2008年9月アーカイブ


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私の自宅から上尾方面へ車で向かう途中、伊奈町というところを通過する。伊奈町は学校や病院が多くあり、比較的自然が残されている。そんな中に乗馬クラブがあり、私はよくその横を車で通過していた。

私ははっきり言って運動音痴である。特に球技がてんでダメで、学生時代には体育の授業で随分と嫌な思いをした。正直、体育がある日は学校に行きたくないと思うほどで、私が高専に推薦入学できなかったのは体育の成績があったからといっても過言ではない。
そんな私でもやってみたいと思うスポーツが(限りなく数少ないが)ある。それが乗馬だ。
私の実家は福島県福島市。今の実家に引っ越す前は福島競馬場の目と鼻の先ともいえる場所に住んでいた。競馬場は私が子供だった頃の遊び場であった。夏ともなれば本物の馬がコースを駆ける様子を見ることが出来たし、馬と触れ合うようなイベントを競馬場が主催したこともあった。馬は子供の頃から比較的身近な動物だった。
そして今、何の因果か父も母も競馬場で働いている。昔随分と寄付(笑)したお金を、JRAから取り戻しているような感じがしてしまうが。

乗馬がしたいといっても、私は本格的に馬に乗った経験は皆無である。しかし、根拠が無い漠然とした憧れがあるのは確かだ。上尾へ向かう道路を走るたび、私は妻に「いつかはやってみたいものだなぁ」とよく漏らしていた。私は走るもの全般に乗ることが好きであり、それが馬というなんとなく優雅な対象であったため、さらに魅せられたという点も少なくは無い。

先日、妻がその乗馬クラブの体験乗馬チケットを入手してきてくれた。今日がその体験乗馬の日。時間の都合上、体験できるのは私一人となってしまった(余裕があったら妻も乗る予定だったのだが)。初めて、乗馬クラブへと乗り込む。決して交通事情が良いとはいえない伊奈町での交通手段は自動車がメイン。バスも比較的走っている。しかし、ちょうど宇都宮線と高崎線の間辺りにあり、ニューシャトルという鉄道がそこを補完している。しかし、ニューシャトルの駅からも少々離れている。乗馬クラブの駐車場にはメルツェデスのC、EクラスややBMWの3シリーズが多いが、埼玉県は元々これらの車が多い地区。これでJAGARやS、7シリーズなんかが並んでいたら「うっ!」と来るところだが、ここの乗馬クラブへの入会は私が想像しているほど高価なわけではないのかもしれない。

受付を済ませ、1日有効の保険に加入し、案内されながらブーツ、帽子、ボディプロテクターを着用する。息子と妻は持参したにんじんを馬に食べさせて、喜んでいる。息子はベロ~ンと馬に手を舐められていた。それでも喜んでいる様子。動物に対して臆することをまだ知らない。

しばらく待つと、乗馬クラブのスタッフIさんが案内に来てくれた。馬場へ向かうと馬が1頭おとなしくしている。今日の体験乗馬のパートナーは『ジャスティス』というサラブレッド。「ジャスティス=正義」の意だが、この「正義」は「まさよし」とも呼べるので、このクラブでは主に「まさよし」と呼ばれているらしい。元が精悍な名前なのになぁ...なんてちょっと思ってしまうが、『ジャスティス』と呼ばれるより『ま~さ』と呼ばれるほうが反応がいい。その様子を見ていると、そう呼ばれるのもまんざらではないのかな?

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鐙の位置を調節し(自慢ですが、足は長いのです、私)早速、騎乗する。左足を鐙にかけ、左手で手綱と鬣、右手で鞍の右端を掴み、一気に鞍を右足で跨ぐ。すると視線はかなりの高さになる。今まで体験の無い視線である。その昔、大名行列で騎乗したままの大名の気持ちがちょっとわかった気がする。この高さには何ともいえない気持ちよさを感じる。常歩(なみあし)で歩き始めると、心地よい横揺れを全身で感じる。肩がメキメキっと音がしそうなほどこっている私の場合、他の人以上に気持ちよさを感じるのかもしれない。手綱を使った馬の停止のさせ方を習い、それにしっかりと反応してくれたときには首を叩いて褒めてあげる。そう、馬は乗り物であると同時に生き物である。車やバイクにはこのような思いを伝える必要はない(あ、たまに車を褒めることはあるけど、俺)。しっかりと意思を受け止めてくれたならば褒める...確かに昔飼っていた犬に対して褒めることはあったが、それはあくまで何か芸が出来たときなどで、本当に自分の為に動物が役立ち、それに対して感謝をするという感覚は初めてのものだ。
次に速歩(はやあし)へ。踵でで馬のおなかをキックし、股関節で挟むように馬を圧迫する。すると次第に速度が上がり、今までの横揺れが縦揺れに変わる。その縦揺れのペースにあわせて腰を動かせればいわゆる「人馬一体」という状況に近づくのだろうが、中々初めてではペースが掴みにくい。ジャスティスも「乗せづらいなぁ」と思っていたかもしれない(苦笑)。この縦揺れも結構気持ちがいいものであり、体全体を使ってバランスをとるこの運動は全身の筋力を要する。乗馬運動による健康器具が存在するのも理にかなった話である。また手綱を使って速度を調節し、停止させて褒める。そんなことを繰り返しているうちに、だんだんと速歩の縦揺れのペースが読めるようになってきた。ああ、なんて楽しいのだろう!そんなことを思い始めた頃、体験乗馬は終了した。

当然、営業も含めた上での体験乗馬なので、クラブ入会の案内をIさんから聞く。入会金、月謝、1鞍(馬に乗った回数をこうカウントするらしい)あたりの費用を聞いていくと、私が想像していた額に比べると相当に安い(いや、スポーツジムなどよりは高いと思います)。これでこのような楽しい時間をすごせるならなぁ...と、妻の許可はまず出ないだろうと思いながらぼんやりしていると、驚くべきことに「やってみたいなら入会してもいいよ」との言葉が。「はっ!」と我に返り「本当に?」と聞き返す。ただし、月謝は自分で払うようにとのこと。それでも入会金が一番ネックだったため、そこがクリアされるならば...と喜び勇んで早速入会することに。ああ、これからすばらしい乗馬生活が...
しかし、いざ乗馬を始めるに当たって最低でも必要となるボディプロテクターや10鞍分のチケット、10日分の保険チケットも同時購入となり(帽子は近いうちに買うにしても、ブーツはしばらくレンタルになりそうだ)意外にも金額が跳ね上がる。思わず妻と目を合わせ「やっぱり初期投資は結構あるものだねぇ」としみじみ思う。まぁ、それでももっと高価だろうと思っていたんだけど。

現実的に乗馬クラブに通えるのは月に2~3回というところである。土曜日は忙しくしているので、日曜日がメインとなろう。
来週日曜は日本バーテンダー協会が主催するティスティングパーティに出席する予定だから、次に乗れるのは10/12かな...という話をIさんとしていたところ、「今日、この後時間があれば、騎乗するに当たっての必要最低限を知ってもらうためのファーストレッスンだけ受けませんか?」とのこと。幸い、時間に余裕があったので、妻と息子を車に乗せていったん帰宅し、再び乗馬クラブへ向かうこととする。

ファーストレッスンのお相手は『フューチャーエンジン』という何だかすごい名前の馬。実際その名前のとおりで、体験乗馬の『ジャスティス』に比べるととにかく反応が鋭い。他にもう一人、女性が一緒にファーストレッスンを受けることになった。
鐙の位置調節の方法、無口頭絡のつけ方・外し方(こういう馬装の類が私は苦手)を習って、馬を馬場へ連れて行く。連れて行く際の手綱の使い方、馬との接し方も習う。歩いているときなど、思わず馬の顔を覗き込みたくなるのだが、そうしたことは厳禁のようである。馬よりも少し先を歩き、馬の位置を気にしつつも、毅然とする必要がある。
馬場に入り、騎乗する。乗り降りに関しては先ほどの体験乗馬で十分に理解。さくっと乗るものの、鐙の位置がどうも短い。Iさんに調整してもらい、常歩で移動を始める。足の圧迫、手綱の操作に対する反応が、やはりこの馬は速い。車で言うならば、遊びがあまり無いスポーツカーのような感じ。レッスンを一緒に受けていた女性の馬はおっとりしており(なんという名前の馬に乗っていたのかは忘れてしまいましたが)、あっという間にその馬の後ろに近づいてしまう。仲が良い馬同士でもない限り、極端な接近は喧嘩の元となり危険なので手綱で速度を調節する。おなかを軽く蹴るだけで速歩になる。アクセルをちょっと踏んだだけでぶっ飛んでいく車のようなものなので、力と回数を加減しつつ...縦揺れのペースも『ジャスティス』とは異なる。どちらかというと、私には『ジャスティス』のペースの方があっているようだ。
しばらく歩いていると突然、一緒にファーストレッスンを受けていた方の馬が少し転びそうになった。その砂の音を聞いて驚き『フューチャーエンジン』は駈歩(かけあし)に。「よっしゃぁ、来たか~」と楽しもうとしたところ、インストラクターの人たちが青くなっている。え?どうしたの?と思ったら、それは完全なトラブルだったらしい。ファーストレッスンで駈歩はありえず、私が落馬すると思ったらしい。手綱で馬を止めると「大丈夫でしたか~?」とIさんが言う。全然大丈夫だったのだけど。「こんなことは滅多に無いのですが...」と謝られるが、全くどうということは無く、むしろ楽しかったのだが。
その後は常歩と速歩の練習をしばらくして、終了。実に楽しいファーストレッスンだった。

ところで、馬の速度を制御するために足の内股方向に力を入れるという動作、これは男性が日常生活の中ではまず行わない動作だと思う。翌日、思いっきり股関節に筋肉痛がやってきた。しかも経験の無いような位置が痛くなる。それ以外にも腹筋や腕などに筋肉痛。全身を使っているということを改めて実感する。しかし、乗っているときは楽しさのあまり、そうした疲れは全く感じることは無く、レッスンが終わって「あ、ちょっと疲れたな」と感じる。
スポーツはそれくらいの気持ちで楽しめればいいもの。ようやく自分にとってのそうしたスポーツが見つけられたような気がする。

乗馬、私の予想を圧倒的に超えて、楽しかったです。


写真はアウシュビッツ駅から800メートルのビルケナウに貨車で到着したユダヤ人たち。アウシュビッツの第二収容所いうべきビルケナウ収容所の中には「ランぺ」(荷役ホーム)お呼ばれる引き込み線の到着ホームがあった。


『夜』は、その恐ろしさで我々を戦慄させ、同時にその美しさで我々を打つ。これは15歳の少年の時にアウシュビッツを体験した著者の最初の自伝小説である。
東方の片田舎の小さな町、ナチスのユダヤ人狩りなど想像もつかぬ平和な町。だが、ある日悲劇が音もなく訪れる。やがて一夜にしてこの世は地獄と化し、少年の中で神が死んだ。格調高い文体と淡々とした語り口によって、人間の悲惨な崇高がみごとに織りなされる。刊行されるや、たちまち世界中に翻訳された比類ないドキュメンタリー小説。アメリカで1966年度ユダヤ人図書賞を受けた。
「この並外れた書物が私の心をとらえて放さなかったのは、すべての結果のうちでも最悪のもの...すなわち、一挙に絶対の悪を発見した子の幼い魂の中で神が死んだ、ということなのである。」(F.モーリヤック)

本書裏表紙より


この日本と言う国に生きる私は、特定の宗教を信仰しているわけではない。これは世界的に見ると比較的珍しいことのようで、人の行動規範や道徳性の基盤は宗教によって支えられているという場合が多数を占めている。となれば、私のような人間の道徳基盤がどこにあるのかと言うことになるが、それは周囲との関係や伝統、歴史というものが構成しているとでも答えるほかはない。実に微妙な状況の中で自分が生きてきたということにあらためて気付かせられる。

本書の主人公エリエゼルは多くのユダヤ人がそうであるように、敬虔なユダヤ教信者であった。彼はビルケナウへ強制移送されたときも、「男は左!女は右!」の一言で母や姉や妹がガス室送りとなり一生の別れとなった時も神を信じ続ける。しかし、我々を創造し、我々を苦難から救ってくれる神はどれだけ祈ろうともこの強制収容所には手をのばしてはくれない。そんな中、エリエゼルの心の中でじわじわと生まれる神への信頼の揺らぎ...それが何よりも私には印象に残った。
エリエゼルは焼却炉にトラック一台分の生きた子供たちが投げ込まれる様子を見たときの様子をこう書き表している。
「私の<信仰>を永久に焼き尽くしてしまったこれらの焔のことを、決して私は忘れないであろう。」

私は深い信仰と言うものを知らない。ただ、それが私が持っている社会を生きるための道徳基盤と置き換えて考えてみると...全てが、生まれてから疑うことのなかった全てが逆行していくような感覚?それは体験のない私には正直、表現いや、想像すらできない。


第一次世界大戦末期のドイツ革命によりドイツ帝国は皇帝カイザーの亡命・退位、崩壊する。後に興るヴァイマール共和国は敗戦からの復興を順調に進めることはできず、世界恐慌がさらなる経済危機をもたらした。そんな中、ヒトラーはヴァイマール憲法を全権委任法をもって事実上崩壊させ、独裁体制を引いた。ヒトラーはアーリア人の優秀さを強調、他民族の排斥を開始しユダヤ人の大量虐殺に至る。それが時系列の歴史である。
私は歴史を後の価値観で裁くことは大いなる過ちであると考えている。その当時の情勢を的確に把握した上で顧みるべきことであろう。顧みるにあたり、こうした「当時を生きた一人の人間の視点」と言うのは非常に重要な資料である。第一次世界大戦という試練の後のドイツも、そしてユダヤ人たちにとっても、私たちの祖先にしても、その時代をどう生きたのか、もっと知るべきことは多くあるように思う。

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よくお菓子屋さんの店頭で見かけていたけれど、手に取ることがなかった食べ物「塩キャラメル」。
私は食べ物の味はある方向にしっかりとしているもの(甘いなら甘い、塩辛いなら塩辛い)が好みで、その中間のような微妙な味が苦手だ。塩とキャラメルという「塩辛い」、「甘い」という二つの方向が見え隠れするこの商品をなんとなく手に取ることをためらっていたのである。
実際、甘いお菓子であってもその製造過程で塩分などが欠かせないものは少なくないのだが...名前に「塩」などと入っていると先入観があって何だか伸びづらいのである。

塩キャラメルを食べずにその味もわからぬまま、妹がお土産として持ってきた塩キャラメル味のケーキを食べることになった。慎重に一口...口へ運ぶと...ああ、おいしい。ものすごくおいしい。

今度、ちゃんとした塩キャラメルを食べてみます。

前回はO氏日帰りだったのであまり語りきれなかったところだったが、今回は休前日。私の自宅に近い大宮で飲むことにした。
酔って電車に乗るというのは実に苦痛なものである。この時間を短くするという意味でも、自宅に近い大宮はありがたい。O氏にはそのままうちに宿泊してもらう予定である。

このところ私は変な酔い方をしてしまう。酔いつぶれる寸前まで何事も無く飲み続け、突然倒れてしまうというパターンである。倒れる兆候が見られないという意味で、非常に危険な酔い方である。これのおかげで巣鴨警察署のお世話になったこともある。意識が正常になったときは自分が本当にどこに居るのかがわからず、ボロボロになって始発で帰ってきた。こんな酔い方をしていると、いつか死ぬんじゃないかという気がする。

妻はどうもこういう感じで酔うのが心配らしく、飲むときに「確実に家まで連れてきてくれる」人が居ることを常々望んでいた。それ以上に、そんなに酔うほど飲まないことを望んでいるのは言うまでもない。
その点、今回は大宮でO氏と一緒。妻的にも安心な飲みである。

1件目は大宮の鳥料理店。このところ食欲が異常なまでに減衰している私はビールばかり飲んでいる。O氏もペースは私ほどでは無いにしても、昔ほどは食べなくなったようである。「30過ぎるとこういうものなのだろうか?」と話をしながら、仕事のことやプライベートのこと...いや、プライベートなことが圧倒的であったが、色々と話をする。
2件目はバーへ。毎度おなじみの『FRESCO』である。ウィスキーの品揃えでは大宮で指折りの店だと思う。特にラフロイグのクォーターカスクが樽ごと置かれているところが非常に魅力的である。全体的に値がはることが難点だが、ここの薄暗い雰囲気、ウィスキーの知識が豊富なバーテンさんとの会話が面白い。集う客もウィスキーに強い方が多く、客同士でも話が弾むところが実に良い。ここで結構酒を飲みながらまたもやお話。
3件目は私の自宅。うちにストックされている酒を飲みながら話をするが、眠気が回ってきてそこそこで休むこととする。

翌日、私はズボンをひざまで下げた状態で目を覚ました。部屋の照明はついたまま。どうやら、ズボンを脱ごうとしている途中で意識を失ってベットに倒れたらしい。起きたときの情けない格好に泣けてきた。自宅でよかった。

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大宮駅の西口にある洋食店。
2ヶ月に一度くらいのペースで行っている。

よく行っていた「Bistro『傳』」に変わる店を...と思い開拓しているのだが、なかなかこのレベルの店にめぐり合うことはできず。
こちらは本当に洋食屋。残念ながら『傳』とは方向性が違うのである。

個人的にはパスタランチがお勧めだが、
(特にホタテのクリームパスタはおいしい。日替わりランチは価格の問題かチキンが多い)
店員が慢性的に足りていないようで、一人が必死になって作って、運んで、レジも打ってという状態。
何かと待たされてしまうところが難点。

もうちょっと店員が増えるといいなぁと思っています。

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子供が出来てから、私の音楽環境は一変してしまった。
自宅1Fのオーディオルームは息子のおもちゃ集積場&遊び場と化した上に、オーディオ機器に通電しておくと息子が色々といじったり、破壊したり(既にビデオは破壊された形跡あり)するために、コンセントから抜かれている。これを再設定するのもまた面倒なのである。
また、大音響で音楽を聴くことも中々出来なくなった。私たちがフリーになる時間とは、子供が寝ている時間である。寝ている時間に大音響でDVDやCDを視聴しようものなら、息子は目を覚ましてしまう。
自室にも割りとマシな音響設備は整っているのだが、さすがに5.1chでは無く、さらに妻と息子の寝室が近いために夜はむやみに音を立てることも出来ない。非常に悲しい事態となっている。

そんな具合で、家に帰ってからあまり音楽を聴くことが少なくなってしまった。もっぱらiPod(私が使用していたのは第4世代の20GBモデル)を使用していたわけだが、もう使用始めてから4年近くが経過し、結構ハードに扱われたiPodはホイールの動きなどが怪しくなってきた。そして、最大の問題はうちの音楽データ用サーバ(LAN内ならどこのパソコンからも音楽が聴けるようになっている)に蓄積されたデータが20GBを越えようとしていることである(家にあるCDの1/3位しかmp3には変換していないんだけど)。いくらで買ったのかは忘れてしまったが、もう十分に元は取るだけ使ったと思う。私はiPodの買い替えを決意した。

iPod Touchなどが何かと市場で話題にされているが、私がiPodに求めるものは音楽再生機能とたくさんの音楽データが格納できることだけである。こういうストイックなユーザーはiPod Classic以外に選択肢は無いといえよう。厚みから判断するなら、80GBモデルが妥当か。
ちょうど先日iPod Classicの6.5世代がプレスリリースされたばかりで、おそらく6世代モデルは安くなっていることだろう...という予測の元、池袋の電気店をさ迷うとうあー!本当に安くなっている。基本的に値引きが薄いiPodなのに\22,000に5%のポイントつき。迷わず即買い。ポイントでケースが買えた(iPod Classic背面の光沢感を維持するため、または万が一の落下の為にiPod Classicにはケースが半ば必需である)

驚いたのは箱の大きさである。第4世代モデルは立方体の形をしたとても大きな箱に入っていたのだが、今は本当に小さな箱に入っているだけで、ソフトウェア等も全てダウンロードで入手することが前提となっている。まぁ、前が過剰梱包だったともいえなくないが、ちょっとばかり寂しい感じがする。
何よりうれしいのは液晶のカラー化。第4世代モデルを使っていると、そのモノクロ液晶を見て「随分物持ちが良いのですね」などといわれたりする。いや、持ちがいいんじゃなくて金が無くて新しいモデルに買い換えられない&買い換える必要性が見つからないからなのである。
入るデータも音楽データ以外に画像、動画が入るが、画像を少々入れただけで動画は何も入っていない。専用フォーマットへの変換が必要であり、フリーソフトなどでそれは実現できるにしてもちょっと面倒である。せっかくの機能だが、音楽再生以外にiPod Classicが使われることは今後もなさそうである。

入るデータ量が増えることによる検索速度の低下を少し懸念していたが、それは全く問題なかった。21GBほど現在はmp3データが入っているが、特にイライラさせられるようなことはない。音があんまり良くないのは変わっていない。こういう環境で聞いていると耳が慣れてしまって多少音が悪くても何とも思わなくなるのだが、たまに家でCDから同じ曲を聴くと気絶しそうになる。やはりいい音なのである。

容量的な問題をクリアしたことで、外での音楽環境の充実が十分に図られた。また4年くらいは使うことだろう。

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観光地にある上のようなパネルをこう呼んでいるのである。

最近、会社に私の苗字と同音の女性が入ってきた(漢字表記は違う)。で、音そのままローマ字にしたメールアドレスは先に入社している私が使っており、彼女には音をローマ字にしたもの+名前の頭文字を追加したアドレスが割り当てられている。しかし、彼女宛のつもりなのに私にメールが届いてしまったということが過去に数回あり、別に見たいというわけではないのだが見ないと内容がわからず間違いだと判断することも出来ないため、とりあえず読んでしまう。覗き見するつもりはないのだが、ちょっと微妙感じである。

今日届いたのは、夏季休暇中のNさんから届いた顔ハメ画像のメール。どうもこの部署の女性達の中で流行っているらしい。ぜひともNさんが顔をはめた状態で写真を送ってきてほしかったのだが...。
間違って私宛に届いたので、とりあえず「間違ってます~、大笑いしました」とNさんに返信。別に悪いことをしたわけでもないのに、Nさんからは猛烈に謝られ、お土産まで買ってきてくれた。Nさん、サンキュー。

母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画を見て笑い転げ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、不条理の認識を極度に追及したカミュの代表作。

本書裏表紙より



人が社会で生きていくためには、自分がある役割を演じることを強要される。その演じる内容は国や地方によって多少の違いはあるにせよ「演じる」という行為そのものはどの社会でも必要とされる。演じることとは自分に対して「嘘をつく」ということに同義だと思う。
この作品の主人公ムルソーはこうした「演じる」ことを拒否した。だから、社会は彼を同じ国の大衆として認めない。彼は大衆から見て「異邦人」なのである。そしてムルソーが「演じる」ことをしない限り、どの社会の大衆から見ても彼はずっと「異邦人」のままであろう。

その反面、彼は自分が好むものに対しては非常に積極的でもある。しかし、深刻な問題に対して「どうでもいい」という態度を崩さない。彼は自分自身というものに無関心なのである。ニーチェ風に言えば、ムルソーは典型的な「受動的ニヒリスト」というところだろうか。
ふとしたことからムルソーは人を殺すことになる。そしてこの国の宗教はキリスト教で、裁判は陪審員制だ。つまりキリスト教的な大衆規範によってムルソーは裁かれることとなる。弁護士はムルソーが有利となるために積極的に働きかけるが、それすらムルソー自身にとっては「どうでもいい」ことなのだ。半ば被告人不在のような状況で検事と弁護士は法廷で戦い、結果彼は死刑となる。斬首刑である。
死刑確定後、ムルソーの元に幾度となく司祭がやってくる。その司祭とのやり取りが私は本書の最大の読みどころであると思う。考えさせられることはたくさんある。

一つ、考えたことを明らかにしたい。それは「社会常識」というものについてである。私は「常識」という言葉を御旗のように掲げて話をされることをとても嫌っている。常識というものが非常に揺るぎやすい存在であるということを認識せず(国家、宗教、文化といった状況が変わればあっという間に変化するものである)、ただ思考を停止してそれを元に話すのは一種の暴力である。
さしあたり私もこの日本で生きていくため、大衆に迎合した存在にすぎない。しかし宗教的、国家的な思想の拘束が少なく、色々なことを(場所次第では)論ずることが出来る日本という国は比較的健全だと思う。ただ、その健全さを活かさないことが多すぎる点が少々もったいないと思う。

あまり邦楽を聴かない私なのだが、ラジオから流れてくるものは無意識のうちに耳にしている。
そういう曲は大概、私の耳~脳をスルーしてしまうものだが、この曲に限っては妙に歌詞が耳に残ってしまった。というか「作詞者は俺か?」と思えるほど、普段ぼんやり考えていることを適切に歌詞にしている。このような歌詞である。



「HANABI」 作詞:桜井和寿

どれくらいの値打ちがあるだろう? 僕が今生きてるこの世界に
すべてが無意味だって思える ちょっと疲れてんのかな
手に入れたものと引き換えにして 切り捨てたいくつもの輝き
いちいち憂いでいれるほど 平和な世の中じゃないし

いったいどんな理想を描いたらいい?
どんな希望を抱き進んだらいい?
答えようのないその問い掛けは 日常に葬られてく

君がいたらなんて言うかな?「暗い」と茶化して笑うのかな?
そのやわらかな笑顔に触れて 僕の憂鬱が吹き飛んだらいいのに

決して捕まえることの出来ない 花火のような光だとしたって
もう一回、もう一回 僕はこの手を伸ばしたい
誰も皆 悲しみを抱いてる だけど素敵な明日を願ってる
臆病風に吹かれて 波風が立った世界を どれだけ愛することができるだろう

考えすぎで言葉に詰まる 自分の不器用さが嫌い
でも妙に器用に立ち振る舞う 自分はそれ以上にキライ
笑っていても泣いて過ごしても 平等に時は流れる
未来が僕らを呼んでいる その声は今君にも聞こえていますか?

「さよなら」が迎えに来ること 最初から分かっていたとしたって
もう一回、もう一回 何度でも君に会いたい
巡り合えたことでこんなに 世界が美しく見えるなんて
想像さえもしていない 単純だって笑うかい?
君に心から「ありがとう」を言うよ

滞らないように 揺れて流れて 透き通ってく 水のような心であれたら

会いたくなった時の分まで 寂しくなった時の分まで
もう一回、もう一回 君を強く焼き付けたい
誰も皆 問題を抱えている だけど素敵な明日を願っている
臆病風に吹かれて 波風が立った世界を どれだけ愛することができるだろう
もう一回、もう一回


同時期にNHKで放映される北京五輪のテーマ曲もリリースしているようだけど、
こっちは「うぁぁあ、うるせぇ、うぜえ!」と思っていたのだけど、
たまにはいい歌詞書くのねぇ...って、前にいい歌詞と感じたのって
「Tomorrow never knows」だから、何年前だって感じもするが(笑)

私はあまりテレビを見ないので知らなかったが、この曲は『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』というドラマの主題歌だったらしい。
最近はドラマの主題歌として世の中に発表した後にCD化されてリリースってパターンが多いようだが、これもその流れでリリースされたらしい。
確かに、十分に認知させて興味を持たせるって意味ではうまい販売戦略だと思う。

まぁ、機会がありましたら聴いてみて下さい。

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かなり熱心に更新されるようになったこの「家でやろう」シリーズ。大体、月に一度のペースで更新されているのだから、東京メトロも中々力を入れているものである。

こうした山岳グッズではないのだが、多くの荷物を持っている人が満員電車に乗り込んできたりすることで大変迷惑を感じることは多々ある。特に目に付くのが大きなスーツケースである。「なんか流行ってんのか?」と思いたくなるほどまでに見かける。これから出張なのか?と思わせられるビジネスマンや旅行に行く雰囲気のある人だけではなく、かなりの人が持っている。満員電車の中だとスーツケースの為に空間が出来てしまい、ちゃんとつり革につかまれない状態で乗っているような場合、そこに倒れこんでしまう危険がある。それと、単純に足にぶつかって痛い。
歩きながらこれを引いているひとも後方には無頓着なようで、たまに足を轢いていってくれることもあり、何だか頭にくるのである。

リュックサックのような「背負う系」バックを背負ったまま乗ってくるのも勘弁いただきたい。大きなものじゃないのならば前面で背負う、大きなものは...持ち込まないでほしい!
電車内に持ち込む荷物の量には節度を持って。出来ればラッシュの時間は避けてほしいと本当に思う。

そういえば妻から「昔、上野駅では行商のために多くの荷物を風呂敷に包んで背負っているおばあさんを良く見かけた」という話を聞いたことがある。同様に大量の荷物を持っていても、現在のような苦情を聞いたことはないという。この「山でやろう」と行商のおばあさん達とはどういう違いがあったのだろうか?

今日からまた出勤である。9日ぶりの出社で本格的に拒絶反応が出てくる。もちろん...休み前にやっていた仕事のことなど見事に忘れている。

今日、うちの妻は息子を歯科検診に連れて行った。場所は近所のスーパーの上にある歯科。子供向けに特化した歯科らしく、子供を喜ばせる工夫が随所に見られるという。その一つが、治療中に見ることが出来るテレビである。液晶ディスプレイが治療台にアームで固定されており、これを見ている間に子供が嫌がる治療を済ませてしまおうということらしい。いつも流されているのはアンパンマンなどのアニメらしいが、今日に限って違ったようである。妻いわく、ドリフ大爆笑のDVDだったらしい。治療を受けている息子的にはあのコントが理解できたとはとても思えないが、息子に付き添っていた妻が爆笑。

その話を聞いての妻との会話。
私「どういうわけでドリフになったんだろう?」
妻「先生が好きだったんだと思う。DVD買ったばっかりで見たかったとか?」
私「でも、親を笑わせてもなぁ?」

今の子供もああいう番組で笑うことができるのだろうか?もう20年前になるコントである。
内容を理解できるようになったら「お父さんはこういうのをみていたんだよ。おもしろい?」と聞いてみたいものである。
ちなみに私が子供の頃、10年前(つまり20+10=30年前)のお笑い番組を見たことがあるが、あまり笑えたものではなかった。
世代を超えて笑いを取れたら、ドリフターズは大したものだなぁと思う。

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