笠井 潔『哲学者の密室』

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開口部を完璧に閉ざされたダッソー家で、厳重に施錠され、監視下にあった部屋で滞在客の死体が発見される。現場に遺されていたナチス親衛隊の短剣と死体の謎を追ううちに三十年前の三重密室殺人事件が浮かび上がる。現象学的本質直感によって密室ばかりか、その背後の「死の哲学」の謎をも解き明かしていく矢吹駆。二十世紀最高のミステリー。

amazon.co.jp 本書紹介文より


良くわからない超人的な日本人青年「矢吹駆」が活躍する推理小説の4作目。ちなみに私は他の作品を全く読んでいません(笑)。そういう関係上なのか、この矢吹駆という人物がどうも好きになれず。常人の理解を超えた推理をして一人納得するようなヒーローが活躍するよりも、読者と同じような視点で迷い、戸惑うようなキャラクターを愛してしまう私向きではなかったのかもしれない。矢吹駆をヒーロー的に扱うためか、他の登場人物による推理があまりに稚拙というか無理やりで何だか苦しくなってきてしまう。

そんな私がこの小説に興味を持ったのは、作品の登場人物の中に「マルティン・ハルバッハ」という人物が居ること。彼の主な著書は「実存と時間」(笑)。もうおわかりでしょう。ハルバッハのモデルは「マルティン・ハイデガー」。ハイデガーの代表的書籍といえば「存在と時間」。そしてこの本の中で「実存」というものに現象学の手法を使って近づいている。ハイデガーによる「存在への問い」は、私の「自己の存在」に対する考え方に非常に影響を与えてくれた。

もちろん、ハルバッハがハイデガーの主張と全く同じなわけではない。それは物語を読み進めるにつれて明らかになっていく。

人間を生存本能の奴隷以上のものたらしめるのは、避けることの出来ない死の可能性を凝視し、その運命を先取りし、あえて宿命に忠実であろうとする実存的な意志である。

第一次大戦の経験がもたらした死の無意味性から、何とか意味ある死を救出しようとして、ハルバッハは死の哲学を考案した。それなのに彼の哲学は、さらに大量な無意味な死に帰結したんだ。

ハルバッハは、死を先駆し意味あるものと見据えよと「死の哲学」を提唱する。この考えが物語全体に横たわっている。私は本書を読んだ後もこのハルバッハの考えには結構肯定的である。英雄的な死、特権的な死。しかしそれを望み叶えても、その知覚を最も望んでいるであろう本人はこの世に存在しない。それでも見極めたい、平凡なまま死にたくはないと夢想する。

画然とした死ではない曖昧な死。人生の意味を残らず、一瞬にして照らし出すような特権的な死ではない、たんに人間を廃棄物に転化するに過ぎないような死。だらしのない、惨めきわまりない死。それを見すえ、その事態を心から承認し、それを肯定できないとしたら、人間は自分を肯定することなんかできはしない。

そして第二次世界大戦。近代兵器による大量殺戮による死。ホロコーストによる大量の死。それらを目の当たりにし、ハルバッハ自身も死の哲学という考えから怯む。結果として本書では特権的な死というものを否定している。
しかし、何をしても空虚であるというニヒリズム漬け状態の私には中々響かない意見だ。人が生きられる時間は実にわずかなものであり、その人が存在したことが明らかになっている期間とて、わずかなものなのだ。私は死を先駆するということを考えると、三島由紀夫のことを思い出さずにはいられない。確かに三島由紀夫なる人物の存在を知る人は、他の名も知れぬ人の存在を知るものよりも多く、その時間も期間も長かろう。だがその長さとて、地球や宇宙という規模の時間の中ではわずかなものである。
それでも特権的な死を私は求めてしまう。平凡な世の中から離れたいと思い、自分の死がどのようにあるべきかを考えてしまう。考えたところで、それが実現できないのだが。

自殺者はその行為によって、最終的な自由に他ならない私の死を得ようとしながら、それに失敗する。死んだのはもはや私ではない。

そう...そうなんだけどね。


訴えかけるものが納得できるかどうかは別として、展開は非常に面白く、30年前の密室殺人との相似性などとても面白く読むことができた。あるときはモガール警視の視点で、あるときはナディアの視点で、そして30年前のヴェルナーの視点で...いろいろな視点から状況は語られる。立場が異なればその言葉も異なる。こうした書かれ方が私はとても好きだ。

この本において一番問題なのは本の厚さかも。4.5cmの厚さがあり、読み終えるまでに相当な時間を要した。持ち運びもわりと大変(笑)。まぁ、それだけの甲斐はあったと思うが。

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