2007年5月アーカイブ

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20070530/20070530-00000035-jnn-soci.html

ペンシル型けん銃所持、組幹部を逮捕
 東京の暴力団幹部の男が、自宅マンションにペンシル型のけん銃2丁と実弾およそ40発などを隠し持っていたとして、警視庁に逮捕されました。

 銃刀法違反などの現行犯で逮捕されたのは、東京・江戸川区に住む松葉会系暴力団の幹部、折橋君臨容疑者(30)です。

 調べによりますと、折橋容疑者は自宅マンションにペンシル型けん銃2丁と実弾41発、さらに、覚せい剤およそ4グラムを隠し持っていたところを逮捕されました。鑑定の結果、ペンシル型けん銃には、発射した跡が残っていたということです。

 調べに対し折橋容疑者は「銃は知り合いの暴力団関係者に頼まれて預かった。覚醒剤は逮捕前日にJR亀戸駅前で買った」と供述しているということです。警視庁は、銃や覚醒剤の入手ルートについてさらに追及しています。(30日11:16)

[30日13時11分更新]


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070530-00000076-jij-soci

自宅にペンシル型拳銃=組幹部を逮捕-警視庁
5月30日12時1分配信 時事通信

 自宅にペンシル型拳銃や覚せい剤などを隠し持っていたとして、警視庁組織犯罪対策5課と高輪署は30日までに、銃刀法違反などの現行犯で、東京都江戸川区松江、指定暴力団松葉会系組幹部折橋君臨容疑者(30)を逮捕した。「拳銃は知人から預かっただけで、覚せい剤は自分で使うために路上で買った」と話しているという。


H中学校卒業生の中でピンと来た方だけで結構なのですが、どう思われますか?この珍しい名前と一致する年齢…偶然とは思えないのは私だけでしょうか?彼は14才の時に行方不明になっているし…。
何か情報があったら教えてください。私ももう少し情報を集めてみたいと思います。

同じマンションに住む男に片思いした女が、彼の全てを知ろうとゴミを集め生活を想像、同じタバコを吸うなどし彼自身に近づこうとする。愛する人のすべてを知りたいためにゴミを集める女性の行動を描いたラブストーリー?。主演は中村麻美、 鈴木一真、柴咲コウ、田口トモロヲ。監督は廣木隆一。2000年作品。

久しぶりに88分の上映時間が異様に長く、辛く感じられるほどの駄作!と言い切ってしまいながらも、「夢に描いていたことが実現してしまうと、急に魅力がなくなる」ってのは結構私もあって、ちょっと同感。しかしその対象がゴミってのはなぁ…ホント、ゴミは個人情報の塊っす。私の個人情報など知ったところでどうにもなりませんけど、何だかシュレッダーを購入したくなる1作w

しかし、柴咲コウが超どうでもいい役として登場しているのが何ともいえない。この後、メガヒットした女優だよなぁ。歌手としても十分才能をみとめられるし。

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『一筆啓上火の用心
 こんち日柄も良いようで あなたのお命もらいます
 人のお命いただくからは いずれ私も地獄道
 右手に刃を握っていても にわか仕込みの南無阿弥陀仏
 まずはこれまで あらあらかしこ』

テレビ埼玉で平日AM9:00から必殺シリーズ第6弾「必殺仕置屋稼業」が「必殺必中仕事屋稼業」の次として今日から放映されている。
(当時の放送期間は1975年7月4日から1976年1月9日までの全28回)
上記はこの番組開始のシーンでのナレーションで、前作の主役級の草笛光子(前作の嶋屋おせい)が担当している。

主役は一応、エンディングタイトルを見ていると市松(沖雅也)かと思うが、この作品には第4作に引き続き、中村主水(藤田まこと)が出演しており、いわゆる「主水シリーズ」の3作目にあたる。
本作は主水が北町奉行所から南町奉行所に異動になるところから始まる。しばらく裏の仕置の稼業から抜けていた主水であるが、本作の元締め…というよりは仲介役に近いおこう(中村玉緒)に
 「いったんこの(仕置の)道に入ったものは抜け出られんのと違いまっか?」
と押切られ、また自分の「裏稼業を始めるかどうか?」という判断が遅かったがために助けられなかった人も出てきたという自責の念もあってか、渋々承知して仕置を始める。今作では主水に監視役の十手持ち亀吉(小松政夫)がくっついてきて、仕事振りを細かく中村家の女達に伝えたりしている。前作から比べると、裏稼業は決してやりやすい状況ではないが、その中で何とか立ち回る主水の苦労は見ているものを楽しませてくれる。

仕置の方法だが、主水はいつもと同じ刀で相手を切る。藤田まこと氏もまだ若いので激しい立ち回りになることもあり、中々楽しめる。
市松は竹製の細い針のようなもので首の後ろから刺す。沖雅也は必殺シリーズ第2弾「必殺仕置人」いて「棺おけの錠」役で出演している。このときは武器がノミであったが、殺し方は非常に似ている。市松はちょっと設定が変わっていて、仕置人というよりフリーの殺し屋に近い。そのため、主水が持ってくる仕事以外でも殺しをしている。
印玄という坊さん(ひどい破戒僧w女は買うわ、人は殺すわ…)は相手を屋根の上まで怪力で持ち上げ、そこから叩き落すというもの。今までのシリーズにも何人か出ている怪力系キャラである(仕置され落ちていく悪役が「やめて止めてやめて止めて…」といいながら何度もアップになりつつ落ちていく姿は結構笑えるものがある。
殺しは主にこの3人が行うが、情報収集(今までの「おひろめの半次」のような仕事)は捨三(渡辺篤史)が担当する。情報収集以外にも、殺しの誘導役までもできる中々の芸達者である(たまにしくじって、主水にボコボコにされているけど…)。普段は風呂屋の風呂焚きをしており、この風呂焚き場が裏稼業の打ち合わせや仕置料のやり取り場になっている。

本作の見所はやはり市松と主水のやり取りであろう。最初に市松と主水はお互いを敵同士として戦うのだが、この戦いは必殺史上5本の指には入ると思われる名勝負である。こうした出会いであるから2人の関係はちょっとクール。だが、本作の最終回にもそのクールさの中にも思いやる気持ちが多少生まれてきたりしているのがおもしろい。そのために主水はひどい目に合わされるわけだが。
しかし沖雅也という俳優はすごいと思わされる。仕置人の「棺おけの錠」はひどい熱血漢であったが、市松はものすごいクールなキャラクターである。こうした「役になりきれる」名優であった。早世されたことが大変惜しまれる。

ある目的のために歯磨き粉を12種類くらい治験させられる夢を見る。
変な味のものがあったり、飲む歯磨き粉があったり…それに順番を点けていこうというのだ。
何なんだ、この夢は・・・

先日ヤフオクで落札したミニステレオコンポ「ONKYO FR-V5」が今日、到着した。早速、自室にスピーカー「YAMAHA NS-120」を配置し、セッティングを開始した。トールボーイ型スピーカーが6畳の自室に置かれることで手狭になるのでは…という懸念もあったが、いろいろと片付けて配置してみると特に問題にはならなかった。むしろスピーカーの上に写真立てやPDAのクレードルが置けるようになり、空間的には広がったように思える。

まず手持ちのCDを再生してみたのだが、シアタールームでの視聴には劣るものの、予想以上にに音が良くて驚いた。元々自室にあった「KENWOOD ALLORA XL-3MD」よりも音がいい気がする…。
FR-V5+NS120構成は左右スピーカーへの音の分離が良く、実際に演奏している楽器の位置が把握できるような印象をうける。また、中~高音域の伸びやかさが感じられ、特にピアノの音の再現性が優れている。反面、XL-3MDは全体的に力強い音であり低音域の迫力はあるものの、イコライザー処理を切っても、いくらか音にバイアスがかかっている感じがする。少々不自然さは感じるものの、迫力を出すという意味では効果があると言えようか。FR-V5はジャズやクラシックの再生に向いており、XL-3MDはロックやポピュラーサウンドの再生に向いていると私は感じた。
価格で比較すると、XL-3MDは確か定価が10万位だったような…で、FR-V5はスピーカー抜きで定価は6万しなかったはず…。しかしXL-3MDはカセットテープデッキがあったり、6連装CDチェンジャーがあったり、派手なイコライザーが付いていたりする。ちょっと機能面を優先しすぎている印象は否めない。

動作上の不具合はMDの録音のみとの事であった。念のためその他の動作確認をすると、CDの音飛びが見られた。これは湿式レンズクリーナーでCDのピックアップレンズ清掃をしたところ改善され、特に問題は無いと言える。
しかし、\3,500でこれだけのものとは…ものすごいお買い得だったと言えよう。本当に得したわ、これ。

バイオリニストであるこのアーティストが演奏する曲はジャンル分けが非常に難しい。クラシックのようであったり、ジャズのようであったり、童謡のようであったり…こうした方のために「イージーリスニング」というジャンルが存在しているのかもしれない。

川井郁子というバイオリニスト・作曲家はちょっと普通じゃない。大阪芸術大学芸術学部教授という肩書きを持ち、駆るバイオリンは大阪芸術大学所蔵の1715年製「アントニオ・ストラディヴァリウス」である。この数千万円の名機を操り演奏される曲は時に激しく情熱的であったり、時に静かで穏やかであったりと実に多様である。同じ人間がこれだけの多様性を持てるということに驚きを隠せない。
彼女の魅力はそれだけではないのである。とても美しいのである。もうここまで演奏が見事で、こんな容姿ってのは反則である(笑)

このアルバム「The Violin Muse」は彼女初のベストアルバムである。私が入手したのは初回限定DVD付きであった。このDVDでは「花音」と「ザ・ヴァイオリン・ミューズ」の2曲を演奏する川井郁子の姿を見ることができるのだが、私はこれでいきなりノックアウトされてしまった。ハープにあわせて優雅でゆったりとした「花音」を演奏する彼女の穏やかな姿に見とれていると、次の曲「ザ・ヴァイオリン・ミューズ」でその情感に圧倒される。静と動の、音と演奏する者の美しさが見事なまでに表現されている。いやぁ、久しぶりに音楽で感動させられた。絶対に初回限定版を入手すべきと断言できる。
もちろんCDの内容も私の期待を裏切らなかった。最も印象に残ったのは、彼女の代表曲とも言っていい「Red Violin Based On En Aranjuez Cou Tu Amor(恋のアランフェス"レッド・ヴァイオリン")」である。フラメンコギターと共に演奏されるバイオリンの巧みさには完全にやられてしまった。

音楽には感情が必須であるということを改めて考えさせられた。そして、その感情を引き出すのには、それなりの道具も必要なんですねぇ。

ビジネス・ナンセンス辞典よりも前に発売された、2ページで一つの内容について言及していくエッセイ集である。その内容がしりとりになっており、始めの言葉「しりとり」→「リトマス試験紙」→「白雪姫」→「メタモルフォーゼ」…のように続いていく。全105篇のエッセイが掲載されている。

とにかく2ページで一つのエッセイになっているので、電車に乗っているときや病院の待ち時間など、ちょっとした時間に読むことができる。だが、書かれている内容が例によって中島らも節炸裂なので、顔がにやけてしまったりして、笑いを噛み殺すのが非常に難しい。外で読むには「変人」と呼ばれることを覚悟しなくてはならないかもしれない…
テーマとなる言葉があまり一般的ではない言葉の場合、まずその言葉の解説から始まるのだが、一通り言葉の成り立ちや意味を説明した後に「嘘である。」と、全言撤回することが何回かある。意外とこの解説が理にかなっていて「へぇ~」と思わされるのだが「嘘である。」の一言で全身が脱力してしまう。まぁ、よくもそんな話をでっち上げで考えられるなぁと感心してしまう。
忙しい生活の中でも、笑いの潤いが欲しい方にはぜひともお勧めの一冊である。

300枚格納のCDラックをシアタールームに置いて使っているのだが、とうに所有CDは400枚を越し、収納しきれない状態が続いている。さらに、DVDもちょくちょく購入しているので、収納状況は悪化の一途をたどっている。
今の状態で地震がきたり、CDラックを揺らすような事をすると、上からCDが雪崩のように落ちてきてしまう。これから「はいはい」、「つかまり立ち」をする息子の頭にでも落ちてきたら大変である。

そこでCDラックも機能に引き続き、ヤフオクで落札。といっても、中古品ではなく新品をオークションストアから希望落札価格で落札した。\4,000である。送料は全国\1,000なので、しめて\5,000となる。今使っているラックには\10,000以上使ったような記憶があるので、それに比べると半額以下である。現物を見たわけではないので、何ともいえないが、あまりチープなものじゃないことを祈りつつ…これがオークションの面白いところでもあり、ちょっと恐い所でもある。

シアタールームの見直しにより余ったYAMAHA NS-120パソコン用スピーカー化計画のためにステレオアンプを物色していたのだが、見ていると段々と欲が出てきて「あ~、CDプレーヤーがあったら使うかもなぁ」とか、「MDプレーヤーか…あったら合ったで便利そうだなぁ…」などと思うようになり、アンプ+チューナー機能を超えるものを物色し始めるようになった(CDプレーヤーもMDプレーヤーも自室にあるステレオについているんですけど…)。だが、あまり大きなものは自室に収納できないので、セパレート型のシステムコンポはちょっといけない…と見ていると、ONKYOのFR-V5とCR-185LTD(前者はCD+MD、後者はCDコンポ)が目に入った。どちらも外部入力端子を2つ(TAPEを含むと3つ)有するため、今後、入力機器が増えても問題なく使える。

それだけ魅力的に感じる製品なので、どちらも\5,000オーバーで落札されている。だが、今回はこれの入札限界価格を送料込みで\5,000以内に設定。品数はかなり出ているので、粘ればいつかはいけると考えていた。
そんなバトルをここ数日続けて、ようやく今日「ONKYO  CD/MD/チューナー FR-V5本体 ジャンク」というのを\3,500(送料\1,000)で落札した。おそらく「ジャンク」という文字が効いたのであろう。ジャンクと記載されているものの、出来ないことは「MDの録音」のみである。私が今後MDの録音をすることはあまり考えられないし、部屋のコンポで録音は出来るから別に不自由はしないのである。リモコン、マニュアルは付属しないものの、実にいい値段で落札させていただいたと思う。

品物が到着してからの動作チェックが今から楽しみである。

警官との問答の末、ようやくたどり着くことが出来た。あー、精神的な疲労が否めない。百観音温泉のサイトはこちら

車を駐車場に停めて温泉の入り口に立つと、先ほどの警官が現場の写真を撮ったり、メモを取ったりしている。たった1点の減点と\6,000の罰金であるが、ワケがわからない違反に金を払うほど私もお人よしではない。主張すべきことはしたほうがいいと思う。たとえそれが、結果的に面倒なことになろうとも…

嫌なことは忘れて入浴である。ここの入浴料金は\700である(入室時間が3時間までという制限あり)。\3,000支払えば、貸切風呂や個室を利用することも出来るようだが、今日はいい。健美の湯とこの百観音温泉は距離にすれば2km位しか離れていない。あちらの入浴料は休日\550で平日\500である。まぁ温泉が湧き出ているわけだから、この価格差は仕方が無いだろう。(今日通りかかった時、健美の湯は内装工事中で休みだった。後ほどサイトを見たところ、この工事に一月ほどかかるそうである)
この温泉では、フロントにて入浴料を支払うと、温泉手前のロッカーの鍵を渡される。これを持って風呂に入ったり、または建物内に併設されている食堂で食事したりと動き回ることが出来る。早速、風呂道具一式を持って風呂に入る。この日の男湯(といっても、女湯と男湯がローテーションしているかどうかは不明だが)は、屋内に通常のジャグジー風呂と45℃位の集めの風呂、サウナ上がりに入るための水風呂がある。サウナももちろん屋内にある。サウナは通常の特に変わりの無いサウナである。露天には49℃位に設定されている、かなり高温の立ち湯(深さが結構ある)と、岩風呂、寝湯(ジャグジー付き)、超強烈な水圧のうたせ湯(毛が抜けそう…w)、大型の露天風呂がある。どちらかというと露天の風呂の方が充実している。そのため、天候がよくない日に来るのは避けたほうがいいかもしれない。

関東ローム層で温泉を掘ると、大概黒っぽいお湯が出てくるのだが、ここも例外なくその通りであった。温泉の成分も非常にまろやかで、草津のような強烈さは感じられない。phもかなりアルカリ寄りだと思う。そうした泉質のおかげか、45℃の風呂でもさほど熱いようには感じられなかった(草津の45℃は涙が出そうなほど熱かった)。しかし、露天の49℃の風呂はさすがにこたえた。湯浴びして、体を慣らしてから入ったのだが、皮膚の表面から感じられるビリビリという熱さが何とも我慢ならず。しかも動くとお湯が動くためにまた熱い。私は90秒が限界であったが、そんなに長く入っている人は見受けられなかった。まぁ、こんな熱さの風呂に入ることが健康にいいことだとも思えない。
さすがに温泉なので、一度体が暖まるとその熱は逃げにくい。至る所に休憩用の椅子やベンチが用意されているが、欲を言えば、これをちょっと流して洗うための桶を常備しておいて欲しかった。

この値段で温泉に入浴できるということは非常に魅力的であるように感じられる。しかし、近くには健美の湯という浴場があり、こちらはサウナの設備が充実していて、かつ、自噴ではないにしても、別府温泉の湯や檜風呂などがある。私個人の好みとすれば、百観音温泉よりも健美の湯にどちらかといえば魅力を感じる。本当に温泉に入りたいときにはこちらに来ようと思おう。
と、このように感じてしまうことは、どうも警察の取り締まりで不快な思いをしたことが少なからず影響している。トラウマではないが、何となく嫌な予感がしてしまうのである。

鷲宮にも温泉が湧いていて、入浴できる施設があると聞き、そこへ行くことにした。百観音温泉という温泉である。

カーナビに住所を叩き込み、目的地へと向かう。どうやら目的地は埼玉県道3号さいたま栗橋線(以下、栗橋線)沿いにあるらしい。それならば、周囲の看板を見ながら栗橋線を運転すればいいだけである。

しばらくさいたま方面(手前)から栗橋方面(先)に走っていると、こんな看板が見えてきた。もうしばらく走ると

こんな具合に右側一帯に百観音温泉の看板が見える。つまり通り過ぎてしまったわけである。前の写真でも「手前右折」と、Uターンを促すような看板が出ている。私は右折レーンに入り、対向車がないことを確認してUターンした。
Uターン後少し走ると左折の看板が見えたので栗橋線から東鷲宮駅方面へ曲がった。そこで、背後からの声に聞こえた。
 「ナンバープレート○○○の車、止まりなさい!」
パトカーである。パトランプまで点けて私を追ってきたようだ。はて、どこで違反をしたのだろうか?疑問を持ったまま車を道路左に寄せ、停車した。車を降りると警官の一人(以下、警官A)が私のそばにやってきて
 「Uターン禁止の場所でUターンされましたね?」
という。私は
 「Uターン禁止かどうかは知りませんが、Uターンはしました。」
と答える、警官は
 「栗橋線は全線Uターン禁止なんです。1点の減点と罰金になります。」
という。私は蓮田市に引っ越してから散々栗橋線を利用しており、今までガンガンUターンしてきた。全線Uターン不可ということは全く知らなかった。とりあえずパトカーの後部座席に乗れというので、パトカーの中に入った。

パトカーの中にはもう一人の警官(以下、警官B)が運転席に居た。警官Aは助手席に乗り込み、私に免許書の提示を求めた。言われるままに免許書を渡すと、警官Aは事務的にいわゆる「違反切符」というものと、違反金を振り込むための用紙の記入を始めた。
私は非常に不可解であった。なぜなら、百観音温泉が提示している看板の通りに運転してきて、つかまったのである。率直にそのことを疑問に思ったので、伝えると警官Bが
 「その手前にUターン禁止の標識があったと思うのですが、見ませんでしたか?」
と聞いてくる。私は
 「百観音温泉が目的地でしたから、百観音温泉の看板しか見ていませんでした。気がつきませんでした。そんな標識ありましたか?」
と答えた。掲載した2枚目の写真を見てもらうとわかるように、百観音温泉は相当目立つ看板を出している。そこが目的地であれば、そこしか見えなくなるのは当たり前ではないか?さらに、その百観音温泉自身が「Uターンせよ」という看板を出しているのである。そういうと、警官Bはポラロイドカメラを持って栗橋線のほうに向かって走っていった。警官Aは相変わらず事務手続きを黙々と行っている。しばらくすると書き終えたようで、違反金の振り込み場所等の説明を始めた。それが終わる頃に警官Bは写真を持って戻ってきた。

確かにUターン禁止の標識が出ている。しかし「二木ゴルフ」の位置に注意しながら2枚目と3枚目の写真を見ていただきたいが、この看板が見える位置ではでかでかと「百観音温泉」という看板が出ており、そこが目的地ならばUターン禁止の看板などに気がつくわけが無いのだ。挙句の果てにUターンしろという百観音温泉の看板があるのである。そこで私は
 「この百観音温泉の看板は違反を誘発することになりますよね?私はこの通り曲がっただけなのですが。こうした看板の取り締まりはされないのですか?」
と聞き返した。警邏中とのことだが、こうした看板の取り締まりは警邏業務に十分含まれると思うのだが…すると、警官Bが
 「要望として署内に提出します」
と答えた。私はこのような回答では全く納得できなかった。そこで私は
 「あの看板は出来てもう何年経っているんですか?それとUターンを促す看板を出している店はまだたくさんありますよね?あの手前のコンビニもそうした看板を出しています。要望とおっしゃりますが、いままで要望を出されていなかったのは明らかに警察の職務怠慢ではないのですか?現にこうして違反運転の誘導をされているわけですから。」
と、半ば怒りながら返答した。すると警官Aが
 「そんな、こうした看板を全部気にしながら運転なんて無理ですよ。してませんから」
という。呆れてしまった。私は
 「あなた…名前はなんとおっしゃる?Mさん?私は警邏中にこんなものすら見つけられない、気にしないのは非常に問題だと思うのですが。警邏って何のためにしているのですか?」
すると、警官Aは
 「ですが、現に違反を既に私達2人で見ているわけですから、それを取り消すことはできません。」
と、するっと逃げられてしまった。ならば追いうちをかけよう。私は
 「しかしですね、禁止行為を周知させる標識であれば、このような位置にあったのでは意味がないと思いませんか?右折レーンに入った時点ではこの看板は見えません。少なくとも、右折レーンに入った時点でも気づくような位置に標識を置くべきではありませんか?」
と話した。間髪いれず警官AとBが揃って
 「といっても、交差点の真ん中に看板を置くことは出来ませんから…」
という。呆れてしまった。
 「右折レーンの下に書くとか、必ず目に入る対角線上に標識を置くとか…いくらだって手はあるでしょう?」
と、返答する。すると二人揃って
 「ああ、そういう方法なら…」
といっている。日本の警察は大丈夫だろうか?私は何だか心配になってきた。そして
 「いずれにしましても、本件について承服しかねますので、この違反切符と違反金納付用紙を受け取るわけにはいきません。この取締りに対して異議申し立てをさせていただきます。」
と答えた。警官2人は目を丸くした。どうも手続きが良くわからなかったらしく、警官Aは社外に出て署に電話をしだした。その間、警官Bと話をする。
 「随分と熱心に最近は違反の取締りをされているようですが、何かあったのですか?」
返ってくる答えは想像できるが、一応聞いてみた。すると
 「春の交通安全予防週間ということで、いつも以上に警察官を動員して取締りを強化しています。主に一時不停止や交差点での取締りを重視してまして、おかげで死亡事故も減っているんですよ。取締りの効果は出ていますね。」
とのこと。そりゃね、それだけ動員して事故との相関関係が無ければ税金の無駄遣いですからね、当たり前でしょ…。しばらくすると警官Aが戻ってきて
 「手続きがわかりましたので、異議内容を口述してください。それをこの書類に書きますので…」
と、細長い紙を私に見せた。なんという名前の書類かは忘れてしまったが…。
 「では、お願いします。…Uターン禁止路線でのUターン行為で違反の指摘をされたが、Uターン禁止であるという事を運転者に認識させるには情報が不十分であり、また違反を助長すると思われる民間の看板が放置されたままの状態である。こうした現状から考えると本違反指摘は承服しかねるので異議申し立てる…でお願いします。」
そういうと、口述どおりに警官Aが用紙に記述しはじめた。最後に内容をもう一度確認し、印鑑を持っていなかったので拇印を押した。そして私は
 「先ほどの違反切符は抹消してください。納付用紙も必要ありませんので返却いたします。」
といい、目の前で切符を抹消するところを見届けた。警官Bが
 「近いうちに何らかの形でご連絡いたしますので、それまでお待ちください。」
というので、それを了解した。そしてパトカーの後部座席から自分の車へ戻った。

…結局1時間位、パトカーの中で問答していたことになる。実に不快な気持ちにさせられた。どう出るかわからないが、とりあえず警察からの連絡を待とうと思う。

シアタールームのリアスピーカーを変更したのに伴い、今まで使っていたYAMAHAのNS-120が2本余ってしまった。ハードオフあたりに売ってしまおうにも、猫にサランネットをやられてしまっており、こんなものはものすごい値段で買い叩かれてしまうだろう。かといって、ヤフオクで売るにも配送手続きが面倒でならない。

ということで、自室のコンポのメインスピーカーにし、現在のメインスピーカーをサラウンドスピーカーにしようと思ったのだが、このコンポはKENWOOD社製の専用サラウンドスピーカーでないと接続できないらしい…ならパソコン用のスピーカーにしてしまおう!と思いつき、ヤフオクでアンプを探すこととなった(部屋のコンポではいつもFMを流しているので、これの外部入力にパソコンからの出力を回すわけにはいかないのである)。
ヤフオクに出品されている通常のステレオアンプは今、ものすごい安価になっている。「昔の名機がこんな値段か!」と驚きを隠せないが、2個も3個も落札したところでどうにもならないものなので、まぁチューナー機能を搭載しているのものを、自分のこづかいの範囲内で落札しようかなと思う。

ヤフオクの出品者というのは中々商品の価格動向を見ているようで、面白いことに1円スタートの商品であっても、実際に終了時間間際になるとそこそこの値段になっている。
ちょうどそんな具合に価格が推移するために、安く落札しようと思っているのに出来ずにいる製品が一つある。
カラーテレビである。

どうもうちにはそろそろ生き続けるのは難しそうな…でも、無いと非常に困るテレビが一つある。ダイニングキッチンにあるテレビである。このテレビ、今現在動いているのが奇跡としか言いようが無いほどの代物である。メーカーがすごい。「ゴールドスター(現LG電子)」製でもちろんMADE IN KOREAである。製造年は推定1990年。妻が大昔に友達からもらったものが、妻と一緒についてきて、今も騙し騙し動いているという状況のものである。リモコンがあったが、今はリモコンに反応しない。直接、テレビのボタンを押してチャンネルを変えたり音量を変えたりしながら使用している。冬が近づき寒くなると「キーン」という超音波級の高音を発する。この超音波は我が家の季語のようなもので、超音波を聞いて「寒くなってきましたねぇ」なんて話を妻としている。もう5年もである(笑)
こんな具合で温かく見守られてきたテレビに、ついに「引退」の話が出てきている。本体のチャンネルボタンでテレ朝が映らなくなってきたのである。テレ朝は時代劇やら刑事ドラマやらで我が家にとってはNHKの次くらいに大事なテレビ局である。それが映らないということは超音波を発するなんてこととは比べ物にならないほどテレビの進退問題に影響を与える。

現在、21インチテレビを使用中のため、同サイズかまたはもう一回り大きいくらいのテレビへの買い替えを早急に検討しているのだが、このサイズのものを新調するとなると液晶テレビを選択せざるえない。だが、液晶テレビは買えない。液晶表面にボールペンのようなものでアタックされて液晶テレビを壊されたという話を知人に聞かされたからだ…かといって、プラズマの大型買うほど金は無い。
そんな私達が選んだ選択、それは「ヤフオクで安く落札しよう」なのである。条件は25インチ~28インチで、ブラウン管式、アスペクト比は3:4でも結構!(16:9なら、なお結構!)そして、2011年を過ぎてもテレビ買い替えの目処がたたなそうでも使えるよう、D1端子または、コンポーネント入力端子を備えていること(もう、ハイビジョン画質じゃなくてもいいです…ハイビジョン画質で見たければシアタールームへ行け!)。そして、これを\5,000以内(送料は別)で落札!

この条件に当てはまるテレビは大体\1,000あたりから始まるものが多いのだが、落札時には\5,000を越えているのがほとんど。トリニトロン管を使うソニー製のテレビだと、落札価格が\10,000近くなっているものも見られる。でも、目標金額以上では絶対に落札しないのである。このへんをしっかりと決めておかないと、ズルズルと高額に高額にと流されてしまう。オークションというのは魔物である。

我が家の8畳和室には、5.1chスピーカー構成のホームシアター環境が構築されている。
この部屋の隣の6畳和室にて、最近は妻と息子が寝起きしている。息子が「はいはい」から「つかまり立ち」をするようになると、おそらく8畳和室にも来ることが想像できるため、危なそうなものは今のうちに撤去したり、配置を換えたりしようという話が出ていた。

ホームシアター環境を構築するのに使用しているリアスピーカーはYAMAHA NS-120というトールボーイ型スピーカーなのだが、床がたたみのため、通常使用では問題ないものの、何かが捕まったりすると倒れてくる可能性が考えられる。まずこれが危ないと槍玉にあがった。確かに12.5kgの自重があり、危険といわれれば危険である。
ということで、このスピーカーをやめて吊り下げ型のスピーカーに変える事にした。ついでに、使用しているアンプは6.1ch対応のYAMAHA DSP-AX1200であるため、リアセンターにもスピーカーを1台用意しようと思う。(といっても、DVDプレーヤーがDTS ES対応じゃないので、CD等のPCM信号をアンプのDSPがDTS ES処理したときのみの活躍…と、あまり意味がなかったりするのだがw)
我が家の天井は素材が良くわからないため、屋根からの天吊りはそのままスピーカーが落下してくる危険性も否めない。しっかりした壁の、しかも木材が確実に奥まで存在している位置に取り付けるのが無難であろう。そうなると、スピーカー固定用のブラケットが必要となる。スピーカー+ブラケットとなると結構な費用が必要となる。私はこの計画にあんまりお金を投入するつもりはない。そのため、中古のスピーカー+新品のブラケットで構成しようと考えていた。近所のハードオフ(かなりスピーカー類は充実している)を2店ほど回ったところ、YAMAHA NS-90が2本で\10,000で売られていた。このスピーカーは一本\10,000なので、ちょうど半額である。NS-90は「NS-120の上半分を切り取りました」という感じのもので、同等の能力は期待できる。ブラケットが1つ\6,500だから、定価で売られると想定して\23,000か…ちょっと嫌な出費だなぁと思っていた。吊り下げ型スピーカーの王道というか、名機「BOSE 101MM」あたりがオークションで十分に落札できてしまう位の出費である。うぅ。
そんなことを考えている時に、他のハードオフのような店を見つけたのでちょっと覗いてみたところ、オースミ電気製スピーカーAV-635がブラケット付きで、しめて\5,000(定価の1/4以下)で売られているのを発見!しかもほとんど新品同様で傷一つない…(オースミ電気ってかなりマイナーな印象を受けるが、結構業務用なんかでは導入されているもので、この価格帯の製品にしては珍しくMADE IN JAPANだったりする)ううう、\23,000の1/4以下か…現在は決して金に余裕がある状況ではないし、サラウンドスピーカーだしなぁ…と迷った挙句、これを導入することに決定。センタースピーカーも変更して、現在のセンタースピーカー(元々は天吊り用のスピーカーをセンタースピーカーとして使用していた)をリアセンターに配置しなおした。

というわけで、比較的安価に6.1ch環境を完成させて、転倒防止問題も解決。それでも子供は予想外の事をしてくれるから怖いなぁ。あとはCDラックにCDが入りきらなくなってきてCD雪崩が置きそうだから、ラックの増設かな?

草津町から長野原方面へ向かう国道292号線は円を描くように道路が出来ている、変わった形の国道である。行きは国道292号線から145号線を使って中之条まで行く道路を使ったが、この道は現在ダム工事などでトラックが多く走っている上に、バスの往来も比較的ある。これといって難しくもない単調な道路なのだが、思ったほど速度が出せないという難点がある。
中之条に向かうにはこれとは違うルートがある。292号線で六合村方面へ向かい、暮坂峠を越えるルートである。距離は若干こちらの方が長いようだが、何しろ車が少ない。だが、峠の道はものすごいコーナーばかりで、油断できない。「道の駅 六合」は国道292号線から暮坂峠方面へ分岐する道路の寸前にある。これから展開される激しいドライビングを挑もうとするドライバーに少しばかりの休息を与えてくれる。

六合村には非常に多くの道祖神が存在することがこの看板からわかった。この道の駅の中にあるものも双頭道祖神の一つで、状態が非常に良い。比較的新しいものなのだろうか?
六合村の名産品はハムなどの加工肉である。だがこのシーズンは山菜やきのこ類が良く採れるらしく、道の駅でも今日収穫されたものが販売されていた。義理の母のお土産に山菜類を購入した。

暮坂峠の途中には若山牧水が詠んだ詩が石碑になっていくつか残っている。この石碑の隣には「牧水清水」という名の湧水がある。これも飲料可能な湧水で、ちょうど持っていた500mlの空きペットボトルにこの水を汲んで持っていくことにした。不純物は一切見られないきれいな水である。飲んでみると味も良い。この水でお茶を淹れるとおいしいと、私の後から水汲みにやってきたおじさんは言っていた。だが、500mlのペットボトル二つではお茶を沸かす前に飲みきってしまうだろう。
中之条までの所要時間は、145号線を使うルートに比べてかなり少なかった。あちらには箱島湧水があるのが惜しいが…145号線側では八ッ場ダムが完成すると利便性の良い道路が作られるという。そうなったらあちらの方が便利になることであろう。道さえ良ければ、高速を使って3時間位で自宅から草津に行くことが可能になるだろう。そうなれば、利用の機会もまた出てくるというものである。

その後、渋川伊香保ICから関越自動車道に入り、花園ICで降り、熊谷を経由して自宅へ帰った。熊谷市内では各横断歩道ごとに警官が歩行者、自動車の誘導をしていた。春の交通予防月間というやつであろうか?警官も集める気になればこんなに居るものなのか…普段は何をしているのだろうか…?そんな疑問が拭えなかった。

前回、翁の湯を利用した際の記事はこちら
女性用の浴場からは声が聞こえるが、男性用からは聞こえない。さすがに昼間から入っている人は居ないようだ。脱衣所と浴室の照明をつける。相変わらずきれいに整頓されている脱衣所である。前回は脱衣所の写真を掲載できなかったが、こんな感じである。風呂も今日は掃除した後ほとんど使用されていないようで、きれいなままである。源泉からの湯は流し放題…比較的浴槽が大きいけれど、ずっと流し放題ではかなり熱いはず。例によってまた20回ほど湯浴びをし、入浴する。ちょっと歩いて疲れた体に効く~。ここの湯の源泉は湯畑。本当に温泉にしばらく入れないと思うと、ものすごく惜しい感じがするが、やはり5分間の入浴が限界。額から汗が滴り落ちる。
さて、これから自宅までのロングドライブである。非常に後ろ髪を引かれつつも、草津町を旅立った。

弓池園地を見終わった後、また道を引き返して草津の街中へ戻ってきた。
さて、草津最後の湯はどこで浴びようか…と考えたとき、前回の草津滞在で「最も良かった公共浴場」として名前を挙げた翁の湯のことを思い出した。「草津ガラス 蔵」というガラス製品のショップでお土産を買っていこうと考えていたのだが、この店には駐車場があり、駐車場と翁の湯は目と鼻の先。絶好のロケーションである。

まず「草津ガラス 蔵」でビール用のグラスを、私と妻の分を2つ購入した。厚めのグラスだが、底とその周辺がザラザラとした質感になっており、ビールの泡が滑らかになるそうである。猫が月見をする絵が描かれており、何ともかわいらしい。
その後風呂に…と思ったが、ちょっとだけ腹が減った。時計を見れば2時になろうとしている。朝食が遅かったからこのような時間になって急に空腹を覚えたのだろう。しかし、草津の飲食店の多くは2時でランチを終了してしまう。さらに、ちゃんと昼飯を食べたいと思うほどの空腹ではない…と、食うか食わぬか迷っていると、名案(迷案?)が浮かんだ。この「草津ガラス 蔵」の前の通りは出来立ての温泉饅頭を丸々一個試供品として食わしてくれる「饅頭ただ食いストリート(勝手に命名)」なのである。試供品を提供している店は二店。「草津ガラス 蔵」に近い方の店は、甘みがさほど強くない上品な味の饅頭を提供してくれ、その先にある店の饅頭はかなり甘い(以前ブログに書いたこの店である)。湯畑まで行って帰ってくれば都合1つずつ、往復で計4つ食べられる計算になる。これなら昼飯も不要だな。うひひ。
片手にカメラを持ち、もう片手に草津商工会が配布している案内マップを持つ。あくまでも私はここを初めて通る旅行者である…と、自分に対して念じる(笑)。おかげで湯畑への行きの道のりで2つゲット。湯畑に近い甘い饅頭を出す店ではお茶も出してくるが、これをつかんではいけない。お茶が入っている茶碗の返却場所は饅頭屋の店内にあるため、ちょっと気まずいのだ(笑)。そのため、片手だけが空いているような状態がベストである。饅頭掴んで、あとそれ以上は何ももてなくなるからである。しかし、ここの饅頭は本当に甘い。本音を言えばお茶が飲みたい。が、無視無視…

また湯畑にやってきた。今回こそ当分のお別れになるだろうと思い、一周ぐるっと回ってみる。相変わらず熱い湯がどんどん湧き出している。そういえばブログでは触れなかったが、この湯畑をデザインしたのは岡本太郎なのである。当時の草津町長と岡本氏は懇意であった関係でデザインを担当したという。
今日は月曜日。観光客も休日に比べると少ない。名残惜しさは否めないが、あまり時間がない。何枚か写真を撮影し、また「饅頭ただ食いストリート」へと戻る。

ところが、予想に反して一店目では饅頭をくれなかった。予想外の展開だったため、予定変更。この店の手前にある公共浴場「凪の湯」のある方へ曲がる。凪の湯には入らずに写真撮影だけして、また戻る。すると、饅頭をくれた(笑)。しかしいつもの茶色い饅頭ではなく白い饅頭…白あんの温泉饅頭である。例によってお茶は回避して、次の店にたどり着く前に食べ終える。甘い。甘すぎる!(ただで食って文句を言う俺)あー、お茶飲みたい…と思いながらも、もう1つゲット。さすがに4つも食べれば満足。食ってもコンビニのおにぎりで十分ですな。近くの自販機でお茶を買いながらそう思った。

駐車場を湯釜と反対方向に進むと弓池という池がある。弓池園地の半分は池で、もう半分は湿地帯である。

池の中心にはまだ氷が張っていた。非常に澄んだ水であり、後ろの背景が水面に鏡のように映る。氷がなければ完全に映るため「逆さ富士」のような光景を目にすることも出来るだろう。この池も草津山の火口の一つで、火口のくぼんだところに水がたまって池が出来た。同じような現象で湯釜も出来たと考えられるが、あちらが乳白色が入ったグリーンなのに対し、こちらは無色透明である。たった数百メートルの距離の差でこのように色合いが異なるのだから不思議でならない。
私は弓池の周りをぐるっと徒歩で一周してみた。途中、雪が階段に残っていたりして非常に危険ではあったが、この池はどの方位から見ても美しい。ほうらい岩というちょっと小高い岩地でぬかるみに足をとられそうになるが、何とか回ることが出来た。一周してまた息があがってしまった。本当に運動不足である。

湿地帯には木の歩道が作られておりここを歩けるが、まだこの季節では湿原の植物を見ることもできなかった。夏に来るのが最適なのではないだろうか?ここにはどのような植物が見られるのだろうか?他にも高山植物を見ることができよう。
次に来る機会の宿題がまたできた。「草津良いとこ~一度はおいで~」という、「一度といわず、二度も三度も」(ホテル櫻井のCMだな…これじゃ)来たくなる観光地である。

先ほどの休憩所からしばらく走ると、湯釜に最も近い駐車場とレストハウスが見えてくる。駐車場は\410と少々高いが仕方が無い。駐車場から外に出ると、冷たい風が肌を引き締める。少し軽装だったかな…と思いつつも、湯釜へ向かううちに体が温まるだろうとそのままの姿で向かうことにする。
近いかと思っていた湯釜だが、意外と距離と勾配があり、登りきったときには息が上がってしまった。今回の旅では車を使った移動が中心だったから、体がなまってしまっているのかもしれない。

湯釜の中はとてもきれいな色であった。エメラルドグリーンの水にミルクを混ぜたような…何とも神秘的な色である。
私の出身地、福島県には「五色沼」と呼ばれる、その名の通り「沼底が五つの色に見える」不思議な沼がある。そこも磐梯山の噴火により出来た沼なのだが、火山の噴火は人々に甚大な被害を与える反面、こうした不思議な現象をも起こす。

湯釜周辺の土は火山灰がほとんどで、しかも先日の雪どけ水でぬかるみ、靴に容赦なく泥が着いてまいった。まだきれいに残っている雪の中に靴を突っ込んで、汚れを落した。ここ以外にも展望台があるようだが、このようなぬかるんだ道であったことと、時間の都合で見ることができなかった。また一つ、宿題を残してしまった。また来る機会があったら、その時はそこまで足を伸ばそうと思う。

空いている冬季閉鎖のゲートを突破し、しばらく急な坂道を走る。すさまじい角度のコーナーが続くが、登りはまだ楽だ。同じ道を下りで走ると思うとちょっと恐ろしい。強烈な1速のエンジンブレーキをも多用しないとスムーズなコーナリングは難しい。ドリフトを楽しんだりするには最高のコースかもしれないが、ちょっとミスればここでは命の保障は無い。
道路の上の雪は除雪されているが、周囲にはまだ残っている。私が草津に到着した日、5月11日の前日5月10日には草津では結構な雪が降ったという。そのときの雪の残りかもしれない。
少し運転に疲れてきた頃、うまい具合に休憩所を見つけた。ここにある看板には、草津白根山の噴火履歴が記載されていた。結構な割合で噴火していることがわかる。この看板は平成9年に作成されて物なので、この後も小規模なものはあるのであろう。草津白根山が噴火した場合、直径10cm~1mくらいの石が火口から3km位まで飛ぶ可能性があるようだが、3kmなら草津の市街地は免れよう。だが火山灰や軽石はそれ以上の距離を飛散するであろうから、大規模噴火による草津町への影響は測り知れない。
休憩所からは草津の街並みを一望することができた。随分と高い場所へ移動してきたことを実感。こうして見ると、街中には随分と高い建物が多いことがわかる。ホテル等の宿泊施設もあるだろうが、それ以上に多いのはリゾートマンションであると昨日、H氏からうかがった。バブル期に数千万円した物件が、一時は数百万円になるようなこともあり、ものすごい勢いで買い叩かれたという。おかげで、今はあまり物件が残っては居ないそうだ。新規にマンションを作ろうにも、温泉の採掘権取得のためには、草津町に3年以上在住する必要があるそうで、この権利だけでも相当な価格で取引されているという。草津のリゾートマンションで、温泉に入れないのでは全く意味が無いと言っていい。
お釜へ向かう途中、山の中腹辺りでものすごい硫黄臭がする場所があった。車で早々に立ち去ったが、その場所に長く居たらちょっと危険だったかもしれない。

前日、ペンションのオーナーと酒を飲みながら日付が変わっても飲み続けていたせいか、アルコールが抜けきっていない。飲みなれぬ泡盛などをストレートで飲みまくってしまったためだろうか?私は過去に安い泡盛を飲まされ、ひどく辛い思いをした経験があるため泡盛は避けていたのだが、良い日本酒がまるで水のように飲むことができるのと同じように、泡盛もそんなものなのだろうか?イリオモテという名前の泡盛で、イリオモテヤマネコの絵が描かれていた。高価なものであったようだが、酒の味がわからないオーナーにとっては宝の持ち腐れだったらしい。

通常、宿のチェックアウトといえば10:00が当たり前なのだが、客が私しか居ないということで何時にチェックアウトしても良いと言われた。お言葉に甘えて朝食前に「女湯」の方に入って酔いを醒まし、朝食を10:00に頂いた。チェックアウトした時間は11:00頃になっていた。
今日は草津白根山山頂までドライブし、湯釜を見る予定である。前回草津に来た際にはまだ道路が通行止めになっており見ることができなかった。大変残念な思いをしたが、今日その無念を晴らせる!外は見事な晴天である。
では、Yペンションさんのオーナーと奥さん、大変お世話になりました。また草津に来る機会がありましたら利用させていただきます。

今日の客は私のみであった。このペンションの良いところは、夕食の時間が特に決まっていないことである。出先からペンションに電話をかけ「何時に戻ります」と伝えておくと、それにあわせて夕食を用意していてくれる。今日、ペンションに戻ったのは21:00頃であったが、帰ったら熱々のステーキにありつけた。客が少ない日のスペシャルサービスなのかもしれない。

今日は食事をしながらペンションのオーナーと話をした。聞くとこのペンションのオーナー、前オーナーから3年前にペンションを譲られてからペンション経営を始めたらしく、それまではずぶの素人だったらしい。なるほど…と思われる点が考えてみればいくつかある。ペンションであれば当然あるべきものが無かったり、どうもペンションというよりも民宿に近い感じが否めなかった。言われてみれば料理も実に家庭的(言い換えれば普通すぎ)だなぁと感じていた。でも3年でここまで作れるようになるということは、料理を担当している奥さんは相当努力なされたのではないだろうか。このオーナーはペンション経営を始めるまでは、米を研いだことすらなかったというのだから(笑)

私は結構ペンション好きで、多分20ヶ所以上行っていると思う(ホテルは実はどちらかというと苦手)。妻があまりペンションを好まないので最近は行く機会が減っている。このペンション、風呂がいいのだからもうちょっと集客出来そうなプランはないものかと、オーナーと一緒に考えてみた。
色々話した中で出た結論、それはもうちょっとオーナーには修行を積んでもらうということだった。まずまずいと感じたのは「他のペンションに宿泊したことが無い」というオーナーである。それでよく経営できたもんだなぁと別な意味で関心してしまったのだが、とにかく勉強するつもりでオフシーズンに自分のペンション休業してでも行くべきであることを薦めた。それと、オーナーがお酒が飲めないというのが致命的であるように感じられた。大概、食事を出してくれるペンションであればワインをはじめとした酒類のメニューがあるはずなのだが、ここではそれが無く実に不思議に思っていた(私が一人で宿泊しているから出さないのかと勝手に思ってた。でも、一人だって酒をオーダーすることはあると思うけど…)。大概、今日の料理を教えていただいた上で、数種類のワインの中から合いそうなものを紹介してもらってきたのだが、それが出来ないのは非常に痛い。奥さんは飲めるそうだから、これは奥さんがやってもいいかもしれない。

ペンションに必要なのは「非日常性」である。非日常性があるからこそ、いつもは出来ない贅沢をちょっとしてしまう。そこが客にとっても楽しいのであり、そうしたあぶく銭っぽいところからお金を儲けないとペンション経営なんてやってられないと思う。どうもこのペンションは日常的過ぎるのである。日常的なのは湯治宿や民宿に任せて、もう少しAmazingな感覚を味あわせてくれ~。
こんな談義をオーナーとついつい12時過ぎまでしてしまった。でもまぁ、その間にただ酒たくさん飲ませていただいたので、大変感謝しております。

ペンションの風呂からも星空を眺めることは出来る。だが、寝ながら星を見るということはできない。これをするためには「西の河原露天風呂」へ行くしかない。今回の草津湯治では一度もこの風呂に行って居なかったので、車を飛ばして行って来た。幸いにも今日は晴天である。前回は4月だったため夜の気温がグッと下がったが、あれから一月経過し、夜の気温も多少は上がっている(でも、夜は暖房必須な草津…)
入浴したのは19:00頃であったが、随分と日が長くなっていてまだ空は完全な漆黒には包まれていなかった。これから暮れて行く夜空に付き合いながら、星が見えるのを待とうと思う。19:30頃になり、あたりは大分暗くなった。しかしここの風呂は20:00までしか営業していないのである。早く暗くなれなれなれ…と念じていると北斗七星が見えてきた。他にも星がまばらに見える。二等星が見える位になったとき、20:00になってしまった。しかし周囲を見回すと、まだかまわずに入浴している人が居るのでドサクサにまぎれてもう少し見せてもらうことにした。

星を見ながら少し考えた。私は一体何をしているのだろうか?私は物書きを生業にするものではない。今回のようにハンセン病市民学会に出席したり、在住されている方と話をする必要など無いのだ。ハンセン病のことも大分調べたり紹介を受けることで知識を得ることは出来た。だがそれを積極的に伝道したりするつもりも実はそれほど無いのだ。ただ知りたい。そう思わされる好奇心のなすがまま動かされている。これでは患者の方々やその家族の方々に失礼ではないのか?自分一人が正しいことを知っているかのような傲慢な気持ちすら見え隠れしていることに気がつき、何だか嫌な気持ちになってくる。

っと、考え事ばかりするのはやめて星に集中しよう。ただ光っているきれいなものを眺めるために無心になろう…と思っても中々無心になれない。そんな具合にむずむずしていたら、20:30になっていた。まだ入浴している人は居るが、いくらなんでもそろそろ出ないと、たぶんバイトの受付の兄ちゃんが困るだろう…と思い湯を出た。

駐車場に戻ると、街灯が全く無いことに気がついた。天を見上げると、プラネタリウム並みの…何か光る石をぶちまけたかのような星空が見られた。露天風呂には街灯があったのだが、街灯の有無でここまで星の見え方が違うものかと驚かされた。10分位ボーっとしていると急に冷えてきた。湯冷めしてしまう。宿に戻って夕食をとることにしよう。

M氏は栗生楽泉園に直接勤務されている方ではなく、他の病院に勤務されている方であるが、元同僚や知人が5~6名ほど栗生楽泉園で看護の仕事をしているという。その方たちからM氏が聞いた労働環境の印象等について聞くこととなった。午前中のH氏同様、ハンセン病市民学会とは無関係の方である。

M氏の知人の話に寄れば、栗生楽泉園という職場は入所者や自治会に反抗するようなことはせず、それなりに言いなりになってさえ居れば、それほどきつい労働環境ではないとの事である。仕事の多くは医療行為よりも介護に近いようなことが多いそうである。民間の医療機関に居た頃に比べれば、忙しさは雲泥の差であるという。
特に不満が出ない理由には、給与の良さが挙げられるだろうとM氏は言っていた。つい最近まで伝染病患者を扱っていたため、給与の25%分の「危険手当」なるものが支給されていたとの事だ。現在はこの手当ての支給はされていないが、同等の額を保障する様々な手当てのおかげで、やはり民間と比較すると割りの良い収入が得られるそうである。昨日のハンセン病市民学会の中では「看護師が集まらない」ということが挙げられていたが、M氏からすれば集まらないことも無い(栗生楽泉園だけ例外?とは考えにくいのだが)といっていた。

また、同じ医療機関に勤めるものとして、これ以上の職員増加が本当に必要なのかどうかという点について疑問を抱いているようだった。医師が不足していることは確かかもしれないが、年がら年中看護師と事務職員の募集をしている。それが不思議であるとの事だった。
本当にそれだけの職員が必要ならば、やはり統廃合が必要であろうというのがM氏の考えであった。M氏によれば、群馬県においても北海道ほどではないにしても医師不足により診療科目を制限せざるえない病院が出てきているそうである。適切な医療か「第二の故郷」かのトレードオフになるというのがM氏の考えであった。

M氏の意見は医療現場に実際に属している方のリアルな意見であると思うが、ハンセン病患者が療養所に強制連行され、劣悪な環境下で治療といえないような治療を施され人権蹂躙されたという歴史的認識が残念ながら希薄であることが感じられた。しかし、問題は紛れもなく今起きているのであり、それにどう対応すべきかという答えを早急に出さなくてはならない。正直、私にもどの方法が最良なのかはわからないのだ…

この後、草津町在住の臨床検査技師の方と話しをする予定になっているのだが、また微妙に時間が空いてしまった。草津で時間が空いたらば風呂である(草津に居る間は、どこに行くにもタオルとバスタオルを持ち歩くことを強くお勧めいたします)。この千歳の湯は昨日入浴した喜美の湯の近くにある。おそらく湯畑の源泉を使用していると思う。
中に入ると先客が1名居た。風呂の大きさは喜美の湯とほぼ同じだが、作りはこちらの方が古い。喜美の湯と千歳の湯は非常に近いので、どちらか迷われるのであれば前者をお勧めする。先客が居なくなったら脱衣所や風呂を撮影しようと思っていたが、次々に地元の方と思われる方がやってきて撮影は出来なかった。ちょうど日曜日の夕方。風呂に入りに来たくなる時間である。
湯浴びをして5分間入浴後、この湯を出て、待ち合わせ場所の喫茶店へとむかった。

若干、前のシンポジウムの時間が押してしまい最初から参加することはできなかったが、ハンセン病違憲国家賠償訴訟全国原告団協議会会長で「谺 雄二」さんらに栗生楽泉園の中を紹介していただくというイベントである。前回、単身で見学に来た際にほとんどの施設を回ったが、それらにどのような歴史があるのか説明を受ける機会は無かったので、より理解が深まるであろうと楽しみにしていたのだが、集合場所の中央会館前に居る人影はまばらだった。
中央会館には大学生と思われるボランティアの方(リクルートスーツのようなものを着て、まだなれないような革靴を履いていた女の子)が居たので、「フィールドワークはもう出発出発してしまいましたか?」と聞くと、「出発したばかりなので、今から向かえば間に合うと思います。おそらく地獄谷のあたりに行っていると思います」と回答を得た。


さて、地獄谷とはどこなのだろうか?とりあえず納骨堂の方に歩いていくと、ちょうど納骨堂とその前にある「命 カエシテ」と書かれた「堕胎児の碑」の説明をされているところだった。前回来たときにはこの「命 カエシテ」の文字に圧倒されて石碑の背面を見なかったが、そこには

堕胎児の碑
1932年設立のとう栗生楽泉園において強制堕胎された児のうちこの事実が判明した加藤順一桜井真理子の両氏ら26人にわたる堕胎児のその位置の奪われた無念を遺族と共に衷心より悼み茲に「命 カエシテ」の一念刻む碑を建立する
2007年3月28日 国立ハンセン病療養所 栗生楽泉園入園者自治会
と記されている。前回訪問したときは、この石碑が出来た直後であったらしい。本来であれば生まれてくるべき命が、暗黙の了解の中で闇に葬られたという悲しみがものすごい勢いで伝わってくる。暗黒の歴史を伝えるためには十二分の効果がある石碑である。

次に地獄谷と呼ばれる、栗生楽泉園の端にやってきた。草津の中でもはずれにある栗生楽泉園では今、さくらが満開である。
地獄谷は栗生楽泉園が出来る前から地獄谷と呼ばれていた場所である。一見すると断崖絶壁だが、もう少し下に下がると坂はなだらかになるのだという。木や笹が生い茂っていてなだらかな坂まで見ることはできなかった。
ここは戦中に石油の供給停止を受けた際、代理の燃料とする薪を拾うために谷にロープを架けて作業をした場所だと説明を受けた。戦中は患者作業の負担が最も多かった時期で、ここで足を滑らせて死亡した人、手足を骨折して障害を残す人が絶えなかったという。ロープ越しに登ってくる薪には下で薪を拾っている人たちの血が付いていて、最も辛い作業であったと谺氏は語っていた。まさに「地獄谷」だったわけである。


ちょうどその後ろ側には供養塔が立っている。昔はハンセン病患者は遺体焼却に一般町民が使用する施設を使用することが許されておらず、ここの場所に焼却炉があったという。戦時中は焼却用の石油が無いため薪で焼却したが、完全に焼くことが出来なかった。完全に焼けていない遺体は地獄谷に捨てられたという。


この後、前回の訪問で見忘れてしまった(というか、場所が良くわからなかった)重監房跡を見学した。重監房跡は栗生楽泉園の入り口すぐそばにある。現在ではこのように土台だけが残っている。入り口付近には形ばかりの医務室(全く使われた形跡は無かったとのこと)があり、その先に房がいくつかある。房になっていた場所の一角には必ず四角い穴がある。これは便所の跡である。外から汲み取ることが出来るようになっている。房には屋根はあったが小さな窓があるだけで、くもりや雨の日は昼夜の区別も付かなかったという。房以外の廊下は天井が無く、足元には雑草がぼうぼうと生えていたという。午前中の分科会で聞いた話では、この重監房跡地の半分を復元し、半分は土台だけ残す予定とのことだった。そのため、土台や転がっているコンクリートを踏まずに見学するように注意を受けた。冬には零下20度にも達するという草津の冬。凍死する人間が出てくるのもうなずける。

これにてフィールドワークは終了し、ハンセン病市民学会のイベントは全て終了した。意外だったのが、このフィールドワークの参加者に若い方が多かったことである。そして、どのような施設であったかを初めて聞くという方も少なくなかったようだ。こうした活動を通じて、病気への理解や差別意識の撤廃が出来ればと強く思う。

午後からは場所を栗生楽泉園に移してのシンポジウムである。今回は車で栗生楽泉園に向かったが、草津市街地から車で行っても割と時間がかかるように感じられた。前回草津に来た際は良く平気でここまで歩いてきたものだと我ながら驚く。栗生楽泉園の門をくぐり中央会館前に車を駐車したが、このシンポジウムが開催されている場所がわからず、市民学会の運営補助をしている若い女性の車に乗せてもらい、目的地までたどり着いた。栗生楽泉園もかなり広大な施設であり、場所さえわかれば自分の車で会場前まで乗りつけたのだが…

本シンポジウムで扱われた「胎児標本」とは何か…?

胎児標本
ハンセン病に関する研究が不十分であった時代、ハンセン病は「遺伝病」でもあると考えられていたため、夫婦どちらかがハンセン病にかかっている場合、その子もいずれは発症(垂直感染)すると思われていた。そのため、療養所内で結婚を希望する場合、男性はハンセン病の子孫を残さないためにほぼ強制的に断種させられていた。それが結婚の条件であった。だが、断種前の状態で男女間関係を持って妊娠したり、療養所へ入所する時点で妊娠している場合、堕胎を強制された(1948年の優生保護法成立前に行われた堕胎は堕胎罪が適用されるはずである。優生保護法成立後であっても、任意承諾の無い妊娠中絶は違法である)。堕胎が困難な時期まで妊娠が発覚しなかった場合は出産後、嬰児殺をしていた(もちろんこれも非合法であるが、療養所内では当たり前に行われていた)。「ハンセン病は遺伝しない」という医学的知識が当時の患者には無く、これらを屈辱と感じながらも甘んじて受けざるえないような状況があった。後に医学的に「ハンセン病に遺伝は無い」ことが証明された後も断種・堕胎は続行されていた(1949年から1996年までに行われたハンセン病を理由とする優生手術は1,400件以上、人工妊娠中絶の数は3,000件以上)。また、懲罰的意味からこうした屈辱的行為が強行されていたという事実も少なからず存在しているようである。
堕胎または出産された嬰児の行方はその両親にすら伝えられて居ない。世の中における一般的処置(妊娠12週未満の胎児は「廃棄物」としての処分、それ以上のものは死産として届けた上で火葬・埋葬)がされているかと思われていたが、実際にはそうではなかった。2005年1月に提出されたハンセン病問題に関する検証会議の最終報告書にて、国立療養所ならびに関係施設に放置されたホルマリン漬けの「胎児標本」が114体存在することが明らかになった(後に2体発見され、現時点では116体の存在を確認)。標本作成の目的は垂直感染の研究や、らい菌の培養(らい菌は非常に弱く、人工培養ができない)考えられるが、前者は1910年代~20年代の研究者達によって、胎児の血液中や胎児諸臓器の細血管内もしくは神経組織内のらい菌の証明などがすでになされている。その実験結果により「胎児への菌の移行は認められるが、それによる感染の成立はみとめられない」という考え方が、学界内で一般的になり、現在でもこの考え方が支持されている。その後新たな研究はほとんどなされていない。後者はハンセン病治療薬の開発等の目的が考えられる。しかし胎児標本には実験に用いたのであれば必ず残る切開創が見られるのは20%程度であるという。つまり、何のために標本化したのかが良くわからないのである。
さらに、現在残っている胎児標本はホルマリンのメンテナンスが適切にされていないがために真っ黒で何にも使いようが無いものがほとんどであるが、駿河療養所には定期的なメンテナンスが施されたものが入所者からも見える位置に展示されているという。

さて、この問題が何故急に浮上してきたかというと、2007年2月14日の朝、国立ハンセン病療養所星塚敬愛園(鹿児島県詩化屋市)にて、これら胎児標本の火葬が強行されそうになったからである。胎児標本については、誰の子供であるか、またどのような状態かを明確に判明させる必要があるし、火葬するのであれば家族である入所者や退所者への確認や承諾が必要である。しかし、それら正当な手続きを踏まぬまま、「子を産み育む自由」という権利を奪い続けた証拠を隠滅しようとしたのである。
結果的に、火葬が予定されていた18体のうち、家族などの確認がなされていない6体については、今回の火葬は延期された。とにかく患者の高齢化が著しい現在、胎児標本の身元調査は急務である。しかし国としては資料が残されておらず、全ての身元解明は非常に難しいと回答してきている。しかし、このシンポジウムのパネリストの一人である平野氏によれば、カルテから身元をたどることは現在でも可能であるとの意見が出された。
しかしこの身元解明も非常にデリケートな問題で、場合によっては誰と誰の子供なのかということが明らかにならない方が良い場合もありうる。強制的に開示されてしまうということについても配慮が必要である。

今回は胎児標本が主な対象となるシンポジウムであったが、他にもハンセン病の研究を目的とした(必ずしもそうでない例もあるようだが)病理標本・手術摘出材料とされたものも数は少なくないと見られている(昭和12年に行われた「癩患者の胎児に於ける癩菌の検出」実験では、18体の胎児を使用しているとの記述がある)。非常に管理がずさんで、手術の結果残った体の一部が放置されているような例もあったという。こうした「人体実験」が日常的に行われてきたという点とも関連付けながら考えていかなくてはならない問題である。

なお、本問題については2006年1月10日にハンセン病市民学会が下記のような文書を厚生労働大臣あてに提出している。


ハンセン病療養所の「胎児標本」の取扱いに関する要望書

厚生労働大臣  川崎二郎 様

 昨年11月28日の朝日新聞の報道によれば、厚生労働省は、各療養所に対して、「今年度中に各施設で丁重に焼却、埋葬(合祀)、供養および慰霊を行う」旨の通知を行ったとされています。
 厚生労働省が設置した第三者機関「ハンセン病問題に関する検証会議」の『最終報告書』では、「今回の検証事項の中で、この胎児標本の問題ほど、入所者の人間としての尊厳を傷つけ続けているものはない」と述べ、「標本として残される場合の基本は遺族の承諾であるが、検証の結果そのような承諾書はどの施設にも存在していない」と指摘して、法的にも違法であった可能性が高いことを示唆しています。
 標本化に際して遺族の承諾をとっていなかった事実を踏まえれば、標本の焼却、埋葬に関しては、なおさら当事者である遺族女性の意向が最大限に尊重されなければならないと考えます。当事者の意向に反した胎児標本の焼却、埋葬が強行されれば、国は二重の過ちを犯すことになります。
 また、当事者の意向調査は、国の責任において、じっくりと時間をかけてなされるべきであると考えます。「今年度中に」という時期を限定したやり方は、当事者に大きな精神的圧迫を加え、当事者の心に大きな傷跡を残す危険性があります。
 さらに、胎児標本が、何のために、何を目的として作成されたのか、その歴史的な検証もまだ済んでいません。また、標本にされた多くの胎児の身元すら判明していない事実、さらには標本のなかには新生児も含まれているのではないかという疑問も解明されていない事実を鑑みれば、国の責任において、関係者のプライバシーなどにも十分配慮した丁寧な身元確認を行い、胎児標本に関する歴史の検証をきちんと行うことが先決であると考えます。すくなくとも、胎児標本を焼却・埋葬することで、この問題の真相解明に蓋をするようなことは許されません。
 以上のような理由から、私たちハンセン病市民学会は、早急かつ全国一律の胎児標本の焼却、埋葬に強く反対します。

   2006年1月10日             ハンセン病市民学会

とあるつてで、草津に長年在住する町民2名から「ハンセン病国立療養所がある町の住民の声」を聞くこととなった。これは今回のハンセン病市民学会とは全く関係は無い。一つの事象を分析するにあたって、一方からの意見のみを聞いて判断することは非常に危険なことである。過去にどのような思いをし続け、現在どのような印象を持たれているのか、率直に聞いてみた。

H氏は草津町に在住してもう60年近くになる方である。まず忘れられないと話してくれたことは戦後の食糧難の時代の事だ。田畑が無く(草津は温泉が強酸性であることからもわかるように、ほとんどが不毛の地である)食べ物に非常に不自由する経験をH氏はしているが、療養所の入居者にはそれが無かったという。戦時中は療養所もひどい状態であったが、GHQの管理下になった後はH氏から見ると療養所内に居る以上、食料の保証は確実にされていたように感じられたそうだ。
H氏は現在は不動産関連の仕事をなされているが、以前はタクシー会社を経営していた。経営だけではなく、自分自身もタクシーを運転することがあったという。その際、ハンセン病患者を東京の新宿まで乗せるような経験を幾度もしているそうだ。草津の栗生楽泉園は他の療養所にはない「自分の住宅を持つことが出来る」療養所であった(そもそもある程度資産を持った患者が草津には集まって部落を作っていた。その部落の方々をより療養所へ入居しやすくさせるための措置であろう)。しかし、草津から新宿までタクシーに乗るというのはかなりの金銭を要するのではないだろうか?実家からの仕送り等で金銭的に不自由しない方が多かったのかもしれない。だが、その当時であれば「感染する恐れがある」と一般的に信じられたハンセン病の患者をタクシーに乗せていたということは少々、驚きを隠せなかった。その点について聞いてみると「新宿までの客となれば上客だからね。やっぱりお金には代えられないよ。ただね、彼らを乗せると彼らについている消毒の臭いが車から1週間はとれなくて、それにはとても困ったよ。」との返答であった。こうした返答であっても、当時はハンセン病患者が歩いた後に消毒液をかけたり、一般客と隔離した電車で療養所へ運んだ時代である。それに比べると、H氏との感覚の違いというのが大きく感じられる。湯之澤部落時代にハンセン病患者と接する機会が多かったことがこの点に影響しているのではないかと私は感じた。

H氏からはもう1点興味深い話を聞くことが出来た。町議会選挙や町長選挙に関してである。
栗生楽泉園の患者数のピークは昭和20年の1,331名であるが、新たな患者、死亡者を加え、しばらくは平均1,000名ほどで推移してきたようだ。患者には「らい予防法」という大きな法律の壁はあったが、成人であれば当然選挙権があった。今は市町村合併にて人口7,500名ほどになった草津町であるが、合併前はもっと人口が少なかった。当然そうした人口規模であれば、栗生楽泉園にいる患者達の持つ票は非常に影響力が大きかったことは容易に予想がつく。以前は町議会選挙によく温泉旅館の主人の息子などが出馬したらしいが、そうした際には大々的に旅館を使って接待をしたそうである。らい予防法が廃止になった後、熊本の温泉旅館宿泊拒否問題が取りざたされているが、このような接待があったのはそれより過去の話である。利権が絡めば何でも活用しようという話なのだろうか…
そうした大っぴらなアピールは出来なくなったにしても、やはり候補者にとって栗生楽泉園の存在は無視できるわけが無く、必ず候補者は演説に行ったという。ただ、国が決めた「らい予防法」と戦ってきた経緯上、左よりの共産党や社会党候補者への投票が多かったそうである。また、療養所内自治会から投票を強力に推奨される候補も居ただろうことは容易に想像できる。

ところで、H氏はハンセン病は遺伝病であると完全に誤解しているふしがある。ハンセン病そのものが遺伝するというのではなく、ハンセン病に感染する因子が遺伝すると言うのである。また、性交によって遺伝するとも話していた。やんわりと「それは今の医学では違うといわれていますね」と伝えたが、このような誤解が未だに存在することには驚きが隠せなかった。


コーディネーターの新潟大学准教授 宮坂道夫氏

先の分科会を途中で抜け、午前中の後半は草津町役場会議室で行われている分科会に出席してきた。まず重監房というのが何かを説明する必要があるだろう。

 「重監房」とは、国立ハンセン病療養所栗生楽泉園に設置されていた、ハンセン病患者のための監禁施設である。正式には「特別病室」という名称であった。1938年に旧・癩予防法の懲戒検束規定に基づいて設置され、1947年までの9年間にわたって運用された。施設はコンクリート、鉄材、木材による堅固な独房施設であり、独房に到達するまでに数層のコンクリート壁に設けられた鍵付きの扉を通らなければならなかった。暖房はなく、医師による医療行為も行われなかった。運用された期間に、「特別病室収容簿抜き書き」によれば、全国から93名のハンセン病患者が収監された。このうち、収監中に内部で死亡した者(獄死者)が14名、監禁中に衰弱して出所後に死亡したとされる者(出所後死亡者)が8名に達する。このように、施設の性格は「病室」ではなく「監禁・懲罰」目的に設計された施設であることは明確であった。

栗生楽泉園・重監房の復元を求める会のサイトより引用

市民学会が草津で行われている以上、避けて通ることは出来ない問題である。
ちょうど私が到着したときには、この「負の遺産」をどうするかという論議に至っていた。こうした歴史的遺物に対する意見は2つに分かれる。

  • 非人道的な事が行われてきた施設を見ることには精神的苦痛がある。そうした施設は破壊し、文章や写真にて残すだけで十分である
  • 非人道的な事が行われてきたという歴史をより具体的に伝えるために、実際にその施設を復元すべきである
私はこの施設の問題についてどちらが正しいのかを判断することは出来ない。しかし、第二次世界大戦中にユダヤ人虐殺の現場となったホロコーストや、戦中に全て破壊しつくされたと言われているワルシャワの旧市街等は復元されている。また、重監房の復元運動を通じて10万を越える署名を既に集めており、これを2004年6月に厚生労働省へ提出している。
現在の運動方針では、残されている重監房跡の半分を復元し、半分は現在残る土台部分のみをそのままにすることで話が進んでいるようである。今後の運動を見守りたいと思う。

今日はいくつかの分科会に別れ、自身が興味を持った内容について聴講するようになっている。午前中前半は、熊本県にある国立療養所「菊池恵楓園」退所者である60代男性Kさんの事例の報告を聞きに、草津町総合福祉センターへと向かった。

  1. 菊池恵楓園への入所
    1. 子供時代
      父親が兵隊にとられ貧しい生活。その中で足の皮膚の異常に気が付いたという。検査の結果、ハンセン病であることが判明し、菊池恵楓園へ入所となる。
    2. 入所のとき
      「解剖承諾書」に署名をさせられる。自身が死亡した後、解剖検査に遺体を使用していいという許諾書である。このような書面が取り交わされる場合もあるが、取り交わされずに勝手に解剖される例も少なくは無かったという。
      「園名」に改名させられた。全ての療養所、患者が対象であったわけではないようだが、入園前の名前から改名させられる例は少なくなく、Kさんもそうであったという。人によっては屈辱的と感じることもあったようだが、反対に「ハンセン病患者が親類に居る」ということを隠蔽する意味で、変えざるえないと思った人も少なく無いようだ。
      Kさんの実家の地域では、Kさんは福岡市に居ることになっていた。これもハンセン病患者が親類に居るということを知られることで不利益を被ることを避けるための措置であった。
    3. 園での生活(1)
      少年舎に入ることとなったが、その中での先輩後輩関係が非常に厳しかったという。これは少年舎に限った話ではなく、当時は20畳ほどの部屋に12人位入居させられていた。新規の患者は窓際など寒いところに追いやられることが多く、冬など凍えそうになったという。そうした「牢名主」的な存在がどこでも見られたという。
      「ひもじい」食糧事情。芋などが完全に焼かれていない状態で出されるなど、日常茶飯事であったという。
    4. 園での生活(2)
      何の治療のために何を投与されているなどの説明は特にされていなかった。他の患者でも説明が無い場合がほとんどで、場合によっては新薬の実験台とされた方もあったとのこと。
    5. 園での生活(3)
      まだ患者作業(本来であれば医療従事者や、園の職員がすべき作業を患者に行わせ、ハンセン病の国立療養所は成り立っていた)があった。このことが病気を悪化させる一因になっているのではという疑問もあった。
      このまま患者が作業に埋もれて死んでなるものかと、療養所を出ることを決意する
  2. 「社会」での生活の喜びと苦労
    1. 社会と園とを行ったり来たり
      社会に出てからは、運転免許を取得して運搬の仕事に従事したが、取り扱っていた品が盗品で会社が倒産。失業する。実家で起業するがうまく行かず、再度療養所に入ることとなる。
    2. 子供を産むために園を出る
      再入園して園内で結婚。療養所内にて、一度目の子供は出産が許されず堕胎。二度目の子供はなんとしても出産したいため、療養所を出て生活を再度始める。しかし、近所で「ハンセン病患者なのではないか?」噂を立てられて非常に辛い立場に追い込まれる
      仕事に従事していたが、どれだけ働いても正社員にはなれなかった。正社員の半分くらいの給料で働き続けた。
    3. 子供が小学校で差別される
      何よりも一番悲しかったという(熊本では黒髪校事件のような事件が発生している)。
    4. 「子供の将来のため」に離婚を決意
      子供の結婚問題に大きく影響を与えるため、父親であるという立場を捨てる。その後も関係が悪化したわけではなく子供と会うことが出来たが、結婚後は許されなかった。
    5. 再婚して正式に退所手続きをとる。
      しかし、入退所を繰り返していたため「新規退所」とは認められず、新規退所者向けの補助を受けることが出来なかった。
    6. 現在の近所とのつきあい
      「退所者の会」に入会して活動している。一般社会となじめない感覚は否めず、できるだけ恵楓園の関係者がやっている店(理髪店など)に通っている。

この後、Oさんというハンセン病患者の家族の方から直接、体験してきた社会的差別(お子さんの結婚時の差別経験が中心)について紹介を受ける。

まぁ、とにかく悲惨と言うほか無い。時代の影響もあろうが、病気知識の不足による偏見がまかり通っていた時代で「感染症である」「遺伝する」という意識が絶対的に働いていると恐怖感情を持ってしまい、排斥したくなるという感情も理解できないことは無い。私自身が市民学会に加入してこの病気の真実を積極的に説くという事まではできないが、少なくとも自身は正しい知識を持って患者の方々と接して行きたいと思う。

今日は私以外に、男性女性それぞれ3組ほど宿泊していたため、男湯と女湯が区別され、私は男湯に入った。女湯とはレイアウトが異なっているのが魅力である。男湯も女湯同様、窓を開ければ湯船の中から直接空を眺めることが出来る。今日もまた星がきれいな夜空であった。
湯治目的の宿泊であったとしても、湯に入るのは1日3~4回位に留めておくべきと、湯治宿の親父から聞かされた。そのため、今回の滞在では

  1. 朝起きて、朝食前に宿の風呂に入浴
  2. 昼食前に外の共同浴場で入浴
  3. 帰宅前に共同浴場で入浴
  4. 就寝前に宿で入浴
としている。
明日は朝9:00からハンセン病市民学会のセミナーがある。重監房という施設に関するものと療養所退所者の体験に関するセミナー二つをはしごする予定である。2の風呂には入れないだろうなぁ。今晩は早く眠らなければ…

前回草津に来たときに、湯治宿から徒歩でいける圏内で一番酒が安い店はどこか探し回った。その結果、ビールやチューハイ類が最も安く、品揃えが良いのがこの大竹酒店であることが判明した。ウィスキーは基本的にどの酒屋でも品薄であり、私は自前で持っていったためそれを探す必要は無かったのだが、どうもビールとチューハイばかりは冷えたものをすぐ飲みたいということで、現地調達になりがちであった。今回も一日一度は訪れて、ビールやチューハイを買っている。日本酒も充実しているようだが、あまり詳しくはわからない。
ここには「オゼノユキドケ」という地ビール(前回来たときは、違う地ビールを購入した)が売られている。ピルスナーだけではなく、様々な味のバリエーションがあるこの地ビールは\400という値段である。日本酒なら、草津湯美人という地酒が販売されている。晩酌用のビール以外に妻への地ビール、義理の父への地酒を買ってこの日は帰った。場所は東和銀行草津支店の前。ここに来る道路は一方通行なので注意が必要である。

草津町公民館の近くにある路地を入ったところにある公共浴場である。ちょっと入り組んだ場所にあるので、車で大通りばかり通っていると気がつかれることが少なそうな湯である。そのお陰か、入浴者があまり多くない。入り口は非常に狭いのだが、少し廊下を歩いて脱衣所に入ると横に広がる。そのため、思った以上に実は中は広い。最近部分的に改修されたのか、木製の壁が新しい。脱衣所も清潔であるし、湯船も洗い場も広い。今まで入った湯の中で3本の指に入るといっていいだろう。源泉はおそらく湯畑からのものだと思われる。湯船が大きく、窓も大きいおかげか、湯温は日中に入った関の湯に比べると低い。といえど、草津の湯である。草津流湯浴びをした上で入浴しないとちょっと危険である。湯浴びの後、この湯でも5分間、時計を見ながら入浴する。このまま毎日通っている酒屋でビールを買って、ペンションで窓ぎわに座り、涼しい風を浴びながら食前の一杯をやろうと思う。

入浴後、車で昨日と同じシンポジウムの会場「草津音楽の森国際コンサートホール」へ向かった。ここは草津の街中から少し離れているため、バスや車を使わないと来るには非常に骨が折れる。

参加費を支払い、会場に入るとほとんどの席が埋まっていた。このシンポジウムのために、日本中の療養所の患者や、ハンセン病患者を家族に持つ方々が私は報道の方が多く居るかなり前方に座った。どういうわけか、テレビ局、しかも「山陽放送」が来ていた。国立療養所長島愛生園が岡山にあるため、わざわざやってきたのか?

このシンポジウムで挙がってきた問題をざっと羅列すると…

  1. 療養所内に住む患者が高齢化し亡くなる方もかなり増えてきており(現在は年間200名のペースで亡くなっている)、空き病床が非常に多くなっている。
  2. 療養所の統廃合が検討されている。第二の故郷として過ごしてきた療養所から、また別なところへ強制的に移転させられるのか?
  3. 先端医療に接する機会が少ないため、医師が療養所に来たがらない。医師が居ないために診療できない科目が増えてきている。
  4. 1996年施行の「らい予防法廃止法」にて療養所はハンセン病患者か元患者しか受け入れられないようになっている。医療機関としてだけではなく、人権教育の場として療養所を地域に開放する必要がある
  5. 療養所から退所した方たちが一般医療機関にかかることが出来ない(ハンセン病であるということを告知したくないという患者に対する偏見への思いと、思い切って告知しても医師が「この病院ではあなたの病気を見る見ることができない。療養所に行ってください」といわれてしまい、適切な治療を受けることが出来ない)
  6. 未だに患者やその家族への偏見や差別が少なくない。社会復帰の足枷となっており、結局同じ病気の仲間としか良好な関係が築けない
といったところであろうか。

私も先々月に入院しており、患者に対し看護師の人数が少なすぎることを痛感していた。民間の病院ではそのような状況であったが、国立療養所でも同じような状況なのであろうか?草津の市街地に入る道路脇や栗生楽泉園の入り口脇に「職員募集」の看板を見ていたので、薄々感じてはいたが果たして…
Web上にあったデータをいくつか確認してみると、現在のハンセン病療養所の職員は、看護を主体業務にしない医療事務等も含めて患者と同数ほどであった。これは年間200人ペースで亡くなり続けている患者数の減少によるところが大きいのであろう。看護師がどの程度実数居るのかはわからないが、民間の病院に比べれば高待遇なのではないかと思う。もっと苦しい状況下で動いている地方の病院は多く存在するはずである。
シンポジウムの後半で、パネリストの石井勝夫氏(松丘保養園自治会長)が、若年看護師からの応募があったことに大変喜びを表していた。今までの歴史からすれば、ハンセン病療養所は忌み嫌われるような場所であったわけで、そこで若い人間が働きたいという意志を示したことに感動したと話していた。通常と同じプロセスをふみ、採用と至ったとのことだった。こうした活動の中で、病気に対する正しい理解が進んだと、好印象に捉えておきたい。

そして療養所の統廃合の問題だが、患者作業をはじめとした強制作業が無くなり住環境が以前に比べればかなり好転した現在、強制連行された上に「とにかく出たい」という昔抱いた思いも果たされること無く、療養所を第二の故郷と感じさせる入居者の気持ちもわからないでもないが、国の社会保障の現実を見た場合、正直これは無理な願いなのではないかと思わざるえない。また、これは1の問題とのトレードオフであるとも思える。療養所自体の数が減少することで、医師や看護師を集中させることができる。よって、3で挙げた問題の解決にもつながると思う。

ハンセン病は治療の方法が既に確立された病で、適切な処置をすれば完治する病となっている。問題なのは、過去のずさんな治療体勢の中で失われた視覚や四肢へのケアとなってくる。つまり、今後ものすごい医学的進展があるというよりも、医学の進歩的には現状維持となるであろう。医師にとってより先端医療機関としての魅力を感じさせるようにするためには、4で挙げた法改正が必須となる。つまり、療養所を一般市民に開放し、ハンセン病患者以外も受診できるようにする。
こと草津に関しては、湯のph値が高いため滅菌作用があり、大腸菌などは湯だけで死滅してしまう。特にアトピー性皮膚炎にはその効果が高く評価されている。温泉療法ができる皮膚疾患の専門病院というのは魅力的な構想ではないかと考える。

4、5の問題は、こうした市民との交流集会の中でハンセン病という病気がどのような病気であるかを正しく知ってもらうことが何よりも大事であると思う(そういう意味でも、前日の映画はもっと病気を正しく知ってもらう内容を込めて欲しかった)。
私自身、社会の教科書に一行「ハンセン病」という言葉が載っているのを見たことがあるだけで、法改正の裁判の報道がなされるまでハンセン病というものがどのような病気なのかを知ることは無かった。そして、何も知らないで報道のみを見てしまったがために、原告団の方々の姿を見て、正直驚いた。何がどうなって、この方達はこのような姿になってしまったのか、私は全く知識が無かった。中途半端な報道というのは恐ろしいもので、私は逆に恐怖感を抱いた。草津に来て、ここ数ヶ月調べることによって、病気についてそして、国が採ってきたひどい過去の施策についても知るようになった。とにかく知ってもらうための活動を地道にしていくしか、社会の偏見を退ける手段は無いように思える。

日本におけるハンセン病の歴史は悲しい歴史であるが、今現在進行している社会保障問題も明らかに存在している。その実情も理解していただいたうえで、療養所を今後どうして行くか、患者・元患者の皆様や家族と政府がお互いを理解しあいながら、最良な道を選択して行って欲しいと思う。それが社会に病気を理解してもらうための一歩だと考える。明日、草津に長く在住されている一般市民の方の声を聞き、その認識の乖離について考えてみようと思う。

前回草津に来たときに利用した湯治宿から近いため入浴しようと思ったのだが、入り口がわからず諦めた湯である。今日は入り口を徹底的に探してやろうと思ったら、ここは横に入り口があった
このような作りで入り口が横にあるということは、相当狭い風呂であろうと思って中に入ったら、思ったとおり。狭い。そして古い。しかし源泉からの湯は豊富に出ているし、入浴者が誰も居ない(きっと、みんな気がつかないんだろうな)。
入浴者があまり居ないのに源泉から湯が出っぱなし…ということは相当熱いであろう…それを覚悟の上で、草津流湯浴びをした後に入る。しかし熱い。だが、耐えられないほどではない。今回も温泉地への旅行ということで、20気圧防水のエルジンの時計をしている。時計の逆回転防止ベゼルを入浴開始時間に合わせ、5分間、時間を測定しながら入浴した。額から汗がジワっと出てくる。
結局誰も入浴にはやって来ず、湯を堪能することができた。

本日のハンセン病市民学会も「草津の森国際コンサートホール」で実施されるが、開会が12:30~で、主催者挨拶、歓迎挨拶、総会、合唱などのカリキュラムが組まれており、この辺はどうも興味がわかないので、15:00から始まるシンポジウムから出席することにした。

ペンションオーナーとの交渉で朝食、夕食を頂くことが出来るようになったが、昼食は外で済ませなければならない。
まず一番に思いついたのがこの店であった。私は重度のとんかつ中毒患者であり、いい豚肉を使ったおいしいとんかつには目が無い。東京で言えば「まいせん」、福島であれば「まるた食堂」など…草津ならこの店と言ってもいいほどうまいカツを出す。榛名山にある牧場の豚肉を使っているそうだが、榛名山と草津はさほど距離が無いため、冷凍する必要はない。冷凍というプロセスが無いだけで、肉はそうとうおいしくなる。ここのとんかつがおいしいのは当たり前といえば当たり前なのである。
今回はとんかつの中では邪道という方も居るであろう、ソースカツ重というものを頼んでみた。ソースカツは揚げたカツをウスターソースに浸した、卵ナシのカツ重のようなものである。店によってキャベツの扱いが異なり、ご飯とカツの間にキャベツが挟んである場合と、そもそもキャベツが全く付かないパターンがある。とん香では、カツとご飯の間に挟むか、別なさらにキャベツのみ盛るかを選択できた。私は間に入っているのがあまり好みではないので、別々に分けてもらった。
待つこと十五分位でソースカツ重は出来上がった。写真には無いが、この前に冷奴が付いている。これで\1,050。食べてみれば、きっと安いと思えるほどの良い味であった。カツ重は向かう対象がカツ重しか無いため、ものすごいスピードで食べてしまう。体に悪いのは重々承知だが、箸を付け出すともう止まらないのである。あっという間に完食した。

さて、まだ時刻は14:00前である。15:00まで時間を潰さなくてはいけない。草津で時間を潰すには、湯に入りに行くのが一番である。前は幾度と無く通りかかったことがあるものの、入ったことが無かった千代の湯に行ってみようと思う。ここは湯畑から近く、もちろん湯畑の源泉を使っている。男湯を空けると…狭い空間の中に芋洗い状態で4人の男性が入浴している。その様子を見て、ここの湯に入るのが何だか嫌になってしまった。

湯畑に戻ってあたりを見回す。やっぱりここを見ると最も「草津に来たなー」って感じが出てくる。今日は土曜日。湯畑周辺は観光客だらけである。比較的目立つ、千代の湯があのような状態なのは納得である。ならばここは、敢えて目立たない湯に入りに行こうと思う。

今回の三泊四日の旅行の宿泊地である。前回の湯治の際に泊まった宿とは全く方向が異なるペンション街の中にある。源泉も湯畑のものではなく、それに比較するとかなりやさしい感じのお湯である。しかし、phは高く、皮膚疾患等への効果は十分に期待できるだろう。
部屋は六畳の和室で、あるのは布団とテーブルとテレビと暖房のみ。よく言えばシンプル。悪く言えば何も無い。しかしこの宿、風呂はいい。男湯、女湯と区別はされているものの、宿泊客の人数が少ない場合には片方しか利用できない。今日は女湯に鍵をかけて利用して欲しいとのことだった。十分な広さがあり、洗い場もしっかりある。前回の湯治宿とは全く異なる。窓を開ければ外の景色が見える。晴天だった今日は星がよく見えた。男湯はまたレイアウトが異なるとのことなので、使用できる機会が楽しみである。

風呂以上にいいのは、ここのおじさんと奥さんである。レストランに寄ってから帰ってきたので、チェックインしたのは21:00を過ぎていたのだが、全く嫌な顔一つせずに親切にしてくれた。ペンションのオーナーというのは今までの経験上、大体が「人好き」である。とにかくいろいろと面倒を見たがったり、話かけてきたりすることが多い。人によってはウザッタイと思うかも知れないが、私はペンションのそうした雰囲気も嫌いではない。
完全素泊まりの予定であったが、交渉したところ朝食、夕食を出していただくことができるようになった。しかも、出してくれる時間は私が自由に指定して良いという。朝食\500の夕食\1,500である。二度目の草津なので、飯がうまいところはある程度知っているつもりであったが、毎日、飯を食う場所を考えるというのもまた面倒なことも確かだ。飯を食って、そのまま酒を飲めるのも非常にありがたい。

アルミのアタッシュケースやカメラを持っている私の姿を見て、店主達は私が仕事で草津に来ていると思い込んでいるようである。というか、そういうことにしている。半分は湯治だが、半分は取材(笑)でもある。さて、明日からは本格取材開始である。

映画の上映が終了し、監督の言葉を聴き終えたら、既に20:30近くになっていた。草津の飲食店は、酒を出す店は遅くまでやっているのだが、食事専門の店は比較的早い時間で店じまいしてしまう。さらに、車を運転しているので駐車場がある店でなくてはならない。そこで、宿へ向かう途中にあるレストランに入った。
店に入ると、本物の暖炉で暖を取っている、非常にきれいなレストランであった(草津は5月でも暖房必須)。ちょっと嫌な予感がした。そていメニューを見た瞬間「あちゃ~」と思った。ちょっと予算オーバーなのだ。仕方なく、コースではなく単品のチーズハンバーグを注文した。
注文してからこね始めていたのか、料理が出てくるまでに30分ほど要した。で、出てきたのはこのハンバーグ。実においしかったのだが、プライスがもう少しお手ごろだとありがたかったなぁ。今回も前回同様に貧乏旅行なもので。

18:00ぎりぎりに草津音楽の森コンサートホールへ到着。寄り道しすぎてしまった。山道を100km/hオーバーで走るのは、流石にあぶねえなぁ。

中山節夫監督作品で、作名に「新」とついているように、40年前に「あつい壁」という作品を同監督が撮影したとのこと(私もこの作品は見ていない)。本作のあらすじは、パンフレットから引用させていただきます。

 まだ駆け出しのフリールポライター卓也は、たまたま取材知り合ったホームレスの男・友田から、55年前に熊本で起きた殺人事件の話を聞かされた。「おれはその犯人のせいにして盗みをはたらいてな。ところが後で、その犯人が死刑になったって聞いた。無実かも知れねぇと言う話も…」
 卓也は、これを取材すればいい記事が書けるかもしれないと、知り合いの編集長・福島にあたる。しかし、福島は打ち合ってもくれない。あきらめ切れない卓也は、友田の話を手がかりにしながら、少しずつ調べ始める。それは、ハンセン病患者が犯人とされた事件であった。卓也は熊本行きを決意する。
 熊本にある国立ハンセン病療養所菊池恵楓園の自治会を訪ねた卓也は、そこで、当時のことに詳しい増井と佐伯に出会う。そして、その二人から、当時の事件や裁判についての詳細な話を聞かされる。それは、聞けば聞くほどに、犯人とされ死刑となった男・勇吉の無実を思わないではいられない話ばかりだった。さらに卓也は、勇吉の最後の教誨師として関わった牧師・坂上から、当時の裁判に直接関わった書記官の証言として「ボロ雑巾のように死に追いやった」という話を聞かされる。そこにあったのは何か。
 卓也はさらに、増井と佐伯から、ごく最近起きた宿泊拒否事件のいきさつの中で、恵楓園の入所者に送られてきたあまりに多くの誹謗や中傷を内容とする手紙やメールのことを知らされる。55年前の事件の中にあった偏見や差別は決して過去のことではなかったのだ。
 いい加減な気持ちで取材を思い立った卓也の中に、少しの変化が生まれてきていた。取材を終えて東京に帰った卓也は、再度、福島に原稿を記事にしてくれるように頼みに行く。そこで卓也は、さらに新しい事実を知ることになる…

ちなみに、この作品は過去にあった事実(「藤本事件」という)を元に作成されている。多くが事実であっても映画化するにあたっての視点、対象について、実は私は結構納得していない。勇吉は大学病院の先生から「ハンセン病ではない」という診断結果を得ているたが、要するに「ハンセン病であるかどうかという事実に関わらず、国にそう思われたらもうおしまいである」ということを強調するため、実際にはハンセン病ではない人の判例を脚本にしたのだろうか?既に「被害者本人の迫害の歴史を語る」映画は多数存在するため、あえてこういう冤罪事件を前面に押し出した脚本としたのだろうか?とにかく、行政にとって不利になりうることは抹殺するなどして隠蔽してしまうというのは「胎児標本の無断火葬」のように、今も続いていることは確かなことである。
若い人間(特に今作はルポライターという「過去の事実に迫る」ことを職業としているような人という設定がなんとも安易ではあるが)がハンセン病問題を知り、それを調べたくなるという気持ちには非常に共感できる。私自身も草津における長期滞在にてこの問題を知り、国立療養所を訪れている。そして、多数の悲惨な過去を知っていたたまれない気持ちにはなった。
現在でも続く差別について、温泉宿泊拒否事件を例に挙げているが(この温泉自体が廃業に追い込まれてしまったという事実も、劇中で公表すべきだと私は思うのだが)、このようなハンセン病患者に対する直接的差別はこれからも続くであろう。これは同じ差別ではあっても、部落差別とは異なり「見ただけでハンセン病とわかってしまう」ことに原因があると思う。しかし、ハンセン病は遺伝する病気ではなく、感染力も薄く、完治する病であることをこうした映画や活動を通してもっと公に公表することで、少なくとも親類等への差別は減らすことができるし、病気そのものが消えていくのではないかと、私は考えている。

権力というものは恐ろしいもので、マスメディアが何らかのきっかけで積極的に世に公表することで、今まで虐げられていた人が、逆に人を虐げられるようになることがある。HIVや同和問題も私にはそのように感じられる。ハンセン病も「らい予防法廃止法」施行後、そのような性質を帯びているように私には見える。過去の悲惨な出来事があったことについては心を痛めるが、温泉宿を簡単に潰すくらいの力を持っていることを忘れないで欲しい。


当日、映画放映後に中山節夫監督は「この映画を公表する機会をもっと与えて欲しい」と訴えていた。内容全てを手放しで評価できるとは私は思えないが、少なくともハンセン病への理解を深める一つのチャネルになり得るものだと思う。私にそれだけの力があれば、喜んで力を貸すのだが…

ところで、この作品の主人公「卓也」は「趙 珉和」という外国人なのだろうか?私はこの配役に疑問を禁じ得ないのだが…。夏八木勲が友情出演しているが、彼はすごいなぁ。仕事を選ばないというか、何でも出来るというか…本当にすごい役者である。

道祖神といったらアレであり、しかも「双頭」とか名づけられているので、さらにアレな想像を勝手にしていた不謹慎な私(笑)。これも不動滝同様、川原温泉にあったものである。
で、実際に行ってみたらこんな可愛い道祖神でした。二人で仲が良さそうで、心が和みました。

でも、これもきっと八ッ場ダムに沈んでしまうのでしょうね、きっと。

どうしてこうも同じ名前の滝が多いのかと思える不動滝。誰か知っていたら教えてください。
川原温泉付近にて「不動滝」の案内の看板を見て、急ハンドルを切ってしまった私。滝と聞いただけで体が勝手に反応してしまうのである。この滝は、何を作っているのかはわからないが、とにかく高いものを作っている工事現場の近くにある。少しばかり山の中にあるため、山の下に車を置いて、150mほど山を歩く。途中、30段ほどの石段があったが、ここ最近、秘境ばかり?訪れている秘境者の私にとっては何と言うことは無い。

不動滝と、実に強そうな名前がつけられている滝だが、実際には意外と穏やかな滝であった。そして、この滝の周りの緑を見よ!…って、ちゃんと色が出ていればいいけど。清清しい色をしている。水音が実に心地よい。新緑にマイナスイオン。川原の不動滝、私的判断基準では十分に合格。

現在、利根川上流では八ッ場ダムの開発が進んでおり、川原温泉の多くの地域がダムの底に水没する予定である。おそらくこの滝のこの景観もそのまま残らないのではないかと思う。草津や伊香保に近いこの川原温泉はどうも位置が中途半端な感じが否めない。その上、ダムが完成し、宿が移転しても集客があるかどうかはちょっと微妙である。川原温泉で観光業を営む人たちは脅威を感じずにはいられないようだ。
なお、川原温泉の最寄り駅、川原温泉駅も新しい場所で新しく作り直される予定である。

草津へ向かう際に使う国道145号線と並行して走る列車がJR吾妻線である。駅も小さなものや無人のものが多く、またそれが趣深かったりする。
ちょっと走っている電車を撮影しようと思い、「矢倉駅」へ行ってみた。ホームしかない無人駅である。数分待つだけで特急「草津」がやってきた。この駅は通過駅らしく、そのまま停車せずにスルーされたが、185系草津という定番をうまい具合に撮影できてちょっとラッキーだった。

日本の名水百選認定されるほどの名水が湧き出る場所らしい。ちょうど吾妻町の国道145号線から少しそれたところにあるのだが、先月草津に来たときには往路も復路もそのような湧水がある事には気がつかなかった。とかく「水物好き」の私にはたまらないスポットである。
現場近くを慎重に眺めていると、国道145号線から箱島湧水への看板が見える。細い道を結構登ると駐車場があり、そこに車を停めて水を汲みに行くのだが、私の手元には水を入れられる容器は500mlのペットボトル1本しかない。この手の水は当然、日持ちしないのでまぁ良いかと思った。ペンションに着いて、ウィスキーを割る時まで残っていれば幸いである。それに比べ、先行する夫婦の持っている容器の大きさと数は半端ではない。これだけ消費する前に水が悪くなってしまいそうだが…おそらく、近所の人なのであろう。

先行く夫婦の水汲みが済む間、湧水の上にある不動尊をお参りする。この看板にあるような伝説のある湧水のようである。

夫婦の水汲みが終わったのを見はからい、まずペットボトルを少しゆすいで、水の中に浮遊物や沈殿物が無いか確認したところ、全くそのようなものは見当たらなかった。その後、飲んでみたところ全く臭いは無く、実に冷たくおいしい水であった。その場で思わず500ml飲んでしまった。また500mlペットボトルに入れ、車に戻った。湯西川温泉の水といい勝負である。帰りもまた寄ろうと思う。

またあの温泉に入れると思うと非常に心が躍る。今回の宿泊先のペンションは湯畑からは離れており源泉は異なるが、湯畑の湯に入りたければ、公衆浴場を利用させていただけばよいだけの話だ。

昨日のブログにも書いたが、今回の草津入りの目的は湯治とハンセン病市民学会への出席である。栗生楽泉園の方から
 「来月実施される交流集会に出席し、一人でも多くの若い人に差別の歴史を知ってほしい」
と誘いがあったことが大きく影響している。

私は政治結社や宗教団体のようなものを実は非常に嫌っている。だがこの事実について調べて行くにつれて、少なくとも興味を覚えたのは事実である。不謹慎に聞こえるかもしれないが、一つの「歴史」を掘り下げていきたくなるような好奇心が芽生え始めていた。実際に来られるかどうかはわからないが、とりあえず前回訪問した際には出席するという返事をした。

「被差別部落」というものの存在を知ったときにも相当驚かされたのだが、福島県で生まれ育った私は、あらゆる「差別問題」に対して非常に疎かった。同和問題も就職のため東京に出てきて、数年後にそうしたものが存在することを知った。東北地方の多くの地域では、こうした差別が少なく、またそうした教育も学校でされることは無かったのである。私と同じような経験をした東北人はきっと少なくないのではないかと思う。

会は5/12、13と実施されるが、その前日11日に前夜祭ということでハンセン病差別をテーマとした映画「新・あつい壁」が公開されることになっていた。そのため私は今日草津入りし、会場となる草津音楽の森コンサートホールを目指すこととなった。

5月も半ばになり、今の草津は新緑が非常に美しい。目に入る木々の葉が美しい緑色で、普段酷使している目を休めてくれる。今日は強風だが快晴。この快晴が滞在中ずっと続いていてくれれば最高である。特に最終日は白根山の湯釜まで狙っているので、ぜひとも晴れてほしいものだ。

今日、また懲りずに4号線を爆走して福島に帰ってきた。比較的休憩を多くとったことと、古河で卸価格の安売り酒屋を発見してしまったりしたため、実質、時間としては7時間半くらいかかった。しかし、日中走行するにしては悪いペースではないと思う。

古河の酒屋では、Canadian Club 6年が\1,000、12年が\1,300で販売されている。最近、全然「洋酒が安い店」ではなくなってしまった蓮田駅前の酒屋の従来価格よりも圧倒的に安い。6年ものを2本買って(ソーダ割り用。12年よりも6年の方がソーダ割には適しているように感じるのですが、いかがでしょう?)後で気がついたのだが、片方は並行輸入品で、もう片方はサントリーが輸入代理店をしている正規品なのである。この値段であれば、普通は全て並行輸入品だと思うのだが…。
残念ながら、愛飲している竹鶴12年はこの店には置かれていなかった。そのため、最近はまりつつあるシングルモルト余市を購入しようと思っていたら、ジョニ黒のおまけに惹かれて、こちらを購入することにした。おまけはノートパソコン用小型マウス。最近、持ち運び用マウスを壊してしまったばかりで、渡に舟という感じである。ジョニーウォーカーもスウィングなど赤、黒以外も幅広く売っている。しかし、ラフロイグが売ってない。ボウモアは売ってるけど…「一般的においてある」銘柄で抜けは多いが、あまり購入できないものがここでは売られている。まぁ、そういう店があるのも面白くてよいと思う。

さて、帰宅したばかりなのだが、明日からまた草津入りである。湯治第3ラウンドと、ハンセン病市民学会への出席のためである。今回は3泊4日で、ペンションに滞在する予定である。私個人はハンセン病市民学会に関係しているわけでもなく、前回の草津滞在の際にいろいろと調べていく中、知ることとなった。栗生楽泉院を訪問した際、この市民学会の総会に来て見ないかという誘いがあったため、一つの歴史を知るという意味で参加し、現在の病気に対する理解や社会の風潮、患者や療養所の状況について知ってみたいという知的好奇心からである。
「らい予防法」は法が施行されはじめた時期の社会状況を考えると、いくつか仕方が無い点が存在しているようにも思う(国中が戦争へ向かっている時期であるが故に、今の意識を持って過去を裁くことが正しいと言い切れないという思いが私にはある)が、ハンセン病の特効薬「プロミン」が1941年に開発され、1952年にはWHOが隔離政策の見直しを打ち出したにも関わらず、数十年経って放置されてきたことは人権無視という点において非常に問題ががあったと感じている。それが廃止された今、どのような活動をしているのかを比較的ニュートラルな視点で見てみたいという思いがある。

そんなわけで、自宅に着いたのもつかの間、明日は草津入りである。ここまで車を使うのも、本当に久しぶりである。

このブログの管理人の実家で飼われている「さくら(メス)」です。
いつも家に来る客は私のことをひざに乗せて抱いたり、体中を撫でてくれるのに、昨日までいた顔のでかい小さい人のおかげで全く私はかまわれなかったわ…
いつもと対応がみんな違うから、憎ましかったわぁ。一体あれは誰?突然大きな声をあげるし、びっくりするのよねぇ…でも、昨日帰ってくれたおかげでみんなの視線はまた私の元に返ってきたわ…ふふふ。
もっと私のことを撫でて~!

でも、いつかまたあいつがやってくるのかしら…迷惑だわ…ふん!

母から近所のスーパーに行って水を汲んでくるよう頼まれた。天然水だかアルカリイオン水だか忘れたが、そういう類のものを専用の水タンクに入れて持って帰るのである。最初の水タンク代のみ有償で、それ以降の給水は永久に無料。私の自宅周辺のスーパーにも同じような給水用の機械があるのだが、我が家では全く利用していないので行列をなしている人を見て少し不思議に思っていた。そして、多くのスーパーでこのような給水機が突如、すごい勢いで普及したのかを不思議に思っていた。
それが今日、自分自身が給水することで「何故、急に普及したのか?」を知ることができた。
どうもこのスーパーで提供している水は自然界のミネラルを失わないようにするために、水道水のような殺菌処理をしていないと記載があった。大体、消費期限は3日間。それを越えると品質の保証が出来ないと、給水機に記載があった。
つまり、この水の恩恵を適切に受けるためには、少なくとも三日に一度は訪れて、給水しなければならないわけである。これは完全なスーパーの顧客囲い込み戦略でもあり、かつ、水だけではなく、ちょっとしたものを購買させるという意味でも(タンク購入以降は給水無償という部分に義理を感じてしまう人もいるだろう)非常に有効な戦略である。
「いまさら気がついたのか!」といわれそうだが、我が家ではこの手の水を飲んでいないので気がつかなかった。そりゃ、普及するよな。

私も先日ワインディングマシンを買ったおかげで自動巻き時計の出番が増えるようになった。私と同様に、自動巻き時計を多く所持する父も「クォーツばっかり使ってしまう」状況に陥ってしまい、ワインディングマシンを購入した。しかも、私の4連を越える6連ワインディングマシンである。それでも自動巻き時計が全てワインディングマシンの上で回転しているわけではないらしい。ワインディングマシンについている整理用の引き出しの中にも自動巻きの時計がいくつか含まれている。
最近、父の中での流行りは「昔、アメリカで優秀な時計を作っていたが、何らかの事情でボロボロになってスイスの会社に買われてしまった会社」の時計を収集することらしい。具体的には、ウォルサムやエルジンあたりが該当するのだろうか?しかも新しいものだけではなく、プラ風防の無防水、手巻きなんてのも何本か見受けられた。
よくよく見られると気づかれてしまうのだが、パチモノもこの中には存在する(所持している当人も、パチであることは承知済のようです)。ワインディングマシン中央左のオメガシーマスターアプネアのようなものは完全なるパチモノである。一番右のSEIKO 5も心情的にはパチモノといいたいところだ。評価したいのは中央右のオメガコンステのダブルイーグルと一番左のロレックスEX2あたりだろうか。この写真にはうつっていないが、ロレックスパーペチュアルデイトのエンタンベゼルの黒バーもある。私はロレックスのベゼルのDJによくあるギザギザが嫌いなのである。ポリッシュベゼルかエンタンベゼルが好きである。
ここに写っているだけで14本だが、これだけでは済まないはずである。一体何本持っているのだろうか?私の17本以上だと思うのだが...

息子が来ている間、たくさんの写真を撮った。100枚を越えるだろう。ほとんど私のデジカメで撮影したので、画像データはあるが紙には印刷していない。
私など、写真はパソコンで見ようと一向に平気なのだが、父母位の年代の方にはどうも「ディスプレイで写真を見る」ということに抵抗があるらしい。やはり写真たるもの紙で見てナンボという考え方である。携帯電話の画面で見るというのは許容できるようで、その辺りが限界のようである。
確かに、パソコンがないと見られないというのは非常に不便である。当然、パソコンが無い環境では見ることができない。撮影した100枚近い写真を紙焼きして欲しいというのである。

ちょっと写真修正や印刷について知識がある方であれば、これがどれほど大変な作業であるかご理解いただけるのではないかと思う。ざっとだが、下記のような作業をしなければならない。
 1.画像の曲がり補正とトリミング
 2.画像解像度を指定
 3.L版で切れない大きさにリサイズ
 4.カラーモードをCMYKに変換
 5.レベル補正、トーンカーブ補正
 6.アンシャープマスク処理
これらはバッチを組めるが、赤子の肌の写真もあれば、甲冑の写真もあるわけである。つまり、対象が何であるか、人間を介在させないとやはり適切な印刷画像を作ることはできない。そして何よりも問題なのが、私がこうした修整作業に妥協できないタイプであることである(人に教えていたくらいだからなぁ)。
私のノートパソコンで上記処理をしたわけだが、液晶ディスプレイの色とプリンタの色が合うわけが無い。プリンタドライバ側で良くわからない色修整処理をされる場合もあり、実に厄介であったが、数時間かけて百数枚のデジカメ画像を印刷してきた。目と精神が疲れる作業である。しかし、これを本職としている人は毎日やっているわけで…お疲れ様です。

私の妹がパソコンを新調したいと父に話をしたようである。今のパソコンはもう10年近く使われているパソコンであり、そのように思うのも全く仕方が無い話である。
条件はノートパソコンであり、Windows XPがストレスなく動作するもので予算は5万円前後。秋葉原辺りであれば何とか見つけられそうな品物だが、福島市内はそもそも中古パソコンを取り扱っている店が非常に少ない。そして、東京における市場価格よりも明らかに高い。何件か電気店等をまわったのだが「もしかすると、ハードオフあたりにあるかも…」と思い、福島市内に店舗が無いか検索したところ、私が非常に疎い「西道路」方面に1件あることを確認。父を伴って向かった。
私が住む地域には3件もハードオフがあるので、古いパソコンパーツが必要になったときなどにお世話になっていたのだが、父はこの店に来るのは初めてである。パソコン以外にも、音響機器や楽器、食器類にも興味がある父には驚くべき空間だったようだ。様々なものが市場価格と比較すると信じられないくらいの値段で販売されている。
私も父も同じなのだが、新品か中古品かというこだわりは、実はあまり無い。ものとして機能するだけしっかり整備されていれば、それが中古品であろうと全く気にならない。新品は買った瞬間に中古品になる。そして大体のものは価値が半分位に下がってしまうわけである。そう思うと、使用することにより価値が減少する比率が少ない中古品の方が得した気分にならないだろうか?
パソコンはろくなものが無かったのだが、切子の茶碗のいいものがあったので、購入した。とても購入した金額が信じられないようなものである。
高いものを買って人に自慢するということはよくあるが、私の父は正反対で、良いものを安く購入できると人に自慢したがる。きっとその茶碗の事も自慢しているのではないかと思う。

パソコンの購入については、具体的な金銭の目処がついた時点で送金してもらい、私が東京で調達することにした。

ハードオフでは、使用していない昔の名機スピーカーが雑然と置かれていたりする。実家の音響環境において、サブウーファーだけが非常にいい加減なものであり、低音が強いと音が割れることがある。もっとマシなサブウーファーが欲しいようだが、父の日兼誕生日にサブウーファーをプレゼントしてあげようかと思っているが、新品を買うだけの予算は無いんだなぁ。やはりハードオフ頼りだろうか。

福島駅11:26発の新幹線で妻と息子は私より先に帰った。私は5/10に帰る予定である。息子が居なくなったことで、父と母は心の灯火が消えてしまったかのように随分と残念がっていた。
妻を福島駅まで送った後、福島駅に接する銭湯「極楽湯」にて2時間ほど入浴する。入浴が終わった頃に妻から連絡があり、家に着いたとのこと。全く持って、新幹線というのはすごい乗り物である。しかし、もう少し特急料金をどうにかすることは出来ないのだろうか?
新幹線での最寄り駅は大宮駅になるのだが、後日聞いたところによると、義理の母は大宮のホームまで妻と息子を迎えに来ていたという。「一体、何様の帰宅じゃぁ?」と、ちょっと笑ってしまった。

今日は父の妹夫妻が息子の顔を見に来てくれた。仕事で疲れていたのか、予定時間よりもかなり遅れて、婚前のF士君もやってきた。しばらく抱いたりあやしたりしたあとは、酒である。
今夜の我が実家にはいろいろな酒が常備されている。芋焼酎、ワイン、日本酒×2(これらの酒はあまり詳しくないので、銘柄まではわかりません)、ウィスキーは竹鶴の21年と余市、アイラモルトのラフロイグ10年である。貧乏性の私は、21年物のウイスキーなど豪快に飲むほど気前がよくないのだが、昨日開けた竹鶴の2/3は既に無くなっている。ラフロイグはF士君と酒を飲むときには必須の酒なのだが、数杯飲んだところで疲れのためかF士君は眠ってしまった。正露丸というか、ヨード臭いので父は毛嫌いしていた酒なのだが「飲んでみると癖になるなぁ」などといいながら、ラフロイグをかなりあけていた。おかげであっという間にラフロイグも無くなった。もうちょっと年が行ったアイラモルトを今度は持ってきてみよう。それが飲めれば本物だが、私もボウモアの17年以降はちょっと自信が無い。値段もするので、空けて誰も飲めないなんてトホホなことにならなければいいが。

しかしF士君、最近は一緒に飲んでも即効ダウン気味。それだけ仕事が忙しいのでしょうけど。結婚式の準備も重なって、ことさら今は忙しいのかしら?

私の祖父母で存命なのは、母方の祖父のみである。今は福島市内の施設にて暮らしている。私が帰郷した際は、よほど忙しくない限りは会いに行っている。
年齢は88才。男性にしては長命な方である。脳の障害で右手が麻痺してからはや十数年経つが、それから特別経過が悪化したようなことも無いようで、私の結婚式の時と同様に車椅子を使って移動している。
息子を福島に連れてくるのが初めてなわけだから、息子が曾爺ちゃんに会うのも初めてのことである。子供は体調の変化が激しく、「何日に会いに行きます」と約束しても、その約束がドタキャンになってしまうことも少なくはない。そのため、「いつ、曾孫が来る」という話を母はしていなかったらしい。ということで、今日はガチンコ訪問なわけである。私が会いに行っても泣いてしまう曾爺ちゃんなので、曾孫を見たら大泣きだろう。喜んで泣いてくれるのであれば、それはいくらでも結構なことである。

父母、妻と息子を伴って曾爺ちゃんがいる施設へと向かう。部屋で息子を見て曾孫とすぐわかったようで、予想通り曾爺ちゃんはうれし泣きの涙を流した。
不思議なことに、曾爺ちゃんは曾孫の手のひらを見ようとしていた。手を開いて見せてあげたところ、手相を見たかったようだった。私は全く今日の今日まで気がつかなかったのだが、息子の手相は知能線が右、左共に真一文字に線が流れている。私は両方ともに途中で曲がっている。生命線など、途中であからさまにぶち切れている。きっと私は長生きは出来ないだろう(笑)。まぁ、死にそうな目に何度もあっているので、それはそれでかまわないけど。
と、話がそれたが、妻は片方の手のみ、知能線が真一文字で、私の父母は私と同様に、線は真一文字ではない。で、曾爺ちゃんの手相を見ると、これが奇遇にも息子と同じように、両方の手共に真一文字になっている。
知能と関係があるのかどうかはわからないが、私の祖父は書道家である。右手の自由が効かなくなってからは、左手で書いているが、字がうまく書けるような適性を継承してくれると実にいいなぁと思う。父は講師などの仕事をして、人前で文字を書くことがかなり多いが、これが非常に下手で恥ずかしい思いをたくさんしている。そういうことは無いといいのだが。

息子に着せてみた。うちの息子は顔が非常に大きく(どうも3.5頭身くらいに思えるのだが)、陣羽織とセットになっている鉢巻がうまく巻けない。頭からどうもすぐにずれてしまうのである。
何とか巻いて、鎧兜のセットの前に座らせて写真撮影してみたが、まぁまぁ、意外と喜んでくれているよう(な気が)する。親子二代で同じものを着るというのも、何だか感慨深いものである。

息子が来たところに早速、私の母の弟一家がやってきて、息子をあやしてくれた。人見知りしないその性格は福島にきても変わることなく、みんなが喜びながらあやしてくれるので、親としてはありがたい限りである。以外にも、従妹と相性がよかったのか、抱かれてとても喜んでいた。私のように親がへなちょこだと子供がフォローしてくれるのかしら?

もう5月の節句は日程的には過ぎているのだが、福島の実家では私が頂いた鎧兜を十数年ぶりに出して、飾っていてくれた。
自分で言うのも何なのだが、3段飾りの割と立派なものである。実際に買う立場になって岩槻や栃木市で鎧兜というもののプライスを見たが、眩暈がする思いだった。一体、これは如何程したものなのだろうか?
鎧兜は身に着けなかったが、陣羽織を着た子供の頃の私の写真をいくつも見ている。明日、息子にも着せてみようと思う。

多くの方々が上りの車線を走行する中、妻と息子を乗せ、東北道の下り車線を走っていた。走行している車は少ないが、雨が非常に強い。前日、ワイパーブレードを交換し、車全体に撥水コーティングをかけておいて良かったと思う。その効果は絶大だ。
私の息子が私の実家である福島に来るのは初である。もちろん、福島には親戚がたくさん居る。私の祖父も健在だし、叔父、叔母もたくさんいるが、今まで写真で姿をお披露目していただけで、実際に会ったことがあるのは私の両親だけである。
息子を長時間車に乗せるのは今回が初めてである。というか、埼玉県から息子は出たことが無い。茨城、群馬に一瞬入り、栃木を抜けて福島を目指す。その間、ほとんど息子は寝ていた。本当に手のかからない子で助かる。サービスエリアで何度か休憩をし、本宮で東北道を降りて国道4号線で福島市へむかったため、所要時間は実質4時間半というところだった。妻の親戚の家にまわり、無事、実家へとたどり着いた。
今回の福島での滞在期間は、私が5/10まで、妻と息子は5/8までの予定である。短い期間だが、まだ幼いので仕方が無いところだろう。

最近、中島らもの作品ばかり読んでいるが、どれも秀逸で本当に亡くなられたことが惜しまれてならない。
この本は、彼の死後に発売された、短編集である。中には今まで発売された短編集に既に掲載されている作品も重複してあるのだが、私はほとんど始めて読むものばかりであった。

細かい書評は別として、作品を読むにつれて思うようになったのは、中島らもと言う人は完璧主義な人なのではないかということだ。ネタや結末に妥協が無いのである。彼は躁鬱病であったため、躁状態(私は経験がないのでわからないが)の時に作品を書くと、このようになるのだろうか?
それが一番表に出ているのが「バッド・チューニング」という作品である。ピアノの調律師と、強迫神経症で二度入院したことがある、少し壊れた女性との恋愛の話だ。「人間は自分自身や性格を変えることが出来る唯一の動物である」と話す調律師の彼と、「変える必要は無い」と考える女性と意見がぶつかり、二人の関係は終末を迎えそうな状況から話はスタートする。
彼女の笑顔はシンメトリーではない。笑うと少し口が曲がってしまう。そんな笑顔すら彼は許すことが出来ない。全てのものを調律しようとするが、それが出来たからといって結果としてどうにもならないということに気づく。漢字の「正」の字ですら、シンメトリーではない。
確かに人間は自分自身の性格を変えることが出来るのかもしれないが、私の数少ない経験から言えば、外的要因で人間を変えることはほとんど不可能に近い。その必要性を認めるという行為が伴って、初めて人は変わったりする。それも成功するのは非常に低い確率だ。
人間、ちゃんとコードがAに揃っていなくてもいいのである。世の中は不協和音ばかりであるからこそ面白いし、そこを許したいと思う心が、この作品を書かせたのではないかと私は感じている。

他にも秀逸な作品がたくさん。おすすめの一冊です。

息子が生まれて、初めてのこどもの日である。義理の父母を呼んで、自宅で食事会をした。主役は見ているだけで出ている料理を食べることは出来ないのだが、この写真には写っていないものの鯛の塩焼きがある。ほぐして味を薄めれば食べることが出来るだろう。
このところ、日中から酒を飲む機会が非常に増えているのだが、昼の酒は本当に堪える。比較的、酒に強いと思っていた自分も、非蒸留でアルコール度数が少ないビールはボディブローのように効いてくる。蒸留していない酒で酔うと、どうしてこうもたちが悪い良い方になるのだろうか?

明日は妻と息子を連れて福島へ帰る。それまでに体調を回復させておかなければならないな。

我が家には猫の額ほどではあるが、庭がある。
庭いじりに全く興味が無い私は特にこれといって何もしていないのだが(私のような人が一人で住むには、マンションが良いのでしょうね)、妻はこまめに花の種や球根を買ってきて色々と植えている。知らない間に木が増えていたりすることもある。
この庭仕事に加勢してくれているのが、義理の父母である。何気なく駐車場の後ろに植えてあった木をみたら、丸裸状態になっていた。義理の母がやってきて、バッサバッサと木を葉を落してくれたらしい。これがその成果である。
…このパワーには圧倒されるばかりである。

先日まで「ドカーン」、「ドカーン」と大音響&振動を立てながら解体されていた隣家であるが、今日見てみたところ跡形もなくなっていた。ちょっとびっくり。
もちろん、なくなった土地には新しい家が建つわけで、それの基礎を埋めるためにまた「ドカーン」、「ドカーン」とやられるのはわかっている。この家の方にはタオル一枚持って挨拶にきていただいたのだが、正直言って

タオル一枚じゃ足りません!

早く終わると良いのですが。

『花が咲いても人は泣き その泣き声は蝉時雨
 月は晴れても心は闇で 逃げて彷徨う雪の中
 一年三百六十五日 鴉の泣かぬ日はあれど
 悪人笑わぬ日とてない 恨みを断ち切る仕切人
 浮世の気晴らしなさってくだせえ』

テレビ埼玉で「必殺必中仕事屋稼業」が放映されているかと思えば、テレビ東京の平日11:35~12:30には「必殺仕切人」が放映されている。私は毎日必殺を2作見ているわけで、脳が完全に必殺脳になっている。
(1984年8月31日~12月28日まで18回放映)
上記は番組開始時のナレーションで、市川段四郎が担当している。

主役はキャストの順番を見ていると、占い師をしている「お国(京マチ子)」ということになるが、実際は三味線屋の「勇次(中条きよし)」であろう。あの見事な三味線糸捌きで、悪人どもを吊り上げている。
本作の特徴は、必殺必中仕置屋稼業とは正反対で、仕事人の多さとその派手さが挙げられる。「お国」は矢のような先が尖った細い棒で首筋を刺して殺す。針仕事の指導をしている「新吉(小野寺昭)」は竹の定規に見立てた薄い刃の刀で突き刺す。殺しの際、ターゲットを特定するために相手に待ち針を刺し、その待針が夜光塗料が塗ってあるかのように光るため、そこに向かって突撃して刺し殺す。見ていて意外と面白い。途中から殺し業が変わったために技を二つ持つ理髪店の旦那「勘平(芦屋雁之助)」は、前半は尖った小指で相手の髷を切って、解けた髪で相手の首を絞め殺す方法(必殺仕業人の赤井剣之介に近い)と、木や柱にゴムのように弾力性のある紐を括ってリングのようなものを作り、そこに相手を投げ飛ばして返ってくる相手を壁にぶつけたり、ラリアットしたり…見てもらわないとこれはわからないかもしれない。小鳥屋「虎田龍之助(高橋悦史)」は、死に顔を見たくないので布で相手の顔を隠し、鉄製のものすごく大きなキセルで頭を殴る。本当に大きいキセルで、あんなもので殴られたら1撃で脳が陥没するだろう。どうでもいいが、虎田龍之助っていうか高橋悦史はかっこよすぎるぞ。学生何だか良くわからないおにいちゃん「日増(山本陽一)」は殺し役というより、相手を誘導したり、驚かせたりするのが主な役目。爆発させたいところまで火薬を誘導させ、その火薬の列に着火。大爆発を起こす。「勇次」は言うまでも無いと思うが、三味線の糸で相手の首を引っかけ、らんまや木のようなものに引っかけて吊り上げ、殺す。えーと、つまり6人も殺し屋が居ることになる(虎田龍之助は出演する時としないときがある)。

こんなに人数がいたら一人当たりの仕事料が目減りして何だかやってられないような気分になりそうだが、そういう考えも吹っ飛んでしまいそうなほど殺しが派手なので、もうどうでも良くなってくる。あまり深いテーマの話も多くは無い。とにかくばっさばっさと人を殺してスカッとしたい人向けの作品である。個人的には新吉の殺しが好きである。

私の地元、福島にはかれこれ21年の付き合いになる友人が居る。このブログの中でも幾度と無く登場しているF士君という男だ。
私が地元に戻るとき、ほぼ確実に彼と会って飲むことにしている。彼とは不思議なことに「現在」という時間をあまり共有していないにもかかわらず、飲んでも話が尽きることが無い。居心地のよさがあり、そしておそらくF士君自身も私に対して同じような感覚を持っているから、飲みに来るのであろうと思う。

彼には付き合って7年になる彼女がいる。私も一度だけだが、私の妻を交えて会ったことがある。私が結婚する前であったか、後であったかは記憶が定かではないが、かわいらしい年下の女の子であった。仕事は看護師をしているとのことだった。
私は無節操なのかろくでなしなのか良くわからないが、7年の間に付き合っている女性が4度も変わり、そして今の妻と結婚するに至った。その間彼は同じ彼女とずっとつきあっていた。
私はそうした長い期間、人と付き合った経験が無い。だが、周囲を見てみると意外にそういう方はいるのである。といっても長ければよいかというと決してそういうわけではなく、長い期間付き合ったにも関わらず、別れた後に付き合った相手と電撃的に結婚するなどという例をいくつも見てきた。もちろんそれだけの期間を経て結婚した人たちも居るが、F士君のことはちょっと気がかりであった。
福島に戻り、彼と飲むたびに彼女との話は聞いていた。特に変わりなく平凡であるように聞いた私は感じていたが、こうしたことの本質は当人同士しか知るすべも無いわけで、いい相談でも悪い相談でも、F士君が切り出してきたらそれに応えるつもりで居た。

今日、ゴールデンウィークの帰郷時期と、飲む日程の件をWindows MessengerでF士君と調整していたところ、急に相談があるとメッセージがあったので、ちょっとドキッとした。が、相談内容は、私達の中学校時代の恩師Y寺先生とのコンタクトの取り方についてだった。しかも、飲みの誘いではなく、結婚式のときにどうやって招待したかについてだった。
『あー、ついに結婚する気になったのか』
そう、すぐにわかった。式の日程は三ヶ月と少し後だという。7年間という期間が良い方向に転んで良かったと思った。私も招待いただけるそうなので、とても楽しみである。

結婚しようといったのは彼らしい(こんなこと書くと怒られるだろうかw)。帰郷した際には、その辺を詳しく聞いてちょっといじめてやろうかと思う。全く、この幸せものめ!(笑)

『金に生きるは下品に過ぎる 恋に生きるは切なすぎる
 出世に生きるはくたびれる とかくこの世は一天地六
 命ぎりぎり勝負を賭ける 仕事はよろず引き受けましょう
 大小遠近男女は問わず 委細面談仕事屋稼業』

始まってしばらく経つが、テレビ埼玉で平日AM9:00から必殺シリーズ第5弾「必殺必中仕事屋稼業」が放映されている。
(放映当時はは1975年1月4日~6月27日までの、全26回)
上記はその番組開始のナレーションである。この作品辺りから定着してきたのか、前作の主役級(つまり、暗闇仕留人の中村主水)がこのナレーションをしている。
「必殺」の文字を冠した作品としては、必殺仕置人以来、3作ぶりである。
(必殺仕置人放映時に、仕置人をみて逆上して人を殺したと言われた事件があり、それ以来、明らかに必殺シリーズなのだが「必殺」の文字は番組タイトルにつけていなかったのである)
番組のテーマはナレーションにあるように、博打。とにかく「賭ける」ことがこの番組の一貫したテーマになっている。賭けるのは金だけではない。仕事師たちの「命」も賭けながら仕事をしていくのである。

主役は坊主そばという蕎麦屋の主人「半兵衛(緒方拳)」、遊び人の「政吉(林隆三)」、そして元締め的存在である、飛脚問屋の主「おせい(草笛光子)」である。主に殺しに関わるのは前の二人で、半兵衛は鬚そり用の剃刀で首の動脈を切る(飛血をさけるため、手ぬぐいで首を押さえて殺す)。放映当時、理容業界で同じ剃刀を使っていたため、理容業界の団体からクレームがついたといういわくつきの代物である。政吉は匕首のようなものだが、これは元々はおせいが政吉に与えたものである。最終回まで、おせいの口から出ることは無かったが、政吉はおせいの子であり、止むに止まれぬ事情があり、おせいは政吉を子供の頃に捨てている。そのときに、その匕首を渡している。
殺しに関しては、シリーズを見渡しても最も戦力不足かもしれない。たまにおせいも茶道具に細工をしたもので殺しに関わることもあったが、ほとんど半兵衛と政吉が対応している。そのため、一人が数人殺らなくてはならない回も少なくは無い。

シリーズ中、この作品が特殊なのは仕事料の出所である。おせいは「仕事屋」と呼ばれる裏稼業(直接殺しを依頼されることもあるが、どちらかというと探偵業に近い)をしているのだが、そこで依頼人から金を受け取っていない(とか、受け取る前に殺されちゃってるとか)場合が多い。そのため、仕事料はおせいが身銭をきっている場合がほとんどである。昔、大悪党と付き合って大金を手にし、飛脚問屋を始めたといえ、自分に関係する人が殺されたときに身銭を切る仕事師は確かにいたが、これほどの頻度で身銭を切る人は今まで居なかった。

全体的に「博打」という遊びの色を前面に出しているが、博打というのは明日はどうなるかすらわからない、刹那的な一面も持っている。本作品の最終回はまさにそれを象徴しているかのようなものである。
非主水シリーズの中では指折りの出来と思えるこの作品、毎日楽しみに拝見しております。

2009年6月

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