2007年4月アーカイブ

湯治に2週間も行っていたせいか、家の風呂ではどうも満足できない体になってしまった。本当に温泉というのは疲労回復の効能があり、翌朝の疲れ具合が全然違う。毎日、温泉に入りながら生活が営める草津の人なんかがとても羨ましく思える。

以前、南浦和に住んでいた頃、徒歩でいける距離にスーパー銭湯があった。そこには温泉は無かったが、様々なジャグジーバスやサウナ、露天風呂があり、また料金も大人\500と手ごろであったために良く利用していたのだが、このはすだという町にはただの銭湯すらない。全く、ナイナイ尽くしの市である。
隣の白岡町には、栗橋線沿いにスーパー銭湯らしきものがあることを知っていたが、外観があまりきれいでないことと、いつ見ても多くの車が駐車されているのを見ていたため、何となく「入りたい」という気分にはなれなかった。
その白岡町を越え、久喜市に入るとちょっと良さげなスーパー銭湯があった。「健美の湯」というスーパー銭湯で、同様に栗橋線沿いのヤマダ電機、スーパーオートバックス、ニトリの近くにある(どういうわけか、私が好きそうな店ばかりである)。

で、本日行って参りました。ゴールデンウィーク真っ最中で、きっと子供達でごったかえしていて芋洗い状態かと予測していったものの、決してそんなことは無かった。入湯料は休前日及び土日祝日が\600で平日が\550。まぁ、スーパー銭湯としては適正価格である。気に入ったら回数券でも買って、安く入りに来ようと思う。
まず店内だが、出来てさほど期間が経っていないのか、まだ新しく清潔であった。靴、衣類を入れるコインロッカーも100円玉が戻ってくる(これ、セコイようだけどとても大きなポイント。これだけで\200変わるわけですから)のがすばらしい。
風呂だが、室内に入浴剤のようなものが入った風呂とジェットバス、お腹の辺りに強烈なジェット噴射をするダイエットバス、電気風呂が備わり、屋外には古代ヒノキ風呂(いい香りでした)、ヨモギ湯(ちょっと熱かったけど、これもいい香り)、そしてぇ、なんと別府温泉の湯の成分を使った風呂がある。これが本当に温泉と同じような効能をもたらし、その香り、湯の肌触り共に温泉そのものである。家に帰ってきたら、妻から「硫黄くさい」と言われるほどのものである。
サウナは二つあり、ひとつは通常のサウナだが、寝ながら入ることができる。それだけ広いサウナルームであり、入りきらないというような事態はありえないと思う。もう一つは塩サウナというもので、通常のサウナよりもかなり低温で、体に沖縄の天然塩を擦り付けて、ゆっくりと入る。通常のサウナのような苦しさは全く無く、20分でも入っていて平気なように思えた。
見事なまでの湯のラインナップで、私は大変関心してしまった。「温泉に行く時間も金も無い」というときに、とりあえず気持ちだけでも温泉気分には浸れる。但し、温泉は屋外にあるため(一応、屋根はあるが)雨天時に行くのは避けたほうが良いだろう。

難点は…うちから10kmほど離れているため、車を出さないととても行けたものではないということくらいか。これが徒歩でいける距離にあったら、私は家の風呂以上にここに来てしまうかもしれない。

先日、自宅のポストにホームセンターのカインズホームから「軒下害虫駆除サービス実施中。いまなら特別価格500円」というチラシが入っていた。隣宅の解体により害虫が我が家の敷地に多く逃げ込んだであろうことは容易に想像でき、かつ今年は暑い日が続くという話ではないか。渡りに舟とはこのことである。

我々は早速このサービスを依頼した。すぐにカインズホームの方はうちにやってきて、台所の床下収納から軒下へ入り込んだ。私は全く知らなかったのだが、この家は家の真ん中辺りに仕切りがあり、軒下が二分されているそうである。それでは薬剤をもう片方の軒下に撒くことが出来ないのではないかと思ったが、散布機のノズルが伸びるため、問題なく散布することが出来たようだ。
とにかく、軒下はひどい状態だったらしい。折れてる木多数、シロアリにやられている木材もあり、アレの卵もかなりあったらしい。見つけた分は全て潰してくれたようだが、今年は本当に激戦が予想される。うんざりしてきた。
うちは借家なので、シロアリ対策等は大家の仕事になる。歩いていて、いきなり床が抜けたりするのは参ってしまうが、機会があったら大家に話しておこうと思う。

で、サービス料金\500を支払おうとしたところ、今回はサービスでイイと言う。「いやぁ、すいませんねぇ」と思いつつも、「ただより恐いものは無い」という言葉が脳裏をよぎった。

先月車検を行った際、BMWディーラーでないと交換できないパーツ以外は交換を依頼しなかった。必要最低限のところだけをしてもらった。理由は値段が高いから。モノによってはカー用品店でも購入できるし、本当にそれが適正価格なのか、他のディーラーで値段を聞いてみたいという思いもあったからである。

未交換パーツのうち、カー用品店で明らかに購入可能なのが「ワイパーブレード」と「バッテリー」である。ワイパーは使うたびに「ギィ、ギィ」という音を立てるので気になってならなかったし、バッテリーも、先日遭遇したバッテリー上がりのおじさんを見てから、何となく放っておくのが恐くなり、とりあえずブースターケーブルだけは既に購入した。

今日はワイパーブレードを交換、バッテリーのチェックと交換費用の確認、妻から頼まれた窓に貼る日よけの購入のため、カー用品店に向かった。
まずワイパーブレードから確認したのだが、BMW用のものも販売されていた。だが、E46型3シリーズのブレードだけが在庫切れの状態で、交換することは出来なかった。ちなみにいくらかと聞いたところ、交換費用込みで約\6,000であった。ディーラーから来た見積書には\9,000と記載があった。1.5倍…依頼しなくて良かった。
バッテリーもE46型3シリーズのものが売られていた。値段は\20,000。ちなみにディーラーから来た価格は\50,000(!)。なめてんのかこの野郎。で、交換の必要があるかどうか、車をピットに入れて確認してもらったのだが、十分な電力があり、交換する必要は特に無いとのこと。ますます…(怒)おそらくディーラーの連中は電力確認などしていないのではないだろうか?耐用年数5年のパーツだから、もう交換してしまおうと。そんな理由で見積もりの中に入れてきたのではないかと疑わずには居られない。

いずれにしても、もうディーラー(特に、今回車検を頼んだディーラー)は信用しないことにした。次は無いと思え!

こんにちは、このサイトの管理人の家で飼われている猫の「しろ」です。三毛猫なんですが「しろ」です。「三毛なのにしろは変だ」という人がいますが、そう付けられてしまったのですから仕方がありません。もちろん、三毛なのでメスです。三毛猫にオスは居ないんですよ。知ってました?

もう飼われて5年近くなります。管理人が結婚する前、管理人の奥さんと同居をしたときから一緒です。結婚する前から私は居たわけで、ということは、いわゆる「出来ちゃった結婚」になるんですか?え?ならない?猫だから?…ああ、奥さん自身が人間の子供を身ごもって結婚するのが「出来ちゃった結婚」って言うんですか。私の場合はちょっと違いますね。え?大分違う?そうですか…

2年ほど前までは管理人夫婦の愛を一身に受けて暮らしていたのですが、ある日から突然、変な奴が家に入り込んできて、私が乗っているふかふかの布団や日向ぼっこポイントを奪うようになりました。こいつです。悪いやつです。のんっていうオス猫です。

こいつは野良あがりの分際で(私はは大田区の裕福な家庭からきました。外で生活をしたことなどありません)、態度もでかいし、えさも私の倍くらい食べます。無駄に体もでかい。泣き声もひどい声。しかも脱肛ぎみでうんちがくさい。可愛い振りしてますが、私の邪魔ばかりしています。たまに管理人の食事に手を出して、ひどい目に合わされたりしています。ざまぁみろなのです。

さらに最近はまた一人、うるさいのが増えました。私のように体は毛だらけじゃないのですが、うるさくて仕方が無い。ママもこいつの世話ばかりで、最近は甘えることもできません。

はぁ、何だか苦難の日が続きます。でも、これからはあったかくなるのですよね。それだけが救いです。この家は隙間風が多くて…去年は「こたつ」という不思議なテーブルがあったのですが、今年はそれがありませんでした。何故でしょうか?
といっていると、またあのバカ猫のんがやってきました。私の尻尾の匂いを嗅ぐのをやめなさい!まったく、失礼な奴らばかりだわ…はぁ。

今年もBASELWORLD 2007がスイスのバーゼルで4/12~4 /19に開催された。この中で新作ROLEXが数本紹介された。
これらは既にROLEXのオフィシャルサイトにて紹介さており、6月頃から販売が開始されるモデルもあると聞いている。

ご覧頂いた皆さんの印象は如何だっただろうか?私は従来とあまりにもかけ離れたデザインのモデルが多いため、ちょっと気絶しそうになっている。
新作は下記モデルなのだが

ヨットマスター2
ごちゃごちゃして見づらい。現行ヨットマスターの方がどう見ても美しい
エアキング
"simple is beauty"がエアキンのウリだと思っていたのだが…現行のようなデザインが残っているのは救いか?
パーぺチュアル
文字盤のパターンがどの程度あるかによるが、デザイン的に悪くは無い。高級感が増した印象。でも、価格も増しそう(苦笑)
パーペチュアルデイト
エンジンターンドベゼルモデルは廃止か?(個人的にはとても好きだった) それと、ケースの内側のROLEXROLEX…の羅列はやめて欲しかった
GMTマスター2
ROLEXROLEX…の羅列を除けば、新デザインのケース、ブレス共にデザインは評価できる。サイトで紹介されているのはブラックモデルだけだが、他のカラーコンビネーションも用意されるのだろう。しかし、きれいなROLEXのサイトの横から見た写真は美しいなぁ。
ミルガウス
ミルガウスというモデルの復活は評価できると思う。こうした機能を持つ時計を必要としている人は少なくないと思う。しかし、秒針が稲妻型になっているのは子供っぽいし、配色も好みではない。もっとシックなデザインだったらと残念でならない。
デイトジャスト
サイトに掲載されている文字盤のパターンはどれも好みではなかった。従来の文字盤のデザインを残した上でこれらも追加するのであれば、別に気にはならない。ROLEXROLEX…ヤメレ!
デイデイト
写真が1枚しかないので何ともいえないが、デイトジャストと同様に文字盤のパターンが変わるのであろう。

デザインの変更が「お金がかかる方向」に傾いているため、定価がより高くなるのは必至であろう。もう、エアキンとてバカに出来る価格とはいえなくなるのではないかと思う。各時計関連サイトでも賛否両論で、現行モデルの買占めが進むのではないかと勝手に予想している。俺も現行モデルを買っておきたいところだ。

私はつい数年前まで役者をしている筒井康隆氏と作家の筒井康隆氏を別人と思っていた。役者の時は、非常に威厳がありそうな役柄が多いのに対し、(もちろん、真剣な作品もあるが)冗談のきつい、実に笑える作品を書いていたため、どうしても私の頭の中で同一人物視出来なかったのである。

「夜を走る」というタクシー運転手の話を含めた、ドタバタ短編が複数作品収録されている。気に入った作品をピックアップして紹介する。

一番初めの作品「経理課長の放送」は、ラジオ放送局の局員(労働組合に加入している、非幹部社員。通常は、ラジオ放送の一切を担当している)が集団ストに入ってしまい、ラジオ局には勤めながらも普段は経理課長をしている中間管理職が無理やりDJにさせられ、めちゃくちゃな放送をしてしまうという話である。音響やミキサーは役員が担当しており、中間管理職という実に辛い立場の経理課長は役員に無理難題を言いつけられたり、役員達の失敗を取り繕ったりと、放送事故連発である。実際にこんな状況になっている放送局があったら耳を離せないな。こうした放送事故がよく思いつくなぁと感心しながら、大笑いした。放送の進行と共に、労働組合のストも過激化し、最終的には放送室まで組合員に乗り込まれてめちゃくちゃにされてしまうのだが、同時に中間管理職の悲哀も感じられる秀作である。

三作目で、この本のタイトルになっている「夜を走る」は大阪のタクシー運転手の話。自分自身がタクシーを利用する際は、非常にビジネスライクで(おそらく他の皆さんもそうだと思うのですが)目的地を継げた後、タクシー運転手と話しをすることはあまり無い。彼らも人間だから、乗せた客について何か思ってはいるのだろうが、そうした心理描写を読み取ろうとは私はしない。その「タクシー運転手の心理描写」がたっぷりこの作品には掲載されている。このタクシー運転手は元アル中で、禁酒を条件に仕事を続けているという、ちょっといわく付きな人物。だからこそますます面白い。いい女が乗り込めば「やりたい」と正直に思いを心の中で反芻するし、インテリ学者を乗せれば、心の中で(今なら全部検閲の上、修正となりそうな)罵詈雑言を浴びせる。色々な客を乗せていくうちに、どうしても酒を飲まずに居られなくなり、酒を飲む。その上、強姦までする。こんなタクシー運転手の車に乗ったらいやだなぁ。

「巷談アポロ芸者」はアポロ11号発射があった頃のSF作家の話。各テレビ局から引っ張りだこになるSF作家が、疲労の限界を超えたときにどのようになってしまうかを書いた作品。私は知らない時代の話だが、戦争や新兵器が開発されると呼び出される「江畑さん」のような人は、待ったなしでこのような状況に追い込まれているのかもしれない。現実に居そうだな…と、その苦労を想像してしまった。

これ以外にも秀作はたくさんあるのだが、紹介はここまでに留めておきたい。短編集の上、テンポ良く記述されているため、結構読みやすい本だと思う。かなり笑わせていただきました。

通常であれば子供のうちに予防接種を受けるために、現在の日本においてはほとんど心配がないと言われているポリオだが、どういうわけか昭和50年~52年にかけて生まれた子供は予防接種を受けていない可能性があるという。
(ポリオや未予防接種情報はここに詳しく掲載されている)

息子がポリオの予防接種を受けるということは、息子の便からポリオが出るわけで、稀にこれにより感染することがあるため、子供が受ける際、昭和50~52年生まれの方は同時に予防接種を受けることが推奨されている。そのため、私も息子と一緒に埼玉県小児医療センターへ行き、ポリオの予防接種を受けてきた。子供は無料だが、大人は有料で\3,000ほどとられる。しかし、どういう事情でこの年代だけ異様に予防接種を受けている比率が低いのだろうか?理由が知りたいものである。

小児医療センターは妻が息子を出産した病院の真向かいにあり、私の家からは比較的近い。息子と妻を車に乗せて、雨の中、小児医療センターへ向かった。今、どういうわけか「はしか」が流行しているらしい。そうした時期に小児医療センターなど行きたくは無いのだが、予防接種は決まった日に実施されるのでそうも言っていられない。

ポリオの予防接種は注射ではなく、生ワクチンを経口投与する。甘い液体を少量なめるのだが、変な味がする。それから約30分間は口の中に何も入れないようにして、30分経過後に帰宅を許可される。待っている最中、予防接種を受ける人を何人か見ていたが、ほとんどが子供であった。昭和50~52年というと、比較的子供を持つようになることが多い時期だから、私のような人がいるかと思ったのだが、全く見られなかった。
念のため、2回目の投与の際にも同行し、私もまた予防接種を受けようと思う。

息子の体重が9kgを越えた。私が使用しているチャイルドシートは、体重が9kg以上になったら「乳児用ポジション」から「幼児用ポジション」に変える必要がある。車検に出したときにチャイルドシートは外され、取り付けられぬまま戻ってきた(そりゃ、外さないと車検は出来ないけど、車両を返却する前に取り付けて欲しいものですよね。私がチャイルドシートのマニュアル片手にどれほど苦労して取り付けたかわかっているのかぁ!とBMWのディーラーに言いたい)。

乳児用ポジションに比べ、幼児用ポジションでの取り付けは非常に簡単であった。マニュアルにおける「乳児用取り付け方法」は5ページあったのに対し、「幼児用ポジション」は2ページである。簡単で助かった。早速息子を乗せてドライブに出かけてみたが、違和感無く座っていられるようである。

私は5/6に実家の福島へ帰省するつもりだが、その際は息子も一緒である。福島までは高速で約3時間ちょっと。それくらいの時間、このシートに黙って乗っていてくれるだろうか?少し心配である。

ちょうど我が家の後ろにある家が建て替えのために解体作業をしている。

「ドカーン」、「ドカーン」


尋常じゃない騒音が聞こえるだけでなく、作業による振動までがうちにとどいて揺れる。立て付けの悪いこの家の気密がさらに悪くなりそうである。音や振動に敏感なうちの「のん」は「ドカーン」という音のたびに「ビクッ」とする。幸いにして、息子はそこまで神経質ではないようで、作業の音や振動があっても眠っている。これで息子まで泣き出すようであれば、解体業者に苦言を呈したくなる。これが数日前から始まり、数日後まで続く。非常に迷惑な話である。

ところで、どうも私達人間や猫だけが迷惑がっているわけでもないらしい。解体されている隣家からアリの行列が家に向かって出来ており、アリの巣がいくつか見られる。外でアリの巣を作っている分にはいいのだが、我が家は隣家の振動を受ける前から非常に機密性に問題があり、昨日、今日と1Fの和室にアリが数十匹入り込んでいたそうである。妻は一気に掃除機で吸い込んで片付けたようだが、こんなことが毎日続いてはたまらない。おそらく入ってきているであろうドアにつっかえ棒をして、サッシがビシッと閉まるようにした。それによりアリの侵入問題は解決したが、庭を見るとアリの巣の数が半端ではない。仕方が無いので、「巣ごと全滅アリの巣コロリ」という、巣ごと全滅させる薬剤を置いたのだが、どうも効果が出ている気がしない。アリが薬剤を巣に持ち帰らないとこの薬は意味を成さないのだ。参ったなぁ。

今、目撃しているのはアリだけだが、こうした解体があると害虫は周囲の家に逃げ込むそうである。そして、解体され新築された家には防虫処理がされてしまうので、害虫ばかり周囲に残ってしまうということになる。害虫といえば、私達夫婦が最も苦手とするアレも例外ではない。今年は温かくなるのが早い。何だか嫌な気分になってきた。

選挙の度に同じネタを書いているような気がしてならないのだが、もう市議会議員なんかになると全然、誰に票を入れていいのか判らないのである。どこの誰の息子だとか、お世話になったとか、もうそういう次元で議員が選出されているわけである。公明党や共産党のように「有無を言わさず入れる」という状況の人と同じようになってしまう。

しかもだ、落選者は2名しか出ないという。

そうなるのも仕方が無い。過去の実績として掲げているものは、たかだか数万の市民しか居ない小さな市である以上、候補者ごとにかなりの部分が重複している。「本当にあなたの発言や行動がその事業の成功に役立ったのかどうか」など、判るはずが無いのである。

とは言え、そのままダンマリなのも如何なものかと思う。まぁ、自分が投票すれば、その候補者の名前は少なくとも覚える。どうした働きをするのかを意識するようになる。
よく知らない町の市議会議員選挙は、こうでもしないと永久にわからないままになってしまうだろう。

中島らもという人は経歴が非常に変わっている。フーテンであったり、もちろん作家でもあるわけだが、彼は12年間サラリーマンを実際にしている。しかも、サラリーマンの中における王道の「営業」の経験があるのである。
本書で著者自身も言っているが、サラリーマンという「組織に属しているときの顔」と「プライベートの顔」を使い分けることができる。それを見事に使い分け、かつギャップが凄い人に出会うと私は関心してしまう。

私が初めて入った会社での出来事なのだが、同じチームに私より年齢が10才位年上のKという男性の先輩がいた。私も仕事を全く知らない状況で、その先輩の下についていわゆる「OJT」という形で少しずつ仕事を覚えていき、二ヶ月ほどで仕事を任されるようになり、一応ひとり立ちした。
しばらくしてK先輩は異動となったのだが、実はそのK先輩はハードゲイで、自身のWebサイトで「こんな兄貴に抱かれてみたい!」等と赤裸々に自らの性癖をカミングアウトしていたのである。
仕事をしているとき、そのような危険性を私は全く感じられず(単に私が好みじゃなかっただけかもしれないけど)実に親切に指導いただいたわけで、その二面性というものにとても驚かされた。ハードゲイであることを知ったときは、まさに「おぞぞが走る」という気分であった。

サラリーマンの中でも、営業は特に持っている仮面が多いと思う。向かう会社ごと、担当ごとにそれぞれの仮面を使い分ける。その二重性、三重性を演じきるというのは、サラリーマンという仕事をしていく上で一つの楽しみに転化できるのではないかと思う。著者もサラリーマンを演じるということを「一種のゲームなのだ」と考えることで、仕事が随分と楽しくなったと書いている。胃に穴を開けてまで仕事をするより、この位の余裕は常に持っていたいと強く思う。

本書は辞典の様にあいうえお順にビジネス用語の解説や、関連した体験が記載されており、ちょっとした時間が出来たときに、さくっと読むには非常に適した本である。ぜひとも皆様にお勧めしたい。

湯治で2週間、家を空けていた。2週間もあけていればいろいろなものが変わる。

まず、息子がでかくなっていた。いや、うちの息子は他の子に比べて大きいので、久しぶりに会ったから大きく感じているだけかもしれない。でも大きくなった気がする。

昨日までの鬱々とした天気から変わって、今日は非常に天気が良い。妻と一緒に息子の散歩に出かけた。元荒川にかかる橋を渡って驚いた。ものすごく増水しているのだ。そんなに雨ばかり降っていたわけではないから、おそらく農業用水のために増やしたのではないかと思う。でなければ…おかしいよな…

温かくなってきたためか、色々な花が咲いている。元荒川沿いを歩くとこれら花々を見ることができる。


温かくなってきたと言えば、義理の父母の家近くのである。どうもお腹に子供がいるらしい。うちではこれ以上の数はもう面倒見切れませーん。困りました。

 本物

 うちのまがいもの

蔵の街といえば、福島県出身の私は「喜多方」と答えてしまう。小江戸と言われれば、埼玉県民の私は「川越」と答えてしまう。
しかし、「蔵の街」と「小江戸」の双方を名乗る豪気な街がある。栃木県栃木市である。県名と同じだが、栃木県の県庁所在地は宇都宮。栃木市ではない。

写真をご覧いただけると感じてもらえると思うのだが、雰囲気が川越の街並みに似ている。
栃木市は日光例幣使街道の宿場町でもあるとともに巴波川の舟運での江戸との交易で繁栄した。
江戸からは日光御用達の荷や塩などが運ばれ、ここからは特産の麻や鬼瓦をはじめ木材や農産物などが運ばれ、商人の町として北関東有数の商都であっという。
舟運は江戸時代の終わりのころには商人たちは隆盛を極め、その豪商たちが白壁土蔵を巴波川沿いに競うように建てたものが、今日「蔵の街」として残っている。

こどもの日が近いせいか、街中には鯉のぼりがあふれていた。これほど鯉のぼりが並んでいるところを見ると、栃木市ととは何らかの関係があるのかと思うが、市内の巴波川(うずまがわ)に、そこには10万匹の鯉が泳いでいるという話を聞くと、養鯉業が盛んな街なのかもしれない。

湯西川温泉からの帰りであったので、あまり街中を見ることはできなかったが、とりあえず「とちぎ蔵の街観光館」と「とちぎ蔵の街美術館」の前を通り過ぎる。美術館では「布が伝える和のこころ展」という展示をしていた。昔付き合っていた、布の染物をしていた彼女であれば興味を持っただろうなぁと心の中で思いつつ、妻が向かう蔵の家具屋へとついて行く。「手作り丸三」という店であったが、展示されている商品が全て数十万円のもので、とても手が出ず…と眺めているところへ、店長がやってきて私達と話し込んでしまった。言葉を聴いていると、どう聞いても埼玉以北のものではない。知り合いの事を思い出し「もしかすると、広島ご出身では?」と聞いたところ、その通り。火に油を注いでしまったか、店長の話はますます冴え渡るばかり。妻が半ば強引に話を切り上げ、店から脱出した。私一人ならば、あと1時間は付きあわされていたことだろう。

下野国庁跡、巴波川舟下りなど、もっともっと魅力的な観光名所がある栃木市。栃木市のために1日時間をとって、遊びに行きたいものである。

妻が目覚めたときは、外一面が銀世界であったと言う。
妻が朝湯を済ませた頃に、私は目を覚ました。もうその時間には道路に雪は残っていなかった。山肌に少しと車の上に少し。

今日で2週間の湯治生活もおしまいである。
金をかけない貧乏旅行ではあったが、普段は味わうことが出来ないような非日常の連続であった。旅はいい。それも一人旅は最高だ。自分の心の赴くままに、本当に好きなことができる。日常があるから非日常が面白いのかと思っていたが、そうでもないらしい。ずっと非日常というのも悪くないなと思うようになっていた。

朝食をとった後、湯西川温泉最後の風呂に入り、大量の荷物を整理して車に詰め込む。宿泊費用の支払いを済ませて湯西川を旅立った。

昼飯は決まっている。寿司だ。この2週間、全く食べなかった大好物。宇都宮辺りで店をうまい具合に見つけ、食した。

湯西川の集落には酒屋が二軒ある。一つはガラス細工や囲炉裏などが置かれた「丸湯」という酒屋。屋号が紛らわしいので、最初は共同浴場の類かと思っていたが、杉の玉が見えたことで、酒屋であることがわかった。ただ、何となく高級感漂う店の作りで、みやげ物を買いに来るにはいいかもしれないが「ちょっとビール1本」みたいな買い方には抵抗を覚える作りである。

もう一件は写真撮影していなかったため外観を紹介できないのだが、「湯沢屋酒店」といういわゆる普通の酒の小売店。スナック菓子や雑貨も販売されている。ここにはビールや焼酎、お菓子の買出しのために何度も足を運んでいた。

妻と一緒にいることだし、そろそろ湯西川のお土産も買わなくてはならない。ということで、まず「丸湯」さんに入ったところ、入り口にエアシャワーでもあるのか、屋内と屋外で温度差がものすごいある。別に扉を閉めきっているわけではないのに…?
店に入ると囲炉裏の前に案内され、漬物と昆布茶を出していただいた。寒くて手が悴んでいる状態だったので、何ともありがたいサービスだ。しかぁ~し、こうしたサービスを受けてしまった以上、何も買わずにこの店を出ることは出来なくなってしまった。私はビールとウィスキーはそこそこわかるが、日本酒はほとんど知らないため、妻に店を一回り見てもらい、お土産として目ぼしいものを探してもらったが、残念ながらあまり好みのものは無かった。仕方が無いので、茄子の形をしたワンカップとビールを3本買って「丸湯」を出た。

ほぼ道路を挟んで向かいにある「湯沢屋酒店」では、いきなり酒の試飲をさせてもらった(湯西川に来てから4回くらい買い物に来ているのに、試飲させられたのは初めて。妻を連れて行ったからかしら?)。私は好んで日本酒を飲まないが、飲めないわけではない。二種類飲ませてもらい、口当たりが良いほうを私の実家用に一本購入した。すると、甘酒まで出してくれた(保温途中でちょっとぬるかったのが残念)。甘酒はおいしいものはおいしいけれど、まずいのは…あたりはずれが多いので、もう10年以上飲んでいなかったのだが、湯沢屋酒店の甘酒は実においしかった。
さて、宿に戻ったらまた風呂に入って、晩飯まで部屋で酒盛りである。

宿の近くにある平家落人の歴史や暮らしぶりについて知ることができる「平家の里」という施設がある。他にも「平家落人民族資料館」という施設もあるのだが、こちらは「民族」という単語が入っているので、より生活に密接したことが展示されているのではないかと思い、あまり民俗学に興味を持っていない私が行くべき施設には思えなかった。このサイト辺りをみていただければ、他にどのような施設があるか理解いただけると思う。

妻も多少は興味があるかと思い、ここも一人では来ていない。一緒に来ようと思っていた。入場料は大人\500、小人\300。他の施設と比較しても少し安いくらいかと思うが、平家にまつわるイベントを栗山村(現在は日光市)が実施した際、最終地点がここであったようであるから、他の施設よりは一段上に見られているのではないかと勝手に思っている。

しかし、実際入ってみると、平家落人の暮らしに関する資料が多数あったり、ちょっと民俗学的な印象を残しているのは確かである。例えば木杓子の作り方の展示(私のような不器用人間が作ったのでは、柄の部分が折れてしまうであろう)などがあった。ちょうどかやぶき屋根のメンテナンスの時期だったのか、業者の方が屋根に向かって足場を組んでいた。湯西川周辺の温泉地域では、かやぶきが実際に使われている宿や家があった。かやぶき職人の数は随分と少なくなってしまったと聞いていたが、今はどうなのだろか?日本の伝統を守る大事な担い手だけに、若い人がそうした技術をぜひとも継承してこれからも残していって欲しいと願うばかりである。

平家の里の中心にはがあり、獅子おどしが「コトン」と音を立てている。今日は平日である。客は私達を除くと1~2組しか居ない。何とも優雅な見物が出来て非常にありがたい。
他には銭函(明治時代の銅銭と昭和初期のお札がたくさん置かれている。自慢じゃないが古銭は詳しい。ちなみに、江戸時代の銭函を私も持っている)や、薬研、薬箪笥(時計のパーツ入れなんかに欲しいなぁ、これ。)、古い籠(普通の人が乗れるレベルの籠ではない。良い籠すぎる。それなりの武家の方が使っていたのではないかと思う。)等も展示されていた。

平家の里で一番大きな建物がこの建物である。もう12年ほど前、栗山村村長が平清盛の役をし、湯西川温泉を武具を身にまとった平家武将達がねり歩くと言う一大イベントが実施されたらしい(その後も実施されているのかどうかは不明)。その際の最終地点がここで、広い屋内に武者が集まって勝どきあげたり、舞を興じたことがあったそうである。そうしたイベントの際に利用されることもある建物のようだが、普段は平家落人達が各地から持ち合った宝物が展示されている。

この湯西川を平家安住の地と定めた平家の武将「平忠實・忠房」とその家臣のようである(ようやく今日になってわかった)。落ち延びたとは言え、武具や金銀財宝は少なからず所持しており、それらを「平家塚」に隠したそうだ。この平家塚も平家の里の中にある。

平家の里敷地内には柵があり、その中では鹿が飼われている(この二日前日、鹿肉の刺身を食べてしまったよ。ごめんねー)。この周辺であれば森の中にいきなり鹿が居たりすることもあるので珍しくも無いのだが、とても寒そうにしていた。そう、今日は尋常無く寒いのである。寒さに負けて、早々に平家の里を撤収。酒屋にいって酒でも買って暖まることにした。

考えてみると、私は家に入るときから料理をしたり、掃除をしたり、選択をしたり、風呂を洗ったりと、家事と言うものをほとんどしていない。
つまり、湯治の生活に入る前も入った後も、それをしないことには変わりは無かったのである。ということは、湯治とは本当は女性のためにあるのではないかと気がついた。
妻が毎日している作業から、この宿に来ることで開放される。風呂に入りたければ入ればいい。寝たければ布団で寝ればいい。
湯治というものがどういうものか、妻を宿に連れてきてようやく気がついた。

まだ出来てさほど時間も経っていないと思われるこの道の駅。ここでは湯西川温泉から引いたお湯に入ることが出来る。足湯は無料、通常の入浴で\500、岩盤浴で\1,500である。
湯西川の共同浴場も行ったし、他に家康の里の湯、開運の湯、四季の湯と宿以外の湯に入ったが、おそらくここが一番きれいであろうと考え、妻が湯西川に来るまで行くのを我慢していた。宿に向かう前にここで入浴したが、露天風呂もあり実に気持ちがいい。今日は天気が悪いため、外気と湯の温度差が火照った体を冷やしてくれる。40分で湯から出る約束をしていたが、腕時計をしていたにもかかわらず遅れてしまった。

この道の駅から湯西川温泉まで行くには20km程度かかる。そこまでいかなくても日帰り湯を浴びるのであれば、この道の駅のきれいな浴場をお勧めしたい。

なかなか渋い和風の佇まいの蕎麦店。私はかき揚蕎麦を注文し、妻は天ざるを注文する。私のかき揚の大きさがすごい。天ぷらそば好きとしては何とも嬉しいところである。しかも蕎麦もつゆもおいしいし。これで\850は安いと見るがどうか?

妻との合流ポイントは東武鬼怒川線の鬼怒川温泉駅前。11:31着の特急でやってくる。湯西川温泉駅まで来てもらっても良かったのだが、私が銀行に行きたかった都合があったり、湯西川の超高いガソリンを入れるのが嫌(湯西川で\141/Lに対し、今市で\129/L)だったりと、下山する用事があったので、ここを合流ポイントとした。

湯西川では全く咲いていなかった桜の花も、鬼怒川ではちょうど散り時である。今、満開なのは川治温泉辺りである。
約束の時間より少し早い、11:00頃に鬼怒川温泉駅に到着してしまった。駅前の足湯を堪能しつつ待とうと思っていたのだが、駅前にはは有料駐車場しかなかった。しかも駅のすぐ近くに派出所があるので、駐車禁止のところに止めるわけにも行かない…そこで、鬼怒川ライン下り用の駐車場に車を止めて、正面を向いたら意外なことに気がついた。もう7年近く前、最初に所属していた会社の同期と鬼怒川に来たときに食事をしたレストラン…というか、食堂の目の前だった。あまりに懐かしいので店を撮影したところ、店のおばちゃんが「雑誌の取材の方ですか?」と勘違いしてやってきた。食い物屋の外観を撮影してこのように言われることは良くあるのである。今日は無断駐車をしにきただけなので、店には寄りませんよ~。

しばらくすると、妻が駅の方からやってきた。さて、昼飯にしよう。妻は蕎麦が食べたいと言っている。このあたりのおいしい蕎麦屋さんか…見つかるかな。

本日から、湯治に妻も合流である。息子は義理の父母に面倒をお願いしてきた。
今まで1人部屋に宿泊していたが、この部屋では狭いであろうとの宿の配慮で、隣の部屋へ移動することとなった。多少であるが、広くなった。
部屋に掃除機をかけて欲しいと思っていたところ、部屋移動となりラッキーである。
この部屋は、窓を開けると湯西川の集落を一望できるのが実に良い。そして、血しぶきのようなものもないのも…

私はカメラを肩から下げ、地図を見ながらふらふらと歩いている。するとジャージ姿の湯西川小学校、中学校の生徒とすれ違うのだが、彼らは必ず「こんにちは」、「こんばんは」と挨拶をしてくれる。今は知らない人とは会話しない、できるだけ関わりあわないという風習が強いものだと思っていたので、このような反応は正直、意外であった。でも、これが普通の人と人の対応だよなぁと、考えを改めさせてくれた。

湯西川の小学校と中学校は一緒になっている。校舎は最近全改修されたのか、非常に美しい。何人くらいの生徒が通っているのだろうか?

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蝶なのか何なのか、いまいち良くわからないのだが、平家の赤旗にはこの家紋が記されている。家紋と言うものは種類が多く、それらに呼び名がそれぞれ点けられている。由来などを調べると面白いものかもしれない。

京都知恩院の末寺で、平家落人の菩提寺でもある。

いやー、この二対の石は実にめずらしい、まさに珍石である。やはり子宝に恵まれると言うのは、何よりめでたいことなのであろう。これを発見したときの落人達の喜びが伝わってくるなぁ。

共同浴場近くにある湯前橋から湯西川の上流をみるとかやぶき屋根の家も見えるようなこのような風景で(このかやぶき屋根の家は旅館であったようだが、現在は残念ながら廃業している)、この辺りの家々が平家集落と呼ばれている(反対側から見た写真)。場所柄、防水対策に大変な苦労があり、人が住んで商家を営み、現在も維持に努力している。下流を見ると旅館の露天風呂が見える。今日は雨が降っているが、穏やかな川の流れであった。

本当の湯治とは、湯に入りつつ気が向いたら寝たり、飯を食べたりして体を休めることである。これらの準備は普段の家での生活であれば自分自身が担当しなければならないが、宿にいれば宿の方がしてくれる。日常的な作業から開放され、十分に休養をとることが湯治なのである。

私の行動がその湯治に該当しているかどうかと言われると、ちょっと微妙な気がしてならない。こんなに観光していろいろなところを回ったりしては、湯治にならないのではないかと言う気がしないでもない。むしろ普段よりも動いているために疲れてしまいそうなのだが、温泉というものは不思議なもので、多少疲れるようなことをしても、翌日には大概回復しているのである。だからどうしても動いてしまうのである。
今日はあいにくの雨である。あまり動かず、布団の中に入ったままゴロゴロしていたのだが、どうも体を動かさないとお腹が空かない。夕方16:00頃になって、宿の近くを散策してみることにした。今まで車で移動してばかりいたので、この辺りの観光名所はあまり見ていないのである。晩飯までの散歩に出かけることにした。

宿のすぐ近くにあることは知っていたものの、宿の湯だけで事足りていたので今まではここに近づきはしなかった。その上、入り口にこのような文言を書いた看板を掲げられれば、旅行者はどうしても入りにくくなる。さらに、混浴なのである。といっても、やってくる女性は農家のおばちゃんなどであろう。

草津でも十分に味わったが、共同浴場というのはその地域の人たちが利用するために作られているため、興味本位で私のような旅行者が入る際には、その地の礼儀に従い、決して住民の方に迷惑をかけないようにして入浴しなければならない。
そんなこんなで、何となく足が遠のいていたのだが、今晩は雨である。おそらく共同浴場へやってくる地元の方も少ないのではないかと思い、やってきた。浴場に入ったところ、脱衣所と風呂が分かれていないタイプだった。入浴されている方は男性1名。おそらく、地元の方であろう。地元民以外は入浴料として\200以上払う必要がある。仕方が無いので箱に\200を入れ、服を脱いで、草津流入浴法を実践しつつ入浴した。私が湯に浸かって5分位で、その男性は湯から出た。着替え終わり、浴場を出て行くのを見計らって、持ち込んでいたカメラで共同浴場の撮影を実施。湯船はこんな具合である。レンズが曇ってしまいオートフォーカスがボケてしまっている。他の入浴者が来る前に主要な部分は撮影せねば…と、無事完了。脱衣所の袋にカメラをしまい、また入浴を続行した。
この共同浴場も他の旅館の露天風呂同様、湯西川に面している。窓を開ければ湯西川が見えるのでしばらく眺めつつ体の火照りを冷ましていたところ、入浴者がやってきた。この辺りのおばあちゃんなのだろう。私は急ぎ湯船に入り、数分するとおばあちゃんが入ってきた。何だかちょっと気まずいので、私は風呂から上がり、脱衣場で着替え始めると、別なおばあちゃんがやってきた。2人はこの共同浴場の常連らしく、随分と話が弾んでいたようだ。
ここ湯西川は西会津に近いせいか、言葉は福島の田舎で聞く言葉に近い。福島出身の私にはほとんど理解できた。
結論として、ここはやはり湯西川の住人が利用する浴場と考えた方が良いと思う。浴場自体も宿の浴場の方が綺麗だし、ここには椅子などが無いから体や頭を洗うには不自由である。

湯西川にかかっている橋から、下流方面を撮影。露天風呂から淡い光がこぼれ、対岸にまだ雪が残っていることが確認できる。この湯西川も上流ダムの放水により、ものすごい水位になることがあるという。そうすると、この写真のような位置にある露天風呂は流されてしまい、また作り直さなくてはならないという。川沿いに露天風呂を持つ温泉宿は値段が高い。そうしたリスク料が含まれているのかもしれない。

動きが素早くてろくな写真が撮れなかったのだが、湯西川温泉に来て初めて猫にであった。今まで出会ったのは、タヌキ、ヒャクビシン?、猿など、およそ都会には居ないような動物ばかりである。
最初に見つけたにゃんこはまだ子猫(または小型の猫)であった。猫が向かう先を見たところ、別な猫がいた。春が近いから仲良くするのかな…と思ったのだが、相手の猫に思いっきり威嚇されて逃げ帰ってきた。確かに相手の猫の方が貫禄があるなぁ。
しかし、この寒い湯西川でこのにゃんこ達もどうやって過ごしているのだろうか?もしかすると、旅館の裏口からおいしいご馳走を貰っているのだろうか?

湯西川温泉駅と併設されており、湯西川温泉滞在中は頻繁にお世話になっている。まだ建物が新しいので、トイレが綺麗なのだ。宿のトイレがどうにも気持ち悪くて使う気になれないために、ここを通過するときにはそれほど尿意を感じていなくても寄るようにしている。
今日は栗山ダムを一周し、猿を追いかけ、わさび畑を見て回った。さすがに足が疲れた。ここには無料で利用できる足湯がある。いつでも風呂に入れるように常にタオルを携帯していて良かった。今まで素通りしていた足湯に浸かり、しばし足の疲れを癒すことができた。この道の駅には足湯だけではなく、\500で入浴、\1500で岩盤浴も堪能できるそうだ。しかし、この道の駅と湯西川温泉の間は20kmもあるのである。本当に湯西川の湯なのか、気になるところではあるが、とりあえず足の疲れはある程度取れた。早く宿へ帰ろう。飯が待っている。

日蔭牧場へ向かう途中、並行した清流がある。おそらく飲める位綺麗な水なのではないかと思う。
綺麗な清水があるところであれば、わさび栽培が可能である。ここにも立派なわさび畑がある。近づくと、このように階段状になっている美しいわさび畑を見ることができた。引っこ抜けばいいわさびを入手できるが…わさび畑周囲には有刺鉄線が張り巡らされている。やはり盗まれてしまうことが多いのだろうか?
今までわさびの花は見たことが無かったが、このように白く小さな、可憐な花である。野菜の花というのは可憐なものが多いが、このわさびも例外ではないようだ。
わさび畑の中心には、まるで守護神であるかのような大木が植えられていた。ものすごい枝の数であるが、何の木なのかは良くわからなかった。中々、珍しいものを見せていただいた。

栗山ダムから日蔭牧場(現在は何も放牧されていない、ただの原っぱ)を通過する途中、ものすごい数の猿に遭遇した。ざっと数えるだけで20弱というところか。日光のいろは坂にいる猿のように人間にえさをもらうことには慣れていない、まさに野生の猿である。車通りの少ないエリアではあるが、何故これほどまでに猿がここに集まっているのだろうか?今までも、人の家に闖入している猿や、畑を歩き回る猿には湯西川に着てから遭遇しているのだが、3匹がいいところである。日蔭牧場のわき道に車を止め、猿が大量にいた場所へカメラを持って向かった。

流石に野生の猿、木と木を飛び移る事など簡単に成し遂げる。落石防止用のフェンスを凄い勢いで登り上から私の様子を見ている猿がたくさんいる。私はカメラは持っているが、ライフルは持っていない。そんなに警戒しないで欲しいものだが、本来の野生の猿と人の関係というのはこんなものだろう。
ぴょんぴょんと飛び回る猿を撮影しているところを、栗山ダムにて作業をしていた東京電力の職員が車で通り過ぎていく。彼らにすれば、猿がこれだけいるのも日常茶飯事なのだろう。だが、私にはどうにも珍しくてならない。
1時間ばかり、猿を追いながら撮影をしたオートフォーカスが素早いカメラでよかった。そうでなければほとんど猿を撮影することができなかっただろう。みんな比較的大きくて、小猿に出会えなかったのがちと残念。

湯西川温泉から川俣温泉へ向かう途中に日蔭温泉という温泉地がある。この温泉の南部にある月山からは非常にいい山の景色が見られる(5月頃であれば、高原には八汐つつじが咲き非常に美しいというが、残念ながらまだそんなシーズンではない)ということで、昼食後向かうことにした。月山へ行くまでには途中、日蔭牧場を抜けて、栗山ダム近くにある駐車場に車を置いて歩いていく必要がある。

駐車場に着くと、複数台の車が止まっており、そのうち1台がボンネットを開けている。おそらく車のオーナーと思われる方が頭を抱えている。彼は駐車場に着いたばかりの私に「ブースターケーブルを持っていませんか?」と聞いてきた。バッテリーが上がってしまったらしい。私も、もしものときのために買わねば…とは思っていたものの、残念ながら持っていなかった。無いことを知ると、一番近いガソリンスタンド(といっても、10km以上の距離がある)と連絡を取り始めていた。どのような解決法を思いついたのだろうか?

月山方面に歩いていく途中、ビーフピアというイベントを行うための会場横を通った。ビーフピアとは、5月のゴールデンウィーク頃に行われるイベントで、月山直下の広場で栗山牛のバーベキューらしい。しかし、現在会場はこんな状況だ。既に4月半ばで、ゴールデンウィークまでに再開できるのだろうか?それとも、もう数年そのイベントは行われていないのだろうか?ビーフピア会場を通り過ぎて山へ登ろうとすると、いきなりトンネルが私の行き先を遮った。またか…と思った。正直、この辺りのエリアの自然を楽しむには、今の時期では早すぎるのだ。
仕方なく、栗山ダム方面へ戻っていく。栗山ダム方面からも月山に向かえるからだ。栗山ダムへ向かう途中、眼下に駐車場が見えた。まだバッテリーが上がったおじさんは困っている様子であった。

栗山ダムは水力発電のための東京電力の施設である。湯西川方面に着てから方々でダムばかり見ているが、ここはここで面白い。傾斜の着いた貯水池となっており、ここから下流にある貯水池に水を流す際に発電する。現在は水量は非常に少ない状態であるが、一番深いところであれば数mはあるのではないだろうか?間違っても飛び込むような行為をしてはいけない。水辺にはなにやらゴムボートを浮かべて作業をし始めようとしている人たちがいる。しばらくして、彼らはダム中心部で何かの作業をし始めた。目が悪い私にはよく見えなかったが、潜水していたのかもしれない。

今日は雲が多い。雲と雲の切れ間から光が差し込んでくる。その様子が何とも幻想的である。ダムの水面に光が当たり、何ともいえない情景を醸しだしている。
しかし、月山へ向かうための道が全く見つからないのだ。先ほどの道が閉鎖されていたように、ダム方面から月山への道も、ビーフピア会場から月山へ向かうトンネルのように閉鎖されているのかもしれない。何を見るにも、時期的に早すぎるのである。桜すら咲いていないわけで、新緑の季節になってから色々とイベントが開催されるのであろう。何だか非常にがっかりする結果となってしまったが、せっかくなので栗山ダムを一周してみることにした。一周する途中で道が途切れていたら…あまり暗いことを考えずに歩き続けることにした。

ダム周辺にはふきのとうがたくさん見られた。今は調理する施設も無いのでそのままにしておいたたが、私の家付近で妻が発見したら、根こそぎ持っていってしまうのではないだろうか。ふきのとうは妻の好物なのである。
またしばらく歩くと、ダムの入り口からちょうど向かいあたりの位置まで来た。ここまで来るのに1時間ほどかかっている。戻るまでにああと1時間くらいかかるだろうか。私は歩く足が速いほうで、1時間に6km位は歩ける。少なくともこのダムの直径は12km以上あるだろう。
途中、慰霊碑があった。このダムを建築するに当たり、何らかの被害者が出たのであろう。慰霊碑ということは、村がつぶれて…といったものではなく、工事関係者への慰霊碑であると思う。
この慰霊碑を過ぎてしばらく歩くと、一の沢トンネルというトンネルにぶち当たった。中は漆黒の世界で明かり一つ無い。このトンネルがどこに続いており(もしくは、途中で行き止まりになっているということも考えられなくは無い)、どれほどの長さがあるのか、何だか不気味でならないが、携帯電話のライトを使って漆黒の周囲を照らし、100m程歩いた。すると、見事に駐車場の真上に出ることができた(ちなみに、ダム入り口からトンネル出口を見た写真がこれである)。栗山ダム周辺は歩行者が一周できるように作られていたのだ。ここまで来て逆戻りだったら、かなりブルーになっていたことであろう。急いでダムを一周し、駐車場に戻ってきた。駐車場からダムを見ると、このように見える(この「栗山ダム」の石碑の後ろにはこのような文が書かれている。随分とダムを作るために苦労があったのだろう)。
駐車場には、私の車が一台止まっているだけであった。バッテリーが上がってしまった車のオーナーは無事に帰ることができたのだろうか?この駐車場に車を止め、既に3時間が経過していた。

午前中は洗濯で終わってしまった。気がついたら、もう昼食の時間である。
昨日の夕食にてんぷらが出たので、てんぷらを余分に揚げておいて天丼にしてくれたのね…舞茸のてんぷらが実においしい。
けど、量が足りないんだなぁ。近くのスーパーで菓子パンを一つ食べて昼食とした。

また洗濯物がたまってきた。この湯西川温泉にはコインランドリーなんてものは無いが、宿の中に有料の洗濯機と乾燥機がある。洗濯機は1回\200、乾燥機は40分で\100である。草津に比べて、非常に安いのがありがたい。
しかし、草津のコインランドリーでは自動的に洗剤も投入されるような最新型のコインランドリーであったため洗濯洗剤が自動的に入る仕組みになっていたため心配などしなかったのだが、この旅館のコインランドリーではそうはいかない。おそらく今回の旅行で洗濯をする機会は今回が最後となるだろう。だから、1回きり使える洗濯洗剤を購入したいのだが、宿には洗濯洗剤の販売機は無く、スーパーでも小型のものは売っておらず、普通の家庭で使うサイズのものが販売されているだけである。
洗剤が余ったら、持って帰って使えばいいのだが、うちの妻にはこだわりがあり、天然の粉石けん以外、洗濯洗剤として使ってくれないのである。つまり、ここで買った洗剤は持って帰ったとしても使われることは無いのである。
持って変えることすら妻は拒絶するだろうから、購入した洗剤は宿に置いていくこととなる。一番安い洗剤を見つけたが\430であった。これでは…結局、草津のコインランドリーの方が安く済んでいる。ほんと湯西川温泉の商店には、1回こと袋にわけれられた洗剤を置いた方がいいな、マジで。

非常に寒いが、晴れ渡って星が綺麗である。今日、屋上露天風呂に入らない手はない。
着替えて湯に入るが、湯がぬるい。湯船に入るお湯はあったかいので、湯の出口周辺に体を寄せ、脱衣所の電気を消して空を眺める。凄い。3等星くらいまで見ることができ、びゅんびゅん流れ星が流れる。以前、磐梯高原のペンションで、外に出て空を眺めたときのようである。あの時の流れ星の数には負けるが、それでも…本当に凄い数の流れ星である。
ずっと見ていたいが、湯がぬるくて風邪をひいてしまいそうである。20分ほど我慢したが耐え切れず、屋内の男湯へ直行した。

頼朝が発見した草津温泉から、平家の落人の里湯西川温泉に移ってきたために、私の体内で源平合戦をしているのか、もしくは源氏の血を引くものが平家の里に入ったための呪いか…いや、単なる食べすぎか、口の周りに大きな口内炎が出来てしまった。運動不足の状態のまま食べてばかりいると、このような現象に見舞われるのだが、結構体は動かしているのである。なんだかなぁ。早く治るといいけれど。
湯西川の湯は草津の湯に比べるとかなり弱い。というか、草津の湯畑源泉の湯が強すぎたように思うが、皮膚が丈夫な私には、ここの湯は少々物足りない。といいつつも、これだけ動いて翌日疲れが残らないということは疲労回復という薬効は十分に効いているのである。温泉ってのは不思議だなぁ、本当に。

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樹齢600~700年、高さ33mの大木である。
平家の落人が再興を願って植えたと言われている。「再興叶わぬときは実がならぬよう」と祈ったために、今でも杉の実がならない。子無し杉とも言われている。同じ根っこから幹が分かれていて細枝が張り合って、かなり茂っている。大きすぎて私の持っているカメラのレンズでは全体を撮影することが出来なかったが、まさに不思議な杉である。

川俣温泉の手前に、「家康の里民宿」と呼ばれる小集落がある。ここには栗山東照宮というものがある。
栗山東照宮は明治の戊辰戦争のとき、戦禍を避け、日光東照宮から一時的にこの地に預けられた、家康公の像と二荒山神社の身体がそのまま祀られている。帰り道でもあることだし、ちょっと寄ってみたのだが、鳥居が立派で敷地が広いにもかかわらず、東照宮の建物自体は非常に小さくて何だか少し寂しいものであった。例によって、盗難を避けるためかがっちりと施錠されており、その家康公の像を見ることはできなかった。10月の下旬に東照宮祭りが開催され、その際には拝見することが出来るそうであるが、何だかがっかりである。
他に家康の里には民宿が数件と、「家康の湯」という公共の湯がある。入湯料は大人\500。あまり時間の余裕が無かったので入りはしなかったが、時期的なものか、客はほとんど居なかったようである。宿の夕飯が、草津の宿と同様に17:30からなのである。あと30分遅いと助かるのだが。

撮っている自分が言うのも何なのだが、ここで天気がよく、そこそこのカメラを使えば、カメラマンの腕とは無関係に非常に美しい写真が簡単に取れる。この写真など絵葉書として売っていてもおかしくないのではないかと勝手に思ってしまう。
国立公園指定されているこの日光において非常に美しい景色が撮影できるのは愛宕山展望台と聞いていたので、頑張って登ってみた。草津の「嫗仙の滝」ほどではないが、かなり厳しい山道を登りながら展望台にたどり着いた。この山道の感じからすると、ここまで来る人はかなり稀なようである。道とはいえない坂道を駆け上るのだが、足元が枯葉だらけで良く滑る。またこけてしまった。

さて、展望台からの眺めなのだが…確かに綺麗である。しかし、写真にするとこのように周囲の木が入ってしまい、広角でダイナミックな写真が撮れない。美しい眺めをお見せできないことは大変残念である。

この展望台付近には愛宕山神社という神社や、小さな祠のようなものが点在しているのだが、盗掘されてしまうためか、このように施錠されているか、もしくは空っぽの状態になっていた。全く罰当たりな話である。お参りしようと思って向かったところ、空っぽだったりすると非常にげんなりさせられる。世知辛い世の中である。

さて、この川俣大橋を越えれば川俣温泉に入る。看板によれば、4.4kmで川俣温泉とのことである。変な看板も一緒に掲げてあるが、気にしない気にしない(笑)。川俣温泉までの道路は非常に細く、やり過ごすときに少しばかりヒヤリとさせられる。

しばらく走ると、間欠泉が見られる場所へ到着。「次の間欠泉噴射まであと2分」という看板を見たため、急いで車を止めて、間欠泉がよく見える展望台へ急ぐ。しかし、2分経過しても一向に間欠泉が上がる気配が見られない。寒い中、5分ほど待っていると、バスに乗ってやってきた乗客たちも間欠泉に集まってきた。いつも遅れるものなのだろうか?10分程経過したところで、煙がもくもくと立ち込めてきた。「シュー!」という音と共にお湯と湯気が立ち上り、高さが次第に60cm位まで上がる…が、これで終了。は?観光ガイドには2m程上がると記載されていたので、大変期待していたのだが…後ほど調べて判ったのだが、いつしかの台風の際に、間欠泉の設備が壊れてしまい、以前は2m上がっていた間欠泉も、現在ではこの程度になってしまったそうだ。がっくし。
次の間欠泉噴射は、看板によると51分後とのことである。そこまで付き合っていられないので、車に乗って戻ることにした。途中、川俣湖周辺をもう少し見ながら、帰ろうと思う。

今日は、川俣温泉にある間欠泉を見に行こうと思う。川俣温泉は川俣湖を越えた先にあり、はっきり言って近くはない。しかし、間欠泉とは面白そうではないか。水物が好きな私には見逃せないスポットである。

川俣湖は元々あったわけではなく、これも川俣ダムという鬼怒川をはじめとした様々な川の水量をコントロールする目的で作られたものであり、このために沈んでしまった村がいくつか存在するらしい。そのため、このような石碑が川俣大橋周辺に建てられている。この石碑周辺から見える川俣湖は青く澄んだ水や周囲の山々が非常に美しいところである。このスポットを堪能するために、石の椅子やテーブルが置かれていた。たまたま携帯電話をみたら、なんと電波が3つ立っていた。現在はシーズンオフであるが、川俣湖ではイワナ、ヤマメ、ヒメマス、ニジマス、コイ、フナ、ワカサギ等が釣れる(釣るためには、遊魚券というものを購入する必要があるようだ)。そうしたレジャー目的の人のためにNTTが携帯電話のアンテナを立ててくれたのではないかと思えるのだが、その日、パソコンを持ち歩いていた私はここからGNOにログオンして任務に入るという非常にバカバカしい事をしてみた。もちろん、携帯電話が通じればパケット通信も出来るわけで、問題なくログオンすることが出来る。前にも書いたが、携帯さえあればどこからもネットに接続して仕事ができるのだから、もっと気候良くなれば(今日は少し風が強く、寒い)このような風光明媚なサテライトオフィスから仕事をするようなことも可能であろう。バカバカしいように思われるかもしれないが、オフィスにずっといるのは気が滅入るのである。

この宿の最大のウリといっていいのが、この屋上にあるヒノキの露天風呂である。宿からは「2~4名でお入りください」と指示があったが、私は入る相手が居ないので、天気の良い今晩にでも1人で入ってしまおうかと考えている。
草津には約1200m弱の標高であったが、ここは800m位である。しかし、草津に比べて周囲に街灯が少ないため、星はより多く見られるのではないかと思う。草津の時ほど風呂は広くないが、こちらは有料ではない。夜になるのがいまからとても楽しみである。

ダムネタばかりで悪いのだが、本当にこの周辺にはダムが多い。この川治ダムは鬼怒川の流水量をコントロールしており、ここが誤って決壊(まぁ、そういうことは無いでしょうけど)したり、また、貯水量の限界を超えると段階的に鬼怒川への流水量を増やすようにしている。流水量のコントロールはここで行われ、流出量によって3つの口から放水する。クレストゲートを開けるような事態になると、下流は一体どうなってしまうのだろうか?鬼怒川に面した露天風呂を持つ宿なんかは大被害を被るに違いない。

この辺りの湖は川下の流水量を調整するためにほとんどがダムになっている。県道249号線に並行するように存在する五十里湖も例外ではない。変な形をした湖なのだが、湯西川温泉駅周辺から見るとこのように会津鬼怒川線の線路と共に見ることが出来る(線路が道路より低い位置にあるため、ホームも地下鉄のように地下にあるそうだ)。列車が通っている瞬間の写真じゃないのが残念だ。別なスポットから見ると、このように見える。どれだけ深い湖なのだろうか?良くはわからないが、とにかく広大な存在である。

県道249号線の湯西川温泉と、湯西川温泉駅とのちょうど中間辺りにある、地下から天然水が湧き出ているところで、この水は無味無臭で、ペットボトルのような透明な容器に入れても沈殿物などが一切見当たらない。そして、飲むことが出来る。というか、冷えていてうまい。
言い伝えでは、龍の住処と古来から伝説がある龍の窪の岩穴から、明神ヶ巌より地下を流れてきた天然水とのこと。私はこの道を通るたびに、持ってきている空の500mlのペットボトルにここの水を入れ、散策の途中で休憩する際なんかに飲んでいる。このような仏像があり、賽銭箱もあるのだが、あまり小銭を持っていないことが多く、水代として気持ちばかりのお金を入れている。
湯西川の水…というより、宿の水がどうも美味くない。タンクに溜めたりしているせいであろうか?
滝好きの私は色々な引用可能な水を飲んできたが、ここの水は本当においしい。売ってもいいくらいなんじゃないだろうか。

この湯西川周辺の道路で、山に向かっている道のほとんどは冬季通行止めになっている。
またもやカーナビの時節を無視した道案内のおかげで、通行止めの道で止められてしまった。最近のカーナビはこうした時期情報も勘案して道案内をしてくれるのだろうか?トヨタのG-Bookのように人を介在させる仕組みであれば、そのような道案内にはならないのだろうが。
この冬季閉鎖中の道を使えないおかげで、川俣温泉方面へ向かう(というか、湯西川からどこかへ車で出かけるためには)ために倍程度の距離を走らなければならない。道路はダムに面した細くコーナーが多い道路で、昨日夜走行したときに、ホイールスピンしてしまいヒヤッとさせられた(今日、その現場を見たらタイヤの跡が付いていた)。

コーナーが多い山道を運転するのを嫌がる人はたくさんいるだろうが、私はこうした道がむしろ好きである。シフトをマニュアルモードに変えてガンガンに攻めていくわけだが、こういう運転は当然、燃費が悪い。どこに行くにも20km程度の山道を走らなくてはならないとなると、燃費を気にしてしまいそのような走り方はとても出来なくなってくる(ちなみに、湯西川温泉にあるガソリンスタンドにおけるハイオクガソリンの価格は141円/Lである。高すぎである。今市で入れたときは129円/Lで、それでも高いと思ったのに…)。タコメーターの下に付いている燃費計を睨みながら省エネ運転に心がけているが、何だかしみったれた運転だなぁ、ちくしょう。

今回、湯西川温泉で一週間お世話になる宿は「はたご松屋」という宿である。宿にかけてある柱時計に新築の年月日が記載されていたが、昭和47年であった。それにしては随分と古く感じられる。廊下はかなり薄暗く、トイレが妙な匂いがするためどうしても気に入らない(私の部屋は3Fであったが、1Fのトイレはそのような匂いがしないので、いちいち1Fに行っている)。部屋は8畳の和室にコタツと冷蔵庫(冷凍庫が無い…氷が買えない)とテレビが置かれている。こちらのテレビは無料であった。
部屋の中には、何かが飛び散った跡(掃除後でこの写真の状態。掃除前はもっとひどかった。もっと徹底して掃除して欲しかったものだが)のようなものが、エアコン、屋根、壁に渡って付いており、これが非常に気に食わない(掃除しろと苦情を言った)。何が飛び散った跡なのだろうか?赤茶っぽいので血液だろうか?血だとすれば人を刃物で切りつけたような感じである。不気味であるが、私は汚れが嫌なだけで、掃除してくれれば一向に構わない。私は霊感と言うものとは皆無で、仮に死人が出た部屋で寝たとしても平気である。霊が勝手にやってきて、私の首を絞めたりするのであれば、それは大変問題であるが。
部屋数はおそらく宿全体で20前後あり、宴会が出来るスペースが2部屋あるようだ(私の場合、常に部屋食なので全く関係ないのだが)。シーズン的なものか、それとも宿の経営の問題なのかはわからないが、自分以外に隣の部屋に5人くらいの宿泊客が居るようである。年寄りなので寝るのが早いのは幸いなのだが、声がかなり筒抜けでうるさいのには参った。草津の宿は湯治宿だったので、皆が休息するという意識が根付いており、非常に静かで過ごしやすかった。反面、こちらは湯治客だけではなく、通常の宿としても運営されているため、同様に静かにしてもらうと言うのは難しいのであろう。
この宿で助かっているのは、3食出してくれると言うことである。昼食はおそらく賄い飯のあまりか何かかと思う(いつも量が足りないので、近くの商店でパン等を買って、足りない分を補っている)。今日はきのこそばだった。朝と夜の飯の量は尋常無いくらい多く(おひつに入って出てくるのだが、ご飯茶碗4杯分はある)、おかずの品数も割りと豊富だ。料理に関して言えば、草津よりこちらが勝っていると言っていい。
湯は1Fに大浴場、屋上に露天風呂がある。私は風呂に入るときに眼鏡を外してしまうのであまり細部までは見られないのだが、もう少し気合を入れて清掃したほうが良いのではないかと思われる。
おそらくこの宿は家族3人が清掃等しているだけで、他に従業員を雇っては居ないのだろう。他に作業をしている人の姿をみたことがない。人員不足のための見られるものの、自室にこもっている分にはさほど影響はない。値段が値段なだけに、この位の妥協は仕方が無いと思うしかなかろう。料理がそこそこマシなわけだし。

国道120号線を中禅寺湖方面に向かって爆走する。あと80km程で湯西川へ入れる。しかし、爆走する私は不安だった。周囲を車が全然走っていないのだ。道路が悪いわけではないので、80km以上の速度で平気で走ることができ、誰も私の邪魔をしない。ちょっと不気味だった。

不気味な理由は、白根山でわかった。うおおおおー!なんだこの「冬季閉鎖中」って看板はぁ!アホかよ。全然ノーマルタイヤで行けるじゃねぇかよ…と思って背面を見渡すと、スキーのリフトが動き滑降しているスキーヤーが見られる。つまりアレだ、ここから先は除雪されてないってことかい?今年は暖冬じゃねぇか。本当に通れないのかよ…泣きそうになった。この道以外、日光や湯西川に直接向かえる道路は無いのだ。ここが通れないとすると、沼田の途中まで戻り、赤城山を越え、国道122号線を渡良瀬渓谷鉄道に沿って、足尾銅山方面に向かう方法しか選択は無い。カーナビで別ルート検索をしたところ…ここからの走行距離、220km。草津を出たときとほとんどかわらんではないか。その時、時計の針は16:00を刻んでいた。

泣き言を言っていてもはじまらない。今まで登りで爆走してきた道路を一気に時速100km程度で駆け抜ける。私の車のエンジンは2Lなのだが、そうとは思えないほどの加速が可能である。さらに、セミオートマティックのエンジンブレーキも結構利くのだ。我ながら驚くほどの速度で戻り、18:00には足尾銅山手前の草木湖までたどり着いた。さすがに疲れて、草木湖畔で休憩をする。湯西川まではあと110km位である。草木湖は渡良瀬川のダムになっている。ダムと言うものにあまり縁が無かった私は、驚くべき大きさの草木湖にしばし見とれる。湖畔をしばし歩いていたら、寝釈迦様なるものに遭遇した。確かに寝ている。これが何を意味しているのかはいまいち理解できなかったが、何だか珍しいものを見せてもらった。

草木湖からはノンストップで122号線を北上し、途中、日光宇都宮道路を140kmでぶっ飛ばし、121号線に入った。昨年5月に宿泊に来た龍王峡も過ぎ、川治温泉を過ぎると真っ暗である。こんな中に本当に温泉宿があるのだろうか…また不安になってきたが、平家が落ち延びて暮らしているようなところなのだから、そんなにいきやすい所にあるはずがない。途中、湯西川温泉駅を見て少しほっとしたが、その先の道は街頭一つ無い山道。ちょっと見誤れば谷の底か岩に激突だ。ハイビームだけではなく、ほとんど使ったことが無いフォグランプまで使用して明るくして湯西川温泉があるはずの方向へと走っていく。途中、タヌキやサルに遭遇。普通に道を歩いている。先行する車や対向車が極端に少ないことが私を不安にさせる。しかし、しばらく走っていくと漆黒の闇が嘘であったかのように明るい集落が見えてきた。やった!湯西川温泉到着。

宿泊予定の宿はすぐに見つかった。20:20到着。長かった。そして疲れた…。久しぶりに300kmを越えるドライブをした。部屋に案内されたあと、すぐに風呂に入って床に入った。あっという間に私は深い眠りについた。

沼田から国道120号線を通っていく。周囲の景色があまりに綺麗で、頻繁に休憩を入れては写真ばかり撮っている。恐るべし、日本ロマンチック街道。

さて、私は滝マニアである。草津でも嫗仙の滝を見に行って地獄を見たが、また滝を見つけてしまい、そのまま通り過ぎることが出来なかった。それが片品村へ行く途中にある「吹割の滝」である。
いくつかある無料駐車場(ここは無料と言うのだろうか?ちなみにドライブインでは何も買い物をしていない。つぶれても知ったことではない)に車をおいて、滝を目指す。幸いにして嫗仙の滝のように、地獄のような道を歩かなくては滝が見られないというようなところではなかった。車を止めて、怪電波を発する店を通り過ぎて、ちょっと階段を下りればすぐに滝である。この滝は極端に大きな滝が存在するというより、中くらいの滝がいくつも存在するが、その流れや勢いたるや、中々のものである。特に見事なのが、あらゆる方向から下の川へ流れる滝である。ちょうど滝が流れ込んでいる滝壷辺りは、結構な深さがあるのだろう。
つり橋も二つほどあり、本来であれば遊歩道となっていて一周できるこの滝周辺であるが、冬季閉鎖中とのことで、途中までしか行くことが出来なかった。残念だが、そんなに時間の余裕が無い私にしてみれば、諦めがついて逆に良かったのかもしれない。

予定通り、お昼少し前に沼田入りすることが出来た。
沼田と言えば…戦国脳の私の頭に始めに出てくるのは真田家である(実際には上杉領であったり、北条領であったり、とにかく戦国における激戦区であった事には間違いない)。江戸期に改易され、ずっと真田領だったわけではないのだが、真田昌幸、信之親子が住まい、改築をしたその城跡を見てみたいという思いで、沼田公園に向かった。
沼田公園はをはじめとした花咲き乱れる祭りの真っ最中であった。桜だけではない。チューリップも、パンジーも…しかし平日であるため、子連れの主婦や定年した老夫婦などが多かった。休日であれば、花見で公園中が大変なことになっていたことであろう。

沼田城は1681(天和一)年、真田家四代目「真田信澄」の江戸領国橋材木伐採の遅延と失政を幕府にとがめられ、翌年、幕府の命により城は全て破却された(もったいな過ぎ。当時、関東において五層の天守閣を持つ城は沼田だけだった)。城はなくなったが、樹齢400年を数える「沼田城御殿桜」は今でも健在で、美しい花を咲かせている。城跡からは沼田の街や周囲の山々を見渡せる。この高さでこれだけ周囲が見えるのだから、五層の天守閣があった頃の、天守閣からの眺めはどれほどのものであったか…
そんな歴史に思いをはせ、ぶらぶらしていたら腹が減ってきた。

近くの食堂で焼肉定食(この店、メニューやすすぎ。ラーメン\400。焼肉定食も\700)を食べ、沼田の町を後にした。まだ湯西川への旅はまだ始まったばかりである。

草津ではまだ桜は咲いていなかったが、国道145号線を下ってくると次第に桜の花が見られるようになってきた。これはJR吾妻線の中之条駅であるが、この辺りまで下ってくると、満開である。

誰が名づけたのか知らないが、長野県上田市から軽井沢、草津、中之条、沼田、片品、日光、宇都宮までの国道145号線、120号線を中心とした道路を日本ロマンチック街道と呼んでいる。私が今日、草津から湯西川へ向かうために、この日本ロマンチック街道のほとんどのエリアを通る予定である。走行距離は約200km。昼頃に沼田あたりまで行ければ、17:00頃には湯西川へ到着できるであろう。
ロマンチック街道と言う名前が適切かどうかはわからないが、とにかく綺麗な景色を見ながらドライブが出来るのは事実である。今日のように天気がいい日にこの道路を通れるのは幸せなことなのかもしれない。

草津町内には十数の共同浴場が存在する。私は日々、これにお世話になってきたが、元々は草津町の住民が入るための浴場で、その運営維持費は近所の人々からの出資金で賄われている(もちろん、観光者はその分、草津町で買い物をしたり宿泊をしたりしてお金を落していくわけだが)。また、住民のためということをより強調している浴場では、町民の方のみが入れる時間帯が決まっているところもある。微妙に違う浴場ごとのルールは、浴場内の看板などで確認して欲しい。
さて、全部の共同浴場に入ることは出来なかったものの、私は逗留中に下記の浴場に行った(お金を支払う必要がある浴場は除いています)。
 4/08 煮川の湯
 4/09 長寿の湯
 4/10 白嶺の湯
 4/11 白旗の湯翁の湯
 4/12 地蔵の湯
こうして見ると、意外と行ってないものだなぁ。

で、勝手にランキング、
 3位 長寿の湯:まず出来たばかりで綺麗。浴槽が広く、洗い場もしっかりある。
 2位 地蔵の湯:ここもまだ新しい風呂。目にしみないので、洗顔しやすいのも評価できる。
 1位 翁の湯:利用者があまり多くないのか、あたらしい上に綺麗である。但しトイレが無いので、用を済ませてからくること。
といったところか。また草津に来る機会があったら、他の共同浴場も訪問したい。

実は朝食後から10:00のチェックアウトの間に、朝風呂を外の共同浴場で済ませてきた。草津最後の湯は地蔵の湯である。
地蔵の湯の看板をよく見かけるので、昨日、概観だけでも見に行ってみようと思っていったところ、思いのほか綺麗であったため、長風呂はしない朝湯ならば…と思い、ちょっと急いでいってきた。
新しくなって稼働しだしたのもつい最近のようだ。足湯が堪能できる施設もほぼ完成しており、近いうちに利用可能になるだろう。
地蔵の湯の周りにはお地蔵様地蔵堂が見られる。別名、目洗地蔵とも言うらしい。草津温泉のほとんどの源泉から出る湯は相当目にしみるのだが、どういうわけかこの地蔵の湯(源泉は地蔵源泉)の湯は目にしみることが無かった。これだけ近くの源泉でありながらも、それぞれ効果が違うと言うのは驚きである。

地蔵の湯は白旗の湯と同様に、浴場と脱衣所の境がない。このような感じである。ちなみに、この写真は脱衣所から撮影した。盗難防止という意味では非常に安心できるが、どうも違和感は拭えない。入浴時は私一人であったが、私の前に入っていた方がしっかりと体を拭いてから脱衣所に上がらなかったためか、床がぬれているのが気になった。白旗の湯のように、主がほしい所である(笑)
お湯の温度は他の湯に比べると少しぬるめである。他の湯では湯船の中には3~4分くらいしか居られないが、この湯では5分以上風呂に浸かっていた。ここも木の香りが非常によく、朝のすがすがしい空気を吸いながら、たまらない朝風呂を堪能させてもらった。

ホント、草津から離れたくないなぁ。

今日で7泊8日の草津での湯治も終了である。10年近く前に一度通りかかったきりのこの街をここまで堪能することができて、実に有意義であった。ほとんどの日が天気に恵まれ、移動を徒歩で行っていたために10km近く日々歩いていた。入院していた頃は少し歩くとすぐに疲れが出てしまったが、ここ草津に移ってからはそんなことも無かった。日々の出来事が珍しかったと言うだけではなく、日に三度、草津流の方法で入浴して疲れを取り、薬効成分を体に取り込んだことも少なからず影響していると思う。
今晩からは湯西川温泉でまた7泊8日の湯治続行である。湯西川温泉や周辺の川俣温泉、置く絹温泉は鬼怒川温泉のさらに先にある。こんなド田舎になぜ温泉宿がたくさんあるのか?壇ノ浦の戦いで破れた平家が落ち延びた地の一つがこの地区なのである。集落が形成されたのは、この地が温泉場であることに気づいたからではないのだろうか?実はまだ詳しいことは良くわからないのである。とりあえず、湯西川温泉周辺にはそうした歴史を説明してくれる施設等がたくさんあるということなので、実際に行ってみてからいろいろと調べてみようと思う。

この宿から見る景色も今日が最後である。今日はとても天気に恵まれ、ドライブには絶好の日和である。
お世話になったこの宿も、最初は湯治宿独自のルールを知らないがためにいろいろと不便をしたが、1週間、本当に自分の部屋であるかのごとく使わせてもらった。歩き疲れて帰ってくるとご飯が待っていて、食べ終わった後にその日に撮影した写真を見ながら酒を飲む。風呂に入りたくなれば入る。他の部屋の客も湯治客ばかりなので実に静かであった(ほとんどの方が11時にはもう休んでいたように思う)。
今後、一週間という長さで来る機会がそうそうあるとは思えないが、また来て見たい宿である。

草津最終日もいい天気。いい湯が湧き出しています。

草津で過ごす夜も今晩が最後である。
結局、行くことが出来なかった公共の湯はたくさんあったが、宿に最も近く、何度も前を通っていたにも関わらず入ったことが無かったのがこの翁の湯であった。概観は非常に綺麗で、おそらくまだ新しい浴場なのであろう。宿に近いと言うこともあり、今夜はここに入浴させてもらうことにした。

女湯は電気がついていたが、男湯は電気がついていなったため一瞬焦ったが、単に省エネのために照明を落していると言うだけのことであった。浴場に入ると誰も居ない。まぁ、電気が消えていたくらいだから。
脱衣場も風呂も概観同様新しく、実に気分がいい。ひとつ気になったのは、脱衣場に浴場へ行く扉以外に二つの扉があり、双方とも施錠されていることである。おそらく片方は掃除用具入れか何かだと思うのだが、もう一つの扉はなんだろうか?トイレではないかと思うのだが、なぜ施錠されているのかが理解できない。過去に何かトラブルがあったのだろうか?
この湯には体や頭を洗うための椅子やスペースが多少あり、しかも浴場と脱衣場の間にガラスの窓がある。つまり、入浴しながら、脱衣場にある荷物が盗難にあわないように見ていることができるのだ。結果として私が風呂を出るまで誰も入浴してこなかったのであまり意味はなかったのだが、誰か他にも入浴者が居るような状況であれば非常に安心感がある。浴槽や洗い場、壁は木製で、しかもまだそれほど湯になじんでいない。明るい色のままである。木のいい香りがする。長寿の湯もイイ湯であったが、今のところ、無料の公共浴場ではここが最高だ。
なお、他の湯でもそうだが駐車場は無い(近辺に住んでいる人たちが管理し、入浴することを前提として共同浴場は作られているため、遠くから来るための手段になる車を置く場所は提供しないようである。理解できる話だ)。歩いてくるようにしましょう。

雨で外気温が下がっているせいか、いつも以上に煙を上げている湯畑。

おそらく湯畑から一番近く、しかも近くに駐車場があるので、素人観光客が何も知らずにやって来るであろう草津公共の湯No.1がこの白旗の湯であろう。源頼朝が巻狩中に発見し、入浴したと言われてる。昔は「御座の湯」との名であったが、一昨日のブログに書いた湯之澤部落の問題から改名し、現在の白旗の湯の名になった。白旗は源氏が合戦の際に用いていた旗で、降参の意味ではない(まだ源平合戦があった頃、そういう意味で白旗は使われていたのだろうか?)ちなみに、平家は赤旗を使っていた。

湯の話とは関係ないのだが、私は源氏の血をひくものである(おそらく、私のような血筋の方は、世の中に相当居ると思うが)。元々は三浦半島で三浦という姓を名乗っていたが、北条早雲の伊豆攻めに敗れ、岩代まで逃れて別姓を名乗った。
源頼朝という人は思慮深すぎて実はあまり好きではないのだが、そういう個人的な思いは抜きにして、草津来訪記念としてこの湯に入ることにした。

白旗の湯は脱衣場と浴場の境目に扉などが無い。なので、盗難の心配も少ない。それでも心配であれば、入り口にあるコインロッカーに貴重品は入れておけばいいだろう。また、公共の湯にしては珍しく、浴槽が二つある。片方は比較的透明で高温の湯であり、もう片方は白濁した少しぬるめの湯である。
例によって局部を洗った後に草津流湯浴びを20回ほどして、体が湯の熱さになじんだところで透明な湯のほうに入ったが
 「ギャー!」
かなり熱い。地元の方に
 「あちらの湯のほうがぬるめで良いですよ」
とアドバイスを頂く。確かに、白濁したほうが湯温がだいぶ低い。いくらなんでも、湯温の差がありすぎるのではないかと思う。ぬるめの湯に4分ほど入り、少し体の熱を逃がしてから、透明な湯のほうに再チャレンジ。熱い…が何とか入れる。湯の中で体を動かすと、猛烈な熱さが感じられる。私には1分間が限界であった。再度、白濁の湯に3分入り、タオルで体を拭いて脱衣所へ。湯船と脱衣所の境は階段1段だけなので、しっかりと体を拭いて脱衣所に行かないと脱衣所の下が水浸しになってしまう。こ「風呂から出る前にしっかりと体を拭く」という行為は、どの湯に言っても共通な重要ルールである。そのため、フェイスタオルや手ぬぐいは必須である。
これをせずに上がろうとした若者が3人ほど居たが、地元の人(主と呼ぼう)に激しく注意されていた。近所の旅館の浴衣を着ていたところを見ると、初の公共の湯だったようだ。他でも同じようにルールを守ってほしいものである。

私が脱衣場で着替えているとき、もっと凄い若者3人が入ってきた。おそらく年のころは18才前後であろうか?よりによって、バスタオルもフェイスタオルも持たずに風呂に入ってきたのである。服を脱いで湯のほうに行こうとしたときに主から
 主:「兄ちゃんたち、タオル持たないで風呂入っちゃいけないよ。脱衣所に戻るときに体拭くんだから。持ってないの?」
若者:「持ってないです」
 主:「じゃあ、バスタオルは?」
若者:「それも持ってないです」
って、おい!彼らは風呂に入った体をどうやって拭こうとしていたのだろうか?私と同じように脱衣所に居た60才を過ぎたくらいのおじさんに
「ここは地元の人たちが管理している湯だから、私達旅行客は湯を借りているんだよ。私も同じだ。だから、地元の人の迷惑にならないように、遠慮しながら入らなくちゃいけないよ。誰か外に出て、近くの売店でタオルを買ってくるといい。」
と諭されていた。全くその通りである。こういう台詞は、私のような年齢の人間が言ったのでは角が立つ。おじさん、実にうまい説得であった。一人の若者が買い物に出た。ちゃんと湯に入るときに局部は洗っただろうか?かけ湯はしただろうか?主に色々と言われていそうだなぁ。

風呂を上がると夕食の時間まで一時間半ほど時間があった。草津バスターミナルに町営の図書館がある。ここですこし一時間程時間をつぶす。場所がら、栗生楽泉園関連の書籍が多く、強制隔離された方の詩集が置いてあったのでそれを読んでいた。あまりに悲しい詩ばかりで泣けてきた。

比較的規模が大きい温泉場だと未だにあるんだなぁ、ストリップ劇場。営業しているのは夜だけのようだが、あまり人が入っているような様子はない。昔はいろいろな意味で(笑)ありがたかったのだろうが(観音様とか言われていたんでしょ?バチ当りだなぁ)最近はネットでどんなものでも見られてしまうのであまりありがたみも無いことだろう。私も過去に一度だけ、19才の時にストリップ劇場に行ってみた事がある。しかも、学割きかせて(笑…なんで学割がきくんだろうか?)ちょっと安くしてみたが、会場の熱気、そして繰り広げられる変なイベントに驚かされたことがある。社会勉強のために、一度くらいは行ってみてもいいのかもしれない。

温泉場と言えば、秘宝館も忘れることが出来ない。草津のどこかにあるらしいが、よく調べていないので判らない。ある公共の湯で、若者がこの秘宝館の話をしていた
 「秘宝館に行くと、秘宝館のおばちゃんに自分のモノがどの程度か触られるらしいぜ。」
 「うわー、恐えぇ」
確かに恐い。
 「君のは猿なみだねぇ…君のは犬かねぇ?」
とか言われるのだろうか?男一人で秘宝館。全く行く気になりません。

草津に来て、初めての完全なる雨模様。私が泊まっている宿では昼食は出ないため、どこか外に外出して食べに行かなくてはならない。
ラコンテ」という気になる店があったのだが、ここはメインは喫茶店。喫茶店の昼食は私の胃袋にとってはとてもでないが足りない。お茶を飲みに来る機会くらい作ればよかった。
そこで、昼食をとろうとまず向かった店は、草津温泉バスターミナル周辺の定食屋。草津における食べ物対価格は湯畑から遠のくにつれて安くなっていく。ここは比較的湯畑に近いが、定食屋だし…と、店頭のメニューを見たら平均\1,500もするし…そんな高い飯はちょっと食えないなぁ。今日がもし雨でなければ、弁当やで弁当でも買い、頌徳公園のベンチで食べてもいいかなと思ったが、それも出来ないし…そしてここから、私の昼食を求める路頭のたびが始まる。
 1.ラーメンつぎ→都合によりお休みとさせていただきますとのこと。
 2.とんかつ とん香→貸切のためか?本日閉店。
 3.食事ところおふくろ→本日定休日。
 4.うし代亭→つぶれてた。
 5.豊作→本日定休日。
3km位、この時点で歩かされており、もううんざり。
どうやら観光が最大の収入源である草津町の多くの店では、水曜日定休の飲食店が多いようである。路頭に迷っていたところ、食堂をすずらん通りで見つけが。見かけがちょっと???って感じだが、もう腹が減って歩く気力が無い。この店にて食事をとることにした。
カツ丼がウリの店らしいが、カツ重を先日食べたばかりなので敢えてそれは避け、このところ野菜が足りていない気がしたので、野菜炒めかニラレバ炒めかで悩む。結局後者を選択する。ニラレバ炒めで\800と言うのは、他の地区で食べることを考えるとちょっと高い気がするが、草津価格では安い方だろう。一番最初に行った店の約半額で飯を食べているのだから。
大しておいしくはなかったが、野菜を取ることができたので良かったとしよう。食べ終わった時点で既に14:30をまわっていた。今日は一日、何も出来そうも無いなぁ。

昨日に引き続いて、また西の河原露天風呂へやってきた。あんな経験をしてしまうと…やめられませんなぁ。昨日に比べると気温は高いが風が少々強い。だが、天気がいいうちに少しでも極楽気分を味わっておきたいものである。

浴場に向かうとなんと、今日は客が一人も居ない。完全に150坪露天風呂完全占有である。
温泉だけあって、普通の湯よりも体が暖まりやすく、湯冷めしにくい。風が強いため、湯気がブリザードのようにも見える。今日は昨日に比べると空に雲が多いせいか、昨日見えた二等星クラスの星は姿をけした。かろうじて、北斗七星を確認することが出来た。

昨日と同様に、体が暖まってくると横になれるところで湯につかりながらゴロゴロと寝転ぶ。空を見て、湯気を見て、今日あった出来事を振り返る。やりきれない気持ちが否めない。かといって、既に過ぎてしまった事に対して何ができると言うのだろうか。謝罪を受けたところで過去は返って来ないのだ。
昨日よりも、星空に集中できない自分が居た。5/11から5/13にかけて、草津市でハンセン病に関するセミナーがある。4/11ならば出席しただろうが…実際に栗生楽泉園で、悪名高い重監房に関する説明などが聞けるそうである。
そんなことを考えていたら、入浴終了時間である8時になった。風呂をでて、空を見ながら西の河原を歩いた。照明が少ないせいか、浴場よりも多くの星を見ることが出来た。

相変わらず、いい湯出してます。平日でも、天気がよければ客足は減らないようで。

白嶺の湯を出て、湯畑方面に歩いていこうとしたら、駐車場界隈で猫が3匹、猫会議をしていた(猫が多い地域でよく見られる光景だが、何を話し合っているのだろうか?)。三毛、サビ、しろの3匹だが、しろい猫だけ極端にでかい。毛並みも悪い。そして、顔も悪い(笑)。三毛は半野良ねこなのではないかと思う。目ヤニが多かったが、毛並みがいいし、あまり人に対して警戒心を抱かない。近づいて喉をさわると「ゴロゴロ…」と喉を鳴らすものの「ハッ!」と我に返って「人間にこんなことをされて喜んではいけないわ」と、少しだけ離れる。また私が三毛に寄っていって頭を撫でると「ゴロゴロ…」、「ハっ?」
私は危害は加えないよ…といっても、危害を加える人間も居るから、あんまり油断しまくるのも考えもの。このくらいがイイのかもね。
しろ猫と三毛猫は仲良しらしく、二匹で一緒にくっついていたが、しろねこの汚れがひどいので、あんまり近づくとノミなどがうつるのでは…とちょっと心配。
最近、数が少なくなったと言われている三毛猫だが、やはり一番和猫の中では可愛いと思う。この子もかわいくありませんか?

ここも草津市が提供している公共の温泉浴場である。栗生楽泉園へは、草津市街から約3km程歩かなくてはならない。その往復と栗生楽泉院内での3時間の徒歩見学で足がガクガクに疲れてしまった。今日は15km以上歩いただろう。ちょうど湯畑方面へすずらん通りを歩いていく途中にあるので、この湯に寄ってみることにした。
長寿の湯のようにとても綺麗なわけではなく、煮川の湯のようにノスタルジックな木の作りなわけでもない。通り道と言う理由でこの湯を選んだが、あまり綺麗な浴場ではなかった。唯一良かったのは、私以外、男湯に誰も入ってこなかったことである。おかげで、物品盗難の心配をすることなく、ゆるりと風呂に入ることが出来た。もうすぐ夕食の時間だが、体は妙に甘いものを欲している。また温泉饅頭屋が軒を連ねているエリアを歩いて、試食の饅頭でも食いながら帰ろうと思う。

コンウォール・リー女史の墓所からさらに六合村方面へ歩き、草津町と六合村のぎりぎり境辺りにある国立療養所栗生楽泉園。火葬場や斎場、霊園は忌諱される傾向があり、一般的に街のはずれに作られるが、それよりも外れたところに栗生楽泉園はある。湯之澤部落、リー女史、ハンセン病と色々なことが交錯する中で、今、草津にいる私はここを訪れるべきなのではないかと思うようになった。2001年5月11日の「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟のニュースでは、正直、この問題の本質を私は全く知らなかった。どんな苦しみがあり、国はどんな政策をハンセン病患者にしてきたのか、あの報道だけでは判らなかった。だが、それがどんなに苦しい闘いであったかが今、おぼろげながらに見えてきた。
一番の心配は、栗生楽泉院が見学を受け入れてくれるかどうかということだった。栗生楽泉園近辺にある公務員宿舎地区には、関係者以外立ち入り禁止の看板が掲げられている。となれば、栗生楽泉園はもっと厳しい立ち入り禁止礼が布かれているであろうことは容易に予想できる。しかし、行ってみない事にははじまらない。ノンアポというのもどうなのかと思ったが、アポイントメントをとる段階で拒否されてしまい、それで終わってしまうことはなんとしても避けたかったため、直接足を運んだ。

栗生楽泉園の入り口を過ぎると、すぐに音楽が聞こえてくる。音楽はこのような機械から発せられており、写真のように像が上に載っているもの、スピーカーの下に詩が入っているものもある。これは、全盲になってしまった患者がどこに居るのかを音楽や声にて知らせるためのもので、施設内のいたるところに設置されている。ハンセン病に対する適切な治療が施されなかった結果が、全盲の患者を多く生んだ。
栗生楽泉園から見える周囲の景色は見事なものである。訪問した当日は非常に天気がよく、遠くの山々の稜線がくっきりと見えてとても美しかった。このように人里はなれたところであるから見られる景色であるが、それだけ自然環境も厳しかったという事実を忘れてはならない。
しばらく歩いていくと中央会館という施設にたどり着き、そこで栗生楽泉園の全体図を見ることが出来た。昨日のブログにも書いたが、他の国立療養所に対し、草津の栗生楽泉院の特徴として上げられる点に、自由に自分の家を立てることが出来たことが挙げられる。花ヶ岡より右のエリアには、資力がある程度ある方が作った家が点在している。しかし、一般的な家に比べれば非常に小さなもので、全て同じようなつくりになっていた。
まず中央会館の中に入り、施設の方に話しかけて見学の許可をお願いした。担当外の方に聞いてしまったためしばらく待たされたが、見学の動機等を説明したところ、人物の撮影を行わないことと、生活の邪魔になるようなことはしないことを条件に見学の許可を頂いた。

栗生楽泉園の中には、様々な宗教施設がある。宗教は倫理観だけではなく、人に生きる希望を与える。苦しい環境の中、「我、何故ここにある?」と思うことは健康な人であってもあるのではないだろうか?中央会館に一番近い宗教施設は浄土真宗の施設であった。悪人であろうと善人であろうと、死した後は極楽浄土へ旅立つことが出来ると説いたこの教えは、不本意にも自己嫌悪に陥ったハンセン病患者を多く救ったのではないかと思う。この施設の前には「人は人に会うためこの世に生まれてくる」と書かれている。人は人との関係の中でしか生きていくことは出来ない。だからこそ、自分と同様に他人も尊重することが必要である。
浄土真宗の施設の近くにあった音楽が流れる塔に、次のような詩が書かれていた。
別離の夜 父は榾焚き 母は茶を
療養所で暮らすこととなり、家族の戸籍から自分が外されると言うことも少なくは無かったという。どんなに離れていても、父母のことは死ぬまで忘れることは出来ないだろう。父母と過ごした最後の日、何をしたか。平凡だったが、最後の平凡だったかもしれない。そして、父母に二度と会えなくなっても、その平凡だった日の事を忘れることは無いだろう。この詩を見て、涙がにじんだ。
栗生楽泉園の中は、このような細い道路が縦横無尽に走っている。細い道のため、ほとんどが一方通行である。しばらく歩いていくと、聖公会堂という教会にたどり着いた。私はこの中に入れてもらい、神父から様々な話を聞いた。
一つは、堕胎と断種のことであった。ハンセン病患者を療養施設に半ば閉じ込めるため、実際には感染力が高くは無いこの病気を高い感染力を持つ病気と偽って報じ、さらには遺伝するとも知らしめた。実際に遺伝は無く、幼児期の両親との密接な関係の中で感染してしまう場合があるということ、そして成人すれば感染する確率は非常に少ないと言うのが現在の常識となっている。
療養所で生活する中でも男女の交流があり、結婚も許されていた。しかし、生まれてくる子供がハンセン病を遺伝して生まれてくるという理由から、結婚のためには男性は断種を強要された。また、仮に子供ができたとしてもその子供を出産させることは許されなかった。全て堕胎させられた。こんなことがあったと言う。もう中絶による堕胎が出来る段階ではなく、子供が生まれたことがあった。その子の父は生まれたてのその子を数秒間抱いた。だが、その直後、その子は殺されたと言う。そんな残酷なことがあるのだろうか?
神父はこんな話もしてくれた。草津に限らず療養所が出来た当時、患者の面倒は患者が見るというシステムになっていた。草津の冬は寒い。雪かきから薪割りまで、全てハンセン病患者が行っていた。ハンセン病の症状は、このような強制労働によって末端神経から冒されていき、手や足の触覚が無くなったり、指がもげてしまったりしたと言う。高齢のハンセン病患者の手や足の指が無かったりするのは、これらのためであることが多かった。また、適切な治療がなされなかったために失明する患者が後を立たなかったという。栗生楽泉園の中に、音が出る塔がたくさんあるのは、失明してしまった方のためである。視覚を失った人は点字で文字を読む。しかし、手の指や感触がなくなってしまった患者には点字を読むことも出来ない。しかし、彼らは文字を読む方法を持っているのである。どこで読むのか、それは舌である。舌は指に匹敵するほど感覚が敏感であり、点字の判別も可能だという。しかし、舌は指先ほど丈夫ではない。そのため、舌による点字読解のために、多くの人が舌を血だらけにして学習したと言う。人の信念というものを改めて知らされた。自分がハンセン病患者であったとして、そこまでのことが出来るだろうか?
私は教会の祭壇に祈りをささげ、神父に礼を言い教会を去った。
他にも真言宗天理教の施設もあり、これらも見学させていただいた。

栗生楽泉園を草津の地に作った理由として、湯之澤部落の方々が利用していた草津の湯が引ける位置にあることが一つの大きな理由としてなっている。よって、栗生楽泉園の中にも草津の街中のように温泉に入れる公共浴場がいくつか存在する。しかし、このように清潔な状態が維持されているとはいい難い。これについては、順次工事を行って居る途中のようで新しくきれいで、バリアフリーなものに次第に変わっていくのだろう。

草津はまだ肌寒く、桜の季節にはなっていなかったが、植物が大変多く育てられていたのが印象的だった。もう少し陽気がよくなれば、園内の至る所で美しい花を見ることが出来るようになるだろう。草花が栗生楽泉園に住んでいる皆さんの心を穏やかにしてくれるであろう。

施設内で私が一番驚かされ、印象に残っているのは、やはり納骨堂である。以前は火葬も栗生楽泉園の中で行っていたそうだが、現在では隣接する草津町の火葬場を使用しているとのことである。納骨堂に残る骨のほとんどは、引き取り手がなくなった骨ばかりである。昔、ハンセン病が強い感染性を持つと信じられていた頃、病気を理由に親類縁者の縁を切られた人は少なくない。そうした「どこにも行くところが無い」遺骨が1,800あまりここに収められているという。そして、この納骨堂の前にある石碑にはこのような痛烈な言葉が残されている。
命 カエシテ
ハンセン病患者であると言うだけで、人ではないような扱いを受けて、つらい生活を余儀なくされた人。元気に生まれて来れたのに、遺伝を理由に殺された赤ん坊。重監房という施設に冤罪で入れられて、零下20℃の中で凍死された方。人間としてもって然るべき権利を奪われた人たちの悲痛な言葉である。この言葉はとても重く私には感じられた。

ところで、比較的症状が重い方が集中している第一センターでは、古い部屋が壊され、新しい部屋が急ピッチで作られているようだ。おそらくどの市区町村にもあるのではないかと思われるような平屋の住宅なのだが、老朽化対策だけではなく、バリアフリー化も含めた工事なのであろう。
裁判では「らい予防法」が違憲とされたが、草津を訪れる前の私のように、どのような裁判だったのかを正しく理解されたとはとてもいい難い。そして家族も年老い、戻るべき場所が無くなってしまった人がここにはたくさんいるからこのような工事がさらに必要なのだろう。

3時間ほど栗生楽泉園を歩いて、多くの施設や石碑、草花、詩を見た。国の無策の恐るべき結果を知り、草津市街へと徒歩で戻った。

昨日のブログにて、湯之澤部落のハンセン病患者のために私財をなげうって病院や教会をはじめとした施設を作り、大変な功績を残したコンウォール・リー女史の事を記載した。彼女は兵庫県の明石市にて1941(昭和16)年12月18日に亡くなった。彼女の遺骨は遺言どおりにハンセン病者と共に聖バルナバ教会納骨堂に納められた。その納骨堂は、すずらん通りを六合村方面に歩いていき、公共浴場「こぶしの湯」からしばらく歩いた辺りにある(斎場の手前辺りである)。
敢えて個人としてではなく、多くのハンセン病患者と共に共同納骨堂に入ったリー女史は、なぜここまで彼らに対して親身になり、これだけのことが出来たのであろうか?人が何故生まれ、何故生き、何故死んでいくのか、その過程が人によって何故これほどまでに違うのか?ハンセン病患者はつらい、つらい人生であったと思うが、草津の地に来てこれだけ私と言う人間にそのことを考えさせてくれただけでも、私からすれば非常に大きな経験であり、感謝したいと思う。
私はなれぬ手で、十字をきってここを去った。

群馬県ローカルの新聞は上毛新聞と言う新聞らしい。ASPENに置かれていたので何気に見てみたところ、地元の話題が満載であった。さすが地元紙。
気絶しそうになったのはテレビ欄。群馬県のローカルテレビ局「群馬テレビ」でゴールデンタイムの20:00に放映されている番組がなんと!「必殺仕業人」(笑)。しかも今日は必殺シリーズのなかでも「でかい金が動く仕事は失敗する」という王道を作った作品「あんたこの五百両をどう思う」である。私はこの話のビデオまで持っているので別に見はしなかったが、ゴールデンタイムに仕業人とは、テレビ埼玉を上回る無謀さと言わざるえないだろう。
テレビ埼玉では現在「暗闇仕留人」が放映されているが、そろそろ終わりそうな時期である。次は「必殺必中仕事屋稼業」が放映されるのであろうか?とても気になる。

朝も昼も夜も和食ばかり食べている。私は和食が好きなのだ。
というか、どうもこの草津には和食の店が多い。宿で和食を食わされているのだから洋食の需要がもっとあってもいいような気がするのだが、あまり店は無い。ここはピザ、パスタを専門とするイタリアンのお店。ボサノバがかかっている店内に入ると、草津では無いところに居るような雰囲気になる。
私は猛烈にピザが食べたかった。好みなのは生地が薄いものだが、この際もう、どうでもいい。ということで、草津の中でも数少ないイタリアンの店からASPENを選び、ミックスピザとサラダを注文する。コーヒーつきで\900前後であったと思う。ピザの直径は20cmで、別に特別大きいわけではない。この日の朝食はシュウマイが3つに温泉卵と何かと…比較的おかずが少なかったからこの大きさで胃が満たされるかどうかちょっと心配ではあったが、食べてみると意外とお腹がふくれた。そして、久しぶりに飲む、まともなコーヒー。なにせ、緑茶ばかり飲んでいましたからね。
ちょうど私がピザを食べているとき、60才前後の男性客がやってきて、昼間から赤ワインをあおりながらチーズを食べていた。もうリタイアされた方なのだろうか?リタイアして草津で昼間からワイン…何だかうらやましかったなぁ。

「街の酒屋さん」と名前がつけられた、これと同じ形の酒類の自動販売機を草津市内何ヶ所かで見かけた。特徴は「成年であることを証明する機能がついている」ことである。証明のための方法は二つ、一つは免許書を自販機に挿入し、OCRで生年月日を自動的に読み取り判断する方法。これは自動である。もう一つは、直接カメラ表示機能があるインターフォンで客とやり取りをするという方法である。
前者は、誰か仲間に成年が居れば簡単に購入できるし、後者も成年か未成年かを見分ける基準のようなものが明確に存在するとも思えないので、実際どれほど機能しているのかはよくわからない。いずれにしても、条例か何かで「酒類の自動販売機に未成年者かどうか確認をする機能をつけること」みたいなことが可決されてしまい、仕方が無く導入されたようなものなのではないかと思う。
10才が飲酒してはまずいと思うが、18才の飲酒などどうでもいいような気がするのは、私だけだろうか?


ちなみに、全てではないが草津町の郵便ポストの多くがこの丸型の懐かしいものである。温泉場なので、おそらく耐腐食のためではないかと思うのだが(今の四角いのはステンレス製?錆びない?むしろ古いこの形のほうが錆びるか?)街の景観に合わせてなのかもしれない。
ちなみに集荷は、このポストの場合は日に2回くらい。草津のポストに投函した郵便物は、他の地域からのものよりも時間がかかるかもしれない。

今晩は天気が良い。空を見上げれば星が瞬いている。
この星空を見上げながら露天風呂に入れたら最高だろうなぁ…と思い、食後に西の河原露天風呂へ行くことにする。行ってみると客は一人。しかも、脱衣所近くの明るいところで本を読みながら入浴している。これはこれで幸せそうな入浴である。
私は草津町民ではないので、入浴のために\500支払う必要があるが、草津市民は無料だったか、もっと安い値段では入れると聞いた。本当だろうか?もしそれが本当ならば、今日のように晴れ渡った日に露天風呂に来ないと言うのはもったいなすぎるように思える。
露天風呂の中には、上半身だけ出せる椅子や、お湯が3cmほど張られる高さにしてあるところがある。ここはちょうど体の表面だけをお湯につけ、寝ながら風呂に入ることができる。ちょうど耳には入らないくらいのお湯の深さだ。お湯の温かさと湯気のおかげで、おそらく気温は3℃位であろうが、そこまで寒く感じることは無かった。

入浴したのは18:30頃。それから段々と暗くなり、空には満天の星が見える。ここは標高1200m。空気も非常に澄んでいる。私は星に詳しくないので「アレが何座で…」みたいな、ちょっとかっこいい台詞を言うことは出来ないが、北斗七星くらいは分かった。流れ星もいくつか見える。流れ星に願いを込めるというのは、ほんの一瞬しか時間が無いため、不可能なのではないかと思う。19:00頃、読書していた客も帰った。完全に私占有露天風呂と化した。いやぁ、すばらしいなぁ。こんな幸せなことをこんな若いうちから体感しちゃっていいのかしら?明日にでもぽっくり死ぬんじゃないかと思うほどであった。
「バシャバシャバシャ!」
「誰だ?」
「熊ですよ」
こんな出来事があっても全くおかしくは無い。動物来ないかなぁと少し期待したが、来なかった。熊は来ないで欲しかったが。
夏は夏で楽しそうだが、虫が大量に発生しそうでそれはそれで何だかちょっと嫌な感じである。
営業時間の最後20:00まで、ゴロゴロとお湯の中で寝転びながら、夜空を堪能した。

本当にたまらなかったなぁ。

昨日までは全く目に入らなかったのに、ハンセン病のことを知ったら急にこのポスターが目に入るようになった。
街中の至る所に張ってあるだけではなく、公共浴場には確実に張ってある。
これが5月ではなく、4月なら前夜祭位には出席したのだが…さすがに行くことは出来ない。残念である。

私のような知識の浅い者が本来述べるべきことでは無い問題なのかもしれないが、今日、行ってきた頌徳公園聖バルバナ教会、草津新四国八十八ヶ所霊場を巡り、草津の暗い過去を1つ知った。

先日も述べたが、草津の湯は酸性度が高く、特に殺菌効果が高い。皮膚病に特に効果が高いとされて、ハンセン病もその例外ではなかった。
湯畑の近くに「白旗の湯」と呼ばれる公衆浴場がある。この湯は1197年に源頼朝が浅間山麓で巻狩をした時に頼朝が発見し、入浴したと言う伝説が残っている。そのとき頼朝が座った盤石を「御座の石」、そしてそこから湧き出る湯を「御座の湯」と呼んだという。元禄年間に書かれたという「吾妻郡略記」には庶民が利用した共同浴場5湯が記されており、そのうち特に「御座の湯」がハンセン病に効能があるとされていたという。
明治時代に襲った草津の大火事後の集客運動や草津の湯の治療効果を世に知らしめたベルツ博士の論文の効果もあり、草津の湯の効用が公になるにつれ、次第にハンセン病患者が草津に逗留するようになった。だが、ハンセン病は視覚的に人を驚かせてしまう一面もあることから、病者湯治客は「裏壷の客」と呼ばれていたそうである。「裏」とは宿の「裏口」を指し、「壷」とは「人目につかないような屋根裏部屋や物置部屋」を指す。さらに、入浴も人目につかない夜中に限定されていた。
まだハンセン病に対する特効薬もまだ無い状況で、ハンセン病患者の方々は藁にもすがる思いで草津に多くのハンセン病患者が集まりだしてきた頃、草津の行政では「ハンセン病者が温泉街に居住・逗留することは草津発展の妨げとなる」という意見が強まりだした。そこで1886(明治19)年に角田浩平草津戸長は「草津温泉改良会」という組織を結成し、草津中心部からのハンセン病者の追放を開始する。その具体的な内容は、ハンセン病者が居住・逗留する場所を湯之澤と呼ばれる地区に移し、そこに湧いていた「白須の湯」を利用させると言うものであった。湯之澤部落は、私が4/6に訪れた町営の「大滝乃湯」がある場所で、今となってはこのような施設が出来たことで発展を遂げたものの、当時は熊笹が覆う湯川の谷間で、ハンセン病者の遺体が投げ捨てられることもあったため「骨ヶ原」、「投げ捨ての谷」等と呼ばれていた場所だったという。さらに、ハンセン病に対して高い効果を期待されていた「御座の湯」をこの地区からでは利用できないため、ハンセン病患者はこの計画に大きく反対したという。
しかしこの分離政策は強行され、1887(明治20)年春、湯畑近くのの「御座の湯」の浴場がまず取り壊されることになる。そしてここを源氏が使う白旗にちなんで「白旗の湯」と改名し、湯之澤部落の「白須の湯」を「御座の湯」と呼ぶようにしたと言う。湯畑と湯之澤では源泉が異なるため、全く違う湯であるにも関わらず、とりあえず名前だけでも解決させたと言う格好である。(なお、御座の湯は湯之澤部落消滅後、現在の大滝乃湯に変わっている)
湯の改名と同時にハンセン病患者の住居だけではなく、ハンセン病者抜けの旅館「浜名館」、「成沢屋」などが移転し、30名ほどの人々が住む湯之澤部落が形成され、その人口は年々増し、1915(大正4)年には372名、1930(昭和5)年には草津全人口の34%にあたる221世帯、803名がここに住んだという。
なお、湯之澤部落にはハンセン病患者だけが住んでいたわけではない。その比率はハンセン病患者3に対し健康者は2といった割合であり、病者と共に暮らす近親者や子供も住んでいた。そして、湯之澤部落に住む大部分の人々は生業を営み、生計を立てていた。大工や建具職、豆腐屋、洋品店などの商店、飲食店、質屋、そして郵便局や小学校などの公共施設もあり、働いていない方は病状がひどくなった方ばかりである。
草津町の中で健康者が住む地域を上町、湯之澤部落を下町と別称し、その境には門柱が設置されていた。建前としてはハンセン病者はここから外には出ないことになっていたが、実際には自由な往来があり、お互いに物を売り歩いたり働いたりしていた。

当時ハンセン病を患うということは、患者はもちろん、親類縁者にとっても非常に衝撃の大きなことであった(身内にハンセン病者が居るために、離縁されたり、地域社会と接することが困難になるなど、そのような例は枚挙に暇が無い)。そのため、親類としての縁を切られるようなこともしばしばあったと言う。その中でも比較的資力がある家庭でハンセン病になってしまった方は草津のような湯治場に住んだり、逗留することができた。逆にそのような余裕が無い場合は、四国八十八箇所や熊本本妙寺周辺に集まって、御仏にすがって命を永らえることを祈るしかなかったという。

さて、湯之澤部落の人口の増大と共に、当初は家族的小集落であった湯之澤も、博打・殺傷・淫蕩などの問題を抱えるようになった。不治の病とされたハンセン病に効果があると藁をもつかむ思いで湯之澤部落へやってきたものの、病状は思ったように好転せず、財産を使い果たし、多くの患者の心は荒廃していた。明日へも知れぬ自らの身を考えると、自暴自棄になってしまうことも十分に考えられる。自殺者が日々絶えなかったという。また、家屋の予想以上の増大により、上町と軒を連ねるようになり、上町とのトラブルも発生しだした。これらの問題を抱えた明治30年頃を「湯之澤暗黒時代」と草津の人は呼んでいる。
そこで草津市は明治41年に「癩予防法」が発布されたこともあり、「癩村移転事業調査委員会」を設置し、草津町からのハンセン病者排除を始めた。そして明治43年、湯之澤の住人を草津町から3キロほど離れた滝尻が原の国有地に移すことを求める「湯之澤癩部落移転請願書」を群馬県知事に提出する。しかし、この計画の根底には邪魔なものは遠ざけるという目的が明白であり、湯之澤に移ったにも関わらず再度移転計画であったため、湯之澤部落の住人は移転反対の請願書を内務大臣に提出、これを強行すれば不穏な事態を招きかねないと政府は判断し、再考の結果、この時点でのこの計画は頓挫することになる。
しかし大正4年、国レベルでの湯之澤の将来を決定付ける動きが現れる。政府は、ハンセン病政策に関する諮問機関として組織した保健衛生調査会の諮問のもとに、療養する資力の無いハンセン病者を府県立療養所に収容する一方、資力のあるハンセン病者のために自由療養地を設置知ることを決定する。これに対し、湯之澤区長高田氏は政府が湯之澤を自由療養地として正式に認めることを議会に建議したが、政府は資力のあるハンセン病患者の療養施設については自由療養地の必要を認めていること、自由療養地としては気候が温和で周囲に病気が伝播する危険が無く、物資の供給が潤沢で、生活費の高くないことを条件に候補地を調査していること、この条件に照らすと草津は自由療養地としては適さないと考えるという見解を示す。

この頃、別な方面からも湯之澤部落を支援する動きが現れる。イギリスからやってきた51才のキリスト教伝道者コンウォール・リー女史が1916(大正5)年に湯之澤部落に赴いた。リー女史は湯之澤部落における「希望」を見出せない状況を目の当たりにし、私財をなげうって「聖・バルナバミッション」と呼ばれる病者救済事業を開始した。女史はまず、現存する聖バルナバ教会を設立し(教会の中はこのようにこじんまりとしている)、次に女子ホーム、男子ホームなどの生活のための施設を設置した。これらのホームでは多いときで300名のハンセン病者が生活し、聖バルナバ教会の信者も500名に達したと言う。

このように急激な改宗の中で、また別な問題が発生した。湯之澤部落の大師講信者が護持していた大師像を湯川に投げ捨てようとした。大師講信者が何とかそれを制し、落合の山林中に小堂を建立して安置、教会所を開いた。それがこの建物である。この建物の周りに四国八十八ヶ所霊場を巡礼し、礼所の土を1すくいづつ奉持して帰ってきた。湯之澤の信者、草津町の篤志、またそのほかの篤志が一体づつ寄進した八十八対の石仏の下に、奉持した聖地の土を埋没し、草津新四国八十八ヶ所霊場が出来た。八十八個あるので手間はかかるが、全てを拝んできた。しかし、霊場の場所が熱帯植物園の裏側で、熱帯植物園で飼われている動物の糞尿の匂いが充満し、ひどい状況である。また、石仏やお供え物の陶器が破損している状況である。人があまり訪れている様子も感じられない。ちょっとひどい状況であるように思う。

その後の湯之澤部落についてだが、大正15年当時の群馬県知事である牛塚虎太郎氏は第51帝国会議に「草津温泉付近ニ国費ヲ以テ癩病者収容部落建設ノ件」という請願を行っている。この請願の要旨を述べると、「草津町には草津温泉を慕って全国から集まる患者が湯之澤という部落を形成しているが、湯之澤は従来の草津町に接近しているので病毒が伝播する心配がある。また、湯之澤は非常に住まい地域であるから年々増加する患者は付近に散在する傾向があり、これを放任すると予防上危険であうえ草津町の反映を妨害する恐れがある。そこで、国費で草津温泉を利用できる知識に患者を収容することを請願する」というものである。帝国議会衆議院はこの請願を受理し、政府は湯之澤部落移転を正式に閣議決定する。
昭和4年、内務大臣安達謙蔵氏が移転候補地の視察のため草津を訪問し、これをもとに政府は昭和5年の第59帝国議会に「草津癩療養地区設定費予算」を要求する。予算請求に当たっての政府説明の概略は次の通り。
「昭和5年の全国一斉調査によれば患者の概数は14,000余人である。これには軽症者は含まれていない。療養の道を持たずまた救護する者のいない患者の収容施設としては全国5ヵ所の道府県立療養所と昭和6年完成予定の国立長島愛生園があるが、これらによって確保される病床数は4,000床にすぎない。このため多数の患者が或は諸国を流浪し或は自宅にこもって不完全な治療に甘んじ、甚だしい場合は全くなんらの治療も講ずることもない状態にある。草津町の湯之澤は健康者居住地と近接し、患者も自由に往来しているので予防上看過しえない状態にありながら戸口は増加している。その大きな原因は資力ある患者の収容施設が欠如しているからである。草津温泉を導引できる地域に療養所を中心とする療養地区を設定すれば、資力のない患者を収容することはもちろんのこと、資力ある患者に対しても、この地区への往来を督励することによって、湯之澤部落は自然に消滅するであろう。しかし、このような施設を確保するには土地の買収、住宅の建築、道路の築道…など、仮に300人分の施設を講ずるとすれば、110余万円を要するが、昭和6年度については12万円の予算を計上したい」
政府はこれにより湯之澤部落のハンセン病患者が療養所に自発的に移り、湯之澤部落はやがて消滅すると予想する。
療養所建設予定地となったのは、草津中心部から3キロほどほど東方の滝尻原、水ノ窪、沼尾原、芳ケ窪、栗生などで、当初の総面積は10万9千坪(36万平米)に及ぶ広大な地域である(現在の総面積は73万2千平米)。草津町の人々はこの地を「移転地」と呼ぶようになった。

このような国立療養所建設の本格化は、コンウォール・リー女史の「聖・バルナバミッション」にも大きな影響を与えることとなる。この計画は湯之澤部落を拠点とした計画であったからである。「聖・バルナバミッション」では独自施設の建設計画がさらに存在したが、それらはは頓挫することとなる。
イギリスの恵まれた家に生まれたにも関わらず、湯之澤でハンセン病者に献身するリー女史の生活はきわめて質素で「西洋乞食」と呼ばれることさえあったという。リー女史は一人一人の患者を訪問しながら手厚く包帯を替え、いつも励ましの声をかけると共に、死すれば草津の谷間に投げ捨てられることさえあった患者の遺体を自ら洗い清め、手厚く葬ったと言う。湯之澤の人々は、いつしかリー女史を「かあさま」と親しく呼ぶようになったという。
1936(昭和11)年1月、高齢のため草津の冬に耐えられなくなったリー女史は、兵庫県明石市に移り住む。同じ頃、英米と日本との関係が悪化して海外からの寄付が減少した「聖・バルナバミッション」の経営は困難になり、1941(昭和16)年に解散した。そして同年12月18日、リー女史は明石で天に召される。遺言どおり、草津に戻った女史の遺骨は、病院と共に草津聖バルナバ教会納骨堂に収められた。
なお頌徳公園は、リー女史が病人のために作り、のちに町に寄付されたものである。
リー女史のその偉業はベルツ・スクリバ両博士に匹敵するほどのものであると私は考えるが、負の歴史の下で活躍した方であったが故か、私はリー女史のことを今日までまったく知らなかった。観光マップにも公園のことは書かれていても、これを誰が作って、どのようないきさつで市に渡ったかを記述しているものは全く見当たらない。私も七日間も草津に居られるのでこのことを詳しく知ったが、二泊三日くらいの旅行では知ることも無かったであろう。

1931(昭和6)年にはじまった栗生楽泉園の建設工事は昭和7年10月末に第一期工事がほぼ完了し、12月には湯之澤部落の人々を対象とする外来診療が始まった。そして、12月28日に湯之澤部落から五味勘三郎という人が入所したのを皮切りに、昭和8年84人、昭和9年77人、昭和10年72人、昭和11年50人と、かなりの人びとが入所した。しかし、入居したのハンセン病患者の多くは湯之澤部落に住む人ではなく、宿屋のハンセン病者客がかなりの比率を占めていたようで、湯之澤部落住人にとっては栗生楽泉園へ入所することにかなりの抵抗があったようである。栗生楽泉園には内科や外科などの各科を備えていることもあり、湯之澤部落に住むよりも享受できるメリットは大きいように感じるが…なぜか?それは、最初の国立療養所長島愛生園開所前に制定された「国立癩療養所患者懲戒検束規案」が入所への不安と動揺を与えたと考えられる。具体的には下記のような内容である。
第一条 国立癩療養所ノ入所患者ニ対スル懲戒又ハ検束ハ左ノ各号ニヨル
 一、謹責 叱責ヲ加へ誠意改俊ヲ誓ハシム
 二、謹慎 三十日以内指定ノ室ニ静居セシメ一般患者トノ交通ヲ禁ズ
 三、減食 七日以内主食及副食物ニ付常食糧二分ノ一迄ヲ減食ス
 四、監禁 三十日以内監禁室ニ拘置ス
 五、謹慎及減食 第二号及第三号ヲ併科ス
 六、監禁及減食 第四号及第三号ヲ併科ス
 監禁ハ前項第四号ノ規定ニ拘ラズ特二必要卜認ムルトキハ其ノ期間ヲ二箇月迄延期スルコトヲ得
 そして、二条から第四条で懲戒・検束を課す行為を列挙し、「謹責」「謹慎」にあたる行為として「所内の草木を傷害すること」「家屋・建物・備品を毀損すること」「貸与した衣類・物品を毀損または隠匿、所外へ搬出すること」「流言浮説などを流すこと」「喧嘩口論をすること」など、「謹慎または減食」にあたる行為として「みだりに所外に出ること」「風紀を乱すこと」「職員の指揮命令に従わないこと」「賭博をすること」など、「減食または監禁」にあたる行為として「逃走または逃走を企てること」「職員などに暴行もしくは脅迫を加えること」などを挙げている。
この規定から明らかなことは、国立のハンセン病療養所は単なる医療機関ではなく、病者をあたかも犯罪者あるいは犯罪を犯す可能性の高い者とみなすような施設だった、ということである。栗生楽泉園の正面を入ってすぐ石に、林の中に入っていく細い道があり、それをたどると礎石だけを残した「特別病室」の跡に至る。病者を監禁したこの建物は他の建物とは隔絶された所に建ち、まさに刑務所を想起させるたたずまいである。そのゆえに「重監房」とも呼ばれていた。そこは「癩予防法」を貫く精神の本質が何だったのかを私たちに語りかける場ある。
このような規則があったためか、国立療養所が出来れば湯之澤部落は消滅すると見ていた政府や栗生楽泉園の予想ははずれた。1930(昭和5)年に800人ほどいた湯之澤部落の人口は、1940(昭和15年)においても500人程度に減少するに過ぎなかった。
大東亜戦争へ時代は移る中、排外的国粋主義が台頭するようにない、この傾向はハンセン病者を「国辱」「非国民」とみなす空気を強め、各府県で無癩県運動、放浪する病者の一掃運動を急速に進展させることになる(このころ、熊本本妙寺のハンセン病患者の一斉摘発、収容といった事件がおきる)。

開所から9年を経た昭和15年、政府と群馬県は湯之澤移転交渉の根本方針を確認し、移転に本腰を入れ始める。その根本方針は「群馬県の湯之沢癩部落移転交渉の概要」に示されている。そこに「群馬県の見る所によれば本妙寺癩部落と湯之沢部落とは本質的に相違せるものあり。即ち本妙寺癩部落は浮浪癩の集団にして極めて多岐なる犯罪を内包するに反し、湯之沢部落は然らず極めて自然に生成せる部落にして合法的集団と見做すを得るものなり。かかる観点よりして、之が移転を慫慂するに当りては群馬県としては終始穏健平和裡に之を解決せんとするものなり、然れども第二段の構へとしては強行解決の方途を講ずるに遺憾なきを期する為万全の準備と警備計画をなすは言を俟たず」とあるとおり、三上がかつて病者に説いた考え方を維持しながらも、強権の発動も辞さない姿勢が明確に打ち出されている。
「聖・バルナバミッション」の解散が大きな要因となり、療養を受けるところも無くなり、湯之澤部落のハンセン病患者はほとんどが栗生楽泉園へと移った。栗生楽泉園が他の療養所と大きく異なるのは、資金さえあれば敷地内に自宅を設けられることである。資力のある方はそうした形で、栗生楽泉園敷地内で暮らしていると言う。

栗生楽泉園はすずらん通り(国道292号線)を六合村方面にバスターミナルから3km程歩いたところにある。町の境にある火葬場や葬儀場よりも境界に近い。明日、私は栗生楽泉園を実際に見に行ってみようと思う。長く虐げられ、2001年5月11日の「癩予防法」違憲国家賠償請求訴訟まで、私はハンセン病のことを何も知らなかった。今日一日で色々なことを知った私としては、どうしても療養所をこの目で見てみたい。見学が許されるかどうか、ちょっと心配である。

湯からでて、湯畑を見た後に酒屋に寄って、おみやげのワインを買う。私は白ワインが好きなのだが、草津産の白ワインは極端に甘いのだと言う。赤はあまり好きではないので、ロゼを購入した。

土産物屋が連なる小道を歩いていると、おじちゃんがいきなりやってきて「試食だから食べて」と、茶饅頭を丸々一つくれた。しかも、出来立てほやほやである。すると、今度はおばちゃんが茶を持って「お兄さん、これ飲んで」と茶を持ってきた。私の手はバックとカメラでふさがっていたため、一瞬、どうしていいかわからずパニクった。仕方が無いので、何とかカメラを道の横に置き、饅頭1つを一口で食べた。熱い…けど、ものすごくうまい。饅頭の一気食いで「ふごふご」状態になった。すかさず茶を流し込む。いやぁ、うまいなぁ。だけど家に帰るのは当分先の話で、ここで温泉饅頭を買うわけにはいかないのである。私一人で12個も饅頭を食べられるわけは無いし。
お茶を飲み終え、茶碗を返そうとしたが、茶碗の返却口は店の中にあるのである。見事な戦法である。私は無視して、茶碗を置いて店を出た。
するといきなり「きゃ~!」、「えー!ただなの~?」、「こっちの饅頭もおいしいよぉ」と、若い女性の声がものすごい勢いで聞こえてきた。20名位で連なって歩いていた20代の女性客に饅頭を配ったのである。大騒ぎである。こうしてみると、女性と言うのは若い、若くないに関わらず、「おばちゃん的な反応の素質」を皆持っているんだなぁと感じた。
この店を過ぎて10mほど歩いたところでも、無料で饅頭の試食をしていたが、夕食前の時間である。さすがに2つは饅頭を食べたくなかった。

湯治では一日に朝・昼・夜の三度風呂に入ると良いと言う。朝夕は宿の内風呂を使うが、昼は無料の公衆浴場を使うことにしている。そのため、どこに行くにもバックの中にはバスタオルとタオル、簡単な風呂用具(あんまり石鹸なんかを大量に持ち込むと、草津町民に睨まれるのである。草津の湯は酸性度が強く、石鹸を使っても泡が立たない。殺菌作用は十分にあるので、体は石鹸で洗う必要は無いという)を持ち歩いている。注意しなくてはならないのは、こうした無料の公衆浴場には鍵のかかるロッカーが存在しないのである。私は現金は小分けにして小額しか持ち歩かないようにしているが、カメラは盗られるととてもこまる。
今日は日晃寺近くの「長寿の湯」に行ってみた。名前からして何とも効用がありそうじゃないですか(単純)。
昨日の煮川の湯とうって変わって、この湯はとても新しい。脱衣場の中にしっかりトイレがあり、浴場もとても綺麗である。私が入ったときには1名だけ入浴していたようだが、あとから2名の入浴者がやってきた。彼ら曰く「今日は少ないねぇ。やっぱり平日はいいねぇ」と言っているところを見ると、休みの日には芋洗い状態なのかもしれない。
公共浴場にしてはめずらしく、椅子が置いてある。と言うことは、体や頭を洗っている人がいるんだなぁと理解し、頭だけ洗わせてもらった。湯の温度はおそらく41℃位で程よい。今日も徒歩で5~6kmは歩いたので、足の疲れが次第に和らいでいくのがわかる。本来であればもう少しゆっくりしたかったのだが、荷物の盗難が気になってどうも安心して入浴できず、頭を洗ったあとに5分ほど入浴し、風呂を出た。
この辺りに住んでいる人は、こうして毎日温泉に入ることが出来るのだろう。草津の冬は厳しい。しかし、この無料公共浴場は本当に羨ましい施設である。

どちらも湯畑周辺にある。
日晃寺は日蓮宗の寺なのだが、温泉との関係やその由来は良くは判らなかった。どうもそんなに古い寺ではない。というか、寺らしくない。鐘の音がやたらといい音がしたというくらいの印象である。
白根神社は石楠花にかこまれたうっそうとした神社(石楠花は御神木とのことだったが、歩道を歩きやすくするためにもうちょっと手入れすべきじゃない?)日本武尊を奉った由緒ある神社らしいが、あまりに古い話のことで私には理解が出来ず…それよりも、この神社周辺に点在している松尾芭蕉高村光太郎の詩の方が実に興味深かった。どちらもガイドマップには大きく掲載されているものの、人は非常に少ない。やっぱりみんな、風呂とか西の川原公園や美術館に吸い寄せられるのであろうか。
もっとも、私も七日間も逗留しているから来る気になったようなもので、二泊三日の旅行くらいならきっとパスしたコースである。

草津町か?草津警察署の発案か?この女の子は草津名物キャラクターの「ゆもみちゃん」である。草津町内に貼られてある、警察に関する文書にはかなり高い確率で掲載されている。湯もみショーでは、こんなに若い女性は皆無でしたけど、30年くらい前であれば、あのおばさんたちも「ゆもみちゃん」のようにかわいらしかったのでしょうか?

今日はピュアに定食が食べたい。毎朝、毎晩和食を食べているにもかかわらず、昼飯でも和食の定食を食べたいと言うこの私。日本人だなぁ。
草津温泉のマップで純粋な定食が食べられそうな店を何件かピックアップ。昨日、カツ重を食べた「とん香」の斜め前くらいにあるこの店。日替わり定食の安さに、吸い込まれるようには行ってしまった。
日替わり定食は\690で、鯖の味噌煮であった。私の好物であるが、骨が引っかかって毎回、難儀している。しかし、この値段なら…と思い注文。鯖の味噌煮以外に小鉢がついて、これほどのご飯が盛られて定食が出てきた。選択やらならんやらで朝から動いたせいか、お腹がすいていたためにあっという間に完食。これで、店内のテレビの音量とおばちゃんの声の大きさがもう少し小さければいい店なんだろうけど。コストパフォーマンスが高くて、比較的満足でした。

春先のせいなのか、今日は何匹もの猫に出会った。みんな小柄で、まだ子供のようである。
最初に会ったのは、このとらねこちゃん。中々、綺麗なトラ柄である。駐車場をうろうろしていたが、あまり人にはなついていないらしい。近くにさび猫もいたのだが、すばしっこくて写真を撮ることが出来なかった。
次にであったのは、おそらくシャムくずれのにゃんこ。この子もまだ子供である。視線の先にはさびの子猫が居る。さび猫は私に気がついたらしく、じっと警戒している。シャム崩れのにゃんこは私に気ずいていないようである。前方に警戒中のさび猫の後ろに回り、後ろからじゃらけて遊んでいた
「ほら、そこに人がいるだろう!大バカが!」と、シャムくずれはさび猫に怒られているようである(笑)。シャムも気づいて、路地の奥へ消えていった。草津はものすごく寒い。おそらくのら猫だと思うのだが、どうして寒さに耐えているのだろうか?温泉にでも入っているのだろうか(笑)

今日もとてもよい天気である。朝食を済ませ、しばらくボーっとしていたら、あっという間に10:00になってしまった。朝湯を浴びて、今日は溜まりに溜まった洗濯をすることとした。
洗濯はコインランドリーで行うのだが「すぐそこにあるから」と女将に言われたため、徒歩でその通り歩いていったのだが、結構な距離があったように感じる。それよりも、今まで言っていたスーパーへ、ショートカットしていけることが判明。俺は一体、今まで何をしていたのだろう…重度の方向音痴なのである。

洗濯代は安くない。洗濯機を回すだけで\600で、乾燥機にかけると\100/10分である。昨日、嫗仙の滝でコケて汚してしまったジーンズも洗いたいし、その時は履いていた靴を磨いたタオルも洗いたい。下着の在庫もなくなった。もうどうしようもないのである。私の洗濯物はかなり多い部類かと思ったが、後にやってきた少年が持っていた洗濯物はゴミを捨てるビニール袋いっぱいに入っており、よく溜めたなぁと感心してしまった。
コインランドリーの洗濯機はほとんどSANYO製のものである。これは他の県に行っても同じような傾向がある。群馬県はSANYOの工場がある影響かどうかはわからないが、一般家電小売店(私の実家のような店ですね)でSANYO系列という店が少なくない。他県では見たことは無い。多いのは、日立、松下、東芝あたりだろうか?
乾燥はとりあえず20分でやってみたが、十分に乾いているようだった。それらをたたみ、袋に入れて宿へ戻る。
今日のはどこに行こうか…と考えているときに、近くのコンビニで草津のガイドブックを発見。これを見ていたら、白根山の湯釜を見ようと思いついた。宿に着いたら、女将に「白根山の湯釜ってもう見られますか?」と聞いたところ、「4/20にならないと道路が開通しないため、ダメだとのこと。超がっかり。あと数日だし、今年は暖冬だから雪も解けていると思うんだけどね…まぁ、行けないものは仕方が無い。徒歩でいける近場で、まだ行っていないところに行くことにした。時刻は12:30。まずは昼飯である。

時刻は14:30をまわっていた。
登山をし、カツ重を平らげてちょっと汗をかいた。ここは湯の街草津。公共の風呂は至る所に存在している。
せっかく車で移動しているのだから、公共の風呂でも少し離れた場所の風呂に行ってみよう思い、すずらん通りの「こぶしの湯」へ行ったところ、駐車場が無い。その近くの「恵の湯」にも見当たらない。「睦の湯」でも見当たらない。しかも、よく見ると15:00~は草津町民以外入れないとのこと。どうやって町民である身の証をするのか想像すらつかないが、とにかくダメらしい。それよりだいぶ手前の「巽の湯」もダメだ。
町民以外は宿で風呂に入れということなのだろうか?でも、日帰り湯なんてものは結構もてはやされて、人が集まってきそうなものだがなぁ。
仕方なく、もう少し街の中に入って行き、「煮川の湯」へ。ここも駐車場が無いが、すぐ横に大滝乃湯がある。一昨日利用したんだし、駐車くらいさせてくれぇと、勝手に止めて「煮川の湯」へ入ると…へ?番頭さんいないの?
そうなのである。今まで入れなかった風呂の中まで確認しては居ないのだが、おそらく全て草津町民の税金でこれら温泉が賄われているのであろう。だから時間制限をして町民以外を入れなかったりするわけだ。そうなると、郷に入れば郷に従えで、「草津流」の入浴をしなければならない。私が草津流と言っているのは
 ・ボディソープや石鹸等を使わない(酸性湯なので、全く泡が立たない)。
 ・タオルとバスタオルのみで浴場に乗り込む。貴重品は絶対に持ち込まない。
 ・頭からのかけ湯20回を済ませた後入浴する。
 ・湯船の中では無駄に動かない。動くと熱い。
 ・長風呂しない。地元の方の入浴時間を見ていると、15分以内の方が多い。
の5箇条である。そりゃ、四日も逗留すればこれくらい覚えますよ…え?違う?
しかしですね、入浴する人によって草津の人か、それ以外の人かは結構判る。風呂に入るときに無駄がない。湯が熱くても、厳しい顔をしながら湯につかり、そして極楽顔に変わるのは草津の人。入ってすぐに、スーパージョッキーでやっていた「熱湯コマーシャル」状態になってしまう人は、草津以外の人。
と考えると、草津の人に熱湯コマーシャルにチャレンジしてもらえれば、かなり長時間耐えられたのではないだろうか。もう、今となっては過去の話であるが。

今日は草津でも投票日らしい。そういえば昨晩「最後のお願いに…」と候補者が回っていたことを思い出した。店に入ったら、客と店主が選挙の話で盛り上がっていた。
カツ丼(この店にはカツ重しか無いので、カツ重になるが)はNHKの「ためしてガッテン!」でも放映されていたが、カツ丼を食べ始めると次第にハイになってくる、ランナーズハイならぬカツ丼ハイなる現象が発生する。とんかつ大好き君の私は昔からこのカツ丼ハイというのを経験的に体験しており、それがNHK監修の元、実際に脳科学的に発生していることが実証されているのを聞いて、大変驚いた。

という前置きはどうでも良く、今日は何時にもましてすさまじい運動をしたので「カツ丼くらいアリだろ?」と勝手に決めてとんかつ屋「とん香」に入った。意図的に湯畑から離れた店を選んだ。どうもあそこに近くなるにつれて、値段が高くなったり、物がショボくなったり、量が少なくなったりするような気がしてならない。ショバ代がふっかけられているわけだ。
この「とん香」では榛名の豚肉を冷凍せず、生のままで店まで運び、ゆっくりとあげてくれる。せっかちな人にはちょっと向かないかもしれない。むしろ時間がかかることに「今、一生懸命揚げているんだな」と、好意的な解釈をする余裕を持ちたい。
さて、待つこと十数分。やってまいりましたカツ重。この店のカツ重は豚の味を味わって欲しいという意志か、出汁の味をあまり強く出していない。その分、肉の味、柔らかさを堪能することができる。重箱を持ち、口の中に掻きこみだすともう止まらない。十分程度で、熱々だったカツ重(私は猫舌なので、冷ます時間も混みで)を平らげてしまった。うまいかった。これで\1,050ですから、昼食予算の範囲内で今日も昼食を済ますことが出来ました。

ザゼンソウ公園とは方向が違うが、草津市街から離れた観光名所である。
が!観光名所といって侮った。あれは入り口に「足腰に自信が無い方はご遠慮ください」とか、もうちょっと脅しの効いた看板を立てておいたほうが良いのではないだろうか?私は途中の山道で本当に死ぬかと思った。とにかく危険なのである。そして、全身の疲労で本当に参った。ここまで疲れたのは、5年前に比叡山延暦寺に行ったとき以来といって良いだろう。あれから5才も年とっているわけだから、参るのも致し方ないか?

嫗仙の滝前の駐車場から平坦な山道をちょっと歩くと、このような看板が見える。時間は11:30位である。20分くらいなら…と甘く見たのが間違いだったか?
山の木々にも少しずつ緑の葉の芽が付いてきた。こんなものを優雅に見ながら平坦な道を歩いていくと、いきなり急斜面からなる道が…果てしなく…サスペンス劇場なら、間違いなく殺されるシーンである。意外と枯葉というのは滑りやすく、斜面で転びそうになった。昨日来ないで良かった…雨が降っている時は、絶対に来るべき場所ではない。少なくとも徒歩20分という看板は偽りだ。だが、もうしばらく歩くと「ざーっ」という水が流れる音がどんどんと大きくなってくる。
私は滝マニアである。観光地に来て滝があると聞けば、行かないわけにはいかない。これまでも数々の滝を眺め、その水に触れてきたが、今回の場所ほど行きづらいのは珍しい。歩き出して30分経過してお昼になった頃、木々の分け目から滝らしきものを見ることが出来た。俄然、やる気が出てきた。滝を求めて山をどんどんと下っていく。そして、ついにこのように美しい滝に出会うことができた。滝は下るにしたがって三条に分かれ、そして落ちていく。別な二ヶ所からも水が溢れ出し、滝となっていく。マイナスイオンに包まれ、今までの疲れがどこかへ消えていくようであった。
滝も実に見事であるが、滝となって落ちた水の流れもまた見事である。至る所に分岐し、その水量の大小で水が流れる速度が変わる。私は水の流れを撮影するのが大好きである。例えばこれこれの二枚を比較していただきたい。前者がシャッタースピードを遅くしたもの(1/5秒)で、後者が速くしたもの(1/2000秒)である。遅くすると、水の軌跡が白い意図になったかのように残る。実に美しい。後者は水の動き、躍動感が非常によく見える。撮影時の明るさによって、どの程度までシャッタースピードの余裕を持たせることができるかが決まるため、選べるスピードには限度がある。今のカメラの多くにはそれらの限度を簡単に見極める機能が搭載されており、極端にオーバーやアンダーな露出になることもない。実にカメラは便利になったものである。
この写真も水撮影好きな私としては外せない2枚である。誰かが意図的に置いたのか、石があるために水が跳ねる場所があった。そこを撮影したものである。これが露光時間が長いもの(1/8秒)で、こちらが短いもの(1/4000秒)である。前者の白瀧のような流れも実に美しい。後者の水が飛び跳ねる勢いがあるものも、水滴一つまで描写されている。もう少し天気がよければ、さらに小さな水滴までファインダーに残せたのだが…

推定樹齢300~400年、樹高35m、幹周6.7mという、嫗仙の滝カツラの木というのがこの川を渡った先200m程のところにあるそうだが、その200mの間に標高が100m近く変わるらしい。行ってみようかとも思ったが、前日の雨でできたぬかるみに足をとられて、しりもちをついてしまった。この先にも少なからず昨日の雨の影響はあることだろう。きっと私の足ではここまでが限界である。そんなにバカでかいカツラの木なら見てみたかったが。
滝は低い位置にあり、駐車場まで今度は山道を登らなくてはならない。これがすさまじく辛い。途中、休憩できそうな切り株などで休みながら進むが、足が思うように進まない。思わず「ドラエモーン!タケコプタープリーズ!」とは叫ばなかったが(誰も居なかったので叫んでも良かったんだけど)本気で相当きつい。20分と書かれた山道を、私は40分かけて登った。駐車場近くの東屋が見えたときは、絶叫しそうなほどに喜んだ。戻ってきたとき、時計は13:30を示していた。

車に乗り込んだら、足がガクガクと言い出した。明日は筋肉痛だろうか?とにかく、ものすごいカロリーを消費したことは間違いない。こんなときにはハイになって食べられる、好物のあの食べ物を食べるしかない。草津エリアマップを開いて、目ぼしい店を見つけて車で直行した。

別に神社に興味があるわけでもないのだが、草津ガイドにかかれており、ザゼンソウ公園の近隣なので寄ってみることにした。
諏訪神社は諏訪大社を分祀したものではないかと思う(全く詳しくなくてすまん)のだが、観光ガイドには比較的大きく載せられているにも関わらず、実際にはこんな感じのひっそりとしたものであった。建物は立派だが、随分と古いもののようである。
もっとさり気なかったのが、観音堂である。こちらも観光ガイドに載っていたので来てみたのだが、何だか良くはわからなかった。建物も公民館のような感じである。無縁仏となってしまった墓が周囲にあったくらいである。

宿屋の親父の奨めで来てみた。草津市街からは結構離れており、車で無いと来られる場所ではない。
そもそもザゼンソウというのがどういうものなのかすらわからなかったのだが、公園に入るといきなり遭遇。ちょっと気持ち悪い系高山植物である。こんな草がボコボコと、竹の子のようにこの公園の中では生えている。そもそも不思議なのが、白根山、浅間山の火山活動のおかげで、水はほとんど酸性であるはずなのに、このザゼンソウ公園の湧水は酸性ではないのである。酸性であれば、ザゼンソウなどが生育するはずがないのである。おそらく同じ理由からだと思うが、草津市街からこの辺りまで離れてくると、ようやくが見えてくるのである。農作物も水の性質の影響は受けるだろうが、この辺りは例外なのだろう。
公園の中で、木の中のに作られたミツバチの巣があった。どこから蜜を集めてくるのか、出たり入ったりとミツバチが忙しそうにしていた。木に巣を作るのはスズメバチのような極悪蜂ばかりかと思ったが、そういうわけでもないらしい。この巣の中にどれほどの蜂がいるのだろうか?

昨日、比較的早く寝たせいか、6:30に目が覚めた。熟眠感ばっちりで、最近はとても見られないような爽快感である。
歯を磨き、朝湯に入る。まだ誰も朝湯には入っていないようで、お湯の温度が非常に熱い。この宿の主人および、昨日の湯もみショーで聞いた草津流入浴法を昨日から実践しているのだが、これが実に効果的なのである。具体的にはこのようにする。
まず、コップ一杯分の水分を摂る。これは、血圧上昇を防ぐためである。そして風呂では、頭にタオルを巻いて、20~30回(宿の主人は20回、湯もみショーのおばさんは30回と言っていた)、湯桶を使ってお湯を浴びる。これをすることで、指先まで血流を良くする。その上で入浴すると、不思議と高温の風呂でもさほど熱く感じないのだ。「本当かよ~」って感じで半信半疑であったが、本当に効果がある。比較的高温の風呂、特に温泉に入浴するときはお勧めである。
風呂がおわり、身支度をしていると朝食が部屋に運ばれてくる。今日は車でないと行けないような、草津近隣の観光スポットを回る予定である。久しぶりに車を運転する。昨日、宿の駐車場近隣の工事で泥をかぶった私の車は洗車していただいたのだが、洗車の直後に雨に降られたようでせっかくの洗車が台無しになっていた。かなしいなぁ。

早速、ザゼンソウ公園へ向かうことにするが、草津の入り口付近に道の駅と、その向かいにベルツ記念館という立派な建物があるので、ちょっと立ち寄ってみた。ベルツ記念館1Fはみやげ物屋で特別見るべきものは無い。2Fでは草津の薬効などを世界に広く紹介したドイツ人医師「ベルツ博士」にまつわるものの展示がされていた。入場料も無料なので中を覗いてみたが、明治天皇の侍医をするほどに有能な人らしい。日本を含め、各国から勲章や永世貴族の称号を受けている。「何となく、温泉に入ると元気になるなぁ」という、「なんとなく」の部分をかなり具体化した立派な方である。
反対側の道の駅には連絡通路で行き来が出来るようになっているのだが、ここでまた昨日の三輪バイク野郎の集団に遭遇。一体何台連なっているんだ?最後尾にはコンバーチブルのベントレーが追従している。みんな金持ちだなぁ。

草津温泉と言っただけで「草津良いと~こ一度はおいで~♪」という歌声と共に行われる「湯もみ」を連想される方も少なくないと思う。
私は昨日行った大滝乃湯の「合わせ湯」の部屋に置かれていた湯もみ板を見て「そういえば、草津といえば…」と思い出した。この湯もみショーだが、湯畑の真正面にある熱の湯で行われている。一日に何度か開催される時間が決まっており、その時間前にチケットを買って会場で待つ。料金は大人\500。高いと見るか、安いと見るか?しかし、これを見なくては草津に来た意味が無い…という人の気持ちも何となくわからないでもない。
会場は二階建てで、講演最後の16:30からのを見学した。
源泉が90℃を越えているので、どう考えても湯もみは必要である。熱を冷ますという意味以外にも、湯を柔らかくし、体への影響をより良くしたりする効用もある。とても大事な作業のようだ。

くさつよいとこ 一度はおいで お湯の中にも 花がさく』と書かれた湯へらが何ともいえない(笑)。このへらを、並んだおばちゃんが一糸乱れずかき混ぜていく様は実に見事である。プロの実践の後、観客が湯もみを体験することもできる。体験すると、認定証と粗品(おそらくタオル)がもらえるらしい。意外とやりたいと言う方は多く、希望を募ったらあっという間に埋まった。私も二階席に座っていなければ、体験しに行ったところだが。
もみ方は、へらを右、左と回転させながら行う方法と、へらを湯の中で持ち上げて、湯気を思いっきり出しながらもむ方法の二種類があった。前者はテレビなどで見たことがあったが、後者はなかった。後者の方がお湯が飛び散り湯気が大きく立つため迫力があり、回りの観客からも「おおおぉ!」という声が上がる。
湯もみあり、踊りありで約20分という所要時間であった。時間単価でみると高い気がするが、まぁ、一度見ておいて損はないと思う。

露天風呂から急いで宿に戻ってきたら、時計はまだ15:00を示していた。夕食まで2時間以上ある。読書をして待つのもいいが、サワー系の酒が尽きてしまった。草津温泉街には何件もの酒屋があるのだが、その中で最安値の店を見つけてやろうと、かさをさして再び外出した。

おととい行ったスーパー「もくべい」の向かいに「きんか堂」という酒屋兼パン屋があったが、ここの商品は全て定価だった。まぁ、温泉街の店なんてこんなもんかなぁと思いながらも値段に納得できず、別なスーパー「はりや」へ向かう。向かう途中、3輪バイクでツーリングする皆様に出会った。みんなノーヘルなのだが、許されるのだろうか?「はりや」には、お目当ての商品そのものが無かった。珍しく、安い方のシングルモルト余市が売られていたが、\1640と、「あれ?定価っていくらだっけ?定価より高くない?」って具合。どうなっているんだ、このスーパー。
「はりや」から湯畑方面に歩いていくと、酒屋が3件ある。1件目は「箱田酒店」。この店は温泉地にしては実にいい値段で酒を提供してくれた。お目当ての商品の在庫はあり、しかも、私の地元スーパーとほぼ変わらない値段。この店で酒とつまみを購入した。
もう購入したのだから覗く必要も無いのだが、一応、2件目の酒屋にも入ってみる。「三輪屋酒店」は若干「箱田酒店」に値段が負けている。こういうのを見ると、どうも嬉しくなってしまう。さらに湯畑に近い「安西商店」では、全部定価。やっぱり湯畑に近くなるにしたがって値段が上がっているわけか…。というわけで、草津逗留中は「箱田酒店」で酒を買うことに決定した。

西の川原公園の奥に広がる150坪の大露天風呂が男女共にひとつずつある。今はまだ新緑には至っていないが、新緑、紅葉、雪見の季節は美しい景色を鑑賞しながら入浴できることであろう。大人\500だが、草津市民はもっと安い値段(具体的にはわからないのだが、相当安い)で入浴できると言う。確かに、捨てるだけの湯を溜めたというだけの露天風呂である。ここには風呂しかない。体や頭は洗えないので、いわゆるお風呂セットのようなものは不要。タオルとバスタオルのみでやってくるのがいいだろう。
午前中は天気が良かったのだが、午後になってから雲行きが怪しくなってきた。入浴料を払い、早速風呂に入る。ぬるい。しかし、源泉に近い方へ歩いていくと、次第に湯の温度が上がってくる。最初は10分位入っていられるが、温泉だけあって体が暖まるのが早い。3分湯につかり、5分湯の外で休む…という入り方を5~6回繰り返す。やはり風呂に腕時計は必須である。ありがとう、20気圧防水。
そうして入浴しているうちに、ついに雨が降り出した。下からも上からも水である。露天風呂の中に屋根があるところもあるのだが、宿までの帰り道を考えると、早めに上がった方がいいかもしれない。もう少し入浴する予定であったが、1時間で風呂からあがった。

この時期、この風呂は8時まで営業しているそうである。天気がいい日ならば、星空を眺めながら間接光に照らされた風呂につかるのも優雅かもしれない。気合を見て、逗留中にもう一度この風呂には来たいと思う。

先日、宿屋の旦那に薦められたザゼンソウ公園に行こうと思っていたが、宿の駐車場近隣の工事で泥をかぶってしまった私の車を洗車してくれると言うので、車で行かないとちょっと厳しいザゼンソウ公園は明日に回し、今日は西の川原公園へ行くことにした。その前に、宿屋のすぐそこにありながらも階段が小さいためか見逃されがちになっているこんぴら神社をお参りする。階段が急で形も悪く実に危険だが、こんぴら神社から見える草津の街並みは凄い高さのホテルが立ち並び、驚かされるばかり。よくもまぁ、こんな高いものを建築したものだ。

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片岡鶴太郎美術館を素通りし(入場料\900は高いよ)西の川原公園へ向かう。ここでは至るところから高温の源泉が噴出し、湯煙を上げ、温泉の川となって流れていく。その景観から鬼の泉水と恐れられているらしい。園内は遊歩道が整備され、草津の自然や歴史を物語る様々な石碑があったり、散策には最高である。天気が良かったので、数歩歩き出しただけで体が熱くなった。飲み水が欲しくなり、公園入り口の売店でミネラルウォーター"CRYSTAL GEYSER"を買うが、値段は\200。をい!通常の倍かよ…。明日からは、宿で水を汲み(草津の水はうまい)それを持ち歩くことにする。

公園内ではいたるところから温泉が湧き出ており、足元を良く見ながら歩かないと、足が温泉につかってしまう。革の靴を履いていたりするなら、注意が必要だ。また、温水がたまって色々な発色をしており、その色に合わせてか様々な名前がつけられた池があった。
公園のちょうど中間あたりに穴守神社という、お稲荷様がある。お稲荷様があまりにファンシーな前掛けを身につけていたので、思わず撮影してしまった。ここ以外でもお地蔵さんに何度か遭遇したが、かわいらしい帽子をかぶせられている。
歩道の横を流れる川の水は本当に温かく、このように足湯を楽しんでいる人も見られた。温泉の水しぶきがいたるところで上がる。水を撮影するのが好きなので、思わず大量に撮影してしまった。
ビジターセンターを少し見学し、西の川原露天風呂をスルー(帰りに寄る予定)して、公園を横断した。すると、草津国際スキー場が見えてきたが、今の時期は既にシーズンオフ。若干の雪は残っているものの、既に閉鎖されていた。

この時点で大体12:00になった。昼飯はどこで食べようか?スキー場のレストハウスではろくなものが食べられなそうだし…と思い、しばらく山を下る方向に歩いてみることにした。しばらくすると草津温泉館や草津温泉病院が見えてくる。温泉病院前に3軒ほど食事が出来る店があった。TIPという洋食店、エクレーレというレストラン、リンデンバウムというステーキハウス。色々な店で食事メニューを見てきたが、やはり観光地と言うこともあってか、値段が安い店はあまり無い。といっても、税別で一食に\1,000以上かけるのはどうももったいないと感じてしまう貧乏性な私。この3軒でその条件を満たす店はレストランエクレーレだった。店の前にいるおとなしい大型犬がとてもかわいい。
頼んだメニューは和風ハンバーグ。このように、ハンバーグ以外にも色々と小鉢が付く。そしてそして、ご飯、味噌汁、サラダ、コーヒーが食べ放題、飲み放題である。ああ、なんと運が良い!全て、非常においしかった。湯治中にこの近辺に来る機会がまたあったら、またここに寄ろうと思う。

西の川原公園の中にある西の川原露天風呂に入るため、再び山を登って公園へ戻る。ここは標高が約1,200m。病院で鈍りきった体で山を登るのは中々しんどい。空気も薄いのだろうか(そこまではいかないよなぁ?)。上る途中、温泉が湧き出ている様子を見ることが出来た。煙がもくもくと上がっている。後ほどわかるのだが、西の川原露天風呂のお湯はここから流れているものが使われているらしい。
西の川原露天風呂への道は、来るときとは違う「鬼の相撲場」と呼ばれる道を通り、ちょうど温泉の横を歩く。歩道からは男性の露天風呂が丸見えである。別に見たくも無いが(笑)。私も露天風呂へと向かった。

17:00頃に宿へ戻ってきた。ちょうど宿の玄関で宿の親父と遭遇。私のカメラを見て「F4?いいカメラ使っているじゃない」と言ってきた。私のカメラはF4ではない。D70である。まだ宿屋の親父は銀鉛フィルムの世代の人のようだ。
その親父はF4とライカのM6を持っていると言う。前者は別に使うに難しいカメラではないが、後者はとてもじゃないが「写真が本当に趣味だ」という人でないと使えない。宿屋の親父も、買ったはいいがもてあましていると言う。
そんなんでカメラ談義になったのだが、どうやら宿の主人の父は写真屋だったらしい。草津では高山植物がよく撮影できるとのことだった。明日、高山植物撮影に最適なスポットを教えてくれるという。明日の行き先は決まったな。

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湯畑から見える赤い鳥居の先にある寺である。真言宗豊山派という、偶然にも私のいえの宗派と一致する寺であった。由来は随分と古いようだが、寺は比較的新しい。しかし、由来は頼朝の時代までさかのぼる。温泉地にあるということで、温泉別当という特権が与えられた由緒ある寺のようである。まぁ、同じ宗派であることであるし、一通りお参りしてきた。かやぶき屋根の寺があったが、あれはメンテナンスが大変だろうな。

義理の父のお土産は日本酒にしようと考えていた。はて、草津の地酒というのはあるのだろうか?

観光マップを睨んでいると、湯畑近くにある玉屋酒店は地酒(をここで作っているかどうかはわからないが)を販売している。ブランドも玉屋という地酒だ。私は日本酒の味が実はよくわからない。甘い、辛い程度はわかるのだが、値段の差がどれほどあるのか、ウィスキーなんかに比べるとてんでダメだ。ウィスキーなら、テイスティングして大体の産地や価格を当てるくらいは出来ると思うのだが。
とりあえず無難に純米吟醸酒を1本買った。気に入ってもらえると良いが。

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大滝乃湯は日帰り入浴が出来る大型温泉施設である。ここの施設が面白いのは、二つの源泉からお湯を持ってきていることである。
一つは57.5℃、ph2のお湯で、もう一つは94.6℃、ph1.7のお湯である。後者は相当熱い。
きっと高いだろうなぁ…と思いつつやってきたが、入浴料は大人800円。まぁ、妥当なところだろうか。カステラ二つでは入浴中に空腹で倒れる恐れがあるので、この施設内にある食堂で天ぷらそばを食べる。650円。全然おいしくない。市ヶ谷駅前の350円の天ぷらそばのほうが100倍うまい。おいしいとかおいしくないとか、そういうことを考えずにただ胃袋へと食べ物を運ぶ。大滝乃湯の近くにはラーメン屋があったが、全てのメニューがおいしそうに感じられず、かつ800円であった。どちらで食べるのが正解だったのだろうか?
入浴セットを持って風呂へ入る。さすが平日、それほど客は居ない。ただ、腕より上は全て刺青と言う気合の入った方がいらっしゃった。普通は入浴施設から拒否されるのだが、ここはそういうルールは無いのだろうか?別に誰かに迷惑をかけているわけでもないので、よくよく考えてみると銭湯や温泉に刺青があるという理由だけで入れないと言うのもかわいそうな気がしてならない。

今回の旅行にも、入院時と同じエルジンの時計を見につけている。素材はステンレススチールで20気圧防水。逆回転防止ベゼルが付いている。当然、温泉入浴程度のことで音を上げるようなヤワな時計ではない。今回も装着した上、サウナなどにも入ってきた。サウナには大体、経過時間がわかるように秒刻みの時計が置いてあるものだが、私の裸眼ではよく見えないのである。逆回転ベゼルで入室時の時間を記録し、時計をにらみながら時間の経過を待つ。15分、10分、10分と3回入ったが、自分が10代の頃は15分を5回といったようなハードな入り方も出来たが、今はそのような入り方は出来ない。年をとったものである。
露天風呂が中々良かった。源泉が流れ落ちる位置から離れれば離れるほど、お湯の温度が下がる。自分にとって最も適した温度の辺りで立ち止まって、入浴する。外気はおそらく10℃以下であったと思う。顔より上は比較的冷たく、体は温かく。長い時間入浴することができる。熱くなったら湯から上がり休憩する。それを何度も繰り返した。
露天風呂もこの風呂の売りなのだが、大滝乃湯一番の目玉は合わせ湯である。地下にあり、100%のピュア天然温泉で、効能の高い源泉が5つの浴槽を順にめぐっている。一番湯から順々に高温になっており、体を徐々にあわせるように入浴していくのだが、最後の方は54℃という「熱湯コマーシャルか?」と思いたくなるような高温でとても入れるものではなかった。湯もみ用の板があったので、揉んで温度を下げようと思ったのだが、さほど温度は下がらず、残念ながら最後は諦めざるえなかった。
大体、14:00時頃に入館し、出たのは16:00時頃であった。宿の食事は17:30から。それに間に合うように帰らないと。

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昨日、夜景をファインダーに収めた湯畑の昼の様子を撮影しに行ってきた。というか、この宿を起点に徒歩で様々なところへ向かう際は、湯畑の周りを通らなくてはならないことが多い。

平日でありながらも、湯畑周辺には観光客が多く居た。湧き出たお湯を木桶で冷ましながら各地へ送るという源泉から各温泉へのメカニズムはどうも江戸時代ごろから変わっていないらしい。
先日、暗闇仕留人で「将軍が夏に食べる富士山の雪を食べるため、雪を載せた荷物が通過する地域の温泉は全て止める」という話があったのだが、あの作品でも温泉を止めるために、木桶にふたをすると言う方法を採っていた。木製であるが故に交換したりするメンテナンスは大変そうではあるが、これが塩化ビニールのパイプやステンレススチールに変わっていたら、やっぱり風情が無いなぁと思う。人の目に晒される場所は木桶のままであって欲しい。
昼間だが、温泉と外気の気温差がかなりあるため、湯気がすごかった。湯気を避けながら、シャッタースピードを変えつつ、流れる温泉のお湯を撮る。そのしぶきを克明に写すためにシャッタースピードを速めたり、水の流れの稜線をとるために遅くしたりと、撮影を楽しむ。一眼レフというのは実に楽しめる。大して写真が上手ではない私でも、いいものが撮れる。

一眼レフを使って撮影していると、かなりの確率で他の観光客から撮影を楽しめる。私は1時間前後の時間をかけて湯畑の撮影をしていたのだが、その間に3組から撮影の依頼があった。うち2組はカップルである。「いい加減に撮ってやろうか?」なんて邪心は起こさず(笑)可愛い彼女をいつも以上に可愛く撮影したつもりである。

本当に静かな客ばかりで、驚いている。数人の客と廊下などで会っているが、挨拶を交わす程度である。個室の入り口にスリッパが置かれているので、中に人が居るのだろうが、読書をしているのか、一人で静かに飲んでいるのか、寝ているのか…夕食が早いので、かなり早い時間に寝る人は多そうである。

相変わらず、強烈な睡眠薬を服用しているため、朝はヘロヘロである。8時になると朝食が届く。朝食も、入院していた病院の2倍以上のおかずがある。本当にこの値段でこの宿はやっていけるのだろうか?余計な心配をしてしまう。ご飯はお櫃に入って出てくるのだが、小さなご飯茶碗3杯分程度入っている。朝からバカみたいに食べてしまう私ではどうにもならないが、おにぎりにして昼食としている客も居るのではないかと思う。
食後、朝湯に入りたいところであったが、眠気に負けた。11時頃までまた眠り、目覚めたらちょっと会社から依頼があった仕事をする。それが済んだら、昨日買った紅茶を淹れて、カステラ2切れを食べて昼食の薬をとる。今日は「大滝乃湯」という、宿泊ではなく日帰りでも楽しむことが出来る公衆浴場に行ってみようと思う。

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宿に着き、すぐに食事となった。食後、風呂に入って体を洗ったのだが、ボディソープの泡が全く立たない。温泉の成分ととボディソープの間で何か特殊な現象が起きているのだろう。風呂を出た後、ボディソープを持っている状態でこの宿の主人と話しをしたら、相当にバカにされた。草津の湯はphが高く、殺菌作用が十分にあるので、石鹸などいらないのだと言う。「そんなの常識でしょ?」的な言い方だったので、主人以上の知識でphと肌の関係について詳説して、宿の親父に恥を書かせてやろうと思っていたところ、美人な女将さんがやってきた。「そんなこといっても、若い方は気になるわよねぇ」と言ってくれた一言で、宿の親父と私の論争にケリがついた。

宿からの外出は自由。自室の鍵の管理も自分で行う。この辺がホテルと随分違うように思う。そして、21:00位まで部屋に戻って静かにしていてくれれば、他に何をしようとかまわないと言う。まるで天国のようである。
私は早速、草津一番の名物と言っていいと(思う)湯畑へと向かった。時間は19:00。ライトアップされた湯畑は、昼間の湯畑とはまた違う、幻想的な趣がある。ついでに、部屋に冷蔵庫があることを知り、氷と水が欲しくなった。もちろん、用途はウイスキーを飲むためである。湯畑周辺にスーパーがあることを地図で確認し、向かう。温泉場では酒やつまみは大体高くなるので温泉にたどり着く前に買うべきなのだが、草津ほどの規模になるとスーパーでもコンビニでも、酒屋でも何でもある。許されるなら、1年位、住んでいたいものである。ネット環境が整っており、それだけで仕事が出来るなら、草津は非常に良いところである。

外に出ると気温0度以下。微妙に雪が残っているほどである。ちょっと寒かったが、春用のコートを着て撮影に夜の湯畑撮影へ向かう。
暖色系の光の中の湯気が実に美しい。草津は宿泊の経験は無いが、1度だけ来たことがある。自分が20か21才の頃だからもう10年も前のことなのだが、スキー旅行の帰りにやってきたのだ。かといって、どこかの湯に入ったわけでもない。光泉寺という寺で、友人Aさんと一緒に並んで拝んでいる写真が家にある。あの頃は若かった。そして、痩せていた(苦笑)
「湯畑」と呼ばれるだけあって、どんどんと湯が湧き出てくる。それを7本の木桶で各旅館へと運んでいる。私が宿泊している宿のお湯も、湯畑から直で来た温泉だ。木桶からの滝のような流れも実に美しい。夜の撮影ではシャッタースピードを速めることは出来ないので、明日また日中の湯畑を撮影しようと思う。

私が宿泊した宿は湯治宿という、一般的に1週間以上逗留する人向けの宿である。そのため、宿泊代が信じられないくらい安い。安い分、部屋が悪かったり料理が悪かったりするかと言うと、決してそういうことはないようだ。これが私が宿泊した宿の写真である。草津はまだ雪が残っているほどで、夜を過ぎると気温0度を下回る。そのため、二重サッシで、ファンヒーターがあり、小さなコタツや冷蔵庫(冷蔵庫はあっという間に酒で埋まった…)まで用意されている。今、この文章もコタツの上で書いている。
夕食が17:30と病院よりも早いのはちょっと痛いが、夕食にはこの通り刺身までついており、量にしても質にしても全く不満は無い。風呂は旅館のような豪華さは無いが、湯畑から引いた温泉であり、とても暖まる。十分に暖まったら、部屋には冷えたビールが待っていると言うこのあり難さ。うれしいねぇ。

木曜日の20:00からテレビ朝日系列で放映されている「京都迷宮案内」という番組がある。この番組で杉浦という新聞記者(橋爪功)が暮らしている「田舎亭」という下宿がある。こうした下宿に住まい、女将さんに色々と面倒を見てもらいつつ家庭的な料理なんかに囲まれながら生活しているあのスタイルに、私は猛烈に憧れている(京都であると言うことにも憧れがある。京都で見たいところはたくさんあるのだ)。しかも仕事は新聞記者で、週に数本コラムを書くだけで、京都の色々なところをめぐりながら事件を解決していくと言うあの「生活全て」に、とても憧れている。もちろん、私に新聞のコラムを書くほどの文才は無いが、とにかく羨ましい。死ぬまでに数年、そうでもして暮らしてみたい。
だが、ここ草津における一週間はかなりそれに近い。私はこの一週間で、徒歩でいける範囲の様々なところに体の無理が無い範囲で出張って、写真を撮ったり、感想を述べたりしながら暮らしていこうと思う。

今日から7泊8日の草津への湯治である。前日は早寝して翌日に備える(強力な睡眠薬を飲んでいるため)であったが、そうも行かず出発はちょうどお昼になった。

平日なのでさほど混んでいないかと思っていたのだが、甘かった。3月~4月は役所の予算消費のための道路工事が活発に行われており、至る所で片側交互通行をさせられる。高速道路に乗るが、体調が決して万全とはいえない状況の私には、こまめな休息が必要であった。単調な道路であるが故に、眠気が増して危険なのである。かなりの回数休息しながら渋川・伊香保ICを降り、草津温泉へと向かう。
草津は位置的には群馬と長野の境に位置する。そう言うと猛烈に遠いように感じられるが、実際はそんな距離は無い。私の家から170km位である。体調がよければ、高速など使わないでも余裕で来られるはずだ。
山間の道をJR吾妻線に並行するように、国道145号線を進む。この国道でも年度末の工事が実施されている。さらにダム建設も行われているようで、その工事用資材を運搬するトラックが頻繁に通るのだが、法定速度以下で走行するので、あっという間に渋滞が出来てしまう。ダムを過ぎると登坂車線も登場し、爆走できるようになる。今までの走行スピードの反動か、エンジンをレッドゾーンまで回し、100kmオーバーでワインディングを駆け抜けた。やはりどうやっても、車という趣味から離れることは出来無そうな気がする。そんな速度を一時的に出せても、資材運搬トラックと片側交互通行のおかげで高速を降りてから宿に着くまで3時間もかかってしまった。

色々とブログに書きたいネタは尽きないのだが、直近の出来事について整理されておらず…といった状態だ。
だが、今日からはまた家を離れる。湯治の旅へ出かける予定である。
その間、ブログの更新は再度、休みます。

はじめの7日間は草津温泉、そのあとの7日間は奥鬼怒川…というより西会津に近い湯西川温泉にて過ごす予定である。今の私に課されていることは、十分に休養すること。家以上に休養するには「湯治」という選択も悪くないと思った。
移動は車で行う。綺麗な新緑を見て、英気を養ってこようと思う。

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毎年、妻と2人でささやかに行っている。去年は妻のお腹が大きくなっていて「来年は子供と一緒に来ているね」といったような話をしたことを記憶している。全くそのとおりになって、良かったと思う。元気な男の子が授かって本当に良かった。

本来であれば、昨日、花見に行く予定であったが、天候が悪く実施できなかった。花見のときに食べるパンは購入していたのだが、花見が中々出来なかった。パンも昼食などで消費され、それだけで昼食がまかなえる量ではなくなった。残ったパンにはポテトサラダをはさんでサンドイッチを作ってもらい、それ以外の食料はマルエツで調達する参段となっていた。息子を乗せたベビーカーを押しながら、近所のマルエツへ向かう。
石焼芋や太巻き、ソーセージなどを購入して、元荒川河川敷のベンチで、桜を見ながら食事をする。桜は相変わらず満開の状態である。少し、散り始めているところだ。こんなイベントも今年で三度目になる。息子も来年の花見の時期は歩けるようになっているだろうか?日に日に顔が出来上がり、結構自分に似てきたなぁと思える息子を見ながらそんなことを思った。

今日は寒い。そして平日だ。だから誰も花見などしていない。平日にベビーカーを押しながら登場する私を見て、近所の人は相当不思議がっていると思う。元々、勤務時間がフレックスタイム制であったし、凄い時間に帰って来る事も少なくなかったので、私がどのような仕事をしている人なのか、近所の人からすれば、相当謎だと自分でも思う。サーバのセキュリティの都合上、出社して作業をしていたが、ルーチンで発生するような業務は、実はネットワーク環境が整っている自宅からも可能なのである。週に1~2度の出社で済むようなサテライトオフィスシステムは、私にとっては長らくの夢であった。ネットワークの普及により恩恵を受けた人も少なくないと思うが、私に限って言えば、まだそのようなレベルではない。しかし、完全なるサテライトオフィスシステムが構築されてしまったら、私はきっと運動不足で成人病になってしまいそうである。
さて、明日からは湯治だ。携帯電話を使ってネットワークにログオンできるようになったが、これがもっと安価・高速になり、サテライトでの勤務が許されれば、湯治場からの勤務も可能だ。時と場所を選ばずに働ける。そんな日は、本当にやってくるのだろうか?

入院したりしていたため、もう二ヶ月も髪の毛を切っていない。頭の前方はさほど問題ないが、頭の横や後ろ髪がだいぶ伸びてきてしまった。みっともないので、旅行に出る前にしっかり整えておこうと思った。
実は、伸びているのは髪の毛だけではない。鬚も伸びているのである。年齢30才にしてはいささか早いかとも思ったが、入院時から口鬚を伸ばしている。口鬚以外の部分は剃っているので、伸びきれば夏目漱石のような鬚になることであろう。妻はこうしたことに全く口を挟まない人なので、客観的に見てどのように感じられるのかはわからないが、そうでなくとも老け顔の私は、ますます老けたように思える。元々実年齢+5才くらいで見られることが多かったのだが、鬚のおかげで今は実年齢+10才というところである。ああ、妻の年齢を追い越してしまった。私の妻は妖怪なので、年齢が7才位若く見られる。これにより、見た目だけの年齢判断は妻と私で逆転してしまったといっていいだろう。この鬚を仕事に復帰してからも維持すべきかどうかは、現在懸案中である。
平日で雨天という状況のためか、いつも行っている美容室はガラガラに空いていた。椅子がおそらく10数個あると思うのだが、使っているのは私だけである。予約などしなくても良かったのかもしれない。新しく担当になってくれた方は仕事が非常に速い。めがねを外しているから、雑誌を見ながら髪の毛を切ってもらうようなことが私は出来ない。早く終わると払うお金が損したような気分に少しなるが、まぁいいのである。
駅方向に向かう途中、池袋の交番がある。ここで面白い(不謹慎)光景を見掛けた。これである。トヨタの最高級車「センチュリー」とタクシーの衝突事故である。私も実は20才の時にセンチュリーに車をぶつけたことがある。センチュリーは1000万円ほどする。乗っていたのは福島テレビの社長であった。
センチュリーはオーナーが自分で運転する車ではなく、運転手が運転し、オーナーは後部座席でふんずり返っているような車である。事故当時は運転手が運転していただけで、後部座席には誰も乗せていなかったようである。また、その衝突相手がタクシーというのが珍しい。タクシードライバーといえば、あの難しい二種免許所持者である。しかし、勝手ながら車の状況からどのように事故が発生したかを推測すると、過失はタクシー側にありそうである。タクシードライバー、油断したか?個人タクシーではなかったので、タクシーは会社のものであろう。色々と追求されてタクシードライバーは大変であろうが、全くもって不幸な話である。
そんな様子を横目にしながら、fon端末が売られていないかをビックカメラなどで調査したが、あれは秋葉原でないと買えない代物らしい。とりあえず、今日これから秋葉原に行く気力は無いので、導入は諦めた。これで草津温泉にfonのアクセススポットがあったりすると、半ばぶちきれそうなものである。
しばらく池袋方面に出ることも無いので、蓮田駅で定期の解約をした。思った金額ほどは戻ってこなかった。定期券がなくなることで、東京の街に出るのがさらに億劫になるのは必至である。

入院を一週間繰り上げた分、1週間長く湯治をしようと思う。当初は1週間位かと考えていたが、まぁ、2週間はいけるだろう。

さて、どこに行くか?

個人的に行ってみたかったのは草津温泉であった。そして、「湯治の出来る宿」という本で見ているうちに行きたくなったのは湯西川温泉の旅館である。湯治を専門とする宿の割には、ネットで確認したところ、露天風呂もあるし朝昼晩の3食を提供してくれると言う。
そこで、草津温泉1週間、湯西川温泉1週間というスケジュールで湯治旅行に出ることにした。あ~、なんと言う贅沢。1日あたりの予算を算出し、それで宿泊することが出来る宿を探すと…あった!やはり場所としてメジャーなせいか、それとも「お医者様でも草津の湯でも、恋の病は治せない」と言われているくらい、「恋」以外にはてきめん(笑)の効果があると言われる名湯のせいか、草津の方が若干、料金は高かった。
さっくり場所を決めたらあとは予約。無事に予約を取ることができ、4/5~4/11を草津で、4/12~4/19を湯西川温泉で過ごすことにした。これだけの期間の長期一人旅は中々無い。楽しみである。

天気がいい。自宅近くの汚い川「元荒川」の河川敷は桜がたくさん植えられている。きっと満開で、花見客も大挙して押し寄せてきていることであろう。
もう少しするとこのエリアで桜祭りが開催されるのだが、私が蓮田に越してきてから桜が満開の時期に行われた記憶が無い。既に桜が咲いていたり、逆に全く咲いていなかったり、雨天だったり…なので、桜祭りというものを一度も見ずに、この蓮田で3年近く過ごしている。
息子をベビーカーに乗せ、私達夫婦で出かける。私が家で常飲している「竹鶴12年」もなくなったので、酒屋にも寄ろうと考えている。
酒屋で絶句。竹鶴12年が150円位値上げされていた。ここから+100円されると、多くのスーパーで購入するのと変わらなくなってしまう。くそー、客の足元見やがって。竹鶴でなくとも、病院で飲んでいた余市でも良かったのだが、この店には置いてなかった(この日以降、様々な酒屋で余市があるか確認をするが、多くの店に置かれていない。ニッカの中級以上のウィスキーは意外と置かれていないことに気づいた。サントリーのは置いてあるのに…)。この酒屋を贔屓にしてきたかが、このような態度に出るようでは…自宅近隣の他店の調査をもう少ししっかりと行う必要がありそうだ。
河川敷に移動すると、酒を飲みまくって出来上がっている人が大量にいた。私は蓮田に知り合いと言うものが居ないので、誰に会おうと驚くようなことはほとんど無いのだが、妻は知り合いや同級生数名に遭遇しているようであった。
歩いていると、前方からいろんな人に握手しながら近づいてくる男性と女性二人がやってきた。4/8は埼玉県議会選挙である。私の住むエリアからは二人の候補者が出ている。現職と新人である。現職は何期勤めたのかはわからないが、鼻の下が長く、馬のような顔である。それに比べて、新人は40代後半~50代位の男性だ。横に女性が2人居たと記したが、おそらく奥さんと娘さんなのではないかと思う。現職は広報車を使って、拡声器で叫びまくっているが、新人はこうした花見の席に出向いて、一人一人に握手しながら挨拶を繰り返した。花見の場と言うのは、選挙の広報活動に最適な場であると思う。この辺りの両者のやり方を比べただけで、どちらに票が傾くかが見えてきそうなものだが、選挙と言うのはあけてみないとわからない。変な利権が働いていたりすることで、予想外の結果になることもあるだろう。私は先日まで入院していた病院から投票すると言う手続きを誤ってしてしまい、さらに選挙当日は既に湯治旅行に出ているだろうから選挙権は無い。握手はしたけど、役に立たなくてすまんね。

2009年6月

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