっと難しかった)思い出のまま十年以上の時が過ぎていた。結婚したこと、子供がいること、どこに住んでいるかということ…プロフィールや日々の日記でなんとなく現在の様子がわかった。
mixiには足あと履歴という、自分のプロフィールを参照にした人の履歴が残る仕組みがある。それに私のハンドルネーム(といいつつ本名に極似なのだが)が残っていて、今度は私のプロフィールを見てくれたらしい。で、メッセージが届いた。とても驚きました。十代の頃のような接しづらさは今となっては全く無く、むしろいい思い出に変わっている。その思い出だったものがリアルに戻るという感覚。これはとても不思議なものだ。
相手が彼女なら、尽きぬほどの話がある。メッセージのやり取りだけではなく、機会があれば飲みにでも行ってみたいものだ。
あー、しかし体重が、肉がぁぁあ!「思いでは思い出のままの方がいい?」そんな思いが少々去来してしまうものである。

ブロロロロ…というバイクの音で目が覚める。ここはどこだ?
ああ、横浜のおじの家だ…酔っ払ってみんなダウンし、埼玉には戻らず泊めてもらうことにしたのだったな。
時計を見るとAM5:00。ひどい頭痛がする。完全に二日酔いである。私の二日酔い対処法はとにかく体内からアルコールを排出すること。水を飲み、トイレに入り、また眠る。8:30に起きたが、頭痛はまだ止まず。こりゃ、今日一日止みそうもない。
しばらく話をしたり、おじが今ままで書き続けた絵や書を眺めていた。大きなアルバムに20冊以上はあろう。定年してから描きだしたと聞くが、これだけの量、質には驚く。私の祖父は肖像画家だったし、遺伝的には芸術的才能が私にあってもおかしくは無いのだが、全くそういう気配がない。残念だ。
お昼前におじの家を出て、埼玉へ帰ることとする。おじは横浜を案内したいと思っていたのだが、父、母は今日中に福島に戻らなくてはならない。今度私が遊びに行ったときに、色々なところを案内してもらおうと思う。いい写真が撮影できそうである。
蓮田の家に戻ると、昼食の準備が出来ていた。妻の父母も我が家へやってきた。昨日は挨拶もせず横浜に急いだので、ようやくここで顔を合わせることになった。父は龍之介の写真を撮りまくっている。前回会ったのが出産して1週間くらいの時期であったため、大きくなったその姿に驚いたことだろう。昼食後、しばらく話をし、父母は4時前に埼玉を発った。

私の父方の祖父の兄弟で存命なのは、横浜にすむおじ1人だけである。
私の祖父は次男、横浜のおじは五男である。祖父がなくなってから、既に14年もの歳月が経つ。その間に三男、四男と亡くなったが、年齢に関係なく様々なことに対し意欲的に取り組むこの横浜のおじは、老いというものを感じさせない気迫がある。83才とはとても思えない。
そんな横浜のおじの体調が芳しくないという話を父から聞いた。今年の6月に私は妻と共に横浜を訪問している。にわかに信じることができなかったが、最近、横浜に電話をしてもこのおじが出なかったり、手紙といえばおじが直筆で書いてくるのだが、それがおばさんの直筆であったり…「入院しているんじゃないか?」、「自宅で療養しているのか?」など、余計な情報が錯綜する。
父は土日に出勤し、平日に休みを取るという仕事の仕方をしている。そのため、誰かのスケジュールに合わせて土日に予定を調整することが難しいらしい。私と違い、仕事人間な父は中々休みが取れなかったのだろう。「横浜に行かなくては…」と思いつつ、今日まで延びてしまったようだ。ようやく都合をつけて、福島から父母がやってきた。私の家から直で横浜へ。今日はとてもいい天気で、湘南新宿ラインの車窓から富士山が見える。
東神奈川駅から白幡西町へ。お宅を訪ねると誰もいない。入り口の窓は全開である。横浜でコレはいくらなんでも大胆すぎる(っていうか、危ない)。おじの名を呼ぶが、中々出てこない。何度か連呼したとき、「はぁい」というおばさんの返事があった。室内にお邪魔すると、おじさんいるじゃないか!しかもしっかり元気に歩いている!(あー、良かった。)
体調についてたずねると、やはり体調万全というわけではなく、抗がん剤を投与しているとのことであった。少なからず副作用などがあると思うのだが、それに屈することなく精力的に歩いたり、とにかく動くようにしているようだ。年をとると、がん細胞の増殖も年齢にあわせて緩やかになる。もうこの年になるとガンに屈しないためには精神力が最も重要なのであろう。足腰の強さは私の父を明らかに超えている(田舎に住んで車を持っていると、だんだん歩かなくなって老化していくようで)。酒もタバコも相変わらずやる。挨拶と近況報告を終えたら「ビールでも…」ということで、3時から宴会開始。飲み続けているうちに、様々なゲストがやってくる。父の従弟の家族も続々と。ビール、梅酒、ワイン、焼酎、ウィスキー。いや~、また飲みすぎた俺。それに比べて父はあまり酒がすすんでいない。自粛しているのだろうか?いや、この方に酒を自粛するという言葉はあるのだろうか?おそらく私よりも圧倒的に少ない酒量で、父ダウン。私はCHIVAS REGALの12年をソーダ割りで頂き、ダウン。尋常じゃない位飲んだのだが、CHIVAS REGALが効いた。前回お邪魔したときも、このCHIVASでノックダウンさせられた。どうもこの酒は私の体と相性が悪いような気がしてならない。

昨日の大雨とは打って変わって、今日は天気がいい。少し風が強いが。
今日一日で7件ほど用を済まさなくてはならない。例によって、土曜日にいろいろと予定を詰め込んでいるからである。その用件と用件の間、1時間ばかり空き時間ができてしまった。場所は蓮田駅。用があるのは家の反対側である駅の東口側。家にかえるにしても中途半端な時間である。天気もいいことだし、ベンチに座りながら本を読むことにした。耳にはヘッドホン。視覚と聴覚を集中している私には周囲の情報は入っていない。
と思っていたら、外部から聴覚に刺激が…罵声である。何事かと思いヘッドホンを取ると、駐車違反取締り員とガラの悪い30代後半と思われる男性が言い争っている。取締りをしているのは60才前後と思われるおじさん二人。蓮田駅東口も完全に取締り対象となったんだな…西口に比べて東口は整備されているので、車も停めやすい(西口には停めるスペースも無い…)。いいカモがゴロゴロしている。おそらく公平にすべての車両を駐車違反としたのだろう。停まっている車の一台に1995年式前後のベンツのSL500のカブリオレがある。あー、どう見てもこの車のオーナーだろう…思ったら、やはりその通りであった。
気持ちはわからんでもない。しかし、このおじさんたちに食いついてもどうにもならないのである。違反車両はナンバープレートをデジカメで撮影され、専用のPDAで警察に画像が届くようになっている。撮影された瞬間から、もう取り消すことはできないのである。おじさん二人は大変困っている様子で、どうにもならないので仕方なく、交番から警察官を呼んできた。嘱託されているおじさんに突っかかった時点で公務執行妨害になるのかどうかはわからないが、警察官だと確実だ。結局、派出所に連行されていった。車ごと移動しているときにその車の助手席を見たら、女性が乗っていた。あー、かっこ悪いところを見せたくなかったって気持ちもあったんだなぁ。憐れ…
しかし、車を選んで取締りをしたりしなかったおじさん、あなたたちは偉いね。結構、傷害事件も起きていると聞いている。反面、取り締まる側も女性や年寄りばかりを狙っているような不公平な取締り員もいるのだろうな…。
タバコと同じで、車もなかなか使いにくい世の中になったものです。

妻の実家で飼われていたビーグル犬が大雨の中、亡くなった。14歳であった。
長らく皮膚の病気を患い、足を悪くし、腫瘍までできているという状態で、点滴を受けながらここ数日、命を長らえた。特にここ数日は義理の母が付き添い、自分の足で歩いておしっこもできないような状態であった。亡くなる直前に義理の母から連絡があり、妻が実家へ向かった。母と妻に看取られ、果てたという。14年という歳月を共にしたのだから落胆した様子ではあったが、ある程度の覚悟があったためか、妻は悲しいながらもいつもどおりに子や私と接していた。
確か4年前、私がはじめて会ったとき、既に皮膚の病気が発症していた。ずいぶんと痒そうにしているのが気になった。鼻が効くせいか、犬というのは多くの場合、食に貪欲である。この犬も例外ではなく、むしろ他の犬よりも食に対しては興味が強かったように思う。人が食事をしていると、ずっとこちらを物欲しそうに見ていた。ここ数日はその食欲すら失われているような状態だったという。
私の福島の実家でも犬を飼っていた。ハスキー犬である。顔は恐いが、気持ちはとても優しい犬で、よく学校帰りの小学生が犬を見に来ていた。しかしある日突然、原因不明まま急死してしまった。
死というものをどう受け入れるか。死の覚悟をしない状態で急死されると、しばらくよくわからない、現実が受け入れられないような状態になる。よく交通事故や事件で親類を亡くした方が「まだ現実が受け入れられない」ということをよく言うが、私にはこの感覚がとてもよくわかる。
死というのは予測できることではない。しかし、私は過去に一度だけ人の死を予測し、それに備えたことがある。それは祖母の死のときである。福島の病院に入院していた祖母に、亡くなる二ヶ月前に会いに行った。私が来ると急にしゃんとして、祖母が私に言いたいと思うことをすべて話してくれたかのように思う。そして、私も伝えたいことをすべて伝えたと思う。「もう次は無いだろう…」と思いながらも、笑顔で病室を離れた。病院を出ると、病室の窓から顔を出し、駐車場にいる私に手を振ってくれたことは未だに忘れることができない。車のキーを回したと同時に、堰を切るように涙が出た。だが振り返らず、私はアクセルを踏み込んだ。
10/3の祖母の命日。今年もまた、過ぎてしまいました。

毎日、息子を主に静止画で撮影している。撮影には35mmフィルムカメラとデジタルカメラの両方を使っている。現像代を考えるとどうしてもフィルムカメラの方が枚数が若干少なくなってしまう。現像してみて思ったこと、同じ被写体を撮っているのにデジタルカメラの画像と35mmフィルムを現像した銀鉛写真では仕上がりのテイストがずいぶんと異なる。あまり感度が高くないフィルムを使っているせいもあると思うが、フィルムカメラの方が優しい印象の写真となる。また、ホワイトバランスもかなり適切な設定にされているように思う。そして、見せるにはやはり紙が楽である。
フィルムの現像に約\500-、印画紙に焼き付けるのが\19/1枚。24枚撮りフィルムなら1本\1,000-以内で済む。最終的に紙に印刷することを考えると、そのコストはデジタルカメラとあまり変わらない(いや、用紙の選び方や、プリンタ機種によっては銀鉛の方が安くなるかも)。今はフィルムカメラは減る一方で、製造を中止するメーカーも少なくない。だが、我が家ではもうしばらく活躍の場がありそうである。

朝はぎりぎりまで眠る私。当然せわしい出社になるのだが、その日使う腕時計を選ぶという時間だけはしっかりととっている。自動巻きの時計は放っておくと止まってしまうので、なんとなく選ばれる頻度が高い。ヒイキである。
連日自動巻きだったので、今日はクォーツにしよう。constellationがいいかな…と思って着用したら、あらら?止まってるし。電池切れか?私が持っているクォーツのRADO DIASTARは、残りの電池が少なくなると、秒針が4秒おきに動くようになる。それを一つの目安として電池交換していたのだが、OMEGAのクォーツはいきなり止まってしまうの?クォーツ一本しかもっていなかったりすると、結構困ると思うのだが。
constellationは日常生活防水なので、OMEGAの正規修理店である「スウオッチ・グループジャパンサービスセンター」に持ち込むのは止めた。しっかりとした防水機能を持つものは、電池交換とともに防水処理を施してもらい、防水テストまでしてもらう。そうしないと購入時と同じ性能は望めなくなってしまう。
電池交換だけならいいが、液漏れなんかをしてるとオーバーホール行きである。何も問題が無いことを祈りつつ…、問題なし。余計な出費が出なくてホッとしました。

産経新聞のWebサイト下記のような記事が掲載された(デッドリンクになっていたらすいません)。


給食費払わぬ親たち お金あっても「頼んだ覚えない」

 家計にゆとりがあるのに給食費を払わない保護者が増えている。あまりの悪質ぶりに、法的措置を取る自治体が相次ぐ。未納分を学校側が立て替えたり、給食の質や量を下げて対応している事実は、教育界では“公然の秘密”。生活保護に上積みされた給食費を別の出費に流用する保護者もいるほどで、きちんと払っている保護者や教職員たちから非難の声が上がっている。(池田証志)

 「高級外車を乗り回し、携帯電話に何万円も払っているのに、給食費は払わない保護者がいる」。文部科学省にはこんな報告が相次いで寄せられている。外車に乗るような世帯だけではない。国や自治体は所得により生活保護に給食費分を上乗せして支給しているが、それでも給食費を滞納する保護者も多いという。

 小学校(低学年)で月3900円、中学校で月4500円の給食費(文科省発表の全国平均)。宇都宮市は9月12日、給食費を滞納している保護者38人に、支払い督促を宇都宮簡裁に申し立てた。4月には仙台市が、翌5月には北海道根室市が同様の措置を取っている。支払いに応じなければ、裁判所による差し押さえの処分が下ることになる。

 宇都宮市の調べでは、5月1日時点で、702人分の給食費が3カ月以上未納で滞納総額は3290万円。中学校21校中20校、小学校59校のうち40校で未納者がいた。未納者がいない学校の方が少なかった。

 北海道芦別市では昨年3月、支払い能力がありながら支払う意思がない「特定滞納者」に行政サービスの一部停止や住所、氏名の公表などを認める条例を可決した。

 佐賀県多久市では一昨年、給食費の納付を約束する保証人付きの「確約書」を全保護者に求めた(昨年度で廃止)。山梨県笛吹市でも「連絡なしに滞納した場合は給食停止」という同意書を保護者に提出させた。

 広島県や東京都でも悪質な未納事案が横行。学校側の再三の説得にも支払いに応じず、教員がポケットマネーで負担した例は日常茶飯事。教師や校長、PTAの役員が給食費を立て替えたものの、子供たちが卒業した後に踏み倒されてしまった例が絶えない。

 各自治体は、徴収員の配置やプリペイド方式の採用など“あの手この手”で踏み倒し防止に躍起だが、滞納する保護者の多くが「義務教育だから払いたくない」の一点張り。なかには「給食を出せと頼んだ覚えはない!」「給食を止められるものなら止めてみろ!」などとすごむ保護者もいるという。

 東京都内のある中学では、1人当たりの給食の予算は1日280円だったが、260円分に抑えざるを得なくなった。給食費の未納は、給食の質や量を低下させるという事態を招いている。

 学校給食法は、子供たちに給食を提供するよう自治体に「努めなければならない」と努力義務を規定。そのための設備や調理員の人件費は自治体が負担するが、食材費は保護者が負担するよう定めている。文科省学校健康教育課では「結局は保護者のモラルの問題。学校を通じて給食は自己負担であることへの理解を求めるしかない」と話している。


昔のドラマで、飲んだくれてギャンブルに狂った夫が子供給食費にまで手を出そうとし、それを妻が「それは子供の給食費だから堪忍して!」と止めるような描写が見受けられた。最近はこうした描写は見ることもない。両方の親が「給食費なんてどうでもいい」と思うような社会状況だから、ドラマにもならないなぁ?
給食にかかる費用(給食のおばさんの賃金ではなく材料費)はこの給食費から出ているのだろう。給食費は支払う金額が全員一定額ので、税金の持つ「貧富の格差の修正とも言える所得の再分配」という機能は給食費にはない(将来的にはわからないけど…)。で、給食費の額。この額で学校が昼食を保障してくれると言うのは、私にはとてもありがたいものに見える(皆で同じものを食べるってのも、まぁ今となってはいい思い出だ)。戦後の食糧難の頃に先人が考えてくれたこのシステムに私は感謝している。ただ、この給食というシステムは、全生徒から一定額が拠出されることが大前提として成立している。「給食を出せと頼んだ覚えは無い」と言われると給食そのものが完全に破綻してしまうことになる。給食にするか、しないかといった選択性に無理やりしたとすると、給食の提供を受ける方たちの負担が大きくなってしまう。そのため、多くの地域でどこかからお金を拠出して「穴埋め」的な対応をとっているのだろう。
税金にしても、給食費にしても、私たちは公共サービスの提供を受けているのだから当然出資する。税金の支払いは「ルール」という感覚を持つ人もいるだろうが、私は生きている以上何らかの公共サービスを受けているのだから「モラル」に近い感覚で税金を払っている。
最低限のモラルをもてない人間は、過去は蔑まれる対象であった。本当にお金が無く、給食費すら支払うことができないと言う家庭は実際にあるし、その家の子が蔑まされたりいじめられたりする事、それは決してよいことではない。しかし、今問題とされていることは「その余裕があるのに払わない」。つまり「払うべき金を払わない軽蔑よりも、好きなものを購入する欲が損得勘定で上回ってしまった」人が多く出てきていると言ってもいいだろう。まさに「モラル」よりも「拝金主義」がまかり通るようになった社会を如実に表していると思う。
社会的な閉塞感をものすごく感じる昨今、消費という行為はとても魅力的な行為である(そればかりが人生の楽しみになってしまっては、なんとも寂しい感じが否めない)。しかしそれは最低限の納税や給食費の支払いをしていただいた上でしていただくことである。自治体の条例などで様々な予防策を打っていかないといけないという、その程度の低さには情けなくなってくる。法律やルールなんて、少なければ少ない方がいい。特に善意から始まった給食というものに対して、法律やルールを適用するのは寂しい気持ちになってくる。

ところで、こうした最低限のことすら未納という状況にある子供はどう思うのだろうか?親が親なら子も子なのかもしれないけれど。

あー、Gマイケルがまた薬物所持で捕まったそうで…はぁ。
一昨年にアルバムPatienceが出たときに「あー、何年ぶりだー。待たせすぎだよぉ」と本気で喜び、次作を楽しみにしていたのに…。はぁ。寂しいなぁ。

私が伝説の会社を退職したのは2005/09/30(金)であった。そして2005/10/01(土)から現在勤める会社に移った。実際には当日、翌日が休日であったため、2005/10/03(月)からの勤務であった。あれから1年が経過しようとしている。今となっては、伝説の会社にいたことがもっと昔のことのように思える。最低・最悪な仕事であったが、「現代の製造業の実情」を知ることとなり、二極化という大きな流れを体感し、考えるようになったった大きなきっかけではある。あの会社での時間は、1年間くらい勤めるにはちょうど良かったのかもしれない。
「製造業」ということに異常なほどのこだわりがあり、月に一度は土曜勤務の義務、会社カレンダーという忌々しいもののために奪われた多くの祝日。今は会社にたどり着くまでの時間があの頃の3倍近くになったが、そうした「理不尽!」と思うような変なルールが無く逆にとても自由度が高いため、清々と仕事をさせてもらっている。
仕事に理想を求めることというのは決して悪いことではない。だが、伝説の会社に勤めることに対して私には強い動機というものは無かった。家から近いこと、そこそこの給料をもらえること。それだけが私の中の条件であった。家から近いのは事実だが、どうも面白くない仕事&付き合いにくく、脳の構造がどう考えても違う異次元な人たちとのやり取り(私より先に伝説の会社に入社した多くの人々、直属の上司、何よりも社長!)ばかりでだんだんと通うのが億劫になってきた。さらに、報酬額が反故にされたことが私のやる気を著しく低下させた。
私と同時期に伝説の会社へ入社した人たちが、2005/09前後から一気に転職活動を始めた。伝説の会社の情報部門には、私を含めて半年の間に3人が入社してきたのだが、全員2005/08~2005/10の間に一気に辞めている。あの職場環境から考えると、一斉退職は偶然ではなく必然であると言い切れる。通常の会社ならば業務に支障をきたすところなのだが、製造請負という人の入退社が頻繁に行われているこの会社からすれば、さほど問題にも思われなかったのだろう。私は会社のサイトを主に作っていたのだが、ろくな引継ぎもしない(というか、引き継げるだけのスキルがある人が居ないので出来ない)状況で退職したので、しばらくサイトの更新は止まっていた。今見ると、8月に更新されている。細かいところを見ていると色々と変わっている。だが、コーポレートアイデンティティ(CI)が全く確立されておらず(主に紙メディアものすごく広告媒体は使用している会社なのである。それなのにデザインに一貫性が無い。)、その場その場で意匠を考えているような状況だったので、私の脳内でCIを確立し、サイトを作っていた。ここは具体的なドキュメント化をしなかったため継承のしようが無く、新しくサイトを作っている人との違いが出てくるのは当然といえば当然である。また、今までのCIの方向性と全く異なるようなコンテンツの制作を依頼されることもあり、本当にうんざりした。あの会社にそうしたことを徹底させるのは、どう努力しても無駄だったのかもしれない。
そんな伝説の会社が今はどうなっているのか、とても気にはなる。相変わらず脱法しまくりなのだろうか?ピンはねされる金蔓は増えたのか?そして、今は誰があのサイトを作っているのだろうか?妻の体調もそこそこ回復してきたところだし、飲み会をしたいものである。

このところ、市場から提供される娯楽の供給が過剰気味である。TVも映画も、ゲームも、ネットも(ブラウジング、メール、SNS、ストリーミングなど)、音楽、本、スポーツ…枚挙にいとまがない。しかし、人間に与えられている時間は24時間。こればかりはどんな人に対しても平等である。その24時間をどのように使うかは基本的には自分で決めることができる…だが、仕事をしているような立場の多くの社会人に自分の時間というものが十分にあるとはとても思えない(会社に勤めていると、自分で時間を決められない場合もある)。

私の1日の中で、ある程度フリーな行動が出来る時間を状況別にすると、
 1.通勤、通学といった、他のプロセスと並行しながら利用する時間
 2.職場で仕事をしながらさりげなく利用できる時間
 3.家に帰り、飲食や入浴と言うプロセスと並行しながら利用する時間
 4.並行するプロセスのない、本当に自由に使える時間
となる。

1.通勤、通学といった、他のプロセスと並行しながら利用する時間
私は主にiPodで音楽鑑賞、読書、携帯メールを打つ時間として使っている。
最近、電車の中でテレビやDVDを携帯型のプレーヤーやパソコンを使ってテレビを見ている人を多く目撃する。HDDレコーダー等にたまった番組を見ているのだろう。聞くところによると、実際にテレビが放送されているのと同じだけ視聴する時間を確保できない場合が少なくなく、その場合は通常の放送時間の1.3倍程度のスピードで見るという。言葉を聞き分け、見たという実感が持てる最高スピードが1.3倍位だそうだ。何ともせわしいものである。今後はワンセグの普及などで、より多くのテレビ視聴者が増えるのではないか。
また、この時間の利用を前提としたゲームが携帯型ゲーム機向けに発売されている。ソフトの内容は、さほど時間がかからないようなもの(脳内年齢を測定したり、漢字や算数で脳を鍛えるゲーム、仮想ペット飼育ゲームなど)で、これらは中断しても(ゲームとして)あまり問題にならない。

2.職場で仕事をしながらさりげなく利用できる時間
私の職場では、比較的私的なWebブラウジングとメール作成が限度である。
この時間で出来ることは、会社の厳しさによって変わってくるだろう。緩いところだと、音楽を聴きながら仕事するのもOKという会社もあるかと思う。テレビを見る、ゲームをするというのは難しいだろう。

3.家に帰り、飲食や入浴と言うプロセスと並行しながら利用する時間
これはダントツでテレビである。私は入浴中にテレビは見ないが、ラジオは聞いている。食事中は良く見る。音楽鑑賞もありだろう。あまりしないけれど。

4.並行するプロセスのない、本当に自由に使える時間
どっしりと腰をすえて行うゲームや、2で見ることが出来ないようなサイトのブラウジング、メール作成、ネットオークション、ストリーミング動画閲覧と、やりたいことはものすごく多い。

娯楽産業として最も手に入れたい時間が4の時間帯であることは言うまでもない。多くの娯楽はこの時間の奪い合いをしている。私の場合、4の時間を多くとられそうなネットワーク対戦ゲーム等ははしないようにしている。
4で勝てない(時間を取れそうも無い)と思うと、1あたりの時間に進出する。携帯音楽プレーヤー、携帯動画プレーヤー、携帯電話等、持ち歩ける形にして、かつ周囲に迷惑をかけないようなつくりになっている。私は音楽のほとんどをこの時間帯に聴いている。家のステレオが泣いているなぁ。
2の時間帯に最も進出しているのはSNSやブログであると思う。私的な利用というのが中心になるだろうが、業務に関係のある情報もあったりする。そうしたグレーな状態で広がっていくだろう。
3には大画面ディスプレイを搭載したPCが進出しているように見える。リビングPCと呼ばれるものが増えている。食事中にキーボードを使って何かするということはちょっと想像できないが、動画のストリーミング等で使われるようになるのであろう。

しかしまぁ、こうした時間を全部意識的に無駄にしないようにして生きていくというのもずいぶんと疲れそうなものである。とある臨床心理士に聞いたのだが、人間にとって「ぼーっとしているだけの時間」は、正常な神経を維持するために少なからず必要だと聞いた。1~4の時間を全て娯楽に充ててしまうのは、どうも危険な感じが否めない。また、4の時間を多く作ろうとすると、睡眠時間を削る必要が出てくる。睡眠は娯楽に入らないと思うが(入る人もいそうだが)十分に時間をとる必要性がある。

2009年8月

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