西部 邁『虚無の構造』

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 人間の頭の半分はおおよそつねにニヒリズムに冒されていると知っておくことが大切であろう。というのも、自意識とは、「自分は何者か」と問う意識のことであり、仮にひとまずその問いに答えが与えられたとしても、その答えの意味をさらに問うというふうに、自意識は進むからである。この問答の過程は、論理的には無限に続きうる。つまり、自意識の歩みには安住できる終着点のようなものはないのであり、そしてその「不安」がすでにニヒリズムの温床なのである。正確にはその不安はイズム、つまり「固定観念」にはまだなってはいない。しかし、論理的には無限に続く「みずからへの問い」に終止符を打ってくれるのは、「みずからの死」のみである。このような人間存在の冷厳な真実から少しでも目を逸らすと、ニヒリズムが待っていたとばかりに自意識を襲う。その意味で人間の精神の玄関にはいつもニヒリズムと言う訪問者がいるということになる。
 そのことにニーチェがあれほど注意を促してくれたにもかかわらず、今世紀の特に後半、普通「ヒューマニズム」とよばれる人間性の礼賛がさかんに行われた。もう少し正確にいえば、それを礼賛する素振りが固定され、そのために、ニヒリズムを人間精神の奥座敷にまでひそかに案内することになってしまったのだ。もとより、それを追い払う力量が私にあるわけはない。しかし、ニヒリズムにたいして、貴殿には玄関先まで退却していただきたいと正面きって申し渡すこと、せめてそれくらいのことをやらなければ、自分の精神が生きながらにして錆びついてしまうのではないかと、自意識のあるものは、不安になるのである。

本書序章「虚無について」より


西部先生の本を読むのはずいぶんと久しぶりである。保守論者として知られる西部先生の本を読んでいると「右な人ですね?」というレッテルをいきなり張られたりするわけだが、彼は保守は保守でも反米保守派としての考えを持っていおり、その点においていわゆる親米保守派と袂を分かっている(右とか左とかそういうデジタルな切り方だけで思想は表現しきれるものではない)。またジェネラリストとして多岐に渡る知識から生み出される、多種多様な書物には少なからず影響を受けつつ生きてきていると思う。

先日のブログにも書いたのだが、私にとっていま最大の課題とはニヒリズムに関する問題である。この問題にぶつかるや否や、もうすべてのものがどうでもよくなってきてしまう。死に向かってこのような世界を生きていく中で、ニヒリズム・虚無感との対決は避けることができない問題である。人の一生は短い。その短い時間の中で私は一体何をするべきなのか?退屈に仕事をこなし、趣味に享楽的に生きる。それだけなのか?
心から人や社会を思い、それを何とかして表現・実現しようとしている人たちが少なからず存在している。彼らとて私とさほど違わない時間しか与えられていないというのに、なぜそのようなことに邁進できるのだろうか?私は西部邁という人にその意見を求めようとした。西部先生ほどに著作を残し、世に言いたい放題してきた人物がこの点について考えたことが無いとはとても思えなかったからである。それがまとめられているのがまさにこの本である。

このニヒリズムとの関連性が少なからずみられるものの一つに、物事の判断基準への曖昧性(本書内では存在に関する曖昧性を「真理相対主義」、当為に関するものを「価値相対主義」と称している)がある。生き続けていくというのは様々な判断の連続であるが、判断の根拠とされる考え方はその判断をする人の立場によって大いに違いがある。そのことを出来る限り理解し、他者の意見と自分の意見の中で判断を下さなければならない。しかし、その考慮・比較という行為を慎重に行っていくと判断のための唯一絶対的基準と言うものが存在しないことに気づく。その中で「もがきつつ」最大限の配慮を持って判断すべき努力を怠ってはならないと私は思うが(私ができるだけ実践しようと日々努力している「一歩引いて見る」というのもその一環である)、真理相対主義者や価値相対主義者は他者を「ニヒル」に切り捨て自己の意見のみを絶対視するという、不感症な態度をとる。そういう人が結果的に世の中を引っ張るような状況にあるのがまさに今であるように思えるが、どこまで「一歩引いて見てみる」ことをするべきなのか、そのバランス感覚(逆に真の自分の言葉を発せられなくなっては元も子もない)の難しさと言うものを日々感じている。その引くことに順応されすぎると、よくわからない世論と言う無責任なものを判断基準としなくてはならなくなってしまう。これは個人の思想を奪う危険なものでもある。

この本にはもっともっと多くの問題提起がされている。ある点においては具体的な解決策を提示しているものもあるが、結論は人の意見に頼るべきではないと私は考える。ただ、そのも提起された問題について考えるきっかけとして、そしてそれを構成する歴史的、社会的な構造を見るうえでは実に有用な本だと思う。
でも、そういうことに悩みたくない人には絶対にお勧めしません。私は本書のおかげで悩みが増えました(笑)


ところで、私は自分の生死についてあまりに明確な答えを返せる人をどうも信用できない。だが、西部先生の死生観というのは実に謙虚でユーモアにあふれている。最後にそれを紹介したい。

私の念じるのは、評論家として、次のように思いつつそして死ぬことだけである。
つまり、この人の世にあるのは言葉だけであり、自分という極微の存在は、過去のあまりにも巨大な言葉の集積のうちほんの局所を受け継ぎ、そしてそれにごく僅少の加工をほどこして、死とともに、それを何処の誰とも知れぬ人に手渡す(素振をする)、私の生死の意味はそのことに尽きると思っている。

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