私の自宅から上尾方面へ車で向かう途中、伊奈町というところを通過する。伊奈町は学校や病院が多くあり、比較的自然が残されている。そんな中に乗馬クラブがあり、私はよくその横を車で通過していた。
私ははっきり言って運動音痴である。特に球技がてんでダメで、学生時代には体育の授業で随分と嫌な思いをした。正直、体育がある日は学校に行きたくないと思うほどで、私が高専に推薦入学できなかったのは体育の成績があったからといっても過言ではない。
そんな私でもやってみたいと思うスポーツが(限りなく数少ないが)ある。それが乗馬だ。
私の実家は福島県福島市。今の実家に引っ越す前は福島競馬場の目と鼻の先ともいえる場所に住んでいた。競馬場は私が子供だった頃の遊び場であった。夏ともなれば本物の馬がコースを駆ける様子を見ることが出来たし、馬と触れ合うようなイベントを競馬場が主催したこともあった。馬は子供の頃から比較的身近な動物だった。
そして今、何の因果か父も母も競馬場で働いている。昔随分と寄付(笑)したお金を、JRAから取り戻しているような感じがしてしまうが。
乗馬がしたいといっても、私は本格的に馬に乗った経験は皆無である。しかし、根拠が無い漠然とした憧れがあるのは確かだ。上尾へ向かう道路を走るたび、私は妻に「いつかはやってみたいものだなぁ」とよく漏らしていた。私は走るもの全般に乗ることが好きであり、それが馬というなんとなく優雅な対象であったため、さらに魅せられたという点も少なくは無い。
先日、妻がその乗馬クラブの体験乗馬チケットを入手してきてくれた。今日がその体験乗馬の日。時間の都合上、体験できるのは私一人となってしまった(余裕があったら妻も乗る予定だったのだが)。初めて、乗馬クラブへと乗り込む。決して交通事情が良いとはいえない伊奈町での交通手段は自動車がメイン。バスも比較的走っている。しかし、ちょうど宇都宮線と高崎線の間辺りにあり、ニューシャトルという鉄道がそこを補完している。しかし、ニューシャトルの駅からも少々離れている。乗馬クラブの駐車場にはメルツェデスのC、EクラスややBMWの3シリーズが多いが、埼玉県は元々これらの車が多い地区。これでJAGARやS、7シリーズなんかが並んでいたら「うっ!」と来るところだが、ここの乗馬クラブへの入会は私が想像しているほど高価なわけではないのかもしれない。
受付を済ませ、1日有効の保険に加入し、案内されながらブーツ、帽子、ボディプロテクターを着用する。息子と妻は持参したにんじんを馬に食べさせて、喜んでいる。息子はベロ~ンと馬に手を舐められていた。それでも喜んでいる様子。動物に対して臆することをまだ知らない。
しばらく待つと、乗馬クラブのスタッフIさんが案内に来てくれた。馬場へ向かうと馬が1頭おとなしくしている。今日の体験乗馬のパートナーは『ジャスティス』というサラブレッド。「ジャスティス=正義」の意だが、この「正義」は「まさよし」とも呼べるので、このクラブでは主に「まさよし」と呼ばれているらしい。元が精悍な名前なのになぁ...なんてちょっと思ってしまうが、『ジャスティス』と呼ばれるより『ま~さ』と呼ばれるほうが反応がいい。その様子を見ていると、そう呼ばれるのもまんざらではないのかな?
鐙の位置を調節し(自慢ですが、足は長いのです、私)早速、騎乗する。左足を鐙にかけ、左手で手綱と鬣、右手で鞍の右端を掴み、一気に鞍を右足で跨ぐ。すると視線はかなりの高さになる。今まで体験の無い視線である。その昔、大名行列で騎乗したままの大名の気持ちがちょっとわかった気がする。この高さには何ともいえない気持ちよさを感じる。常歩(なみあし)で歩き始めると、心地よい横揺れを全身で感じる。肩がメキメキっと音がしそうなほどこっている私の場合、他の人以上に気持ちよさを感じるのかもしれない。手綱を使った馬の停止のさせ方を習い、それにしっかりと反応してくれたときには首を叩いて褒めてあげる。そう、馬は乗り物であると同時に生き物である。車やバイクにはこのような思いを伝える必要はない(あ、たまに車を褒めることはあるけど、俺)。しっかりと意思を受け止めてくれたならば褒める...確かに昔飼っていた犬に対して褒めることはあったが、それはあくまで何か芸が出来たときなどで、本当に自分の為に動物が役立ち、それに対して感謝をするという感覚は初めてのものだ。
次に速歩(はやあし)へ。踵でで馬のおなかをキックし、股関節で挟むように馬を圧迫する。すると次第に速度が上がり、今までの横揺れが縦揺れに変わる。その縦揺れのペースにあわせて腰を動かせればいわゆる「人馬一体」という状況に近づくのだろうが、中々初めてではペースが掴みにくい。ジャスティスも「乗せづらいなぁ」と思っていたかもしれない(苦笑)。この縦揺れも結構気持ちがいいものであり、体全体を使ってバランスをとるこの運動は全身の筋力を要する。乗馬運動による健康器具が存在するのも理にかなった話である。また手綱を使って速度を調節し、停止させて褒める。そんなことを繰り返しているうちに、だんだんと速歩の縦揺れのペースが読めるようになってきた。ああ、なんて楽しいのだろう!そんなことを思い始めた頃、体験乗馬は終了した。
当然、営業も含めた上での体験乗馬なので、クラブ入会の案内をIさんから聞く。入会金、月謝、1鞍(馬に乗った回数をこうカウントするらしい)あたりの費用を聞いていくと、私が想像していた額に比べると相当に安い(いや、スポーツジムなどよりは高いと思います)。これでこのような楽しい時間をすごせるならなぁ...と、妻の許可はまず出ないだろうと思いながらぼんやりしていると、驚くべきことに「やってみたいなら入会してもいいよ」との言葉が。「はっ!」と我に返り「本当に?」と聞き返す。ただし、月謝は自分で払うようにとのこと。それでも入会金が一番ネックだったため、そこがクリアされるならば...と喜び勇んで早速入会することに。ああ、これからすばらしい乗馬生活が...
しかし、いざ乗馬を始めるに当たって最低でも必要となるボディプロテクターや10鞍分のチケット、10日分の保険チケットも同時購入となり(帽子は近いうちに買うにしても、ブーツはしばらくレンタルになりそうだ)意外にも金額が跳ね上がる。思わず妻と目を合わせ「やっぱり初期投資は結構あるものだねぇ」としみじみ思う。まぁ、それでももっと高価だろうと思っていたんだけど。
現実的に乗馬クラブに通えるのは月に2~3回というところである。土曜日は忙しくしているので、日曜日がメインとなろう。
来週日曜は日本バーテンダー協会が主催するティスティングパーティに出席する予定だから、次に乗れるのは10/12かな...という話をIさんとしていたところ、「今日、この後時間があれば、騎乗するに当たっての必要最低限を知ってもらうためのファーストレッスンだけ受けませんか?」とのこと。幸い、時間に余裕があったので、妻と息子を車に乗せていったん帰宅し、再び乗馬クラブへ向かうこととする。
ファーストレッスンのお相手は『フューチャーエンジン』という何だかすごい名前の馬。実際その名前のとおりで、体験乗馬の『ジャスティス』に比べるととにかく反応が鋭い。他にもう一人、女性が一緒にファーストレッスンを受けることになった。
鐙の位置調節の方法、無口頭絡のつけ方・外し方(こういう馬装の類が私は苦手)を習って、馬を馬場へ連れて行く。連れて行く際の手綱の使い方、馬との接し方も習う。歩いているときなど、思わず馬の顔を覗き込みたくなるのだが、そうしたことは厳禁のようである。馬よりも少し先を歩き、馬の位置を気にしつつも、毅然とする必要がある。
馬場に入り、騎乗する。乗り降りに関しては先ほどの体験乗馬で十分に理解。さくっと乗るものの、鐙の位置がどうも短い。Iさんに調整してもらい、常歩で移動を始める。足の圧迫、手綱の操作に対する反応が、やはりこの馬は速い。車で言うならば、遊びがあまり無いスポーツカーのような感じ。レッスンを一緒に受けていた女性の馬はおっとりしており(なんという名前の馬に乗っていたのかは忘れてしまいましたが)、あっという間にその馬の後ろに近づいてしまう。仲が良い馬同士でもない限り、極端な接近は喧嘩の元となり危険なので手綱で速度を調節する。おなかを軽く蹴るだけで速歩になる。アクセルをちょっと踏んだだけでぶっ飛んでいく車のようなものなので、力と回数を加減しつつ...縦揺れのペースも『ジャスティス』とは異なる。どちらかというと、私には『ジャスティス』のペースの方があっているようだ。
しばらく歩いていると突然、一緒にファーストレッスンを受けていた方の馬が少し転びそうになった。その砂の音を聞いて驚き『フューチャーエンジン』は駈歩(かけあし)に。「よっしゃぁ、来たか~」と楽しもうとしたところ、インストラクターの人たちが青くなっている。え?どうしたの?と思ったら、それは完全なトラブルだったらしい。ファーストレッスンで駈歩はありえず、私が落馬すると思ったらしい。手綱で馬を止めると「大丈夫でしたか~?」とIさんが言う。全然大丈夫だったのだけど。「こんなことは滅多に無いのですが...」と謝られるが、全くどうということは無く、むしろ楽しかったのだが。
その後は常歩と速歩の練習をしばらくして、終了。実に楽しいファーストレッスンだった。
ところで、馬の速度を制御するために足の内股方向に力を入れるという動作、これは男性が日常生活の中ではまず行わない動作だと思う。翌日、思いっきり股関節に筋肉痛がやってきた。しかも経験の無いような位置が痛くなる。それ以外にも腹筋や腕などに筋肉痛。全身を使っているということを改めて実感する。しかし、乗っているときは楽しさのあまり、そうした疲れは全く感じることは無く、レッスンが終わって「あ、ちょっと疲れたな」と感じる。
スポーツはそれくらいの気持ちで楽しめればいいもの。ようやく自分にとってのそうしたスポーツが見つけられたような気がする。
乗馬、私の予想を圧倒的に超えて、楽しかったです。



