何かの分野に対し真剣に取り組んでいる第一人者と言われるような人の講演や授業というものは、非常に面白いことが多い。それはその取り組む対象への哲学が生まれてくるからではないかと思う。誰よりも面白いところを知っている。そしてその面白さを皆に知ってほしいと思う。例えが適切ではないかもしれないが、芸人のようなエンターテイナーだなぁと思わせてくれた先生を私は何人も知っている。
私ももう10年以上も人に物事を教える仕事をし続けてきた。グラフィックデザインや情報技術をいかにわかりやすく、好奇心を持たせて伝えることができるか?どんな実験や実習をさせればより理解が進むかを自分なりに考えながら教えてきたつもりなのだが、受講生に「この人は本当にこういうことが好きなんだなぁ」という思いを少しでも抱かせることができたかどうか…私はこの作品の博士と中学校の数学教師となったルートを見ながら振り返らずにはいられなかった。
不慮の交通事故で、天才数学者の博士は記憶がたった80分しか持たない。何を喋っていいか混乱した時、言葉の代わりに数字を持ち出す。それが、他人と話すために博士が編み出した方法だった。その博士の下で働くことになった家政婦の杏子と、幼いころから母親と二人で生きてきた10才の息子。博士は息子をルートと呼んだ。博士が教えてくれた数式の美しさ、きらきらと輝く世界。母子は、純粋に数学を愛する博士に魅せられ、次第に、数式の中に秘められた美しい言葉の意味を知る。出演は寺尾聰(博士)、深津絵里(杏子)、斉藤隆成(子供のころのルート)、吉岡秀隆(先生になったルート)、浅丘ルリ子(未亡人)。原作、小川洋子「博士の愛した数式」(新潮社刊)。小泉堯史監督。2005年作品。公式サイトはこちら。
感想の前に、この作品中に出てきている数式は高校レベルの数式なのだが、素数・階乗・完全数・虚数あたりまでは辛うじて記憶していたものの、友愛数や指数関数と三角関数を結びつけるオイラーの公式(eπi+1=0)あたりは完全に記憶の彼方へ飛んでいた(博士、ルートともにオイラーを尊敬していたようだが、私が高専にいたころの数学の先生もそうだったように記憶している)。使っていないものは忘れる!仕方がない!
この作品の中で最も心を強く打たれたのは病院のシーン。博士が杏子に「直線を描いてごらん」というシーンだ。厳密な直線の定義によれば永遠に続く線が直線であり、始点と終点を持つ線は線分と区別される。しかし、紙という限られたスペースに書ける線には限界があるし、永遠に線を書き続けることができるだけの体力がある人間など存在しない。つまり、本当の直線というのは視覚化することができない、心の中にしか存在し得ないものだという。そして、直線のような視覚化出来ない、心の中にあるものの中にはとても大切なものがあると博士は話す。
私はこのところずっと考えていることがある。時間のことである。時間というものが確実にあるということは皆が知っているのに、例えば空間の広がりのように視覚的に認識することができない。先の直線のようなものである。そして、あるときは長く、あるときは短く感じられて捕らえどころがない。
人は「いつか」という(本当にあるのかどうかわからない)将来に期待し、「いつか」という過去に後悔したりしながら生きてしまいがちだが、80分で記憶が切れてしまうという博士にはこれがないのである。常にその瞬間瞬間を大事に(もちろん、博士はそういう意識は持てないのだが)生きているその姿は、生物としてむしろ自然なのではないかと思わされた。
上映時間は117分と長すぎも短すぎもせずちょうどよい。静謐な物語の展開も自分にはちょうどよかった。心が温まり、数学に対する興味を再び持たせてくれた秀作と評価したい。お勧めできる1本である。









