2007年3月アーカイブ

今週の月曜日から主治医との診察を依頼していた。だが、看護師の都合や様々なタイミングの悪さが伴い、金曜日の今日までおあずけとなっている。
温厚(だと思っている…ってしつこい?)私とはいえ、「火曜に受診できます」、「水曜に受診できます」、「金曜に受診できます」と言われ続けて今日になっている。これは怒ってもいいシチュエーションだろう?と思いナースステーションへと足を運ぼうとした瞬間、私の病室に婦長が現れた。
「大変申し訳ありません。今日もどうしてもスケジュールの調整が難しく云々…」
完全に先手を打たれた。こう言われてしまうと「明日こそは頼みますよ…」とお願いした。入院が1泊増えるか…となるといくらの損失に…と、頭の中で電卓が勝手に計算をはじめる。

夕食を摂っているとき、主治医がやってきた。婦長が頼んでくれたのだろう。そして、現在までの治療の経過に関する意見を主治医から頂き、私が自宅療養でも入院と同等の療養が可能であることを説明する。
「了解しました。では、今まで通っていたクリニックから同じ薬が出せるよう、紹介状の手配を明日までにしておきます。」
無事、退院への手続きを済ませ、明日退院できそうである。

退院後はしばらく自宅で療養し、湯治の旅に出る予定である。草津、奥日光あたりで1週間くらいずつ過ごそうと思っている。ゴールデンウィークが始まる前に動き出したい。

岡さんは睡眠障害に悩まされている70代の女性患者である。毅然とした姿勢や頑固なところを見ると、若い頃は結構なお嬢様だったのではないかと思う。躾のようなことに非常にうるさい。いや、躾と言うか大人の人間として一般的なレベルのことが出来ていない人が、この病院の患者には多すぎるのである。
M岡さんは医師や看護師にも自分の意見をズバズバと言う。どうも35年近くこの病院とは付き合いがあるようで、今は半ば引退気味である院長との付き合いが非常に長いそうだ。「院長に話を通してくれ…」と、若い医師や看護師の言うことを聞かないという悪い点が少々見受けられるが、他のぴちがいの皆様から比べれば相当にまともな方だ。昨年旦那さんを亡くしたそうだが、その後このような病院に長くかかってしまっては、本格的に精神の病気になってしまうのではないかと、余計なお世話ながら心配してしまう。

患者Eは以前「落ち着きが無い」と私が腹を立てていた「ふかわりょう」に似た患者である(女性である)。実年齢は34才らしいが、精神年齢は10才位である。毎日、スヌーピーの柄が書かれているトレーナーを着ている。毎日、色が変わっているので、同じようなトレーナーを相当な枚数持っているのだろう。ほぼ毎日、午前中に母親が来るが、30分ほどで帰るようである。先日は母親と一緒に動物園に行ってきたそうである。ついでに耳にはピアスの穴を開け、携帯電話を買い与えられて浮かれている。今日「携帯が動かない」と訴えながらナースステーションへ来たが、単なる電池切れだったようである。こんな子に携帯を与えて、どうしようと言うのだろうか?
患者Eはとにかく落ち着きが無い。私の人生史上、こんなに落ち着きが無い人間を見るのは初めてである。相変わらずパブリックスペースに現れて、テレビのチャンネルを変えて、テーブルの椅子を「ズズズズ…」と引きずり、3秒くらい座って椅子をまた「ズズズズ…」と押して去っていく。これを10分に1回位繰り返す。何を思ってそれを繰り返しているのか知る由も無いが、そうせざるえないのだろう。常人には理解できない行為の繰り返しである。
私は別にテレビを見ているわけではないのだが、患者Eが来た瞬間にテレビを凝視するという、一種の嫌がらせを試してみた。一応、私が見ている事を気にはしているようなのだが、私に目を合わせないようにしてチャンネルを変える。そしてまたどこかへ行ってしまう。
パブリックスペースにあるテレビは地上波デジタル対応テレビである。さらにHDDレコーダーやCSチューナーのコントロールもリモコンから出来るようになっている。若干、複雑なリモコンなのである。意地悪な私は一つ実験をしてみた。テレビへ飛ぶ赤外線を遮断した状態で、CSモードにリモコンの設定を変更したのだ。赤外線は届いていないので、チャンネルはアナログ地上波のままである。しかし、リモコンを操作をすることでテレビへはCSのチャンネルの情報が送られる。CSの契約はされていないようだから、真っ黒な画面が映るだけだ。元のアナログ地上波に戻すためには、CSモードからアナログ地上波モードへ戻す必要がある。そのオペレーションを患者Eは知る由も無い。壊したと思いパニクるかなぁとも思ったが、こんなんでパニクっているようでは、世の中を渡っていくことはとうてい出来ない(苦笑)。

そんな仕掛をしているとは知らず、患者Eはまたパブリックスペースにやってきた。リモコンでチャンネルを変えると、画面は暗転。どこの数字のボタンを押しても画面は暗転したまま。電源を点けたり切ったりしているが、そんなもんじゃ直らない。どうしていいのかわからなくなったのか、リモコンを放り出してどこかへ去ってしまった。テレビの電源は入っているが、CS受信モードのため画面が真っ黒で静寂になった。静かで実に心地よい。
と思ったら、5分んも経たないうちに患者Eがまた現れた。テレビの電源のON,OFFばかりする。ダメだとわかり、またどこかへ消えた。
他の患者が困りだしたので「どれどれ、見てあげましょうか」と言わんばかりに私が登場し(俺って意地悪?)、リクエストされたチャンネルへ変える。テレビが映る。ちょっとした歓声が上がる。元々、仕掛けたのは私なんですけどね(笑)

比較的温厚(だと思っているんだけど)な私は患者Eの落ち着きの無さを直接指摘することは無かったが、ついにM岡さんが切れた。
「あなた、見もしないのにテレビをつけてチャンネル変えてそのままどこかに行くのを止めなさい!見ている人が居るんだから、まわりをちゃんと見なさい!それと椅子を引きずる音がうるさいのよ!見るなら見る、見ないなら見ない。一体何をやってるの?」
あー、全部俺が言って欲しかったこと言ってくれたよ、M岡さん。しかし疲れてしまったのかM岡さん、自室へと戻ってしまった。居なくなると、また患者Eの天下である。チャンネル変え放題である。いたずらする気力も尽きた。もう勝手にしてください。

そんなM岡さんもあさって退院とのこと。亡くなった旦那さんのお墓を立てたものの、まだ見ていないそうだ。
お互いにちょっと話をしあっただけだが、「お世話になりました」とM岡さんと挨拶を交わした。

別室の患者との情報交換は風呂場で良く行う。今日も患者Uさんと一緒になったので、看護師の話をする。誰が可愛いとか、そんな話は男と女が居ればどこでも起こる他愛も無い話である。
一つ、興味深い話を聞いた。最近、看護師が入院患者のことを好きになってしまい、手紙を渡して付き合うことになった。しかし、そのことが病院に発覚し、看護師はクビになったと言うのだ。なお、患者の方は特に変わらず看護師と付き合いながら、通院しているという。まぁ、看護師なんてのは求人がめちゃくちゃあるあるだろうから、クビの一つや二つ、どうってことねぇだろう?
いやぁ、いいねぇ。うらやましいねぇ。私も未婚で10才若かったらねぇ、K岡さんとか山田B看護師を放っては置かないぞ。いっぱいヤンチャしちゃうぞ。

だが、今日婦長に言われた。
「奥さんと仲がよろしくて、本当に見ていて羨ましいわ」
婦長のみならず、看護師全般がそう思っているらしい。確かに、私達は仲良しだ。妻は頻繁に病院に来てくれるし、二人でよく話をする。病室には、妻が持ってきてくれたたくさんのフリージアがいい香りを放っている。
見舞いに来てくれる妻との別れ際、実は少し寂しい。それが顔に相当出ているのだろうか?

昨日、夜勤だったK岡看護師が朝から出勤していた。夜勤の終わる時間は0:00である。そして、この病棟のナースステーションに日勤の看護師が揃うのは8:30前である。先日の山田B看護師も同じシフトで仕事をしていたところを見ると、よくあるシフトパターンのようである。

K岡さんがどこに住んでいるのかはわからないが、きっと帰宅できるのは1:00頃であろう。そこから8:30前に出勤するためには7:30前に家を出る必要がある。風呂に入ったり、メイクを落したり、逆にメイクしたり食事したりと…そんなことをしていたら、どう見積もっても睡眠時間は6時間未満である。
彼女とすれ違いざまに「ちゃんと寝てる?眠くない?」と聞いてみると、大丈夫とのこと。「仕事をさせてもらえるだけでもありがたいと思っています。」という彼女の台詞に、私は気絶しそうになった。こういういい子がいるんだねぇ。関心したよ。彼女はこの病院の仕事以外に、看護学校にも行かなくてはならないし、そのための勉強もしなくてはならない。山田A看護師もタフだと思ったが、K岡さんも実にパワフル。少し元気を私にも分けておくれよ。

中島らもが様々な著名人とあった際の会話を記録したものである。会話の相手は野坂昭如、チチ松村、山田風太郎、松尾貴史、ツイ・ハーク、井上陽水、山田詠美、筒井康隆と、文壇の方からミュージシャンまで、実に多彩である。
話は全て口語にて記述され、数時間で読了した。実に読みやすく面白い本である。

傑作だったのは野坂昭如との対談というか、果たし状である。酔った勢い(まぁ、いつも酔ってましたけど)で、中島らもは野坂昭如に果たし状をFAXにて送ったらしい。小説30枚で読者投票にて面白いと判断された方が勝利、敗者は以降、小説の筆を折るものとするとのこと。野坂昭如の奥さんは、あまりのバカバカしさに野坂さんに見せることなく処分したそうで、対談の際にいきなりこの「果たし状」を見せ付けられたらしい。
対談の場所は野坂さん宅近くの寿司屋。この二人が揃って、酒が入らないわけが無い。当然のごとく酩酊状態に突入し「らっきょう」をテーマに30枚の原稿用紙に2人は向かったのだが…当然、書けるわけが無い。結局勝負はつかず、お互い今後とも作品を発表し続けてくれた。

松尾貴史との対談では、30年近く前の阪神優勝時の大阪のバカ騒ぎの件が語られていた。ケンタッキーのカーネルサンダースを道頓堀へ投げ込んだのは、松尾貴史の父の友達、ワタナベさんという方だったそうだ。この一件は今も伝説として語り継がれているが、放り込まれたはずのカーネルサンダースは浮かび上がっていないという。プラスチック製で中が空洞のため沈むはずは無いのだが、浮かび上がってこなかったそうだ。そう思うと、都市伝説なのかもしれないな…また、同じ渡辺さんの逸話だが、阪神が優勝した日に天王寺動物園に行って、トラの檻の前で飼育係に\5,000つかませて「ええもん食わしたってくれ」と言ったらしい。それから、「日本シリーズがあるからライオンには食わすなよ」と付け加えて言ったらしい。全くもって面白い話である。

井上陽水とは「趣味を仕事にする事に関する苦しさについて」、筒井康隆とは「言語狩りによる断筆の件」が語られている。双方共に対談者の意見が忌憚無く発せられており、実に興味深かった。
肩の力を短時間で抜くには、最適の1冊である。

男性用トイレの汚れがひどい。
大用の汚れについては、もう述べたくない。どうしてあのような汚れ方をするのか、想像すらつかない。幸いにして大用トイレは2つあり、いつも汚れているのは片方のみである。両方汚れた日には、苦情を言うことにしている。

小用の汚れも尋常ではない。汚いトイレと言うのは駅や公園などの公共施設で幾度と無く経験しているが、これは利用者が不特定多数であるため、半ば仕方が無いものかと思っている。しかし、ここは病棟だ。使用する人間は限られており、それも十数名程度である。
いささか汚い話で恐縮な上に、女性にはわかりづらいかもしれないが、小用を足すために立つ位置に小便がこぼれているのである。これはしっかりと便器に近づいて用を足していないから起こってしまう現象である。足元に小便が垂れていては踏みたくは無い。よって、人はさらに離れた位置から小用をしようとする。そして汚れは広がっていくのである。小便汚れ連鎖現象である。

これら問題の対策かと思うのだが、男性用小便器の足元に新聞がしかれるようになった。汚れが明確にわからせるという意図なのか、それともその上を踏まずに跨ぎ、小用をせよという意味なのか…

自分で言うのも変な話だが、私は「こぼす」ことなくしっかりと小用をしている。このようにこぼしてしまうのは、前立腺の締りが悪くなってきた年寄りだろうと思っていたので、絶叫老人を容疑者と見ていた。がしかし、それは冤罪であった。彼と並んで小用を済ませた時、しっかりとこぼさずに事を済ませたのを見届けたからだ。
そして、私は真犯人を見つけた。以前、絶叫老人に名前を連呼され、一触即発となった患者M本が犯人のようなのだ。

このM本という男、今まで気にはしなかったが、よくよく見ているとひどい男である。年は50才前後であろうか?
スターウォーズのベイダー卿のように、呼吸のたびに「ふごー、ふごー」と音をたてる。豚や猪のようである。鼻が悪いのだろうか?食事の仕方も実に品が無い。でかい口の中に食べ物を詰め込めるだけ詰め込んで、むせて噴出しそうになっている。本日は未遂であったが、実際何度か噴出していることだろう。彼の前の席では、絶対に食事を摂りたくは無い。風呂に入るときも、ろくに局部を洗わずに湯船へ突入してくる。全てにおいて品性が乏しい。

目撃事故は早朝に起こった。私は起床後にトイレに向かったのだが、その数歩先をM本が歩いていた。そして小便器の前に立ったM本はおもむろにナニを出した。そして、便器とは全く違うあさっての方向に向けて放尿を始めたのだ。危なかった。もし私がM本よりも先を歩いて、先に小便器にたどり着いていたら、小便をかけられていたかもしれない。
その一部始終を私は見ていた。あさっての方向に飛んだ尿を便器の方向に戻したものの、掃除をするであるとかそうした様子は全く見受けられない。眠けまなこのまま病室へと去っていった。唖然とした。掃除も何もナシか!とても同じ便器で小用を足す気にはならないため、隣の便器で小用をすることにした。

全くひどい素行である。毎日、掃除にやってくるおばさんが気の毒でならない。自分が見知った人が掃除をしていると思うと、必要以上に気を使いそうなものだが、そういった感覚がM本には無いらしい。
少なくとも自分くらいは、歳をとっても品性を失わずいきて生きたいものである。

退院の時期を相談するために主治医に会いたいのだが、病棟に主治医が来てくれない。看護師に依頼しているのだが、引継ぎが適切にされていないのか、同じことを何度も言わさせられる。出来るだけ不機嫌そうな顔をせずに話すことにしている。
今日こそは…と思ったのだが、今日は病棟に来る日ではないらしい。明日、話をすることになるが、退院希望日が31日と刻々と迫っているため、ちょっと心配でならない。

「くくくっ…」
初めは笑い声ではないと思っていたのだが、その声が聞こえた瞬間、Kさんの顔を見たら笑っていた。虚空を見ながら笑っていたので、おそらく思い出し笑いか何かではないかと思う。幻覚だったらちょっと恐いな。

私も「思い出し笑い」というものをしてしまう。一人で居るときに「くすっ」と笑ってしまうのはいいが、公共の場でふと昔の面白いことを思い出した時に出てしまう思い出し笑いはちょっと恥ずかしい。人に見つからないように口元を手で押さえたりしてやり過ごしているつもりなのだが、きっと目が笑っていることであろう。

Kさんの1日のイベントはほとんど決まっている。「今の時間ならどこに居るな…」と、大体想像が出来る。そして、かなりの時間寝ている。うちで飼っている猫と同じくらい寝ているような気がする。
毎日外出するのだが、外出時間は10分前後。何をしに行っているのか聞いてみたところ、マックでコーヒーを飲んでいるか、自販機の缶コーヒーを飲むくらいのものだと言う。本当にお金を使わない人である(まぁ、入院している段階で毎日金を使っているんだけどね)。

また、私の方が後から入院してきているのだが、私の方が病室に持ち込んでいるものが圧倒的に多い。彼が持ち込んでいるものは、ラジカセと置時計と、CDと少々のお金位だろう。きっと物に執着する人ではないのだろう。反対に私は非常に物に対する執着が非常に多い。どこに行くにも、1泊以上するならば必ず大量のバックを持っていくことになる。性格なんです。仕方がありませんね。

今日の午前中に病院内でレクリエーションが実施された。レクリエーションの内容は「歌唱」(通信カラオケの設備がパブリックスペースに用意されている。これを使い、みんなで合唱すると言うイベントである)。レクリエーションは週に一度のペースで実施されている。歌唱以外には「卓球」、「カラオケ」などがあるが、私は一度も参加していない。午前中は読書の時間と決めているからである。私はどうも自分のペースを乱されるのが苦手である。

歌というものには不思議な力があるらしい。私はジャズ、フュージョン一本の人なので、新しい邦楽など全くといっていいほど知らない。興味も無い。
音楽番組はこの病院における人気番組である。火曜日に放映されているNHKの歌謡番組、ミュージックステーション、ミュージックフェアと「ああ、そんなに番組があったのね?」と思うような番組まで視聴されている。一緒になって歌っている人もいるくらいで、音楽番組の時間はチャンネルを変更できる雰囲気ではない。私の記憶が確かであれば、昔に比べ音楽番組が随分と減っている。視聴率によって番組の放映も決定しているのだろうから、音楽番組が減っているということはの視聴率が高いとはいえないのだろうが、この病院に限って言えばそうした雰囲気は全く無い。

飲食がパブリックスペースに制限されているため、辛いながらも私はヘッドホンを使いながらiPodで別な曲を聴いている。

今晩の夜勤担当はK岡さんとN井さん。若い看護師2人だ。別に何かするわけではないのだが、何となく嬉しい。

看護師が若いと患者もなめてかかる。今日はテレビでサッカーが放映されていたようで、消灯時間までに勝負がつかなかった。本来なら病室に戻らなくてはならない時間になっても、数名の患者がパブリックスペースに残ったままだ。
K岡さんは最近、髪型を変えた。あとは眼鏡を変えれば数段美人になるだろう。「とても明るい印象にかわって、いいですね。綺麗ですよ。」と話すと「そうですか?でも、シャンプー代がかかって…私、学生なんですよ」と返答。一瞬、意味がわからなかったのだが、彼女は山田A看護師と同じように、准看護師としての資格は持っているが、現在、高等看護学校へ通う学生らしい。住まいも寮で、学費もこうして稼いでいるらしい。学費など全額親に負担してもらった自分のことを思うと、全く感心させられる。
私は看護師が好きである。だからかなり贔屓目で見ていることがあることは承知した上で言うが、私がもしK岡さんと同い年くらいであったとしたら、彼女のことを本気で好きになったかもしれない。彼女はとてもやさしい。特に老人に優しい。この病院にいる老人患者は、病気であるがため本来であれば感謝すべき事に感謝せず、むしろ恨んでしまうこともある。そうした理不尽さにもめげず、よく尽くす。礼儀も正しい。そして笑顔も絶やさない。
仕事とはいえ、彼女のような姿勢の看護師に出会えたことは、幸いである。

テレビ朝日で水曜日に放映されている刑事ドラマ「相棒」。野村宏伸がゲスト出演した回の殺人の方法は凄い方法だった。
ターゲットは自分の妻。大学時代にはマドンナと呼ばれるほどの美貌であったが、結婚した当時から体重が増え続け、既に日常生活に支障が出るほどまでになった。また、結婚後も浮気が絶えず、体重が増えた後もずっと浮気は続いた。それがどうしても許すことが出来なく、妻を殺すことを決意する。
長期出張して家を空ける際、洋式便器の便座をに亀裂を入れる。通常の体重であれば割れることも無い便器だが、体重が増えた妻が座ると見事に割れた。割れると便器に尻がはまってしまい、身動きが取れなくなり死亡するというものだった。

一昨日位から入院してきた女性患者なのだが、体重が半端ではないのだ。通常の家庭用体重計では計測不能であろう。見た感じ120kgを越えているのではないかと思う。
内科の患者なのだろうが、ちょっとぴちがいじみている。自分の病状について、ぴちがい患者Kに大声で話をしていた。年齢は39才らしいのだが、このまま何も治療せずに生活をすると45才までに確実に死ぬだろうと主治医に言われたらしい。私に内科の知識は無いが、主治医の言うとおりになるのではないかと思う。
おそらくこの患者にも「相棒」で野村宏伸が使った殺人方法が適用できるであろう。彼女を見た瞬間、番組のことを思い出したほどだ。

主な治療方法は食事療法であろう。とは言えど、私が食べている食事と変わりがあるようには見えない。糖尿病などでは無いようだ。
この人、すさまじい勢いで食事を摂る。私の食事の速度もけっこう早いと言われるのだが…そして、食事の仕方が下品で見ていられない。箸でものをつかむということが苦手なのか、箸で全てのものを刺して食べる。箸はプラスチックで出来ているため、よく滑る。箸が滑るためか、食べ物をよくこぼすのだ。また食後必ずと言っていいほどご飯粒を口の周りに1~3個つけている。みっともない。大食漢の私とは言え、こんなものを見せ付けられれば食欲が萎える。明日からは自分の視線に入らない位置から食事を摂ろうと思う。

今日、早速一悶着起こしてくれた。自分の携帯が無くなったらしい。寝る前に枕元へ置いたそうなのだが、それが翌朝になって無くなったと言うのだ。充電器はあると言う。病院内で携帯を無くすという事件は結構あるらしい。その度、気の毒にも看護師が捜索に駆り出される。
私も自宅で携帯をどこかに置き忘れてしまうことが良くある。携帯を探す王道は、無くなった携帯に対して電話をかけることである。バイブレーターの振動なり、着メロなりが聞こえてくる場所に携帯がある。それだけで場所がわかるのだが、捜索している方達はそうした方法をせずに闇雲に探している。何となくこの問題に関わりあうのが嫌なので、私は見て見ぬふりをした。自身が無くしたのだろうが、それを「盗まれた」と「巨大なもの」は言っている。「盗まれた」ではなく、「無くなった」ではないのか?誰がお前の携帯を盗むのか?その謙虚さの無さが私の協力意欲を急速に萎えさせる。

この「巨大なもの」にはどうしても携帯で連絡を取らなくてはならない相手が居ると言う。自称「婚約者」だそうである(私なら10億円積まれても結婚などしたくない)。そこで患者Eに「携帯でメールを送らせてくれないか」と依頼するが、当然のごとく断られた。知らない人にメールを送るのに携帯を貸すバカがどこにいるのだろうか。

この文を書いている今20:30、消灯30分前である。「巨大なもの」は18:00に摂った食事だけでは足りないらしく、10分ごとにパブリックスペースにやってきて、浄水器の水を飲んでいる。空腹を水でごまかそうと言うわけだろうか?ちょっと異常な量である。洋服で腹が隠しきれないのか、腹が露出している。もう、見てられない。

ところで、病院の便器は大丈夫であろうか?幸いなことに、トイレにはナースコールが付いている。

どういうわけか、この病院に入院してから血圧が上がっている。
入院した日に血圧測定をしたのだが、その時すでに上が145位あった。通常であれば120前後なのだがどういうわけか?緊張していたのか?

それ以来、二日に一度は血圧測定をされるようになった。入院しているうちに血圧は次第に低下していき、上が130前後にまで下がってきた。とはいえ、入院前に比べると少々高い。病院食以外にお菓子を食べたり、秘密の飲酒をしているのが血圧低下を阻んでいるのだろうか?飲酒といっても、病院外に居るときほど飲んでいるわけではないのだが。

今日も血圧測定があった。測定に来たのは山田B看護師。椅子に座って腕をめくり
「はい、どうぞ」
と私は腕を差し出す。血圧計のマジックテープで私の腕をぐるりと巻く。それから私の腕の血管をさがす。今日の山田B看護師、今日はコンタクトである。やっぱり眼鏡よりも裸眼のほうが似合うと思う。
私の腕を「むにむに」と数分触っている。他の看護師だとあっという間に見つけて測定して去っていくのだが、血管が見つからないらしい。
「私、血管探すの苦手なんです。」
と言う。暇ですからいいですよ。いくらでも「むにむに」していてください。
ようやく見つけることが出来たらしく、血圧を測定する。すると…上が150!
「んー、ちょっとありえない値だな~。間違いじゃない?」
と私は再測定をお願いする。再度マジックテープを巻き、「むにむに」と血管を探す。焦っているのか、耳まで赤くなっている。それを見てちょっと意地悪になる私。
「山田さんさぁ、可愛いよね~。大きな目が可愛らしい。」
と言ってみる。赤くなっている耳がさらに赤くなる。マゼンタ+20%という感じだ。ますます焦らせてしまった(笑)
再測定の結果、あまり変わらず…いくらなんでも高すぎると思い、つい
「んー、かわいい方に血圧を測定されると、高くなってしまうのかな?」
と話したら、
「そんな…そんなことは無いです…」
と言われた。今後、彼女は私の血圧測定に来ないかも。それはそれでとても残念なのですが。

今日は実家の父母が病院に私を見舞いに来てくれる予定であったが、母が風邪をひいてしまったために急遽中止になった。
もし病院へ来るとすれば車で来るだろうから、両陛下・スウェーデン国王夫妻の来訪の影響で大渋滞に巻き込まれ、しかも病院への道のりはカーナビを当てにしていたようだから、たどり着くまでに大混乱をきたしたところだろう。
もっとも、ミーハーな母は私の見舞いを放り出して川越へ両陛下を見に行ったかも知れないな(笑)。そう考えると、せっかくの機会を逃してしまいむしろ残念だっただろうか?

昨日の川越散策の際、日本とスウェーデンの国旗がいたるところに掲揚されているのを見て「何故?」と思っていたのだが、その理由がわかった。

今日、天皇皇后両陛下とスウェーデンのカール16世グスタフ国王夫妻と共に川越の街を訪れ、蔵作りの街並みや川越市立美術館、喜多院を見学されたという。両陛下の川越訪問は1977年11月以来とのこと。30年ぶりの訪問の前日に、私達が訪問先の一つである喜多院を見学できたのは見事な偶然である。喜多院の手入れがいつも以上(といっても、いつもどのような状態であるかを知るわけではないのだが)に行き届いていたわけである。最良の状態を見学することができて、実に有意義であった。
ちなみに、今日の両陛下・国王夫妻の訪問を川越市民らは27,000人で出迎えたという。今日、川越に行ったのでは喜多院など見られたものではなかっただろう。今日、非番だった看護師の1人がその出迎えに行ったらしいのだが、両陛下・国王夫妻が見られたのは一瞬だったという。そう考えると、昨日川越に行っておいて良かったと思う。人ごみできっと私はヘロヘロになってしまっていただろう。

帰りは川越市駅から病院へ戻ることにした。病院までは一駅。入間川を越えればすぐである。
今日は良く歩いた。川越の喫茶店で(とてもおいしいのに、ほとんどが\280というプライス。コーヒーカップにも気を使っているようで、様々なブランドのものが用意されていた)休憩したものの、やはり体をろくに動かしていないせいか、疲れやすくなっているようだ。
病院に着いた途端、ベットに横たわった。夕食はすぐである。
夕食を摂った後、本を読みつつウィスキーを飲む。ウイスキーの香りは心と体をリラックスさせるものの、逆に目は不思議と冴えていく。就寝時間頃に覚醒のピークをむかえてしまった。
今日の夜勤も山田B看護師。22:30頃になっても目が冴えていたため、「眠れんわぁ…」と睡眠薬の追加をお願いする。山田B、夜勤のときは眼鏡なんだなぁ。裸眼の方が可愛いけど、夜のコンタクトは辛いのかしら?それとも面倒?
1錠追加で眠気が来てくれた。23:00頃に眠りに付くことが出来た。

今日は妻が着替えやデザートを持って病院へやってきてくれる。病院に来てくれるたびに2人で散歩に出かけるのだが、もう霞ヶ関近辺に目ぼしい散歩コースが無くなってしまった。そこで、名所、史跡の多い川越の市街にて昼食を共にとり、散歩することにした。
川越駅の駅ビル内に回転寿司やがあったので、寿司好き夫婦の我々はその店へ向かったのだが、どうも店があまり綺麗ではない。雰囲気が悪いので別な店を探すことに。寿司屋を逃したということで、必然的に狙う店は寿司屋となる。
川越駅を出るとバスターミナルや駅ビルはたくさんあるものの、普通の店舗は無い。駅ビルの中に「築地たま寿司」があったが、予算的にちょっとオーバーしてしまうので、川越市駅の方へ歩いていく。途中にあった八幡様をお参りし、クレアモールの中にある回転寿司やに入ろうとする…と、斜め前に別な寿司屋を発見。ランチメニューがあるらしい。とはいえど、そのサンプルが無い。一抹の不安を感じながらも、回転ではない方の寿司屋へ入る。ランチメニューの寿司二人前とビールの中瓶を頼む。ビールを飲むのは久しぶりだ。スーパードライのちょっと強い刺激がたまらない。寿司は寿司桶に入って出てきたが、8~9巻位しかない。通常ならほぼ間違いなく足りない。だが、今日は妻がサンドイッチを別に持ってきてくれている。腹6分目くらいにして、喜多院へと向かう。すし屋からは1kmほどの距離であった。
東照宮側から喜多院へ向かうことにする。桜はすでに満開である。白や薄桃色の花が実に美しい。そんな木々の下、何を警戒しているのか良くわからないが消防隊員がわらわらと集団で歩いていた。
東照宮の敷地内には団子屋があった。そこで「出世こんにゃく」なる味噌田楽を食べる。1本100円。田楽を見ると母のことを思い出す。母は高速道路のパーキングエリアなどで、気がつくと玉こんにゃくや田楽を買っている。何となく買ってしまうらしい。私もこんにゃくが好きなので、喜んで食べたものだ。
団子屋のベンチで、妻が作ってくれたサンドイッチを食べる。妻はフレンチトーストを作るつもりだったららしいが、タマゴサンドを作っているうちに卵が尽きてしまい、フレンチトーストではなくラスクに代えたそうだ。私はラスクも好きなのでフレンチトーストでなくても一向に構わないわけだが。サンドイッチを食べて、6分目だった腹が満腹になった。そして、道がつながっている喜多院へと向かう。

喜多院は天長7年(830)、円仁が開いた星野山無量寿寺が始まりである。永仁4年(1296)、尊海僧正が再興し、関東天台宗の本山として興隆した。慶長4年(1599)、天海が住職に据えられ、同17年(1612)徳川家康が名称を北院から喜多院と改め、幕末まで手厚く庇護した。寛永15年(1638)の大火でそのほとんどを消失したが、徳川家光は江戸城内の建物の一部を移築、江戸城唯一の遺構として現在まで伝わっている。
具体的に移築されたのは、客殿・書院・庫裏であり、「家光誕生の間」、「春日の局化粧の間」が知られている。江戸城内には書院式建築物があったが、残念ながら現在の皇居内にはそれは無く、一部が喜多院に現存しているのみである。そうした意味からも非常に重要な文化財ということが出来よう。(ちなみにこれは家光もつかったかもしれない…おもちゃの木馬。立派な出来である)
また、「職人尽絵屏風」も喜多院にある国指定の重要文化財である。狩野吉信(1552~1640)筆の風俗画で、桃山時代から江戸初期の京都の職人生活を、店頭を背景に描いたものである。6枚屏風2枚(6曲1双)にはられた合計24枚の作品である。刀研ぎ師等、今は存在しない職業を描いたものも多くあり、それが非常に良い状態で保存されている。実に興味深い。
境内から見える庭園も実に美しい。慶長~寛永時代に境内が整い、奥庭は江戸城紅葉山を模している。うめ、さくら、もみじ、つつじ、さつき等の木々が四季を通じて境内を彩っているのだろう。今の時期は、家光自身が植樹したといわれるしだれ桜の花が見事に咲いている。庭師が木々の手入れのために動き回っている。庭園が枯山水であればなお私の好みであったのだが、それは欲張りすぎだろうか。
本堂はこの渡り廊下の先にあるが、天井が低く、私の身長でぶつかってしまうほどであった。

川越には見に行きたい名所はまだまだある。「そんなに関東の歴史に興味を持っているのに、まだ行ってなかったのか!」といわれてしまいそうな川越城。別名「初雁城」とも呼ばれるらしい。この城は長禄元年(1457)、上杉持朝が足利成氏に対抗するために大田道真・道灌親子に命じて築いたものだが、残念ながら明治の初めに廃城とされ、わずかに玄関と36畳の大広間のほか8間、家老詰所の部分だけが残っているという。とはいえど、日本100名城に列せられる城であるわけだから、城好き男としては逃すことは出来ない。

蔵通りの町並み、様々な神社仏閣と、身近でありながらも中々来る機会が無い川越。今度はしっかりと時間を作って色々な名所をバスにでも乗って巡ってみたいものである。
ところで、川越の街中に日本とスウェーデンの国旗が掲揚されている。直近に何かイベントでもあるのだろうか?

この病院の患者は歌番組が好きらしい。
歌番組がある時間には、病室から患者がわらわらとパブリックスペースに集まってくる。そして、一緒に歌いだす。
しかし、とても下手なのだ。
とてもじゃないが一緒に聞いていられない。聞いているとイライラが募ってくる。

今晩も歌番組が放映されており、人が集まっていた。歌っている人も居れば、ずっと独り言を言い続けている人も居る。
何だか頭が痛くなってきて、自分の病室に戻ることにした。Kさんは例によって寝ていた。この方は、自宅で飼っている猫並に寝ている。人畜無害。同室がこのような人であることが、せめてもの救いである。

今晩の夜勤は山田B看護師ともう一名。山田Bはかわいらしいのだが、ちょっと歯並びが悪い。マスクをしていることが多いのだが、今日はしていなかった。
9時に消灯時間を迎える。いつも服用している長時間型の睡眠薬を服用し、ベットに向かう。ベットでは緩い感じの音楽を聞いている。聞いているうちに、フェードアウトするのがいつものパターンだ。
しかし、今晩は全然眠くならない。音楽のせいかと思い聴くのを止めたのだが、それでも眠気がやってこない。時計を見ると、時刻は10:30を示している。どうにもならないので、睡眠薬の追加を依頼するためにナースステーションへ向かった。同じ睡眠薬をもう一錠もらって服用し、ベットへ向かう。
しかし、まだ眠れない。苦痛と思いながらもパブリックスペースで下手な歌を聞き続けたことが影響しているのではないだろうか?けっこうイライラしていたのだが、紅茶を飲みたかったので我慢してパブリックスペースに居たのだ。
悶々としながら時計を見ると、11:30になっている。一錠追加では足りなかったか?看護師の裁量で、あと一錠まで追加できるという。山田B看護師から、もう一錠、睡眠薬をもらってベットに向かった。0時を過ぎた頃、意識が遠のいていった。

昨日のブログにも書いたが、今、私が病院に入院している目的は療養のためである。入院してから1~2週間目の治療の効果もあってか、以前のように急に眩暈がして倒れたり、幻覚のようなものが目の前をよぎることは無くなった。
今病院に居ることのメリット…それは、いつもベットがあるのですぐに眠ることが出来ることそして、食事をはじめとした家事全般をしなくても済むということだ(といっても、家に居るときも妻が家事全般をしていたんだけど…)。
だが、上記と同様に重要と考えられる「安静にしていられる」というポイントが揺らぎ始めている。何度もブログのネタとさせてもらった絶叫老人の件、そして新規患者の問題である。
このところ、どうにも付き合いきれない新規患者ばかりやってくる。同室のKさんはあまり病室から出ないのでなんとも思わないようだが、私はこのところ病室に居ないことが多い。そして、問題を抱えた患者を見て、気分をイライラさせられている。だから妻が来てくれる日がとてもありがたい。妻と本音の会話ができる。話をしながら一緒に外出する。そのことがこんなに楽しいものかと再認識した。
明日は妻が来て、あさっては私の両親が福島から出てくる。色々とまた話が出来ると思うと、嬉しいものである。

私にとって、この病院の環境は明らかに悪化している。4週間入院の予定であったが、経過は悪くない。主治医に相談して、早期退院が出来ないかどうか確認してみようと思う。

毎日10時前後に検温と体調確認の問診のために看護師がやってくる。
最近、同室のKさんは「○○さん、いつもきれいですねぇ」といったような褒め言葉を言うようになった。
言う相手は女性の看護師であれば、年齢等に制限は無いようだ。だから、受け取った看護士の反応も様々で、
 20代の看護師「ありがとうございます(あっさり事務的)」
 30代の看護師「あら、そんなこといっても何も出ませんよ(慣れた反応)」
 40代の看護師「あらぁ~うれしいわぁ。(まぁまぁ反応)」
 それ以上の方「あら、そんなこと言われたの何年ぶりかしらぁ?うれしいわぁ(反応大)」
といった具合である。
だが、来る看護師という看護師にいい続けているため
 看護師A「こないだ、私にも言ってくれたのよ、Kさん」
 看護師B「あら、そうなんだ。」
と、少々がっかりさせていた。Kさん、数打ちゃいいってもんでも無いんですぜ?

月曜日はシーツ交換の日。朝から看護士が一斉にシーツ、布団カバー×2、枕カバーを交換する。布団の大きさが微妙に異なり、少々コツが要る。
黙っていれば看護師が交換してくれるのだが、私は体の自由が利かないわけではないので、自分で交換することにしている。
Kさんのシーツ交換をしていた看護師が言っていた。作業は二人一組で行っている。
「私、自宅の布団のシーツ、交換してないわ…」
「糊の効いたシーツに毎週交換できるなんて羨ましいわ…」
私も自宅の布団のシーツを、週に一度の頻度では交換していない。何でも自動的に準備・交換される。本当に楽で、自宅に戻った後に元の生活に戻れるか、心配である。

消灯時間が近づいてきた。私はパソコンをアルミのアタッシュケースに収納する。このケースは施錠が可能なので、プライベートな空間が中々とれない病院のような場所でパソコンを保護するには非常に的している。
収納が終わったとき「ガタン」という音がした。このパブリックスペースには私以外に老人が一人いた。彼女はテレビを見ているわけでもなくボーっとしていたのだが、急に気を失ったのか椅子から叩き落ちてしまった。
私は驚き、急ぎ老婆をまた椅子にすわらせようとしたのだが、老婆を持ち上げることが出来ない。両脇に手を回して立ち上がろうとするのだが、本人の力が入らない体というのがあれほどに重いとは思わなかった。老婆はけして太っていたわけではない。むしろやせているのだ。しかし、持ち上げられない。
山田A看護師が状況に気がついたらしく、すぐに駆けつけてくれた。「大丈夫です。私がしますので」というので、彼女にその老婆を任せる。しかし、力が衰えたとはいえ、男の力で持ち上げられない老婆をそう簡単に持ち上げられるのか、疑問であった。だが、彼女はそれを簡単にやってのけた。
山田A看護師は身長はあるが、体がとても細い。普通の女性よりも細い方であろう。きっと持ち上げるコツのようなものはあるのだろうが、それだけではない。彼女の力の強さに驚いた。少しよろめくので彼女を支えた。
急ぎ、もう一人の看護師が車椅子を持ってきてくれたので、そこに着座させる。実に迅速な対応であった。老婆も特にどこかをぶつけた様子は無く、良かった。

時として繊細な作業も求められ、今回のように力を必要とするような作業も求められる。労働時間も不規則だ。
看護師は一般事務等の仕事をするOLに比べれば収入は多い。しかし、労働量に対する対価という見方をすると、決して収入が多いとは言えないだろう。

山田A看護師は高等看護学校に通いながら仕事をしている。看護師になることは小学校3年の頃からの夢だったといっていた。彼女は看護師の現実を見ながら学校に通っている。ちょっと珍しいタイプだ。看護師という仕事に何を見ているのか、夜勤勤務の機会があったら、話をしてみようと思う。

能登では深度6強の地震があったらしい。
そんな世の大きな流れに比べ、この病棟には何も変化らしい変化はない。毎日やっていることは同じな上、1日のスケジュールもさほど変わらない。さらに私はテレビをろくに見ない。日時は自分の腕時計で知っているのだが、腕時計に曜日表示機能が無い。何曜日か、わからなくなることも少なくない。
だが、ブログのネタは無くならない。この病院にやってくる医師も、看護士も、患者もネタになる。

今日は患者ネタにしよう。この病棟の患者は内科、神経科、精神科患者である。つまり、この病棟にはぴちがいが数人いる。ぴちがいとは「△ちがい」のことである。中島らもの「超老伝」の後半では、こうした人をぴちがいと呼んでいた。今後は私も彼らの呼称をそれに準じようと思う。
絶叫老人も一種のぴちがい患者だ。今日は自分の病室のクローゼットに蹴りを入れて破壊しようとしていた。M本という患者がクローゼットの中から悪口を言ってくるらしい。もちろん幻聴である。「M本、M本、M本…」と連呼しながらクローゼットに蹴りを入れる。この老人のどこにそんな力があったのかと思えるほどのパワーだが、それをも上回ったパワーを持つ看護師が飛んできて、絶叫老人の蹴りを止めてくれた。
M本という患者は実在するのだが、今日は外泊で病棟には居ない。居たならば居たで、また素敵な修羅場が繰り広げられたであろう。残念なような、ホッとしたような、複雑な気分だ。

今日のネタのぴちがいは、私に本当に迷惑をかけてくる人だ。Kという年齢不詳の女性であり、まず顔がとてつもなく不気味だ。目が合うと、半笑いで追いかけてくる。本気で恐い。何を言っているのかわからないし、いたるところで嘔吐する。食後なんておっかなくて近づけない。そしてわけのわからないことで怒る。
このブログを書いている現時点でも、ナースステーションに居る山田A看護師に向かって、よくわからない因縁をつけている。頼むからこっちに来ないで欲しい。そのままナースステーションにとどまっていて欲しい。あ、まずい。こっちを見ている。ハラハラする(ライブ中継中)。
このように、危険人物が数人居る病棟で、私の心は癒されているのだろうか?段々と疑問に思えてきた。

20:00になると、眠前に処方される薬が患者に手渡される。ナースステーション前に列が出来る。私にも眠前の薬が処方されている。それは睡眠薬だ。私の場合、睡眠薬は眠る直前に服用する方が効果があるようで、別な時間に処方してもらっている。ナースステーション前の列の中にぴちがいKがやってきた。大声で自分の便が緩い話をしている。こうなってしまうと男とか女とか、そうしたジェンダーレベルでの羞恥心なんてのは完全に失われてしまっている。人としての羞恥心の限界を超えている。あ、こっち見てるし…あ、近づいてきた…どっか行ってくれ。

今日の昼食時、患者Kの嘔吐があまりにひどいので、看護師に相談した。私が昼飯を食っている半径2m以内の距離で吐いているのだ。山田五十鈴似の看護師は、能面のように感情を変えずにこの問題に対して迅速に対応してくれた。私はそれにより昼食を続行することが出来た。

今度は薬が苦いことを患者Kは山田A看護師に訴えている。薬だ。苦いに決まっているだろう。去ったと思えば、またやって来た。患者Eと患者Mが交互にパブリックスペースにやってくる。ウィスキー入りの紅茶でも、今の私の心を癒してはくれない。間違っても目を合わせてはいけない。

何だか気が滅入ってきた。今度はミッキーマウスのパチロレ兄ちゃんがナースステーションへ現れた。風貌はジャイアンそのものだ。実写版ドラえもんを作るなら、ぜひともキャストに加えて欲しいほどに似ている。彼は何科患者なのかは良くわからない。

この病院の入浴日は月・水・金曜日である。金曜日に風呂に入ると、次は翌週月曜日に入浴となる。大して体を動かしているわけでもないのだが、やはり人間代謝はしているもので、2日も風呂に入らないと体が痒くなったり臭くなったりする。体はわりと我慢ができるが、頭はそうもいかない。かゆみがイライラを誘う。日曜日を心穏やかに過ごすため、シャワーつきのシンクで頭をあらわせて貰っている。私が風呂のセットを持ってナースステーションに行くと、暗黙のうちに皆が理解してくれるようになった。気持ちを察して対応してくれるというのは、実にありがたい。

頭を洗うシンクは浴場の横にあるのだが、私が頭を洗うという行為を終了するまで、監視の人が付くのである。なぜか?それは「浴場へのぴちがいちゃんの闖入」を避けるためらしい。今回はK岡さんという看護士が着いてくれた。彼女は私よりも7~8才位年下でだろう。あまり遊びがない少し野暮ったいデザインの眼鏡をかけているため。その眼鏡のせいか、実年齢よりも年上に見える。イメージとしては、クラスに一人くらい居る優等生の女の子といった感じ。彼女は眼鏡を変えるか、コンタクトにした方がいいと思う。フレームの細いものにすれば知的なイメージは増すだろうし、外せばきっとかわいい顔をしているのではないかと思う。次にK岡さんに会って話す機会があったら、眼鏡を外した素顔を見せてもらおうかと思う。
ただ立ちっ放しで悪いなぁと思い、手短に髭剃りと洗顔も済ます。K岡さんの監視の効果はあった。扉が開いているのを見て、患者Eが入ろうとしてきた。それをブロックしてくれた。
明日は月曜日。入浴デーである。早く体を洗いたいものだ。

ついに個人名を絶叫しだした。
「M本!、M本!、M本!…」
本人を前にして怒鳴り散らしている。
挑発されているM本という患者のオッサン、かなり喧嘩っ早そうで「ついにいくか?」と半分期待(不謹慎)しながら見ていたのだが、さすがは百戦錬磨の看護師達、あれよあれよといううちに絶叫老人を病室へ閉じ込めた。

自分の病室に戻って、同室のKさんにこの件を話してみた。病棟が新しくなる前は、この程度のいざこざは日常茶飯事だったそうだ。特に多かったのは、女性同士の揉め事。女性患者 VS 女性患者ではなく、女性患者 VS 女性看護師だったらしい。
この病院の看護師が妙に肝が据わっていて、強い理由が良くわかった。ちょっとその揉め事、客観的な距離から眺めてみたい(またもや不謹慎)と思った。

巨乳だけが乳ではない。だが、私は巨乳が好きだ。
だが、私が今居る病棟では医者、看護師、患者全員を含めても、Cカップ超の人は居ないだろう。
完全な貧乳病棟である。いちばん巨乳なのは、太りすぎで糖尿気味の男性患者かもしれない。
癒されないなぁ…

落ち着きがない人を見ていると、こちらまで落ち着きが無くなってくる。
何時からかはよく覚えていないのだが、Eという「ふかわりょう」を女にしたような患者が、私が入院している病棟の同じ階に現れた。彼女は病室前の廊下を小さな歩幅で往復し続けている。それだけでも気になって仕方が無いのだが。

この病院には、テレビはパブリックスペースに1台あるのみである。私は「世で一般的に視聴率が高い番組」をあまり見ない。チャンネル選択のマジョリティになることが出来ないので、流れているものをただ見たり聞いたりしている。病人には老人が多いせいか、比較的ボリュームが高い。このブログのネタを書いているのもパブリックスペース。うるさくて集中できないことも少なくは無い。なので、テレビを見ている人がいないときにはボリュームを下げてテレビの電源を切るようにしている。(文章の「てにおは」が狂っているときや誤字脱字が多い時は、テレビが付いているとでも思ってください)

そこで現れるのが、患者Eである。患者Eはテレビの電源を切っていると、必ず電源を入れる。そして、適当にチャンネルを合わせて、そのまま見続けるわけでもなくどこかに行ってしまう。
見ている人がいないので、私はまたテレビの電源を切る。そうすると、確実に5分以内に現れてテレビをつけて、適当にチャンネルを合わせて、またテレビを見ることも無く去っていく。
私はまた電源を切る。彼女がつける。今日はこれを5回繰り返した。

患者Eに注意すればいいのだが、彼女は何を言っているのかわからないのだ。言語不明瞭なのである。また、周囲で争いごとのようなことがあると、発作のような症状を起こすことがある。絶叫老人の件があった際、発作を起こして震えていた。
こんなお方であるから、私としてもうかつに声をかけることが出来ないのだ。
(そして彼女は、無言で眉間にしわを寄せながら激しくキーボードを打っている私に対して、おそらく「恐い」という感情を持っているような気がする。いや、もしかすると男性全般にそういう感情を抱いているのかもしれない。)

そんなこともあり、何となく病院にいても落ち着かなくなってきた。一番落ち着くのは、病室で一人酒を飲んでいるときのような気がする。
病院ですべき治療という治療はほぼ済んでいる状況で、今は体を休めることが私にとって最も必要なこととなっている。そんな私に今、この病院が提供してくれるのは、転地療養としての機能である。しかし、その機能は明らかに薄まってきている。当初の予定通り、4週間で退院して湯治にでも出かけた方が、より転地療養としての機能を果たしてくれるのではないかと思うようになってきた。今、湯治宿の本を眺めているところである。

私が入院している病院の最寄り駅は東武池袋線の霞ヶ関駅である。それと並行するようにJR川越線も走っており、病院に最も近い駅は「的場」という駅である。
私は特別な検査や診療が無い時間であれば病院からの外出が許されている。しかし、買い物等の明確な目的を持たずに散歩する気にはなれない。
今日は妻が病院へ来てくれる。妻は病院へ来るため、大宮から川越までJR川越線で来て、そこから東武池袋線に乗り換えて霞ヶ関へ来てくれている。乗換えをせずにそのまま的場まで来れると、乗換えをするより安価な運賃で病院へこれるはずである。その的場駅というのはどこなのか、散歩しながら探してみようと思った。

妻とはお昼に霞ヶ関駅で待ち合わせをした。昼食は相変わらずのエトワール。今日はカツ重定食を頂く。相変わらず、価格に対して量と味が良心的である。昼食後はTK大学構内で、妻が作ってきてくれたサンドイッチを食べる。生クリームとフルーツがはさまれており、主食と言うよりはデザートである。実においしい。TK大学入り口にある枝垂桜は既に満開であった。蝶が飛び、男女の学生がベンチに座ってキスしている。今日は風も無く、少し動くと汗ばむほどの気候だ。まさに春である。
的場駅へ向かう途中、いくつかの寺社によった。神社は菅原道真公を奉ったものだった。大宰府へ左遷された菅原道真はその地にて果て、その呪詛は都に混乱を呼び、平将門、藤原純友を初めとする反乱の原因とも考えられたと言う。武蔵野の地にも多く存在する菅原道真公を奉る神社は、それら混乱を鎮めるものであったと知った。寺は幼稚園、保育園を兼ねているようで、人懐っこい犬が一匹、喜んで近づいてきた。

東武池袋線は複線なのに対し、川越駅を過ぎるとJR川越線は単線となる。電車の本数は1時間に3本。車両も4両編成に変わる。んー、仮に的場駅が病院からさほど遠くなくても、電車を待っている時間を考慮すると東武池袋線を使ったほうが良いのかもしれない。
JR川越線の線路には簡単に近づくことが出来たが、的場駅に近づくことは中々出来なかった。的場駅は線路の片側からしか入れないらしい。線路を越えるような階段か、または踏み切りを越えないと駅に近づくことは出来ない。何とか、人と自転車くらいは通過できるような小さな踏切を見つけた。そこを通過し的場駅へたどり着いた。的場駅はとても小さな駅であった。
的場という名前の由来は、武士が弓の訓練のために射る的がたくさんあった場所であったからだという。まさしく、そのままである。
駅に周辺の史跡を示した地図があった。興味深い寺社がいくつもあったが、それらに回るほどの気力は残っていなかった。地図を見るとこの駅からしばらく直進すると、角栄商店街へぶつかることがわかった。様々な住宅を横目にしながら歩く。暑い。喉が渇いたので自販機で緑茶を購入する。おつりを取るため、おつり出口に手を入れたら、100円硬貨が入っていた。ラッキー♪

角栄商店街へ出るまでに、かなりの距離を歩いた。結論『的場駅から病院へ向かうのは適さない』である。
角栄商店街の八百屋でいよかんとグレープフルーツを購入した。商店街の狭い歩道を小学生達が自転車で走り去っていく。今日は埼玉県立小中学校の卒業式だったようだ。

帰りにサミットで部屋に飾る花を購入する。エアコンで乾燥しきった部屋では、花がすぐにドライフラワーのようになってしまう。前回購入した白薔薇がそうだった。今度はもう少し強い花を購入する。フリージアである。殺風景な病室に少し華やかさが戻った。
病棟内には異様な匂いが充満していた。誰かがでかい方を失禁(でかい方も失禁って言うの?)したのだろうか?何だかこの病院にいるのが急速に嫌になってきた。

絶叫老人の罵声に涙を流していた彼女。絶叫老人との遭遇を避けるため、病室が2Fへ移動になってしまった。

『 大 変 残 念 だ 。 』

彼女に対して何故このような感情を抱いてしまうのか…それは、私が始めて付き合った女性にとても似ているからなのである。
初めて彼女とすれ違ったときに、背筋に寒いものが走るほどだった。

初めて付き合った彼女と別れた理由…に明確なものは無かった。中学校の卒業と共に別れた。
中学校を卒業して、私は他県の学校に行くことになり、彼女は県立の進学校へ進んだ。2人で会った最後がいつだったのか、それすらよく覚えていないのだ。
別に彼女を特別嫌いになるような何かがあったわけでもない。だが、彼女がどう思ったのか、その真意を知ることも無かった。
会わずになり、フェーズアウトした。
その後、同窓会で1度彼女に会ったきりだ。

なぎささんの唇のグロスも次第に見られなくなっていった。とても長い髪も、入院当初に比べて乱れていた。
そして、食事も自分の部屋で摂るようになり、その姿を見る機会がますます少なくなった。
夕方、彼女のいた病室のベットには、知らない老人が寝ていた。
誰か見ていたかもしれないが、深いため息をもらしてしまった。

この病院の朝飯はひどい。清貧な食事を「一汁一菜」と言ったりするが、この病院の朝飯はまさにそれである。
その割には、ご飯はかなりお椀の中に入っている。8時に食事を摂ると、12時の昼食まで耐えなくてはならない。そのためにはおかずが少なくてもご飯をしっかりと食べておかなくてはならない。
そこで、安直なのだがふりかけを購入した。永谷園の「おとなのふりかけ」である。
(本来なら、鮭フレークとか、たらことかそういうものが食べたいのだが、冷蔵庫の使用ルールに制限があるのだ。)
病院食は塩分を考えてあるのだろうと思うから、多用するのは良くないのだろうが、それならば漬物を控えればいい。
しかし、この貧しい朝食代にいくら払っているのだろうか?昼食や夕食と同じ値段であったら、ちょっと納得できない。

車検の請求額を聞いてすっかり気が滅入ってしまっていたが、この本を読むことでかなり元気づけられた。あまりのバカバカしさと「中島らも」の発想というか、笑いのセンスと言うか、まぁそういったものに脱帽である。気が滅入っているときにはてきめんの本だ。

この本の主役は菅原法斎という老人で、16年前に発狂してから瘋てん(てんの字が変換できない…または△チガイ)道一筋でキメている。彼の名刺には「瘋てん 菅原法斎」と書いている。そんな名刺、貰ってみたいものだ(笑)。話をしていると突然「おむつおむつおむつ…」と言い出す、かなり本物のぴちがい(本書の△チガイのもう一つの表記法)だ。
そんな老人の趣味はカポエラ。カポエラはブラジルの格闘技で、手を拘束されていても使えるように足技が主体である。逆立ちして足を風車のように回して蹴ったりする。今のところ、カポエラで負けたことは無いらしい。珍しい格闘技なので誰もやろうとしない。だから負けることのないのだ。(と言いつつも、法斎先生は他の格闘家とも戦っているが、かなり強い。)

そんな法斎先生の元に、様々なライバルが立ちはだかる。説得のプロフェッショナル説得の太助、「御意見無用」と刺青を入れるはずが「御意見御用」と間違えてしまったがためにヤクザに命を狙われている刺青師のジロちゃん。全寮制の女子高を校則にてがんじがらめにして喜ぶ変態校長の小田切。そして、インドの武術カラリパヤットをで法斎先生を狙う宿敵、ダラ・シン(弟はターガー・バーム・シン…笑。元ネタはタイガー・ジェット・シン…だよなぁ?懐かしいなぁ)。彼らとの1戦1戦が主に法斎先生やその弟子「ハリー」、または法斎先生のところに転がり込んだジロちゃんの娘「小筆」の口語体で記載されている。おむつおむつおむつ。口語体であるが故に、法斎先生のおむつの連呼も幾度と無く続く。

脱力しながら読むには最適な本。私の心の中のもやもやを見事に晴らしてくれた。
この本、本当に面白すぎる。私は布団の上で大笑いしながら読んでいたが、公共の場でこの本を読むのはやめておいた方が良いだろう。ニヤニヤしてしまい、不気味な人と思われるのは必至である。

しかし、中島らもという人は実に多才である。このように笑える作品も書ければ、比較的まじめな作品も書ける。貴重な人を若くしながら亡くしてしまったものだな…と、大変悔やまれる。

鎌倉末期から室町初期に活躍した近江守護「佐々木道誉」と「足利尊氏」を初めとした同時代の英雄達の活躍を描いた歴史小説である。北方謙三の作品は先日、「楠木正成」を読んだが、本作はそれより前の作品のようだ。
変わったいでたち、行動から「ばさら者」と呼ばれた「佐々木道誉」。鎌倉末期、建武、南北朝という時代は、帝の乱立、足利一門を初めとした内紛の多発から歴史を理解することが非常に難しい。「楠木正成」を読んでも思ったのだが、北方謙三は意図的に年号を記して歴史をトレースすることを避け、物語としての面白さ最優先にしている。そのため、この時代の歴史に詳しくない方がこの本を読んでも十分に楽しめると思う。この時代の「歴史」を読みたいと思うのであれば、吉川英治の「私本太平記」あたりを読んだ方が良いかもしれない。

佐々木道誉という男はこの時代を語る上で避けることが出来ないほど尊氏、義詮の政に密接に影響を与えている。ばさら者としての破天荒な彼の生き方には実に爽快感があるが、私はどちらかというと人間らしいが故に色々と思い悩み、塞ぎこみ、策を巡らし、そして時には奇跡とも思えないような行動に出る「足利尊氏」という男の魅力を本書により再認識した。

そして…京という町を基盤とする脆弱性について、この本で非常によく知らされた。下巻にはこのような記載がある。

京の奪回が勝敗の帰趨を決するのではない。京を維持するのは、京に居る軍勢の力ではないということだ。いくら京に大軍をおいても、食糧はすぐに止められる。無駄なことなのだ。京を維持できるかどうかは、全国にどれほどの力を持っているかによる。つまり、総合力の勝負だった。

京への糧道は淀川、琵琶湖、北近江、南近江が該当する。佐々木氏は近江守護であるが故に京に対して非常に大きい影響力を持っていたことは確かだが、佐々木氏の頭領がこの時代に目立った活躍をしているわけではないところを見ただけでも、道誉という男が只者ではないことを少なからず物語っていると思う。

入院する前日、どの腕時計を持っていこうかと悩んでいた。

どうも傷が付きやすいOMEGAの時計は全て却下。TAGHEUERの4000にしようかと思ったが、ちょっと時間の進みが速いのである。季節的なものか、帯磁してしまったのか…?ならば6000か…?だが6000は私の手元に来てからオーバーホールしていない。どの程度の防水性能が残っているか、不安が残る。

結局、エルジンのクォーツ時計にした。これは現在の「山口県に本社があるエルジン」のモデルではなく、「アメリカのメーカーだった頃の」モデルである。かなり古い。1年ほど前、電池の液漏れが原因でオーバーホールが必要になった。一万数千円の出費であった。今のエルジンの時計なら新品が買える値段である(笑)。しかし、人から譲ってもらった時計は、どうも自分で買ったものよりも無碍に出来ない。これも父から譲られた時計なのである。結局オーバーホールした。この時にパッキン交換と20気圧防水テストが済んでいるので防水性能については全く問題無い。さらに時間を計るのに何かと便利な逆回転防止ベゼルが付いている。もちろん、日付表示もある。
入院して10日ほど経つが、この時計を選んだことは正解であったと思う。少々水仕事があるのだが、それに屈しない。また、入浴時にも着用したままに出来る。男性の入浴時間は1時間(短い。とても不満。)と決まっており、その後に女性の入浴がある日は、入浴時間を越えると容赦なくおばちゃんが突撃してくる。こうした状況下において、いつまで入浴できるのかがわかることはとても安心できる。

紛失のリスクがあるので、高価な時計を身につけている患者は居ないだろうと思っていたが、金のロレックスデイトジャストらしきものを身に着けている、私と同年代と思われる男性が居た。が、パチ物だった。ジュビリーブレスの作りがめちゃくちゃなのである。ある日、その時計の文字盤を見たところ、ミッキーマウスのイラストが描かれていた…パチロレとかいうレベルのものではない(ミッキーマウスの図柄が描かれた、100万円を越える高価な時計も実在はするのだが、明らかにそれではない)。デイトジャストのデザインにミッキーマウス…作る方も、買う方もセンスを疑わずに居られない。

土日だけやってくるT口看護師はステンレススチールのデイトジャストを身に着けている。これは本物だ。彼女は65才で既に定年退職しているのだが、働くだけの気力も技術も十分にあるため、週に2日だけ出ているとのこと。本当に看護士というのは有用な資格であると思わせられた。それにしても、看護師というハードな仕事にも耐えうるロレックス…1本くらい欲しくなってきた。

月、水、金は入浴日。今日は男性が先だ。15:00~16:00まで、時間が割り振られている。
自立入浴が出来る患者はさほど多くない。今日は外泊している人が数名居るため、入浴する男性は5人と少ない。

病院の風呂というと、汚くて入っていられないようなイメージがあるが、出来て一ヶ月程しか経たないこの病院の風呂は非常に清潔である。とても広い浴槽の湯も流しっぱなしであり、汚い印象は全く無い。
風呂が好きな私は、長湯をしてしまう。風呂ではまたUさんと一緒になった。そこで最近勃発している絶叫老人の問題と、看護士の大変さについて語り合った。
話を聞くと、彼は医師を目指すために大学を中退したとのことだった。目指すのは診療内科医だそうだ。ちょっと線が細い印象がある彼には向かない気がしたが、人の夢にまでどうこう言うつもりはない。
彼は焦っていた。だが、まずは病気を治すことだ。

風呂から出たら、化け物のような女性が入浴の時間を今か今かと待ちわびていた。私はUさんより先に風呂から上がった。化け物のような女性は私に「中の人はまだでないのですか?」と聞いてきた。私は「すぐ出るでしょうから、お待ちください」と言ってその場を離れた。

この病院の飯では、昼食が最も金と力がかかっている。様々なチャレンジブルな料理が登場する。先日出たひじきチャーハンはとてもおいしかった。てんぷらうどんはしょっぱ過ぎた。
入院などしていると、今日が何の日なのかわからなくなってくる。それを今日の昼食は思い出させてくれた。

 昼食「おはぎ」

冗談かと思った。おにぎり小の大きさのおはぎが3つ。つぶあん×2とこしあん×1の3個である。しかも、ラップというか蓋がなされていなかったためか、ちょっと渇いている。
食べる。まずい。しかし、捨てるのはもったいない。無理して食べた。これが病院食でなければ、全て食べるのを拒否したところだろう。
案の定、胃がもたれた。私の胃は強靭だ。自信があった。しかしもたれた。

驚くべきは、普段少食の老人が、もりもりと喜びながらおはぎを食べているということである。やはりこうした年代の方にすると、ありがたい食べ物なのだろうか?私には理解が難しいことだった。

9時のラジオ体操は例によって無視する。朝食後2時間は読書に専念したいのだ。だが、大音響で放送されるラジオ体操の音楽のおかげで気が散ってならない。いつも以上にうるさく感じられるのでラジオ体操をじっくりと聞いてみることにした。本来であれば体を動かしているから、ラジオ体操をじっくり聞くというシチュエーションはあまりありえないと思う。
当然と言えば当然なのだが、ラジオ体操で声を出している男性は、明らかに体操をしていない。体操をしていたら息切れしてあんな台詞を話すことは出来ないだろう。
伴奏はピアノのみだが、体の動かし方にあわせて曲が出来ている。それがうまいものだなぁと感心してしまう。

しかし、ラジオ体操という言葉は全くもって変な言葉である。私たちは子供の頃から「あの体操そのもの」をラジオ体操という名詞として認識しているが、それほど日本語に長けていない外国人は、ラジオそのものが体操するかのように解釈してしまうのではないか。
いずれにしても、どうでも良い話である。

先日購入したウィスキーである。先日もこのウィスキーの件を書いたが、実にうまいのだ。病院でウィスキーとは何事か!って感じなのだが、これも私にとっての精神安定剤なのである。
10年、12年もののシングルモルト余市ではなく、最近発売された、500mlの余市である。

読み続けていた北方謙三の小説「道誉なり」も最終章を残すのみだが、先ほどの車検の話でぐったりしてしまい、読む気力が失せてしまった。こうなったら酒しかない。ウィスキーを購入したときについていたテイスティンググラスにウィスキーを注ぎ、手の中で転がしながらその香りを楽しむ。鼻腔から頭へ突き抜けるようないい香りだ。香りを楽しんでいるうち、段々と気力が回復してきた。ストレートのウィスキーを口にすると、その味わいが口の中に広がる。
余市はピートが少々のピート臭があるが、同時にフルーティでバニラのような甘みも少し感じられる。とても心地よい風味である。このようにおいしいシングルモルトが安価で購入できるのは実にありがたい。

私の車も5年目の車検となった。なんだかんだと、付き合いが長い割には走行距離がそれほど伸びていない。首都圏の車というのは、こんなもんだろうか。

車検に伴う税金の額は決まっている。これは自動車を受け渡したタイミングに支払っている。
そのほかに交換を要する部品があれば、部品代と工賃を車両受け取り時に支払わなくてはならない。

交換が必須のものも、不要なものもある。一通り車を見てもらい、絶対に修理や交換が必要なものを挙げてもらった。
一つ一つ説明を受け、その単価を聞く。聞いているうちに具合が悪くなってきた。かなりの件数なのだ。そして、「修理交換推奨部品」までを含めた費用はとんでもない額だった。約50万である。
そんな即金を用意できるわけも無く、「車検を通す上で必須」なものと、「別に必須ではない、危険性が低いもの」とで分けた。それでも当初、車検費用として考えていた金額の2倍を上回った。妻との散歩で大分、気分が快方へ向かっていたものが、このやり取切ってしまった。今、私の具合を悪化させるには、金の話がてきめんである。

BMWのパーツは耐用年数がある程度決められた、定期的に交換を必要とするパーツが多い。その耐用年数が5年に設定されているものが多いため、このタイミングの車検で多少の出費があることを覚悟していた。それに対して、国産車はパーツの耐用年数が非常に長く、故障という事態に陥らない限り交換不要であるようなものが多い。
例えば、わかりやすいものがブレーキパッドである。BMWのブレーキパッドはブレーキダストがものすごく多く出る。そして、ブレーキがよく鳴る。ブレーキを踏むたびにパッドが確実に磨耗しているのだ。BMWのアルミホイールにブレーキダストの付着が多いのはそのせいである。その分、ブレーキの効きはいい。国産車はBMWのような勢いで磨耗はしない。交換スパンもかなり長い。

しかし、車検費用がこんなに高いのはBMWだからという理由だけではないような気がする。利用しているディーラーに工賃としてぼったくられているような感じがする。私の住まいの近くにはもう1社、別なBMWディーラーがある。今回、修理交換を見送ったパーツの交換の見積もりをそこのディーラーに出してもらい、比較してみようと思う。

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妻が病院へ来てくれた。車は車検に出してしまい、今は家に無い。車があっても、妻は電車で来るのかも知れない。あまり車を運転することが好きではないようなのだ。
うっかり、病院の昼食を止めておくことを忘れてしまった。妻が来るときには外のレストランで一緒に食事をしている。毎度おなじみのTK大学近くの「エトワール」という古めかしいレストランだ。蝶ネクタイを締めた初老の男性と、その奥さん2人がフロントを担当し、厨房には数名従業員が居るのだろう。ここの店はオーダーしてから食事が出てくるまでの時間が比較的早い。安い、早い、うまいと申し分ない。私はこうした店を見つけてしまうと、他の店に浮気する気持ちが無くなって常連化してしまう。
仕方ないので私は病院の昼食をとった後、妻と一緒にレストランへ。パフェかあんみつでも食べようかと思ったが、意外と高かった。デザートは妻が手作りのものを持参しているとのことだったので、甘いものはやめた。代わりに、パフェと値段がさほど変わりの無いピザを注文した。ピザは思ったより小さなものだった。きっと空腹時であれば、ここのピザでは足りなかっただろう。病院で昼食を食べた後だったが、私の胃にピザは全て収まった。

今日は風が強い。だが天気が良い。
私は外出の許可は出ているものの、自分ひとりで散歩を兼ねた外出をする気にはならなかった。
歩くのならば人と一緒に、色々な景色を見て、話しながら歩きたいのだ。
今日は線路沿いに歩いて、隣の駅まで歩いてみることにした。
(霞ヶ関駅ふきんでにゃんこに出会う。白黒柄の猫だが、鼻が黒いのがかわいい。ちょっとしたシャッター商店街の中にいたが、浮浪者臭がするので、先に進むのは止めた)
隣の駅に向かうには入間川を越えなくてはならない。必然的に、橋を渡る必要がある。線路に沿った道路を歩いていくと、入間川にぶちあたった。東武池袋線とJR川越線(ちなみに、東武池袋戦は複線で、川越線は単線。JR弱いな、このエリア)の橋は近くにあるが、自動車や歩行者が渡れる道路は離れた位置にあった。河川敷の砂塵を受けながら、川沿いの土手を歩く
入間川は、私の家の近くにある元荒川とは比べ物にならないほど、水がきれいだった。
河川敷では川越発祥の「マレットゴルフ」なる、パターゴルフのちょっとかわったようなものが、老人達によってプレイされていた。いったいどういうものなのだろうか?

川の向かい側に移り、別な橋から病院側へ戻ることにした。サイクリングロードにもなっている河川敷をまた歩く。再度東武池袋線、JR川越線の線路がある橋の下を越えて、自動車、歩行者用の橋へと向かう。「かわごえばし」と書かれている。近隣地図百人一首が橋の欄干に描かれている。
最近、金属を狙った窃盗事件が多発している。こうした文化的なものも、窃盗犯には金目のものにしか見えないのだろう。
荒んだ世の中だ。

2時間半ほどの食事を兼ねた散歩を終え、病院へ戻ってきた。ちょうど時間は3時。おやつの時間である。
妻が作ってきてくれた、かぼちゃとリンゴを甘く煮て、生クリームとシナモンをかけたお菓子を食べる。いつもはこれにレモンが加わるのだが、今日は無かった。それでも十二分においしい。あっという間に食べてしまった。

妻と共に部屋に戻り、話をしながら荷物をまとめる。洗濯が出来ないので、洗濯物を妻に持って帰ってもらう。おかげで荷物はかなりの量となる。いつも大きなリュックを背負って妻はやってくる。妻は体が小さいからリュックがますます大きく見える。
4時頃に妻は家へ帰った。何だか少し寂しい。次は3/23に来てくれるそうだ。

私はパソコンを使うとき、パブリックスペースに出るようにしている。
この病院では、原則、病室内での飲食を禁止している(実際、私は無視しているが…)。よって、お茶を飲みながらパソコンに向かって作業をするにはここに出て来る必要があるのだ。テーブルを広く使えるという理由もある。だが、食事が始まるたびにパソコンをアタッシュケースに収納する手間はある。面倒だが、パソコンに強制的に向かわない時間ができる。私は、熱中してしまうと時間を忘れてのめりこんでしまう癖がある。実のところ、食事や消灯といった時間が強制的に決められている環境であるがゆえに、熱中しすぎる私を強制的に止めてくれる。

私が今居る病棟は非常に新しい。出来て一ヶ月というところである。しかし、この病院はほとんど情報化されていない。それが必要なほど大規模な病院でもない。カルテは全て紙であり、様々な事務手続きも、人を介して行う。ナースステーションの奥にある診療室に1台、DELLのデスクトップパソコンが置かれているが、何に使用しているのか全くわからない。使用されている様子も見られない。LANケーブルが接続されているところを見ると、外来病棟とのLANが組まれたりしているのかもしれない。

先日夜、山田A看護師がノートパソコンを持って歩いていた。
「へぇ、仕事で使うんだ?」
と思ったのだが、ナースステーションに置いたきり。その後も、ナースステーションの中でパソコンを使用しているような様子は全く見当たらない。
「もったいないなぁ」
と思っていたところ、ナースステーションになぎささんが現れて、ノートパソコンを受け取っていった。
彼女のものだったのか。それを防犯のためにナースステーションで預かっていたようである。

パソコンなど最近は誰でも使うものだが、病院まで持ち込むと言うのは仕事があるのか、それとも相当の好きものか?
ちなみに私は後者である。
なぎささん、もしかすると同業者かもしれない。

彼女は病室内でパソコンを使っている。起きているのが相当辛いのか、うつぶせに寝ながら布団をかぶり、手だけパソコンに向かっている。
まるで亀である。
ディスプレイにはブラウザらしきものが映っている。病室からネットに接続しているようだ。何を使っているのだろう?PHSだろうか?
私は携帯電話の64Kデータ通信で必要なときだけ接続しているが、それでも膨大な通信料になっている。
一時的にPHSを契約するなど、安価な接続手段をもっと検討してから入院すればよかった。

毎週火曜日と金曜日は介護入浴の日らしい。
体を自分の意思で十分に動かすことが出来ない人達にとっての、週に2度の入浴である。
この病棟には老人が多い。この老人達のうち、半数が入浴に介護を要するだろう。

週に2度という入浴ペースは結構きついものがあると思う。
自ら入浴できる私のような患者の入浴は、月・水・金曜日。だが、頭を3日洗わないと痒くて仕方が無い。日曜日にそっと看護師に依頼し、シャワー付きのシンクで頭を洗わせてもらっている。

自分の子供を入浴させることが、私にとって初めての「誰かを入浴させる」という行為であった。
しっかりと細部にわたって洗う。が、洗われる方にも自分の意思があり、よく動くので意外と手がかかる。

まだ体重が軽い子供ですら比較的大変なのだから、大の大人を入浴させるのはとても大変であろう。
防水用のエプロンを身に着けた山田A看護師が気を吐いている。彼女は身長が高い。力もありそうだ。それ以外の看護師はいつもと同じ仕事をしている。もう少し手伝ってやればいいのに…と思うが、船頭多くして船山に…というものなのかもしれない。

金曜日から月曜日まで風呂に入れないというのは実に辛い。頭は昨日洗ったのでまだいいが、体が痒くなってきた。たった3日で音を上げるわけだから、私はホームレスなどとても出来ないだろう。

毎日3度ある食事の時間、自分の食事が置かれたトレイを手にして、大体決まった席に座る。食事中に会話は無い。テレビを見ている人が何人か居るだけだ。だから食事の時間はとても短い。5分位で食事を終える人も居る。この病院に来るまでは、私は相当に食事が早いと思っていたのだが、私を越える速度で多くの人が食事を済ませる。夕食から翌朝朝食までの間隔は長い。急いで食べるとお腹が減りそうなので、普段よりもゆっくり食べるようにしている。

こんな具合なので、他の部屋の人とコミュニケーションをとる機会がかなり少ない。どこで話をするかと言えば、風呂場である。
今日は、病院内で最若年と思われる22才のUさんという男性と話をした。
大学を中退して、別な大学の受験を検討しているそうだが、病気になったりどうもうまくいっていないらしい。
今風に言うと「自分探しを始めて、つまづいてしまった」というタイプなのかもしれない。
これからどうしていくべきなのか、結構悩んでいるようだった。
「まだ22才なんだから、これからいくらでも…」みたいな話はしなかった。おそらく彼はいろいろな人からそんな台詞を聞いているだろうし、そんなことを言われても、私なら気が休まることは無い。
22才位の頃、どのような経験をしたかということは、後の人生に与える影響が非常に大きい。たかが1年といえない重みがある。
「まぁ、とにかくお互い病気を治すことですね」
と、そう締め括って風呂を出た。

相変わらず彼の絶叫は留まることを知らない。
ついに女性ばかり4人居る部屋に乗り込み、何かを怒鳴り散らしたようだ。
絶叫老人には幻聴の症状があるようで、その部屋から何かが聞こえてくるらしい。
その部屋には例の気になる女性も居た。彼女の名前は「なぎさ」さんというらしい。素敵な名前だ。

そのなぎささんが泣きながらナースステーションへやってきた。絶叫老人の暴言がよほど恐ろしかったらしい。他の患者の動揺も小さいものではなかったが、なぎささんの反応は尋常なものではなかった。度々このようなことがあっては治療にも支障が出る。病棟2階への移動を医師に打診するとのことだった。
泣きたくなるほど残念だ。

絶叫老人は病室に閉じ込められた。ふてくされて寝ているようである。

私はこうした出来事に敏感に反応してしまうのだが、同室のKさんは全く無関心である。彼の中の時間はまるで止まっているかのようである。

昨日の夜、寝る前に一杯やった(笑)。ストレートでシングル一杯。安い余市だが、ストレートで飲んでも十分にうまい。喉から胃にかけて、43度のアルコールが流し込まれる。この「熱い」ような感覚が私は好きだ。
そして9時に床につく。すぐには眠れないが、薬の効果で30分以内に眠ってしまう。そして1:30頃に一度目を覚ます。これは入院していらい、毎日のことだ。私の睡眠時間において、4時間半というのは何か一つの区切りのようなものらしい。眠気は残っているので、そのまましばらくすれば眠れるのだが、ちょっとGNOのことが気になった。病院に来ても1年戦争には参戦している(笑)。第2クール目が始まっており、現在は中佐である。ちょうど任務が終了する時間だったので、パソコンを起動し、携帯電話を使ってサーバへ接続した。

その時、背後から気配があった。懐中電灯の光を受ける。山田A看護師である。あ~見つかってしまった。
「どうも眠れない」
と適当なことを行ってごまかしたが、「お休みになってください」と優しく言われた。
そうか、今日の深夜勤は山田Aさんか。

翌朝、血液検査のための採血とのことで、山田A看護師に呼ばれる。
いかんなぁ…と思った。昨日は酒を飲んでいるのである。量は50mlほどだが、アルコール度数が43度である。γ-GTPあたりに影響を与える可能性がある。入院時よりもγ-GTPが上がっていたら、ちょっと洒落にならない。次の内科検診で何か言われたら、外出時に近くの神社で花見酒をやったとでも言っておこう。

以前、山田A看護師による採血によりひどい目に合わされている。「今回もあなたですか…」と、ちょっと嫌な気分になった。だが、今日の採血は見事なものだった。採る血液の量も前回の半分程度で済んだ。

ちょっと時間があるようだったから、また彼女と話した。ここ最近、彼女は随分と深夜勤が多い。労働時間も長い。
「随分と頑張って働いているじゃない?」と聞くと、「この病院で仕事を出来るのは3月までなんです」とのこと。
4月からは看護実習があるらしい。これほど現場経験がある彼女に看護実習というのも何だかなぁ…と思ったが、そういう仕組みなのだから仕方が無い。詳しくはわからないが、彼女のように準看という立場で仕事を経て正看になる人は稀なのではないだろうか?

「看護学校の費用は両親に出してもらっているから…」と彼女は言う。多くの学生は学費を両親に出してもらっていることに対してこのような感情を抱かないと思うが、彼女は違った。仕事を通じて、ある程度の自立をしている。だからそう考えるのだろう。この病院にも、学校の寮から通っているそうだ。

「何故、看護師という仕事を?」と彼女に尋ねた。特別なきっかけがあったわけではないようなのだが、彼女は小学校3年の頃から看護師になりたいと思っていたらしい。以下、私と山田Aさんとの会話。

 私「仕事って何なんでしょうね?」
 山田A「そうですよね~。女性なら体を売ってもお金になるのに…」
 私「でも、あなたはそれをしない。」
 山田A「生活のために仕事をしているけど…それだけじゃないですよね?」
 私「ええ。だからあなたは学校に行って看護師という仕事に就こうとしている。」
 山田A「家族が居たりすると、考えは変わったりするものですか?子供のためとか?」
 私「俺の場合、あまり変わらなかったな。ほら、俺はろくでなしだから。」
 山田A「(笑) 私、反抗期の時、凄かったんですよ。」
 私「何だか想像できますよ。怖そうだ。眉毛も薄いし(笑)」
 山田A「…今日はノーメイクなだけです(笑)」

彼女が高校に入った時の年齢は18才の時。今は高等看護学校の3年で23才。色々と事情があったのだろうと思うが、結果として自分の子供の頃からの夢を実現させようとしている。
4月になると彼女に会えないのか…そう思うと少し寂しい。医師や看護師との別れはいつも突然だ。

この病院の看護師の中には、特定の曜日しか見かけない看護師が数名いる。おそらく曜日を決め、パートタイマーのように仕事をすることも出来るのだろう。そしておそらく、普通のパートタイマーの仕事とは比べ物にならないくらいの収入を得ることが出来るのだろう。看護師という資格の有益さを感じずにはいられない。

ただ、何となく「たまにしか見かけない看護師」よりも「よく見かける看護師」の方が、仕事に対する意識が高いような気がする。
今日の夜勤帯の看護師は3名いた。普段の夜勤帯は2名である。私は消灯時間近くまで、ナースステーションが見えるパブリックスペースで、「魔法の水」が入った紅茶を飲みながらパソコンに向かっていた。夕食から消灯時間までは、患者に薬の服用をさせるだけで大した仕事は無い。3人の看護師は何か話しに花を咲かせているようである。

その3人に3/15のブログに書いた患者M岡さんが喰らいついていた。何か揉めているようなのだが詳しくはわからない。聞いていると、この老人は何かにつけて「院長とは35年来の付き合いで…」と話をしてくる。この病院の院長は、足が不自由になってしまったために車椅子で移動しているのを病棟で時々見かける。今、診療にどの程度関わっているのかはわからないが、メインの診察は院長の娘とその夫がしている。この老人の主治医もどちらかかと思うのだが、院長の言うことしか聞かなそうな雰囲気を持っているので、主治医もきっとやりにくいだろう。

消灯時間になると、この3人の看護師は居なくなった。それから10分位後、他の病室から「看護婦さ~ん」という絶叫が聞こえる。それも何度もだ。絶叫の主は、食事をすると嘔吐してしまうため、点滴で栄養を補っている女性の患者だ。かなり不気味な患者で、私はどうも苦手である。だが、あまりに苦しそうなので様子を見に行った。ナースステーションには看護師が1人も居ない。さっき居た3人はどこへ行ってしまったのだろうか?全く気配が無い。
その後、5~6回叫び声が聞こえた。そしてその声は止まった。看護師が患者の元へ向かったのだろうか?

きっと夜勤は人が集まりにくいのだろう。そして、集まっても手の抜き方を知っているのかもしれない。だが、病院で看護師にそれをやられてはたまったものではない。医師に言うべきかどうか迷ったが、告げ口は苦手だ。もしも2度目があったら、伝えよう。

昨日から全く看護師の言うことを聞かなくなった隣室の老人。また暴れている。老人の部屋は2人部屋。同室の人も、このような人と一緒では心が安らがないだろう。

「飯にバイキンバイキン…」と食事中に大声で連呼する。全く、食事中に勘弁して欲しいものである。それを注意したところ、絶叫老人は飯を食わなくなった。
(例の気になる女性患者は、この老人の前の席で食事をしている。食事しにくくないのだろうか?)
看護師は飯を食わせようとするのだが、食わない。意地になっているらしい。結局、うまいこと言って食わせる事には成功したようだ。
その後も、服を脱ぎだして廊下に放り出したり、半裸のまま徘徊して絶叫したりと、大変な迷惑である。

そういえば、入院して10日近く経つが、その老人への面会者は一人も来ていない。孤独なんだな、絶叫老人。

そろそろ立候補者が出揃った感がある都知事選。ニュースやワイドショーでも大きく取り上げられているが、私には選挙権が無い。東京都民じゃないからだ。
だが、勤務地は東京都。勤勉な方ではない私でも、睡眠時間を除けば自宅がある埼玉県で過ごしている時間の方が短い。例えば川口や川崎あたりに住んでおり東京都で勤務している人にとっては、どちらの自治体による行政の影響の方が大きいのだろうか?
今回の都知事選の争点の一つに社会福祉の問題が挙げられている。例えば、働きながら子育てをしている女性の支援ために保育園や託児所の拡充という政策を掲げている立候補者がいるが、こうした政策に敏感なのはベットタウンから通って来る、働く女性ではないかと思う。

東京都は東京都民のものだけではない。その隣県から仕事のために通ってくる人たちにも、東京都政は大いに影響してくる。だから私は、都知事選の選挙権がほしいと思う。しかし現状、そのようなことはできない。
私は思う。東京のベットタウンと言える神奈川、千葉、埼玉を含めた道州制という括りとし、選挙権を与えて欲しい。実際、ベットタウンとなっている自治体の住民の目はほとんど地元を見ていない。それは首長を決める選挙の投票率の低さ、町内会のような地元組織の結束力の低さに如実に現れている。

ところで、東京都が扱う税収はインド一国に匹敵すると言う。都知事はミニ大統領とも呼ばれるそうだが、本当にそうだと思う。

中島らもの小説を読んだせいか、無性にウイスキーが飲みたくなった。
普通、病院で酒類はご法度である。入院時の説明の中に、酒のことは一切記載されていなかった。記載するまでも無く、酒を持ち込むような人は居ないだろうという前提に立って書かれているのであろう。

タバコは喫煙時間が決まっていて吸うことが出来るのに、酒は何故ダメなのだろうか?
あの香りは心を安らかにするし(私の場合ね)、何よりリラックスできる。検査や診察の時間を避けてひっそり飲めば、比較的善良な患者(だと自分では思っているんだけど)の私にお咎めが来ることも無いだろう…と思い、病院の近所のスーパーへ走った。
買ってきたのは、ニッカの余市 500ml。最近発売されたシングルモルトウィスキーである。なんと運のいいことに、テイスティンググラス付きである。普段、お茶を飲んでいるステンレスのマグカップでは風情が無い。
元々、余市のシングルモルトはもっと高価な値段で販売されていた。750mlの10年もので\4,500くらい、12年もので\6,500位だったと思う。そんな値段だった余市のシングルモルトが、\1,500で購入できるようになった。従来からある余市とどう違うのだろうか?
味はスモーキーフレーバーが少し弱まっているような印象がある。しかし、間違いなく余市の味である。値段を考慮すると、この酒は非常にコストパフォーマンスが高い。普段飲みには実にいい価格帯である。竹鶴12年よりも少々、安いだろうか?

医師や看護士が来ない時間に、本を読みながら一杯やる。といっても、量はシングル程度である。至福である。
あまりおいしくないと言ったLiptonの紅茶に少し混ぜると、とてもいつもの紅茶とは思えないような味に変わる。香りも非常に良い。ウィスキーは魔法の水である。しかし、調子に乗ってウィスキーを入れまくっているとさすがにばれてしまうからほどほどにしなくてはならない。これほどの消費量なら、500mlのウィスキーもだいぶ長持ちすることであろう。

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今日は妻が見舞いに来てくれた。この病院では洗濯と言う行為がまともに出来ない(出来ないことは無いのだが、コストパフォーマンスが悪いし、大変面倒。しかも洗濯機が少ない)ため、定期的に来てもらっている。大体昼前に来てくれるので、昼食は外でとるようにしている。この病院で出る食事では、昼食が最もまともな飯である。しかし、外で食べられる食事には残念ながら遠く及ばない。
今日も3/14に行ったTK大学近くのレストラン「エトワール」に行った。私が頼んだのはハンバーグステーキランチ、妻はカツカレー。私の注文は、普段の病院食への反動そのものである。値段も安く、量も多い。注文した品はすぐに出てくる。私も妻もこのレストランが大変気に入っている。

今日は午後から主治医の回診があるため、食事を終えた後、病院に戻る。このところ睡眠薬の相性でだいぶ悩まされたのだが、昨日から服用している薬との相性はそれほど悪く無いらしい。長時間型の薬のため、朝になっても眠さは抜けない。朝食までは無理に起きる必要も無いので、今のところはこの薬でいいのではないかと思う。ただ、夜中にトイレに行く際によろめき、転びそうになる。意識もしっかりしない。

回診終了後、また妻と散歩に出かけることにした。霞ヶ関駅方面には散歩に出かけたが、その反対には行ったことが無い。反対側には日枝神社があるようだ。そこへ行ってみた。私は近眼のため気がつかなかったのだが、病院と神社は目と鼻の先だった。小さな公園を備えており、そこで子供たちが遊んでいた。バトミントンをしていた親子連れは、羽を神社の建物の屋根に乗せてしまい、難儀にしていた。子供がサッカーボールを使い、羽を屋根から地面に落すことが出来た。一緒に居たお父さんはぼんやりしているだけだった。大丈夫か、お父さん。
神社の境内には大きな枝垂桜があった。花が咲く時期になったら、弁当を持ってここで食事をするのもいいかもしれない。

思いのほか神社が近かったために、散歩があっという間に済んでしまった。このまま病院に帰っても退屈なだけなので、900mほど離れた場所にある「河越館跡地」へ行ってみることにした。途中、コンビニのミニストップがあったので、ここでソフトクリームを食べる。私はバニラ、妻はキャラメル味。コンビニながらも、ミニストップのソフトクリームは比較的おいしいと思う。店内にソフトクリームを食べられるスペースがあったため、そこでソフトクリームを交換しながら食べた。

しばらく河越館跡地へ向けて歩く。このあたりは農家を営む方の豪邸がいくつも立ち並ぶ。その立派さに驚かせれながら、現場に到着した。
しかし、河越館跡地が農家の家よりも何よりも驚かされた。国指定の史跡らしいが、草が生えた平地に看板が立っているだけで、何も無い。私は鎌倉初期の川越の歴史はあまり詳しくないのだが、応仁の乱の後の頃、山内上杉氏と扇谷山内氏が合戦をしたという話を知っていたために興味を持ってきたのだが…時宗のすさまじい寺が見られただけでも良しとしよう。

河越館跡地は入間川河川敷のすぐ近くにある。川が見えるかと思って土手に上がったのだが、川は遠くに見えるだけであった。またもやがっかり。眼下にはグラウンドが広がり、そこで子供たちが野球やサッカーをしている。入間川はとても小さな川だ。別に近くに行って見るほどのものでも無いように思えた。
土手を少し歩いた後、そこから降りて住宅地を歩いた。住宅地は道が細く、蓮田を歩いているかのようであった。だがこの地区の住宅地は面白く、家だけではなく突然茶畑があったりする。茶畑の中には風力発電のプロペラがあるが、この電力は何に使用されているのだろうか?謎である。他にも肉屋、陶磁器製品店、そば店などが住宅地の中に点在する。
知らない街を散策するのはとても楽しいが、一人ではここまで出かけようという気にはならない。妻と一緒であるからここまで一緒に来ようという気になったのだ。妻と一緒に出かけるのはとても心地よい。

何となく病院の方向を目指して歩いたところ、運良くピタリと病院の前の通りに出た。病院にはすぐに戻らず、病院近くのスーパー「サミット」へ向かう。運動不足のせいか、ちょっと便秘気味なのである。しかし下剤を服用したくないため、それをプルーンで補おうと思ったからだ。また、サミットの中には花屋があるため、病室に飾る花も購入したい。入院直後に部屋に置いたスイセンの花は、乾燥しきった部屋でシナシナになっていた。花がシナシナでは一緒にいる私までシナシナになりそうである。花を変えようと思った。花屋には仏花がたくさん売っていた。彼岸である。私たちは白いバラを購入して、病院へ戻った。

病院に戻るとちょうど3時のおやつの時間で、主に老人患者がパブリックスペースに集まっていた。早速バラを花瓶に生け、妻が持ってきてくれたアールグレーを淹れた。いい香りだ。頭の中からリラックスしてくるような、実に快い香りだ。それを飲みながら、グレープフルーツと甘夏を食べる。グレープフルーツも私の好物である。好物にばかり囲まれて、私は幸せ者である。
妻とは色々な話をした。病院患者のこと、看護士のこと、子供のこと、両親のこと。数日会わないだけでも話したいことはたくさんある。1時間以上話た後、妻は帰宅した。

日常の生活をしていても何らかの変化がありこのブログのネタも尽きないのだが、病院に移ってからはますますそのネタが増えた。病院内にはいろいろな人が居る。そうした人を少し見ているだけでも、色々なネタが浮かんでくる。残念なのは、それを面白く文章にまとめる能力が欠けていることである。

私の病室の隣にいる老人は、同じ台詞を何度も絶叫しながら怒る。その時々によって相手は変わるのだが、幸いにしてその矛先が私に向くことは今のところ無い。今後ともそうあってほしいものだ。
今日は温厚そうな老人に向かって、良くわからない台詞を何度も絶叫していた。私はこうした仲裁が得意ではないし、そもそもそれは私の役割ではない。黙ってみていると、数人の看護士がその老人を取り巻き、宥めた。慣れたものである。私が医師なら、患者にあっさりと鎮静剤を打ってしまうかもしれない。
しかし、こうした患者を抱えた家族の方は大変であろう。家の中で怒鳴りまくられたら気が滅入ってしまう。そういえば、この老人の下に見舞いが来たのを見たことが無い。孤独がこのような症状の悪化を加速させているのだろうか?

山田A看護師の労働時間である。日勤、夜勤、深夜勤という24時間勤務を見事にこなしていた。私も23才の頃は私もそうした仕事が出来たかもしれないが、私の場合はデスクワークである。体を動かす仕事を24時間するというのは、ちょっとまねできないと思う。
だが、医療を担う立場の人間をこんなに働かせてしまっていいのだろうか?少なくとも私は24時間働いた後の看護士に注射を打って欲しいとは思えない。だって危険だろう?
日中は患者数に対して看護士は過剰であるように思えるのだが、夜勤は2人、深夜は1人。
「そんなに仕事ばかりしてると、試験に合格できないぜ?」
と余計なことを話したが、彼女は笑うばかりだった。

詐欺師の話なのだが、大変面白かった。特に主人公(といっても、一人称が章ごとに変わるので、主人公の一人というべきか?)が電算写植機のオペレーターであったり、印刷を受注するためのプレゼンテーションがあったり、出版、印刷に関わりある仕事、知識をお持ちの方にはニヤリとさせられるポイントが少なくない。例えば「20級ナールE正体ツメ」といった指示が思いっきり書いてあったりする(私は世代的にはDTPの世代で、電算写植のことは知識としてしか知らないのだが)。また、詐欺師が造本家を名乗るシーンもあるため、本の装丁の話、文字組みの時代による変遷なんかがわかる。私も初めて知ることがたくさんだった。
この本時代も見事な活版印刷である。文字の上を指でなぞると、文字の部分が凹んでいることがわかる。

どうも中島らもさんの本を読んでいると、酒が飲みたくなってくる。そういうシチュエーションが多いことと、彼自身の酒飲みとしての思念のようなものがでていて、毒されてしまうのかもしれない。

午前中は紅茶、午後はコーヒー、夜は煎茶というのが私の嗜好品の一日の流れである。それ以外に食事の際にほうじ茶が出る。

このブログは大体、11時頃に書いている。紅茶を飲みながら書いているのだが、飲んでいる紅茶はLiptonの安物である。
家や職場でははWEDGWOODの茶葉を使っている。その茶葉に比べ、Liptionの紅茶は1/10の価格である。

WEDGWOODの茶葉はかなり細かくよってあり、お湯を入れて戻すと予想以上に茶葉が増える。風味が強いイングリッシュブレックファーストあたりの茶葉の場合、量が多いと苦味が感じられてしまう。Liptonの紅茶は茶葉が増えるようなことも無く。一回淹れるともう味は出ない。
ティパックでもいいから、アールグレイが飲みたい。あの香りは脳天からリラックスできるのだ。この病院近辺でWEDGWOODを扱っている店は無いのだろうか?
明日、妻が病院に来る予定なので、余力があれば買ってきてもらおうと思う。

入院して今日で一週間。最初に感じた病院内のルールに対する生理的拒絶感もだいぶ薄らぎ、自分にとって随分と過ごしやすい空間に変わってきた。
どうにもならないのは消灯時間である。やはり9時というのはそう簡単に慣れられるものではない。

一昨日から睡眠薬を変えてもらった。あまり強いものに変えると日常生活に戻ったときの影響が心配ではあったが、もうしばらくこの病院にお世話になるから、退院が近くなった頃にまた弱いものに戻してもらおうと思う。
今までの睡眠薬は、最初の効き目は強いのだが次第に効果は薄まっていき、1時前後に目を覚ましてしまう。目が覚めたため、トイレへ向かおうと思い床に足をつくが、力が入らない。思わず部屋の中で転んでしまった。
何事も無かったかのようにトイレへ向かう。ナースステーションにいる看護師は相変わらず一人だ。今日の深夜勤の看護師も若い。しかし、若いが手堅さを感じさせる。優等生のような雰囲気で遊びが無い。彼女とは退院までに仲良くなれるかどうか、自信が無い。

朝になって眠気が襲ってきたため、朝食に出遅れた。いや、朝食が予定時間よりも10分も早いのだ。食事前になると食堂に患者が集まりだす。それに応えているのだろうが、スケジュールは時間通りに進めてもらいたいものである。

食事をしていると、女性の患者が一人増えていることに気がついた。年齢は30代半ばくらいだろうか?黒い服で髪の毛はストレートで肩よりも長い。ぷっくりとした唇にはグロスが塗られており、艶っぽい。いい女だなぁと思う。ここで働いている看護師以上に、自分の身の回りのことに気を配っているように感じられる。
私は療養しているのにこんな具合だ。気が多いのだ。こればかりは一生、治りそうも無い。

病室に戻る途中、ナースステーションに向かう山田A看護師に出会った。昨日、夜勤だったのに全くもって元気である。余計なお世話だが、彼女に勉強する暇はあるのだろうか?

今までY看護師と書いてきたが、彼女の名字は「山田」さんという。
私は医師や薬剤師とばかり接しているため、あまり看護師の名前を気にしていなかったのだが、どうもこの病棟のナースステーションには3人も山田さんと言う方がいるようなのだ。ナースステーション内の看護師は10名前後。いくらなんでも同姓が多すぎないか?

決して少ない名字ではないと思うのだが、偶然にしても多すぎである。私は人の名前を覚えることが苦手であり、この3人の山田さんを区別して呼ぶことは出来ないだろう。退院まで覚えられるだろうか?しかし区別して表現したいため、年齢が若い順に「山田A」、「山田B」、「山田C」と区別する。

今日の日勤は山田B看護師と山田C看護師。いつもは眼鏡をかけている山田B看護師が今日はコンタクトのようだ。彼女は眼鏡よりもコンタクトの方が魅力的だ。
「コンタクトの方が素敵ですよね」
と彼女に話すと、素直に顔を赤くする。そんな正直な反応がとても楽しくて、思わず彼女に声をかけてしまう。

今晩の夜勤は山田A看護師。例の学生を兼ねている方だ。彼女は学校との兼ね合いなのか、どうも夜勤が多いように思う。山田B看護師と反対に、今日は山田A看護師が眼鏡をかけている。後で少しからかってみようと思う。

今日は筒井康隆の「壊れ方入門」読了。短編集なのだが、彼の作品は長編よりも短編の、しかもバカバカしいものが好きだ。病室に一人であることをいいことに、思いっきり笑いながら読んだ。

私はどういうわけか老人からよく声をかけられる。善良そうに見えるのだろうか?実際はかなり腹黒いのだが。

今、私が居る病棟には老人が非常に多い。老人と一言で言えど、その状態は千差万別である。矍鑠と歩ける人もいれば、車椅子が無いと動けない人もいる。それどころか、食事、排泄に至るまで全く自分で出来ないという方もいる。

杖をついてはいるものの、かなり元気に動き回ることが出来るおばあさんが一人入院している。ここでは患者M岡と呼ばせてもらう。私は他愛も無い世間話を何度かしているのだが、痴呆であるとかそれに近いような状況であるようには感じられない。しかし、人と接しないと痴呆のような症状が進んでしまうのではないかと言う危険性をうっすら感じさせられる。

M岡さんは退院の意思があるのだが、退院できないと言う。
病院の入院患者は二種類に大別することができる。自らの意思で入院を選んだ患者と、家族やそれに準じる人が強制的に入院させた患者だ。後者の場合、自分の意思で退院することが出来ない。彼女は後者なのだろう。身請けしてくれる身内が、退院を拒んでいるそうである。
聞くところによるとかなりの資産家で、相当大きな家に一人で住んでいたらしい。昨年、旦那さんを亡くして一人暮らしになり、大きな家に一人で置いておくことに不安を感じたのだろう。もっと悪く言ってしまえば、自分たちで面倒を見切ることが出来ないので入院させているとのことだ。

彼女は見ている分には普通に生活が出来る。何らかの病気を持っているから入院しているのだと思うのだが、点滴をしているような様子も無く、決まった薬を服用しているだけである。食事、掃除といった面倒は病院が見てくれるのだが、それを彼女は望んでいない。

自分のことは自分でできる。
彼岸が近いから家に帰ってその準備をしたい。
そして何よりも、もうすぐ一周忌となる自分の夫の法事の準備をしたい。
しかし病院から出られない。

自ら生活する意思を持つ人がそれを取り上げられる。何十年にもわたって行ってきたことを、突然しなくても良くなる。
私のようなズボラにはありがたい話だが、そうしたことをしないことに罪悪感を覚える人が年配者には少なくないようだ。
これは精神衛生上、非常に良くないことであると共に、痴呆を発症させる大きな原因になるのではないかと私には感じられる。

介護とは「何でもしてあげること」ではなく、「自分で日常生活を少しでもこなせるようにしていく」ことである。
M岡さんが退院できるようになる日が一日でも早く来ることを願うばかりである。

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今日は妻が病院に来てくれた。昼食を外で一緒に食べるため、12時少し前に妻は病院へやってきた。
病院周辺における買い物環境は非常に恵まれている。マツモトキヨシは近いし、その隣には生鮮スーパーのサミットがある。サミットの向かいには本屋だ。しかし、食べ物屋はあまり無い。昨日出かけたTK大学周辺に、渋いたたずまいの「エトワール」というレストランがあり、そこが気になったため二人で出向いた。妻も店の雰囲気を気に入ってくれたようだ。蝶ネクタイをつけた店主が私の高感度をアップさせる。この店のランチメニューは非常に量が多いにも関わらず、値段が安い。まさに大学周辺らしい価格のレストランである。
TK大学の入り口には枝垂れ桜があった。私一人では、こうしたことに気がつかない。全く何を見て歩いているのだろうか(笑)。枝垂桜にはもうつぼみがついている。また、大学横には桜の木が一列に数十本並んでいる。ここが一斉に開花したら、とても綺麗だろう。その時期まで私はこの病院にいる予定である。その頃、妻と一緒にまた散歩に来たいと思う。

TK大学よりも先へ向かうと、昔ながらの商店街が連なっている。この商店街の名前は「角栄商店街」。八百屋、肉屋、豆腐屋、電気屋、和菓子屋…様々な店がアーケードの下で営業している。かつては様々な都市にこのような商店街があったのだろう。しかし、大規模スーパーの進出により、このような多くの商店街は既に潰えてしまったという。そんな中、シャッターを下ろす店が比較的少ないこの商店街は、とても頑張っていると思う。TK大学と、この商店街の存続の因果関係は見出せなかったが、私がここの大学生ならばこの商店街を大いに利用することだろう。商品の値段が安く、店主も気さくな方が多い。妻は手打ち麺を扱う店で、うどんを3玉購入した。粉にまみれた店主が非常に印象的であった。今後もぜひ存続してほしいものである。

私の居る病棟の患者の多くは高齢者である。痴呆が始まっている方も少なくないし、感情のコントロールが出来なくなっている方も少なくは無い。
廊下で繰り返し歌っている老人もいれば、それに対して罵声を浴びせる老人もいる。そんな患者を相手にする看護師は百戦錬磨のつわものばかりである。
毎朝、検温と脈のチェックがある。今日、検温にやってきた豪快な看護師Wさん(女性)の腕を何となく見たら、その逞しさは私を軽く超えるものであった。腕相撲をしたら、きっと私は負けてしまうだろう。
これから、老人は増える一方である。若年者が少ないこの病棟はその縮図であるかのようだ。こんなパワフルな看護師を世の中は求めているのだろうが、そう多くいるものでもあるまい。

3/11(日)の新聞には多くの求人広告が含まれていた。数は正確に覚えていないが、新聞と同じサイズの求人広告のみ掲載されているチラシが10枚以上あった(福島の実家に戻ったときにも3、4枚含まれていたが、埼玉エリアのそれとは比べ物にならない)。例によって「製造請負、人材派遣」会社の求人広告が多くを占めていたが、その中に「看護師募集」の広告が少なくなかったことが印象的であった。どこの病院でも慢性的に看護士が不足しているのだろう。看護師や医師は、数を増やして質を落すわけにはいかない。激務の中で質を保ち続けると言うことは、なかなか大変なことであろうと思う。

看護学生を続けながら病院に勤務するYさんのような例は、小~中規模病院では意外と多いのかもしれない。また機会があったら、もう少し話を聞いてみようと思う。

時間制限があるものの、ようやく外出許可が出た。病院に閉じ込められて今日で5日目である。
病院周辺の土地勘は全く無い。このあたりにはTK大学とTY大学(どっちも頭文字だけをとるとT大学になってしまうので、こうします)がある。どちらも私には全く縁が無い学校である。TK大学の方は文系の学校であり、身の回りに出身者も居ない。
ちょっと買い物をしたいとは思っていたが、特にこれと言って外出してもすることが無い。街を散策がてら、TK大学へ行ってみることにした。
TK大学は建物が非常に新しく、キャンパスが綺麗である。今はあまり生徒が多い時期でも無いのだろう。学生の数はまばらだった。とりあえず図書館に行ってみることにした。雑誌は充実しているのだが、書籍の数は大学の図書館にしては少ないような気がする。一般の人は本を借りることは出来ないが、閲覧することは可能である。何冊か本を眺めてみたが、何となく読む気になれなかったので病院に戻ることにした。
帰り道、紅茶とコーヒーを購入し、部屋に戻る。相部屋のKさんは今日から3泊の外泊だそうだ。と言うことは、私1人の個室状態!やった!

今日はテレ玉で暗闇仕留人が放映される日である。窓際にパソコンを移動させたが、標準のロッドアンテナでは全然電波を受信できず。これは屋外で使う以外に使い道が無いのではないか?延長アンテナを使用したところ、テレ玉は映るようになった。だが、他局はダメだ。今日は遠山の金さんもあるのになぁ。これは自宅のビデオデッキで録画してもらうほかあるまい。

この病院は病室にテレビが無い。こういうときこそワンセグだと思うのだが、電波の弱さはどうにかならないものだろうか?

私は歴史が好きである。西洋史はあまり詳しくは無いが、日本史、中国史はそこそこ知識があると思う。

日本史の中でも特に好きなの時期は院政の時代から江戸時代初期まで。特に鎌倉幕府の滅亡から南北朝の統一あたりには非常に興味がある。いわゆる「太平記」の時代である。鎌倉前期あたりは文献が比較的しっかりしているのに対し、太平記はしっかりとまとまっているわけではなく、例えば吉川英治も「私本太平記」として、自分の脚色を入れた上で物語をまとめている。誰もがそうせざる得ないほど、太平記は資料としての抜けが多いのだろう。

この時代には非常に魅力的な人物が多い。幕府から積極的に朝廷へ政治権力を戻そうと腐心した後醍醐天皇。源氏の血を引き武家の棟梁といっていい名家でありながらも何か煮え切らない、しかし機を見る事には誰よりも長けたな英雄、足利尊氏。公家でありながら鎮守府将軍として奥州から猛烈な勢いで行軍し、足利軍を突破した北畠顕家。朝廷の軍の必要性を誰よりも強く思い、悪党と共に父、後醍醐帝のために挙兵したがその気持ちを全く理解されなかった不遇の親王、大塔宮護良。そして500の兵で数万の鎌倉幕府軍を千早城に釘付けにした悪党、楠木正成。

本書は悪党、楠木正成が自らと一族を生きながらえさせるために鎌倉幕府に挑み、そして悪党としての楠木正成の終わりまでを記している。後に楠木正成は息子と共に北朝に破れ命を散らすのだが、そこまでは描かれていない。あくまで「悪党」としての楠木正成の終わりまでを記している。
「悪党」それは武士とは異なり、土着するものを持たない。そのため、物流で銭を稼いだり、独自に農耕したり、武装して荘園領主から兵糧を巻き上げたりして郎党を養っている。正成の主な勢力地は河内である。場所柄、派手にやりすぎると京の六波羅探題から睨まれてしまう。悪党とは非常に危うい立場にあると言える。そのため郎党の訓練を怠らず、常に危険と隣り合わせながら生き延びることを考え続けている。
鎌倉幕府における幕府と御家人の主従関係は所領の安堵にある。しかし朝廷にそれは出来ない。そこで、土地を持たず自らの考えで生き延びてきた悪党が朝廷の兵として武士よりもふさわしいと正成は考える。しかし、悪党は利が一致しないと共闘するようなことはない。本書の前半で正成は「悪党の連合」そのことに腐心する。そしてまず楠木の名を隠し、和泉の国で自らの郎党を蜂起させる。六波羅の軍が武士とは異なる戦い方をする悪党に苦戦することを他の悪党に見せつける。それは大塔宮護良親王の元に悪党を集結させるための賭けであった。それにより播磨の赤松円心を立ち上がる。円心は六波羅へ向けて攻撃を開始するが、中々六波羅は落ちない。
その頃、後醍醐帝も名和長高の手により配流された隠岐を脱した。しかしこれは正成や大塔宮にしては早すぎた誤算であった。後醍醐帝は力あるものを全て利用しようとする。それは武士であろうと何であろうと。ここで武士の力を借りてしまえば鎌倉幕府の二の舞で、帝による親政、朝廷の軍という夢は潰える。そして、後醍醐帝はそれをさせてしまう。赤松円心が落せなかった六波羅を足利尊氏がいとも簡単に落してしまった。
その後鎌倉幕府は滅ぶが、「武家の後ろ盾が無いと成り立たない朝廷」をまた生み出してしまう。後醍醐帝にとっては、自らが帝の地位に着ければそんなことはどうでも良かったのだろう。何よりも朝廷のことを、父である帝のことをあんじてきた大塔宮は疎んじられ、朝廷に反するものとして逆賊の汚名を着せられたまま死んでいく。そして悪党、楠木正成も悪党では居られなくなっていく。

楠木正成は時代の流れでこのような立場になってしまったが、「悪党」である自分が生きるための活路を必死に求めただけであり、結果として得られた官位も領地も関心が無かった。戦を見れば名将であることは間違いないのだが、そうありたかったわけではないだろう。全ては時代が彼を追い立てたに過ぎない。だが、私はそんな彼がどうにも好きでならない。

私は20~24才まで、世界最大の印刷会社である大日本印刷に勤めていた。
当時の同僚、上司とも未だに懇意にさせていただいており、定期的に会う機会を設けたりしている。

その大日本印刷で取引先43社分、863万件の個人情報流出事件があった。携帯電話やクレジットカードの利用明細等のダイレクトメールが毎月、利用者宛に届くが、これらダイレクトメールの印刷を携帯電話会社やクレジット会社から大日本印刷は受託している。これら印刷物は、送付される個人によって印刷する内容を変えるため、バリアブル印刷と呼ばれることもある。電子決済やクレジットカードの利用が増える中、これら帳票印刷の需要は非常に大きくなっており、大日本印刷内における収益の大きな柱と言えた。この事業へのダメージは決して少ないものとは言えないだろう。
今回流出した個人情報は大日本印刷の業務委託先の元社員が持ち出し、その元社員は2月に逮捕されていたとのことだが、この事件の公表が昨日3/12に行われたと言う話がどうも解せない。取引先が所有権を持つ非常に機密性が高い情報を取り扱っているわけで、逮捕の事実があった直後にこの事実を公表すべきだったろう…と、昨今の企業不祥事の教訓が生かされていない感じが否めない。
また、業務委託先というのも実際はどこだったのだろうか?情報処理をメインとする大手企業だったのか、それとも大日本印刷のグループ会社だったのだろうか?大日本印刷はこうした情報処理を専門とするグループ会社をいくつも持っている。後者であった場合、業務委託先と割り切って言うことは決して出来ない。全ての教育や啓蒙は本社に準じたものを行っているからである。このあたりはもう少し情報を集めないとなんとも言い切れないところである。

私の所属する会社でも個人情報を多く取り扱っており、私も個人情報保護の啓蒙教育をコンプライアンス研修として受講した。以前のブログにその件は記したが、研修を受けた結果、最も重要と感じられたことは、企業とそこで働く社員との信頼関係である。雇用の保証、労働に見合った報酬の保障、企業のビジョンと言ったものに共感して会社に所属している私としては、個人情報の流出に手を貸そうとは夢にも思わない。

ホワイトカラーエクセプションや社員・派遣社員との賃金格差など、企業と労働者との関係は良好な方向に向いているとは言いがたい。こうした制度にあぐらをかいているような姿勢を企業が続けていけば、労働者のモラルは低下しこのような事件は後が絶たないように思われる。

863万という数字は、日本国民の1/13という数になる(もちろん、重複した被害者もいるだろうけど)。ものすごい数である。既に高齢となっている、同社北島社長の引責問題にまで発展するように思える。大日本印刷は北島家による一族経営であり、既に役員に二人の息子が入り込んでいる。後継者問題についても目が離せない事件である。

飯の量が足りない。院内では大した運動はしていないだが、人間には基礎代謝で消費されるカロリーがある。ここの食事だけではそれにも達していない気がする。

今朝の食事はちょっと驚いた。飯、豆、味噌汁。俺は修行僧か?私はそもそも朝ごはんをしっかりと食べてはいなかったのだが、起床時間が6時で(といっても、飯の直前まで寝ているのだが)やはり少しお腹が空いてしまう。それにこの食事である。げんなりである。せめて目玉焼きなどがあると朝らしくて良いのだが。ちなみに昼食はキャベツの肉巻きあげと磯辺焼き。ここに入院して初めて肉らしい食事をとった。夕食は鯖の味噌煮である。これは私の好物だが、やはり量が足りない。
昨日の日記にも書いたが、どうも日に日に食事の時間が早まっている。夕食の時間は6時からなのだが、夕食と呼ばれるのは5:50ごろ。もうその時間になると食堂に人が集まってきている。私の居る病棟は男性と女性の老人が主にいるのだが、何もすることが無いためか、老人たちは5:30頃から食事の準備に入っている。これらリクエストに応えた結果が、食事を早める原因になっているのだろう。

今日は何だか色々と事件があった。ちょっと脳に障害があると思われる老婆が大声で歌を歌いながら病室横の廊下を行ったりきたりしているのである。私は読書中だったのだが、気が散って仕方が無かった。が、注意したところでどうにかなる相手でもなさそうなので放っておいたところ、隣室の老人男性が「うるせー、バカヤロー」と絡みついた。一触即発であったが、看護師がうまい具合に回避してくれた。入院間もない私には衝撃的だったが、看護師は笑いながら対応しているところを見ると、日常茶飯事なのであろう。

また、食事介護が必要な人の場合、看護師等が患者の横について食事をサポートするのだが、上記の歌う老人担当になったY看護師が「何で監視しているのよ!私の食事とる気でしょう?」と絡まれていた。良かれと思ってしていることなのに、気の毒だ。こういう例えは良くないのだと思うのだが、何となく獣医に似ている。獣は病気を治すために診療されても、獣医に感謝することは無い。それと同じような苦労をされているように思えてならない。

ところで、外出許可がようやく下りた。このあたりの街は全く土地勘がないのだが、知らない街を歩くと言うのもまた面白いものである。明日、外出する気力があれば、外に出てみよう。天気がよければ、外にパソコンを持ち出して、暗闇仕留人でも見ようと思う。

成人男子の一日の栄養摂取量は2,500Kcalであったように記憶しているが、今日、この病院で出された食事の総カロリー数は1,700Kcal。
と言いつつも、妻と義理の父が見舞いに来てくれたときに苺を食べコーラを飲んだから、それを越えているのは明らかだ。寝たばかりいる生活にはこのくらいのカロリーが良いのかもしれない。

朝食は非常に質素。秋刀魚の蒲焼とご飯と味噌汁のみ。秋刀魚の蒲焼が予想以上に甘く味付けされていて、閉口した。昼食はカレーライス。カレーライスと言うのは家庭で味が決まっているもので、外食ではカレー専門店以外のものはとても食べたいと思えないのだが、病院のものは家庭ナイズされていない比較的ニュートラルな味付けだったからおいしく頂くことが出来た。晩御飯はカニ玉だった。もちろんカニはダミー食品のカニである。何だか悲しくなるが、病院食ではこれが限界なのは承知しているつもりである。

しかし、日に日に食事の時間が早くなるのは一体何故なのだろう?夕食があんまり早いと、空腹で眠れないと言う悲しい事態に陥りかねない。食事の時間15分前くらいから食堂に人が集まるから、それに応えているのだろうか?病院内で生活していると、食事くらいしか楽しみがなくなってしまうのもわからんでもないけどねぇ。

同室のKさんだが、ラジカセを部屋の中に持ち込んでおり、それでよく音楽を聞いている。音楽を聴く際、私に「音楽を聞いていいですか?」と、一応断りを入れてくれる。ものすごい音で聞くわけでもなく、大して気にはならない(曲がX-Japanのものだったりして、意外と懐かしい)。だが、断りも無くおならを「ぶー!」と発する。これにはちょっと参る。かといって「おならをしてもいいですか?」と聞かれても困る。もし聞かれることがあったら「ダメです。トイレに行ってください」と言うつもりだが(笑)

それと、昨日行った生理検査の結果が出たため、報告を受けた。会社の健康診断を受信した際は、酒飲みバロメーター「γ-GTP」値が標準を越えていたのだが、今回の検査では正常値範囲内であった。前日の酒量で大きく変わる数値だと人に聞いていたのでさほど心配はしていなかったが、全くもってその通りだったようだ。唯一、正常値を大幅に上回る値があった。中性脂肪値である(苦笑)。これもアルコールの摂取量で随分と変わるそうだ。入院の前日夜、しばらく酒が飲めなくなるからということで、ウィスキーを多めにとった影響だろうか?それだけではなく、入院前に続いていた油っぽい食事の摂取もその一因になっているような気がしてならない。
そのほかの値は非常に優良。ぜひとも献血の機会があったら協力すべきとのこと…

今晩の夜勤はYさんである。ふふ。何があるってワケじゃないけど、何となく彼女を気に入ってしまった。採血は下手だけどね(笑)。

消灯時間は9時で起床時間は6時。普段はこんな早い時間に寝るわけが無いので、眠りにつくためには睡眠薬がいる。それでも3時頃に目が醒める。起きる意思がある・無いに関わらず、このところ私は睡眠6時間後に目が醒めるようになっていた。これは病院に来る前からそうだった。

朝7時ちょっと前に看護師のYさん(女性)が私の部屋にやってきた。これから血圧測定と採血するそうである。このところ直近1週間で私は3度も採血されている。寝覚めで頭がボーっとする中、ナースステーションの中に連れて行かれる。血圧は前日は上が153もあった。まぁ、環境が変わって緊張したことが原因ではないかと思う。今朝測定した値は、120-97。下はもっと低かったのだが…血圧って、幅が少ないのも良くないんでしょ?
そして採血。左手をゴムチューブでぎっちりと縛られる。ものすごく痛い。Yさん、何となく不慣れなんじゃないかと不安になる。採血用の針は太い。これを間違った位置に刺されると相当痛い。刺さったことには刺さって血が出てきたのだが、どうも勢いが無い。血液検査用の容器3つ分とるのに5分以上の時間を要した。これをされている間、急に眩暈がしてきた。私にしては非常に珍しいのだが、どうやら貧血のようである。ヘナヘナと椅子に座り込んで動けなくなった。
落ち着くためにYさんに紅茶を淹れてもらい、少し休む。ナースステーションに彼女1人しかいないので「深夜勤は1人なんですか?」と聞くと「そうなんです」とのこと。2階にもナースステーションがあるそうだから、担当するのはこの階だけなのだろうが、1人と言うのは心細くないだろうかと思って聞くと「眠いのが一番辛い」とのこと。んー、余計な心配だったかな?

しばらく動けなかったので15分ほど彼女と話をする。この病院に勤めてもう5年になるらしい。そして病院で仕事をしながらも、彼女は学生さん(!)だそうだ。准看護士の資格は持っており、現在、高等看護学校に通っているとのこと。正看の資格を取得することが目的で、現在3年生と言う。きっと若いんだろうなぁと、失礼を覚悟の上年齢を聞くと、23才とのこと。うあー、7つも違うんだなぁ。驚く。
夜勤を含めて仕事をしながら、学校の勉強するのはかなり大変だろうと彼女に聞くと「もう、学校では寝てばかりで…」と。んー、そうなってしまうのもわからないでもないが、正看の資格を取るためにここはバシッと若いうちに勉強して明るい将来につなげた方がいいと思う。思わず老婆心で「絶対、正看の資格を取っておいたほうが有利だから、今のうちにしっかり頑張ってください」などと話してしまった。正看の国家試験は簡単なものではない。その時期は病院を休んででも、勉強に専念した方がいいと思う。あまり時間をかけるべきではないだろう。
彼女は夜勤を終えて、9時過ぎに帰っていった。この病院の看護師は三交代制だそうだ。看護師の二交代制はとてもきついと思うのだが、そのようなスケジュールになっている病院は少なくない。

朝飯は8時からである。病院にしては比較的遅い。起床時間から2時間もあるのは、早くから目が覚めてしまう老人には辛いのではないだろうか?メニューはバターロール3つと苺ジャム、あとは粉ふき芋。相変わらず質素だ。あまりに質素すぎて昼飯はなんだったか忘れてしまった(笑)
特に変わったイベントは今日は無い。午前中は猛烈な眠気に襲われていたためベットで眠る。午後は読書に専念。萱野葵の「段ボールハウスガール」と「ダイナマイトビンボー」を一気に読む。前者は若い女性がホームレスになって生活する話。「んー、こんなことありえない展開」と思いつつも、よくホームレスのことを調べているなぁと関心する。どうやって取材したんだろう?後者は生活保護で生きるために精神福祉の仕組みを悪用する話。結末が明確ではなく、ちょっとモヤモヤした感じが残る。実際、こういう人もいるんだろうなぁ…と思いながらも、生活保護を受けることに対するリスクを重く知ることができた。よほどの事情が無い限り生活保護という選択はとるべきではないなと思うのだが、実際にはものすごい数の受給者が居ると言うから不思議でならない。
夕食は肉じゃが。あまり体を動かさないせいか、量が程よくなってきた。この病院の食事にはデザートと言うものは存在しないのであろうか?ブドウ糖以外の糖分が摂りたい。

本日から入院である。その前に娑婆での最後の食事(笑)をとる。もちろん、メニューは私が好きな寿司である。
大宮の馴染みの店で寿司を食べる。んー、なんと言うかいつも以上においしく感じられるのは何故?もうしばらく食べられないと思うからかしら?

午後2時前に病院へ到着。病院は新設工事中で、外来は仮設建築。そして新たな主治医と対面する。今度は優しそうな女医さんである。元の医師から受け取った紹介状を渡すのだが、その内容だけでは説明が足りないため、今までの治療の経過を話す。少々面倒だが仕方が無い。いくつかの事務手続きを済ませ、入院となる。入院病棟は新築で非常に綺麗。汚い病院と言うのは心が荒んでいってしまう。綺麗でホッとした。
病室は2人部屋であった。相部屋の方はKさんという方。25才とのことだが、2年間も入院しているそうだ。どういった病状なのかはちょっと聞けなかったが、やり取りは至極普通。同室の方には恵まれたと言っていいだろう。
この病院、携帯やパソコンの使用については非常にルーズなのだが、売店や自動販売機が院内に無かったり、飲食の時間や場所が制限されたり(おやつの時間と言うのがある…そして、自室では飲食が出来ない…)、ろくに外出できないのにパジャマ姿でいられないなど、過去に入院した病院とポリシーが今までとかなり異なることに驚く。
個人的に非常に参ったのは、風呂が月、水、金曜日しか入れないということ。これでは頭が痒くなるだろ…と滅入っていたら、頭を洗えるシャワーつきシンクがあった。まぁ、これで我慢しましょう。今日は金曜日。早速午後5時から入浴の時間である。
妻は4時過ぎに帰った。妻の帰宅からしばらくすると風呂の時間。新品の4枚歯カミソリを持って風呂に入る。シェービングフォームを着けてひげを剃ったところ、いきなり出血。喉のあたりを思いっきり切ってしまった。血が止まらない。参った。バスタオルを真っ赤にしてしまった。スプラッターである。

夕食は6時から。普段は8時ごろ食べているわけで、夜中に空腹になるのではないかと大変心配である。メニューは酢豚であった。ご飯の量は…普段に比べればかなり少ない。この量で普通と思えるようになれば、痩せられるのではないだろうか?味は…あ~妻の料理が食べたいよ~。
食事が終われば薬の時間。この病院では飲み忘れが無いように、患者一人一人に配るルールになっているらしい。水まで用意してくれるのだが、ぬるいのが気に入らない。体に悪くても冷水で胃に流し込むのが私流である。

食事が済んで落ち着き、この病院の電波受信状況について調査に入る。まずは携帯によるデータ通信。病室からでも接続は可能だが、実効速度は高くない。窓に近いパブリックスペースから接続した方がよさそうである。
次にワンセグ電波の確認。これは病室、パブリックスペース共に全然ダメ。アンテナを二種類持っていったのだが、変えてもダメ。
データ通信にしてもワンセグにしても、窓側のベッドでなかったことが最大の敗因であろう。でもKさんは退院する様子は無いし、個室も空きそうに無い。
屋上に出ることは出来るようなので、日中のテレビ番組は屋上に出てみようかな…雨の日は…ウァァ。暗闇仕留人がぁぁ。

明日から入院である。
何らかの形で日々の生活を記録し、退院した後に一括してアップしたいと思う。デジタルデータとして記録できればいいんだけど…。紙のノートに記録したりするのは、手書き嫌いの私にはちょっと億劫だなぁ。
これからどのような環境で生活しなくてはならないのかが見えないので一抹の不安は隠せないが、少し楽しみでもある。
心配なこと?あー、テレビ埼玉で放映中の「暗闇仕留人」が見られるかどうかが心配かも(笑)。

では、療養してまいります。しばらく更新はお休みです。

あいも変わらず「必殺仕業人」の第16話「あんたこの無法をどう思う?」を見ていたところ、ゲスト出演していた女優にノックアウトされる。とても美人なのである。エンディングを見てこの女優が「横山リエ」と言う名であることを知る。
必殺仕業人は1976年の作品。私が生まれる前に放映された作品である。「どの時代でも美人は美人なんだなぁ」と思い、興味本位でググってみたが思いのほか情報が少ない。そんな中、ピンポイントでかなり的確な情報を提供してくれたブログを発見。この店が新宿に残っていたなら、私も一度訪れてみたかった。
もう少し早く映像で出会っていたらねぇ。「新宿泥棒日記」も見てみようかしら。

仕事の都合で予想以上に入院までに時間がかかってしまった。入院予定の埼玉県川越市にある病院では空きベットがだいぶ少なくなってきていたため、割と近い時期に入院できるて本当に良かった(急患が入ってしまったりすると、そうもいかなくなるのだが…無事に入院できることを切に希望)。肩の荷が少し下りた感じである。

昨日から耳の下のリンパ線に違和感を感じる。というか、腫れあがっているようだ。
それが今朝になって痛みに変わった。体を動かすと痛く、非常に厄介である。体力が衰えていることは事実なようで、そうした時期と言うのは一気に色々な症状が発祥するようである。私は既に3つの病気を抱えていることになる。

耐えきれないほど痛いというわけではないのだが、場所が場所だけに心配で、蓮田駅前の病院に行ったところ「おたふく風邪じゃないの?」というとんでもない宣告を医師から受ける。大人のおたふく風邪は1ヶ月以上の期間、微熱や高熱、体のだるさ、頭痛を伴う、非常に辛い病気である。私は子供のころにかかっていたような記憶があったのだが(後に、実家の母に確認して、既にかかった経験があることが判明)。もちろん、病気にかかれば人に移してしまう可能性があるため、生活空間を分けるなどして隔離しなければならない(というか、大人の場合には入院したほうがいいと思う)子供の場合には症状が重くなることは無いらしい。妻はまだおたふく風邪をやっていないらしい。妻に移してしまったら大変である。

しっかりとした検査結果が出るには1週間ほどの時間が必要だが、簡易的な検査結果は翌日聞けると言うことで問い合わせたところ、おたふく風邪ではなさそうだと結果が出た。ほっとした。
しかし、体がだいぶ弱っているんだなぁ。

私の所属するサーバーにおける連邦軍の敗色が非常に濃くなってきた。理由は簡単である。
 ・GP-03Dのリリースが遅れ、一度目のコロニー落下作戦を阻止できなかった。
 ・地上でビグザム暴れまくり。連邦軍には対抗できる地上用モビルスーツが存在しない。
等である。
私の階級も中佐に昇進し、乗艦もペガサス級強襲揚陸艦に変わった。今回のクールではこれ以上の出世は望めないだろう。次クールで大佐を狙うが、大佐の乗艦もペガサス級なため、しばらくこの船と付き合うことになる。

敗戦がほぼ決まってしまったため、勲章集めばかりに精を出している。このゲームは長く画面に張り付いている必要は無いが、ちょっとログオンして、簡単な操作をする環境が身近にある人が、任務による勲章集めをする上では最も有利である。入院してしまったらそうも行かなくなるのがちょっと悩みである。

今回の休職に当たって、本格的な治療をするためには入院がベストであると言われた。私としてもこのような状況を長く引きずるのはごめんなので入院しようと考えている。期間は短くて一ヶ月というところである。

入院後、しばらくは自宅療養ということになる。その辺を考えると、今回の休職期間は数ヶ月に及ぶと思われる。仕事をリタイアすることなく数ヶ月の期間休めるというのは中々、ある機会ではない。ちょっとジジくさいのだが、今まで憧れていた「湯治」というものに、退院後行ってみようかと思っている。
温泉場に長らく逗留して、非日常的な生活を味わう…ネットで探してみたところ、関東甲信越エリアにも何件か湯治宿が存在している(北海道は多いなぁ…しかも安いし)。
この機会に、本気で行ってみたいと思っております。

昔はそこそこの高級時計を扱っていたが、日本の会社が買収(?)したがためにダメダメになってしまったブランドがある。
それは、エルジンとテクノスである。

エルジンは元はアメリカの企業であったが、現在時計屋さんで見かけるエルジンの時計はほとんど山口県に本社がある「福本電気」の製品である。生産国はアメリカではなく中国。法外に安い値段で売られているのを時計屋さんで見かけることができる。私は福本電気が扱う前のエルジンの時計を1本持っており、これはアメリカ製である。エルジンの現在の状況を知って、何となく使うのがためらわれてしまっている。
ちょっと時計のデザインを知っている人ならば呆れてしまうと思うが、このページを見て欲しい。いきなりROLEX EXPLORER2やSUBMARINER、デイトナ、TAGHEUERに極似した時計がわんさか出てきて気が狂いそうである。パチロレ(偽物のROLEX)なんかとは違い、「ELGIN」と書かれているので違法性は無いのだが、ちょっとこれは身に着けているのが恥ずかしい。このページには値段が出ていないが、販売しているサイトなんかを見てもらうと1万円前後で売られている。それなりに歴史があったメーカーが、他有名ブランドの模倣デザインメーカーに成り下がっているのがなんとも泣けてくる。

テクノスは元々スイス製のそこそこ高性能、まぁまぁ高価な時計(RADOと同レベルくらいだったと聞くが…)として売られていたが、何だか良くわからないままにティツーインターナショナルとか言うメーカーが製造するようになり、これまた1万円前後のどうにもならない中国製時計と化してしまった。例えばこれ。デイトナかよ!サブかよ!と突っ込みどころ満載。眩暈がする。
テクノスはスイスに会社は残っており、しっかりと新製品も開発しているし、バーゼルフェアにも出展している。ティツーインターナショナルとの関係が良くわからない。ライセンスだけを買い取ったのだろうか?
こちらもスイス製の方を1本持っているのだが、日本における誤った認知(笑)のためにちょっと手が遠のいている。「昔はテクノスと言やぁ…」みたいな、古きよき時代を知るおじさんからすれば、嘆かわしく感じられるのではないだろうか。

時計の新たなデザインを生み出すと言うのは非常に大変な作業なのかもしれないが、一流と言われた時代があるメーカーはせめて模倣は辞めていただきたいものである。この2ブランドは、明らかに日本企業がダメにしたと言ってよいと思う。悲しいなぁ。

高級舶来時計の超有名ブランド「ROLEX」。残念ながら私は1本も持っていない。父はEXPLORER 2とデイトジャストを持っているが、最近あまり使っているのを見たことが無い。どうもOMEGAのConstellation Double Eagleの方が気に入っている節がある。私もDouble Eagleの方がかっこいいと思うし、CO-AXIAL採用でメンテナンス性もこちらの方が優れているように思う。
と言いつつもROLEXの時計のデザインは非常に洗練されていると常々感心している。例えばSUBMARINERは多くの有名メーカーのダイバーズウォッチにデザインが模倣されている。TAG HEUERほどのメーカーでも1500シリーズなどは「訴えられんじゃないか?」と心配になるほどである。この時計のデザインは1960年代にされているのだが、今見ても決して古めかしい印象を感じない。現行発売されている多くのモデルのデザインが1950~60年代にされていていると言う事実は驚愕に値する。
一生ものの時計としてROLEXを選ぶ人は少なくないと思うが、性能、リセールバリューだけではなくデザインの「経年劣化」が少ないと言う点でも、非常に評価できる時計である。

私はパーペチュアルデイト Ref.15210の黒文字盤モデルが欲しいと思う今日この頃。定価\405,000-という値は、ROLEXにしては安い方である。しかし、Seamaster 120なんかを使っていると、どうもあの軽さが…腕時計は軽い方がいいという人もいらっしゃるだろうが、私はちょっと重みがあるほうが好みである。

2009年6月

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