2009年10月アーカイブ

やまや」という酒類を主に扱うチェーン店がある。
本社は宮城県の塩釜市にあるせいか、店舗展開は東北の方が多い。しかし、最近は中国地方まで店舗を増やしているようである。このやまやは池袋東口にもある。非常にいかがわしい店が立ち並ぶエリアにあり、成人男性であれば一言も声をかけられずに店まで到達することは困難であろう。そんなところである。
私はいつも池袋駅で電車を乗り換えているのだが、乗換えまでに随分と時間が出来てしまった。そのため、ふらっとこの店に寄ってみた。いつもソーダ割りで飲んでいるCanadianClubが切れかかっていたからである。
店に入ってカナディアンウィスキーのコーナーで探すと、750ml瓶(なんと、価格は\980!。今までは\1,200で買ってた)が全部売れている。がっかりして隣の棚を見ると、1,000mlのCanadianClubが\1,200で売っているではないか。
そりゃね、池袋から酒の瓶抱えて帰るのはシンドイですよ。でもね、この値段を見せられてしまってはね...。

20091030.jpg

普通の酒屋でCanadianClubを買い求めた場合、輸入代理店はサントリーが担っている商品であることが多く、1,000mlはそもそも扱っていないはずである。やまやは独自に並行輸入のルートも持っており、特に比較的売れる酒は並行輸入で安く扱ってくれる。もちろん、同じ製品で同じ味。いい発見をした。

私の自宅から数kmの地点にも「やまや」はあるのである。車なら重くても心配は無い。近いうちに価格調査のため乗り込んでみるつもりである。

20091028.jpg

またもや"KINGSLAND"を、しかも2本落札した。
一つは通常の瓶、もう一つはウィスキーを蒸留する際に使用する「ポットスチル」の形をしている。限定品であるが、通常が750mlに対し、ポットスチル型は660ml。これで同価格だったりすると、得したのだか損したのかがよくわからない。定価は\3,258。単純に二倍すれば\6,500というところか。
落札価格は\3,200。これに送料が\800。計\4,000。まぁまぁの買い物である。

もう入手できないといわれてしまうと、コレクション癖がある私は中々開封できなくなってしまう。まだ、先日落札した"KINGSLAND"が残っているので、こちらを飲む。ロックでも良いし、お湯割りもいい。
すっかりお湯割りがおいしく感じられるシーズン。秋はいいですなぁ。

20091025.jpg

ラベルの状態から見るに、結構な年季モノかもしれない。
でも、ウィスキーは瓶の中で熟成するものではないので、本当はさっさと飲んでしまうほうが良いのである。

だが、ウィスキーは嗜まないという人が増えていることもまた事実。きっとお中元やお歳暮でもらったものがそのまま保管されていたのであろう。中身は"The Blend of Nikka"と"KINGSLAND" 。前者が定価で¥3,300、後者が\3,258。どちらもブレンデッドウィスキーであるが、前者はあっさり、後者の方がピート感がある。恐らく余市の比率が多いのではないかと思う。"KINGSLAND"の良いところは、封を開けるのに鋏やナイフでリボンを切らなくてはならないところ。これで本物の封蝋を使っていたらより雰囲気が出ていいのだろうと思うが、今どきそんなウィスキーはあるのだろうか?
落札価格は\3,200。送料\850でトータル\4,050。特別安いという取引ではなかったが、まぁ納得できる価格である。

我が家には写真の通り、新聞を緩衝材として送られてきた。新聞は何故か英字新聞。ちょっと贅沢だけど、"KINGSLAND"は普段飲み用に開封しちゃおうかな。"The Blend of Nikka"はゲストが来たときに開封である。

亀山(寺脇康文)さんが居なくなって次の相棒は...とハラハラしていたら、及川みっちゃんですか!
杉下(水谷豊)さんと知的と言う方向性でキャラがかぶるのではないかと勝手に心配していたのだが、いざ始まってみると、その同方向(といいつつも微妙にずれているけど)の張り合いが楽しい。
「アリエネェ」設定としてみっちゃんの愛車が"日産GT-R"になっているが、大門軍団等をリアルで見てきた自分は何とか許容可能。まぁ、これより刑事貴族で本城刑事(水谷豊)が乗っていた"バンデン・プラ・プリンセス1300"の方が滅茶苦茶だし。
(どうでもいいのだが、会社の駐車場によくバンデン・プラが停まっている。誰のだろう?)
神戸さん(及川光博)の特命係への出向期間は半年間。結構楽しめているので1クールで終了しないでほしいと思う。

認めたくない事実ですが...右の生え際に白髪発見。しかも数本。
はぁ...薄毛ではないんですけどね、でもね、ちょっとね。はぁ。
染めるとかそういう量では無いのですが...まぁ、もっと増えても染めないでしょうね。
30代の階段を一段上ってしまった気分です。

私の住む蓮田市の隣である伊奈町にはたくさんの学校がある。その中の一つがこの『埼玉自動車大学校』である。すごい名前だが専門学校である。昔は『埼玉工業専門学校』という名前で、略称が『埼玉工専』。5年間行くほうの「高専」と同じようで紛らわしいのである(ちなみに、埼玉県に高専は皆無)。私は高専卒なので余計に気になってしまうわけである。
いわゆる車体整備だけではなく、モータースポーツ科なんてものもある。金と時間に余裕があるなら、俺も入学してみたいものである。

この学校の文化祭に今日は行ってきた。車大好きの息子を連れてである。

20091018_1.jpg

校舎に入ってすぐ見えるのは、自動車歴史館。往年の名車が数々展示されている。写真はマスタングコブラ。映画でしか見たことがない。

20091018_2.jpg

他にもいくつも車があるが、私の目にとまったのは「BMW イセッタ600」。何がすごいって、車のフロントが開閉し、ここから乗り込むのである。もちろんレストアしたものだろうが、ここまでやるとはなかなか...。エンジンは水平対向 空冷2気筒で19.5ps。水平対向2気筒って何だかすごいよな...。すごく遅いんだろうと思う。

20091018_3.jpg

車内からフロントを見た様子。こんな機構なので、当然ステアリングもドアと一緒に動く。非常に運転しにくそうである。

20091018_4.jpg

シート側の様子。後ろの座席に乗り込むためには、前の座席をまたいで越えるのか?

20091018_5.jpg

R33 SKYLINEを斬鉄剣で真っ二つにしたようなものも出展されていた。

20091018_6.jpg

今は無き、日産の名直列6気筒エンジン、RB-25DET。エンジンの動きから、トランスミッションに動力が伝達、ドライブシャフトを介して後輪が回転するまでのメカニズムを見ることが出来る。同様の出展はポルシェ928やプリウスなどでも見られた。大変ためになる内容だが、息子はまだこういうものに興味を持つことは出来ない。

20091018_7.jpg

で、息子の目を最もひき付けたのがラジコン。このCubeはテーパー角やタイヤにそれらしいものを選んでいるのか、やたらとドリフトする。

20091018_8.jpg

校内にあるバスケットコートがラジコンの走行場となっていた。これだけのラジコンが走り回っていたのだが、さすがにみんな操縦がうまい。銃のようなプロポはどうも不慣れ。息子もやってみたいと言っているが、不可能なのは目に見えているし、高価なもの(モノによっては、チューニングに10万円近くかかっている)を破壊されてはたまらないので、見ているだけにした。
ここに来て息子のラジコン熱(息子の父のラジコン熱でもある)が開花。息子は帰りにトイザらスに寄ってラジコンを買うよう、私にせがむわけである。

20091018_9.jpg

20091018_10.jpg

他のフロアにはモータースポーツ科が使用しているものではないかと思われるが、R31 SKYLINE RS TURBO。何だか懐かしい。

20091018_11.jpg

20091018_12.jpg

こちらはR34 SKYLINE。ロールバーで強化されまくりである。

20091018_13.jpg

そして、Altezza。スポーティなCセグメント車(BenzのC ClassやBMWの3)が好きなのである。R34は自信がないが、これならば運転してみたい。

20091018_14.jpg

校庭は、学生が自作したというカート(といっても、レーシングカートのようなすごいものではない)で、パイロンがたくさんあるコースを回ることができた。息子が運転する気満々であったが、三歳児の足がアクセルやブレーキに届くはずもなく、運転を断念。その代わり、私の運転で楽しんでもらうことにした。アクセル踏みっぱなし、ステアリング操作でスラロームを抜けるとき、息子は「うぁぁあ」と喜んでいるのかびっくりしているのかいまいちわからないような声を出していた。乗車後、「ちょっと怖かったよぉ~」という息子。すいません、大人気なくて(笑)。

校庭外周では、電気で駆動するスクーターの試乗が行われていた。息子に「風になるかい?」と聞いてみたが、全く意味はわからなかったようだ。3歳児と二人乗りはまず無理。ということで、ちょっと待っていてもらってスクーターで校庭一周。この学校の校庭、バンク角がついているし...フルアクセルでも50km/hをちょっと越えるくらいだし、コースがいいので全力で走る。あのスクーターのうるさい音がなくて、これだけ走れるなら本当に使えると思う。私だけしっかり楽しんでしまった。

近所にあるカーディーラーから新車の出展もあった。息子が気になったのはRX-8。俺も乗ったことがない。あの観音開きのドアはどうなのよ?と思い開けてみると、意外と後部座席側も開くので乗降は私の車よりはむしろしやすい。だが、後部座席での長距離乗車はやっぱりキツイものがある。

そろそろ息子が飽きてきたので、桶川のトイザらスでラジコンを購入。今は安い価格のものもあるのですなぁ。パトカーのラジコンを買って帰宅途中、息子は疲れてしまったのか、車の中で眠ってしまいました。

20091017.jpg

略歴
1967年12月3日、スイス・ジュネーブ生まれ。スイス・フランスの二重国籍を持つ。ジュネーブ大学理工学部卒業。Swatch Group,Ulysse Nardinにおいて販売、製造、営業、マーケティング、経営管理部門等でキャリアを積み、chopardの時計宝飾品開発担当を経て、2009年6月1日付けでZENITH S.A.社長兼CEO。


CEO就任の依頼は突然のことだったそうだ。
「仕事を替える気はないかな?君をZENITHのCEOに推薦したい」
という電話が知人から突然やってきた。考えるデュフール氏は考える時間を求めたが、電話からは
「10秒以内に答えてくれ」
と求められ、そしてその依頼を受けることとなった。

ZENITHは、1999年にLVMHグループの傘下に収まり、そのプロダクトの方向性を大きく変えてきた。私は昔の野暮ったいデザインも好きだし、LVMH傘下後のデザインも好きである。昔を知ってしまっているから、LVMH後の価格について???と思ってしまうのだが、前CEOの"Thierry Nataf"の掲げたオープンコンセプト、そして品質の向上という方向性、それは私にも理解できる方向性だった。ここまで価格は上げて欲しくなかったけど。
2004~07年くらいにかけて、ステータス性のある高級時計が不思議なくらいに売れるような状況が訪れた。デカ厚時計がもてはやされ、腕時計と言う存在が強調される時代になった。もちろんこの恩恵にZENITHも預かっているわけだが、それはプロダクトも同等に評価されていたが故のことである。この時期にLVMH傘下でなかったら、ZENITHはどのような立ち居地に今頃は居ることになるのだろうか?

高級時計市場が失速を始めた今日、多少派手なデザインになったZENITHのプロダクトに対し、旧ZENITHを愛した多くの人が「薄型の知的な感じがするモデル」を求め始めた。昨年の"New Vintage 1955"あたりはそうした回帰路線なのかもしれないが、これは別にZENITHがやる必要があるの?と率直に疑問を感じてしまう。

Dufour氏がCEOになってから発表されたモデルの一つ、"New Vintage 1969"。やはりEl Primero中心のクロノグラフでせめて行ってもらいたいと思うが、私は全く興味が持てない。
Nataf氏の退任と共に、ZENITHへの興味が何だか少し薄くなってきてしまった。

ambassador:大使、施設

本来はこういった意味の用語なのだが、最近は使われ方が異なってきている。

宝飾品やバックのメーカーが、そのメーカーブランドの方向性と合致する有名人と契約し、広告のキャラクターとなったり、主催イベントなどに出席したりする。
私は時計以外のブランド物には疎いのであまり語ることが出来ないが、例えば

  • TAG HEUER
    "Leonardo DiCaprio" Carreraシリーズ
    "Tiger Woods" Linkシリーズ
    "Maria Sharapova" F1 Ladies
    "Shah Rukh Khan" Aquaracer
    "Kimi Raikkonen" Carrera Racing & Formula 1
    "Lewis Hamilton" Formula 1
    "Steve McQueen" Carrera
  • OMEGA
    "Cindy Crawford" Constellation
    "Nicole Kidman" Constellation
    "Ellen MacArthur" Seamaster Aqua Terra
    "Michelle Wie" Speedmaster Automatic
    "Zhang Ziyi" Constellation
    "Abhishek Bachchan" Seamaster Aqua Terra
    "Dean Barker" Seamaster NZL-32 Chrono
    "James Bond" Seamaster 300 M
    "Captain Eugene" Speedmaster Reduced
    "George Clooney" Seamaster Aqua Terra Chronometer
    "Sergio Garcia" Constellation Double Eagle Chrono
    "Michael Phelps" Seamaster Planet ocean
    "Alexander Popov" Seamaster 300 M Chrono Diver
    "Michael Schumacher" Speedmaster Date

特にOMEGAとTAG HEUERは贅沢にも「ブランド全体」ではなく(そういうアンバサダーも居るが)、腕時計モデルごとに用意するほどアンバサダーを重視している。Chronographのスポーティなイメージからはレーサーを、ダイビングウォッチには有名なスイマーを、高級路線にはイメージを損なわない俳優を、プロフェッショナルのための道具にはスパイ(笑)を。

OMEGA、TAG HEUERは特別高級な時計ブランドと言うわけではない。高級時計の普及価格帯モデルだが、実際は数十万の出費になるし、同じことを(さらに高い精度で)安価に行うことが出来るプロダクトはごまんとある。そうした商品におけるイメージコントロールは非常に重要である。機械式時計を高い金払って買うという行為、それは「感動」を買うことと同等である。アンバサダーは感動を演出上で大きな役割を担っている。

このようにアンバサダーを持つことが出来るのは、普及価格帯の時計が限界である。同じ価格帯になるROLEXは、アンバサダーを使用していない。既に確固たるブランドイメージを、商品や市場を通じて伝えることが出来ているからであろう。実際、OMEGA、TAG HEUERくらい売れていないとアンバサダーはもてないだろう。

だから、ZENITH CEOだったThierry NatafやHublot CEOのJean-Claude Biver(BLANCPAINの再興に尽力するなど、時計会の有名人)は、自らがアンバサダーのような姿勢をとった。プロダクト価格が100万オーバーをほとんど超えるようなフィールドでは、アンバサダーを常時置くことが出来ない。幸いにもこの二人はそうした役割に応じることができる懐の深さがある。

しかし、いつの間にかZENITHのCEOは変わってしまった。この交代劇には何があったのか、情報が不足しており私も良くわからないのである。
明日は、新CEO Jean-Frederic Dufour氏を紹介したい。

久しぶりのライブハウス行きである。というか、ライブレストランと言うのに極めて近いか?
丸の内のCOTTON CLUBへいく。

今日、出演するライブパフォーマーは"The Rippingtons feat.Russ Freeman".あ、Russ Freemanって、もう亡くなったピアニストの方ではない(幽霊はライブに出ません)。ジャンル的にはsmooth Jazz(Fusion)で、私も大ファンである(日本ではちょっとマイナーかもしれない。私が知ったきっかけも海外のラジオからである)。アルバムは全て所有している。何がすごいって、Russ Freemanのギターである。ギターとSAX、ピアノがイイsmooth Jazzのバンドは大体気に入ってしまうのだが。

BlueNote Tokyoしかり、Club Ikspiariしかり(まぁ、BlueNoteよりは相当マシ)、飲食をここでするとかなりの金額が要求される。そこで、食事は事前に済ませ、飲み物のオーダーだけで済むよう計画。同行したI嬢に夕食の場所の手配を任せた。
で、場所は丸の内のISOLA SMERALDAというイタリアンのお店。夜景がきれいな素敵なお店だが、BlueNote Tokyoに匹敵するプライス!。ワインが充実した店なのだが、「ウッソォォ~ン」と声が出そうになるほど高い。で、食前酒はシェリー酒で我慢。でも食前酒っぽくていいや。
前菜、ピザ、グラスワインで我慢して(コース料理食う覚悟でこなかったからなぁ)COTTON CLUBへ。

20091015.jpg

ここを奥に進むと、ライブレストランへ通じる。中々きれいだが、客超少ねぇ!後から増えてくるのかとマッカランの12年のバニラ臭を楽しみながら待つが、一向に増えない...やっぱりマイナーですか!おかげで、ステージの真前で聴く。
演奏された曲目は、新しいアルバム"Modern Art"からが多い。個人的には昔の曲の方が好きなのでそっちを期待したのだけど。"Tourist in Paradise"とか。でも、ボーカル(あれはボーカルなのか?)のメンバー居なかったし、無理か?パーカッショニストも居なかったし、やれる曲に限度があったのかも。
Russ Freemanのギターテクニックは本当にすごい。ニコニコしながら顔色変えず、でもギターは超絶テクの域。正直、The Rippingtonsのメンバーがついてこれてねぇぞ!と言いたくなるほど。Jeff KashiwaのSAXは勢いがあるけど、もうちょっと優しくてもいいんじゃないの?と思う。
でも、演奏中の90分間はあっという間だった。色々言ってみたけど、やっぱいいですねぇ。

ライブ終了後、持っているのにもう一枚"Modern Art"を買ってしまった。全メンバーのサイン入り。Russ Freemanと握手をしたが、さほど話は出来なかった。私の英語力に限界を感じる。同行した皆様は結構話をしていたようですが。

ライブスケジュールを見ていたら、12/7~8が『大野雄二 & ルパンティック・ファイブ "LUPINTIC JAZZ LIVE 2009 WINTER"』。あぁぁ!行きたい!
BlueNote Tokyoでは10/27に"DAVE KOZ featuring JONATHAN BUTLER"、12月には"DAVID SANBORN GROUP"...聴きたいねぇ。金ねぇよ!

昨日に引き続き、今日も満員電車で膝かっくんされる。但し、扉に寄りかかっている女性が膝かっくんしてくるので、エクストリーム車内熟睡競技的には特殊点+2000なので昨日の方にはとても敵わないのだが、今日の女性は美人。大いに許す。
赤羽駅でグリーン車に乗り換えたが、今日は乗り換えるべきかどうか、本気で迷った。グリーン車で横に座ったのは日本酒をやっていたおっさんだった。ますます微妙な気持ちになった。

18:00~20:00頃の湘南新宿ラインは実に過酷である。
私は池袋駅から利用しているのだが、まず、グリーン車が停まるホーム位置が遠すぎ(メトロポリタン口周辺)で、発車ギリギリにホームに着いたときにはそこまでたどり着けず、普通車に乗ることがある。今日もそんな具合だった。
ぎゅうぎゅうと詰め込まれて車内に入る。発車寸前に乗り込んだので、出入り口に隣接した場所。後ろには女性がいる。
で、この女性。猛烈な勢いで俺の足に「膝かっくん」を仕掛けてくるのである。吊り輪やポールに捕まることすら困難な状況なのに、なんて奴だ!だが、本当に猛烈な混みようで、一体どんな人が仕掛けてきているのかもわからない。これは赤羽駅まで行ったところで確認するほかない。

で、赤羽。その女性を見ると、立ち寝をしているご様子。立ち寝をすると、深い眠りに入りそうになる一瞬に膝の力が抜けてドキッとする。その力が抜けた女性の膝が、私の膝の裏側を直撃していたわけである。この人、相当眠いんだな。

電車はあの揺れが心地いいのか、満員状態でも眠くなってくることがある(酸素が薄いだけではない)。だが、立ち寝に陥るというのはよほどの状況である(エクストリーム車内熟眠においても立ち寝は特殊点+5000点の高度な技とされている)。満員電車という空間は、あらゆる意味で人の理性をなくしてしまう魔性の世界である。

さて、SEIKOの自動巻クロノグラフである。これが恐ろしいほどに資料が存在しないらしい。
開発が始まったのは1967年。クロノグラフ内蔵自動巻ムーブメントの特許を取得し、このプロジェクトはムーブメントの名称そのままで、6138と6139と呼ばれた。研究期間はたったの2年。直径27mm、厚さ6.65mmのキャリバー6139は、日本の近代的な工場で量産されるようになった。センターローターによる自動巻機構は、マジックレバーと呼ばれる両巻上げ機構を介して効率よくゼンマイを巻きあげる。コラムホイールによる制御システム、30分積算計を融資、クロノグラフへの動力損失が少ない、垂直クラッチも採用されている。恐るべし、日本。
このCal.6139を採用したスピードタイマーの初期ロットは1969年5月には既に時計店へ納入された。これに12時間積算計を加えたものがCal.6138で、このムーブメントを採用した時計は1970年にリリースされている。

20091009_10.jpg

Cal.6138。全く装飾されていない。実用品という感じがひしひしと伝わってくる。

20091009_9.jpg

Cal.6138搭載のSEIKOスピードタイマー。

20091009_8.jpg

Cal.6139のセンターローターを外したもの。やっぱり装飾はない。

20091009_11.jpg

Cal.6139を採用した6138スピードタイマー。


さて、このように歴史を振りかって見ると

  • 世界で初めて自動巻クロノグラフを公表したのはZENITH
  • 他のブランドよりもいち早く製品として市場にリリースしたのはSEIKO
という答えが妥当であろう。
機械の工作精度が高まっている現在ならばモジュール式クロノグラフでもさほど悪い気はしないのだが、1960年代のはどうだったのだろうか?つい最近までも、同じく二階式ムーブメントを採用するOMEGAのSpeedMaster Automatic(Ref3539.50)は、その耐久性に対して疑問が持たれていた。

「自動巻クロノグラフ専用」ということで考えると、HEUER-BREITLINGのムーブメントは、仮に世界初の発表であったとしても、そうだと認めがたいところが私にはある。

ZENITHが自動巻クロノグラフムーブメントの開発に着手したのは1965年のことだった。ZENITHはエスタブリスールではなく、実際に手巻きクロノグラフの開発、改良、製造を手がけるマニュファクチュールであり、豊富な経験があった。HEUER-BREITLING陣営と全く異なったこと、それはモジュール式ではなく伝統的な手法を用いて、一体型の構造を目指したという点である。さらにスタート、ストップ、リセットを制御するため、ホイールクラッチやコラムホイールを装備していること、ローターをセンターに配置すること(特許を取得したかったという意図がある)と、要求するスペックは非常に高かった。
そして、この判断は正しかった。1969年1月10日に発表された初代El Primero Cal.400は最上級のスペックで満ちており、直径29.33mm、厚さ6.5mmという大きさは、Cal.11と比較して、直径・厚さ共に1mm以上小さかったのである。
このような小型化が実現できたの第一の理由は、特殊なローターブリッジを開発したことが挙げられる。時計師たちは、ローターブリッジをクロノグラフをクロノグラフ機構の上部とサイドに固定することを選び、技術者達はローターのベアリングにボールベアリングを採用した。このムーブメントは、50時間という、当時としては非常に長いパワーリザーブを誇っていた。テンプは10振動。凄まじいハイビートで、今でももちろん変わりは無い。クロノグラフで1/10の捉えるためには、なんとしても10振動が必要だった。その結果、制度も非常に高いムーブメントに仕上がった。ハイビート機に関しては、今も昔も否定的な意見もある。部品の磨耗が懸念されるからだ。従来のオイルを使っていたのではこの振動数を実現することは難しかっただろうが、元々専用のオイルも同時に開発しており、それ自身も時間と共に変化している。今日では、二硫化モリブデンを主成分とした潤滑システム採用している。

20091009_5.jpg

El Primero Cal.400。様々な点が改良されながら、今でもZENITHの旗艦ムーブメントとして活躍している。

20091009_6.jpg

1969年1月に発表されたファーストモデル。今年、40周年を記念して復刻モデルがリリースされている。復刻モデルに搭載されるムーブメントも、もちろんEl Primeroである。

20091009_7.jpg

ルパン三世の次元も、初代ではこのモデルを使っているようである。二作目以降はROLEX Submarinerを愛用している。

どれだけのハイビート機でも、水晶振動子の前では全く歯が立たなかった。他のメーカー同様、あまり採用されることも無く、70年代中盤にアメリカ資本となっていたZENITHは、出資者の意向を受け、El Primeroの製造を完全に停止することとなってしまった。
しかし、幸運なことにチャーリー・ヴァーモットという老練の時計師が、部品やムーブメント、工具などを工房の屋根裏へ密かに隠した。1981年、エベルの経営者だったビエール・アラン・ブルムがEl Primeroの在庫品を調べるためにZENITHへ使者を送った際、この隠していた工具一式をエベルに渡し、エベルのプロダクトは無事に開発された。1978年に再びスイス資本に戻ったZENITHは、El Primeroを中核とした商品展開で売上を伸ばした。その後LVMHグループ傘下になったZENITHでは、まだEl Primeroが採用されている。形状記憶合金をブリッジに採用したり、パワーリザーブ表示、パーペチュアルカレンダー、ワールドタイム表示、さらにはトゥールビヨン搭載モデルまで存在している。自動巻クロノグラフ開発戦争において、現代まで生き残っているムーブメントは唯一つ、El Primeroのみである。

今からちょうど40年前、1969年は腕時計の歴史を語る上で外すことができない事が起きた年である。SEIKOが「アストロン」というクォーツ式の腕時計を発表した年として認識されている方も多いかと思うが、この年にはクォーツ以外にも画期的なムーブメントが登場している。それは、自動巻きクロノグラフである。

自動巻きクロノグラフが1969年だけで3種類もリリースされており、そのうち2社が「うちが最初に開発した」と言い張っている。私の知る限りの知識では、最も早かったのはZENITHの"El Primero"だったはずである。しかし、BREITLINGやTAG HEUERは、初代のモナコに搭載されたCal.11が世界初だと言い張っている。そして、主張せずに控え目に居るのがSEIKOである。自動巻きクロノグラフであったスピードタイマーには、コラムホイール&垂直クラッチを採用したという(何だか全然古臭くないなぁ)Cal.6139が搭載されており、これも1969年に発売されていたはずである。
このように謎の多い世界初の自動巻きクロノグラフ。この謎がクロノスドイツ紙の「ギズベルト・L・ブルーナー」氏の寄稿にまとめられているので、3回にわけて紹介してみようと思う。

今でこそメジャーになった自動巻きクロノグラフだが、これを実現するために必要な資金、技術力は非常に高いものであった。自動巻きクロノグラフの発想を最も早くから持っていたのは、HEUER社のシャルル-エドワード・ホイヤーであった。1940年代後半、彼の脳の中には既に構想はあったのだが、クロノグラフムーブメントに自動巻きローターを追加して香箱まで輪列を取り付けることは非常に困難であり、巨額なコストと負うリスクを考えるとこの時期に行うことは全く現実的ではなかった。
通常の手巻きムーブメントにクロノグラフモジュールを組み合わせる(俗にいう二階建て)手法において、モバードが1939年に発表したCal.90Mは自動巻クロノグラフの夢を持つものの注目の的だった。Cal.90Mで後ろ側から取り付けられたクロノグラフ機構は、ケースに入れたまま調整や整備を行うことができた出来た。しかし、Cal.90Mに自動巻機構を詰め込むことは出来ない。積算計に必要な軸の邪魔となってしまうからである。
1957年、マニュファクチュールのビューレンが、マイクロローターを搭載した自動巻きムーブメントを世界で初めて発表する。このことにHEUERはもちろん目をつけ、翌1958年、ホイヤーと自動巻き時計を製作する他の8社は、共同で極薄自動巻ムーブメント開発するために手を組んだ。
1960年代初頭、HEUERはライバルであるBREITLING同様、急激な需要部の落ち込みに悩まされていた。危機脱出の希望であったクロノグラフ委員会に両社は所属しており、次第に歩み寄ることになる。両社は急速に広まった自動巻きキャリバーにクロノグラフを組み合わせることが、危機的状況を脱する糸口と確信しはじめていた。
しかし、当時のHEUERとBREITLINGはムーブメントの製造を行っていないエスタブリスールである。そこで、モジュール型クロノグラフの開発に定評があるデプラ・アンド・カンパニー(1968年にデュボワ・デプラに社名変更)とも協力体制を築く。「モジュール型クロノグラフを作る」ためにモバード方式を採用し、「占有スペースの小さいマイクロローター」を実現するためにはビューレンの協力も必要である。1966年1月、BRITLING、HEUER、ビューレンが提携契約に署名し、プロジェクトが開始された。提携契約書は、共同で開発する自動巻クロノグラフの利用権を3社で独占する内容であった。この間にハミルトンがビューレンの過半数株を取得し、5社目のパートナーとして参加している。
1968年の初めにプロトタイプ第一号機が完成する。直径31mm、厚さ7.7mmのこのムーブメントは、着用テストにおいて優秀な結果をもたらした。巻上げ機構もクロノグラフも、過酷な状況下でも問題なく機能した。このムーブメントは当初の計画通り、マイクロローターを採用し、モジュールの下に格納された。5.5振動のロービートだが、クロノメーター規格に匹敵する制度だった。クロノグラフボタンはケース右側に取り付けられ、リュウズは左側に配置される仕様だった。このプロジェクトに投資された金額は総額50万フランという膨大な費用が投入されている。

20091009_1.jpg

一見すると手巻きクロノグラフムーブメントに見えるが、

20091009_4.jpg

分解すると、このように中にマイクロローターが存在することがわかる。

20091009_3.jpg

HEUERが1969年3月に発表した、Cal.11搭載の初代モナコ。他には「オータヴィア」、「カレラ」が発表された。

20091009_2.jpg

BREITLINGが発表したクロノマチック。

HEUER-BREITLINGの自動巻クロノグラフムーブメントは量産体勢に入るまで時間を要している間に、ZENITHが1969年1月10日にジュネーブでEl Primeroを発表する。世界で初めて公式発表されたのは、Cal.11ではなくEl Primeroに他ならないことを意味している。HEUER-BREITLINGチームもバーゼルで開催される国際時計宝飾展まで待つことが出来ず、1969年3月3日、ジュネーブとニューヨークで公式発表を行った・

HEUER-BREITLING連合は1970年に6振動化したCal.12を発表。Cal.13,14,15まで発表されたが、その直後に待ち受けていたのはクォーツショックである。そして1979年、華々しくデビューしたこれらの自動巻クロノグラフムーブメントは消えていったのである。現在、モナコの復刻モデルがリリースされているが、残念ながらこのモデルのムーブメントはETA社製のエボーシュが採用されている。
莫大な費用をかけて開発に参画したメーカーは少なからず何らかの影響を受けた。デュボワ・デプラは影響が無かったが、ビューレンは市場から姿を消し、HEUERはホイヤー家の経営から紆余曲折あり、LVMH傘下に入った。BREITLINGの経営はシュナイダー家に担うこととなり、ハミルトンはスォッチグループに属することになった。

台風のシーズンである。機能から本州には台風18号が接近しており、本日の交通の乱れが懸念されている。

私が利用している「湘南新宿ライン」という電車は、極めて軟弱である。最長「黒磯ー小田原」と1都3県をまたぐ長さのために列車事故等の影響が受けやすいことも事実であるが、すぐ運休してしまう最大の理由は、代替路線が存在することであろう。だが、私の通勤の場合、この列車が止まることによって1回乗換えが増え、通勤時間が20分は伸びる。グリーン車の利用も途中までになってしまう。私にとっては、非常に大事な路線なのである。

今日は台風によるトラブルを見越して少々早めに駅へ向ったのだが、一向に電車はやってこなかった。湘南新宿ラインに関して言えば、前日からもう運休が決まっていたそうである(笑)。最近だらしねぇな。しかし、上野へ行く宇都宮線は動いているはず。それが一向にやってこないのである。既に時刻を表す電光掲示板はその役割を失っている。幸いだったのは、屋根つきの待合室がホームにあったことである。蓮田駅め、歪みねぇな。
待っているうちに何本か電車は来るが、すし詰めというレベルを超えている。電車に乗ろうと必死に突入をかけるスーツ姿の叔父さんがアメフトの選手に見えてくるほどである。私はそんなに気合がないので、何本か見送って宇都宮線に乗り込んだ。

風雨が多少弱まってきたので、さほど遅れることもなく会社に着くであろうと楽観視していたのだが、浦和駅に到着後、うんともすんとも動かなくなった。並行して走る京浜東北線も運休。運休する路線の情報が次々に入る中、最終的には「首都圏の全路線運休」という素敵な状態に見舞われた。私が東京に来て10年以上経つのだが、こんな経験始めてである。私は幸いにもグリーン車で座っていたので、代替移動手段も無いことだし、仕方ないねと思いながら本を読んだり、ビデオを見たりしていた。3時間近く拘束された後に、電車は何事も無かったかのように動き出したのである。

で、東京に到着してちょっと驚いたのだが、完全な運休になっていたのはJRだけだったらしい。数時間の運休はあったようだが、全面運休という状況ではなかったようである。
これは地下鉄・私鉄各線とJRの、列車を運休とする風速基準が異なっていることが原因らしい。2005年12月26日に発生したJR羽越本線脱線事故(5人死亡、32人重軽傷)以降、突風に対する運転基準を改めていて、風速毎秒20メートルを超えると徐行運転し、同25メートル超で運休する。それに対して地下鉄・私鉄各線は羽越本線の事故の前にJRが採用してきた風速30km超で運休するルールを採用している。そこでこのような差が発生した。

うまく時間つぶしができたものの、会社に着いたのが14:30である。通勤に6時間半かかったことになる。

恐らくJRに対して非難轟々なのではないかと思う。台風による影響が予想以上に小さく、またその後、暑いほどの天候に見舞われた。そのあたりがクレーマー達の怒りを増すには十分な要素に思える。特別、緊急事態にあったわけではない私はそんなに文句を言う気にもならないし、怒る気にもならない。安全と思われる基準で運転してもらって結構ですし、何分、何秒を争うような仕事をしているわけでもない。そもそも乗客のことを考えた安全基準を遵守して運営してくれてありがとうとすら思うのだが。

東京に職場が一極集中しているような状況には怒りを覚えるけど。

皇居の周辺の職場で仕事をしている私。周囲には様々な名所があるのだが、私はろくに行ったためしがない。結局のところ、会社に行く前には会社へ向って急いでいるだけ、会社から帰るときにはあたりが既に暗くなっているし、家路を急ぐだけである。
結局のところ、ゆっくりと周囲を見て回る時間など無いのである。何だか悲しい話だが。

今日はちょっとばかり外出があったので、遠回りで帰ってきた。出発地は市ヶ谷の三番町。ここから皇居を突っ切り、国立近代美術館の前を通って、会社に戻るというルートである。
こんな1時間程度の散歩でも、カメラ一つ持っているだけで面白さが変わってくる。もっと写真を撮っているのだが、あまり面白みも無いものが多いし、ピックアップで紹介。

20091007_1.jpg

この周辺には大使館が結構ある。ここはローマ法王庁大使館。

20091007_2.jpg

大使の邸宅がこちら。この周辺の家屋よりもよほど日本的であるところが何ともいえない。敷地も広大で、実にうらやましい邸宅である。

20091007_3.jpg

20091007_4.jpg

もう少し歩くと、民家を創作・染色品の販売、展示をする店に遭遇。SALEといわれても、相場がわからないので何ともいえないのである。

20091007_5.jpg

皇居と千鳥が淵の間の道路を歩いていくと、目の前に東京国立美術館が見える。

20091007_6.jpg

その隣を通る高速道路が何ともうるさい。風情ぶち壊しである。

20091007_7.jpg

今日の展示は『染めの夫妻陶芸コレクション リーチ・濱田、豊藏・壽雪』とある。が、陶芸について無知な私には誰の何なのかがさっぱりわからない。が、建物が非常に立派なので、これを眺めているだけで十分楽しめる。

20091007_8.jpg

元々は近衛師団司令部庁舎だったらしい。皇居に近いこの場所、そして凛々しい印象があるたてものは、近衛師団のイメージにぴったり合う。

20091007_9.jpg

この建物の外には馬に乗る軍人の銅像がある。モデルは『北白川宮能久親王』詳しくは下の画像を参照のこと。

20091007_10.jpg

皇居周辺にはこのような銅像がたくさんあるが、ここまで躍動感があるものは珍しい。

20091007_11.jpg

と、こんな散歩で1時間というところ。次は皇居がある南側を回ってみたいけど、いつ実現できるかな?

昼食をとろうと、市ヶ谷近辺を歩く私。天気が良いならば弁当を買って公園で食べても良いが、今日はあいにくの雨。

20091006_1.jpg

店に入って食事をするならば、少しはこだわりたい。そう思いながら歩いていると、路地の中にこんなお店を発見。軒先に杉玉が吊るされているところを見ると、日本酒の店か...とおもったら、ランチメニューが店の外に出ている。建物も中々渋く好みである。ここに入ってみることにした。

20091006_2.jpg

店の名前は『あて』。『あて』とは酒のつまみのことで、主に近畿地方で使われる言葉である。

20091006_3.jpg

店に入ってびっくり。厨房もある1階はこんな感じ。古民家感があって良い。

20091006_4.jpg

厨房は昔の土間のようになっている。このあたりの演出も中々良い。

20091006_5.jpg

ランチは数量限定のようである。事前に用意できるものは皿に盛っておいて、温かくないとおいしくないものは直前に作る。土間のようになっているけど、さすがにガス器具はある。

20091006_6.jpg

私が食べたのは「鯖の味噌に定食」。丁寧に骨が取ってあるし、とてもおいしかった。ちょっと感動したのはアラ汁。

20091006_7.jpg

こういうものからだしをとっているので、実においしい。私の味噌汁には目玉の部分が入っておりました。

20091006_8.jpg

この店で「若女将」と呼ばれていたけど、本当はアルバイトらしいおねえさん。色々なところに気が回るし、気立てが良くて非常に好感が持てる。でも、お昼の時間しか居ないらしい...。

杉玉があったことから想像できるとおり、この店は日本酒のお店である。私はあまり日本酒は得意ではないのだが、ここでなら飲んで見たいと思った。
2階は個室になっているらしい。この雰囲気の個室となると、期待大。市ヶ谷近辺で飲みイベントがあったら、ぜひとも使いたい。


『あて』
東京都千代田区九段南4-8-34
03-3262-0044
営業時間 11:30~14:00/17:00~23:30 日曜定休

【中川昭一氏死去】自宅のベッドで死亡、目立った外傷なし
2009.10.4 10:10

 中川昭一元財務相(56)が4日朝、東京都世田谷区下馬の自宅のベッドで死亡しているのが見つかった。警視庁世田谷署によると、目立った外傷はなく、これまでに遺書は見つかっていない。同署は死因などを調べている。
 同署によると、中川氏が同日朝、起きてこなかったことから、妻が2階寝室に様子を見に行ったところ、ベッドの上でうつぶせになり、ぐったりしている中川氏を発見。同日午前8時20分ごろに119番通報した。救急隊が到着したときにはすでに死亡しており、病院には搬送されなかった。
 室内に荒らされたような形跡はなく、中川氏は寝間着姿だった。妻が3日午後9時すぎにベッドで寝ている中川氏を見た際には呼吸をしていた。
 中川氏は妻と息子、娘の4人暮らし。当時、息子と娘は外出していた。

産経ニュースより


一度の失敗により、一生取り返しが効かないことがあるものだとつくづく思わされた。
G7での酩酊会見、バチカンでの行動。衆議院当選8回、自民党保守派の先鋒として国益にならないことには断固として反対し続けてきた実績が、一度のこの事件によって全て吹き飛ばされてしまった。プライドも志しも高かったであろう中川氏、今回の衆議院選挙での落選で心身ともに衰弱してしまったのだろうか。
今回、初当選した民主党の議員達を見て、中川氏は何を思っただろうか。プライドよりも志よりも、何を言われても無神経に受け止める鈍感さが政治家には必要なのだろうか。私はそんな人々に政治を任せたくはないと思うのだが。
自殺でも他殺でもないとの見解らしいが、あの酩酊事件のマスコミ報道はちょっと異常ではなかったと思う。

マスコミは政治にも変え、人を容易に殺すくらいの力がある。本当に恐ろしい存在である。

カレンダーの日付が赤い日は父と遊ぶ日。息子の中ではそのように定義されているようである。私はその週の週末、どこに行こうかと考えているわけだが、今日は最近行っていなかった銭湯、健美の湯へ、一緒に行ってみることにした。
息子も3歳になり、ようやくお風呂で粗相することも無くなった。やっと一緒に行けるのである。だが、サウナは無理だろうし、露天風呂も初経験ではないか?私はこうした風呂に来ると3時間くらい居座ってしまうのだが、息子と一緒では、まず無理だろう。息子は長湯が好きではないのである。

土日祝日は、大人が\650に、幼児が\250である。総計\900。お父さんも久しぶりに来たことだし、少なくともいつも以上は風呂に入っていたいぞ。
初めて見るような大きな風呂。泡が出るものもあれば、ヒノキの風呂もある。薬湯も。だが、何故か普通の大きいだけの風呂に入りたがる。なかなか落ち着かないらしい。私にぴったりとくっ付いて離れない。そうか。野郎が裸でこんなにたくさん居るところに来るのは息子ははじめてであったか...あまり人がいるところには行きたがらない。何だか怖いのかなぁ?

色々な風呂に入って15分も経つと、風呂に飽きてくる息子。妻からは「息子を徹底的に洗ってきて」と依頼されているので、それをこなした後に自分の頭や体を洗う。結局、40分くらいしか居なかった。最短記録であり、コストパフォーマンスも悪い。これはもうちょっと慣れてから来るべきであったと反省。ここに来たくなったら、息子の目を盗んでそ~っと一人で来るほうがいいなぁ...と正直思った。

先日、オークションで落札した妻用デジカメが、完全に息子の遊び道具と化している。このままでは壊れるのも時間の問題である。
そこで、安いデジカメを息子用に買ってあげて、被害を最小限にしようと考えた。

20091003.jpg

大宮のsoftmapで異様に安い中古デジカメを発見。ジャンク品扱いのものだったが、デジカメの機能には全く問題ないし、ちょっと壊れている部分も私で直せるレベル。ということで購入したのがCanon PowerShot A80。記録媒体は最近あまり見かけなくなってしまったコンパクトフラッシュ(以下CF)。私がメインで使用しているNikon D70の記録媒体もCF。512MBのCFを使っていたが、今回1GBのCFを購入し、既にある512MBのCFを息子にあげることにした。しかしこうした製品も随分と安くなったものだ。

PowerShot A80のウリはバリアングル液晶だと思う。画像確認用の液晶ディスプレイが可動・反転し、様々なアングルから写真を撮ることができる。子供が使うということで、ヒンジが少し弱そうなところが気にかかるが...。使ってみると意外と面白い。まず自分撮りができる(これは携帯電話的感覚)し、撮影しにくい場所でも、結構撮影できてしまう。面白い。ちょっと息子にあげるのが惜しい感じもするが、まぁ、そういう撮影をするときに借りることにしようと思う。
このモデル、2003年の製品なんだなぁ...まだあの頃は400万画素クラスが定番だったのか。デジカメの技術革新の早さにあらためて驚かされた。オートフォーカスが若干遅いものの、結構きれいに撮影はできる。これで息子は前衛的過ぎて良くわからない画像を大量に生み出すことでしょう。

20091001.jpg

まだカップラーメンを電車の中で食べている人というのは見かけたことが無いが、ちょっと小腹が空いたときに食べると満腹感が多少得られるという大豆製のお菓子やカロリーメイトのようなものを、控えめに食べている人は時々見かける。これに関しては、殺人的なラッシュの時以外はまぁ別に良いんじゃないかと思う。
私が心配なのは缶の飲料水やお酒を飲んでいる人が居るときである。しかもその人が立っていたりするならば、出来るだけ近づかない。首都圏の電車(特に山手線など)は駅と駅の間隔が短いため、Stop & Goによる衝撃が結構大きい。緊急無線や赤信号で電車を止めるときも、それだけの制動能力があるために、かなり急に止まる。すると、乗車している人々は倒れそうになってしまう。そこで缶から液体がこぼれたら...と思ってしまうのである。
夜遅くなると、立ちながらビールやチューハイを飲んでいる人を良く見かける。お疲れでお酒が飲みたくなるのもわかるけれど、できることならば普通車では遠慮してもらいたいと、個人的には思っています。

歯のケア対策にはインプラント・矯正歯科・入れ歯などに役立つ情報サイト

定期的に歯のケアをされている方がいます。そのような方々は受診前に歯に関する情報サイトで、知識を吸収しているようです。歯医者さんで、インプラント・矯正歯科・入れ歯などの受診に役立ててください。

MTBlog50c2BetaInner

2010年7月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
MovableType(MT)テンプレート 無料(フリー)
Powered by Movable Type 5.02