2008年1月アーカイブ

30才になったときのインパクトはでかかったけど、31才はそうでもない。あまり変化がない感じである。
おそらく、年齢認知的ビックウェーブがやってくるのは35才。四捨五入で40才となれば、衝撃が少なかろうはずがない…

妻が作ってくれたケーキが美味しかったです。

私はどうも過去の出来事に対する後悔や自責の念を打ち消すことができない人間らしく、生まれて30年近くの間に起きた様々なつらい出来事(実際に記憶としてあるのはここ20年位のものだが)思い返したり、自分の意志とは関係なく思い返さされたりして、時に冷や汗をかき、時には呆然となりながら何とか生きている。こういう後悔や自責の念を積み重ねていくことが「生きていくこと」ならば、私は何年生きられるか分からないが、結構な辛い思いをこれからもしていかなくてはならないということになる。

人はなぜ後悔するのか?「あの時、何でこんなことをしてしまったのだろう」という後悔が生まれるには、少なくともその事柄に関与しているという自覚が必要である。自覚すること、それは意図的な行為になんらかの仕方で関与させることができることに気づくことで、その限り後悔が可能になる。この「後悔しうる範囲」には個人差があるようで、どうやら私はその範囲が比較的広いのではないかと感じている。

「そうしないこともできたはずだ」という思いが人を後悔させるのだが、この思いは「そのとき私が自由だった」という思いとリンクしている。だが「あのときAを自由に選んだから、Aを選ばないこともできたはずだ」と推量するのではなく、私は「Aを選ばないこともできたはずだ」という信念を抱くからこそ、私はAを自由に選んだと了解しているのである。つまり自由とは自ら実現したある過去の意図的行為に対して「そうしないこともできたはずだ」(他行為可能)という信念のもとに生じてくる。この信念は根源的であり、ほかの何物にも由来するものではない。そしてこれを広義に「後悔」と本書では捉えている。
しかし、この後に「自由に選んだ」と思う自由とは一体何なのか?自由は「過去における自由」としてしか、つまり時間との連関によってしか認識できないのに、我々は往々にして時間を極小的現在に限定してとらえようとしてしまう。この意味での原型としての自由とは、あくまでも責任追及の到達点としての、禍を引き起こした原因としての過去における自由意思である。原型的自由は、過去において自分が選んだことに関して「それを選ばないこともできたはずだ」という後悔とともに現れる
AとBとの二つの選択肢のうち一つを選ぶという岐路に立たされているその時、どのようなメカニズムがはたらいて私がその一方を選ぶのか、正直全く分からない。このとき「自由」という言葉を使っても、「いかなる理由で」Aを選ぶのかに関して、いかなる説明もできない。そのわけは、自由という言葉は、その時の私の心に現に起こっている事実を説明する言葉ではなく、現在振り返って「どこまで」責任を追及するべきかという規範に属する言葉だからである。もし、その時まで私の責任が追及されるべきだと判定されるなら、私は「その時自由にAを選んだ」とみなされる。つまり、「そのとき私が自由にAを選んだ」ということは、そのとき現に私の心のうちで事実、何が起きているかとは独立なことなのである。そう冷静に考えると、正直救われるような後悔も私の場合は少なくはない。

ところで、上記は意図的行為に対する後悔であるが、「思わずしてしまった」という非意図的行為に対する後悔というものも存在する。どう見ても自分の意図的(目的論的)行為が直接かかわっていないことに対しても、「そういうこともできたはずだ」という後悔の念を募らせる。交通事故を起こしてしまった人が「その時違う道を走っていたら…」、「もう少し早い時間に家を出たら…」と考える、そのような後悔である。
本書では車に排気ガスを引き込んで自殺した父を持つ少年の例が紹介されている。その少年は「自殺直前の朝、学校に行くときそのすぐ傍を通ったのに気がつかなかった。気が付いていたら救えたかもしれない」と涙を詰まらせながら訴えていたそうだが、「気がつかなかった」ことを後悔するのは自分の意図的行為以外の後悔であったといっていいだろう。むしろこの場合は自分が一定の意図的行為を思い立たなかったことに対して後悔している。これは、具体的な行為以前の心の状態であって、心の状態において「気がつくこと」と「気がつかないこと」という新たな選択肢がここに形成されている。つまり後悔が先にあり、そして後悔するからこそ「気がつくこと」ができたような感覚になり、それに導かれて「気がつくこと」と「気がつかないこと」の両方を自分が対等に選べたような気がしてくる。
上記の少年の例は人間存在の根本的なあり方として、ハイデガーが提唱していることに非常に近いと思う。人は誰しも「生まれてきたい」という意志を持ち、この世に生まれてきたわけではない。日本人としてであるとか、男として、どの親のもとでといった条件の提示は全くなく、生まれてしまう。というか、生まれさせられてしまう。こうしたどうしようもない「事実性」つまり「投げ込まれてしまっていること」から人生はスタートしている。ハイデガーは「投げ込まれてしまっていること」の自覚から過去が発生していると考えているが、むしろ「投げ込まれてしまっていることに対して一定の態度をとること」つまり広い意味で「後悔すること」から、過去は発生している。人間は自分が投げ込まれてしまっている事実性を何の抵抗もなく素直に受け入れるわけではないからである。むしろ、各人の事実性は超えられない枠であって、絶えずその枠を超えようとする可能性を認めつつも、そのつど決して超えられない枠として立ちはだかっている。言い換えれば、人間は動物と違って未来へ絶えず可能性を投げかけるからこそ、そしてその可能性がほとんどかなえられないからこそ、さらに後悔を堆積させる。


私はこんなことを考えたり、いろいろと後悔したり、時々は自責の念にかられたりもする。これはどう考えても不合理であることを知ってはいるのだが、それでもやめることがどうもできない。それどころか自分の実存のすべての重みをかけてしがみついてしまう。
こんな態度をとっていると、人は私の周りに駆けつけて「後悔はやめなさい」という。「後悔しても過去は変えることができない」と説得してくる。みんなが後悔や自責の念を熱心に叩きつぶしに来てくれる。なぜもこんなにみんな熱心なのか…それは、みんな私の「幸福」を望んでいるからだろう。そしてそれを通じて、自分も「幸福」になることを望んでいるからだと思う。だいたい、後悔や自責の念にばかり駆られている人間など見ていたくないのだろう。そしてそれが、社会で潤滑に生きていくための知恵なのだと思う。
しかし、いかんともごまかしがきかない大いなる後悔の前にはそうした企ては無力である。真実を知りたいがために、さらに古傷をえぐるような真似までしてしまう。
後悔や自責の度合いが私とは比べものにはならないだろうが、たとえば子供を殺人などで失った親が、その子供がいかにして死んでいったのかを知ろうとする…それを知ることによって不幸になることは分かっていても、周囲の慰めよりも真実を優先するようなその気持ちに近い。
これはもう、私の性質なのである。そして、その性質自体をもつにいたった自分に対して、後悔と自責の念が絶えない。

Windowsがビジネス系とホーム系に分かれてしばらく経つが、私は一貫してビジネス系のものばかりを使い続けてきた。理由はドメインコントローラ(今ならActive Directoryか…)環境だったからなのだが、管理するユーザーが多く居るわけでもなく、ワークグループで十分になってきたために今は廃止している。
Windows Vistaには随分と商品バリエーションがあるようだが、実はそれらの違いをよく理解してはいない。ビジネス系ではバックアップや暗号化等の機能が付加されているようだが、このあたりはIBMが付けてくれているツールやフリーソフトなどである程度どうにかなる。

Windows XPは、Windowsの中でも起動が非常に早く(シャットダウンには時間がかかるけど…)それと同じ感覚でVistaの起動を待っていると、随分と時間がかかっているように感じられる。ログオン画面が表示されるまでも時間がかかるし、ログオン後、実際に使える状態になるまでも時間がかかる。
Vistaの一つの売りであるガジェットは、思いのほかメモリを食うようである。そうでなくても狭いディスプレイのスペースを無駄に消費されるのは頭にくるので、早速抹消した。ガジェットを使わなくても、Vistaが起動した時点で既に800MB位のメモリは消費されている。マイクロソフトのサイトでは1GB以上のメモリ推奨と記載されているが、実質、2GBは無いとスムーズにアプリケーションを使うことは難しいのではないかと思う。

今のところ唯一、Vistaを評価できる点…それは、PCを長時間起動したままにしても、メモリリークによるレスポンスの低下がXPに比べて著しく少ないこと。XPを起動したまま3日くらい放置しておくと、ウィンドウを開いたり閉じたりするだけの作業にも異様なほど時間がかかるようになる(こんな長い時間起動しているのは、ワンセグでテレビを録画するためなのだが)。2日に1度は再起動しないとXPはまともに使えなかったが、Vistaではそのようなことは無い。タスクマネージャでメモリの使用量の変化を見ても、さほど変わりは無い。とはいえ、アプリケーション側にメモリリークを起こすようなものがある場合、同じような状況になってしまうことであろう。
また、システムの根幹にかかわるような設定変更は、管理者権限に移る宣言(というか、ダイアログボックスでVistaが提示してくれるのだが)をしてから実行するというプロセスをとる。感覚的にはUNIXのsudo命令に近いだろうか。従来のWindowsでは無かった概念だから戸惑うユーザーも少なくないだろう。

結構、Vistaでは動作の保障をしていないアプリケーションもXP互換モード&実行時の管理者権限付与で動作するようである。動作保障外のアプリケーションの多くはメーカー側での検証が十分にされ尽くしていないのだろう。
PCの環境構築をした上で最も驚いたことは、もう過去のものになって皆さまの脳からは抹消されていると思われるPDA PalmのSONY版製品『CLIE』に付属するPCとのデータ連動ソフトHotSyncマネージャ&PalmDesktopが全く問題なく動作したことである。USB接続でばっちりHotSyncできている。Vista化によってHotSyncができなくなったらCLIEはお蔵入りになるところだったが、うまい具合に寿命が延びた。これからも使っていこうと思う。

改めて文章にしてみると、Vistaも意外と悪くないような気になってきた。だが、私の職場に本格導入されるのはだいぶ先になりそうな雰囲気である。

大宮駅西口にあるフレンチのお店、Bistro「傳」。今日はここでダラダラとブランチ。

久しぶりに行ってみると、なんと1月27日で場所が移転するとのこと。店名も「お酒とお料理 Bistro傳」に変わるそうだ。移転場所は「北大宮駅」と今、大宮で最も熱いスポットと言っても過言ではない「鉄道博物館駅」の中間地点あたり。大宮駅からだと徒歩20分…ちょっと行ける距離ではないなぁ…。鉄道博物館に来る客を狙っているのかもしれないが、ちょっと客層が違うような気がするんだけど。

この店の料理は非常においしくてリーズナブルなのだが、中でも焼き立てであったかいパンがとてもおいしかった。それが食べられなくなると思うと残念だ。
新たに大宮でフレンチのお店を開拓する必要がありそうだ。誰か知らないかなぁ?

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修理からThinkPad T42は返ってきたものの、HDDの少なさやPCのパフォーマンス(といっても、重いプログラムをガンガン動かしている私が悪いのだが)の問題から、新型を導入することにした。同じThinkPadなのだが、T42の頃はまだIBM製であった。恐らく、IBM最後のThinkPadだったのではないかと思う。今回のThinkPadはLenovo製。T42を購入したときに比べると明らかに安くなっているのだが、随所に品質が落ちたように思われる点がある。メモリ増設のためにアームレスト部分を開けたのだが、こうした作業を行うのがT42はもっと楽だったような記憶がある。

T61のスペックは

  • CPU:インテルR CoreTM2 Duo プロセッサー T7250 2GHz
  • メモリ:1GB+1GB(増設)
  • ビデオチップ:nVidiaR Quadro NVS 140M (128MB)
  • HDD:120GB(5,400rpm / シリアルATA / 9.5mm)
  • ディスプレイ:14.1V型TFTワイド液晶(WXGA+:1,440×900ドット)
といったところである。注文した数週間後にこのモデルのCPUがT7500 2.2GHz&HDD 160GBというモデルがさらに安く発売され、例によって私は気絶しそうになった。

ThinkPadの醍醐味の一つといえば、かなり種類が充実したドッキングステーションの類である。なんというか「ドッキング」という言葉に男は魅せられやすいのではないだろうか?屋内から屋外利用の際に、各種ケーブルをつなぎ変えなくても済むというもので、私はアドバンスドミニドックといものを買ったのだが、実に使い勝手が良い。T42で使っていたポートリプリケーター2には無かったUSB HUB機能やACアダプタがもう1本付いてくるようになったあたりは大変高く評価できる。

T42とT61を比較して、最も残念といわざる得ない点は液晶ディスプレイの解像度と美しさである。T42では「FLEX VIEW液晶」搭載モデルを購入したため綺麗なのは仕方が無いのだが、T61にはそうしたディスプレイに変更できるオプションが無い(あったら搭載モデルを買っていた)。また、15インチから14.1インチに大きさが小さくなり、解像度も1,400×1,050から1,440×900に低下している。さらに視野角の低下、全体的に青みを帯びている(ICCプロファイルの設定がおかしいせいかもしれない)など文句のつけどころ満載である。デュアルディスプレイ対応な上、アドバンスドミニドックにはDVI-Dポートもあることだし、液晶ディスプレイを別に購入してもいいかなぁと思う。
あと一つ、何とかしろといいたくなる点がある。IEEE1394ポートが1つだけあるのだが、PCの前面にポートがあるのだ。ビデオ動画を一時的に取り込んだりするためには前面の方が都合が良いのだろうが、外付けHDDを普段つなぐために使用するには不適切な位置である。背面にもう1ポート追加するか、アドバンスドミニドック側にポートがほしかった。

デュアルコア化したCPUと大量のメモリのお陰で、Photoshop CS3やIllustrator CS3を多用してもストレスをあまり感じなくなった。あとは使い慣れないWindows Vistaに慣れなくては…

でT42の余生なのだが、実家行きになるか、FedoraCore 8のサーバにするつもりである。FedoraCore 8サーバならオーバースペックな位である。daapでもインストールしてiTuneミュージックサーバ化するのも良いかもしれない。しかし、こんな用途であのディスプレイは本当に惜しい。

池袋東口の三菱UFJ銀行前の交差点で信号待ちをしていると、
 「最高ですか~?」
と連呼しながら絶叫している女の子に遭遇した。

「最高ですか~?」という台詞は、私の記憶が確かならば福永法源が代表をしている「法の華」の集会などで信者にかける掛け声ではなかったかと記憶している。
この女の子は信者なのだろうか?それとも何かのパフォーマンスなのだろうか?演劇とかの練習か?
しかもこの女の子、結構かわいいし…一体何なんだろう?
時折「最高で~す」という、元ネタを知っている酔っ払いが返答しているが、とにかく不気味である。

私は東京に出てきてからは宗教の勧誘にあったことはあまり無いのだが、学生の頃、仙台駅でよく捕まってしまっていた。
忘れられないのは、若くてきれいなお姉さんにいきなり「目を閉じて手を出してください」と言われ、そのとおりにすると、いきなり彼女の胸に手をあてられたときのこと。
この手の勧誘にしては珍しく、得した気分になった。

常に使っているPCが突然無くなるとはこれほどまでに不便なものなのか…と、痛烈に思わされてきたここ数週間。妻のPCを自室に持ち込んで、自分用のアカウントを作って使用していたのだが、これが落ちる落ちる…。HDDへのアクセスランプが点灯したまま固まることが多かったのでHDDの異常を疑ったのだが、特に問題は無い様子。色々と落ち着いたら、OSから再インストールする必要がありそうだ。

T42が戻ってきたのでメール等を妻のマシンから移す。ん~。速い…さすがは1000 BASE-T。ThinkPadは随分と前の機種からNICが1000 BASE-T対応。そういえばMacintoshも早かったよなぁ…G4あたりから完全対応だった記憶が…

で、今後もT42を使い続けるかというと…実は諸事情により新機種に変更することに決定。スペックは当然上がるのだが、私のT42に搭載されているスーパーシャインビュー液晶ほどの画面の美しさが再現されるかどうかはちょっと心配。それとWindows Vista。調べてみると、結構非対応アプリケーションが多いし…会社にはたったの1台もVistaマシンは導入されていないから、何だか人柱感が否めず。しかもHome Premiumだし…Business系にしておくべきだったかなぁ?高かったんだよなぁ…

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ふと、会社の近くのセブンイレブンに入ってレジに並んでいると、茶色い半円形の物体が目に入った。
『ベルギーチョコまん  90円』

私はコンビニのレジ近くにあるものからの誘惑を断固として断ち切ってきた人間で(本当は好きなんだけど…)今回も華麗にスルーするつもりだった。というか、スルーしていた。
しかし、二度目にこのベルギーチョコまんの前に立ったときは、気がついたら90円払っていた。
買ったから食ってみた。保温機の中から出たばかりのベルギーチョコまんの中のチョコはとろ~~~んとしており、冷え切った心と体を温めてくれた。うまいじゃないか。

はまりそうな予感だが、 1食あたり 252kcal。油断なら無い商品だ。
北海道、東北、関東、甲信越、静岡での限定発売とのこと。西の方はゴメンナサァァイ!

子供ができると、出産後必要であろうと思われるものを色々と購入するわけだが、実際に使用する(できる)期間が著しく短いものが多いことに驚かされる。ベビーバスやベビーベット、チャイルドシートの一歩手前のベビーシートと上げれば枚挙に暇が無い。
こういうものをまともに買って準備しておくのは結構馬鹿らしいものだなぁ…と、一人ばかり子供を育てながら思うようになった。おそらく他のお母さん方もこういうことを実感しているから、第二子、第三子となるといい加減…じゃなくて、コツを掴んだものの買い方をしていくようになるのだろう。そして、そうして育った子供達は第一子よりもたくましくなっていくんだろうなぁ(ちなみに私は第一子です…^^;)。

妻の友人が妊娠し、4月に出産予定だという。うちと同じく男の子だそうだ。
我が家の二階の一室は息子が一時期しか使わなかったものの倉庫となっている。こうした物たちが再度、日の目を見るチャンスと思い、車に入りきるだけのものを積んでその友人宅へ行くことに。場所は横浜。久しぶりの首都高である。ドライブならどれだけ距離があっても苦にならない私にとっては至福の時間である。

実家から帰って着たままの装備になっている私の車のタイヤはまだスタッドレス。ミシュランの固めのものをはいているのだが、夏タイヤに比べるとぐにゃぐにゃで限界性能がいかにも低い。首都高を思いっきり楽しむ…じゃなくて、安全に運転するためには夏タイヤに戻しておく方が良いだろうと思い、スタンドでタイヤを戻してもらう。スタンドの店員は「え?もう戻すんですか?」って表情であったが、滅多なことでは雪など降らない関東では別にどうでもいいのである。
ついでに給油も済ます。ガソリンも少しずつ値段を戻しているようだが、まだまだ高い(ちなみに平均価格の変動はこちら)。私の馴染みのスタンドではハイオクで\148/lであった。

蓮田から横浜までの所要時間は70分。これは相当速い(行きも帰りも全然渋滞していなかった。ガソリン高で車を利用する人が減った?)。その妻の友人は結婚してから横浜のマンションに引っ越したそうだが、やっぱりマンションはマンションで良いところがあるなぁ…と、毎度同じような事を思わされる。綺麗だし暖かいし…我が家は思いっきり反対いってるしなぁ。

使用しているPCやNASに1000BASE-T対応機器が増えてきたので、HUBを1000BASE-T対応のものに変更した。
導入したHUBはバッファローのLSW2-GT-5EPRである。購入価格は約\4,000-。これに13%のポイントが付いたわけだから、随分と安く買えた物だと思う。筐体がプラスチックで安っぽいのだが、初めから設置用の磁石がHUBにくっついているので置き場に困らない。あえて難点を言えば、コンセントがACアダプタであることくらいか。
具体的にパフォーマンスを計測したわけではないのだが、ファイルのコピーやNASに保存されている動画の再生などにストレスを感じなくなった。100BASE-TXの10倍のパフォーマンスが出ているとは思えないが、速いという実感は十分に持てる。さらに、不思議なことに100BASE-TX接続した機器とのデータのやり取りも若干高速化したように感じられる。
ポート数は5ポートだが、1つはアップリンクに使用するので実質は4ポートである。自室LANに接続するPC等は最大7つだが、100BASE-TX接続のものを今まで使用してきたルータに繋げれば7つのポートは確保できる。

9年ほど前、当時所属していた会社でGiga bit Ethernetの実証実験というものを見せてもらったことがある。当時は100BASE-TXでLANが組まれているだけでも珍しかったわけだから、1000BASE-Tのスピードにはかなり驚かされた。あのときに使用したHUBはどれほどの価格だったのかわからないが、今や\4,000-である。いい時代になったものだ。

実はここ一ヶ月くらい悩まされている。
ちょっと変わった頭痛で、寒いところに居るときはあまり痛まない。暖かい室内に入ると、右後頭部が痛くなってくるのである。風呂に入ったりすると、その症状はてきめんである。痛みは翌朝にピークに達し、本当に「頭を抱える」状態になる。冷湿布や氷のうのようなものを痛い部分に当てていると当てている間は痛みが治まるのだが、一時的なものである。

肩がこったり、偏頭痛が原因だったりする場合、入浴によって症状が良くなることはあっても、悪くなることは無い。また、痛みも「ズキ・ズキ」と鼓動にあわせたような痛みではなく、右後頭部に猛烈な圧力が加わるような「ズーン」という痛みである。

さすがに我慢の限界に達し、整形外科を受診してみたのだが、念のために脳を診てもらったほうがいいだろうと言われ、飯田橋の逓信病院の脳神経外科を受診してきた。CTスキャンで脳をチェックするが、特にこれといった異常なし(脳が大きいと医師に褒められたが…)。たぶん、緊張型頭痛とのこと。とりあえず、筋肉の緊張をほぐす薬を処方されたので、これを服用することにする。

世の中に頭痛もちというのは多い。私も元々そうではあったが、最近のものとは頻度と質が違う。今までのものは典型的な偏頭痛の症状。しかし、今回のは頻度と痛みの質が違う。我慢できるというレベルのものではない。
偏頭痛には「トリプタン(製品名はイミグランなど)」という特効薬があるので、症状を緩和できるものの、緊張型頭痛にはこうした薬が無いのである。本気で困ってます…。

今日はどういうわけか、電車の席の隣の人(4人も)がみんなロレックスを身につけていた。しかも、フルーデッドベゼルのデイトジャスト、YG/SSのコンビのジュビリーブレスモデル。文字盤の色やインデックスは微妙に異なっていたものの、典型的なオッサンロレックスで、所持者もみんなオッサンだ。

で、そのオッサン方がみんな同じ行動をとっていた。鼻をほじり、鼻毛を抜いているのである。
30を過ぎて自分自身がオッサンに近づいていることを認めざる得ない時期ではあるものの、さすがにこういう行為は真似できない。これが出来るようになったらオッサンとして1ステージアップといったところなのだろうが、アップしたくも無い。あとはスポーツ夕刊紙のエロコーナーを堂々と見ることができるようになる。これは私にとってはさらに高みのステージと言えよう。都心の電車の中には、私立の学校に通っている小中学生が結構乗っていたりするのだが、こういう大人を見て彼らはどう思うのだろうか?

で、とった鼻毛か鼻くそかはわからないが、それを指で弾くわけである。こっちに飛ばさないでくれ…と猛烈に祈る。悠長に寝てなど居られなかった。

何かの分野に対し真剣に取り組んでいる第一人者と言われるような人の講演や授業というものは、非常に面白いことが多い。それはその取り組む対象への哲学が生まれてくるからではないかと思う。誰よりも面白いところを知っている。そしてその面白さを皆に知ってほしいと思う。例えが適切ではないかもしれないが、芸人のようなエンターテイナーだなぁと思わせてくれた先生を私は何人も知っている。
私ももう10年以上も人に物事を教える仕事をし続けてきた。グラフィックデザインや情報技術をいかにわかりやすく、好奇心を持たせて伝えることができるか?どんな実験や実習をさせればより理解が進むかを自分なりに考えながら教えてきたつもりなのだが、受講生に「この人は本当にこういうことが好きなんだなぁ」という思いを少しでも抱かせることができたかどうか…私はこの作品の博士と中学校の数学教師となったルートを見ながら振り返らずにはいられなかった。

不慮の交通事故で、天才数学者の博士は記憶がたった80分しか持たない。何を喋っていいか混乱した時、言葉の代わりに数字を持ち出す。それが、他人と話すために博士が編み出した方法だった。その博士の下で働くことになった家政婦の杏子と、幼いころから母親と二人で生きてきた10才の息子。博士は息子をルートと呼んだ。博士が教えてくれた数式の美しさ、きらきらと輝く世界。母子は、純粋に数学を愛する博士に魅せられ、次第に、数式の中に秘められた美しい言葉の意味を知る。出演は寺尾聰(博士)、深津絵里(杏子)、斉藤隆成(子供のころのルート)、吉岡秀隆(先生になったルート)、浅丘ルリ子(未亡人)。原作、小川洋子「博士の愛した数式」(新潮社刊)。小泉堯史監督。2005年作品。公式サイトはこちら

感想の前に、この作品中に出てきている数式は高校レベルの数式なのだが、素数・階乗・完全数・虚数あたりまでは辛うじて記憶していたものの、友愛数や指数関数と三角関数を結びつけるオイラーの公式(eπi+1=0)あたりは完全に記憶の彼方へ飛んでいた(博士、ルートともにオイラーを尊敬していたようだが、私が高専にいたころの数学の先生もそうだったように記憶している)。使っていないものは忘れる!仕方がない!

この作品の中で最も心を強く打たれたのは病院のシーン。博士が杏子に「直線を描いてごらん」というシーンだ。厳密な直線の定義によれば永遠に続く線が直線であり、始点と終点を持つ線は線分と区別される。しかし、紙という限られたスペースに書ける線には限界があるし、永遠に線を書き続けることができるだけの体力がある人間など存在しない。つまり、本当の直線というのは視覚化することができない、心の中にしか存在し得ないものだという。そして、直線のような視覚化出来ない、心の中にあるものの中にはとても大切なものがあると博士は話す。
私はこのところずっと考えていることがある。時間のことである。時間というものが確実にあるということは皆が知っているのに、例えば空間の広がりのように視覚的に認識することができない。先の直線のようなものである。そして、あるときは長く、あるときは短く感じられて捕らえどころがない。
人は「いつか」という(本当にあるのかどうかわからない)将来に期待し、「いつか」という過去に後悔したりしながら生きてしまいがちだが、80分で記憶が切れてしまうという博士にはこれがないのである。常にその瞬間瞬間を大事に(もちろん、博士はそういう意識は持てないのだが)生きているその姿は、生物としてむしろ自然なのではないかと思わされた。

上映時間は117分と長すぎも短すぎもせずちょうどよい。静謐な物語の展開も自分にはちょうどよかった。心が温まり、数学に対する興味を再び持たせてくれた秀作と評価したい。お勧めできる1本である。

この頃、職場近く(皇居近辺)でランナーたちの姿を見かける。日に日に増えてきている感じだ。
近づいてきた東京マラソン(2008/2/17開催)に向けたトレーニングを、皆さん開始したのだろう。

都心で走る人を見て常々思うことがある。こんな排気ガスだらけのところで走って果たして健康になるのであろうか…と。
皇居近くは工場が多いわけではないが、交通量は少なくない。

私は元気に走るランナーたちの健康が、まずうらやましい。
ずっと風邪が治らないのである。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

幸先の悪い話なのですが、PCが逝きました。
CPUファンの不良のようなのですが、ノートPCなので自分で修理するわけにもいかず…
(デスクトップならこんなの簡単に修理できるのに)

堅牢と謳われるIBMのThinkPadもこう簡単に逝くとは…
導入したのが2005年の3月…ちょっと使い方が過酷過ぎたかな~?

修理費が余りにかかるようであれば、新型導入の予定です。
しかし、PCが無いというのは死ぬほど不便ですな。

年末にためてしまったブログ原稿もいくつもあったのに…PC復帰後にまとめてアップですな、これは。
それより、データのリカバリがちゃんと出来ればいいけど。

2009年6月

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