中島 義道『どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?』

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Amazonより中島先生の新刊が出たとのメールが届いたので、amazonでは買わずに(だって送料高いんだもん)会社近くの本屋さんで購入。この面白そうなタイトルにつられて、中身をほとんど見ずに購入した。

で、読み始めて「あれ?どこかで読んだことがあるような...」と思ったら、所持している中島先生の『どうせ死んでしまう... 私は哲学病。』のタイトルと出版社を変えて出したものだった...。同じ本が我が家に二冊...でも、著者が今年書いた後書と解説が追加されている。安かったものだし、まぁいいか。

内容は表題のものだけではなく、中島先生が散文的に書いた短い作品の寄せ集め的なものになっている。個人的には徹底的にこの本の題名となっている内容について言及して欲しかったのだが。

amazonの本書紹介文を引用させてもらおう。

所詮人生は、理不尽で虚しい。いかなる人生を営もうと、その後には「死」が待っている。「どうせ死んでしまう」という絶対的な虚無を前にしながら、なぜ私たちは自ら死んではならないのか?生きることの虚しさを徹底的に見つめ、それをバネにたくましく豊かに生きる道を指南する、刮目の人生論。無気力感に苛まれる時、自分に絶望し苦悩する時の必携本。

今の私にとって、最大の問題といっても差し支えないほどの問題、それがニヒリズム、虚無感である。ある瞬間瞬間、何かに集中しているとき(そういう時間そのものも随分と最近は減ってしまったのだが)を除けば、過去を見直したり将来を思ったりしてもただひたすらむなしいだけに過ぎなく感じられてしまう。あっという間にやってくる死という誰にもかわすことが出来ない現実、そしてその人が存在したという事実すらほんの少しの時間しか残らず、それがどれほどの時間なのか自分で知ることすら出来ないのである。生きているというのはどういうことなのだろう?何のためなのだろう?それに意味を見出すことが出来ないのならば生きることを止めてしまうのも一つの選択肢であると私は思っている。
私のこの思いは、例えば人生の何らかの選択や実行に失敗したときにやってくるだけではなく、日々、笑っても酒を飲んでも何をしていても頭をよぎる。もう一過性の問題ではなく、ずっとこのことを意識しながら生きていかなくてはならないのだと、心の中で思っている。多くの過去の賢人達がこの問題に全力で取り組んだのできた。人間は唯一、自分の存在というものに対して疑うことができる生き物だからだ。ハイデガーは「現存在」や「実存」という言葉でこの認識について超越した意見を述べたが、私は未だにその自分の存在すら揺らぐような思いをすることがある。

今の私は、過去の賢人達と書物というものを通じて対話し、その思いと自分の思いをぶつけ、考えながら生きることを生きがいとしている。他の全ての作業は、振り返ってみてみれば全て「壮大なる暇つぶし」に過ぎない。しかし暇つぶしばかりしているわけにもいかないのだ。
悪い頭を振り絞って、自分なりに「生きる」ということを考えながら生き続けるしかないようである。

中島先生は、自殺した知人の奥さんから「もう、毒をまき散らすような本は書かないでください!」と言われたと書いている。確かに読みようによっては猛毒になるような本である。しかし、今の私には「ああ、同じようなことを考えている人間が結構居るものなのだな」と安心させられる1冊なのである。世の中を渡るためにしてきた自己欺瞞などの許しを得られる気分にすらなってしまう。

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