2008年6月アーカイブ

8square.netのサイトには、簡単なアクセス解析ツールを導入している。
別に商取引をするサイトでもないので、ユーザーの導線分析のような本格的なことはしていないのだが、一日にどれくらいの来訪者数があり、リピーターがどれくらいあり、各ページのインプレッションがどの程度あるか、確認している。

このアクセス解析ツールの機能の中に「各検索エンジンでどのようなキーワードが入力され、このページへ至ったのか」を分析する機能がある。総じて時計関連のキーワードが多いのだが、最近増えてきたキーワードの中でちょっと気になる言葉がある。

それは「自殺」である。ここ数ヶ月で急に増えている。
このサイトで「自殺」というキーワードを使っている記事がどれほどあるかをちょっとカウントしてみた。21の記事の中で見つかった。だがそれらは、社会現象としての自殺者数を問題にしたり、書評の中に現れているものがほとんどだ。具体的な自殺の方法について述べたりは全くしていない。
どういう経緯でこのサイトまでユーザーが辿り着いたのかはよくわからないが、「自殺 方法」などという組み合わせで検索されていると、さすがにドキッとさせられる。そういう方法についてはこのサイトには一切記載してはいない。

私は本心から「人生に生きる価値が見出せないなら自殺するのもかまわない」という考えを持っている。
ただ、マジョリティ的な倫理観や生理的嫌悪感から、死のうとしている人に「おうおう、死んでしまえ死んでしまえ」とも言えないのも事実。ましてや、自分のサイトが自殺へのジャンプ台のような機能をしているのなら、もっと複雑な気持ちにさせられる。

私も過去、あることに絶望して本気で死のうと思ったことがある。というか、決行したこともある。どういうわけかその日に限って自分が見つけられ、病院送りになって助かってしまったという人間である。
その後も頭が痺れるような思いをして自殺について考え、私を知る少ない人間が悲しむという事実、そして多くの人に迷惑をかけるという事実に至り、再度実行には至らなかった。本気で死のうと考えている人に比べて、なんと根性の無いことか(笑ってやってください)。


忘れもしない、2002年9月1日。私はとある駅のホームで電車を待っていた。私の位置は、ホーム前から二人目。ホームに近づいてくる電車を眺めていたら、私の前に立っている人が線路に飛び降りた。何かが折れ、何かが絡まるような音がした。そして、私の靴に血が付着した。
私は不思議と冷静だった。警官に淡々とその様子を供述した。飛び散った死体を片付ける駅員が気の毒だった。それ以上に、血相を変えてやってきた奥さんと思われる方の姿を見たとき、私はうろたえた。

死とは無になることである。おそらく、周囲の人が悲しむ様子を見ることも感じることも無いのだろうと思う。だが、生きているうちはその様子を想像することが出来る。私はつい、その奥さんのことを思い出す。私の「自殺できない」という思いに決定的影響を与えた事件だった。


私は精神科医でもないし、心療内科医でもないし、臨床心理士でもないし、カウンセラーでもないし、夜回り先生でもない。多分、人の死にたいと思う気持ちを引き止めるようなことは出来ないだろう。だが、話を聞くことは出来る。
本当にこれが取り越し苦労ならいいのだが...もし本気ならちょっとだけその勢いに待ったをかけ、思うままにコメントを入力してください。もちろん、そのコメントは公開しませんが、急いで返信はいたします。

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ゆず=好き
シャーベット=好き

そういう私ですから、これを買わないわけにはいきません。高知県産ゆずを使用したゆずシャーベット。ちょっとだけお高い\150。
(そういえば、知らない間にアイスも一斉に値上がりしましたね。\100+消費税で買える商品がかなり減っていて、驚きました。)

で、味。甘すぎなく、でもゆずの風味もさほど失われてなく、大変おいしゅうございました。
夏場は甘すぎて「ベトッ」とするアイスクリームよりも、シャーベットがいいですね。もうそういう季節になってきました。

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クレドール、それは1960年代末「より高級な時計を」という市場の要求によってSEIKOが生み出した貴金属を用いた『特選腕時計』を源流とし、1974年にスタートした高級時計に与えられた名称である。この"CRET D'OR"とは、フランス語で「黄金の輝き」を意味し、その名に恥じることの無いゴールドやプラチナなどの貴金属を素材とし、最上級のデザインと日本独特の工芸技術をつぎ込んだラグジュアリーウオッチを多数リリースしている。

車の世界で言えば、TOYOTAに対するLEXUSのようなもの(源流は異なるが)と考えて差し支えないと思う。つまり、あまりに市民権を得てしまった既存のブランドイメージから脱却した高級モデルをリリースするために、全く異なるブランド名称を持たせたのである。LEXUSのエクステリアにTOYOTAの名前やロゴが見つからないように、クレドールの文字盤にもSEIKOの表記は見られない。シースルーバックのモデルが多いので、ムーブメントを見てSEIKOの名が刻まれているのがわかるという具合である。

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現在、クレドールのイメージキャラクターは黒木瞳さんが担当している。日本の腕時計を頂点を担うにあたり、恥ずかしくはない人選である。だが、それはあまりに目立たない。クレドールの広告宣伝物は街を歩いているだけでは見かけることはない。一部の高級時計雑誌や「オーソライズドディーラー」として認定された高級時計店やデパート、そしてクレドールのサイトで見かける位である。


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クレドールのものすごいプロダクトと言えば、2006年のバーゼルフェアで発表された「SPRING DRIVE SONNERIE」だろう。ソヌリ機構とは、一定時間ごとに鐘を打って音を出す、クォーツでいうところのアラーム機能に近い。しかしこれを機械式時計で実現すると、トゥールビヨンやパーペチュアルカレンダーを搭載するモデル並みの価格になってしまう。ちなみにこのモデルの価格は\15,750,000円。年間に5本しか作れないうえに、スイスブランドであればこの程度の価格では済まない。見方によれば、非常に良心的な価格とすら言える。


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私も実はクレドールブランドのモデルでひとつ、かなり欲しいモデルがある。それが「クレドールノード GCLL999」である。
濃紺の文字盤と白蝶貝のムーンフェーズが見られる(この、ムーンフェーズ大好き男め!)。SS。シースルーバック。日常生活用強化防水(10気圧)。7時方向にパワーリザーブ。ボンベサファイアガラス(無反射コーティング)採用。価格は\598,500円。
ムーブメントはCal.7R88。つまり、スプリングドライブである(スプリングドライブの詳細については、私の過去のブログやSEIKOのスプリングドライブ詳細サイトを参照ください)。滑らかに動く針と高い精度については非常に満足なスプリングドライブだが、テンプや脱進機がないため、機械式時計特有の「チッチッチッ...」という音がしない。これは私的には猛烈に残念である。
無駄がなくシンプルなうえに上品さと遊び心が感じられるこの文字盤のデザイン、そして季節を選ばないメタルブレスなど、唯一デイト機能がないのが残念(デイトを採るか、ムーンフェーズを採るか...デイトだとGCLH997あたりなのだろうが、こちらは\714,000。ちょっと値段の差がありすぎではございませぬか!)

なんだかディスコンになりそうな雰囲気があるGCLL999だが、今しばらくは予算もなく買えそうにもない。でも、機械式でもない、クォーツともいえない「スプリングドライブ」も1本くらい持っていたいという思いはある。針を眺めながら時間論でも考えるには適していると思うのですが。

この頃、首都圏を電車に乗って移動してるといたるところにSEIKOウォッチ株式会社の腕時計販促用看板を見かける。

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3~4月は新入社員や新入学生があるから、腕時計の需要はあると思える。この頃によく見かけたのは菅野美穂さんによるLUKIAの販促看板。彼女は私と同じ年生まれ(私は早生まれなので学年は違うのだが)だから、新入社員そのものと言うよりは、理想の先輩像に近いのかもしれない。このモデルのコンセプトワードは"PLAY,WORK,LUKIA"。仕事とプライベートという境界線が希薄になりつつある中で、どちらにも合わせられる、そんなデザインだと思う。レザーストラップ&ホワイト文字盤にライムグリーンインデックスのSSVB081は、菅野美穂さんが動画の中で話していたように、ワンピースのような服装に合わせても魅力的だと思う。メタルブレス+インデックスがブルーのSSVB087はよりクールな印象。手堅く確実に仕事をこなす女性と言う印象を受ける。時間に対するけじめがある女性なんじゃないかと、私なら感じる。インダイヤルに対して同心円状に2本引かれる円のラインが、インフォメーションが多い文字盤に秩序を与えている。私はこういうデザインが好きだ。

SEIKOというブランドは、どうも自国製品であること、そして販売価格レンジが広いことから、同じ日本人からの評価がいささか厳しいような印象を受ける(自分を含めて、やはりスイスブランドに対する羨望というもののがなかなか抜けないことも一つの理由であると思うが)。ディスカウントショップ等で売られている、SEIKOの名を騙る逆輸入時計のようなものは今回は論外として、SEIKOは優秀な自社製ムーブメントを持ち、各パーツも自グループ外からの依存率が非常に少ない、世界に誇れるマニュファクチュールである。今までの販促戦略の中でそのブランドアピールがずいぶんと足りなかったと思えるし、プロダクトそのものに対するアピールも足りなかったように思う。身近な例をあげるならば、自分の父親が使っていたりすると漠然と「おっさんの時計ですか?」という印象を、少なからず持ってしまうと思うのだが、それを払拭するようなブランディング戦略が弱いような気がするのだ。「実用的な腕時計」という域を出ず(つまりステータス性に乏しく)さらに、腕時計をする必然性が無くなりつつある現代で、この苦戦は必至ではなかったかと思われるのだ。
そのSEIKOも、今年はずいぶんと販促戦略を変えてきたと思う。個々のモデルに対するイメージをより強調させるようなタレントをふんだんに使い、(過去も使っていたのだが、露出が足りなかった)ネットや看板といった、コストが比較的かかりにくいメディアを通じて、私たちの目に届く機会は確実に増えて来ている。

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5月に入って、よく見かけるようになったのはBRIGHTZ PHOENIXの販促用看板。こちらのイメージキャラクターは歌舞伎俳優の市川海老蔵と、プロ野球選手のダルビッシュ有。二人とも、その道では一流と言える人間だ。時間というものはどんな人間にでも意識され、そしてその中に個々の時間との向かい方というものが存在している。その時間に対する向き合い方(哲学)を二人に語らせている。だが、この哲学とBRIGHTZ PHOENIXというプロダクトの関連性は、語られてはいない。上記のLUKIAとは方向性がまったく異なる。それは商品の価格帯の違うわけで(LUKIAは4~5万だが、こちらは20~30万前後)同じ戦略をとれないのであろう。
感動を産み出すためには哲学は必要なもので、理想的にはZENITHのティエリー・ナタフ氏のように、プロダクトとデザインに全責任を負う人間の哲学をぶつけるのが最良だと思うのだが、やはりこういう人材は稀である。そう考えると海老蔵とダルビッシュを使わざるえなかったのかもしれないが、過去の販促活動に比べれば、相当に良くなってきていると思う。
BRIGHTZ PHOENIXは「キネティックダイレクトドライブ」と「機械式」モデルの2ジャンルがある。私はキネティックには興味がないので割愛するが、機械式モデルCal.6S28のクロノグラフ機構は見事なものである。スイングピニオン式を採用し、薄型化を実現。クロノグラフ操作機構にはピラーホイールを採用する。それでこの価格というのは、世界的に見ても相当安いと言わざる得ない。
でもね...デザインが私好みではないのである。細かく見ればかなり質感は良いのだろうけど、過去に私が批難したSEIKO逆輸入クォーツクロノグラフがちょっとマシになった程度にしか思えないのである。
そして、同価格帯のTAG HEUERの方が、圧倒的に売れるのだろう。Carrera Automatic Chronograph TACHYMETRE(Ref.CV2010)あたりがまともにバッティングするのだが、こちらはETA Cal.7750をベースムーブメントとした、カム式クロノグラフである。ムーブメントで比較したら、BRIGHTZ PHOENIXのほうが圧倒的にポテンシャルが高いのだが...

明日は、SEIKOを名乗らないSEIKOの高級ブランド、『CREDOR』について考えを述べてみたい。

妻が息子に絵本を読み聞かせているのを、私も一緒になって聞いていた。
「タンゲくん」は片目を失ったノラ猫で、この本の中の私(女の子)に飼われて、半ノラ猫になる。そんなタンゲ君と私の話だ。

話の内容は思いっきり省かせていただくが、大人になってから絵本を読むと、その中から意外な深い思いが読み取れ、驚く。絵本を読む大人が増えているという理由が良くわかった。

うちにも2匹ほど猫がいる。猫は何をするでもない。
うちの妻はそんな猫がいるだけでいいという。唯在る事を喜ぶという感覚を、私はどこかに忘れてきてしまったようだ。

気温の変化が激しい上に、次第に暑くなってきている。
私はどんな状況下でも食欲が落ちるということは無かったのだが、今、人生最大の食欲低下という状況に見舞われている。
これが三十路というものなのか?
全くダイエットするつもりなどなかったのに、いきなり5kgほどやせてしまった。

ちょっと具合も良くないので、景気づけにうなぎでも食べに行こうと思い、家族3人でさいたま新都心の「まんまる」へいく。広い座敷席があるので、子供がいても他飲食店での外食ほど気兼ねしなくて済むのがよい。
頂いたのは「うな重」。給料日前なので、「上うな重」のようなものはさすがにオーダーできず。でも、この店のうな重なら国産養殖ものなので、なんだか安心して頂ける。しかも\1,400と非常に安い。
息子もうなぎは好きなようで、パクパクと喜んで食べる。私も少し、元気になったような気がする。

その夜、息子は23時を過ぎても全く眠らず大暴れ。うなぎパワーなのだろうか?無理に寝せようとすると、私の顔面に向かって頭突きをしてくる。この頭がめちゃくちゃ固くて(いったい何で出来ているんだろう?モース硬度9って感じ←ダイヤモンドかよ)喰らうと目から火花が飛び散る。結局、日が変わるくらいまで眠るのに付きあわされた。

我ながら、またミーハーな本を買ってしまったものである。

このブログ内で幾度と無く紹介しているちょっと変わった哲学者と、メディアへの露出度が高く、リベラルな女性心理学者との対談である。前回紹介した『「うるさい日本」を哲学する』のような往復書簡ではなく、座談会のような席を設け、その中で二人が交わした意見をそのまま本にしている。
メディア露出度が高い学者というのはあまり好きではないのだが、香山さんの意見(特に、働くということに対する考え方)については、結構、共感を覚えている。

目次を紹介しよう。

  1. 結婚しなくていい!
    やっぱりモテないといけませんか?
    結婚すると幸せになれますか?
  2. 就職なんかしなくていい!
    何のために働くのですか?
    夢がないといけませんか?
  3. 金持ちになんてならなくていい!
    格差って本当にありますか?
    お金が無くても生きていけますか?
  4. 常識なんてなくてもいい!
    今どき知識って必要ですか?
    人生の目的って何ですか?
  5. 生きがいなんてなくてもいい!
    生きていると面白いことがありますか?
    生きがいが無いといけませんか
  6. 生きがいなんて無くてもいい!
    人間関係がうまくいくコツはありますか?
    人間関係はどうあるべきですか?

もう、目次を見た瞬間から「ポスト・モダニズム的どうでもいい感」がプンプンしてくる。
総じて論じれば、この本は他人と自分とを比較して「何であの人があんなに恵まれているのに、私はこんなに惨めなの?」とか、「こんな私ですけど、生きていてもいいですよね?幸せになれますよね?」という、漂流気味な人がほしい言葉にあふれている。ルサンチマンの塊のような本である。「あなたはあなたでいいのよ」、「そんなに無理する必要は無いのよ」という優しい言葉であふれかえっている。

ここまで読んでいただいた方ならば「なんで中島義道がそんな意見にのっているわけ?あの人は幸福よりも真実を追い求めると宣言した哲学者でしょ?」と思われるのではないだろうか。
実は私も全く同じ意見で、中島先生は香山さんに飲み込まれている感じが否めない。この本における中島先生は、(今までの著作と比べれば)相当普通のおじさんになってしまっている。やはり、中島先生の思いは話し言葉というよりも、書き言葉という手段でしか表現が出来ないんじゃないかなぁと、この本を読んで思った次第である。

ちょっとイイねと思ったのは、働くということに対する考え方。
「やりたいことが何かということをとことん追求し、それを仕事にして自己実現を目指しましょう」
ということを企業も、就職を斡旋する会社も、社会人向けの各種スクールでもガンガン言っているが(そして私も過去にそう言ってきましたが)、実際に「やりたい」と思っていた仕事が確実にやれる保障など無い上に、仕事となると、趣味のレベルとは要求されるレベルが異なる。つまり、「やりたい仕事」に対して過剰に期待してしまうと、「そんなはずは無い」という思いと共にガックリ来て即転職のようなことにもなりえない。完全に嫌いなことを仕事にするのはつらいので、そこそこ好きな仕事を「飯のタネ」と割り切る程度に抑え、仕事に対しては取り組んだほうがいいと本書では提案している。
私も独身の頃は「自分の好きな仕事へ~好きな仕事へ~もっと自分の適性に合った仕事があるんじゃないか?」と思いながら、結構会社を移ってきた。飯を食えなくなって困るのは自分だけだし気楽に考えてきたのだが、結婚して子供が出来たりするとそうもいかない。幸い今の仕事がそこそこは好きだし、報酬もそんなに不満は無い。なので、私はこの会社に在籍し続け、本当にしたいことは自分の仕事以外の時間の中でするように、ここ最近は生活を変えてきた。会社に長時間いたり、仕事の延長で拘束されたりするのがたまらなく嫌なので、定時になるとあっという間に消えるのだが、私はそういう人として周囲に認識されている。そうなるとこれまた本当に気楽である。とは言え、定時内でクビにならない程度の仕事はもちろんしなくてはならないが。

その他の内容は、全体的に説教じみていてあまり面白い内容でもない。
立場が異なる人であれば「うんうん」と思えるのかもしれないが、私にとって『生きているだけでなぜ悪い?』という問いへの回答の片鱗すらも、本書から得ることは出来なかった。タイトルを変えるべきなのではないか?

そろそろ時計雑誌にネタが掲載されてきた、2008年のバーゼル&ジュネーブフェア(でも、愛読している日本語版クロノスはまだなんだながなぁ)。
各誌、いろいろと報告されているけど、んー、やはり総じて高い。ユーロ高を時計の価格で超実感。

個人的には「どう考えても買えないわ、こりゃ」と思える超雲上モデルやコンセプトモデルにはあまり興味がなく(これはモーターショーなどでも同じ。自分で買えない車は興味がない。レーシングカーもあまり興味がない)、気になるのは150万円以下が限界です(えぇもちろん、150万なんて妻には口が裂けても言えませぬ)。
細かい紹介は時計各誌や、ほかのブログレビュアーにお任せし、バーゼル&ジュネーブフェアまたはその前後に発表された、個人的に気になる時計ベスト5を。

  1. CHAUMET クラス・ワン オートマティック クロノグラフ
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    個人的にジュエラーの時計はどうも好きになれなかったのだが(売れまくっているCHANELのJ12もとても好きになれないんです...されに言えば、セラミックが嫌いです)、猛烈にカッコイイ。ブラックチタンのベゼルに、鮮やかでどこまでも美しい青いクロノ針とインダイヤルスケール。45mmという幅はちょっと大きいが、クロノグラフ&ダイバーズ(といっても10気圧だが)ならばこの大きさも仕方がないかなぁと思う。この写真はラバーブレスだけど、チタン&ステンレススティールのメタルブレスの方が個人的には好み。28,800振動。\861,000。
     
  2. SKAGEN 759
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    こんな写真で失礼。
    スタイリッシュで洗練された北欧デザインを惜しみなく時計に注ぎ込む魅力的なブランド。さらにコストパフォーマンスが高いモデルばかり...しかぁし!クォーツしかない~。
    そんな私の願いを聞いてくれたかのような、SKAGEN初の機械式モデル。もちろん、他モデルと同様にクールなデザインは見事に継承。自動巻きで\34,650。だけど、ムーブはミヨタ。でも、この価格ですから許します。\50,000以下で機械式が欲しい奴!絶対に買いだ。
     
  3. OMEGA Seamaster Aqua Terra
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    OMEGA渾身の自社開発ムーブメントCal.8500の次期搭載モデルは何になるのかとは考えていたのだが、Aqua Terraに採用されるとは思っていなかった。正直、Aqua Terraの文字盤や針のクオリティとCal.8500では釣り合いが取れないのではないかと危惧していたのだが、このタイミングでCal.8500が入っても恥ずかしくは無いようにクオリティアップモデルチェンジ。文字盤には縦方向にストライプが入り、アプライドのインデックスもより美しく変化。これで定価\580,000ならば十分安い。実用時計でどう価格帯であるROLEX DATEJUSTと真正面からぶつかるが、メンテナンス性からすると、私はこちらを推したい。でも、DATEJUSTの方が売れるんだろうなぁ。
    ところで、並行差別が無いことで好感が持てたOMEGAだが、正規取扱店以外でDEVILL HOUR VISIONを見かけたことが無い。卸す店を相当限定しているような感じだ。Cal.8500入りのAqua Terraも同じような扱いになってしまうのだろうか?
     
  4. IWC ポートフィノ・ハンドワインド
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    はぁ...というため息がこぼれてしまうほどの美しさ。この春、IWCは「ヴィンテージコレクション」と銘打って自社の歴史的名モデル6つを復刻させた。だが、それは単なる回帰ではない。IWC流のモダンとクラシカルの融合ってものを見事に見せつけてくれる。元々、ポートフィノやポルトギーゼのデザインが大好きな私にはノックダウン寸前の1本。さらにさらに、2005年に誕生した自社製手巻きムーブメントCal.98800を採用。直径38.8mmの大型ロービートムーブメントは、見るだけでうっとりするような美しいコートトジュネーブやペラールジュ仕上げが。SS。\1,512,000。これがもし半額だったら...本気で買ってしまったかも。
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    なお、スタンダードなデザインに革新的帯磁性と耐衝撃性を兼ね備えた「インジュニア・オートマチック」もリリース。Cal.8011。こちらは\876,750。やばい、現実的な価格帯だ...
     
  5. ZENITH ChronoMaster Open Grande Date
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    やっぱりZENITHかよ...といわれそうだが、好きなんだからしょうがない。現行ChronoMaster Openのデザインは、美しさ、面白さ(時間は読みにくいですがw)という点から、2位で評価したポートフィノと同じくらい評価している。しかし、残念なことが一つ。日付表示が無いということである。まぁ、これは日常使いにはなりにくそうなので、日付が無くてもそれほど問題は無いのかもしれない。
    しかし...やっぱりね、つけてくれるなら日付はあったほうがいい。しかもグランドデイトで、日付文字盤を3つ重ねにした面白い方式(特許取得済)。この動きをトランスペアレントにして見せているあたりが実に心憎い。でもねぇ...定価\1,417,500。グランドデイトとトランスペアレントで、ChronoMaster Openから\340,000増はさすがにキツイ。


各誌大注目であったROLEX SEA-DWELLER Deep Seaについても一言。これは金出して買おうという気には全くなれません。どう考えてもサブマリーナや普通のシードで十分。ちょっと前ならサブが2本買える価格だぞ、冷静になれみんな!

遠距離通勤者の知恵というか、経験というか...埼玉と東京で天気がガラッと変わってしまうことがあるので、私はかばんの中に折り畳み傘を必ずしのばせている。今使用しているものはたたむと15cm位縮まり、平べったくなる折り畳み傘。かばんの中でスペースを占めることもなく大変重宝しているのだが、フレーム接合部の強度がいまいちで既に1本壊している。だが、やはり気に入っていてもう一度同じ商品を買ってしまった。
今は100円均一ショップなどでもビニール傘が売られているので、雨に見舞われるたびに買うという方もいらっしゃると思うが、私はそういうことができない貧乏性であり、また、エコロジー的見地からも好ましくないんじゃないかなと考えている。

傘というものは結構無くしやすいと聞くが、私はほとんどなくしたことは無い。さほど高くは無い...\3,000位のものを使っているのだが、購入するときには吟味に吟味を重ねて購入している。好みなのは、外観は黒。そして、出来るだけ大きく開くものがいい。今使っている傘は、私の好みに的中したお気に入りなのだが、残念なことに買った後一週間ほどで取っ手の一部を破損してしまった(原因はわからず)。取っ手に触れるたびになんだかちょっと悲しい思いをしている。

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そんな私が、最近気になっている傘がある。MOMA(The Museum of Modern Art, New York) storeから発売されているスカイアンブレラである。これはグラフィックデザイナー「ボール・カルマン」氏がデザインしたもので、傘の内側に晴天の空が描かれている。どんよりとした雨天であっても、清涼感が感じられるとても面白い傘だ。サイズcm:Φ97×L90 価格は\7,140。比較的高い(だが、デザイン的には最高)な商品が多いMOMA Storeの製品と考えると、安いものである。今の傘に飽きたら、次はこれを狙いたいと思う。

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私好みの時計ばかりリリースしてくれるなんとも悩ましいウォッチブランド、ZENITH
ZENITHがLVMH傘下後になった2年後の2001年から同社のCEOを務めるのがティエリー・ナタフ(Thierry Nataf)氏である。デザインやコンセプトの考案から広告戦略のアートディレクションまでを行い、自らがスポークスマンとしても活躍する彼の時計に対する哲学は非常に熱い。
『TIME SCENE』誌に掲載された彼の名言を紹介したい。

Q1.人が機械式時計に惹かれるのはなぜか?
A.機械式時計への称賛は、私たちが時に対して抱く魅力に起因しています。
"時"とは何か?"時"とは何によって作られるのか?
機械式時計は、"時"の内なる性質を理解するのに重要な鍵であり、時計を称えることは、即ち"時"を称賛することなのです。
Q2.1日中何時間、時計のことを考えているのか?
A.一日中です!
幼いころより、私は"時"、そして時計の虜でした。
Q3.自らスポークスマンとなって、最前線で活躍する理由
A.CEOですから、会社の顔およびスポークスマンとして表に出ることは自然なことですが、私の場合、デザインの指揮者として表に出ているという方が正しいかもしれません。
私のほかに誰がゼニスの時計について語るべき人がいるでしょうか?
Q4.ファッションピース化する時計の現象について
A."ファッション"はいずれ廃れる運命であり、それではラグジュアリーな時計を作り出すことはできません。真のデザイン、純粋な美、絶対的な品質は、年代を重ねることで、より一層の価値を見出し、ひとつの芸術品となりえるのです!
重要なのは、ファッションを超越したところで、ファッションに左右されないスタイルを作り上げること。
私のすべての作品は"永遠なるもの"なのです。
Q5.時計のイメージを得る源
A.なぜ、ひとは"これだ"という新しいコレクションを見出すことができるのでしょう?
莫大な売り上げと成功ももたらすインスピレーションはどこから生まれるのでしょう?
少なくてもデザインでは世界中のすべての美を内包し、そこに"イタリアのクラシシズム" "アメリカのデザイン主義" "東洋主義"の3つの尺度を加えることが必要だと、私は思います。
時計のデザインイメージをつかむ秘訣とは、時計製作と感動を込めたデザインとの間で正しいバランスを見つけ出すことです。
そう、創造のミステリーを語り始めたら終わることはありません!
Q6.ナタフ氏がゼニスにもたらした変化とは?
A.全てが変わったと言えるかもしれませんし、何も変わっていないのかもしれません。
ゼニス社のこの7年を注意深く見ていただければ、私たちは、本来のゼニスの姿。つまり"天頂"の意のごとく、時計製造のトップブランドへ戻したということがお分かりになるのでは。私が成し得たことは伝統の再生であり、過去の偉業をたどり、それを現代に置き換えているのです。
Q7.LVMHグループに入って、得たもの
A.まずは、世界No.1のラグジュアリー・グループが親会社であることで、ブランドを業界のトップへと導くマネージメント・ツールと技術を学ぶことが可能となります。
第2に、クリエイティビティの点で非常なアドバンテージを持つことです。
ディオール、フェンディ、ルイ・ヴィトン...。
これらのブランドから、クラフトマンシップ、芸術性、伝統、モダニティなど、価値の高いものを得ることができるのです。
Q8.ゼニスの長い伝統の中で、最も大切にしていること
A."時はすべてを明るみに出す"という哲学者プラトンの言葉があります。
伝統の重要性はゼニスブランドのエッセンスでもあり、これは秘密の知恵です。
私たちが作る時計は、過去と未来への懸け橋なのです。
Q9.ゼニスの過去と現在を比較したときに、最も進化したところはどこか?
A.ゼニスの過去は、ゼニスの未来と同じように重要なものです。
ユニークな時計を作り上げるには、過去と未来の間で絶妙なバランスを見つけることが大切。"未来は過去の贈り物"なのです。
Q10.近い未来、人々が時計に求めるもの。
そして、その時ゼニスはどのような時計を目指すのか?
A.人々が求め、そして期待しているメジャートレンドがふたつあると思います。
ひとつは過去へ向かい、伝統の価値、古典主義そしてネオ・ヴィンテージを求める人々。
もうひとつは近未来へ向かい、モダニティ、最先端技術を求める人々です。
私達のコレクションたちは、その両者を満足させるでしょう。


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ZENITH社は"El Primero","Elite"の2つの自社製機械式ムーブメントを採用した時計以外を販売してはいない。
「腕時計を持つ必然性」ましてや「クォーツに比べて精度的に不利」な機械式時計を市場にリリースするためには、製品のクォリティの高さは当然、その上で共感できる思いが必要だ。

『モノを売るのではない。感動を売るのだ』
これは高級プロダクトを売る上の常識だ。
だが、ここまで率先し哲学を語り行動し(そして格好もつける...)CEOを私は見たことがない。
商品だけではなく、その販売戦略からも目を離せない、そんなブランドである。

車のキーを回しても「カチンカチン」という音がするだけで、エンジンが起動しない。インパネを見ると、バッテリーに警告ランプが。上がってしまったようだ。
3週間もエンジンかけずに放置したらそうなるわな。
最近のガソリン高騰の影響もあり、週末の夜間ドライブを自粛したせいだろうか?もう6年にもなるし、バッテリー自体が寿命だったともいえる。
いずれにしても、私には初の経験である。
とりあえず、契約している保険にバッテリー上がり対応を含めた無料レスキューサービスがあるので、これを利用することにする。何時でも来てくれるそうだが、夜に呼んでは近所迷惑になりそうなので、明日の昼に来てもらうことに。妻しか居ないので対応がちょっと心配だけど...


↑結構うるさいので、音量注意

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池袋西口のマツキヨに寄ろうと、途中下車した。
買い物を終えて駅へ向かおうとすると、ラジカセを持ちながら踊り狂う外国人を発見。ちょっと様子を見て追いかけていたら、西口マックあたりで音楽が映画「トップガン」のテーマ曲に変わり、ばくてん(...漢字でかけない)しながら急速に私のほうに迫ってきた。

しかし、いい動きである。そしてその服装。ハンバーガーショップ前なので、ハンバーガーを食べるというパフォーマンスを入れつつ、見事な動き。隣に来て指差されたときはちょっと焦ったが。
こんな人たちがいっぱい居る街ならおもしろいのになぁ。これからもいい動きで、死んだ魚の目のようになっている人々に活力を与えてくださいませ。

って、私がまた購入したという報告ではありません。
時計好きのサイトやブログは数あれど、このサイトほど取り扱っている時計の本数、それに対する解説、そしてブログ歴の長さのどれをとってもNo.1であろうと私が考えているブログがこの「腕時計、また買っちゃいました」なのです。
2004年11月からずっと続いており(私のようにHPから始まって、途中飽きて1年間位放置してブログで復活するような根性なしとは違いますね)時計好きならどこから見ても楽しめる。私は2004年11月から、全て拝見させていただきました。私のように「気に入らないものは気に入らない」という心の狭さがないので(すいませんね、パネライやブライトリングのオーナーの方...)、国産モデル好き、海外ブランド好きのどちらの方にもお勧めです。
exciteのブログなので、ブログランキングの投票という形で応援しておりましたが、どうにも気に入って、ブログを書いているkenichiさんに連絡して、相互リンクを張らせていただきました。お忙しい中、対応頂き大変感謝しております。今後も楽しいコンテンツを期待しております。

宮城・岩手の県境の内陸部でM7.2の地震が発生。岩手県、宮城県の一部では震度6強を記録した。
私の実家、福島では震度4を記録。特に怪我も被害も無かったようである。

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厳密に言えば、父の日は明日なのだが、今日、父の日のプレゼントが届くように配送を手配。送ったのは『ジョニーウォーカー グリーンラベル』15年以上のモルトウィスキーをブレンドしたピュアモルトウィスキー。約15種類のモルトがブレンドされているが、その中でもベースとなるシングルモルトの中で代表的なのは「タリスカー」、「クラガンモア」、「リンクウッド」、「カリラ」など。シングルモルトでは癖が強すぎるものでも、その特徴を殺さず生かす程度にし、多くの人に飲みやすいようにしたものである。

この上には『ゴールドラベル』(18年以上のモルトを使用)、50~60年もののウィスキーが数種類ブレンドされている『ブルーラベル』が控えている。ブルーラベルは\13,000前後だが、これだけのものがブレンドされているなら、決して高いとも言い切れない。そのうち購入して飲んでみたいと思う。

「蟹工船」悲しき再脚光 異例の増刷、売り上げ5倍』 YOMIURI ONLINE

会社へ向かう途中、地下鉄東西線の車内で「蟹工船 130万部突破」という広告を見た。大変驚かされた。

「蟹工船」は1929年に小林多喜二により書かれた、プロレタリア文学の代表的作品。私も学生時代に読んだが、まだ仕事というものがどういうものか全く認識が無い頃のことで、ただひたすら暗い気分になったことばかりを記憶している。ただ、よくよく思い返すと、この蟹工船「博光丸」は、偽装請負の現場そのものなんだよな。

この時代、労働者は守られるべき仕組みも無く猛威を振るう「原始資本主義」の中でただ自らの運命を呪うしかなかった。だが戦争を経て、戦後は進駐軍が自国に導入したニューディール政策に近いものを導入し、政府がある程度経済へ関与する社会民主主義的政策へと転換されていった。高度成長時代に労働法が拡充し、労働者サイドの権利が保障されるようになったことはご存知のとおり。

ところが、これら労働諸法網の目を潜るがごとくして、保障対象外の環境で労働に従事せねばならない人々が年々増えている。業務請負業者を介して仕事に従事する労働者、明日の生活をも危うい日雇い労働者、研修という名目でやってきた外国人労働者など。まさに「原始資本主義」へと回帰し、それが猛威を振るっている。
こうした人々が「国民を守ってくれない国や資本家に対して団結して戦う」という「蟹工船」に憧れを持つ気持ちはよく理解できる。しかし、現代の労働環境において見ると、次の日は誰と一緒に仕事をしているか判らないという状況であり、中々難しいだろう。派遣ユニオンのような、特定の企業に対する組合ではなく、派遣・請負労働者であれば誰でも加入、相談できるそうな組織がもっと(特に地方に...)出来ればなぁ思う。

話は変わるが、日本共産党の志位和夫が国会でこの労働問題についてガンガン責めまくった効果で、共産党の人気がずいぶんと上がったとか。確かに国民の視点に立った真っ当な意見だと思うのだが、やはり「日本共産党」という時代錯誤で左翼的名称と、この党が歩んできた今までの歴史が私には受け入れられず、拒絶反応が出るのである。実態としては社会党(現社民党)あたりよりは相当マシなのだが...なんだかねぇ。

目次をパラパラっとみて、なんとなく手に取ってしまった一冊。だって、

  1. 「なぜ人を殺してはならないのか?」だって? ー法と倫理
  2. 「<私>は特別な存在」なのか?ー私と他者
  3. 「脳が心を産み出す」!?―こころともの
  4. 人は「意味という病」に取り憑かれた存在か?―言語と映像
  5. 「社会はリアリティを失った」のか?―社会とメディア

って、大変面白そうな感じはしませんか?さっさと手にとってレジに向かってしまった私です。

ぶっちゃけ言って、本当に面白かったのは5章のみ。

1章では2chにある時期あった「なぜ人を殺してはいけないんですか?」というスレッドへのレスを、ハンス・ケルゼンの法実証主義(法に従わなければ罰されるがゆえに、人は法に従う)、ストア学派などに代表される自然法論(法には当然従うべき合理的な根拠があるからこそ、人は法に従うし、また従わなければならない)、H・A・ハートの分析法学(日常的言語使用の分析によって、帰納法的に法の概念を抽出し、経験に見合うような形に再構成していく...不文法なイギリス分析哲学的な方法)、道徳性・倫理性(道徳感覚論、義務感覚論、快楽主義)などにマッチングさせ、それぞれのエッセンスを簡単に紹介している。レス内容が様々な哲学的方法論に収束していく様子は面白いのだが、それぞれに対する解説が少し薄い。

2章では「私は実在するのか?」という、哲学的には基本的な内容に言及。「私」ではなく、<私>である。哲学者永井均氏流の表現で、デカルトの有名なことば"cogito ergo sum"(邦訳は「われ思う、故に我あり」だが、適切には「我推う、即ち我在り」であろうと筆者は指摘)の「cogito」に該当する。考える主体の私とでも申しましょうか。この言葉を原点とし「独我論・独在論」、「他我認識の問題」について検証している。

3章の対象は「脳死臓器移植」の哲学的含意について。本件における「脳死は人の死の基準となりえるか?」、「それが倫理的に許容されるか?」という二つの問題を、2章でも扱った"cogito ergo sum"を原点とし「唯物論・唯心論」、「心身・心脳問題」から考える。肉体と言う実態に対し、心とはどういった存在なのか、過去にこれほどの諸論があったとは...

4章は一番面白そうと思っていたのだが...「いかに、哲学とは映像表現が適さないか」という内容でした。何度かブログにも書いたように、哲学と言うのは微細にわたり適切な表現をしなくてはならないため「書き言葉」以外では表現しにくいということの検証である。

そして5章。冒頭に井上陽水の『傘がない(1972年)』と『最後のニュース(1990年)』の歌詞が書かれている。「傘がない」については以前ブログにて歌詞とともに「社会問題に対して現実には傍観者にしかなりえていない」という思いを書いた。『最後のニュース』はこの方のブログに詳細に記述されているので参考にしていただきたい。この二つの曲をつなぐキーワード、それは「社会に対するリアリティの喪失」である。しかし、20年の時を隔てている二つの曲には大きな断絶が存在している。『傘がない』が「政治や社会のリアリティをどこか信じていて、でもそれにはあえて背を向けている」に対し、『最後のニュース』では後ろめたさや言い訳のらしき文言は見当たらない...つまり「リアリティを完全に欠いたバーチャル・リアリティ」だと筆者は指摘している。
戦前・戦中の時代、リアリティの中心は「国家」にあったが、戦後それは「革命」やその実行者である「市民」(学生運動あたりを連想してください)に変わった。そして学生運動が下火になってきたのが1970年頃、『傘がない』は発表された。そして1990年前後は、『ベルリンの壁崩壊(1989年)』、『ソ連崩壊(1991年)』といった共産圏の失墜、『湾岸戦争(1990年)』による戦争の仮想化、さらに1995年ころから急速に広がりを見せた『インターネット』というインフラ...『最後のニュース』はまさにこうした時代背景を適切に読み取った歌詞であると思います。
このようにして時代とともにリアリティの所在は変遷していった。こうした社会的リアリティの拡散と相対化を、思想的に正当化するイデオロギーが「ポストモダニズム」である。「ポスト」という言葉が付いている通り、「モダニズム(近代主義)」の後という意味で、それに対する「プレモダニズム(前近代主義)」という時代もあり、これぞれを筆者はこう定義している。


複数の共同体や社会が並立していることを前提とした上で、それらコミュニティーが相互に接触することなく、それぞれが固有の伝統的価値を信奉している状態のことです。世界史的には封建主義の時代がこれにあたります。ですから「プレモダニズム」は伝統に最大の価値を置く態度、そう定義していいでしょう。


さらに「モダニズム」については


複数の共同体や社会が接触・交流することが機縁となって、共通の単一的価値―たとえば「神」「理性」「進歩」「平等」など―の存在が信じられ求められる状態です。世界史的には、大航海時代から冷戦体制の崩壊までの時期と考えていいでしょう。したがって「モダニズム」は普遍的な価値を信じ求める態度と定義できます。

「ポストモダニズム」は警句をこめて、このように述べています。


これはあらゆる共同体や社会を超越するような、あるいはすべての共同体や社会が共有できるような普遍的価値など存在しないことがわかったあとの、価値の相対主義に陥った状態です。歴史的には冷戦体制の終焉以降、現在までの時期がこれにあたります。つまり「ポストモダニズム」とはカッコ良さそうに聞こえますが、ようは、普遍の追及に挫折し、絶対への衝迫を放棄した、価値相対主義的な思想的「ひきこもり」のことです。(中略)でもそろそろポストモダニズムに便乗した悪乗り、根なし草的な馬鹿騒ぎは止めた方がいい。ポストモダニズムとは、主張されるような説ではなく、ましてや、そこに居直られるような主義や立場でもなく、あくまでも乗り越えられるべき過渡的な状況に過ぎないこと、重要なことは新たな価値の創出に向けての模索であること、つまりポストモダニズムをいかにして乗り越えるか、というポスト・ポストモダニズムの問題こそが、哲学が今取り組むべき課題である


ポストモダニズムに対する考え方は人により多種多様で、「成長すること」が至上命題のようになっている現在の市場では疑うべきもないことなのかもしれません。しかし、それが本当に何の意味を持つのかということは、私にはよくわからない。「無駄なことはやめましょう」、「生産性を高めましょう」、「効率よくお金を儲けましょう」ということが何よりも優先される。そういう世界においては、哲学などというものは最大の無駄だということになるでしょう。私はどうしてもこうした世界に虚しさが感じられて仕方がない。そして、世の中には何か普遍的な価値があると(幻想であっても)信じて邁進してきた頃の人々が猛烈にうらやましい。
一つ、ポストモダニズムを超えられると私が期待しているものがあります。それは環境問題。考えれば考えるほど、ポストモダニズムと環境問題は相反する。だが、人間は愚かなもの。どれだけの犠牲を払うことで「ポスト・ポストモダニズム」へ移行できるものだろう?

例えば、公園で他の子供がみんなで遊んでいるのに、自分の子供が一人で遊んでいたならば子供に向かって多くの母親はこう言うだろう。
「みんなと遊んでいらっしゃい」

私は一人で居るというのがとても好きである。誰かが一緒に居ると気になって仕方が無いし、その人に自分のペースを崩されたりしたくないから。こういう人間が結婚したり子供が居たりするのだから奇跡的なように思えるのだが、未だ私は家に居る多くの時間を自室で過ごしている。引きこもり的である。妻などはこれをどう認識しているのかはわからないが、彼女も本質的には一人が好きな人間なので、何とか関係が成立しているのかもしれない。
引きこもりという行動に出られる人が私は大変うらやましい。私が外に出て仕事をしないと家族みんなが飯を食えなくなるし、引きこもる部屋も無くなる。仕方が無いから(そこそこ好きな分野の)仕事をしている。

引きこもりあたりはかなり社会に認知されるようになり、マイノリティ感が多少うすくなってきている。とは言え、他の事象に対するマジョリティの無神経な価値観の押し付けはやはり止まらず、非常に頭にくる。私は昼食はできれば自分ひとりで食べたいと思っていて、天気がよければ近くの公園に出かけたり、ひとりネットで調べものをしながら食べたりしたい。前職の職場では弁当持参の人が私一人だったので悠々と飯を食べていたのだが、ある日、弁当持参の新入社員がやってきた。そのとき、ある人物から「お昼の仲間が出来てよかったねぇ」と言われ、ものすごく頭にきたことを記憶している。自分の価値観が普遍的なものと信じて疑わず、それを強要してくるその態度がどうにも許せなかった。そして、言った本人は全く悪意を感じていないところが、またたちが悪い。

最近、疲れるようなことを無理にすることはやめるようにしている。何が疲れるって、人がたくさん居るパーティや、大人数の飲み会である。どうも自分の立ち居地がわからず、人に無理に話題を合わせて話すことも、笑顔を振りまくのも、大変疲れるのである。疲れることなく楽しめる許容範囲は、自分を含めて4人以内位の飲み会が精一杯である。出来ることなら、気心が知れた人との1対1のサシ飲みが一番いい。一人でじっくり飲むのも、もちろんいい。

自室で音楽を聴きながら、ウィスキーを飲むってのが一番の幸せな時間かなぁ。
息子が居ると、私に抱き付いてくるので、とてもゆっくり飲むところではありません。

<秋葉原通り魔>逮捕の男、「誰でもよかった」無差別に襲う
6月8日21時25分配信 毎日新聞

 8日午後0時35分ごろ、東京都千代田区外神田4の秋葉原電気街の交差点で、2トントラックが歩行者数人をはねた。運転していた男が車を降り、持っていたサバイバルナイフで歩行者らを次々に刺した。警視庁や東京消防庁によると、7人が死亡し、10人がけがをした。男は駆け付けた警察官に現場近くで取り押さえられ、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。

 男は、静岡県裾野市に住む加藤智大(ともひろ)容疑者(25)で、刺したことを認め、「人を殺すため今日、静岡から秋葉原に来た。(襲うのは)誰でもよかった」「世の中が嫌になった。生活に疲れた」などと供述しているという。警視庁は、通り魔事件として万世橋署に捜査本部を設置した。

 警視庁によると、けが人には、万世橋署交通課の男性警部補(53)も含まれている。死亡したのは男性6人(19、20、29、33、47、74歳)と女性1人(21歳)。けがをした10人は男性8人、女性2人。

 調べでは、トラックはレンタカーで、静岡県沼津市内のレンタカー会社営業所で8日午前8時から午後8時までの契約で借り出されていた。現場付近は、歩行者天国で日曜日とあってかなり混雑していたという。

 複数の目撃者によると、トラックが通行人をはねたのは、歩行者天国となっている南北の通り(中央通り)と、車の通行が可能な東西の通り(神田明神通り)が交わる場所。トラックは、神田明神通りを西から東に向かって通過する際、横断歩道を渡っていた歩行者らをはねた。

 トラックは数十メートル先で止まり、ベージュ色のジャケットを着て眼鏡をかけた男がトラックを降り、手にナイフを持ちながら交差点方向に歩いて戻ると、駆け付けた警察官に切りつけた。前後して、歩行者らに馬乗りになるなどして刺したが、男はその際、「ワー」「キャー」などと叫んだり、笑いながら追い回していたという。

 拘束された様子を見ていた男性店員によると、男は中央通りを南に向かって逃げた。制服を着た警察官が追いかけ、通りから30メートルほど入った狭い路地に追い詰められると、無言でナイフを振り回し、警察官が警棒で応戦。警察官が拳銃を取り出すと、男はナイフを路上に置いた。その瞬間に、警察官を含め周囲にいた数人が上に乗り、取り押さえたという。


このところ、同じような事件をよく耳にします。そのたびに世の中というものは非常に理不尽なものだと思います。それは今回の事件の被害者のみならず、加害者についても同じです。
人間、どこに生まれるということを選ぶことは出来ません。もしかしたら大地震直前の中国四川省に生まれてあっという間に死んでしまったかもしれないし、ドバイの資産家の下で生まれて、全く不自由ない生活を送っていたかもしれません。幸せとか不幸とかいう言葉は個人の価値観によって作られるものであり普遍的なものではないので、そういう軸で話を進めたくはありませんが(私は人として生まれてくる以上、たいてい不幸だと思ってます)、とにかく与えられた状況に応じた多岐多様な生き方を人はしていかなくてはなりません。

しかし、どんな状況下で生まれてきても絶対に逃れられない一つのことがあります。それは死です。生まれてきた以上、(あっという間に)死んでしまう。どんな権力者でも、どんな富を得ても、これを永遠に避ける方法はありません。
私はこのような居た堪れない事件を聞くたびに、大阪教育大学附属池田小学校(奇しくも2001年6月8日と本事件と同日に発生)の児童襲撃をした宅間守のことを思い出さずにはいられません。宅間は「どんな優秀な人間にも死という理不尽は訪れる」というようなことを繰り返し言っていました。つまり、社会における敗者である自分と、比較的恵まれた大阪教育大学附属池田小学校の生徒(とその両親)との間でも、死という現実の前には平等であるということを言いたかったのだと思います。宅間のした行為はとても許されないものですが、この言葉は否定のしようがない事実です。
宅間は本当にどうにもなら無いところまで追い込まれていましたが、この加藤容疑者はどうだったのでしょう?
加藤容疑者は製造業派遣会社(悪名高い○研)に属して自動車製造ラインで仕事をしていたものの、継続的雇用を望みにくい不安定な状況にあったと聞きます。リアルな世界よりもネットを中心とした交流が多く、日々の出来事をネット上で吐露していた様子がニュースなどで報じられています。その掲示板の書き込みに対してどのような反応があったのか(もしくは、全く無視されたのか)はわかりませんが、ネット上の反応はバイアスがかかっていることが多く、「自分は...ダメだな」という思い込みに追い討ちをかけてくる。秋葉原という場所で凶行に及んだのは、(安易な推測ですが)ネット上の言論を構築している人たちが集う場所だと考えたからではないかと思えます。そうした人々を対し「死」という、誰にでも平等な最大の理不尽を無差別に突きつけたのではないでしょうか。
ところで、犯行に及ぶまでの経過を逐一報告しています。「友達が居れば...」、「彼女が居れば...」、「世の中が嫌になった。生活に疲れた」。彼はネット上の掲示板などでそのようなことを書き込んでいたと聞きます。私にはこの行為をコミュニケーションへの渇望と、自分を止めてほしいという訴えと考えます。
確かに加藤容疑者のこの犯罪に対する動機は非常に身勝手だと思います。しかし、孤独で視野狭窄状態にある彼の心理状況をできるだけ客観的に判断する必要があります。

この事件に関するブログは世の中にごまんとあるので、あまり重複しないような路線から私は考えてみたいと思います。それは、派遣労働者という立場からです。
社会におけるあらゆる格差が大きくなり、未来に希望が持てなくなるにつれて、このような問題は今後ますます増えることでしょう。知らない間に改正されて、勤務対象業務が拡大し続けている労働派遣法。そうした「都合よく使える」リソースを積極活用しようとする企業。政界も経済界も格差是正のための措置はろくにとろうとしない。特定箇所にメリットが発生しているのと同時に、パスカルの原理のように他の箇所でデメリットも噴出していることをしっかりと認識する必要があると思います。
ナイフ・漫画・ゲームなどに規制、ネット監視、歩行者天国の中止などに矛先が向きだしているようですが、これは表層的な問題解決でしかありません。安心して将来に希望が持てるような環境...成人であれば、それを実現するための大きな要素として、仕事がまず挙げられるでしょう。この安定なくして、個人の安定、ひいては社会の安定は成り立たないと思います。

経済、産業の問題が日本だけでクローズドで考えることが出来ない今、(原則、否定はするものの)安価な賃金で労働力を集めなくてはならないという事情も、重々わかります。しかし、派遣・請負業者の中間搾取をただ見過ごす気にはとてもなれません。派遣先から派遣会社へ渡っている賃金の公表、派遣会社の利益(ピンはね分!)の上限値の制定、請負会社の免許制、労働基準監督署の派遣業免許取得企業への定期的な査察...これくらいは最低限、国がやらなくてはならない。現状のままでは、派遣労働者は日本国憲法第二十五条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」すら保障できていないと、声を大にして言いたいです。
被害者の無念は当然として、こうした加害者を生み出しやすくなっている現状を少しでも変えていきたい。
今回の事件、直接の殺人者は加藤容疑者ですが、そうした世の中を構成せざる得なかった私達は、極論を言えば間接殺人者なのではないでしょうか。

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腕時計のメンテナンスキットを購入したので、休眠したままのクォーツをいくつか復活させようと思う。
まずターゲットになったのは妻のTAGHEUER F1(Ref.WA1466.BS0482)。200m防水のダイバーズモデル。小さいながらも、逆回転防止ベゼルがついている。十数年前にスキューバダイビングをするという目的だけのために購入したらしい。定価\29,000。その後は十年近く止まったまま。

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もしかすると電池から液漏れして粉吹いているんじゃないかとちょっとドキドキしながらスクリューバックの裏蓋を開ける。

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使用する道具は2点式オープナー。裏蓋の淵にある溝の大きさにオープナーを合わせて、回しながら開ける。幸いにしてラバーブレスなのでそのまま開けることが出来たが、メタルブレスの場合にはピンをはずしてブレスを開かないと、この作業はしづらい。

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もう取っ払ってしまったけど、中に入っていたのはSEIKOの電池。幸いにも液漏れは無かった。電池の型番をしらべて、該当する電池をビックカメラで購入する。時計用電池の種類の多さに驚かされる。私のようにそれほどクォーツ時計を持っているわけでは無い人は、電池を買いためるよりも、そのつど型番を確認してから買いに来たほうがよさそうだ。求めていた電池は中々見つからず、店員さんの協力を得て、ようやく発見。金メッキされた電池を購入。\360なり。
ちょっと話はそれるが、よく使う単三や単四の電池は予備が無いと不安でならない。買いだめしていても子供のおもちゃやリモコンの電池交換が結構発生し、あっという間になくなってしまう。そろそろ単三の電池が切れつつあるので、12本入りも同時購入する。

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さて、交換である。この電池、実はものすごく小さい。一円硬貨と比較すると、その小ささがよりわかるかと思う。
さすがにTAGHUERE、雑貨時計のようにコンポーネント化されたムーブメントをポンといれてスペーサーで埋める...ような方法は採っていないようだ。性能はどうなのかわからないが、回路らしいつくりの方が、なんとなく好感が持てる。たぶんETA製ではないかと思う。

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電池は所定の位置に置くだけではなく、電池の上に金属の押さえをおいてあげる必要がある。小さいのでこのあたりはさすがにピンセットを使う。メガネをかけていると、小さなものを見えないので外して作業。キズミを持っているので使いたいところなのだが、どうも欧米人仕様のキズミらしく、目でうまくマウントできない。メガネに取り付けられるタイプのキズミがほしい。

配置が完了したら、オープナーで再度スクリューバック裏蓋をしめる。パッキンの劣化はそれほど見られなかったので、特に交換等は行わなかった。で、動くかな?秒針を見ると...ちゃんと動いている!
やりなれている人からすればなんてこと無いだろうが、はじめての作業なので、ちょっとうれしい。

実はTAGHUEREの電池交換を時計屋などに頼むと、LVMH送りになるらしい。もちろん時間はかかるし、費用も\6,300に跳ね上がる(機械式のオーバーホールに比べれば、どうという額では無いけれど)。まぁ、これは防水試験なんかも工程に含まれているからこの価格なのだと思うが。それが\360で済んだ。スキューバダイビングをまたするというわけでも無いので、日常的な用途であればこれで十分だと思う。
妻は主にレザーストラップのソーラー電波時計を使っているが、これからのシーズン、レザーはつらいと思うのでこちらの出番もきっとあることでしょう。

ほぼ公開直前までこぎつけたサーバだが、データ用ディスクのRAID5化(USB外付けHDD4本でソフトウェアRAID化...バカRAIDですな。こんなの聞いたこと無いわ。あまりにその様子が圧巻wなので、そのうち写真アップします)の際、bootイメージを含む領域を間違ってFdiskにかけてしまう。これで約3日分の地道な作業が一気にぶっ飛ぶ。AM3:00に起きた事故で「うぁぁぁあああ!!!」と、一人で絶叫しそうになった。
明日1日でどこまで復旧できることやら...。

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今回は電車内における携帯マナーを喚起するためのものだが、相変わらず説明文が少ない看板である。
1~4がどのようなシチュエーションなのか、勝手に想像するしかないのだが、これであっているだろうか?

  1. 友達とのヒソヒソ話だろうか?ちょっと楽しげな表情である
  2. 何か不満をぶちまけている様子?個人的にはこういう電話が一番イラつく。
  3. いわゆる「男と女の修羅場?」ってやつ?私なら耳を大にして聞き入ってしまうだろう。個人的に言えば、かなり楽しめるので迷惑ではない。
  4. 恋人宛の電話か?これも耳を大にしてしまうが、あまりに恥ずかしいものだと聞いていられなくなる。目の前でキスされるのと同じくらい迷惑。
日本人は公共な場における私的な音というもの極端に嫌う傾向があり、私もその点については同じ価値観を持つものである。出来れば電車を降りてから会話してもらいたいものである。
この看板は若い女性が例になっているが、最近うるさいのは壮年以上の方々(男女とも)である。総じて声が高いので、いらいらさせられて仕方がない。

もう6月である。5月に突如、気温が上昇したかと思えば、ここ数日は急に寒い。こんな具合だから、私はあっという間に体調を崩してしまった。頭痛がひどくなり、全身がけだるい。そのような症状はいつもあるのだが、この天候のせいでますます強く症状が出てきた。

こんな寒い天候の中でも、学生達の衣替えは問答無用に行われている。女の子の多くは制服の上にセーターのようなものを着ている。
関東はそろそろ入梅である。去年と比べるとずいぶん早い。気温が高く蒸し暑い梅雨もうんざりだが、あんまり寒すぎるのも...どうも最近は、極端なんだよな。
夏嫌いの私。これから先のことを思うと、ちょっとうんざりします。

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天気が良かったから、久しぶりに西城沼公園へ妻と息子と一緒に散歩へ出かけた。
昼食をとっていないので(私は朝食も取ってないが)近くのスーパー、マルエツでパンとビールを購入。公園の芝生の上にござを引いてそこで食べる。
うちの息子の好物はパンとバナナと豆腐。なんだか渋いよね...。
パンを見かけると(特に甘いパン)「ぱん!ぱん!」と言いながら寄ってきて、口をあける。食べ終わるまでこれが続く。こんな小さな体なのに、よく食べるものだと思う。

息子は公園のすべり台のはしごを自力で登れるようになっていた。毎日接している妻からすれば何ともないかもしれないが、久しぶりに一緒に遊んだ私には、その進化に大変驚かされた。
(ちなみに昔から高所恐怖症だった私は、しばらくすべり台では遊べませんでした)

平日は朝と夜しか息子には会えない上に、休日も平日の疲れからへばり気味。悪い父だなぁと思う。

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