2008年8月アーカイブ

休みが終わりに近づき、憂鬱になってくる。世の学生達の多くも夏休みは8月で終わるのではないか。とするならば、私のような気持ちが全国的に蔓延しているに違いない。
明日は大宮に用があるので、今日中に蓮田の家に帰らなくてはならない。妻や息子は既に蓮田に帰っているので、例によって気ままな一人ドライブということになる。しかし天候は雨。昨日に引き続き、かなりの大雨が降っている。

中々帰る気分になれず、夕飯まで実家で食べて、夜帰ることにする。東北自動車道は少なくとも福島県内は50km/h規制中。高速道路を利用する気が全く無くなる。また国道4号線を南下することにした。昨日に引き続き、270kmの旅である。さて、今回は何時間で帰れるだろうか?今日、身に着けているのはOMEGA Speedmaster Professionalである。いつものごとく、実家を出るときにクロノグラフをスタートさせる。
雨が激しくたたきつけてくるが、どうも速度を落とす気分になれない。福島→埼玉間のオービスの位置は頭に叩き込んである。覆面パトカーに注意しながら走る。福島県を出ると急に車両の数が少なくなる。那須の山道ではこのところゆっくりと走るトラックに前方を遮られて走りを楽しめなかったが、今回は少ない上に登坂車線で全て追い抜けた。おかげで、かなり速く栃木県北部をパスできた。矢板あたりについたころは速度規制区間がさらに広がっており、宇都宮まで50km/h制限に。もう高速には乗らないことを決意し、国道4号線をひたすら南下する。
宇都宮付近になると道路も整備され、車線も片側二車線になる。もうしばらく走ると、新4号バイパスへ向かうための平出工業団地交差点にぶつかる、ここを直角に曲がれば開けた道路が続く。ここを曲がるとなんとなくほっとした気分になる。

家に着いて、クロノグラフをストップさせる。結局、270kmくらいある実家ー自宅間を4時間半で走ったわけで、またもや自己記録を更新してしまった。平日&夜&交通量少ないという3つの条件が重なったが為に出来た記録で、何かが欠けていてもこんなに早くは帰ることは出来なかっただろう。

ここ3日間で約1,000kmほど走ったことになる。それでいてあまり疲労を感じさせないのだから、本当にすばらしい車だと思う。LEXUSに浮気しそうな気持ちもあったものの、さすが駆け抜ける喜びを標榜するBMWである。エントリーモデルでもこれなのだから、上位グレードの車種ならもっと走ることを楽しめるのであろう。まぁ、買い換えるような目処は全くなっていないのだが。

ほぼ予告どおりの時間に再びF.Iさん宅を訪れた私。
F.Iさんは夕食の支度中。私は二人のパワフルなお子さん、Mちゃん&Iくんとアンパンマンのカルタをして遊ぶ。Iくんは3歳だから、彼にとってカルタは少々難しい遊びだろうと思う。でもMちゃんと「カルタ遊びをする」と出掛けに約束をしたし、カルタは俺も好き。カルタを並べてはじめると、私も大人気なく本気でやってしまう。Mちゃんはアンパンマンのキャラクターの名前をほぼ正確に把握している。私はそこまではわからない。そういう意味で言うと、同レベルといえよう。しかし、ゲーム中にIくんがカルタの札を座布団の下に隠してしまったりして中々ゲームにならず。「おいおいI君...」と思わず言葉が出るものの、Mちゃんは全く気にしていない様子。カルタが出来なくなってここで怒ってしまうのが子供というものかなぁ?と思っていたが、Mちゃんはそうしたことも全く言わず。よく出来た子だなぁと感心する。

しばらくすると「ご飯が出来た」とのこと。カルタは途中だったけれど(最後まで遊べなくてごめんね~、Mちゃん)片付けて食事をする。F.Iさんが真正面に座っているのがどうも不思議な感じだが、ご家族からすれば私が居ることの方が相当不思議だろう。やはり小さな子供が居る家庭。食事も大変である。この辺はうちにもっと小さな子供が居るので十分に気持ちは理解できる。でも子供が複数居るから、食べ物をちょっと取り合ったりする様子が何ともほほえましく思える。

食後、F.Iさんが片づけをしている間に、私はMちゃん&Iくんと絵本を読む。日本のおばけが外国のおばけに会いに行くという話。これもちょっとI君には高度かなぁ...と思えたが、彼は彼で絵を見て喜んでいる。私も自分の息子によく絵本を読み聞かせている。うちの息子は同じ本を何度も何度も「もっと、もっと」といって読むように急かしてくる。4回くらいまでは我慢して読むのだが(妻には、相当気が長いといわれる)、片づけが終わったF.Iさんに絵本はバトンタッチ。私はパソコンの環境設定に追われる。そんなことをしているうちに21:00になり、お子さん達は就寝の時間に。Mちゃんは疲れていたのかあっさりと眠りにつく。I君はどうもまだ遊び足りないらしい。I君が静かになったら、F.Iさんと話をする。

結構話し込んで気がつけば23:00近くになっている。そのとき、実家の母から「福島は大雨です。今どの辺りにいますか?」とのメールが届く。どの辺りどころか、まだ盛岡を出ていないのだが...。別れが惜しいが、明日、埼玉へ戻るためにあまり今日無理するわけにもいかない。かなり後ろ髪を引かれる思いをしながら、福島へ向かうこととした。年末は同じ時期くらいに福島へ帰省していることだろうから、飲む約束をして。

F.Iさん、色々とお世話になりました~。


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岩手県岩泉町にある、日本三大鍾乳洞の一つに数えられる龍泉洞
(ちなみに、他の二つは高知県土佐山田町にある龍河洞と山口県秋芳町の秋芳洞であるとF.Iさんに教えてもらった)。
滝好きである私だが、穴好きでもある。日本の滝100選などという表記を見ると吸い寄せられてしまうのと同じで、鍾乳洞があったりしたらちょっとほっとけない。しかもこちらは日本三大...と来ているわけだからねぇ。

F.Iさんの家からの距離は約70km。途中の早坂峠にすさまじいコーナーばかりの道があったそうだが、数年前、ここにトンネルが開通し、アクセスがかなり楽になったという。しかし、トンネルを使ったとしても2時間程度の時間がかかるそうだが、車も少なく(というか、ほとんど全部の車を抜いた)適度にコーナーがあり攻めがいのある道路。龍泉洞に到着したとき、左手のRainbow Flybackで時間を測定したら65分しか経過していなかった。ちゃんと信号とか一時停止はしているんですけど。

龍泉洞の施設が用意している駐車場はちょっと離れているため、近くの土産物屋の駐車場に車を止める。その代わり、龍泉洞の水で作ったとされる地ビールを2本購入する。

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龍泉洞には見学できる鍾乳洞が二箇所存在している。龍泉洞と龍泉新洞である。前者が地底湖などの見学ができるメインスポットであり、後者は洞窟自体が洞窟に関する資料の博物館のような施設になっている。まずは前者から見学することにした。

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洞窟内部は外に比べてかなり涼しい。むしろ寒いという表現の方が適切かもしれない。しばらく雨天が続いていたためか、それともいつものことなのか、天井から水滴がかなりの数滴り落ちる。雫やこうもりの糞などからガードするためのプラスチックの簡単な屋根が歩道にはあるものの、全てをかわすことは到底できない。多少濡れることを覚悟し、足を滑らせないように足元に細心の注意をしながら先に進む。

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ここ、龍泉洞のウリはなんといっても透明度の高い地底湖である。全部で4つの地底湖があり、そのうち3つが見学できるが、そこに進むまでに見られる鍾乳石群も実に立派である。鍾乳石は1cm大きくなるだけでも200~500年という時間が必要で、この洞窟自体がこれだけの鍾乳石で構成されているわけだから、人類が誕生するよりももっと前の時代から存在しているわけである。あまりにも膨大な年月とその大きさに圧倒される。

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しばらく歩くと第一の地底湖が見えてくる。確かにかなりの透明度がある水だが、パンフレットやサイトで見るほどの、宝石のように深いブルーに感じることは出来なかった。これは、ここ数日続いていた雨天のせいかもしれない。見学できる地底湖では最も深いとされる第3地底湖は水深98mもあるそうだが、今日のコンディションではライトアップされていても20m位しか見渡せなかった。ちょっと残念である。もっと綺麗な時期があるのなら、そのタイミングに再度来て見たいと思う。

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上を見上げると、コウモリが超音波を飛ばしながら器用に飛行しているのが見られる。コウモリというとあまりいいイメージがないが、実際に近づいてよくみてみると可愛いものである。どうしても可愛いと思えないのはこの手の穴に生息する昆虫系の生物。私はむしろ苦手である。穴好きとしては致命的な問題であるが、何とか克服したいと思っている。それには穴という穴に行って修行する必要があるわけで、今後も鍾乳洞といわれると、フラフラと行ってしまうことでしょう。
鍾乳洞の通常見学時間は10分程度。割とじっくり見て回った私でも20分というところである。穴から外に出るとムッと湿気が感じられ、気温の差で眼鏡とカメラのレンズが曇ってしまった。曇りがおさまるまで5分程度要した。

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ここで、首都圏では岩手県のマスコットキャラとして(広く?)紹介されている「そばっち」など。逆に岩手の人は見かけたことがないんじゃないかなぁ?

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もう一つの龍泉新洞の周囲に人気はない。多分、洞窟の中にも人がいないのだろうと思って入ってみたら、全くのその通りだった。こちらはどういうわけか撮影禁止。でもどさくさにまぎれて1枚だけ撮影。岩泉町の上水道として現在も利用されている水が洞窟の横を流れる。上水道がこのように人目につくようなところを流れているというのは実に珍しいと思う。その他、鍾乳洞の探検の歴史(洞窟探検なんて面白そうだと思うけど、やっぱり虫が怖い。一説では洞窟探検者用といわれているROLEXのExplorer2でも装着して、やってみたいものである)の展示や、鍾乳洞で生活をしていた数千年前の予測模型(誰も居ないと思って洞窟に居たので、ちょっと驚かされる)。まぁ、龍泉新洞の方があまり人気がない理由は良くわかった。一方通行なので所定の出口から出ると、いきなり道路のまん前でびっくり。例によって眼鏡とカメラのレンズは曇りまくっている。

見学時間は龍泉洞、龍泉新洞ともに10分くらいとあったが、説明をしっかり読んだり、色々なところを撮影していると、もっと多くの時間を要する。私は双方を見学して、合計1時間というところであった。かなり熱心に私は見ていたわけである。

さて、見学を終えて空腹を覚えた私。しかし、F.Iさんの家からこの龍泉洞に至るまで、食べ物屋らしきものは全く見つけられず。困った私はF.Iさんにおもむろに電話。
「ごめん、急で悪いんだけど晩飯食わしてもらっていい?
 1時間くらいで着くと思う < 時速何キロで走るつもりだ?」
F.Iさんには少々困惑させてしまうが、何とかするとのこと。助かった。

そしてその予告どおり、約60分で70kmの距離を走る。途中、前方を走る車はダンプであろうと4000ccのメルセデスであろうと全て追い抜く。夜の街を駆けるのも面白いけど、こうした山中を駆け巡るのも本当に面白いものである。

翌朝、常に朝はテンションが低い私。少しでも気持ちを上げるために朝風呂。そして朝食。あまりメニューが豊富とはいえないバイキングだが、そもそも朝食をとること自体が稀な私にはもうどんなものでも良し。フルーツだけでも、オレンジジュースだけでもいいのだが、ちゃんとご飯を1杯食べる。

チェックアウトする際、実家と妻へ地ビールのお土産を買う。一本\500。その地ビール代も含めて\6,000。相当安く上がったと思う。また来る機会があるかどうかはわからないが、一人旅ならぜひともまた利用したい宿だ。

46号線方面へ、相変わらず車の少ない道を爆走する。平気で120km/h位出てしまうほど、爽快な道路だ。すぐF.Iさんの家に向かおうとも思ったが、ここまで来て雫石駅を全く見ないと言うのも惜しいと思い、ちょっと寄り道をする。

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秋田新幹線が停車する駅のようだが、人気がほとんど無い。居たのは猫とタクシーの運転手の方のみ。中まで入りたかったが、車を路駐しているのでリスクをおかす気にもなれず。すぐ46号線へ戻る。
46号線を盛岡市方面へ走っているときに「バシッ!」という音がする。嫌な予感がしたが、思ったとおりフロントガラスに飛び石。それほど大きな被害は無いが、近いうちに交換が必要だろう。嫌な出費だとげんなりさせられるが、不可抗力である。どうしようもない。再び盛岡ICを越えて国道4号線も横切り、東へ。

国道4号線。私とはもっとも関係の密接な国道だといえよう。蓮田からはちょっと走る必要があるが、4号線は決して遠くない。妻の親戚達がいる白河も、私の親戚が多い郡山も、私の実家も、私が通っていた学校も、そして、これから会うF.Iさんも...4号線という東北を北上する道路でつながっている。私は初めてその4号線の始点を東京で見かけたとき、不思議な気持ちに襲われた。現実的には4号線を北上して盛岡まで行くという酔狂な方は(私はやりかねないけど)あまり居ないと思う。とにかく岩手県の広さはすさまじい。でも、一つの道路の周辺に自分に関係した人や物が集結しているというのは、愛着を感じずにはいられない。

彼女の家は高台の住宅地の中にあった。その住宅地へどうやって入るのか、相当混乱させられた。私はナビをほぼ常に平面表示で使っているので、ここに東西南北という概念以外に「高さ」が入ってくると本当にわけがわからなくなる。わからないなりに「おそらくこの辺では...」というところに到着。彼女へ電話をすると、息子と一緒に迎えに来てくれた。結構いいところまでは来ていたらしい。彼女の家の駐車場に車を入れ、お宅へおじゃまする。

再会してまず思ったこと。
それは、想像したより彼女が綺麗になっていたことであった。既に貰っていた写メールの写真は「わざと悪い写真送ったのか?」と疑いたくなるようなほどで、実際は相当きれい。本当に良い年の経方をしていると思った。髪が長くなり、時々メガネをかける。これが16年間における大きな違いだといえるが、さほど変わりはない。昼間にすれ違ったなら、私も気が付いたことだろう。その機会がなく、常に夜ばかりであったことが悔やまれる。
「昔好きだった人にあってガックリする」という経験談を4つ年上の友人から聞いていた。こと30才を過ぎるとそういう傾向が顕著に感じられるらしい。しかし、彼女に関して言えば全くその例は当てはまらない。私は彼女に告白したことがあるのだが(残念ながらうまくはいかなかったのだけれど)素敵な人に告白したものだと昔の自分を少し褒めてやりたくなった。だが、一度振られただけであっさりとあきらめてしまった過去の自分をぶん殴ってやりたくもなった。
とても素敵になっていたということに対する私なりの最大限の表現なのだが、読んだ方、少しは気持ちが通じただろうか?

さて、彼女の家に居たのは彼女だけではない。猛烈に元気のいい彼女の息子、I君である。目がクリッとして可愛い男の子であるが、うちのおっとり息子とは大違いでとにかく元気である。大汗をかきながらも全力で彼は私に「遊べ~~」と向かってくる。「普段はこんな遊びしないんだぞ~」というような(というかおっとりな息子にはまず無理)激しさい遊び。ボール、バット、ブロック、全てのものが彼にとっては遊び道具になる。その様子を見る彼女を見て、「母親なんだなぁ」という16年間という時間の無常さを感じる。

遊んでいるうちにお昼になった。「何が食べたい?」と聞かれていた私は冷麺をリクエストしていたために、彼女は冷麺を作ってくれた。それ以外にじゃじゃ麺という選択肢もあったのだが、私は冷麺を希望。辛いキムチも食べようとするI君...すごいなぁとおもう。うちの息子はまず無理。辛いとかいう以前に、食べられないものが多すぎるのである。
目の前に彼女が居て、一緒に食事をしている。これも16年ぶり。私が中学の放送委員会に入っていた頃、彼女と給食を食べたきりである。こんなことを書くと怒られるかもしれないが、彼女はみかんの皮をむくのが下手だった。小学校の頃から変わっていなかったから「相変わらず、そういうむきかたをしているの~?」と、ちょっとバカにしたことがある。「今は上手にむけるよ」と彼女は言う。会って話すことで、記憶の片隅に追いやられていたものがどんどんと表層化してくる。何もかもが、面白かった思い出ばかりだ。そして、今ならあのころシャイで言うことができなかった思い出も今なら堂々と言うことができた。私は彼女によく追いかけられていた。ほかの女の子にちょっかいを出したりしてF.Iさんに怒られていたのだ。彼女は足が速いから私を本当に捕まえてしまう。でも、私は捕まりたかったし、心の中では逃げているのではなく、F.Iさんのことを追いかけていた。ちょっかいを出していた女の子のことなど、正直言えばどうでもよかった。そんな思いを小学校5年から中学校を卒業するまで抱き続けていた。ただ、告白できたのは中学校を卒業したとき。それまでは付き合っていた別な彼女がいたし、陸上部で鬼のように走るのが速かった彼女が、スポーツとはまるで縁がなかった私を見てくれるという自信がなかった。だが、他県の学校に進学する予定だったから、最後のチャンスに負ける覚悟十分で挑んだ。その時のことは今でも昨日の出来事のように思い出せる。

彼女と話したいことはいくらでもあった。が、今回は世間話だけではなく一つミッションがある。彼女の家のPCにWebの制作環境を構築し、簡単なレクチャーをすることである。I君の「遊べ~」という激しい主張と私の要領の悪さで、作業は中々進捗せず。このミッションがなければ徹底的に遊んであげたのだが...しかもI君のママに対するジェラシーのような感覚が私の作業を見事に拒む。しかし、I君の気持ちも良くわかる。相当ママ(F.Iさん)がすきなんだなぁ。

2時過ぎに彼女の娘、Mちゃんが幼稚園から帰ってきた。Mちゃんはママの子供の頃に良く似ている。昔の彼女と同じように小麦色の肌。私は彼女とアンパンマンのカルタをする。でも、I君はもっと別な遊びをしたいようだ。階段を上ったり下りたりしている私についてきてくれる。あまりに人懐っこいので抱きあげた。うちの息子より数kg思いくらいだろうか。

こんな具合で要領の悪い作業を続けていたら、15:00近くになってしまった。今日は帰る前に龍泉洞にも今日中に行っておきたいし...ということで、自動的にできるけど時間だけかかる作業をF.Iさんに任せ、お子さんたちには「また戻ってきたら、遊ぶからね」と言い聞かせ、中抜けして龍泉洞へ向かうことにした。所要時間は約二時間とのこと。それは普通の車で行ってでしょ?俺と相棒であるこの車ならどのくらいの時間で向かえるかな?
その日、左の腕に身につけていたZENITH RAINBOW FLYBACKのクロノグラフスタートボタンを押し、彼女が見送る中、龍泉洞のある岩泉町へ向かった。

昨日の酒が少し残っているので、一度シャワーを浴びる。
今日、明日と岩手へ旅行に行く予定。向かう場所は鶯宿温泉と、日本三大鍾乳洞に数えられる龍泉洞の観光...しか~し!その二つをよりも最も重要なことがある。それは、小学校時代の同級生、中学校の頃は憧れの人であったF.Iさんと会うこと。わくわくしますねぇ、ほんと。

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ずっと雨が続いたのに、今日は急な晴れ間。本当にドライブ日和である。

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予想以上の親戚訪問で、彼女に渡すお土産が尽きてしまったので、仙台の藤崎で買い物をしようと考える。なんとなく国道4号線を北上していたら、昔よく走ったその思い出が蘇ってきてしまい、高速に乗りそびれてうっかり、仙台まで行ってしまった。
藤崎では何を送ろうか、本気で悩む。お子さんが居るから、出来れば焼き菓子なども入れたい...藤崎には私が好きなWEDGWOODが入っているのだが、お茶というより食器等がメインで、あらららら...という感じ。お茶やお菓子は品揃えがそんなに良くない。そこで、別なブランドのもので、セットを作ってもらう。緩衝材がエアクッションなのがちょっと悲しかった。

そこから高速目指して走り出すが、仙台南ではなく、仙台泉をカーナビに案内される。別にいいか...と思って走ったところ、渋滞に遭遇。高速に乗るまでに随分と時間を要してしまった。
龍泉洞へは今日向かう予定であったが、カーナビの情報によると盛岡から2~3時間かかるらしい。どう考えても間に合わないので明日行くこととし、今日は温泉に入ってゆっくりしようと思う。

高速を盛岡ICで降り、雫石方面へ国道46号線を走る。雫石駅近くで御所湖方面に道路を逸れる。日が沈もうとする御所湖周辺の景色がとても美しく、途中で車を止め、その様子をファインダーに収める。実に綺麗な景色で、しばし放心する。

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御所湖の橋をいくつか渡り、鶯宿温泉方面へ。恐ろしいほど店が無く、暗い。

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今回お世話になった宿は、南部富士見ハイツという何ともホテルらしくない名前の宿。アパートとかみたい。

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客室はこんな感じ。まぁ、十分な広さである。パソコンが2台もあるのは気にしないでおいてほしい(笑)。
中々評価できるのはお風呂。もちろん温泉。朝や日中、夜の一部の時間は日帰り湯として提供しているだけのことはあり、非常に清潔で広い。大浴場、露天風呂以外にミストサウナがある。しかも寝ながらミストサウナには入れる。風呂用のELGINの時計を持ってこなかったことが大変悔やまれるが、相当な時間入っていたことだろう。とても気持ちよかった。
チェックインしてからすぐに風呂に入って、夕食をとるために外出する(夕食有のプランにはしなかった。最近、食欲が無いからあんまり食べられないのである)。外に出て、ちょっと途方にくれる。真っ暗で、店など無いのである。来る途中に居酒屋らしきものを見かけた記憶があったのでそこまで戻ってみると、向かいに食堂があった。ラッキー。こんなに真っ暗なところにポツーンと店が1件あって、客は少ないだろうなぁと予想したら、全くそのとおり。私一人である。経営はおばあさんがしているらしい。あまり味は期待できそうに無いが、メニューは全てかなり安い。カツ丼を頼んだら\630。まずまずの味でこの価格。全く文句は無い。ぱっと平らげて、もう少し雫石方面へ戻る。コンビニとスーパーがあったのだ。

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これが岩手仕様のローソン。こういう入り口のコンビニは初めて見る。二重扉なのはわかるが、直接風が吹き込んでくることを避けているのだろう。向かいのスーパーもそうだった。ここではビールとウィスキーと、ちょっとしたつまみを購入する。このコンビニに酒の調達をしに来る人たちは多いのだろう。コンビニではありえないと思えるほど酒が充実している。特に地酒が。私は日本酒はやらないので、あまりありがたくもなかったが。

買い物を終え、宿へと戻る。その間にすれ違う車は一台も無い。ずっとハイビームのままである。宿の駐車場に車を止めて空を見上げる。ダイヤモンドを散りばめたような美しい星空が見える。さすがは銀河鉄道の街...。これが冬ならば、もっと星空が綺麗だろう。5分くらい上空を眺めて放心する。
部屋に戻り、パソコンを使いながらビールを1本開ける。一通り作業が完了したらば、再度入浴。宿泊客は24時間入浴可能である。日帰り客が居なくなり、この広い大浴場が私一人占有状態となる。
しいて残念な点を挙げれば、露天風呂から星が見えないことだ。風呂をさえぎる柵の周りにある樹木を剪定すれば見えると思うのだが。まぁ、欲張りな話かもしれない。
部屋に戻れば、また冷えたビールとウィスキーの水割りが残っている。鶯宿の夜は涼しい。窓を開ければエアコンなどは不要である。サッシのレール部分に腰を掛けながら、外を見上げつつビールを飲む。随分と北まで来たものだ...という思いと、明日、16年ぶりにあう友人のことを思い出す。写メールを事前にもらっていて、それを見る分に彼女はあまり変わってはいない。それに比べて自分は...なんだかなぁ。
明日の到着時刻等を彼女に知らせるために電話をする。ウィスキーを開けて、もしもし...と会話。
もう数十キロの距離に居るのだから、本人に会って直接話をすればいいのだが、話し出すと様々な話題が出てきて止まらなくなる。いつしかウィスキーも尽き、彼女との話を終えて布団に入った。ちょっとドキドキして中々寝付けなかった。

今日、妻と息子は先行して埼玉に帰った。
私はまだ福島に残り、明日からは岩手旅行である。

つい先月も福島には着たものの、葬儀への出席が目的だったので彼に会うことは出来なかった。
が、今回は長期休暇。ゴールデンウィークには福島に戻ってこなかったので、彼と飲むのも8ヶ月ぶりである。

彼と飲む酒といえば、LAOHROAIG。ヨード臭いスコッチだ。
今回も東京で仕入れてきた。今日の為に。例によって、アルコール度数が高く熟成が早いLAPHROAIG QUARTER CASKを飲む。

酒のつまみを買いに、南福島にある「やまや」へ向かう。ここで、腰を抜かしそうな事実に遭遇。QUARTER CASKが東京で買うより\800近く安いのである。やまやは独自の並行輸入ルートを持っているため、突然、特定の酒が安くなっていることがある(その逆で、全く無いということもある)。信じられない価格である。10年ものの普通のLAPHROAIGよりも安いわけだから(こちらは正規品だったのかもしれない)驚きは隠せない。損したなぁと言う気分。
また冬にも会って飲むだろうから、このときはF士君に事前にこの酒屋を調査してもらおうと思う。安ければ買っておいてもらい、なければ私が東京で調達する。それがベストだろう。

私の家で早速封をあけ、その強烈なる香りを楽しむ。う~ん、鼻腔が激しくくすぐられる。まずはストレートで1杯。48度のアルコールが胃に到達するこの感覚。たまらない。F士君と二人で「やはりこれがいい」とうなる。
この強烈なにおいを嫌っていた父だが、このところ反対にはまっている。飲んでその魅力に取り付かれると止められない味なのである。うちの妹はさすがに修行が足りない(?)ために、これをおいしいとは思えないようである。

これを飲んでしまうと、他のウィスキーのほとんどが物足りなくなってしまうという悪影響も実はある。そして、アルコール度数が高くても、水では絶対に割りたくない味。ロックでかなり飲んだが、私もF士君も明日、予定があるためにあまりハイペースで飲むわけにはいかない。
F士君からはちょっといい報告があった。子細は避けるが、仕事がいい方向に変わったとのこと。実に喜ばしい話である。福島も他の地方都市同様、正規採用は中々難しい中で、よくやったものだと思う。
私からもF士君にちょっとサプライズな報告をした。小学校時の同級生であるF.Iさんと明後日会うことを話す。「よく連絡が取れたなぁ」と感心された。彼女とのコネクションが出来たのは本当に偶然。私自身も驚いているわけで、不思議な巡り会わせとは本当にあるものである。F士君は私がF.Iさんのことが好きだったということを知っていて(俺、言った記憶無いんだけど)、正月に神社で見かけたにもかかわらず俺に教えてくれなかったので、首をしめて「ごらぁああああ!」と文句を言ったことがある。それで察したのかもしれない。年末に帰省したときにでも、一緒に飲めたら楽しいだろうなぁと、二人で勝手に盛り上がった。

23:00頃、F士君の奥さんに電話をする。私がF士君のフリをして電話したわけだが、途中まで気がつかなかったらしい。「実は私、○○ですが」といったところ、猛烈に恥ずかしがった奥さん。可愛いねぇ。もう一度電話をしたときにはさすがにばれたが、やはりかわいらしい。そう、昨日が奥さんの誕生日で、結婚式から1年が経過したというわけだ...。迎えに着た奥さんに「誕生日&結婚式から1年、おめでとう。これからもこのろくでなし(F士君)をよろしくお願いします」といっておいた。お互い、笑いながら別れた。彼もいい奥さんをもらったものである。

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「私は氷、あなたはウィスキー」
言われてみたいものですね、こんな美人に。きっと角の味も、山崎や響のように変わるのではないかと思ってしまいます。

実家にあったサントリーの本。この裏表紙の広告を見た息子。ものすごい反応をした。すごい照れて、手から離さない。見るたびに「ニコニコ」して、ちょっと恥ずかしいような表情をする。
人が多くてちょっと興奮気味の息子も、この小雪さんの広告を見せながら「じゃあ、小雪さんと一緒に寝ようか?」といって、本を持っていくと、ニコニコしながら近づいてくる。布団の上に本を置けば、その本をずっと掴み、時々見ながら、恥ずかしがっている。

何だか猛烈に「自分の息子だなぁ」ということを感じた(笑)
とりあえず、女性の趣味は悪くないと思う。この広告、スキャニングして引き伸ばしてやろうかな。

そして、小雪さんを掴みながら、息子は眠ってしまいました~。

うちの親戚はあまり多くなく、必然的に子供も少ない。龍之介を除くと、私の従姉妹の所に二人ばかりいるくらいだ。
だから、どこに連れて行っても大体喜ばれる。昨日は妻の親類が中心であったが、今日は私の親戚が中心。

まずは私の祖父...龍之介から見たら曾御祖父さんにあたる母の父がいる施設へ。
この施設には「部長」という名のウサギがいる。何故「部長」なのかはわからない。部長元気かなぁ...と思いながら歩いていると、前にもまして巨大化した部長がかごの中にいた。部長も随分と貫禄が出てきたものである。

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祖父の年齢は90歳。今年の正月に帰省した際に会ったが、随分と老けて、動きが緩慢になった感が否めない。まだ私を初めとした家族のことを忘れていないだけ幸いである。息子を祖父に抱かせる。息子は嫌がることもなく、祖父のひざの上にいる。
以前、息子を祖父のところに連れて行ったとき、祖父は息子の手相を見た。息子と祖父の手相はそっくりで、ちょっと珍しいほどに生命線が長い(私は残念ながら全然長く無い上に、途中で切れている)。いきなりそこを見た祖父に驚かされた。何故似ていることがわかったのだろうか?
祖父はお茶を徳利に入れて飲んでいた。これでも少し気分は変わるものなのだろうか?酒が禁止されているわけではないので、今でも飲んでいる。飲もうとしてもそれほど量は飲めないらしい。もうこの年齢ならば、好きなものを食べ、好きなものを飲みながら生きてもらいたいと思う。

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昼食を経て次は父の妹、つまり私の叔母の家へ(この叔母の娘のところに子供が二人いる)。よく酒を一緒に飲むおじ(なぜかF士君がおじのことを気に入っている。一緒に話をしながら酒を飲むのが楽しいらしい。)ともう一人の従兄弟が同居しているのだが、よくよく考えれば今日は平日である。二人は仕事に出かけていた。
叔母は私だけではなく、妻&息子の訪問を大変喜んでくれた。おじの母の看病、先日あった葬儀による疲れからか、少しやせたような印象がある。叔母と龍之介が会うのは、1年ぶり。子供1年の成長というのは非常に大きく、走りながらトコトコとやってきた息子の成長をとても驚き、喜んでくれた。
この叔母は私にとっては第二の母と言ってもいいほどの存在である。実の母には話せない(うちの母は心配性なのである)ことをよく相談した。いろんなことを実際に経験してきた叔母の言葉は重く的確で、私の身になった。実の母は優しいが、やはり普通の専業主婦なのである。この二人あって、今の私があるといっても過言ではないと思う。
また、夫婦というものに対する考え方が私たち夫婦に非常に似ているのである。お互いのことに過剰に関与せず、必要なときには助け合う。一人の時間をとても大切にする人なのである。結婚してもう30年以上。夫婦がそれだけの期間スムーズにやっていける、一つのコツなのかもしれない。

16:00前に叔母の家を出て、今度は母の弟の家へ。例によって平日なので、居るのは奥さんのみ。この奥さんもまた子供が好きであり、地域のこと、新しいことに色々と精通している。私たちの方が年寄りなのではないかと思わされてしまうほどである。いつも目新しいものをたくさんくれるのだが、今回もお土産としてこちらが持っていった以上のものを頂いてしまった。

家に帰ってきて食事をしているところに、仕事が終わった母の弟が息子の顔を見るためにやってきた。
歩いてきたとのことなので、本当に久しぶりに一緒に飲む。鶴は昨日1日で飲み尽くしてしまったため、今日はI.W.HARPER。私はバーボンを好んで飲まない(どうも昔のあまりおいしくないというイメージから抜けきれない)のだが、久しぶりに飲むといけるものである。叔父は随分と酒に弱くなってしまったようだが、私と父は昨日と同様、1本飲みつくしてしまう。
私はそんなにものすごく酒が強いというわけではない。だから飲んだときに失態をおかした数は数え切れないのだが、実家で飲んでいるときはリラックスしているせいか、全く酔わないのである(ちなみに、自宅で飲んだときには酔ってどうにもならないことが稀にあります)。やっぱり飲む相手なのだろうか?あまりに気持ちよく飲む父の姿に、私も何らかの影響を受けているのかもしれない。

9:00に出発と前日、妻に気合を入れられながらも、9:15出発。自分的にはかなり良好な時間。15分くらい、高速道路であっという間に取り戻して見せるさ(スピード狂)。といっても、お土産、家族の荷物、人間3人で車の重さはかなりのもの。加速とハンドリングの感覚は明らかに違う。人も荷物も崩れないように、そこそこ慎重に運転。

久喜インターから白河インターへ。距離にして145km程度。高速に入ってしまえば一時間半もかからない。料金も\3,650。福島市までだと、こうはいかない。福島県の広さを思い知らされる。
何度もブログ中に書いているが、私は高速道路の運転があまり好きではない。単調だし、眠くなるし、景色をゆっくり眺めることも難しい。金はかかる...。あんまり眠くて仕方が無いので、ちょっと加速して眠気を飛ばす。しかし、車重ががあるので思いのほか加速しない。妻がびびり出したので、130km/h位に落とす。フリスクをバリバリ食べつつ、無理やり自分を覚醒させる。

そんなことをしているうちに白河へ。義理の父、母共に実家は白河市。しかし最近合併してそうなっただけで、元は表郷村である。インター降りてすぐというわけではなく、しばらく走行する。国道289号線を走行。義理の父の実家へ到着。
以前車で来たときは冬場で、このあたりは大雪だった。タイヤはスタッドレスでも、もちろん滑る滑る。トラクションコントロールをONにして、マニュアルモードで走行しながらも、車のお尻がクックッと曲がって結構楽しんだことを覚えている。
しかし、雪があるのと無いのとではこのあたりの光景は全く異なり、どこの道を進めば辿り着けるのかが良くわからない。妻に何とか思い出してもらって到着する。
義理の父の実家は昔ながらの農家の面影を残す、非常に広い家である。つい最近まで土間があったそうだ(私は土間というものを見たことがない)。何畳もある畳の部屋が何部屋も続く。そこで妻の従姉妹やその旦那さん、娘さんと話す。

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龍之介は生後4ヶ月になるという二匹の猫を追い回している。猫が大いにビビッている。

今日は寄らなくてはならないところがかなり多い。2件目は同じ元表郷村にある義理の母の弟の家へ。食事を用意して待っていてくれた。ビールもあったが、私は当然ながら自粛。妻も息子の面倒があるので(本当はもっと飲みたいのだろうが)グラスで2~3杯でストップ。俺に気を使ったのかもしれない。
ここに残っている妻の従兄弟は2児の父。3歳と、6ヶ月の男の子が二人。義理の母の弟はJR東日本を退職された方で、子供のおもちゃも鉄道関係のものが多い。ここで、うちの息子の目が「キラン」と光る。彼の中では今、電車と車が激しくブーム。飯など完全にどうでもいいようで、それらおもちゃで遊び始める。
この3歳の男の子が良く出来ていて、おもちゃを独り占めしたりせずによく貸してくれる。なんて心の広い子なのだろうと感心させられる。うちの息子とは大違いである。しかも帰りにお気に入りのおもちゃを一つくれた。うちの息子に「返しなさい」と何度言っても話そうとしなかった音の出るパトカーのおもちゃ(息子も似たようなものを持っているのですが...)。「あげる」といってくれたその子にちょっと感動させられる。えらいなぁ。

3件目。義理の母の妹の家へ。ここは元表郷村なのか元々白河市だったのかが微妙。義理の母にものすごく似ているので、間違えようも無い。こちらのお宅には従姉妹が二人。妻よりも年上で、一番上の子供はもう高校生になる。龍之介は2件目に訪問した従兄弟の6ヶ月の息子に次いで小さく、こういう子供が各家に訪れることが少なくなったためか、どこに連れて行っても喜ばれる。昔は随分と人見知りしたものだが、最近はそういうことも無いからありがたい。それぞれの家でお菓子ばかりを振舞われて、今日の主食ほとんどお菓子。いかん...と思いつつも、全く手をつけないのも失礼かと思い、しっかり息子は食べてしまう。そこそこに話をして次~。

郡山市にある東山霊園へ。我が家の先祖代々のお墓がある。白河から東山霊園までは40km程度の距離。泉崎村を抜けて国道4号線へ。
お盆の時期からずれてしまっていること、お彼岸に来ることが出来ていないことをご先祖様たちに謝りつつ、手を合わせる。お盆の時期には渋滞になるこの道路も、この時期は人がほとんどいない。
毎日、数本のバスがこの霊園には来ている。毎日お墓参りを欠かさない方たちのためのバスだ。夕方近くなりつつある。


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お墓参りを終え、国道4号線へ向かう。ちょうど、郡山警察署の前で国道4号線とクロスする。ここからはひたすら実家へ向かう道のりだ。
郡山→福島間の国道4号線の道路事情はだいぶ良くなった。大玉村のほんの一部に一車線の道路が存在するだけで、他はほとんどが片側二車線になった。相変わらず大玉村はトラフィックのボトルネックになっているのだが、周囲を見ると用地買収は済んでいるようで、近々ここも二車線になることだろう。そうすれば、郡山→福島間は45分くらいになるかもしれない。もちろん、非合法的速度を出した場合になるが。

ちょうど、会社からの帰宅時間と重なってしまい、思った以上に時間がかかった。私の実家に到着したのは五時過ぎ。

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家では、息子への誕生日プレゼントが待っていた。レールつきの電車。レールは円形にもなるし、8の字にもなる。海外のもので、結構な値段がしたのではないかと思わせられる。線路を組み立てて、動かし方を教えてあげると息子は夢中である。飯も食わずにこの調子である。

誕生日が近かった母には、珍しくスタバではなくサザコーヒーのコーヒー豆三種類のセットを、父にはニッカの鶴をプレゼント。他、梨やらケーキやら、色々ともって行く。

到着して早々に、親父は酒を飲みだす。最初はビールで、その後は持って行った鶴を飲む。ちょっと驚かされたのが妹。ウィスキーが飲めるようになっていた。ストレートで「くぁあ。おいしいけどチェイサーがほしい」という。おい、どこで覚えてきたんだ?と聞こうと思ったが、聞きそびれてしまった。
もって行った鶴は透明な瓶のものではなく、白磁の瓶。だから残量が全然わからない。調子に乗って一本開けてしまった。
翌々日に飲む予定になっているF士君にはmixiで妹が「鶴はもうありません」と連絡。そのやり取りに一人笑ってしまった。

去年、友人F士君の結婚式に合わせるため、意図的にお盆からずらして取得した夏季休暇。
全く渋滞が無い福島への楽な帰省を知ってしまい、今年も同じ時期にずらして取得。23~31日までの9日間。取得できるだけMAXで取ります。

福島への帰省は24~29日まで。妻と息子は先行して26日に埼玉へ戻る予定。私はその後、27、28と岩手県へ。目的地は雫石にある鶯宿(「おうしゅく」と読みます)温泉&世界一の透明度を誇る地底湖を持つ龍泉洞の見学...よりも、16年ぶりの友人と再会する予定。俺の老けっぷり&横への大きくなりっぷりに驚かれることでしょう。

今日は方々訪問する先へ持っていくお土産の購入のため、大宮を奔走。息子の顔を見たいという親戚方がたくさんいるため、どこに何を持っていくということを把握しつつ、買い物へ。かなぁり重い荷物を持って帰宅。

明日は11:30頃に白河の義理の父の実家へ伺う予定。9:00出発と妻に気合を入れられるが...起きられるのか、俺。

ちょっと前に紹介したネット番組『江頭2:50のpppするぞ!』。番組のサイトではバックナンバーが数回分視聴できるようになっている。
(ずっとアーカイブ化してほしいんだけどねぇ)

仕事をしたり、普通に生活しているだけでもイライラが募ったり、凹んだりするものだが、この番組を見ると随分と癒されるのである。
「あ~、もう俺の今日のミスなんてくだらねぇなぁ。おっ、今日もエガちゃん面白いねぇ」
という具合に、いい感じに癒される。

江頭2:50が如何にすごい男かという件について、以前記事にしたことがある。彼はバカじゃない。心から目の前に居る人たちを笑わせたい。笑わせて幸せにしたいという気持ちを人一倍持っている。私は彼の根底にあるそうした考えにとても共感を覚える。だからなのだろうか?どんな番組を見るよりも、癒されるのである。

今日見たのは、2008/08/07分。初めからいきなり面白い。大川興業の刑務所慰問の話と佐渡のジェンキンスさんの永住権獲得の話。そして収録当日はアシスタント役の早川さんの誕生日とのことで、早川さんにいい男が出来るようにと恋愛のハウツー本をエガちゃんはプレゼント。その後の早川弄りはかなり面白かった。あれだけ可愛い(その上、珍獣で大変面白い)のに男が居ないわけが無いと思っているのだが、本当に居ないのか?今日気が付いたのだが、早川さんは私と同級生だったんだねぇ。

この回、ぐっときたのは心男女のコーナー。いつものようにいい加減な悩みではなく、相談内容があまりにも真剣だった。
かわいらしそうな女性の相談者だったので、いつものようにエガちゃん弄りまくるかと思いきや、相談内容があまりにリアルで相談者も相当参っている様子。いつものノリで行けないので(がんばってはいたけど)結構参っているエガちゃん。珍しいことに、早川さんと同意見の(方法は別にしてもw)回答となった。相談内容に興味があったら、ぜひとも番組を見てほしい。優しいなぁ、エガちゃん。


本当に毎週やってほしいと心から願っているのだが、基本は隔週で、ずれる場合も多々ある。
実は一番新しい1回分だけは見ずに残している。新しいのが追加されたら、前の1回を見る。何でこんなことをしているかというと、本当に凹みまくったときの頓服用が最新のpppなのである。「この1回を見てしまうと、次に辛いことがあった時、乗り越えられないのではないか?」という一抹の不安があるのである。そんなにひどい一件が無かった集は、新しいpppを残し、バックナンバーを期待しつつ見るのである。

ところで今日はDVD『江頭2:50のピーピーピーするぞ! 始末書覚悟の逆修正バージョン』の発売日。もちろん、買いますよ~。買って、夏休みはこれで大笑いの予定である。

直太朗新曲の詞に賛否、コンビニ放送規制
8月19日9時43分配信 日刊スポーツ

 歌詞の内容をめぐり、賛否両論が巻き起こっている歌手森山直太朗(32)の新曲「生きてることが辛いなら」(27日発売)が、一部のコンビニエンスストアの店内放送で使用不可になったことが18日、分かった。テレビ、ラジオや有線放送では「問題ない」と流されている。だが、短時間に出入りする客が多いコンビニは「歌詞の一部だけ耳にする可能性がある」として放送されないことになった。
 賛否が起こっているのは歌詞の冒頭「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい 恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り」の部分。発売前から歌詞について、「心に残る」「過激すぎる」などの声が多数寄せられた。最後は「生きてることが辛いなら 嫌になるまで生きればいい」と締めくくられ、直太朗は「生きることに、自分なりに真摯(しんし)に向き合って作った楽曲」としている。
 テレビや有線放送などでは「問題はない」として流され、直太朗はNHKや民放の歌番組でも演奏する予定だ。だが、一部のコンビニは「不特定多数が、短時間に出入りする場所。歌詞の一部分だけ耳にする可能性があり、無差別に流すのはどうか」と議論に。審査の結果、店内放送としての使用を見送った。
 同曲は直太朗の楽曲の共作者でプロデューサーの御徒町凧(おかちまち・かいと=31)氏の作詞。書いたのは10年前で、生きることに疲れていた友人にメッセージとして贈った詩だった。後日、友人から「元気づけられた」と言われうれしかったという。そのまま、未発表のまま自宅に残していたが、直太朗が御徒町氏の引っ越しを手伝った際にこの詩を見つけ「曲をつけたい」と楽曲制作に取りかかった。
 賛否論争が拡大し、Yahoo!でも「『いっそ小さく死ねばいい』の歌詞は問題があるか」の意識調査が行われた。同調査では、10万件を超える投票があり「まったく問題ない」が46%、「ほとんど問題がない」が21%を占めた。
 直太朗は「メッセージは詩の全体に込められています。一部ではなく全体を聴いてほしい」。所属のユニバーサルミュージックは「社内外で議論した結果、詩の表現として大丈夫という結論に達し、発表することになった」とコメント。20日から歌詞付きの着うたフルの配信開始を行い、曲全体をアピールしていく方針だ。

最終更新:8月19日9時43分



なお、歌詞全文についてはこちらを参照のこと。

個人的には森山直太朗が好きじゃないので、この件と絡めて本当は記事にしたくなかったのだが(他の事件との関連ではなく、この問題のみを考えた記事にしたかった)。もう、ちょっとほっとけないんで書きます。

なぜ、この現代日本では「死」というものについて語ることをここまで忌み嫌うのだろうか。
人が生まれる、そして死ぬ。これは避けられないことだし、特に死はいつやってくるかわからない。何も考えずに(準備もせずに)いきなり死という現実を突きつけられるほうがよほど酷だと思うし、人間、いつ死んでも大丈夫なくらいの死生観を持っておいたほうが楽に生きられるのではないかと私は考えているのだが。
やっぱりや~めた。何故、死がこんなにも忌み嫌われるのかは、別な日に記事にします。この件と一緒にするとまとまらなくなってきた。


『コンビニなどでは、歌詞の一部だけを聞いて誤解してしまう可能性があるので、流さないことにする』
などと言っているが、私には全く理解できないことで気絶しそうである。

本曲の作詞家である御徒町凧さんが書いたこの詩は、どの部分だけを聞いても誤ってはいない。人が生きられる時間の短さ、人が死ねば悲しむが、悲しむだけでは済まされない現実が次々とやってくる。そんなことをしている間にその人の死は昇華され、そして、さほど時間の差もなく何年かすれば悲しんでいた人も死ぬのである。
この世に生きる価値が無いと心から思うなら、死んでしまって何が悪いか。問題なのは死ぬ人よりも「生きる価値すら無い」という世の中のほうにある。その指摘を全くせずに「歌詞に問題がある」などと言っているもの共に一言物申す!
『何でお前ら、そんなに鈍感なんだ!』

生きるために感情を荒げることがあるのも「人」。『何をしても虚しいなぁ』と思いながらも、虚しい中に一縷の希望をもって生きるのも「人」。あまりに生きている時間が短くて、100年も経てば人類の記憶からほぼ忘れられてしまう、それも「人」。
そして、散々ブログ中でわめいていますが、人類にだって、地球にだって、太陽系にだって、宇宙にだって寿命がある。結局私達がやっていること、それは長い歴史からすれば全て無意味であり、それは人類だけじゃなくて全ての生物に言えること。

無意味なのに生きなきゃならない。だから人の生は残酷だ。だが「仕事が楽しい」でも「子供が可愛い」でも、「飯がうまい」でもなんでもいいから、とりあえず残酷だけど生きましょう。ついでに、死ぬってことについても少し考えましょう。「死にたくない」と思えたら、幸せだと思いましょう。「死にたい」と思うなら、話しましょう。私ごときでよければ、いくらでもお相手いたしましょう。

私はこんな時代だからこそ、必要な歌詞だと思っています。もう、ガンガン流せ。でちょっと、死生観ってモノを考えてみませんか?もっと欲を言えば、年間3万人も自殺者を出すこの国をもう少しまともなものにしようと働きかけてみませんか?

息子の誕生日に続き、今日は母の誕生日である。
来週、実家に帰省する予定なのでプレゼントはそのとき渡すとして、とりあえず「おめでとう」というメールを打っておいた。
女性もこのくらいの年齢になるとおめでとうと言うのもちょっと微妙ではあるが、まぁ、息子から言われるのは別に良いだろう。
(ちなみに、実家にいる家族はみな、誕生日ということに気づいていないのか反応がなく、怒った顔文字のメールが私あてに届いた^^;)

老けて見られて仕方が無い父に対し、母は非常に若く見られる。おそらく、年齢を知らずにお付き合いがある人たちからは、相当若く思われているだろう。そんな母でも、最近ようやく白髪が目立つようになってきた。5月連休に母が来たときに「白髪出てきたねぇ」と私がいうと、「そうなのよねぇ、抜いて」といわれ何本か抜いたが、キリが無い。この年で髪の毛を染めずにこれだけの白髪で済むというのは、俄かに信じられない。

家事は本当に万能で、何でもやってくれる。おかげで、その息子(私)と娘の体たらくはひどいものである。一人暮らしをし始めたときに正直、色々なことがわからずに困ったし、結婚してからも妻に「そ、そんなことも知らないの?」と驚愕される。むしろ妻は義理の母があまり色々としなかった(と、義母が言っていた)ために、色々なことが出来る。しいて言えば、掃除は甘い。私がやると徹底的に綺麗になるのだが、時間がかかってかなわない。

先日、実家から桃が届いた。桃は私の大好物で、福島県産のものは山梨が生産量No.1のおかげで少し影が薄いものの、あまくてとてもおいしい(福島県の果物とは総じてそんな感じで、生産されている果物の種類は非常に多い)。いつまでもやはり子供は子供なのだろう。毎年贈ってくれるのだ。桃も全て皮をむいてもらったものを食べていたので、そういうかたちで出てくるものかと思っていたが、妻に頼んでも「自分でむきなよ!」と言われるので、あれは母のすばらしいサービスだったんだなぁと今頃になって思う(でも、桃くらいむいてくれても良くねぇか?俺がやると危ないんだよ)。

特に体で悪いところがあるわけではなく、この調子で行ってくれればきっと母は長生きするんじゃないかと思う。ずっと福島県福島市から出たことが無い母。ずっと、あそこで暮らしていくことだろう。そんな平凡な日々にどんな喜びを与えることが出来るだろうかと、考えてしまう。
私は仕事や生活の都合で埼玉から離れられない。それほど距離があるわけではないが、この親不孝な息子をどうか許してほしいと思う。

『絶対的な真の数学的な時間は、それ自身でそのものの本性から外界のなにものとも関係なく均一に流れ、別名を持続とも言います』

アイザック・ニュートン(Issac Newton 1642-1727)
「自然哲学の数学的諸原理」より、絶対時間の定義

近代科学の基礎となったニュートン力学では、時間と空間は独立したものと捉え、それゆえ空間がなくとも時間だけが流れると考えていた。それら独立したもの同士を「絶対時間」、「絶対空間」と呼ばれる。近代科学の基礎となったニュートン力学はこのような考えのもとに構築され、以後200年間も揺るがなかった。時間は、誰にとっても同等のもの、等しく流れるものである。正確な時計を使えば、誰にとっても客観的に計測される時間がある。そう考えることが、近代科学の前提条件だった。
このような時間概念は20世紀に入り、アインシュタインの特殊相対性理論によって覆される。相対性理論は、空間の長さや時間の経過が、観測する立場によって変化することを証明した。
19世紀後半から、実験機器の発達で光の速度がかなりの精度で観測できるようになった。そして、様々な実験結果が告げていること、それは「光の速度、299,792km/sは絶対で、何があろうと頑として変わらない」というとてつもない事実だった。
つまりこういうことである。マッハ3(約1km/s)のスピードで飛ぶ飛行機があったとする。この飛行機と光が同じ方向に進む場合、飛行機から見れば同方向に前を走る光の速度はどうなるか?古典物理学での答えを求めれば(29,9792-1)km/sであり、もしもこの飛行機の中で同方向に歩いている人がいるならば、その人の歩く速度をも引いた速度で光の速度は求められると考えるだろう(このような関係をガリレイ変換という)。
光を同じ方向に追いかけているのだから、遅く見える。これは普通列車からで同方向を走る特急列車が実際の速度よりも遅く見えるのと同じ理屈である。

ところが、マッハ3の飛行機に乗っていようと、地上で光を観察していようと、光の速度299,792km/sは不変なのである。これは一体どういうわけか?

この問題を解決した特殊相対性理論について、もう少し深く見てみよう。
小学校の算数が教えるところでは、物体の速さとは
 移動距離/所要時間
で求められる。地上で光を見ている人にとっても、マッハ3の飛行機から光を見ている人にとっても、光速が同じように見えるということ...それはつまり、地上の観察者と飛行機からの観察者とでは時間の流れ方が異なる可能性があることを意味している。つまり、先ほどの物体の速さの式でいえば、分母になる「所要時間」が異なることになる。
言い換えると、マッハ3の飛行機内の方が地球上の観察者よりも時間がゆっくり流れるならば、光の速度が双方同じになる理由も説明できることになる。
時間は誰にとっても同じではない。絶対時間などというものはないということを証明した、まさに科学史上の大革命である。

この相対性理論が「量子力学」と結びつくことで、さらに不思議なことになっていく。時間は伸び縮みするだけではなく、逆行もできる。タイムトラベルは物理学上では可能なのである。
時間を逆行する粒子は「反粒子」と呼ばれる。あらゆる粒子には反粒子が存在する。たとえば電子の反粒子は「陽電子」で、重さなどの性質が電子と全く同じだが、電荷だけが電子とは逆の「+」になっている。
陽電子は電子と衝突すると、電磁波(光子)を放出して消滅する。これは、電子と光子が衝突して、はじかれた電子が時間を過去へと逆行していったことを示している。
時間を逆行する反粒子の実在は、皮肉にもアインシュタインと対立した量子力学の領域から提出された。物理学者のディラックがこの存在を予言していたが、1932年には実際に陽電子が発見された。


時について3回ほど考えてきたが、実は時間とこんな奇怪な性質を持っている。ここに過去ー現在ー未来とは何かということを考えた哲学理論を加えたいところだが、時についての1回目に話したように、アリストテレス、アウグスティヌス、カント、フッサール、ベルクソン、マクタガード、ライヘンバッハと、私が知りうるだけでこれだけの人々が各々が時間論を持っており、さらに宗教やその時代時代の科学がリンクして混迷を極めている。これは哲学科の時間論を専門とする先生でもない限り説明できないだろう。
いつか明確な説明ができるときが来たら紹介したい。

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高田馬場駅で突然遭遇した大型看板。この四角部分に何か文字を一文字入れてくださいというもの。
さて、あなたならなんと入れます?

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今日は息子、龍之介の2歳の誕生日。去年に続いてケーキを作ってみたけど、ロウソク2本じゃさみしいからブルーベリーで「2」。「2」に見えますか?

龍之介が生まれた当日はとてつもなく暑い日だった。息子が生まれたという報告があったのは、出産後だった。その前日の夜は出産のラッシュだったらしく、息子も夜中というより明け方に近い時間に生まれ、その報告を受けたのが翌朝。電話で会社に休みの連絡を入れ、妻が入院していた病院へと向かった。出産に立ち会うとか、もうそういう次元ではなく完全な事後報告で、なんだか急に力が抜けるようだったことをよく覚えている。
去年の誕生日の写真と比べると...んー、顔は大人っぽくなったかなぁと思うけど、顔と体のバランスとか、その辺はあんまり変わっている気がしない。実際そうで、1歳ころまですごい勢いで大きくなり、ここ1年はさほど大きくなってはいない。だが、歩けるようになったし、2語で完結するような言葉は話せるようになった。大きな進化である。

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誕生会は自宅で、義理の父母を呼んで行った。義理の父母からのプレゼントは、消防車とバスのおもちゃ。ボタンを押すとサイレンがなったりするものだ。今までに救急車、パトカーともらっていたので、緊急車両が3つそろったことになる。バスにも最近は関心が深く、見かけるたびに「バシュ、バシュ」と言っている。バスの便が良いとは言えない蓮田にいるため、まだ本当にバスに乗ったことはない。早速箱から出して遊ぶ。とても満足しているようである。
このくらいの子供のおもちゃにまず求められるのは耐久性である。本当に何をしでかしてくれるか判らないので、とにかく壊れにくいものがいい。初めて救急車を貰った時には「最近のおもちゃといっても、さほど変わりばえしないものだな...」と思ったのだが、息子の扱いがもうめちゃくちゃなので、下手な機能が付いているよりもとにかく丈夫で長持ちしてくれるのがありがたいと実感。BMWもディーラーでミニカーを売っているのだが、\5,000近くする。かなり凝った作りのものなのだが、こんなものでは1日で息子に壊されてしまうところだ。

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私たち夫婦があげたのは、アンパンマンの抱き枕。息子はアンパンマンのストーリーどころか他のキャラすら知らないのだが、この顔に「ぱんぱん」と言いながら異常なほど反応する。よほど子供の心をとらえるような造形らしい。いつも寝る時間が遅くなりがち(まぁ、私の食事に付き合ったりしているからなんだけど)な息子が少しでも早く寝てくれることを願いつつ。

過ぎ去ってみると、1年というのはあっという間だった。いろんな小さな変化があって、それを妻から聞く。「今日は何をしゃべった」とか、「階段を自分で下りた」とか、いろいろなことがあった。私はそれを週末に息子と接しながら確かめる。だから、妻に比べると息子のことを本当に何も知らない。
私は自営業をしている家に生まれたので、いつでも父と母がいた。何度も仕事に一緒について行ったし、どんな仕事をしているのかも知っていた。だが、サラリーマンとして父をすること(そういう父親がいる環境そのもの)が初めてで、こんなに子供と接する時間が少なくていいものかとよく不安になってくる。

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龍之介とうちの飼い猫の「のん」。この二人は仲がいいのか悪いのか、よくわからない。毛を引っ張られたりしっぽをつかまれたりしているにもかかわらず、「にゃ~ん」といってやってくる。
また来年も、何事もなく誕生日が迎えられますように。こんな時代だから、そう思わずにはいられない。

『時間とは何であるか。だれもわたしに問わなければ、わたしは知っている。しかし、誰か問うものに説明しようとすると、私は知らないのである。』

聖アウグスティヌス(Augustinus,354-430)
『告白』11巻より

この疑問は今も解決されず、続いている。
人間が時間を認識し始める起源を遡ると、農耕社会が成立した時代に辿り着く。「エジプトはナイルの賜物」という。世界最古の古代文明はナイル川が存在しなければ発祥はなかった。この世界一の大河はほぼ1年周期で規則正しく氾濫し、上流から押し流された肥沃な土は、農作物の栽培を助けた。それと連携するように土木技術や天文学が発展し「時を計る」技術も進歩した。

キリスト教の圧倒的な影響下にあった西洋中世では、「時間は神のもの」であり、時刻を告げる教会の鐘は教会の持つ特権だった。
時計の登場はこうした関係を突き崩していった。人々は時計を手に入れることで、教会の専有物だった「時間」を奪い取っていった。時計の獲得はまさに自由の獲得であり、「時間」とは優れて歴史的な概念といえる。

生物はたとえ暗闇の中でも24時間をかなり正確に把握できるらしい。これを実現しているのは脳の一番奥にある「視交叉上核」という細胞による働きで、いわば生物時計といえよう。しかし、24時間を知る正確さに比べると、1分や1時間という単位で時間を計ることは困難なのである。人間がどのようにして時間を把握しているか、まだまだ未知の部分は多いようだ。
ところで、時計を使わずに1分間を計ろうとすると、子供は短めにカウントし、高齢者は長めにカウントするという。歳を取るに連れて時間間隔は短くなるような気がしているのだが、それとは反比例する実験結果だ。どうしてこのような結果になるのだろうか?


あらゆる生物の中で「時間」という概念を持ち、「時間認識」を明らかにしているのはおそらく人間だけであろう。
そして全ての生物には寿命がある。セミは飛べるようになってすぐ死んでしまい、亀は数百年生きる。人間の時間認識で見ればそのような長短が感じられるが、これを人間の時間認識で判断するというのは不適切で、彼らには彼らなりの生物時計で測ると、それは意外と同じくらいのものなのかもしれない。

家の飼い猫を見ながら、そんなことを思った。

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今日、8月15日は終戦の日。終戦が1945年からだから、ちょうど63年目にあたる。

私の職場は九段下にあり、今日は手術後の経過を見せる予定になっていたので、九段坂病院へ向かう。職場から九段坂病院へ向かう途中に靖国神社がある。
表面の手術痕は特に問題なかったものの、皮膚の下を縫ったところの治りがいまいちで、今日は抜糸せずに来週の月曜か水曜に行うこととなった。

昨年もこの終戦の日にやってきた靖国神社
その成り立ちからすると、私個人からはここを参拝することに実は抵抗がある。そもそも靖国神社は戊辰戦争での朝廷方戦死者慰霊のためにつくられた「東京招魂社」が前身となる。私の祖母の家は会津藩の馬術指南役。もちろん戊辰戦争にも参戦し、ぼこぼこに敗れて死んでいる。会津の人々のこの恨みというか執念というものはいまだに微妙に存在しており「嫁は外国人でも構わないが、萩と薩摩だけは絶対に駄目だ」とまで祖母に言われたことがある。
しかし、今の靖国神社の役割はそうした点から離れてきている。合祀対象は大東亜戦争における軍属、準軍属が圧倒的であり、この戦争における戦没者のためと言ってしまっても差支えはないだろう。
私の親戚にも出兵した者たちがたくさんいる。祖父も行っているし、その兄弟3人も各戦地へ行ったがいろいろと戻ってくるには手間がかかったものの、命を落とさずに皆帰ってきた。先日遊びに行った、横浜のおじも少尉待遇で出兵している。もう数少ない、戦争というものを本当に経験してきた貴重な日本人である。いろいろな逸話を聞いている。

今日の東京も異様といえるほどの暑さである。汗が噴き出してくるので、ハンカチで拭いながら歩く。病院での診察が終わった後、会社にはすぐに戻らずに靖国神社へと向かった。去年もすさまじい暑さであったが、今年も去年と同じく全くその通り。玉音放送があった1945年はどのような天候だったのだろう?今日のように暑かったのだろうか?

さて、去年と同様、今年も街宣車を並べる右翼活動家の皆さん、署名活動をする人々がたくさん田安門周辺には集まっていた。現職閣僚の多くが参拝を見合わせたことに対する反発、北京で行われているオリンピックの反対声明、拉致被害者の救出を願う人々。そして、その暴動を抑制するがために集められた警察官たち。九段周辺はものすごい警備がひかれた。特に機動隊の人々は、この暑さにあの重装備。大変気の毒であるが、それが職務なので全うしていただきたい。

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神社に入り、神門をくぐる前に大手水舎で手と口を清める。そして、神門くぐると、まばゆい光とともに拝殿が眼前に広がる。

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去年は玉串料を払い本殿に昇殿したのだが、仕事の合間に来ているということもあり、拝殿前で二礼二拍一礼で祈りを捧げる。何に対してかって?それは過去の教訓を生かし、さらに良い国にしていくために、小さな力ではあるものの社会を住みやすものに変えていきたいという思いを、この国の礎になっていただいた方に誓うためである。
私は宗教というものをあまり信じないし、占いなどは嫌いなほどである。しかし、これは過去の歴史との対話である。死んだ後、人間はどうなるのかは本当に分からない。私は無に還ると言うことにしているが、そもそもその無とは何か?それもよくわからないのである。完全な無であるならば、歴史との対話などは無用な行為である。しかし、私にはまだ無になるということへの完全なる了解がなされていないのである。

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今日の青空なら、天からも地上が見えよう。この世でせせこましく生きている自分は何なんだろうと、汗を吹き出しながら考える。私の気持ちはまたまとまらず空を漂うばかりであるが、国のために無になっていった人々は確実に存在するのだ。今は死や無について考える前に、先人達へ感謝しておこうと思う。


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『私たちはみな人生のある「とき」に生まれてきて、そして、ある「とき」に、去っていく。人とはそんな存在なんです。』

スイス・オメガ社社長
ステファン・ウルクハート(Stephen Urquhart)

すべての営みには「時」がある。その時というものを私が強く意識しだしたのは、もうずいぶんと昔...そう、それは小学校の頃だったろうか?時というものがなぜこれほどまでに感覚的にとらえにくいものなのか、そのことに強く疑問を感じたのがはじまりだった。だから、自分の時計...特にいつでも身につけられる腕時計というものをかなり早くから私は身につけていた。そして、その割には随分と時間にルーズだと周囲からは反感をかっていたのだが。

社会人になるまで、雑貨店で売っていそうな比較的安価な腕時計を身につけていたが、社会人になって初めて貰った少ないボーナスで私は腕時計を購入した。ここではまだしっかりと紹介していない「RADO DIASTAR CITY」というクォーツの時計。10万円には満たなかったように記憶しているが、当時の自分にとってはとても大きな買い物であった。どちらか...というか、どこから見てもラグジュアリー路線のこの時計はベゼルが超硬金属でできており、風防はサファイアガラス。スポーツウォッチのごとく丈夫であった。まともな時計を1本しか持たなかった私はこれをどんな場面でも使った。スーツには似あっただろう。それ以外のOFFの時もずっとこれ。季節もオールシーズン使用。そのため、レザーストラップを3度交換した。RADOは高級ブランドというわけでもなく、純正のストラップでもそんなに値段はしなかった。
私はこの時計1本で20~26歳という6年間を過ごした。洋服は着替えるからその時々でいろいろと変わるが、身につけている時計はずっと一緒。外していたのは寝ているときと風呂に入るときくらい。自分の人生の中で最も濃密で会っただろう6年間を、ずっとこの時計と過ごした。時計自身はずっと機械的に動き時を刻むだけだろう。しかし、これを腕に身に着け、人とともに時間を刻むことにより、人生の証人となる。コレクションが増えた今としてはさほど目新しい感もしないこの時計を身につける機会はかなり少なくなった。だが、この時計は私の6年間の証人なのである。いくら出されてもとても手放す気にはなれない。

時間というこのとらえにくい存在には古くからの歴史があり、また多くの哲人たちが挑んだ大きなテーマである。私はその哲人たちの足もとにも及ばないが、私なりに時間というものを最近、特によく考えている。考えれば考えるほど、この深いテーマの前に頓挫しそうになる。だから今の私には哲学的観点から時について語る資格は残念ながらまだない。だが、歴史や科学的側面からの時についてならば、少々語ることもできよう。後日、二つほど「時について」というテーマで記事を書いてみたいと考えている。

ところで、私は最近ある方とメールをちょくちょくしている。そのある方とは16年前から私は会っていない。彼女は私にとって、初恋の人だ。彼女とのメールの中で「16年間でお互い何が変わったか」といったような話題をふったことがあったが、その返信に私は「昔よりも多くのことが許せるようになったかもしれない」と応えた。
しかし、今思うとこの答えを「時」との関係から考え直すと誤りだったのかもしれないと思う。たとえば悲しみの感情は時とともに癒される...というより、すこしずつ忘れていく。記憶という形では残っているし完全に癒されることなどない。だが少なくとも受け入れられるようにはなってくる。許せるというよりも、受け入れるだけの時間が経過しているだけなのかもしれない。

RADOの時計を手放せない自分は、ひょっとするとそのことを思い出し続けるために手放せないのではないか?そんな気すらしてくるのだ。


次は、時間を掌握するということに対する歴史的意義について、見ていこうと思う。

カントの著書『純粋理性批判』、『実践理論批判』、『判断力批判』などを読んで批判哲学(コペルクニス的転回)を生み出たイマヌエル・カントという人間とは一体どういう人なのか、本当に不思議になってくる。「人間の根本悪」、「道徳的とはどういうことか?」考えさせられるテーマは山のように提示しながら、彼自身はこれら学説とどのように向かっていったのか?私が哲学を離れたカントという人から聞く話は「毎日同じ時間に散歩に出かけるため、周囲のみんなの時計代わりになった」とか、「客人を自宅に招いてよく会食をした」とか、そういう話ばかりである。

まぁ、時間概念の確立に重要な役割をカントは果たしているので、この時計の代わりになったという逸話は自説とリンクしているのかもしれない。カントは人間の認識能力の基礎を追及し続けた哲学者で、時間と空間の主観的形式だけは絶対に不可欠であると考えた。これが「絶対時間」、「絶対空間」と呼ばれる考え方で、こう宣言している
『時間は一切の直感の根底に存する必然的現象である(純粋理性批判より)』
つまり、時間という先験的な直感がなければ、そのそも人間は、世界を認識することさえできないと考えたのである。

少し、細かな話に入りすぎてしまった。
勝手な私の願いなのだが、哲学者というものは実生活であっても狂人的であってほしいと思っている。自らが提唱する学説を実践しながら生きている(大体そういうことを本当にすると狂人になる)ものだと勝手に思っていたのだが、カントは80年も生きているのである。死因は身体衰弱と老人性痴呆。この時代としては大変恵まれている方ではないだろうか?キルケゴールはデンマーク教会の改革を求めた教会闘争最中に道ばたで倒れて、その後死んだ。ニーチェは発狂し、最後は肺炎で死んだ。こういうのが哲学者の理想的な死に方(勝手に言わせてもらってます。すいませんねぇ)だと思うのだが、カントは後に残した影響に対して、その人生があまりに淡々としているように思えてならないのである。

というわけで、カントという「人間」に迫った本が読みたくなった。私はカントの「道徳的とは何か?」という考えに大変感銘を受けて、実はこの生きにくい世の中を何とか生きていこうという気になったのである。そこで、私の書評ではおなじみの中島義道先生の「カントの人間学」を早速手にとってみることにした。すいませんねぇ、また中島先生で。他の人の本も読んでいるのだが、書評を書くという気にまではなかなかなれないのである。

さて、「根本悪」や「道徳的とは」ということに論じていると、きっと今日の記事はすさまじく長くなり、私の精神力が持たなくなってしまうし、読む人も辛くなってきてしまうのでその辺については後日詳しく意見を述べたいと考えているのだが、一気に総論を述べると、そうした哲学的理想と現実的考えをかなり内包した人物であるということが分かってきた。どうも私は「女性との接点が少なく一生独身であった」とか、「清貧に徹した人物であった」とか「小男ながらも思想は崇高で清潔な哲人」といったイメージを勝手に持っていたわけである。しかし、この本を読んで、逆にそのような人間では理想と現実(たとえば、形而上学の基礎付けや道徳法則の演繹を徹底的に行いながら、おむつはなぜ害があるのかを真剣に論じるなど)を非常にリアルに見ていた。またカントは地上の永久平和を論じながらも、永久平和は墓の中だけで実現されるとみなしていた。つまり、表面的な不整合性をものともしないような懐の深さをもつ人物であるということに、この本の中の数々の例を読むにつれて理解していくことができた。(とは言いつつも、持論に対する反論には徹底的に戦ったりと、意外と器量が小さい面もあるなぁと思わされるのが、カントを人間としてみなすうえでは救いである)

この本はどちらかというと「あまりに偉大なるイメージがある(イメージが作られてしまった?)」カントを少々人間臭くあつかい、貶めている感も否めないが、人は神ではなく、そして、その自分の持ちうる状況を最大限に生かし、考え、それを表現していったという現実の方が「人間のする哲学」らしいし、きっと私の心に届く何かもなかったのかもしれない。
惜しむらくは、死の床に際して著書となり得なかったカントの断片的メモ類である。彼に時間があれば、これらはどのような花を咲かせたのだろうか?

カントの著書を読んでない方でも伝記のように楽しめるし、何らかの著作を読んでいれば、そのギャップというか、どういう生活の中から思想が生まれてきたのを考えることができ、より楽しめるのではないかと思う。それほど重い本ではないので、ぜひご一読をお勧めしたい。

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これがこのブログの公開等のWeb、DNS、メールサーバなどを兼ねる、うちのサーバである。
どうということの無い小型デスクトップPCなのだが、上にHDDが4つ並んでいる。これは何かというと...RAIDです。しかもRAID5。Fedora9のソフトウェアRAID機能を使って実現するため、CPUのリソースを使用して実現している。

接続はUSB2.0(さらにCPUのリソースを食っている)。一つあたりのディスク容量が250GBのため、750GB(場所を食っている割には、たいした容量ではない)。もちろん、USB2.0接続だからべらぼうに遅い。読み込みはパラレルで行われるからまだマシだが、書き込みはかなりの遅さだ。このPCはGigabit EtherのNICが入っており、我が家もGigabit環境なのだが、USB2.0がボトルネックになって、NASとしての使い勝手はイマイチ。しかも、アクセスするとゴリゴリと4台のHDD全てにデータの問いあわせが行き、同時にアクセスランプがチカチカするので面白い。

/dev/md0:
Timing buffered disk reads: 112 MB in 3.01 seconds = 37.23 MB/sec

ちなみに、アクセス速度はこんなもん。750GBのストレージも色々なデータを格納しまくっている(主に動画)ために、そろそろ容量がやばくなってきた(整理しろよ、バカ)。

ちなみに、私の部屋は南向きの2F。この季節はとんでもなく熱くなるのですが、HDDが暑さで逝かれてしまいそうです。そうでなくとも、デスクトップPC×1、ノートPC×2が常時起動しているというのに...本当はずっとエアコン掛けていたいくらいだけど、妻に殺されそうなのでそれも出来ないという悲しい状態なのです。早く涼しくなってほしいものです、本当に。

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キリン 世界のキッチンから

1都2府20県の限定発売商品なので、全く知らない方もいらっしゃると思う。
キリンから発売されている清涼飲料水で、通常のジュースよりちと高い(450mlで税込\150)。今回紹介している商品は8/5に新発売されたもので、首都圏の電車の中吊り広告が大量に出た。その広告の印象があまりにもさわやかなので(私ははじめ、カクテルか何かのアルコール飲料の広告かと思った)かなり印象に残り、身の回りで飲んでいる人があまりにも多いので、ちょっと飲んでみたのである。はっきり言って、おいしい。冷えたものを、このくそ暑い中で飲むと、非常にさわやかな気分になる。まさに、清涼飲料水という言葉通りの製品である。
元々は、キューバの「モヒート」という、ミントを使ったカクテル。ミントからにじみ出た香りで暑さを覚ましてくれる。さらに、レモングラスで香りをつけ、グレープフルーツ果汁を加えて炭酸水で割っている。ミントもレモングラスの香りも、グレープフルーツも私がすきなものなので、おいしいと感じるのはいわば当たり前なのかも知れない。

他にもこのシリーズには、「マセドニアグレープ(スペイン)」、「ピール漬けハチミツレモン(イタリア)」、「コンフィィチュール・オ・レ(フランス)」、「カラメル・オ・レ(フランス)」が発売されており、過去には「香ばし麦カフエ・オ・レ(イタリア)」、「とろとろ桃のフルーニュ(ハンガリー)」、「ディアボロ・ジンジャー(フランス)」が発売されていた。季節的なものもあるのかと思うが、このシリーズの製品ライフサイクルはどうも短い。次々と新しい製品を出すことで消費者を飽きさせない、そして毎回消費者の期待を裏切らない(ピール漬けハチミツレモンは未だに好きで飲んでます)製品のクォリティ。見事である。
ちょっと高くても手に届く価格感、その価格感以上のクォリティを感じさせる商品。キリンめ、なかなかやりおるわ!

テレビ東京の放送圏(首都圏、大阪、名古屋)でないと全く分からないネタで恐縮なのだが、テレビ好きの人には比較的有名な話。
テレビ東京はアニメや旅行、時代劇、通信販売、B級映画等のちょっと独特のコンテンツを売りにしている。多極に迎合しないその姿勢には大変共感を感じている私なのだが、まぁ、それよりもすごいのは番組の編成をまず崩さないということがあげられるだろう。

過去にテレビ東京がやってくれたすばらしい実績を少々、紹介しよう。

  • オウム真理教 松本被告に死刑判決が出たとき
    もちろん、一番右下がテレ東
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  • 小泉首相靖国神社参拝
    通販番組ですか?
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  • 那覇空港での飛行機事故
    アニメは止めないテレ東
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  • 姉歯氏証人喚問
    大木凡人...
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  • 宮城県沖地震
    もちろん左下。結構渋い時代劇も再放送します
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といった具合であり、枚挙にいとまがない。

つまり、出来事に一喜一憂されないテレビライフを共にするという点では、テレビ東京は見事に我々を裏切らない。
私はどちらかというと一喜一憂されるタイプなのだが、今回のオリンピック中継ラッシュには全く興味がないもので、このようなスタイルを貫くテレ東に大変助けられている。新聞のテレビ欄をざっと見る。うちでとっている新聞は、大変親切にもオリンピック中継は背景が赤く印刷されている。テレ東の欄を見る上から下までザーッと。赤色無し。エクセレント!

一昨日、金曜日には大変感心させられた。私の好きな時代劇「刺客請負人」が2時間スペシャルで放映されているではないか。で、その裏番組(いや、本来ならば刺客請負人が裏番組というべきなのだろう)は、オリンピックの開会式。これは私のような人間だけではなく、日々の暮らしのリズムを変えられたくないという老人などにもきっと受け入れられることであろう。

このベクトルを崩さず、これからも独自の番組放送に邁進してほしいものである。

ちょっと想像してほしい。

とても広い草原に1本の木が立っている。その木の周りに50mの柵を作り、中に牛を1頭放つ。
そして、その草原の草は2日に1度、すべて食べられる状態に生え変わるのである。

柵の中に入った牛は、喜び勇んで草を1日で食べてしまうことであろう。そうすると、翌日にはまったく草がない状態となり、牛は空腹に耐えなければならない。その翌日、草はすべて生えているので、それを1日で食べてしまい、またその翌日、ひもじい思いをすることだろう。

これが牛ではなく人間だったらどうだろうか?
おそらく3~4日目にその草原の法則に気づき、1日に半分ずつしか草を食べないようにコントロールすることだろう。しかし、本当に自分が満足するまで草を食べつくすことは、一生できないのである。



この記事のタイトルは、イギリスの哲学者(という枠だけでは語れない偉人)「ジョン・スチュアート・ミル」が著書の『功利主義』の第2章で記した言葉であり、厳密には「満足した豚よりも不満足な人間である方が、また満足した愚か者よりも不満足なソクラテスである方がよい」が正しい。「のか?」という疑問は、私がつけたものである。
J・S・ミルがこの言葉から言いたかったことをかなり端折って説明すれば「満足の量ばかりを優先してはならない、人間に必要なのはその満足の質であるということ。」ということであろう。そしてここで人間とソクラテスをあげているというのは、あまり考えもしない普通の人間よりも、哲学的に生きることを選んだソクラテスの方がより質の高い生き方をしており、ほかのことで不満足であっても、その方が精神的な満足感が高いということだろう。

さて、私はこのブログなどで哲学的に生きるというか、人間として様々なことを考え続けることの重要性を結構説いてきたつもりである。しかし最近、本当にそれが人間として生きることの満足感を高めるのかどうかという点において、いささか疑問を持つようになってきた。人間とはたかだか数十年しか生きられない存在である。そして、人間以外の動物を見よ。彼らには瞬間的な幸せや不幸はあるかもしれないが、時間という概念すら持っていないのではないかと私には思わされる。人間らしく牛を書いたが、牛は「草がある」、「草がない」という事実だけをその瞬間に認めているだけで、1日我慢するなどという発想はまずもっていないだろう。

上で挙げた牛の例は、まさに動物としての本能のみで生きるものと、それを自重し、調整しながら生きる者との対比である。どちらが満足な生き方をしているとみなせるだろうか?満足な日も、不満足な日もある牛としての生活か、それとも思いっきり食べることが永遠にできない人間的な生活か?


J・S・ミルの功利主義は、私の挙げた例のようなところで使うのは本質的ではないのだが、どうも最近本当によくわからないのである。

しかし残念な現実に、考え始めたものはその考えを止めることができないのである。そもそも考えない人間が考えるようになることは十分にありうるのだが、これは非可逆な現象なのである。先日の記事で「これからの世の中を生きていくためには、数々の事象に対する複眼的視点と思考が必要だ」と書いたが、これは不満足な生き方をしてしまう人間を生み出す毒電波のような気分になってきた。

そこまでわかりつつも、不満足な生き方しかできな自分の不器用さには、なんとも悲しくなるばかりである。

何の話かというと、日本印刷技術協会が行っているDTPエキスパート認証試験である。今日が申込みの最終日。
この資格はなんとも忌々しいことに、更新試験があるのである。基本、在宅で資料見放題なのだからどうにかなりそうなのだが、正直、DTP業界を離れてかなりの時間が経っている私が合格できるのかどうか、今回はどうも自信がない。悩みに悩んだ挙句、結局また更新することにした。

この試験も、私が合格した時は10回目。半年に一度開催され、今回で30回目とのこと。私も古株になってしまったものである。
受験料は\7,000で、振込手数料が\350。計\7,350の出費の上に、認定証カード用の写真やらなんやら(もうそんなカードいらないのに...)を郵送しなければならない。とにかく、手続きが煩雑なのである。

基本的に、資格試験の代金はすべて会社に出してもらって取得するというのが私のポリシーであった(その方がプレッシャーも大きく、結果的にまともに勉強するので合格率も高い)。しかし、これを今の会社に言ったところで、到底認められる感じはしない。ここ数回はそのポリシーを曲げている。

ここで資格を失効した場合、再度資格を取得するためには(そんなシチュエーションは考えられないのですが)新規受験者と同じ苦労をしなければならない。筆記試験はまだしも、あの提出課題をまたやるのは本当にうんざりである。
しょうがねぇから、また更新。これ、俺が死ぬまで続くのか?

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何度かブログの中に登場しているものの、今までちゃんと紹介することがなかったなぁと思い、今回取り上げてみる。
私が始めて所持した、自動巻きの機械式時計である。金色の部分は無垢ではなくGPであり、これ以外にブレスにGP処理がされているモデルもあるが、あまり質のいい処理でなかったのか、金色が剥げてみすぼらしくなっているモデルを診たことがある。そのモデルじゃなくて良かったと思う。

ざっくり、スペックを紹介する。

  • Cal.ETA 2894-2(25石) 28,800振動/h(8振動/sec)自動巻き
  • パワーリザーブ38時間
  • 直径38mm(竜頭含まず)ステンレススチールケース
  • マット仕上げステンレススチールブレスレット ウェットスーツ用エクステンション機能付き
  • 逆回転防止機能付きベゼル
  • 3時位置にデイト表示
  • サファイアクリスタル風防
  • 200m防水 ねじ込み式竜頭
  • トリチウム夜光塗料付きインデックス

まぁ、見劣りするのはムーブメントであろう。ETA汎用をおそらくポンと置いただけのものであろう(裏ぶた開けたことがないので何とも言えないが)。そのためか、パワーリザーブは、所有する自動巻きの時計の中で最短である。ほぼ常にワインディングマシンの上で待機している。最後にオーバーホールをしたのは2006年4月。オーバーホールしてくれた職人の調整の腕が良かったのか、クロノメーター級の精度を出してくれている(でも、最近は暑いから少し遅れ気味である)。

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4000シリーズが登場したのは1990年のこと。もちろん、LVMH傘下になる前である。私の所有する自動巻き以外にもクォーツモデルがかなり存在した。この後に発売され、一世を風靡したS/elシリーズと比較するとかなり精悍で武骨なデザインに感じられる。
さて、まず驚いていただきたいのはこの時計の価格である。自動巻きながらも定価は\118,000。今のTAGHEUERでは、自動巻きなら最も安価なモデルでも二十数万はするはずである。ETA 2894-2を使用しているとはいえ、今では絶対に不可能な値付けである。

しかし残念なことにあまり売れたモデルではないようで、2000シリーズがAquaRacerとして、S/elがLINKとして現在も発売されているように、後継モデルは存在しなかった。そういうわけで、あまり人々の記憶に残ることもなく、消えていったモデルの一つである。

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実に面白いと思うのは逆回転防止機能付きのベゼルである。通常、企業のロゴマークを分割するようなことはタブーなのだが、このモデルではTAGと書かれた緑色の部分とHEUERと書かれたベゼルの上に乗っている部分が別れて回転するようになっている。

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どう考えてもLVMHはこのような暴挙を許すことはないだろうから、消えてしまった理由もわからないでもない。
ダイバーズなので比較的激しい活動をしそうなOFFの時に使っていることが多いが、上記のTAGとHEUERの部分の緑と赤のインキが取れてしまいそうで、本格的な水中使用は全くしていない。多少水がかかりそうな作業をする時に使うという感じである。

私を機械式時計という深い迷宮へ誘うきっかけとなったモデルである。とにかく丈夫なことは確かなようなので、これからも激しく使い倒してやりたいモデルである。

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暑い池袋駅をフラフラと歩いていたら、いきなり眼前にものすごく大きな高見沢俊彦さんのポスターが。比較するものが写っていないのでちょっとわかりづらいかもしれないが、本当に半端じゃない大きさである。DS用ソフトの広告に高見沢さん。思わず立ち止まってまじまじと見てしまった。

私は中学生の頃、アル中(The ALFEE中毒)であった。本格的にはやっていた時期からすると、相当遅くから好きになった部類になるだろう(アル中は、私より5歳くらい年上の人に多い)。初期のフォークっぽいものは全く興味がなく(そもそもフォーク自体に全く興味が無い)、ロックに方向性が変わってから好きになった。こういう音楽性の方向転換が良く出来たものだと思う。
メンバーは3人とも個性が強く、非常に面白いと思う。ボソッと変なことを言うボーカルの桜井さん、弾けない曲は無いのか?と思えてくる坂崎さん。そして、そのビジュアルで常に度肝を抜かせてくれる高見沢さん(ライブで使っているギターとかすごいし。あんなんで良く弾けると思う)。普通、バンドというとボーカルが一番色濃く出てきそうな気がするのだが、どう見ても高見沢さんの印象が強烈過ぎるバンドである。

ところで、高見沢さんは1954年生まれ。つまり54歳なのである。全く持って信じられない。この人はいつまでも老いないような気がしてならない。

最近は個々人での活躍をテレビで見ることが多いが、これからも3人で音楽活動を続けていってほしい。そして、じじいになってもこの方向性は変えずにがんばっていただきたいと心から思えるバンドである。

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昨日のブログで、最近の列車運行の乱れについて嘆いていたのだが、とにかく、帰れる電車が来たならばなんとしても乗り込もうと私もしてしまう。ぎりぎりのタイミングで乗り込むこともよくあり、体が挟まったことは無いが、かばんが挟まって抜けなくなったような経験は幾度かある。
ぎりぎりで乗車し、さらに何かをはさんでしまうようなトラブルを起こしてしまうと、乗車している客の視線を一斉に浴びてしまう。ちょっとはずかしい。

海に飛び込むような勢いで電車に乗ることは無いので、さすがにこのような格好で挟まれることは無いが(そんなやついねぇよ)、夏と引っ掛けてあり、ちょっと面白い。周囲に居る人の無表情っぷりも相変わらずである。
このシリーズ、好評なのか以前よりも早いペースで新しいものが登場している。次は何であろうか?

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このところ、局地的な大雨が続いている。こういう大雨は落雷を伴うことが多く、それが駅や踏み切り、線路切り替えのポイントなどに直撃すると、電車はあっという間に運休&遅延してしまう。
とかく、湘南新宿ラインは運休しがちである。なぜなら、代替路線があるからである。横須賀線、東海道線、埼京線、山手線、京浜東北線、宇都宮線、高崎線に乗り換えることによって目的地へ何とか辿り着くことが出来る。だが、これら列車は各駅を律儀に止まるため、湘南新宿ラインのような乗車時間では済まなくなる。そして、運休や遅延後のこれら列車の乗車人数は半端ではなく、殺人的な混みっぷりである。グリーン車が存在する線ならばそちらに退避することも一つの手段だが、どこまで乗り続けられるのかわからないグリーン券を購入することにもなんとなく抵抗を覚えるのである。

なぜすぐに湘南新宿ラインはこうした天候の影響を受けるのかといえば、それは最長で言えば小田原→黒磯までという信じられない距離を走っているからである。神奈川、東京、埼玉、茨城、栃木と運行区間が非常に長く、そのうちどこかで問題が発生すれば、運休か遅延となる。

空を見て、暗雲が立ち込めているような日は、とにかく電車がやられてしまう前にさっさと帰るべきである。私も今日は速攻で会社を出て帰宅。地元蓮田に付いた頃、落雷による影響でダイヤが乱れているという連絡を受けた。ぎりぎりセーフだったようだ。


今日は義父の手術の日。義母はその付き添いということで、入院している上尾の総合病院へ行っていたので、車で迎えに行く。手術は予想以上に時間がかかったようだが、無事に済んだようである。よかった。


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我が家の近くに須賀神社という小さな神社がある。ここでは毎年この時期に小規模ながらも夏祭りが開催されている。
各町内会の役員はこのお祭りの手伝いをすることになっており、今年は我が家も人を出さなくてはならなかった。うちの町内の仕事は模擬店でのじゃがバターの調理と販売。私では全く戦力にならないだろうということで、妻に行ってもらった。くそ暑い中、すまんと思いつつ、私は義母の家で息子と遊んでいた。

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息子は朝、唇を怪我して大量出血の上に大泣きしたという。確かに痛々しいが、今はとても元気。彼は私のことを遊び相手と完全に思い込んでいるので、一緒にはなかなかお昼寝などをしてくれない。根気強く数時間付き合い、ようやく眠ってくれる。私は家に帰って、洗濯物の取り込みなどをする。完全に妻と仕事が逆転している。

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16:30頃、町内会のノルマが終わったらしく、私と妻と息子の三人で神社のお祭りを見に行く。家の近くにあるのに、私はここに来るのが初めてである。本当に蓮田のことを全く知らない。

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本当に小さな子どもたちでたくさん。模擬店もいわゆる的屋は全く存在せず、全部町内会で賄っているためか、異様に安い。先ほどの町内会の仕事の報酬として妻が貰った\500券に100円を足し、生ビールを二杯購入する(つまり1杯\300。安すぎ)。ものすごく冷えており、暑い中で飲むには最高だった。

うちの妻はこの蓮田出身。だから、人が集まる所に来ると同級生などによく出会う。ほとんどが子持ちのお父さんやお母さんになっている。蓮田は東京への通勤圏だから、残る人が結構いるのだろう。私の地元、福島でこのような祭りに行ったとしても、同級生に会うような気はどうもしない。

ほどほどに見終わった後、みんななんとなく疲れていたので、家に帰らずに義理の母を交えて外食。このところあまり夕食は食べなかったのだが、かつ重とうどんを実質1人前ずつ食べてしまった。減量計画実現がちょっと遠のいた。

「便利の向こう側にあるもの"我々が得たもの失ったもの」
第2信 staygold→ヒデユキ

かなり、私の理解しにくい主張を的確に解釈いただけて感謝しております。

先日、知人が講演のために京都に行きました。
東京から京都だと、二時間とちょっと。のぞみだともっと早いのでしょうか?
京都で日帰り出張だったそうです。
昔なら、京都ほどの距離ならば最低1泊くらいするのが当たり前だったと思うのですが、
なまじ交通機関が発達したがゆえに、こうしたことが可能になってしまったのですねぇ。
本当に無粋だなぁと思います。
リニアモーターカーなんて開通してほしくないなぁと、その話を聞いて心から思いました。

さて、そろそろ北京でオリンピックが始まりますね。私はこの世界的スポーツの祭典について正直言って全く興味が無いのですが、これを当局の思惑通り粛々と実現するが為に、色々な悪い面が噴出しだしているいます。そこを光に対する「影」と表現し、話を始めさせていただきます。今回のテーマは急速に進歩するネットサービスの話題が中心ですが、Webというバーチャルワールドではなく北京というリアルな都市も「急速に成長していく世界」という意味で、同じような題材に考えられるのではないかと思います。


光の後ろに影がある

「いったい誰のためのオリンピックなんだ!」
北京市に80年間住む老人が、叫んでいた映像が非常に印象に残った。何の番組だったかはわからないが、ドキュメンタリーで見た映像です。市街地整理、景観維持のために追放される人々。彼らが怒るのは当然のことのように思います。
今、北京市はネット上のバーチャルワールドでおきているようなスピードの変化が、リアルな世界でおきています。新しい道路や鉄道が次々に開通し、競技のためのスタジアムや、観客のための宿泊施設がすごい勢いで作られています。
これらの建設には民工と呼ばれる、国内各所からやってきた低賃金で働く人々が携わりました。しかし、彼と彼らのための食物市場は一つの工程が終わるごとに、市外へ追放され、整理されています。また民工として北京で働くためには新たにその資格の申請が必要で、オリンピック終了後に北京で同じような仕事ができる可能性はまさに皆無に近い。事実上みな泣き寝入りに近い状況で追い出されるそうです。皆、今後の生活について不安を抱いています。
国家の威信をかけたオリンピックというイベントは、一体誰のためのものなのでしょう?もともと北京に住む貧民層はその協力だけさせられ、祭典を眺めることすらできず追放されていく。元もとその地に暮らす人々に大いなる影響や犠牲を与えてまでして開催すべきものなのか、私には理解に苦しみます。これ以外にも、テロに対する厳戒態勢などで、オリンピックという光の後ろに確実に存在する影が、中国当局が隠しきれないレベルまでに見え隠れするようになってきています。

amazonにも、その便利なサービスという光の後ろに、時間だけでただひたすら働かされている人間という物流の影がありました。
何かに光が当たるとき、その光に対して影が、その大小の差はあれど、確実に存在すると私は思います。技術革新という点だけではなく、何か明るいところがある時、そこには必ずと言っていいほど影としての面が存在しているという「光だけではなく影も見つめる」複眼的視点や考え方を慎重にしていくことが、私はこれからの世の中を生きていく中では非常に重要だと考えます。
私たちは何かの便利を得るためには、何かを失っている。それは、昨今注目を浴びている環境問題などを例にすれば、いくらでも語れることなのではないかと思います。こういう視点を...そうですねぇ、義務教育を終えたころから、実際に若い人たちに考えさせていっても良い話題だと思います。(前回のStaygoldさんからの返信、「屠殺」を高校程度のレベルならば学校教育の中で見せて、考えさせるという意見には非常に賛成いたします)

今回はいきなりStaygoldさんの質問への回答から始まってしまいますが、私が考える哲学的基盤は「疑い続ける姿勢」といえるでしょう。自分が心地よい、便利である、楽であると感じる何かには、その光の面だけで完結しない影というか、別な面が存在する。そうした多面的・複眼的なとらえ方と、考えることをやめないという姿勢が必要かと考えます。
ただし、これは相当な理想論であることは私も承知しています。多くの人々は自分の生活を守ることに時間を費やさざる得ず、情報ばかりが次々にやってくる。私たちは立ち止まる余裕すらありません。そうすると、やはり絶望的な経験を人類にはもう一度してもらう必要があるのかなぁと、悲観的な考えをせざる得ないのです。


絶望による治安の悪化

今回論じているのはネットをはじめとした技術革新の上で便利なツールを得るという中で、我々は何を失っているかという点ですが、ありきたりな回答で申し訳ないのですが、これはやはり『治安』や『安全』ではないかと思うのです。
テクノロジーの急激な進歩が恐るべき貧富の差を作る要因となってきていること、そしてその貧富の差が治安の悪化を生んでいること。それは昨今のニュースを見ていれば枚挙にいとまがないことではないかと思います。

また中国の例で恐縮なのですが、私は正直に申しますと、中国という国は国内の経済格差や、宗教・民族問題でもう少し早く国家が崩壊するのではないかと本気で考えていました。しかし、一筋縄ではいきませんね。統治する側は力を持って強制的にそれらを封じ込めにかかっている。中国の治安担当者がこう言っていました。
 「下層階級には暴力的な強制力を、上層階級には法をもって対応する」
と。

さすがに民主国家を標榜する日本においてそれは行われていませんが、本来、政府が行うべき『富の再配分』としての納税と社会サービスの機能は「どこも金がない」、「自己責任」などという言葉とともに次第に放棄されつつあります。このまま突き進むと、平和に暮らせる世の中を構築するには、中国的方法をとらざる得なくなるのではないかという危惧感を抱いています。たった数万円のために命を奪われる人々、平等だと教えられてきた結果が全く不平等であることに怒りや悲しみを覚え、周囲に危害を及ぼす人。そんな人が大量に発生しているではありませんか。

そして、私のような新しいサービスを創出しようとしている集団も、おもに富裕層を見ながらサービスの検討をいるのが事実です。その層に対してサービスを提供していかないと、やはり利益が上がりません。昔から『パレートの法則』のような「全体の大部分はその一部が生み出している(世界の80%の資産は20%の人間が所有しているなど)」ことが言われてきましたが、現在ではこのような傾向がさらにすすみ、新しいサービスを提供する側も急速に目がそちらに向いているような気がしてなりません。
そこから漏れた人たちは、半ばどうでもいい...生活にも、食にも、仕事にも、どんどん無視されていく存在になりつつあるように思えて仕方がありません。

実際のところなんとも言えませんが、大規模核を使うような戦争はこれからは起きにくいのではないかと私は考えています。
そうした大規模戦争がなくなった代わりに、テロのような局地的戦闘が続いています。貧しきものが富める者へ行う主張や復讐はこうした形に変わってきています。治安は先進国、発展途上国ともに明らかに悪化しています。こうしたテロをはじめとした危険は富裕層にも当然及ぶ可能性があるわけですから、やはり私はここでも「複眼的視点」を持っていただきたいと思うのですが、そんなことまで考えながら生きている人は本当に少ないと思います。
(先日のウイグルにおけるテロで中国の警察が十数名亡くなったことは気の毒ですが、ウイグルに対していままで行ってきたことを思えば、イスラム圏である彼らがジハードを起こすという気持ちも、非常によくわかります)

この便利の向こう側にあるもの...それは大いなる貧富と絶望。これら双方の戦いが、テロという手段に変わり、さらなる苦しみを生んでいるように見えてしまいます。


人と仕事について

仕事は生きるうえでの必要条件ではあっても、十分条件ではないと考えます。もし人生の重要局面に立たされてその決断を下さなければならなくなったら、その時はきっぱりと切ってしまったほうがいいのです。

そうなんですよね。ああ、わかってくれる人がいてよかった。
だから仕事のことで精神を患ったり、自殺したりするというのは、本当に本末転倒なのです。

人が生きる目的は仕事をするためではありません。それが何かは、具体的にこたえられませんが。
(会社の経営者なんかだと、生きる目的が仕事という人もいるのかもしれませんが)
生きるための「手段」と考えたほうが、肩の荷が下りるのではないかと考えています。

Staygoldさんには、人がする仕事がする仕事における重要な成果として「収穫」を挙げていただきました。
ちょっとこの点とは話が違うのですが、日本は食料自給率が先進国の中でも著しく低いわけですから、ちょっと法律を改正して、株式会社が農業に参画することにより、地方における雇用も活性化するのではないかと考えています。すごくビジネスチャンスもあると思うんですがねぇ...


恨まれるテクノロジー

お父様の写真製版の話、写真製版を無くす方向に動いて仕事をしてきた私には、何とも耳の痛い話です。私がその印刷会社に入った初めの年には、工場では製版フィルムとマスクを使いながら紫外線露光し、印刷物のフィルムを作っている職人さんたちが何人も居ました。しかし、その会社を退職する事となった4年後には、そのフロアは完全にMacばかりになってしまってました。

コンピューターを使った仕事が恐ろしいなぁと思うのは、技術習得に必要な時間が、手作業などでして来た頃と比較して、圧倒的に短いことです。例えば、しっかりとした機械図面を起こす技術を習得するには大変多くの時間を必要としましたが、今はCADソフトの進歩により、手作業の1/3~1/5程度の時間で、それなりに見栄えがするものを作成することが出来ます(まぁ、それでも昔からやっていた人に言わせるとまだまだ、色々なところが抜けているらしいのですが)。こんな具合なので、一般的に職人的な仕事を一途にしてきた人には、ずいぶんと恨まれたものです。やはり年齢と共に賃金は上がるものですし、若くて人件費が安い人間にさせたほうが会社としても利益が上がる。辛いところです。

例えば、医療の分野での技術革新は人間の寿命を延ばすことに大きく貢献してきました。それで多くの人が数年でも長く幸せを享受することができたのなら人を幸せにしたといえるでしょう。しかし、いたずらに寿命が延びたためにかえって本人は無為な時間を送り、あるいは介護でその家族が苦しむようならそれはどうなのでしょうか?

私は生に対する渇望が人より希薄なためか、本当にいい迷惑だと思っています。
放置しておいたら死んでしまうような病気にかかったなら、そのまま死んでしまってもいいと思っているのですが。
こういう技術進歩があるならば、尊厳死というか、死ぬことを選択する自由というものもほしいなぁと思っています。日本はまだそれを認めていないようですが、これは医療の進歩と併せて法律も同時に検討すべき重要な事項だと考えています。

また、ITの分野における技術革新は利便性をもたらす一方で、人間から「思考」というとても重要な作業を奪う傾向にあります。具体例を挙げれば、インターネットやPCが情報整理を円滑にし余暇を生み出し生活の効率化をもたらすどころか、人間から睡眠時間を奪っているという事実。それで人間が「白痴」のような状態にでもなってしまうのであれば、それもどうなのでしょうか?

いやー、本当に脳が退化していますね。
私の場合、思考能力よりも記憶能力に多大な影響を与えているようで、数日前にした自分の仕事のことを覚えていなかったりします。仕事自体が平坦な時など、その苦労などもさほど記憶に残らず、あっという間に忘却のかなたです。
また、簡単に色々な処理が出来るようになったので、単純に仕事量も増えましたね。仕事量が変わらず、パソコンなどが使えるならば理想的なんですがねぇ。私は仕事で使用するパソコンの処理速度が向上するたびに「クロック周波数に比例して、仕事も増えるんじゃないだろうな?」と冗談交じりにいつも言ってしまいます。
冒頭の京都の話ではありませんが、情報機器が発展することで出来るようになるからといって、仕事量が増えるのは本当に嫌だなぁと思います。でも、自分だけがその仕事量を維持することは出来ないんですね。全世界でパソコンの処理能力の向上が起きているわけですから。


この流れは止まらないのか?再考

「核」の例は実によい例であったと思います。Staygoldさんが取り上げないのならば、私から書こうと思っていたところです。
あの当時の物理学の大結晶ですからね。
なぜ「核」があのような使われ方をするに至ったかと問われれば、やはりあの時のアメリカにとって最も重要なことが終戦後のミリタリーバランスにおいてソ連に対し優位に立つことであったからとしか言いようがありません。単純に、ミリタリーバランスで優位な局面に立つという目的以上に、敵国民(日本人)の命は重要ではなかったと私は考えています。人間というものはやはりそうした非常に残酷な面を持つ生き物であるとしか言えませんし、私が当時のアメリカ大統領であっても同じ決断をするような気がします。私にとって、人というのは時としてそうした判断をもいと簡単にする存在という認識なのです。

そして、この弱者を省みないテクノロジーの進歩も、相当なる被害を被ることにより何か人が気づくか、それか人類が滅びるまで続くのではないかと思います。それによって実生活で困る人は真剣にこのテクノロジーの進歩による影の面をとらえるでしょう。しかし、それを便利に利用する層に、複眼的な視点で考え続けよというのは、かなり難しいのではないかと思います。愚かなる歴史は、残念ながら繰り返され、苦しむ人間が大量に発生し、治安の悪いすみにくい世の中になっていくのではないか考えています。
(この点「人間はそんなに愚かではない」というような反論があったら、ぜひともいただきたいと考えています。私は結構絶望しているので、明るい意見をいただけると救われるのですが)。

格差が残酷なのは、そのスパイラルに入ってしまうと、そこから中々脱出することが出来ないことにあります。短期的に見れば、一度の失敗することから経済的に再起することが非常に難しい世の中になっていますし、長期的に見れば収入格差が学歴などに現れることとなり、次の世代にもまたそうした重荷は受け継がれていきます。先ほども申しましたが、国にこれを改善する社会保障を期待することも難しい状況ですしね。

ちょっと話がずれてしまいましたね。
私は仕事をはじめて10年以上、こうした新しいサービスを創出する仕事についてきましたが、正直、もう飽きてきました。ですが、私が明日食べるパンを得るための手段はこのようなものしかなく、かなり仕方がなくやっているという現実があります。
(といいつつ、ものすごい夢中になっていること...つまり、単眼的視点しか持たずに、猛烈に仕事をしていることがあることも事実なのですが...矛盾してますねぇ)

でも、本心からすると、洛陽で仙人を待つ杜子春のような気持ちになっていることも事実です。私は本当に生活力のない人間なので、杜子春のような生活ができないかもしれませんが。
例えば、せかされて仕事をすることが無い、人間国宝級の技術を持つ職人というのは、戦わずに済む人がうらやましい。戦いたくないのに戦っている自分には、ものすごく魅力的に感じます。

さて、こんな具合に私は人類とはまた学習もせずに技術的に行き着くところまでいってしまい、多くの被害をこうむるしかないのではないかと思っています。それをやめるなら、金銭欲や権力をかなりに放棄し、隠遁しながら自給自足でもするしかないと思っているのです。
(実際に、私にはそれに近いことを実践している叔父が居ます。)


ご意見をいただきたい

さて、先ほども書きましたが、私にはどうにも明るい未来が描けません。
人を高みから見て「愚かだから不可能だ」といっている傲慢な姿に見えるかもしれませんが、正直言えばそのとおりなのです。
できればそのような思いは打ち砕いてほしいと思っています。
私ひとりがもつ権利とほかの成人がもつ権利は同じ。私ひとりが政治や経済に与えられる影響はたかが知れています。

私が考える「影も見て、そこそこ自重した発展を望みたい」という思い事態を否定する意見も結構。
もし同調いただけるならば、これをどう浸透させていくべきかという意見をぜひ伺いたいです。
まったく違う未来を考えられているというのであれば、それも是非ともご意見いただきたいと思っています。

また難儀なお願いをしてすいませんが、ご意見をお聞かせください。

今年もこの時期に、私が社会人になって初めて属した会社の同期が集まる機会があった。その会社の新技術の内覧会があるため、多くの地方配属者が東京へ出張でやってくるのである。
しかし、去年ほどの人数は残念なことに揃わなかった。先週一緒に飲んだO君と私を含む男性4名と女性1名。女性はMさんというのだが、もう名前を変えて「三十路男がMさんを囲む会」とでもしようかという話もあるくらい、なかなか濃いメンバーである。
参加者のうち自分も含む3名が池袋駅ユーザーということで、今回の蚤の場所は池袋。しかもあの(アジア的)異国情緒あふれる北口である。私も西口、北口はあまり詳しくないのだが、なんとなく北口にしてみたくなったのだ。それ以上の理由はない。

宴会開始は19:00~。しかし、例によって時間どおりは宴会は始らず。店に来ていたのはO君のみ。店にも「すいません、だらだらと人が揃うと思いますので。」と事前に伝えておいたので、まぁ、特に問題なし。二人なのに料理をガンガン頼む。その日だけのスペシャルメニューだった牛たたきは驚くほど新鮮で全く臭みがなくおいしく、刺身も(量は少々少なかったが)実に新鮮であった。
しばらく彼とは仙台の話をする。私は仙台の学校に行っていたし、彼の今の職場は仙台だ。
今はどうなのか分からないが、仙台は非常にこじんまりとしたJazzバーが多い街だった。学生時代に何軒か開拓したことがあったが、そこの専属なのか分からないが、いつも同じようにJazzを奏でるバンドがいたことを思い出す。前回、彼と仙台で飲んだ時にはそういった店にはいなかったのだが、まだ店は残っているのだろうか?ちょっと気になる。
9月には定禅寺通りでそうした店などでも演奏しているJazzバンドが集まった『定禅寺ストリートJazzフェスティバル』というイベントが開催されるらしい。是非とも行きたいものである。ただ、一言でJazzといっても色々なジャンルがあるし(私はsmoothとか、フュージョン、反対にハードバップなんかが好きなのだが、あまりにアレンジされたものは好みではない)、これだけのバンドが出ていれば自分が好きなタイプのバンドにも出会えることだろう。もっと後に夏休みを取得するべきだったかと、少々後悔した。

全員メンバーがそろったのは、21:00近くになってからだったろうか?みんな仕事が忙しいらしい。みんなの様子を見ていると、一番気楽そうにしているのはどう見ても私である。
2年ぶりの再開になるKさんは、奥さんが第二子の出産のために実家に帰っているという。そのこととはたぶん関係ないと思うのだが、もともとやせ気味だったKさんはさらに痩せていた。私も痩せる努力は多少している(つもり)なのだが、私のようなレベルではない。まったくうらやましい限りである。

23:30頃に店を出て、次は...もちろん、残業である(残業の説明についてはこちら)。Kさんは翌日義理の母上を迎えに行くという重要な任務を帯びているらしく、残業には参加できなかった。実に残念である。
今回はいつもの残業メンバーIさん、Oくんに加え、Mさんも参加。Mさんは半年ぶりのカラオケだと言っていたが、1年ぶりの私に比べれば相当ましである。しかももともと歌がうまかったMさん。私の凋落ぶりに比べれば、かなりうまく今でも歌ってくれることだろう。
カラオケ屋に入るが、30分以上飲み物を決めたり、デザートを決めたりしながら話をし続け、なかなか曲が入らない。いつものパターンである。Mさんが先頭を切って新曲ラッシュに入るが、私はその流れにはついていけず。よくテレビCMやドラマの主題歌になるような曲が歌われるのだが、NHKばかり見ている上に、部屋に行けばJ-Wave漬けの私にはなかなか邦楽新曲は入れられず。というか、曲はラジオで聞いているのだが、アーティストが誰であるとか、曲名がなんであるかがわからないのである。その流れを断ち切るかのごとく、柴田恭兵の「横浜Day Brake」などをいきなり入れてみたりする。案の定、そこそこ高音になると苦しくなってくる。本当に喉というものは使わないと退化するものだと実感。
しばらく歌い続け、中盤ごろになると夏曲メドレーやラテン系メドレーといったメドレー責め開始。だれが歌うとは特に決めず、曲を知っている人間がマイクをとって歌うというパターン。しかし、やはり人によって曲の得手、不得手があり、ビジュアル系に比較的強かった残業メンバーI君がここにいないことが大変悔やまれる。
結局5時過ぎまで、約6時間近く歌い続けるが、どうも私はまだ体力が有り余っているらしく(おかしい。)まだまだ歌えるなぁという感じ。そう、今回もやはりメジャーな曲が多く、ディープな世界にはそれほど入り込まなかったことがこのやり足りない感の原因かもしれない。徹底的に疲れるまで歌うには、二週に一度程度のペースの残業がやはり必要になってくるわけだが、そんなこと今はできるはずもない。ああ、20代前半の頃が猛烈に懐かしく思い出される。

5:00になると始発が走り出す。私たちはその始発に乗り、家路へ着くのでありました。O君は私の家に宿泊(といっても、もう朝だけど)。家に着いたのは6:30ころ。妻と息子は庭に出て、ミニトマトをつまんで食べていた。健康的な早起き親子と徹夜帰りのやさぐれ男二人。まったくもって対照的であるが、このやられっぷりこそ残業なのである。
『残業 2009夏』になる前に、せめてどこかでもう一度くらいやりたいものですね、また残業を。

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定期的に歯のケアをされている方がいます。そのような方々は受診前に歯に関する情報サイトで、知識を吸収しているようです。歯医者さんで、インプラント・矯正歯科・入れ歯などの受診に役立ててください。

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