実は私は、ありとあらゆるスポーツが苦手であり、することはもちろん、観戦することにも全く興味が無い(唯一あるのはモータースポーツ位か?)。だから、世間話としてこの手のスポーツネタを振られることは、私にとっては猛烈な苦痛なのである。少なくとも、オリンピックの時期は、付き合いで出席しなくてはならない飲みはできるだけキャンセルしようと思っている。
ニュースを見ていてもスポーツコーナーがはじまったらチャンネルを変えるし(さらにいえば、スポーツ担当キャスターのはしゃぎっぷりや、まるで自分が優勝したかのように喜ぶのが見ていられない)、当然のごとくスポーツ新聞などは読む気にもならない。
比較的、事実を淡々と報道してくれるNHKのニュースばかり見ているのだが、それでも21:00のニュースではかなりはしゃいでいて(メインキャスターも元スポーツキャスターのため、うるさい)何だか見るのがきつくなってきた。
あと一ヶ月ばかりでオリンピックが開催される。電機メーカーはここぞとばかりに大型テレビとブルーレイやHDDレコーダーの新モデルを投入し、売りまくろうとしているようである。キャッチコピーも「北京を高画質で」とか、「オリンピックを大画面で」なんてのをつけているようだが、私個人の心には全く届かないキャッチコピーである。こういうときに、自分のマイノリティっぷりを猛烈に感じる。しかも、我が家でこうしたものに興味が無いのは、妻も一緒。マイノリティ一家なのである。
オリンピック競技を見ることが無いわけだから、録画してもう一度見る人の気持ちも当然のごとくよく判らず、さらにブルーレイのようなメディアで永久保存版を作っているなんて人の気持ちはますますわからない。我が家のような家における需要喚起には全く至らない広告宣伝なのである。
私は以前も同じようなことをブログに書いたことがあるのだが、なんで「スポーツ」というインターフェースを介することによって、人々はこれほどまでに愛国者に変わるのかが良くわからない。日本を愛するのならば、メダルの数で一喜一憂するよりも、社会保障費削減問題や、特別財源の透明化、労働問題、ガソリンの暫定税率、国内の食料自給率の向上(キリが無いんでもうやめます)などに意見をぶつけないのだろうか?住みよい国にするために、もっと別なベクトルに愛国心を向けてほしいものである。
話をスポーツ競技のことに戻す。
日本人選手は金メダルをもらったりすると「皆さんの応援のおかげです」とあらゆる方向に答える。そして報道する側は「すばらしい感動をありがとう」、「日本中が喜びに溢れている(私の中には喜びは溢れていません。どうでもいいです)」と結ぶわけである。金メダルを取るような選手は、血のにじむような(一般大衆には想像の付かないような)努力をしているのだろうが、決して「私のたゆまぬ努力の賜物です」とはいわない。こういうことをいうと、世間は「けしからん」というわけである。そして、選手もそのことを知っているのである。
社会学的に人の演技的行動を分類すると「表層演技」と「深層演技」に分けられる。表層演技は自分が演じていることを自覚しながら行われる演技であり、深層演技はその人の性格や体質にまで及んでいる、無意識の演技である。日本のスポーツ選手が「皆さんの応援のおかげです」というのはまさしく「深層演技」のレベルだろう。この国ではこうした「深層演技」に長けた人間が大人とみなされ、そうしない人を子供と見る。
でも、こんなに媚を売る必要は無いと思うし、それに対して反感を持つというのもかなりおかしいと思う。だって、あなた達はその選手のコーチでもなんでもないでしょうに?ただ単にテレビ見て、一方的に応援しているだけでしょう?何を期待しているというのだろう?
ところで、様々なニュースに対して発生する人の意思は、メディアが作り出すものであってはならないというのが私的信念である。だから、余計なコメントを挟むキャスターが居るニュース番組には寒気がするし、それが多くの人にこの世の普遍的意見として受け入れられている事実にガックリとさせられる。(私はそういうことを積極的にさせようとしている報道ステーションとニュース23が特に嫌いです)これはまさに集団的催眠の実施であり、中世の魔女裁判やナチスのユダヤ人迫害の構造とたいした変わりは無いのではないかと思う。そして多くの大衆は、このことを断罪される時が来たならば「私達は何も知らなかったのだ」と、魔女裁判の時と同じことを答えるのだろう。