<秋葉原通り魔>逮捕の男、「誰でもよかった」無差別に襲う
6月8日21時25分配信 毎日新聞
8日午後0時35分ごろ、東京都千代田区外神田4の秋葉原電気街の交差点で、2トントラックが歩行者数人をはねた。運転していた男が車を降り、持っていたサバイバルナイフで歩行者らを次々に刺した。警視庁や東京消防庁によると、7人が死亡し、10人がけがをした。男は駆け付けた警察官に現場近くで取り押さえられ、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。
男は、静岡県裾野市に住む加藤智大(ともひろ)容疑者(25)で、刺したことを認め、「人を殺すため今日、静岡から秋葉原に来た。(襲うのは)誰でもよかった」「世の中が嫌になった。生活に疲れた」などと供述しているという。警視庁は、通り魔事件として万世橋署に捜査本部を設置した。
警視庁によると、けが人には、万世橋署交通課の男性警部補(53)も含まれている。死亡したのは男性6人(19、20、29、33、47、74歳)と女性1人(21歳)。けがをした10人は男性8人、女性2人。
調べでは、トラックはレンタカーで、静岡県沼津市内のレンタカー会社営業所で8日午前8時から午後8時までの契約で借り出されていた。現場付近は、歩行者天国で日曜日とあってかなり混雑していたという。
複数の目撃者によると、トラックが通行人をはねたのは、歩行者天国となっている南北の通り(中央通り)と、車の通行が可能な東西の通り(神田明神通り)が交わる場所。トラックは、神田明神通りを西から東に向かって通過する際、横断歩道を渡っていた歩行者らをはねた。
トラックは数十メートル先で止まり、ベージュ色のジャケットを着て眼鏡をかけた男がトラックを降り、手にナイフを持ちながら交差点方向に歩いて戻ると、駆け付けた警察官に切りつけた。前後して、歩行者らに馬乗りになるなどして刺したが、男はその際、「ワー」「キャー」などと叫んだり、笑いながら追い回していたという。
拘束された様子を見ていた男性店員によると、男は中央通りを南に向かって逃げた。制服を着た警察官が追いかけ、通りから30メートルほど入った狭い路地に追い詰められると、無言でナイフを振り回し、警察官が警棒で応戦。警察官が拳銃を取り出すと、男はナイフを路上に置いた。その瞬間に、警察官を含め周囲にいた数人が上に乗り、取り押さえたという。
このところ、同じような事件をよく耳にします。そのたびに世の中というものは非常に理不尽なものだと思います。それは今回の事件の被害者のみならず、加害者についても同じです。
人間、どこに生まれるということを選ぶことは出来ません。もしかしたら大地震直前の中国四川省に生まれてあっという間に死んでしまったかもしれないし、ドバイの資産家の下で生まれて、全く不自由ない生活を送っていたかもしれません。幸せとか不幸とかいう言葉は個人の価値観によって作られるものであり普遍的なものではないので、そういう軸で話を進めたくはありませんが(私は人として生まれてくる以上、たいてい不幸だと思ってます)、とにかく与えられた状況に応じた多岐多様な生き方を人はしていかなくてはなりません。
しかし、どんな状況下で生まれてきても絶対に逃れられない一つのことがあります。それは死です。生まれてきた以上、(あっという間に)死んでしまう。どんな権力者でも、どんな富を得ても、これを永遠に避ける方法はありません。
私はこのような居た堪れない事件を聞くたびに、大阪教育大学附属池田小学校(奇しくも2001年6月8日と本事件と同日に発生)の児童襲撃をした宅間守のことを思い出さずにはいられません。宅間は「どんな優秀な人間にも死という理不尽は訪れる」というようなことを繰り返し言っていました。つまり、社会における敗者である自分と、比較的恵まれた大阪教育大学附属池田小学校の生徒(とその両親)との間でも、死という現実の前には平等であるということを言いたかったのだと思います。宅間のした行為はとても許されないものですが、この言葉は否定のしようがない事実です。
宅間は本当にどうにもなら無いところまで追い込まれていましたが、この加藤容疑者はどうだったのでしょう?
加藤容疑者は製造業派遣会社(悪名高い○研)に属して自動車製造ラインで仕事をしていたものの、継続的雇用を望みにくい不安定な状況にあったと聞きます。リアルな世界よりもネットを中心とした交流が多く、日々の出来事をネット上で吐露していた様子がニュースなどで報じられています。その掲示板の書き込みに対してどのような反応があったのか(もしくは、全く無視されたのか)はわかりませんが、ネット上の反応はバイアスがかかっていることが多く、「自分は...ダメだな」という思い込みに追い討ちをかけてくる。秋葉原という場所で凶行に及んだのは、(安易な推測ですが)ネット上の言論を構築している人たちが集う場所だと考えたからではないかと思えます。そうした人々を対し「死」という、誰にでも平等な最大の理不尽を無差別に突きつけたのではないでしょうか。
ところで、犯行に及ぶまでの経過を逐一報告しています。「友達が居れば...」、「彼女が居れば...」、「世の中が嫌になった。生活に疲れた」。彼はネット上の掲示板などでそのようなことを書き込んでいたと聞きます。私にはこの行為をコミュニケーションへの渇望と、自分を止めてほしいという訴えと考えます。
確かに加藤容疑者のこの犯罪に対する動機は非常に身勝手だと思います。しかし、孤独で視野狭窄状態にある彼の心理状況をできるだけ客観的に判断する必要があります。
この事件に関するブログは世の中にごまんとあるので、あまり重複しないような路線から私は考えてみたいと思います。それは、派遣労働者という立場からです。
社会におけるあらゆる格差が大きくなり、未来に希望が持てなくなるにつれて、このような問題は今後ますます増えることでしょう。知らない間に改正されて、勤務対象業務が拡大し続けている労働派遣法。そうした「都合よく使える」リソースを積極活用しようとする企業。政界も経済界も格差是正のための措置はろくにとろうとしない。特定箇所にメリットが発生しているのと同時に、パスカルの原理のように他の箇所でデメリットも噴出していることをしっかりと認識する必要があると思います。
ナイフ・漫画・ゲームなどに規制、ネット監視、歩行者天国の中止などに矛先が向きだしているようですが、これは表層的な問題解決でしかありません。安心して将来に希望が持てるような環境...成人であれば、それを実現するための大きな要素として、仕事がまず挙げられるでしょう。この安定なくして、個人の安定、ひいては社会の安定は成り立たないと思います。
経済、産業の問題が日本だけでクローズドで考えることが出来ない今、(原則、否定はするものの)安価な賃金で労働力を集めなくてはならないという事情も、重々わかります。しかし、派遣・請負業者の中間搾取をただ見過ごす気にはとてもなれません。派遣先から派遣会社へ渡っている賃金の公表、派遣会社の利益(ピンはね分!)の上限値の制定、請負会社の免許制、労働基準監督署の派遣業免許取得企業への定期的な査察...これくらいは最低限、国がやらなくてはならない。現状のままでは、派遣労働者は日本国憲法第二十五条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」すら保障できていないと、声を大にして言いたいです。
被害者の無念は当然として、こうした加害者を生み出しやすくなっている現状を少しでも変えていきたい。
今回の事件、直接の殺人者は加藤容疑者ですが、そうした世の中を構成せざる得なかった私達は、極論を言えば間接殺人者なのではないでしょうか。