中島義道『カイン-自分の「弱さ」に悩むきみへ』


カインは主に言った。
「わたしの罪は重すぎて負いきれません。今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会うものはだれであれ、わたしを殺すでしょう。」
主はカインに言われた。
「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」
主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインに印をつけられた。

旧約聖書 「創世記」第四章第十三ー十五節


また中島先生の本を読んでしまった(ブログで紹介していないが、別に3冊ほど読んでいる…)。哲学書は内容を理解しきることが難しく(私にはハイブローすぎます)、レビューが全くと言っていいほど書けない。哲学は微細なことまでもはっきりと言語化するが故に非常に難しい言葉の羅列となり、読解するまでに時間がかかって眠気を誘う。本書はそうした口調ではなく、「T君」という仮想の人物(若き日の中島先生でしょう)との間で取り交わされる手紙という形式をとっている。しかしそれは往復書簡ではなく、中島先生→T君という一方向のみだ。それでもT君がどのような状況に置かれ、何を考えているかということをしっかりと理解することができる。

手紙ということでやさしい口調をとっていてるものの、内容はかなりの劇物である(笑)。目次からして

  • どんなことがあっても自殺してはならない
  • 親を捨てる
  • なるべく人の期待にそむく
  • 怒る技術を習得する
  • 人に「迷惑」をかける訓練をする
  • 自己中心主義を磨き上げる
  • 幸福を求めることを断念する
  • まもなく君は広大な宇宙のただ中で死ぬ
ときている。この段階で抵抗を感じる人は、まず読むべき本ではない。
中島先生の本は、毎回胸をえぐられるような気持ちで読んでいるのだが、今回のもなかなかのものであった。彼の思考の中ではまず「まもなく広大な宇宙の中で死んで無にかえってしまう」という考えが横たわっている。実に厭世的なのだが、それでいて「自殺によって生を放棄する」ことを完全に否定する。生きていることが辛くない人が生きても、そこにはとりたてて道徳的な価値はない。しかし、カントの言葉を借りつつ「生きるのが辛いからこそ、それにもかかわらず生きていることは道徳的」だと言う。さらに「生きることに価値や意味は与えられない。しかし、それを問い続けることこそ意味がある」、「死を選ぶことは怠惰である。たったこのまえ生まれてきて、たちまち死んでしまう自分という存在は何か?それを問い続けよ」と言う。これはとてつもなく酷な考えであるものの、考えたくなくともそのようなことばかりを考えてしまう人間(私…)にとっては常に与えられている命題のようなもの。「考えるな」と人に言われてもやめないし、やめられもしない。

本書のタイトルとなっている「カイン」は上で紹介したとおり、旧約聖書の創世記に出てくるカインの現代版のことである。それは現代を生きるさまざまな事象に鈍感になれないマイノリティのことを指し、とにかく不器用で生きにくいと考えている人を指し、孤独な人を指し、すべてのものの存在や意味を問い続けるしか道が無い人を指している。今となっては「戦う哲学者」の異名をとるほどの中島先生だが、ウィーンに私費留学する34才まではまさに「カイン」であった。ウィーンでの生死の境をさまようような生活を通じて怒る技術、戦う技術を習得して強く生きている(ように見える)が、やはり突き詰めて読んでいくとそうした繊細な面が見えてくる。

本書の中で、二つほど私の印象に残ったことを引用したい


怒りの教育においてぜひとも必要なのは、他人の怒りをしっかりと受け止める能力の開発である。たとえこちらが「正しい」注意を冷静にしても、相手から反感を買うのは当然でさえある。そこには正しいことをしているという傲慢さが臭う。だから、他人に注意するものは、それが正しい要求であると信じていればいるほど、覚悟しなければならない。自分はいまたいそう傲慢な行為に出ているのだから、無傷で相手を動かすことができるというおめでたい期待などしてはならないこと、を。
ぼくは心の底からそう確信してから、自然に注意できるようになった。怒鳴ることもできるようになったんだ。自分は正しいことを要求することによって、はげしく他人を傷つけることを知っているがゆえにーなぜなら、注意されたものもそれが正しいことを承認せざるを得ないからー自分は彼からいかなる仕返しを受けても仕方がないと居直るようになった。



私、なんで「正しいことを言っているのにこの人はなぜこんなにひねくれるのか?」と本気で思っておりました。理詰めで論破しても、そういう覚悟がないから何とももやもやした気分がして、どうしようもなかった。


それは「さしあたり食っていかねばならない」者の真実の叫びかもしれない。だが、最近ようやくわかったのだが、そのうちでもさらっと反感を持つのではなく、きみやぼくのような人間を執拗に迫害するものは、たぶん心の奥底では自分の自己欺瞞に気づいているのではないか。「食っていかねばならない!」と絶叫しながらも、それがじつは唯一崇高な生きる理由ではないことをうすうす感づいているのだ。生きていかねばならない。だが、なんのために?そうした疑惑がふっと湧き上がる。だが、たちまに心の中でハエを振り払うようにそれを必死に振り払うのだ。こんな「馬鹿げた」問いに振りまわれてはならない、と。

ようは世の中で「大人だな」といわれる人々のことである。生きていること、働くこと…一々、すべてにおいて考えて動きを止めてしまう私に対して「考えても仕方が無いじゃないか」、「大人になれよ」と自己欺瞞を積極的に薦めてくる。楽になれるからそういうのだろうが、残念ながら私にはそういうことが出来ないのである。


と比較的内容に共感して読むことが出来た私としても、中島先生の薦める「カイン」の生き方を絶対的に実行することははっきり言って不可能である(社会で生きていけなくなってしまう)。
「カイン」としての生き方は、とにかく不幸である。幸福を求めることを断念することで過剰に不幸を感じることはなくなるが、これはサルトルの言う「自己欺瞞」そのものでもある。もちろんこのことを認めたうえで、自分の価値観を変えずに私は今のまま生きていくことでしょう。

こういった考えの拠所として宗教が存在しているのだが、決してそこに頼ろうとしないところに共感を覚える(他の作者のこの手の本は宗教に逃げるパターンがあまりにも多い)。宗教に頼るのは一種の思考停止である。それは中島先生が最も嫌うところなのだろう。

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