ETAの2010年問題を間近に控え、さらには高騰しているETAエボーシュの価格も相まってか、ブランドの自社ムーブメント開発がラッシュを迎えている。ここ数年でマニュファクチュール(定義は曖昧だが、一般的には完全自社開発のムーブメントを持つブランドを指すことが多い)化したブランドがいくつかあり、新ムーブメントを搭載したモデルはどれも高価である。「自社開発の新ムーブメントじゃ仕方がないな...」と、その値付けに納得せざる得ないような雰囲気がある。果たしてそれは正しい向きなのだろうか?
数十万以上する高級腕時計を「工業製品」と言い切ってしまうのは難しい。リシュモングループの総帥であったギュンター・ブルムライン(Gunter Blumlein)はIWCのスタッフに「同じ機能なら、価格は安く。同じ値段なら、機能を多く」と、コストパフォーマンスについて論じたことがある。しかしご承知の通り、この定義は一般的な工業製品には当てはまるかも知れないが、高級腕時計には必ずしも当てはまるとは限らない。私のような重症時計好きであると、そのブランドの歴史、蓋を開けないと見ることが出来ない地板の装飾、プッシュボタンの押し心地、針の形状といった細かい点までトータルで考え、価格相応かを検討してしまう。だが、これらの情報は様々なメディアから得られたものであり、当然の如くその情報にも(マーケティング的な意味で)バイアスがかかっている。別に歴史を知らなくても時計は買える。私のように情報に毒されていない人の方が「工業製品」として腕時計を純粋に見ることが出来るだろう。私などより適切なコストパフォーマンスのバランスを持っているかもしれない。
その昔、時計の良し悪しを評価する絶対的基準があった。「精度」である。精度の高い時計を作るために多くのメーカーが自社でムーブメントを開発し、精度の向上を目指した。そこに1969年のクォーツショックがあり、クォーツ時計の低価格化が進んだ。精度は日差レベルから月差レベルで現すのが当たり前となり、機械式時計は一気に衰退した。エル・プリメロのように運良く設計図や型が残ったものもあるが、多くのブランドがクォーツに転向し、転向できなかったブランドがいくつか消えた。
そして1990年代、クォーツは非常に安価になり、高級製品を求める富裕層を中心に機械式時計の復活が望まれた。スイスブランドの幾つかがそれに応えようとしたが、既に機械式時計のノウハウは失われており、ETAのようなエボーシュメーカーに頼らざる得ない状況だった。そしてユーザーの多くも機械式時計のムーブメントのことを気にしてはいなかった。逆にムーブメントのことをアピールしだしのは、クォーツショックを乗り切ったり、自社製ムーブメントのノウハウを失わなかったマニュファクチュールである。希少性を全面に出し、エボーシュを使ったブランドとを差別し、アピールした。ROLEX(一時期クォーツも作っていたけどね)やZENITHあたりがまさにそうであろう。
このような動きから「機械式時計は高価である」、「特にマニュファクチュールのモデルは高級品である」というような意識が時計ファンの中にも生まれ、「ムーブメントに何を採用しているのか?」ということが非常に重要になった。これはもう「工業製品」という範疇ではなく、「芸術品」のレベルである。例えば洗濯機。これは「工業製品」である。色々な機能を持つものがあるが、例えばモーターの種類に興味がある人間がどれほどいるだろうか?洗濯機をあけて、回路を見ながらうっとりするような人がいるだろうか(そうした洗濯機マニアの方がいらっしゃいましたら、すいません)。
少し話がずれてきたので元に戻そう。
私がどうしても解せないのは「ムーブメントの開発費をあからさまに商品の価格に上乗せ」し、「マニュファクチュールの製品だから高い」と言うことだけで容認されてしまう時計の値付けについてである。他の工業製品にそのようなものがあろうか?
ちなみに、機械式全盛期のSEIKOやCITIZENを代表とする国産メーカーはこのようなことをしていないなかったように思う。ものすごい期間と労力を経て開発された「スプリングドライブ」のモデルでも、まだ良心的な価格設定ではないか。
このような状況なので、50万円前後層の腕時計が少なくなっているように思われる。そんな傾向の中でもこの価格帯で気を吐いているマニュファクチュールブランドが存在する。ROLEX、OMEGA、Chopard辺りがその最たるものであると思う。

ROLEXのOYSTER PERPETUAL DATEJUSTやSUBMARINERに搭載されているロングセラーの自動巻きムーブメントCal.3135は、両持ちのフリースプラングテンプを採用。かなり高い精度を誇る。その性能から言えば実に妥当な値付けである。


OMEGAはやはり自社ムーブメントCal.8500が搭載されたSeamaster Aqua Terraだろう。60時間というロングパワーリザーブ、メンテナンス期間延長によるランニングコストの向上、両持ちブリッジ&フリースプラングテンプによる高い精度と、全く問題ない。予算にもよるが、今一番お奨めのモデルである。


Chopardと言えば22Kのマイクロローターを採用したCal.L.U.C 3.96がムーブメントであるL.U.C クラシック マークIIIであろう。実にモダンなデザインで、使用できるシーンもかなり多いのではないだろうか。自動巻きなのに8.5mmという薄さ(マイクロローターならではですね)と65時間のロングパワーリザーブは魅力的だ。
所得の格差が大きくなる中で、時計市場もそれに合わせて両極端化していってうことは、決して所得が高くない時計好き(私のような人...)にとって、なんとも寂しい限りである。ブランドの歴史も重要だが、我々は歴史にお金を払っているわけではない。商品にお金を払っているのである。
マニュファクチュールブランドのモデルを選ぶ際には、ぜひとも同等機能を有する他ブランドと比較をした上で納得した買い物をしていただきたいし、エボーシュを使っているからといって、そのブランドを卑下する必要もないだろう。いずれにしても数十万を越える高い買い物である。しっかり吟味してお気に入りの一本を手にして欲しいと思う。
そして、各ブランドにはブルムラインの言葉を少しは思い返して(IWCは特に!)、工業製品としてのコストパフォーマンスも高めて欲しいと思う。