2009年7月アーカイブ

期間限定で世界中のドリンクを紹介しているKIRINの「世界のキッチンから」シリーズ。
去年の夏は『水出しミント ジュレップソーダ』が発売され、中毒になったかのように飲み続けていた。火照った体をクールダウンさせるには最適な飲み物で、とてもおいしかったことを覚えている。しかし、悲しきかな限定発売。もう飲むことは出来ないのだろう。

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で、今年の夏に発売されたのが『ディアボロ・ジンジャー』。フランスのプロバンス地方が発祥で、パリのカフェでも多く飲まれているらしい。
ジンジャーという名前が入っている通り、これはしょうがを砂糖で煮詰めたものが使用されている。プロバンスでは良くある習慣で、しょうが以外の野菜や果物も砂糖で煮て味わいを深めて飲料などにしている。もちろんこのままでは甘すぎるので、何かで割る必要があるのだが、このディアボロというのが炭酸水割りを意味している。さらにグレープフルーツを加えて飲みやすくしている。

飲んでみると、ジュレップソーダのように体内の熱が一気に引くようである。爽快感は炭酸水からだけではなく、レモングラやヤシナモンも一役かっている。これらはしょうがを煮詰める際に隠し味として入っている。
使用しているしょうがも国産のもの。410mlで\150くらいなのでちょっと高めだが、一度飲んでいただければ、この価格差は了解していただけるものだと思う。今年もこれを飲みながら夏を乗り切ることにしましょう。

すいません。またさそりです(笑)。松島ナミです。

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今回の松島ナミ役は夏樹陽子。梶芽衣子ほどではないにしても、多岐川裕美よりはらしいといえばらしい。
どうでも良いことなのだが、私は夏樹陽子が好きなのである。ザ・ハングマンのタミー役で出演していた頃の映像(恐らく夏樹さんは29歳前後)をみた時、現在でも十分に通じる美しさ、可愛らしさに気絶しそうになった。今ではVシネや、稀にテレビでも見かけるが、美しさは変わらない。56歳とはちょっと思えない

このままでは夏樹陽子ネタになってしまうので、この辺で作品のキャッチ&あらすじを。

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私をハメたのは誰!権力の罠に幸せを奪われた女が復讐の牙を磨くとき...人はそれを"さそり"と呼ぶ!モデル出身の夏樹陽子が華麗に三代目さそりを演じたシリーズ第6弾!監督・小平裕の初演出作品。スピーディなアクションと息をもつかせぬサスペンスが展開する。共演には舘ひろし、地井武男、そして"さそりガールズ"には大野かおり、樋口マキ、乃川りえらが出演している。
今回、松島ナミは、平凡な看護婦だった。ナミの運命を変えたその夜、恋人の西田医師は遅くまで試験管をいじっていた。寄り添うナミに西田は秘密を打ち明ける。西田が勤める病院には政界の黒幕・樺島佐知夫が入院していた。加藤院長が自ら診察に当っていたが、樺島の病状は悪化の一途をたどり、不信を感じた西田が血液検査を行うと、驚くことに院長が故意に彼を死に近づけていることが分かった。西田は告発しようとするが、翌日樺島は急死。西田も廃人にされ(前身の毛が真っ白になるほどの拷問を受ける)、飛び降り自殺として処理された。ナミもまた屈強な男たちにさらわれて電気ショックの拷問を受け、精神病患者の看護人たちに凌辱される。目覚めると、そこは例によって女子刑務所の中だった。同房の女囚たちはナミを苛め抜く。黙って耐えるナミだったが、やがてその両眼はうつろになり、だんだんと黒い炎を燃やし始めた。そして、ナミは復讐の鬼・さそりとなる。
。他の女囚からの私刑の洗礼に、ひたすらじっと耐え続ける。一方、刑務所長・黒岩は、看守主任の梶木を苦々しく思っていた。というのも、女囚の扱いのすべてを梶木に牛耳られていたからだった。この状況を脱すべく、黒岩所長は、新たな看守課長として網走刑務所から田村を呼び、梶木を罠に嵌め、囚人の如く扱った。その見せしめとして、梶木とナミを手錠で繋ぎ、重労働を課した。この仕打ちに逆上し、反抗した梶木は銃弾に倒れ、診療室へと運ばれる。そこで、ナミはメスを盗み取り、梶木と一緒に手錠に繋がれたままジープで脱出する(網走番外地的?田村も網走から来た設定だし。)。追っ手の執拗な追跡に山中を逃げ惑うナミと梶木。崖へと追い詰められ、梶木は転落、そしてナミも消えた。復讐の鬼と化したナミが、喧噪の街角に現われる。黒岩と加藤の命は?

出演は夏樹陽子(松島ナミ)、地井武男(梶木一郎)、大野かおり(吉井清美)、石橋雅史(黒岩徹)、織本順吉(加藤)、南城竜也(西田)、舘ひろし(田村)、関山耕司(村岡)、汐路章(菊山)、絵沢萠子(春江)、荒木祥子(洋子)、樋口マキ(サチエ)、章文栄(緑)、加山麗子(女囚A)、小甲登枝恵(女囚B)、八百原寿子(女囚C)、乃川りえ(女囚D)、園田ひろみ(女囚E)、土山登士幸(清水)、貝ノ瀬一夫(中野)、高月忠(坂口)。1977年作品。小平裕監督。

う~ん、若い頃の舘ひろしはろくでもない役ばかりだなぁ。
夏樹陽子はモデル出身というだけのことはあり、実にスタイルがよくかっこいい。例え女囚の姿であっても綺麗である。
相変わらず『国家権力 VS さそり』という構図や象徴のようなものがチラホラと確認でき、アングラ感は十分感じられる。
二人が手錠に繋がれて取れないという演出は、この後のドラマでよく見かけるようになったが、それが男女だと大体いい関係になったりする。しかしそこはさそり。全く関係はよくならず、梶木はちょっと手を出そうとするたびに殺されかける。っていうか、最後には死んでるし。
さそりシリーズは最後に例の格好で復讐するのだが、今回はコートは黒いものの、その下は白い衣装。スマートな彼女にはよく似合っている。メスで仕置することとあわせて考えると、元ナースであることを意識した演出だろうか。

梶シリーズではないさそりとしては中々の出来だと思う。次点といっていい。次が岡本夏樹かな?

このCMに覚えがあるとするならば、私に近い年齢の方なのかも知れない。1982年のACジャパン(当時は公共広告機構)のCM。
これは長崎県の端島(はしま)と呼ばれる島で、外観が軍艦に似ているために通称「軍艦島」と呼ばれている。

私は廃墟というものが好きで、人が接しないことによる自然の風化は時として芸術的な光景を作り出す。自分で廃墟物件に乗り込むほどではなく(実際、崩落や突起物での傷による破傷風など、危険性を考えると私には行けない)、幾つか廃墟に関する写真集や書籍を眺める程度なのだが、「なぜこの建物が廃墟となったのか?」といういきさつ、そして最盛期であった頃の写真などと見比べていると、栄枯盛衰という言葉の意味を再確認した気分になってくる。

そんな廃墟の中で、麻耶観光ホテル松尾鉱山あたりと肩を並べる有名廃墟がこの軍艦島である。
明治23年、三菱へ譲渡され三菱の私有地となった。この島では良質な強粘炭が大量に採れ、日本の近代化を支えた島といっていい。炭鉱の拡張と共に住民が増え、10階建ての鉄筋コンクリート製の鉱員社宅も存在した(エレベーターは無い...)。大東亜戦争時、鉄筋コンクリート製の建物の建築は全て中止されていたと聞くが、軍艦島の住宅に関しては例外だったようだ。
島内の人工が最も多かった時期は1960年(昭和35年)で5,267人、人口密度は83600人/km2と世界一を誇り、東京の9倍であった。炭鉱、住宅以外に小中学校、店舗、病院、寺院、映画館、理髪店、美容院...が島内にあり、生活に必要なものは島内だけで賄うことが十分出来た。

この島の衰退は、他の炭鉱等同様に主要エネルギーの石炭から石油への移行である。そしてついに、1974年1月15日に閉山し、住民も同年4月20日までには全員退去した。
2001年、三菱マテリアルは軍艦島を長崎市(当時は高島町)に無償譲渡している。

一部の廃墟マニアが上陸し、その映像が写真集、テレビ報道、YouTube、ニコニコ動画などにアップされている。海沿いの建築物で老朽化がかなり進行しており、危険である。2005年に報道関係者の上陸を許可。その後の整備である程度の安全確保がなされたため、2009年4月22日からは観光客が上陸、見学できるようになった。

この軍艦島だが、2008年9月に世界遺産暫定リストに追加記載されることが決まり、2009年1月に記載された(報道映像はこちら)。

世界遺産化に関してはちょっと複雑な気持ちである。確かに行きやすくはなるだろう。だが、廃墟としての退廃的美しさ、そうしたものが失われてしまうのではないだろうか。そして、石見銀山のように、大挙してこの島に人が訪れることに妙な違和感を感じてしまうのである。
といいつつ、行けるようになったらば、私はこの軍艦島には必ず行くだろうが。

私が会社への通勤の際に乗り換えているJR高田馬場駅。
この駅がどういうわけか臭いのである。何臭いかといえば、便所臭い。実際トイレはそんな汚いものではないのだが、駅全体にそのような匂いが充満している。さらに夏場になるとさらにカビと汗が混じったような、匂いも加わる。確かに浮浪者が1名常駐しており(駅の入り口をふさぐようにして寝ており、大変迷惑)、若い学生が多い街ではある。カビっぽいのは下水の匂いなのかもしれない。この駅では、大雨が降ると雨漏りだけではなく、排水溝から水が溢れ出してくる。東京の街中は結構高低差があり、ここは低い位置なのかもしれない。

これが、営団地下鉄の階段を降りると、そうでもなくなる。

駅の大きさに対して人が異様に多く、いつもゴミゴミしている。酒飲んだ大学生が居ると、うるさい。通勤ルートが変わるまではそれほど降りたことの無い駅だったのだが、日々使うにつれてこの駅が明らかに嫌いになっている。

そろそろいい加減にはじめなくてはならない。もう数週間経てば、何時産まれてもおかしくはないという状況である。
第一子の時に使用していたベビーベットやら、洋服やらを出してみる。ちなみに一子の時と同様に、今回も男女の性別は聞いていない。聞いたほうが準備は楽なのだろうが、産まれてきて「男の子ですよ」のように、性別を聞くほうが私はなんとなくうれしいのである。
検診の時、妻はよく医者に
 「あぁ、もう私は性別わかっちゃいましたけどね。言いません。言いませんよ(笑)」
のようなことをよく言われるという。こういうやり取りを聞くと、性別を聞く方の方が圧倒的に多いのだろうか?

経過も順調なようで何よりなのだが、問題なのは私である。私が帰宅後、息子の面倒をほとんど見なくてはならないのだが、果たしてできるのだろうか?まだトイレなどで夜中に何度か起きなくてはならない状況のようなのだが、何だか起こされても起きる自信がないのである。それと、やはり父親と母親の違い。妻に抱かれるようにして寝ている子が、私と一緒に寝るだろうか?馴れるまでの数日は悩まされそうである。
で、何より困るのが起床時間。6時位に息子は起きることがある。その時間、今の私は間違いなく寝ている。
多くの子供が居る女性は「そんなに気にしなくても大丈夫」というが、やはりどうも心配でならないのである。

朝、1階に下りていくとビニールプールが置いてある。空気は入れかけ。隣には暑くて参っている妻が居る。
息子にせがまれたのか、ビニールプールを出したものの空気を入れている途中でつかれきってしまったらしい。確かに、妊婦には酷な作業である。
私は頭が痛かったので、トイレに行ってまた寝ようと思ったのだが、その様子を見て、手伝うことにした。

妻は自転車用の空気入れで膨らまそうとしていたようだが、空気を入れる口が当然合わず「スースー」と、半分くらい空気が漏れている音がする。う~んと思い、ビニールプール用のポンプを足で踏みながら膨らまそうとしたら、腰が痛くなった。結局、どの方法で入れるのが一番良いのかを検討した結果、口で入れるのが一番楽なような気がしてきた(昔は肺活量が結構あったのだが、最近はわからない)。
確実に入るし、膨らんでいく様子が目に見えてわかる。なんとなく達成感があって、一番楽な気がしたのである。
3箇所に空気を入れることで完成するビニールプールなのだが、真ん中だけ空気をいくら入れても膨らまない。なんとなく抜けている音がしていたのでチェックしてみると、穴が開いている。この形状...猫の爪ではないかなぁ。ビニールテープで応急措置をしてプールを造ったものの、半日くらいでその穴から空気漏れしてしまい、あらららら...ショボ~ンとしてしまった。

買い替えですね、これは。買うことはそんなに抵抗無いが、今あるプールを処分するのが少々面倒。冷夏だといわれているけれど、年内に出番はあるのか?

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これ、私の似顔絵だそうです。
作者は21才の女の子(一回り下か...)こんなに立派な髭ではないのですが。
私が犬を抱いているのは、犬と一緒に戯れるのが好きだからです。

彼女は私の仕事を詳しくはよく知らないはず。謎の人だと思っていることでしょう。
こんなイメージなんですなぁ。

こういうのを書いてもらうのもなんだかうれしいものですね。

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会社に着いてPCの電源を入れた後にまずすること、それは清涼飲料水の購入である。
ここ5ヶ月くらい、同じ飲み物ばかりを購入している。それが、このKIRIN NUDAである。

私は朝が異様に弱く、目を覚ますためには刺激がある物がどうしても必要なのである。かといって糖分が含まれている飲料水を毎日飲むのもいかがなものかと思うし、最近よくあるカロリーゼロでも甘みがある飲料水ってのも「これ、本当に大丈夫?」的な一抹の不安があったりする。
NUDAは、本当に糖分がないし、私の好きなグレープフルーツフレーバーが脳の活性化に一役かってくれている。さらに食物繊維が含まれているから、まぁ、食物繊維が無いと発生するような現象に最近見舞われていない。

恐らく、社内でこの飲料水を一番購入しているのは自分ではないかと思う。社内の自動販売機に投入される商品銘柄の決定権はある人の気分次第であり、変わりそうになったら「絶対に残して欲しい」と嘆願する予定である。

ついに、念願のGNOシリーズの新作発表があった。名前はそのままGNO3。GNO2~GNO3の間にも幾つかのオンラインゲームがリリースされたが、オンラインゲームに限らず、ゲームというものは実際にプレイしないと話を進めることが出来ないものが多い。それが睡眠不足、体調不良、家庭不和などの原因になったりするわけなのだが、GNOシリーズの良いところは、ある程度の指示をしておけばその指示通り勝手にプレイしてくれる。もちろん、実際にゲームの世界にログオンし、細かい任務をこなしたりしたほうが戦績は上がるのだが、必ずしもそういうプレイスタイルをとらなくてもいいという点は大変好感が持てる(サラリーマン、家庭持ちには特にありがたい)。GNOをプレイしているユーザーの中には、初期ガンダム世代の人も居るだろう。そんな世代の人は30代中~後半。忙しい盛りである。そんな立場の方々でも大きな負担をすることなく、ガンダムの世界を堪能できるのは実にありがたい。

旧2作は「一年戦争~0083」あたりまでがシナリオの対象とされてきた。私は作品中Zガンダムが一番好きなので、グリプス戦役のシナリオもあったらなぁと思っていたのだが(だから、GNO2の第三勢力はちょっとうれしかった。あっさり消えちゃったり、第三勢力に加入できなかったのは惜しかった)なんと、今度は「一年戦争~グリプス戦役」だけではなく、後のアップデート「第一次ネオ・ジオン抗争~第二次ネオ・ジオン抗争」あたりも追加シナリオとして登場するという。なんということだ!すばらしいではないか。そして、一年戦争終了後に「ティターンズ」に属すか、「エゥーゴ」に属すか、はたまた「ネオジオン」としてアクシズに行くか選ぶことが出来るという。おぉおぉ。エゥーゴに参加できる。うれしい。そして当然、Zガンダムやそれ以降のMSも登場する。私が好きなリックディアスを使うことも出来るわけね...。うれしい。しかし、まだ少ない情報からすると、前作と同様に90日前後でこれらシナリオをこなすことになりそうなのだが、それはさすがに時間的に厳しいような気がする。ちょうどGNO2くらいのペースで一つ一つの作戦が進行できれば良いと私は考えている。そのために90日を越えるのは仕方が無いのではないかと思う。

サービス開始は今年の冬くらいとのこと。
それにさきがけ、ゲームバランスを確認したりするためにクローズドβテストを5,000名規模で実施するらしい。応募?もちろんしましたよ(笑)。当選したらうれしいのだけどなぁ。

GNO3でも、(あれば)リーアサーバ、『E.F.S.F. ≦Marions≧』チームで参戦予定。他に参戦される方(特に無所属の方)、ぜひともわがチームへ。
あ、でも途中でエゥーゴに属することになると『A.E.U.G. ≦Marions≧』だな(笑)

GNO3、今から激しく期待しております。

テレビ埼玉の朝9:00~10:00は「時代劇 必殺アワー」。
大変ありがたいことに、シリーズ第1作『必殺仕掛人』から時系列ごとに必殺シリーズを再放送してくれている。

だが、この必殺アワーにて丸々一作、完全に飛ばされている作品がある。必殺シリーズ第14作『翔べ!必殺うらごろし』である。作品の詳細は、過去の記事を参照いただきたい。シリーズ第13作『必殺からくり人 富嶽百景殺し旅』から、第15作『必殺仕事人』へいきなり飛んでしまった。

私は必殺うらごろしが好きなのである。新必殺仕置人、必殺仕業人に次ぐくらい好きなのである。これ、今放送したらウケルだろうなぁとすら思っている。そういう意味では、時代を30年ほど先取りしてしまった作品とも言えなくはない。必殺シリーズにおける視聴率最低を記録。っていうか、必殺シリーズじゃなければもっと本作は評価が高かったかもしれない。
(ちなみに、ニコニコ動画あたりではおばさんの活躍に多くの視聴者が絶賛したりしているのだが)

放映されなかった原因は何か、それが私には明確にわからないのである。女のバラバラ死体の手首だけ持ってきたり、和田あき子の殺しがあまりにもひどいからかもしれない。もしくは、やたらと流血が多かったからなのだろうか?

テレビ埼玉は、過去に『おしどり右京捕物車』という、同じく中村敦夫が主役として出演する時代劇を再放送したことがある。これはある意味もっとひどく、初回で悪人達にはめられ、中村敦夫は下半身不随になっており、妻が動かす手押し車に乗って、鞭で悪人を闇に葬るという内容だった。中村敦夫サイドへの配慮ならば、この作品の方が問題ではないのか?

結局のところ、飛ばされた理由は皆目わからないのである。放映しなかった理由をぜひとも教えて欲しいものである。

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昨年末に放映された『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』にてガースー黒光り新聞として使用された旧千代田区役所。今日も何かの収録が行われていた。都心のど真ん中でこれだけの空きビルは貴重なのだろう。収録以外にも、区役所が臨時の窓口を設けるときに使われたりしている。当分、取り壊されることはなさそうだ。

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今回はまた刑事モノの収録らしいが、番組が何なのかは不明。

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パトカーに群がる報道陣。恐らく、誰か大物が警察に捕まったというシーンなのではないかと思う。何のドラマかわかった方がいたら、コメントお待ちしております。

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横浜のおじが使っている時計は、ROLEX SUBMARINER Ref.16800の後期モデル(インデックスに金属のフチがあるもの)。トリチウム夜光の焼けとヤレっぷりが何ともいえない。

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私がこの日していた時計も、おじに合わせて ROLEX SUBMARINER Ref.16610の前期モデル(バネ棒用の穴があり、弓環が一体化していない。さらにトリチウム夜光)。16610の方が後から販売されたものなのに、何故かRef番号は16800より若い(何故か、ご存知の方がいたら教えてください)。

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Cal.3035
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Cal.3135

Ref.16800から風防にサファイアクリスタルを採用し、防水性能が300mになっている。この2モデル違いはムーブメントの違いである。Ref.16800にはCal.3035、Ref.16610にはCal.3135が採用されている。どちらも日付クイックチェンジ機構(デイトジャスト機構)とハック機能があるムーブメントで、使っている分には違いが良くわからないのだが、開けてみるとCal.3035はテンプがシングルブリッジ、Cal.3135はダブルブリッジとなっている。また、デイトジャスト機構の故障が比較的多かったらしく、10年ほどでCal.3135へほとんどのモデルが移行している。Cal.3135は今でも現役モデルに搭載されている。

おじのRef.16800は25年以上前に、免税店で二十数万で購入したという。時代による物価の違いがあるとはいえ、現在とは随分価格差があるものである。今現在、状態の良いRef.16800は50万円超で取引されている。

何度か書いているが、ROLEXは実用時計である。特にSUBMARINERは300mの防水性能を持ち、ハードな用途を前提にしているようなところがある。私が所持しているものよりも、むしろおじのヤレた感じのモノの方がそれらしい。
聞いたところ、オーバーホールは一度しかしてないらしい(苦笑)。全く丈夫な時計である。寝るときまで身に付けていて、庭いじりにも使われ、釣りの時には海水にも時計ごとぶち込まれている。パッキンの劣化も懸念されるし、そろそろ出したほうが良いのでは...と話した。

花火大会がなくなったので、横浜の夜景を眺める。

この高台の家から見える夜景も中々のものである。
私は夜景を眺めながらしばらく考え事をしていた。ビルに備え付けられているのか、赤いランプがゆっくりしたペースで点滅する。このあたりは閑静な住宅街で、嫌な雑音もほとんど無い。考え事をするには最適なのである。
どのくらい時間が経ったのかわからないが、考え事に一区切りついたので眠ろうと思ったら、香取線香(あの懐かしい、緑色の渦巻き)が無くなっていた。今晩は蚊にやられてしまうかもしれない。

今日、明日と横浜のおじのところにお世話になる。例年のイベントである。
狙うのは海の日。その日は横浜の花火大会があり、高台にあるおじの家からは真正面に花火が見える。すばらしいロケーションなのである。
しかし、今年は『横浜港開港150周年』のイベントが方々で行われ、花火大会は7月末に行われる開港記念花火と一緒に行われることになったようである。実に残念だ。

午前中におじの家に行く予定であったが、鉄道のトラブルで、着いたときにはお昼になっていた。もっと早く来られたのであれば、鎌倉のほうに行くなど別プランもあったようだが、今日はそこまで足を伸ばさずに『三渓園』へ行くという。この時点での私の予備知識はゼロ。その名もはじめて聞くような場所で、一体何があるのかもわからぬまま、おじについていったのである。

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バスを乗り継ぎつつ、三渓園最寄のバス停へ着く。このあたりで昼飯でも...と思ったが、完全に住宅地で飲食が出来そうな雰囲気は全くなし。ほとんど朝食を食べていなかったのでかなりお腹が空いていたが、もしかすると中に何かあるかもしれない。

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まず、到着して驚いたのはこの景色である。大池と呼ばれる池がなんとも清々しい。
入り口周辺にあったパンフレットを手にし、ここがどういうところであるかがようやくわかってきた。紹介はサイトから引用させてもらおう。

三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。(現在、重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟) 東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、三溪の手により1902年(明治35)から造成が始められ、1908年(明治41)に外苑、1923年(大正12)に内苑が完成するに至りました。三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、前田青邨の「御輿振り」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。

よくもまぁこれだけ集めたものだと感心してしまう。

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池の先を良く見ると、三重の塔が見える。『旧燈明寺三重塔』である。重要文化財で1457年(康正3年)建築。かなり古いものである。

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池の周りを歩き出すと、左手に蓮の花が見えてくる。私は蓮の花の中にある、花が散った後に残るものが気持ち悪くて嫌いなのだが、花だけ見ている分には良い。こんな綺麗な常態の蓮の花と大きな葉が池を埋め尽くしていた。

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蓮の池から少し歩くと、鶴翔閣(旧原家住宅)が左手に見えてくる。萱葺の屋根で横浜市指定有形文化財に指定されている鶴翔閣は、茶会、句会だけではなく、なんと結婚披露宴の席としても利用可能である。私達が訪れた時も何かのイベントをしており、中に入ることは出来なかった。

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睡蓮池には何故か亀が。まぁ、ワニなんかじゃないからいいけれど。

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池の向こう側に見える観心橋を渡る人が見える。しっかりとこの庭園を見るとすると、あそこに達するまでには相当な時間が必要になりそうである。

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まだアジサイが残っていた。ここのアジサイはブルー。アルカリ性の土壌のようである。

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ここからが内苑である。御門を潜ると...

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隠居の『白雲邸』に入る門がある。1920年(大正9年)建築の数奇屋風の建物で、こちらも鶴翔閣と同様に貸し出しをしている。この日は門が閉じられており、中に入ることは出来なかった。

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さらに内苑へ進むと、重要文化財指定の『臨春閣』が見られる。1649年(慶安2年)建築。襖絵は狩野探幽、狩野安信などによって描かれており、さすがにここの貸し出しは行われていない。

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渡り廊下が周囲にぐるりとあり、

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廊下の窓を開ければ、真下に池が。夏、ここに座って本を読んだり、スイカを食べたりしたら気持ちがいいだろうなぁ...

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『臨春閣』全体。二階に人がいるぞ。

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こちらは『聴秋閣』。同じく重要文化財指定。1623年(元和9年)建築。三代将軍徳川家光によって立てられた。二階に小部屋がある楼閣建築物。実に面白い作りである。二階はどの程度の大きさなのであろう?大それた考えだが、このような別室が自分用にあったらなぁ...なんて思ってしまう。

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ここらで一服するために、三渓記念館の中で抹茶を頂く。抹茶頂くのは結構久しぶり。お菓子は落雁。私は子供の頃、落雁が大嫌いで今も別に好きなわけではないのだが、ここで頂いたものはおいしかった。特にピンクの色の方は桜の風味が若干あり、おいしい。

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大池に戻るとカモが佇んでいた。

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大池の茶屋では鯉のえさ(棒状で、食べ物の"ふ")のようなものが\80で売られており、その近くにはえさやり場がある。えさを投げ込むとすごい勢いで鯉がワラワラとやってくる。

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入り口の対岸から池を眺める。なんとも落ち着く景色である。
この先で見られるものは、さすがにおじの足では厳しいので、一人で。

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『旧燈明寺三重塔』。重要文化財指定。1457年(康正3年)建築。室町時代、応仁の乱の前に作られたものである。京都あたりではこういうものがゴロゴロしているのだろうが、関東の現存する塔では、これが最古である。

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外苑にある『松風閣』。中に入ることができる。

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松風閣から海を眺める。色々なプラントだらけである。

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船も見えた。タンカーか?

帰りに欧風料理の店で食事。結局、昼飯は食べておらず、朝も軽くしか食べていなかったので、お腹が空いた。

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バスの車窓から見える横浜の夕暮れ。これから魅力的な横浜の夜が始まる。

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主演が梶芽衣子から変わり、頭に「新」の文字が付くようになった女囚さそりシリーズ
第一弾の松島ナミは、今からすると全く考えられない女優『多岐川裕美』。昔はこういう路線で売っていたのか、多岐川さん?

女子大生の松島ナミの姉、松島妙子は、政界の大物と言われる三浦代議士の秘書であった。世間は政界の政治献金をめぐって騒然としており、三浦代議士も灰色高官として疑惑がもたれている一人だった。日が経つにつれて、妙子の不審な行動を案じたナミは、妙子に電話をするが、返答がなく電話は切れてしまう。ナミは、恋人の小坂とともに、妙子がよく利用するホテルへ直行した。その日、妙子は婚約者の杉野と一緒に、海外に旅立とうとしていた。妙子とあったナミは何も聞き出せず、二人を見送った。数分後、杉野は何者かの車でひき殺され、また妙子までも連れ去られてしまった。その夜、ナミは妙子が残していったテープによって、意外な事実を知った。テープの中味は、三浦と政府の陰謀が録音されていた。数日後、三浦と面会したナミは、テープを交換条件に姉の居所を問い正した。そして、ある料亭に連れていかれたナミは、そこで初老の国会議員に抱かれる姉の姿を見た。この一連の奇妙な事件は、すべて三浦の企みである事を、ナミは知るのだった。一方、秘密をすべて知られた三浦は、その場でナミを犯し、妙子を殺害した。翌日、ナミは三浦の陰謀と、信じ切っていた小坂の裏切りによって、姉殺しの罪を着せられてしまった。三浦の手で、女子刑務所に送られたナミは、その日から姉の復讐を誓って"さそり"へと化身していった。牢名主の鈴木房江がいる第8雑居房に入れられたナミは、そこで女囚からむごい制裁を受けた。じっと耐えるナミの態度は、房江らをさらに激化させていった。女囚らのナミへの攻撃がエスカレートしたある日、房江は刑務所長高村の命令でナミを殺そうとしたが、逆にナミに感づかれ、ガソリンを頭からかけられて房江は焼死した。ナミの偽装自殺に失敗した高村は、ナミを独房へ押し込めたが、一向にまいらないナミに手を焼いた。ある日、この刑務所に、三浦の企みによって千沙という女囚が送り込まれた。千沙は、ナミに近づいて脱走の話を持ちかけた。何げなく千沙の話を聞くナミは、千沙が三浦のさしがねで接近してきた事を知りながら、この話にのるのだった。三浦と小坂に復讐するために、ナミが脱走を決行したその日、刑務所内は女囚の暴動が起って騒然となった。その隙を見て、ナミは所長室に入り込み、所長の片眼にナイフを突き刺して、これまでの怨みを晴らすのだった。そして、黒の衣裳に身を固めたナミは、姉の復讐のために、都会の中へと消えていった。

出演は多岐川裕美(松島ナミ)、夏夕介(小坂敏彦)、紺野洋子(小坂夏子)、中谷一郎(三浦代議士)、范文雀(松島妙子)、根岸とし江(榊千沙)、山本麟一(刑務所長高村)、河合絃司(岡部)、高月忠(林原)、衣麻遼子(戸田貞子)、城新子(木村順子)、フラワーキッス(女囚)、牧よし子(石川タエ)、高村ルナ(田村由美)、山本緑(藤岡のぶ子)、滝波錦司(刑務所職員伊藤)、河野洋子(鍋島昌子)、小山柳子 (松井弘子)、叶優子(平山容子)、金子信雄(佐々木修)、小林稔侍(杉野)、浅香光代(鈴木房江) 。1976年作品。小平裕監督。

今の多岐川裕美を知ってしまっているので、どうにもナミの役がしっくり来ない。可愛らしすぎるのである。やっていることは激しいんだけどねぇ。前半はまだ普通の女性っぽい扱いなので問題ないが、女囚となり伝説の松島ナミ化したあとはやはり力が...。
だが、女囚さそりシリーズに欠かせない下品でいやらしい女囚たちと、バイオレンスさ加減。やっぱり1970年代映画はフリーダムでよい。何といっても忘れられないのは、牢名主の浅香光代であろう。本当にひどい(笑)。本当にこういう女囚っていそうだなぁと、勝手に思ってしまう。

最後は黒い衣装で復讐を遂げるのがさそりなわけだが、梶さん仕様とは異なる、マントのようなものを羽織っている。それがますます可愛らしく見え、復讐なんて出来るの?と心配になってしまう。ホント、梶さんはいい女優だったんだなぁと思わされる。

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我が家の窓近くに植えてあるアサガオ。義理の父が植えてくれたのだが、妻はあまり西洋アサガオが好きではないらしい。

決して朝が早くは無い私で、咲いているのが観察できる。これは、今年の日照不足のせい?

ニヒリズムのことに関しては、以前、西部 邁先生の『虚無の構造』の書評と同時に私のとりうる態度を書いた。
ニヒリズムを語る上で欠かせないニーチェは、ニヒリズムに対する私達の態度を二つに大別した。

  1. すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度(強さのニヒリズム、能動的ニヒリズム)。
  2. 何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度(弱さのニヒリズム、受動的ニヒリズム)。

しかし、日常的にニヒリズムというものをこのように捉えて考えている人など、あまりいないことだろう。
例えば「ニヒルな人」という使い方がある。これはどういう人を差すことが多いのだろうか?私が思うには、自分を含む全てを疑問視し、冷静な態度をとりつつも、思慮深い慧眼を持ち、かつ紳士的な人あたりを指すのではないかと思う。今となってはあまり使われる言葉ではないのかもしれない。

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私の中でニヒルな俳優といえば、本題作品にて探偵、明智小五郎役を演じた眉間の皺が似合う男、「天知茂」が筆頭に挙がる。いや、天知茂がニヒルというよりも、明智小五郎を演じる天知茂がニヒルに感じられるのかもしれない。人というものに絶望しつつも、自らの推理という仮象を次々に生み出し、周囲とは全く違う視点で事件に挑む。毎度毎度の登場する美女の誘惑に負けそうになりつつも(笑)。

本シリーズはテレビ朝日系列で1977年から『土曜ワイド劇場』の中で放送していたドラマシリーズ。今はそれらがDVD化されており、かなりのペースで見ている。
残念ながら、天知茂は本シリーズが終了する前、1985年に亡くなっている。享年54。若すぎる死であった。

その後は北大路欣也、 西郷輝彦が明智小五郎を演じる。私は北大路欣也も好きなのだが、このシリーズに関してはやはり天知茂がしっくり来るのである。

明智小五郎モノというと子供向けの作品が多い中、大人向けに演出された本作品は(原作からはかなりかけ離れてはいるものの)今見ても十分に楽しめる。とりあえずは、天知茂作品を全部見てみようと考えている。

暑い...冗談にもならないほどの直射日光が降り注いでいる。ハンカチを片手に、靖国神社へやってきた。

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7月13日~16日にかけて、ここ靖国神社では「みたま祭り」というお祭りが開催されている。「光の祭典」とあるように、本当は夜に来たほうがライトアップされたちょうちんが美しいのだが(去年の様子を参照ください)、人の数が半端ではない。最近は日が随分と長くなり、この位の暗さになるのは19:00頃。浴衣の女性がたくさん居るのもいいのだが、そこまで待つ気にもなれず、昼間に行ってみた。ちょっと近場に用もあったのである。

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国旗が青空にたなびくほどの晴天。ここは第一鳥居である。

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鳥居を過ぎて、今来た道を振り返ってみるとこんな感じ。東京理科大が見える。
ちなみに、靖国神社の拝殿方向が思いっきり逆光で、うまく撮ることができない。

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この「大村益次郎銅像」も後ろから。夜になるとこのあたりで踊りが催される。昼間はさすがにだれも踊ってはいない。

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これを見るまで気がつかなかったが、今年が創立140周年らしい。設立は1869年(明治2年)。明治天皇の思し召しによって建てられた「東京招魂社」が前身であり、靖国神社の名前に変わったのは1879年(明治12年)のことである。国家のために尊い命をささげた人々の霊を慰め、その事績を長く後世に伝えることを目的とした神社である。当初は戊辰戦争における官軍戦没者の慰霊を目的に作られたが、西南戦争、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争と戦争がおこるたび、国家のために亡くなってきた方も慰霊の対象となった。

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大手水舎で手と口を清め、神門を眺める。神門まで一般人は乗り物で来ることができる(といっても、実際ここまで乗り物で来る人は珍しい)。

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神門近くの第二鳥居。

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神門から第二鳥居を見る。本当にいい天気である。

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神門の中に入ると、中門鳥居と拝殿が見えてくる。周囲には色々な人が書いた灯篭が吊るされている。

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神門手前。皇室関係者でも、ここから先は下車して進まなくてはならない。もちろん、一歩入れば撮影は禁止である。
賽銭を入れ、二礼二拍一礼。祈ることは国のこと。これ以上、人々が苦しまずに明るい社会を作るために力を...と。本来ならば神頼みするべきことではない。政治家に一言物申せばいいのだが、自分ひとりの力が微力でどうにもならないのである。

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比較的大きなビデオカメラを持つ人がいるので(写真右の人物)報道の人なのだろうなぁと思いながら腕章を見ると「チャンネル桜」と書かれている。おぉ、あの極右番組の取材は当然来るわなぁ。撮影されているのは外国人で、どのようにこの動画が利用されるのかはちょっと想像しにくい。

気に入った灯篭は3つ。私は伊東四朗さんの灯篭がけっこう好きだったのだが、今年は見つけることが出来なかった。

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1つは、あんまり関係ないんじゃないの?と思われそうな「ぞうきんさん」。結局、サラリーマンの仕事なんて「ぞうきんさん」となんら代わりが無いと思えてきた。

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次は、相撲の行司である木村庄之助さん。行司は刀を差しているが、これは相撲の取り組みにおいて見誤りがあった際に自決するための刀である。さすがに今日の時代でそういうことはないだろうが、それだけの決断をもって行司をしているという気合が感じられる。

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最後は、つのだ☆ひろ。去年は何かイベントを主催していたような記憶がある。書かれていること、まさにその通りという言葉に尽きる。私がここを訪れるのも、そんな理由からである。

ほんと、私も夜に浴衣にうちわを持ち、涼みながらやってきたいものである。

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昨年の機械式モデル発表以来、少々気にしている時計ブランドがある。
それがSKAGENである。

"デザインの美しさと品質の高さは必ずしも高価である必要はない"

夏である。暑い。
冷房の効いた電車の中でつり革を掴む腕を見ると、メッシュベルトのモデルが非常に増えてきたことに気がつく。夏だから通気性の良いものを...という理由だけではない。SKAGEN製のモデルが非常に多いのである。物として使い勝手がよく、価格以上の満足度を与えるであろうこのモデルは、近年販路がかなり増えた。

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SKAGENは1992年、コペンハーゲン出身のヘンリックヨースト、シャーロットヨースト夫妻によって設立されたブランドで、その歴史はまだ浅い。しかし、北欧ならではの斬新なデザイン、その薄さ、装着感の良さは私も高く評価している。ただ、クォーツモデルが圧倒的であるため、ちょっと手が伸びていないだけである。

SKAGENという社名の由来は、スカンジナビア中心部に位置する、デンマークのユトランド半島の最北端にある漁村の名前から来ている。

大きな地図で見る

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この地は北海とバルト海を結ぶ東側のカテガット海峡と西側のスカゲラック海峡がぶつかり合う光景が見られる。そのぶつかり合う波がSKAGENのロゴマークの元になっている。かつては多くの芸術家達がこの地の白い砂浜を訪れ、その風景をキャンバスに描いたという。

デンマークは、インテリア、キッチンウェアー、おもちゃ等のインダストリアルデザイン分野でユニバーサルデザインを排出し、世界的に高い評価を受けていることはご存知の通り。このSKAGENの時計も同様で、有名な近代美術館に展示されている。

プロダクトの特徴だが、洗練されたデザインのみならず、厚さ6mmのUltra Slimを代表とする薄型モデルにある。あまりの薄さに身につけている事を忘れるほどで、腕へのフィット感が非常に高い。

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また、ステンレス製のカービングメッシュベルトは、スカーゲン島の砂浜をモチーフとしており、波を思わせる柔らかなラインが、装着していることを忘れるほどのフィット感を演出している。

誇れるのはデザインだけではない。SSモデルでは316Lステンレスを採用。一般的なSUS304に比べてモリブデンの配合量が多く、316Lは医療用メスや歯科部材などに使用される腐食しにくいSSである。これを全モデルに採用している。
風防は硬質ミネラルガラスを採用。価格との折り合いを考えると、妥当な選択である。
他、チタニウム素材やマザーオブパール、スワロフスキー製のクリスタルを使用しているモデルもあるが、どれもコストパフォーマンスに優れている。
文字盤のサンビーム加工も、光に当てると美しい輝きを見せてくれる。

時計購入の相談を受ける際、皆が考えている予算はバラバラだ。下手にROLEXなんかのパチモノっぽいデザインのものを掴むのならば、自信を持ち適正価格として販売しているSKAGENは、私の中ではよく選択肢に上がるモデル。
颯爽と身につけていると、むしろ格好良いように感じられる。

オフィシャルサイトはこちら。全モデル確認できるので、存分にお悩みください。

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ルナ2に勃興したエゥーゴだが、連邦&ジオン双方に徹底的に叩かれ、壊滅に至った。
エゥーゴの思想は好きなので何とも気が向かない任務だったが、仕方なく叩きのめしておいた。ルナ2は連邦配下に戻り、エゥーゴの指導者とされたブレックス・フォーラ准将は死亡。合流したとされるシャア・アズナブルとその部下(例によってアポリーとロベルト)は、ルナ2陥落前に脱出したとのこと。キシリアが居るグラナダにでも行ったのだろうか?

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上の画像は、BREITLING Chronomatで選択できる文字盤である。実際にはケースに18YGがある場合に選べるもの、SSの場合のみ選べるものも混在している。Chronomatは特にバリエーションが多いと思うが、同じくらいあるのがROLEXのOYSTER PERPETUAL,DATE,DATEJUST,DAYDATEのラインである。文字盤の色、文字盤上の装飾、インデックスの種類はかなりあり、全てを網羅するのは難しいほどである。

個人的に言えば、バーインデックスが一番無難で好きなのだが、ローマ数字記述のものもデザイン的には悪くないと思う。ただ、日常的にさほどローマ数字を使っているわけではないから、瞬間的に判別するにはむかないであろう。

現在もそうなのかはわからないが、航空用時計と謳っているモデルや、自動車レースのようなイメージを持たせたプロダクトは、アラビア数字を使っていることが多い。私の場合はZENITH Rainbow Flybackのみがアラビア数字で、航空時計とアピールされているChronomatは、バーインデックスである。

とある時計誌に面白い実験結果があった。
同一の時計で文字盤の表記がバーインデックスとアラビアインデックスの場合の視認速度に、どれほどの差があるかを比較してみようというものである。
異なる10種類の時計を10人に読み取って記入してもらい(間違いがあった場合は無効)平均時間を比較。
結果はアラビアが27秒、バーが33秒と、アラビアの圧勝となった。

まぁ1つあたり0.6秒の差なわけでそれで命を落とすようなことは考えにくいのだが、プロダクトイメージをコントロールする意味では、アラビア数字化する意味もあるなぁと思わされた次第である。

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いかにもピュアモルトウィスキーっぽい感じがするが、ブレンデッドウィスキーである。
モルト、グレーンの各ウィスキーをブレンディングした後、再貯蔵されることで、ブレンドされたウィスキー同士が深くなじみあう。この時のアルコール度数は51.4度。From the Barelは再貯蔵樽から取り出した後に、アルコール度数の調整をしていないウィスキーである。つまり、そのまま51.4度である。

ストレートで飲めば、熱く感じられるアルコールが口、食道を経て、胃に流れていく感覚を味わうことが出来る。非常に重厚な味わいでコクがあり、豊かに広がる香りが特徴的な一本。
定価は\1,990とさほど高くはないが、内容量は500ml。しかし、これだけのブレンディングの妙を味わえるならば決して高くは無いと思う。ゆっくりと、少しずつ頂けばいいのである。

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うちに帰って屋根を眺めると、うちの飼い猫「しろ」が...
 「何してんの?」
と聞けば、
 「ニャァ~ン」
と鳴くだけ。

鬼瓦は厄除けに使えるそうだが、猫瓦は何の役にも多々無そうです。

今日は何だか朝から調子が悪く、少し眩暈がする。駅までは妻に車で送ってもらい、湘南新宿ラインのグリーン車に乗り込む。しかし、東京に近づくにつれて頭痛、吐き気、目で見るものがグラグラしてくる。高田馬場で何とか東西線で乗り込み、九段下で降りるが、歩くのが精一杯という状態で、会社には連絡した上で、近くで休んでから出社すること。しかし、座っているだけでは調子が戻らず、横にならないと状況はさらに悪化するばかり。横になれる場を求めて北の丸公園を彷徨っていたら、坂の途中で倒れてしまった。たまたま犬の散歩をしていた方に発見頂き、公園の警備の方を呼んでいただいた。
どうにも再起できず、頭痛も強くなってくる。警備員さんは救急車を手配してくれた。
救急車の中で、救急隊員の指の動きを目で追うテストをされたが、どうしても遅れるのである。私の体はどうなってしまったのか...。
収容された病院は、飯田橋の逓信病院。結構お世話になっている病院である。そこで瞳孔の確認などをされ、点滴をうたれ、採血。頭痛もあるのでCTスキャンも行う。血液検査、CTスキャンの結果はどちらも異常なし。医者いわく、原因は過労。

確かに最近、ちょっと色々なことをしすぎているのかもしれない。自分では疲れているような意識が無くとも、やっぱり体は正直なんだなぁ。参りました。歩けないことには大変参った。車椅子での単独移動というものがこんなに難しいものかと実感させられました。

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私がプレイしている「リーア」サーバに、「ハッテ連合」なる、サーバを転々としながらジオン側を強力にバックアップする組織が出現してしばらく経つ。ハッテ連合のあまりの強さのため初期の北米侵攻作戦、アフリカ侵攻作戦で相次いで敗退。連邦のサイド4侵攻作戦も失敗してきたが、ここに来てミリタリーバランスの見直しがバンダイによってなされたのか、連邦軍によるオデッサ作戦、南アジア侵攻作戦、東アジア侵攻作戦を成功させ、地上におけるジオン勢力は一気に崩れ始めた。

戦力が連邦・ジオン共に拮抗し始めたことで、初めて第三勢力が出現した。エゥーゴ(A.E.U.G)である。ルナ2を占拠し、ここを拠点として活動を開始した。時期によるのだろうが結構な武装をしており、主力はパワードジム、Gファイター、挙句の果てにはガンダムまで投入してくる。
途中、シャア・アズナブルとその部下(アポリーとロベルトでしょう)もエゥーゴに参加している。任務によっては遭遇することもあるが、残念なことに搭乗機はシャア専用ゲルググである。どうせガンダムがあるんだったら、赤く塗って使えば?なんて思ってしまったが、シャアの搭乗するガンダムとはあまり戦いたくないなぁ。攻撃がことごとく回避されそうだし。

連邦軍はエゥーゴを反連邦組織と認定してすぐさま攻撃するよう指示してくるが、しばらく経つとジオン軍もエゥーゴ潰しに参戦してくる。ここで面白いことが起きる。ジオン軍プレイヤーキャラクターと連邦軍プレイヤーキャラクター同士、協力して任務が行えるのである。GNO1にはあった「戦闘中だけの、敵味方関係ないチャット」がGNO2においては、対第三勢力攻略戦の場合のみ行えるようである。また、パッケージ版を使っているユーザーならば、エゥーゴ任務をすることで、Zガンダムの戦闘シーンの曲が入手できる。
思想的にはエゥーゴの方が共感できるので参加できるものならしたかったが、そういった機能は無いようである。

ところで、他にも第三勢力となる組織が幾つかあるのだが、ティターンズはどういう扱いになるのだろう?連邦軍の極右組織という扱いだから、エゥーゴのような「反連邦」という態度はとらないと思うのだが。右よりすぎで危険ということになるのであろうか?気になるところである。

私が所属する会社の忌引き休暇は3日間。明日の午後から会社に出勤する予定である。
夜中には埼玉に到着したいと思っていたが、妹が使用しているパソコンのトラブル解消、大型液晶テレビのLANポートへ無線LAN端末を取り付ける設定などをしていたら、22:00近くになってしまった。

父は昨日までの疲れからか、昼寝をしている。それでも酒は欠かさないわけで、全くすごい人だとしか言いようが無い。私も付き合いたかったが、これから埼玉まで運転しなくてはならないので、見守るだけだった。
父・母に見送られ、福島を発った。

22:00をすぎているのでETCであれば30%高速料金が割安になる。しかし高速道路嫌いの私は、本宮ICまでは国道4号線を運転することにした。
驚いたのは、福島ー郡山間の道路が完全二車線になっていたことである。このルートはほとんど二車線化されていたのだが、大玉村だけは1車線でこのルートのまさに「ボトルネック」だった。そこが二車線化したため、45分で郡山まで行ける。本宮に意外と早くついたので、須賀川ICまで4号線を走る。それもあっという間についてしまったので、また4号線が1車線になってしまう矢吹ICから、信号ばかりの1車線できつい矢板をパスし、館林まで走る。
連日の多飲酒のせいか、体が結構疲れている。行きと同様にSAでこまめに休憩を取りながら高速道路を走る。矢吹ー館林間は夜間割引があって、約\1,700だった。確かに安くなったなぁ。
館林から蓮田は意外と近かった。が、すごい霧に見舞われてあまりスピードは出せない。滅多に使わないフォグランプを点灯し(BMWのフォグランプはかなり明るい。普段から使っていたら、対向車が嫌がるだろう)ゆっくり進んだ。

今回の所要時間は4時間半。調子がいいときなら、高速使わずに5時間程度で帰ってこられる場合もある。今日はやはり疲れていたのだろう。自宅で泥のように眠った。

私の地元である福島では、葬儀の前に火葬される。つまり、亡骸を一目見たいと思うような方は通夜に来てもらわなくてはならない。首都圏の葬儀に二度ほど出席したことがあるのだが、そのときには祭壇に棺が置かれたままだったので驚いた。どうしてこのような順序の違いがあるのだろうか。不思議である。
朝起きたとき、父は既に居なかった。今回の葬儀で割り振られた仕事の中で、父と私が恐らく一番大変なものだと思う。父はお坊さんの送迎である。頻繁に寺から火葬場・斎場へ移動しなくてはならず、また車に同乗している以上、何かを話さなくてはならない。その辺も敬遠しがちな理由であろう。しかし、何故にこの仕事が父の担当になったのだろうか?68歳という年齢である。私は喪主の息子がしてもいい仕事だと思うのだが。

9:30に斎場へ来てくれと言われたが、時間はギリギリ。私の車に同乗した母が悲鳴をあげるようなスピードで斎場へ向う。が、別にそんなに急ぐ必要もなかったらしい。火葬場への移動までにはかなりの時間があった。
火葬場に着いて焼香。そして火葬にかけられる。その間約2時間。昼食をとりながら待つ。通夜にも来てくれた、父の妹とその旦那様と色々話をする。どうも母方の親戚というのは、誰なのかがわからず話もしづらいのである。お坊さんを送って父が帰ってきた。が!昼飯が全然ない。余っていたはずなのに...母が1つだけ残しておいてくれたものの、あまったものはおばさんたちがラップに包んで分けてしまった後らしい。これには父も随分と堪えていたらしく、
 「何で俺がこんなことをしなくてはならないんだ?」
と、俺と同じような言葉をこぼしていた。
祖父の骨を骨壷に入れ、また斎場へ。斎場へ戻る際、来た道と同じ道は通らない方がいいらしい(母の豆知識)。ルートを変えて斎場へと戻る。

斎場に戻り、会計の部屋に入ると、昨日の2人が話をしていた。私が来ると、その話もピタッと止んだ。
既に葬儀に参列される方が来ていた。香典も来ている。結局、私の代わりになる人は用意されていなかったようである。誰にでも引き継げるように指示書まで残したのだが...。きっと、今日の葬儀も焼香の時くらいしか中に入れないだろう。意思を母ではなく、喪主に直接伝えるべきだったのかも知れない。葬儀だけあって、300を越える参列者があった。年配の方の香典だと、達筆すぎたり読み方がわからなかったりするので入力も少し遅れてしまう。
昨日と同様に「まだご焼香を済ませていない方は...」という放送を聴いて、急いで葬儀会場へ向う。で焼香。また15秒か。
さすがに昨日よりは時間がかかったものの、データの入力は完了。札束の枚数から金額を瞬時に出せるようにしていたが、どうも違いがある。今日は2つあり、私の入力ミスが1つ、札束の枚数数え間違いミスが1つ。どちらも比較的早く発見できた。その頃には、もう葬儀は終わって会食の時間になっていた。2人には食事に行ってもらい、紙幣の枚数確認を自分の手でも行う。データとしっかり合致。データをCD-Rに追記し、香典袋を整理し、札束を封筒に入れ、チャック付きのかばんにまとめる。終わった...ようやく仕事が終わった。

食事の席に戻ると、父方の叔母と叔父ら夫婦が帰るところだった。叔父とは話したかったんだけどなぁ。久しぶりだったし。
で、イライラしたのが食欲に出てきたのか、寿司5人前を一人で食べてしまった。

また母の実家で二次会を行う。
喪主の母方の叔父は、ウィスキーならば"Canadian Club"が好きらしく飲んでいたが、私はあの酒をソーダ水などで割らないとどうも飲むことができない。なので、斎場近くの酒店で"NIKKA From the Barrel"を購入。アルコール度数51.5度。名前のとおり樽から出してアルコールの度数調整をしていない。しかし、モルトウィスキーではなく、ブレンデッドである。これを自分と父の飲用として買っていったが、二次会に来たほかの方々から「うまい」との評価をもらい、あっという間に無くなった(笑)。今日もそこそこで引き上げ、私の実家に帰ると、妹が戻ってきていた。
父、妹、私の3人で"The Blend of Nikka blend Selection"を飲みながら色々と話す。まぁ、何だか色々と大変だったが、しみじみ「終わったなぁ」と思った。仕事の達成感はあったが、私には葬儀に出たという実感が全く持てなかった。15秒で焼香しただけでそう思えないのは当たり前であろう。心にぽっかりと開いた穴をおいしい酒が癒してくれているような気分になった。
話は尽きず、翌朝の4:00まで飲み続けていた。

14:00から、母の実家で祖父の納棺がある。それに間に合わせるように起床し、風呂に入ってから向かう。

今回の喪主である叔父から
 「お前は会計係だから、よろしく」
といわれる。いきなりそう来たか...。参列者が持参した香典に入っている金額の確認や集計業務ということは薄々わかるが、会計係の仕事の範囲がわからない。今まで幾度かあった葬儀の喪主である父が全てやっており、私は親族ということで出席したのみ。何らかの仕事が降ってきたことはない。
私の記憶が確かであれば、会計の業務は近所の方かどなたかに依頼していたはず。むしろ、常識ある親族以外のものが複数名で行うほうが良いと思うのだが...。何で俺なんだ?

祖父の亡骸と、初の対面となった。不思議と涙が出てこない。口が完全に開かれた状態であり、正直言って、今まで見た亡骸とはどうも違うような、不思議な感じが否めなかった。
アルコールで体を拭き、遺体を納棺し、旅立ちの道具と、三途の川の渡し賃(何故か10円硬貨数枚。渡し賃といえば六文ではなかったか?)を入れる。そして、棺に釘を打つ。その棺は、通夜・葬儀の会場へと向う。
通夜参列者もすぐに移動するものだと思っていたが、中々、移動しようとしない。時間に余裕が随分あったらしい。うだうだと話をする親類達。話す内容は息子の自慢話ばかり。聞いていて辟易した。

16:00頃、通夜の会場へ到着する。
祖父の亡骸が入った棺が壇上にのせられ、周りには花で飾られている。一息つき、祭壇周辺を見回していると、喪主にいきなり召還される。会計の仕事か...俺はこの儀式には参列できるのだろうか?ちょっと不安がよぎる。
葬儀委員長というよくわからない存在の方や、同じく会計を担当する人2名の紹介を受けるが、どういう人なのか、会計係の作業についての説明は一切無し。一人は60代後半と思われる方、もう一人は40代中盤くらいであろうか。私より年配である。ちなみに私はこのとき、この二人は喪主の職場の方かと思っていた。喪主と同じ、役所の公務員。誰がこの場を仕切るのか?
会計処理をするための部屋にはパソコンが1台置かれていた。斎場の方に聞いてみると、WordやExcelはインストールされており、使って集計をしても良いとのこと。一々手書きで、計算も電卓を叩くよりはExcelを使ったほうが圧倒的に早く、正確な結果が出せるだろう。ということで、集計処理はパソコンで行い、その前段階の香典の金額確認に金額の記載・照合用の番号付けを1名、現金の管理に1名付いてもらえれば、最低限の入力でこれらの作業は終了できる。しかし、私が仕切ることに不満なのか、それともパソコンでの処理というものに対する不安や不満なのか、年上の男性に
 「あんた、これ使って葬儀の会計やったことあんのか?」
と、因縁をつけられる。私は会計をしたことすらなかったのだが、効率的に行えるという自信があったので
 「ありますよ。前例をあてにするより、
  今ある道具で最も効率的にすべきでしょう。」
と遮った。男は不満そうな顔をしていた。失敗してバカにされるなど最も屈辱的なので、必ず正確に処理してみせよう。そのために入力フォームを用意して集計にのぞむ。
結果として、通夜には100名ほどの参列があった。次々に香典もやってくる。しかし、こちらも想定している範囲。どうということなく作業は進む。しばらくした頃、
 「ご焼香がまだの方はいらっしゃいませんでしょうか?」
という放送が聞こえ、急いで通夜の会場へ向う。焼香。会計の部屋へ戻る。この間、約15秒。
通夜に来る方が居なくなったころには集計結果が出ていたが、金額と合わない。\5,000多いのである。これは、香典袋の中にさらに香典袋を入れるというミスが原因で、程なく問題は解決した。
手伝っていただいた2名には、通夜に参列いただいた客に食事を振舞っていたので、そちらに行ってもらう。私はまた札束の確認。問題ないことが確認できた。しかし、明日の葬儀もこの調子なのであろうか?恐らく今日よりは多くの参列者が居るだろう。自分が葬儀に参加できなくなることを恐れて、Wordで作業手順を残すことにした。作業といっても、フォームができている状態だから入力するだけで簡単なものである。CD-Rにデータのバックアップをとり、香典袋とお金を持ち、喪主へ渡しにいくと
 「最後の金額確認はしたのか?」
といわれる。ちょっとカチンときた。そんなことは当然しているに決まっているだろう...。
食事の席には幸い、落ち着く顔ぶれが居てくれた。父の妹(叔母)とその旦那さんである。少ししか話はできなかったが、なぜかホッとさせられる。食事も何だか喉に通らなかった。

母の実家で二次会があったが、翌日の葬儀もあるので、そこそこで帰る。
私は祖父の長女である母に
 「金を数えるために帰ってきたわけではないので、葬儀に出させてくれ」
と頼んでおいた。

通夜は喪主一人が斎場に残るという。
何故一人だけなのか、せめて喪主の弟は残るもんだろう...

何だか皆、腹に何かを抱えているような感じがしてならない。
妙な不安に駆られてならない。

色々と所用を済ませて居るうちに、出発が23:30になってしまった。
ガソリンを満タンまで入れて、久喜ICから福島へ。先日、実験としてETCを使ってみたものの、本格的な遠出のために使用するのは今回が初である。

ETCゲートを抜けて、東北自動車道を北上する。天気はあいにくの雨。80km/hの速度制限が出ている。
私は高速道路の運転があまり好きではない。単調すぎて眠くなってしまうからである。首都高くらいの緊張感を持ちながらの運転の方が好みであり、急ぐ旅でないのならば、国道4号線を北上するほうが面白い。しかし、明日が通夜というスケジュールではできるだけ早く実家に帰り、体を休ませる必要がある。
北上する私の車と雨雲は向う方角が同じようで、はじめは浦和ー矢板間が80km/h制限であったが、私の移動と共にその区間が延長され、最終的には、宮城県まで80km/h制限になった。しっかりと溝のあるタイヤだし、低速で走ると眠気が増すので130km/hくらいで移動していたのだが、栃木県中部から高速警備隊のペースカーのようなものが道の前に立ちはだかり、その車を抜かそうものなら、すぐに警告されるという状態に陥ってしまった。これはきつい。何度か、先に行ってもらうためにサービスエリアで休み、コーヒーを飲んだり、体を動かしたり、顔を洗ったりして眠気対策。しかし、休憩後でもちょっと勢いよく走ると、先ほどのペースカーが先導する車群に飲み込まれてしまう。福島飯坂ICまで高速道路を利用したが、最後は本宮あたりから国道4号線を走ってきたほうが速かったのではないかと思えた。

実家に着いたのは翌日のAM4:00。父が飲んでいたと思うスコッチ"Cutty Sark"を飲みながら、少し休憩。一番先に出迎えてくれたのは、猫の「さくら」だった。しばらくして眠気に襲われたので、ベットに倒れこんだ。

朝、福島にいる母から電話があった。母方の祖父が亡くなったとのこと。死亡時間は7/2のAM3:00頃。
埼玉に住んでいる私への訃報はいつもこんな具合で、亡くなってから数時間後に届く。そのため、今際の姿というものを見たことは一度も無い。いつもその様子は人づてに聞いている。穏やかだったとか、あっという間だったとか、吐血して亡くなったとか。しかし、人づての情報というのはどうもあてにならない。今際の様子を美化して話過ぎるように思うからである。

祖父は車椅子での生活をしており、全く持ってバリアフリーではない家ではなく、施設の中で生活していた。私も福島に戻るたびに顔を見せに行っていた。最後に会ったのは正月に帰省したとき。あと二ヶ月も生き延びてくれればもう一人の孫を見せることができたかと思うのだが...
通夜は7/4、葬儀は7/5である。私はどうしても外せない所用が幾つかあるため、明日の夜に車で福島へ向うことにした。妻は妊娠中なので、家に残ってもらうつもりである。

母方の親戚に会うのは、実に久しぶりである。もうこの歳になると、人の冠婚葬祭位でしか顔を合わせることは無い。近々結婚しそうな人が身の回りに居なさそう(憶測)なので、この頃は葬儀で人にあうばかりである。
自分の親類がなくなった日を思うと、6~7月が圧倒的に多い。この時期、盆地である福島の寒暖の差は激しい。それが体力を奪うのだろうか?

20090701.jpg

私はこういう現場にめぐり合わせたことは無いのだが、秋葉原を通過する某電車に乗ったときに、購入したフィギュアやらプラモデルやらを開封して見せ合っている青年らを見て、ゲンナリさせられた記憶がある。

パブリックな空間にプライベートがはみ出してくると、不快になってくる。これは携帯電話の会話などは最たるものであろう。だが、プライベートとパブリックの教会というのは、プライベートがはみ出す形で破られ続けている。女性が電車の中で化粧をし、下車する頃には別人のようになっていたことを過去に経験したが、電車の中という本来パブリックな場でも、周りの人間が自分を知る人ではないと判断すると、人間は電車の壁と同じような存在になってしまう。ただ、そうした人らは知人の前でそのような姿は見せず、知人の間では同調しあい、ちょっと認識がずれている者を見ると「空気が読めない」などというわけである。
一番空気が読めないのは、一体誰なのだろうか?

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