このCMに覚えがあるとするならば、私に近い年齢の方なのかも知れない。1982年のACジャパン(当時は公共広告機構)のCM。
これは長崎県の端島(はしま)と呼ばれる島で、外観が軍艦に似ているために通称「軍艦島」と呼ばれている。
私は廃墟というものが好きで、人が接しないことによる自然の風化は時として芸術的な光景を作り出す。自分で廃墟物件に乗り込むほどではなく(実際、崩落や突起物での傷による破傷風など、危険性を考えると私には行けない)、幾つか廃墟に関する写真集や書籍を眺める程度なのだが、「なぜこの建物が廃墟となったのか?」といういきさつ、そして最盛期であった頃の写真などと見比べていると、栄枯盛衰という言葉の意味を再確認した気分になってくる。
そんな廃墟の中で、麻耶観光ホテル、松尾鉱山あたりと肩を並べる有名廃墟がこの軍艦島である。
明治23年、三菱へ譲渡され三菱の私有地となった。この島では良質な強粘炭が大量に採れ、日本の近代化を支えた島といっていい。炭鉱の拡張と共に住民が増え、10階建ての鉄筋コンクリート製の鉱員社宅も存在した(エレベーターは無い...)。大東亜戦争時、鉄筋コンクリート製の建物の建築は全て中止されていたと聞くが、軍艦島の住宅に関しては例外だったようだ。
島内の人工が最も多かった時期は1960年(昭和35年)で5,267人、人口密度は83600人/km2と世界一を誇り、東京の9倍であった。炭鉱、住宅以外に小中学校、店舗、病院、寺院、映画館、理髪店、美容院...が島内にあり、生活に必要なものは島内だけで賄うことが十分出来た。
この島の衰退は、他の炭鉱等同様に主要エネルギーの石炭から石油への移行である。そしてついに、1974年1月15日に閉山し、住民も同年4月20日までには全員退去した。
2001年、三菱マテリアルは軍艦島を長崎市(当時は高島町)に無償譲渡している。
一部の廃墟マニアが上陸し、その映像が写真集、テレビ報道、YouTube、ニコニコ動画などにアップされている。海沿いの建築物で老朽化がかなり進行しており、危険である。2005年に報道関係者の上陸を許可。その後の整備である程度の安全確保がなされたため、2009年4月22日からは観光客が上陸、見学できるようになった。
この軍艦島だが、2008年9月に世界遺産暫定リストに追加記載されることが決まり、2009年1月に記載された(報道映像はこちら)。
世界遺産化に関してはちょっと複雑な気持ちである。確かに行きやすくはなるだろう。だが、廃墟としての退廃的美しさ、そうしたものが失われてしまうのではないだろうか。そして、石見銀山のように、大挙してこの島に人が訪れることに妙な違和感を感じてしまうのである。
といいつつ、行けるようになったらば、私はこの軍艦島には必ず行くだろうが。


