ワンクリックの向こう側
ブラックボックスに対する興味
amazon、確かに便利ですね。私は直接注文することは少ないのですが、書籍のリファレンスとして、または近くの書店に本を発注する際にあると便利なISBN番号を調べたりすることによく使っています。
私達、利用者から見えるのはその多彩な書籍から時計までのラインナップ。とかく華やかな面です。しかし、それがどのように実現されているのかは全くわからない。ブラックボックスなのです。このような告発本が出ることで、ようやく事実を知ることができるわけですが、そこまで「何でこのようなサービスが実現できるのだろう」ということを考える人間はあまり多くないようです。「便利、だからいいじゃないか。」それだけで思考が停止してしまう。そして、それが企業側の思惑もあるのでしょう(サービスのための犠牲といういわば「負」の面は見せたくありませんしね)
このような、産業のブラックボックス化は最近始まった話ではありませんが、私なりに驚いたものがあります。それは、屠殺という作業です。おいしく肉を頂いていますが、その肉がスーパーに提供されるまでにどのような流れがあるのかを知りませんでした。知ったときにはしばらく肉を食べられなくなりましたが、その後は、決して肉を残さず食べるような態度にかわりました。命をいただくということ、そしてそれら仕事に従事している人のことを思うと、私的には必然的にそうなりました。
あらゆる便利なことには何かがある。そのブラックボックスを明かしていくことで、そのシステムとの付き合い方、そしてそれに携わる人への感謝が現れてくるのだと思います。情報化が進む中で、こうしたブラックボックスがどんどん解明されてくるということは、非常に良いことではないかと思います。
企業は新しいサービスの創出をとめられない
私は仕事柄、むしろこうしたシステムを考え、世の中に提供していく立場にあります。情報化、技術革新を推し進めるにあたり、それはすんなりうまくいくことはなく、多くの失職者を出したり、恨まれたりすることを覚悟しなければなりません。
過去に経験した一例を挙げますと、私は昔、某印刷会社の研究所のようなところに所属していました。そこで、カスタムドキュメントという仕組みの開発を行っていたのですが(この特許の延長線上のものです。あ、実名がw)これはサーバ上で、本の必要な部分だけを集めて電子ドキュメントを作成する処理を行い、インターネットを介して配信するというものです。例えば、今は読みたい漫画があれば漫画雑誌1冊を買う必要がありますが、これが実現すれば、ほしい漫画の部分だけを買える。しかも、必要な作品分マージして、その人専用の雑誌を提供できるわけです。。
もちろん、電子的に配信されるわけですから、印刷・製本・物流関連の部署・本屋からは総スカンです。彼らの仕事が減りますから。会社としてもおそらく紙ほどは儲からないと思うので、本当は程ほどにしておきたい事業とと思ったことでしょう。しかし、他社が始めてしまえば(実際にもう、始まってますよね)自社の優位性がなくなる(特に、ネットの世界ではNo.1であることに大きな意味があるのです。No.1に対するNo.2,3の認知度が違いますから。例えばamazon以外に本のオンラインショッピングサービスを提供している会社を3つこたえられる人間は、結構少ないのではないでしょうか)。
このような強迫観念の中で働く企業の人間というものもまたつらいのですが(でも、経営者は「会社が生き残れなければ意味がない」と、もっともらしいことを言いもするに通じますね)、従来の仕事を失う人の辛さの比ではないかと思います。
人がする仕事とは何か?
こういった作業現場では、考えることはすっかり放棄して、上からの指示通りに体を動かすことが求められる。(P.115)
「よく考えろ」といわれる仕事もあれば「考えることを放棄しろ」という職場もある。放棄しろというのは機械の代用でしかないわけですね。
ちょっと流通業には疎いので、従前からある仕事として製造業を例に私の思いを語らせていただきます。
最近、大手電機メーカーの携帯電話製造からの離脱が見られるようになりました。製品のライフサイクルが短すぎて、製造ラインを組む時間すらないそうです(そして、大して利益も上がらない)。そうなると、製造ラインの変わりに人が投入されるようになる。本来なら機械が正確に行わなくてはならないような気の滅入る作業を人間が行うわけです。
しかし、製品のライフサイクルも短いわけですから、作業に多少習熟してもあっという間に仕事が変わってしまう、その技術が次の製品で役に立つとも限らない。
過去、製造業というものはまさに技術の習得という点に仕事の面白さが集約している仕事だったと思います。その中で職人と呼ばれるほどの高度な技術を持つ人たちが生まれる(私は時計が好きなので、そうした職人を特に尊敬しているのですが)。それが仕事に向かう夢であり、目標であり、楽しみだったのではないかと思います。現場のリーダーから、製造管理をするような役職へのステップアップも見えた。そんな製造業で「考えることを放棄しろ」とは絶対にいいません。
最近は個人のモチベーションを上げる(製造するプロダクトに対する責任、仕事への興味を上げる)といういみで、トヨタなどでは「セル生産」という方法が用いられたりしています。これはまさに、製造業における人間と機械の共存だと思います(高価な機械式時計などは、昔からこうだったのですが)。
一般的な話をすれば、その仕事を通じて成長が望めない仕事は、長期間にわたって人間にさせるべきでは無いと思います(短期的なバイトだとどうなんでしょう...そうおもうと、amazonの流通を支える人たちへの考えも変わって来ざる得ませんが)。それをやり続けることに対する、ポジティブな向上心が起こらないからです(3ヶ月でクビをきられる可能性があるから必死にやる...と、恐怖で締め付けているだけですよね)。それは非常に苦しいことでしょうし、労働者を不安にさせます。偽装請負で投入されているような人材ならば、労災をはじめとした社会保障も無いわけで、体を壊すようなトラブルに見舞われたら、それこそ、その人の死を意味することになるかもしれません。
仕事ってなんでしょう?
ちょっと観点を変えて、持論を展開させていただきます。
「仕事」という言葉を辞典で調べると
1.生計を立てるために従事する勤め。職業。
以外に
2.するべきこと。しなければならないこと。
という意味があります。
圧倒的に1.としての意味で使われることが多いようですが、私の中ではもう少し仕事という言葉を2.に近づけて使いたいと考えています。つまり、その人が生き続ける中で行うべきこと、まぁ、ライフワークとでも言う方が適切でしょうか?
例えば、私の知り合いには野良猫ばかり救済している人が居ます。彼女は会計事務所に勤めているのですが、彼女自身の「しなければならないこと」という意味での仕事は「野良猫を救済すること」なのです。会計事務所でして居ることは、その「野良猫を救済すること」を実現するための手段に過ぎないのです。
チェコの偉大なる作家「フランツ・カフカ」は、とにかく仕事と文学の両立に苦しんだと聞いています。彼の親友であったマックス・ブロードの『フランツ・カフカ』によると
いよいよパンのための職業をみつけなければならなくなったとき、カフカはこう仮定した。仕事は文学とはまったく無縁なものでなければならない。なまじ文学と縁のある職業は、詩的な想像をはずかしめるものである。パンのための職業と文学とは厳密に区別され泣ければならない。
そこでカフカは半日出勤で住む職場、ボヘミア王国労働者災害保険局で午後二時ぐらいまで働き、その後に執筆の時間を持っていました(それでも本人は足りないといっていたそうですが)。カフカのスタイルからすれば、強烈に2.になるのではないかと思うのです。
まぁ、全ての人がカフカのような才能や強い思いをもっているとはとても思えませんが、賃金を得る仕事に対して、それほど熱心になる必要も無いのではないかと思っています。
むしろ1.に過剰な(ワーカーホリック気味な)人がこうした便利なサービスをどんどん、脅迫的にリリースしているような気がするんですね、私は。もっと1.に対していい加減になって、もっと自分の時間を持って色々なことをトライして、2.にシフトしていけばいいのかなぁと思うのですが、とかく、自分の居る業界は1と2を一緒にしたがる。そうじゃないとダメ的雰囲気にあふれています。
正直、私にとってオフィスでしている作業は2.の仕事ではありません。仕方なく、飯を食ったり家族を養ったりするために1.をし続けているに過ぎないということです。但し、パフォーマンスとしては「限りなく1と2を近づける」ようにしているのですが(笑)
世界のグローバルスタンダードが自分のような方向に行ってくれればと常々思っているのですが、そうやらそのような兆候はまったく無いようですね。
技術革新は人を幸せにするのか?
現代人は、アマゾンに代表される熾烈な国際競争を勝ち抜くニューエコノミーの恩恵を受けている。しかし、さらに細分化されていくであろうこの労働格差と繰り返される競争は、果たして人を幸福にするのだろうか?(P.281)
以前、自身のブログでこのようなことを書きました。
アメリカの製薬会社を中心に、新たな抗鬱剤や精神安定剤が次々に生まれています。社会自体を変えるのではなく、こうした薬を使って、今の社会に人間を無理やり適用させようとしている。それでいいのだろうか?
原始資本主義社会を風刺したチャップリンの「モダン・タイムス」のように、テクノロジーの発展と人間の幸福には負の相関関係がしばしば見られますが、これらは人間らしさを取り戻すための先人たちの努力によって、ある程度は回避されてきたと思います。しかし、ここまで急速な技術革新は例が無い。そこに我々はどう立ち向かうべきでしょうか?
今回の返信では、結論を急がずに問題提起の追加で終わらせたいと思います。
amazonを支える労働者をどうすべきかというミクロな意見も少しありますが、いったんここでとめておきます。
それでは、staygoldさん、次をよろしくお願いいたします。
(このタイミングでの次をお願いするのは、ちょっとずるかったかな?)