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【中川昭一氏死去】自宅のベッドで死亡、目立った外傷なし
2009.10.4 10:10

 中川昭一元財務相(56)が4日朝、東京都世田谷区下馬の自宅のベッドで死亡しているのが見つかった。警視庁世田谷署によると、目立った外傷はなく、これまでに遺書は見つかっていない。同署は死因などを調べている。
 同署によると、中川氏が同日朝、起きてこなかったことから、妻が2階寝室に様子を見に行ったところ、ベッドの上でうつぶせになり、ぐったりしている中川氏を発見。同日午前8時20分ごろに119番通報した。救急隊が到着したときにはすでに死亡しており、病院には搬送されなかった。
 室内に荒らされたような形跡はなく、中川氏は寝間着姿だった。妻が3日午後9時すぎにベッドで寝ている中川氏を見た際には呼吸をしていた。
 中川氏は妻と息子、娘の4人暮らし。当時、息子と娘は外出していた。

産経ニュースより


一度の失敗により、一生取り返しが効かないことがあるものだとつくづく思わされた。
G7での酩酊会見、バチカンでの行動。衆議院当選8回、自民党保守派の先鋒として国益にならないことには断固として反対し続けてきた実績が、一度のこの事件によって全て吹き飛ばされてしまった。プライドも志しも高かったであろう中川氏、今回の衆議院選挙での落選で心身ともに衰弱してしまったのだろうか。
今回、初当選した民主党の議員達を見て、中川氏は何を思っただろうか。プライドよりも志よりも、何を言われても無神経に受け止める鈍感さが政治家には必要なのだろうか。私はそんな人々に政治を任せたくはないと思うのだが。
自殺でも他殺でもないとの見解らしいが、あの酩酊事件のマスコミ報道はちょっと異常ではなかったと思う。

マスコミは政治にも変え、人を容易に殺すくらいの力がある。本当に恐ろしい存在である。

各メディアの自民党バッシングが半端ではない。
それでも私達はそうした情報を元に世の中の動きを知るしかない。しかし、報道がある方向に寄れば寄るほど、その内容を疑ってしまうのが天邪鬼の私。別に自民党が好きなわけではないのだが、世論調査をはじめとする各種統計情報、社説、解説員の説明、あまりにも民主党より過ぎはしないだろうか。
もう、椿事件の二の舞のようなことは止めてほしいものである。

ニヒリズムのことに関しては、以前、西部 邁先生の『虚無の構造』の書評と同時に私のとりうる態度を書いた。
ニヒリズムを語る上で欠かせないニーチェは、ニヒリズムに対する私達の態度を二つに大別した。

  1. すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度(強さのニヒリズム、能動的ニヒリズム)。
  2. 何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度(弱さのニヒリズム、受動的ニヒリズム)。

しかし、日常的にニヒリズムというものをこのように捉えて考えている人など、あまりいないことだろう。
例えば「ニヒルな人」という使い方がある。これはどういう人を差すことが多いのだろうか?私が思うには、自分を含む全てを疑問視し、冷静な態度をとりつつも、思慮深い慧眼を持ち、かつ紳士的な人あたりを指すのではないかと思う。今となってはあまり使われる言葉ではないのかもしれない。

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私の中でニヒルな俳優といえば、本題作品にて探偵、明智小五郎役を演じた眉間の皺が似合う男、「天知茂」が筆頭に挙がる。いや、天知茂がニヒルというよりも、明智小五郎を演じる天知茂がニヒルに感じられるのかもしれない。人というものに絶望しつつも、自らの推理という仮象を次々に生み出し、周囲とは全く違う視点で事件に挑む。毎度毎度の登場する美女の誘惑に負けそうになりつつも(笑)。

本シリーズはテレビ朝日系列で1977年から『土曜ワイド劇場』の中で放送していたドラマシリーズ。今はそれらがDVD化されており、かなりのペースで見ている。
残念ながら、天知茂は本シリーズが終了する前、1985年に亡くなっている。享年54。若すぎる死であった。

その後は北大路欣也、 西郷輝彦が明智小五郎を演じる。私は北大路欣也も好きなのだが、このシリーズに関してはやはり天知茂がしっくり来るのである。

明智小五郎モノというと子供向けの作品が多い中、大人向けに演出された本作品は(原作からはかなりかけ離れてはいるものの)今見ても十分に楽しめる。とりあえずは、天知茂作品を全部見てみようと考えている。

先日まで、私の務める会社の一室にたてこもり、膨大な資料の確認をしている人たちがいた。我社が契約している監査法人からやってきた会計士達である。期末決算書の妥当性について細かく調査を行い、決算書が承認しうるものかどうか意見する。その昔は監査法人には多少の温情意見というものがあったようだが(そもそも企業から決算書の監査を依頼されるわけだから、癒着といった構造が生まれやすかった)、市場が世界規模に広がるにつれて厳正なる監査を金融監督庁からも求められるようになってきた。もし、この監査法人の意見が「承認できない」という回答であれば、粉飾決算とみなされ株主との関係が崩れ、資金繰りが難しくなる。さらに上場企業であれば、株式の下落という危機も待っている。社内の経理部門がうるさいのはこうしたリスクを軽減するための努力と見るべきであろう。

話は変わるが、NHKで土曜日21:00枠に放送されている「土曜ドラマ」では私好みのドラマをよく放映している。この枠で比較的有名なドラマをあげれば、柴田恭兵や大森南朋が出演していた『ハゲタカ』がある(『ハゲタカ』は映画化されるらしいですな。オフィシャルサイトはこちら)。銀行の自己資本比率が総資産額に対する4%(海外拠点がある銀行の場合8%)を切りそうになり、銀行業務が行えなくなることを恐れた銀行経営陣が、バルクセールなどを行っていた1997年頃のお話。通称『ハゲタカ』とは、瀕死の企業に対する貸出債権などを安値で買い取り、工場閉鎖やリストラを強引に推し進め、企業を事実上解体して利益をあげるような投資家・ファンドの俗称として用いられる。1980年代後半、米国で多額の借入金債務で倒産しそうな会社の暴落した社債や貸出債権を底値で買い取る金融業者、それを専門とするファンドが現れた。その姿が死期の近づいた動物の上空を旋回する「vulture(コンドル、ハゲタカ)」を想わせることからこの名がついた。日本ではより広く、投資リターン獲得に貪欲なファンドをすべてハゲタカと呼ぶ風潮がある。「護送船団形式」のような温情をかけすぎるのも一つの問題ではあるし、常に雇用の不安を抱えながら仕事をしなくてはならない社員が生まれるような強硬かつ冷淡な外資ファンドのやり方にも問題がある。この「旧体制的温情治療 VS 強行冷徹荒療治」が争点となったが、どちらが良い・悪いではなく、この国に合った手法を、悪しき習慣、外圧に屈せず模索していく必要があるという大きな問題提起となった番組だと思う。

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さて、『監査法人』である。全6回(だが、NHKの1時間ドラマはCMが無いので、民放の2時間番組に内容は匹敵するのでは?)。撮りためていたものを一気に見た。オフィシャルサイトはこちら
2002年、未だバブル後の日本経済が不透明だったころ、最大手の監査法人である「ジャパン監査法人」では、不況の影響により経営が苦しい企業に対して「多少の粉飾を見逃そう」とする温情派と、「厳格な意見を下す」厳格派の対立が起きていた。主人公である公認会計士の若杉 健司(塚本高史)は厳格監査の急先鋒である小野寺 直人(豊原功補)の方法を正義と信じ鑑査に望むが、その監査結果により制裁を受けた企業、社員を見て仕事に疑問を抱くようになる。一方、ジャパン監査法人の理事長 篠原 勇蔵(橋爪功)は、厳格監査を推し進めれば日本中の企業が倒産しかねないと、小野寺と対立する。
若杉は食品会社「飛鳥屋」の監査の中で、大手メガバンク「東都銀行」頭取との間に設けられた架空会社の存在を知り、飛鳥屋の経理担当から裏帳簿を入手する。これらの仕掛けを公表されることにより、飛鳥屋、そして今まで飛鳥屋の監査を承認してきたジャパン監査法人、仕掛けの立案者でもある東都銀行が経営危機になることは目に見えており、篠原は審査会で「承認できない」とされた監査結果を覆そうとする。だが、小野寺は財政監督庁の宮島恭一検査局長(利重剛)らと共謀し理事長の座から追放、証券取引法違反で逮捕されるに至った。
これにより、ジャパン監査法人は解体し、小野寺は「エスペランサ監査法人」を起こし、自らが理事長の任につく。小野寺の下、若杉は厳正監査を進めていくが、理事長という立場になった小野寺は会社存続のために厳格監査ではなく、多少の粉飾を容易に認めるようになっていた。若杉は変わっていく小野寺と同向き合うか、エスペランサ監査法人の行方は...

と、前フリのつもりで書いたが3話くらいまで書いてしまったかもしれない。
ハゲタカにも共通するが、この物語の中には「温情監査会計士 VS 厳格監査会計士」と「理事長としての立場 VS 正しい監査」という2つの側面について対立が見られる。もちろん、これは「どちらかが絶対に正しい」というわけではなく、それぞれの時代、その国の文化、かかわる自分の立場という面から、ただどちらかを一方的にではなく、必要とするものを取り入れ、不適格なものを排除していくしかない。特に「理事長としての立場 VS 正しい監査」は小野寺の内面の葛藤だ。ジャパン監査法人の理事長であった篠原と同様...いや、それ以上に会社存続のことしか考えられなくなっている。

実に面白いドラマであった。こんなに面白いと感じたのは久しぶりである。

最後に、とある人がドラマの中で話したことがあまりにも自分の考え(というか、そうしたほうが良いと気にしていること)に近かったので、それを紹介しようと思う。

 『真実を貫くことだけが全てじゃない。
  それが誰かのためにならなければ意味が無い。』
 『正しい言葉は正しいが故に、時には人を傷つけることがある。』

昨日の夕方あたりから嫌~な気分がこみ上げて来ていた。
大型連休の終わりはいつもこのような悲しい気分になってきて、ため息ばかりが出てしまう。

今の私にとって、仕事というのは手段である。目的ではない。
正直、仕事を楽しんでいるという人を見ると羨ましくてならない。楽しそうに踊っている人々の中に入ることがどうしても出来ないのである。踊り続ける体力もないし、やはりそういう自分を客観的に見てしまい、何だかうんざりしてしまう。そういう癖が沁みついてしまったようである。
私の生活の軸足は、私自身に未だ置いている。家庭とか子供とか、そういうところに置くのが一般的なのかもしれないが、それが出来ないのである。わがままで身勝手でどうしようもないのだが、そうそうこういう考えをこの年になって変えることができようか?

ちなみに、生活するだけに困らないほどの財力があれば、大した金にならない仕事を少しするかもしれないが、会社は辞めると思う。だが、そんな宛てがあるわけでもないので「あぁぁ、しかたねぇなぁ」で仕事をする。宝くじでも当たればねぇ...って、買ってもいないのに当たるわけが無いよね(笑)

私が「今」と発した瞬間に、「今」と言った時間は過去となる。「今」とは常に消費され続け、その実態を掴むことができない。
そんな性質だからか、日本語の「今」という言葉には直近の過去を含めて使用している。というか、つかみどころがないのだからこのように表現するしかないというのが実際である。

一昨日の記事に「時間の最小単位はあるのか?」ということを書いた。『ループ量子重力理論』が正しいものだとするならば約10-43秒が最小単位となるが、このような瞬間を捉えることはほとんど不可能で、やはり「今」とは瞬時で過去にとり変わられるものらしい。
今が過去に取って代わられる現象からは逃れることが出来ない。自分の体の老いなどを意識するとき、この現実がとても残酷なものであるように思えてならない。
ところで、仕事とは労働力を売るだけではなく、時間を売ることでもある。特に仕事嫌いの私にはこのことを思うとうんざりしてくるのである。

昨日より、時間ネタ続きである。退屈なネタですいませんねぇ。個人的にはすごく興味があることなので。

以前、アインシュタインの『特殊相対性理論』によれば、「光の速度は、観測者が移動していようといまいと関係なく一定である」ということを紹介した。この『特殊』とは「加速している場合や重力が加わった場合を含まない」状態を意味している。それに対して「加速している場合や重力が加わった場合を含めた一般的な状態」における重力や光、時間に関する現象をまとめた相対論がアインシュタインの『一般相対性理論』である。一般相対性理論からは重力場によって光が曲がったり、強い重力場から放出される波長はもとの波長より長波長になる現象、ブラックホールの存在などを予測することができる。
時間と重力の関係について、地球の中心から離れれば離れるほど(高度が高くなればなるほど)時間が進むことを証明している。例えばエベレスト山頂地点(標高8,848m)と、海抜0メートル地点との時間の差は100年あたり1/300秒ほど早く進む。まぁ、普通の人間がこの差による何らかの影響を直接受けるかといえばそうとはいえないが、GPS衛星のようなものは高速で運動する(4km/sec)が故の発振信号の時間の遅れ(特殊相対論効果)と、地球の重力場から離れている(20,000km上空)が故の衛星時間の進み(一般相対論効果)を意識しなくてはならない。これらを合算することでどの程度の誤差があるかといえば、約0.00004sec/1dayである。大したことがないように思うかもしれないが、GPS衛星は4km/secで動いているため、位置の誤差は12km/1dayも発生し、使い物にならなくなってしまう。このため、GPS衛星の時計は、地上の時計の遅れを補正するために遅く進むように設計されている。

私たちの身近な事象(例えば『特殊相対性理論』で紹介したガリレイ変換など)の場合は相対論による効果は無視しているが、光速に近い場合にはローレンツ変換を行う(というか、慣性系の動く速度が0に近いと、ガリレイ変換と同じ式となるわけだが)。

なお、18万km/hで進む宇宙船に乗った場合、静止している人に比べて1秒あたり0.2秒遅れる計算となる。この宇宙船に乗っている人自身が時間の遅れを自覚することはないが、宇宙船外の世界が全てスローに見えるという。ぜひとも体験してみたいものである。

「時計を見ればわかるだろ」というレベルより、もう少し深く掘り下げて考えてみたい。
つまり「なぜ時計を見ると時間がわかるのか?」ということについて今日は論じてみたい。

「時間とは何か?」という問いに正しく答えられる人間がどれほど居ようか?私も理路整然と答えることが出来ないのだが、稚拙な知識から述べるのならば「時間とは繰り返しの回数である」というのが一番しっくり来る。1日という時間は、また明日が来ることで知ることが出来るし、1年という時間はまた同じ季節が来ることで知ることができる。しかしこれらが非常に漠然とした時間の感じ方で、精密な計測などにはとても使えるようなものではない。そして、もっと細かい単位で時間というものを知りたいと思うはずである。
正しく時間を知るためには、等時性のある「基準となるもの」を持つことが必要であり、その精度を高めるためにはそのペースが一定でなければならない。大昔、人間は日時計や水時計というもので時間を測定していた。日時計は地球の自転を基準にしており、水時計は水が落下して貯まるまでの時間を基準とする。しかしこれが厳密に一定ではないことは明らかである。13世紀頃、教会などに機械式の時計(といっても、現在の機械式と原理は異なる)があったそうだが、これは1日に30分近くずれるという非常に精度が悪いものだった。

画期的な等時性の基準が発見されたのは、1583年のことである。
ある日、18歳のガリレオ・ガリレイはピサの大聖堂の天井からつるされたランプの揺れを眺めていた。はじめは大きかった揺れは次第に小さくなっていき、やがて揺れはおさまった。ガリレオはこれを脈をとりながら観察し、揺れが大きいときの一往復とゆれが小さくなった後の一往復に要する時間が等しいことに気がついた。これは「振り子の等時性」という法則で呼ばれ、例えば長さ1メートルの振り子は、揺れが大きくても小さくても、振り子の重さによらず、1往復にかかる時間はいつもほぼ2秒である。逆に言えば、長さ1メートルの振り子を用意し、適当に揺らしすれば2秒の長さを正しく知ることが出来る。これが振り子時計の原理である。ガリレオはこの振り子時計の完成を目指したが実現できなかった。後に実用に耐えうる振り子時計は1656年、クリスチャン・ホイヘンスによって実現された。また、時間のずれが小さくなったことにより「分」や「秒」といった時間の単位が使われだすようになった(60進法である理由は、メソポタミア文明の角度分割に由来する)。
この「振り子」に該当するものを「ひげゼンマイ」と「テンプ」によって得ることで省スペース化したのが、現在の機械式時計である。1日あたり10秒ほどの誤差が出る。
1927年には「水晶(クォーツ)時計」が発明される。これは水晶(SiO2の結晶)の薄片に電圧を加えたときにおきる32,768Hzの振動を振り子の代わりに利用している。誤差は1ヶ月に15秒ほどである。
1955年にはさらに正確な「セシウム原子時計」が発明された。これは「セシウム133」という原子に特定周波数の電波を当てると、セシウム原子が「基底状態」から「励起状態」へと変化する。この電波を電気信号に置き換えて振動数を数え、91億9263万1770回になった時を「1秒」としている。現在、国際原子時に採用されており、我々が使用する1秒はこれが使用されている。誤差は3000万年に1秒程度である。
採用されていないが、セシウム原子時計を越える精度を誇る等時性の基準が存在する。それは「パルサー」という中性子星の規則的な点滅である。1967年に発見され、当時はその規則性から「宇宙人からの通信ではないか?」と疑われたという。この誤差は1億年に1秒ほどである。

我々は1秒という単位を時間の最小単位とし、これに小数点をつけることでさらに小さな時間を表現している。物質を切り刻んで最小にすると、原子だけが残る。これと同じように時間の最小単位は存在するのだろうか?
紀元前4世紀の古代ギリシアの哲学者アリストテレスは著作『自然学』の中で「時間は、運動の前後における数であり、運動や変化が起きて始めて認識できるもの」と論じた。さらにアリストテレスは紀元前5世紀の哲学者ゼノンが述べた「飛ぶ矢は、一瞬一瞬は静止している。静止している矢をいくつ集めても、矢は飛ばない」という『飛ぶ矢のパラドクス』を紹介している。ゼノンの理論では矢が飛ばないということになる。当然、矢は飛ぶものであるというのに!そしてゼノンが言う、一瞬とはいったいどんな時間を指しているのだろうか?
近年、時間の最小単位について考えている日本人科学者がいる。1949年にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹である。彼は1968年に「時間と空間には、それ以上分割できない最小の領域が(素領域)がある」とする『素領域論』を発表した。残念ながらこの理論はその後あまり大きな発展は無かったが、現在盛んに研究されている『ループ量子重力理論』の中で、再び時間と空間の最小単位に関する仮説が挙げられている。その中ではプランク時間(10-43秒程度)と想定されている。あまりにこの最小時間が短いため、人間には時間が滑らかに動くものとしか考えられないという。

こんなに身近である時間という言葉にも、未だ解明されない謎が多く存在する。
人はずっと時間を意識し、時間という矢の動きを止めることは出来ない。常にがんじがらめにされている。
「時間はいつから始まったのか?」
こんな単純な質問にさえ、今の科学では明確な答えを出せずにいるのである。

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私は時代劇を結構くまなく見ているもので、出演率の高いこの二人が広告をしているとなると、気になってならない。
これは『BOSS 食後の余韻』という新しい缶コーヒーの電車内に張られている広告である(電車内で急いで撮影したもので、色々反射したひどい写真になってしまった...)。大体、車両のドアに北大路欣也さんバージョンがあれば、隣のドア付近には中村敦夫さんバージョンが張られている。

まだこのコーヒーは飲んでいないので、味については何にも言えないのだが...
食事をとっている最中や、その後にいきなり仕事をしだしたり、仕事の話題ばかりするというのは実に無粋なことだと思う(特に私は仕事嫌いだから)。食事しながら仕事しているまぁ、器用な人も世の中にはいるようですが、大体ね、その食事を用意してくれた人に非常に失礼ではないかと思うのです。私の昼食は妻が作った弁当であることがほとんどなので、家に帰ってから「何がおいしかった」とか、「あれはちょっと苦手だ」というような会話を交わしながら、空になった弁当を渡したいものだなぁと思っております。
携帯電話というのは、無粋の骨頂とも言える道具ですなぁ。まぁ、こういう世の中になってしまったので仕方がなく持っていますが、どんなときでも相手に「電話に何らかの対応をさせる」という強制力を持つ、恐ろしいほど図々しい道具でもあります。

ちなみに、テレビCMもかなり笑えます。このサイトから見に行けるので、興味のある方はぜひご覧あれ。

私には自分の習性という者の中で嫌気がさしているものがいくつもある。
その中で最も厄介なのが、常に「死ぬ」ということを意識してしまうことではないかと思う。

まず、この話題は人に忌み嫌われる。できるだけこの話題から離れたところへと...意図的になのか、無意識のうちになのか導こうとする。日常の会話ではもちろん、葬儀や法事の席でも「自分自身のこととして」死を語ることはとにかく嫌われる。葬儀の後の食事の席ともなれば、こうした話題は避けられる対象とすぐされてしまう。
私も社会に身を置くものとしてそうした習わしにはそこそこ沿って生きてきているわけだが、今生きていることが当たり前(いや、当り前ではなく多くの奇跡の中から今があると私は思うだが)であるように、死が訪れることもまた当たり前であるように思う。当たり前だが死んだ先には自分はいない。

死んだ人との別れは辛い。しかし死んだ当人は相手に対してそのような意識を持つことはできない。
自分がいつ、どのような死に方をするのかはわからない。だが、後悔しようとしても後悔することすらできないのだから、一瞬一瞬の人との出会いや自分の体験というものを大事にしたいと思う。

だから、死というものをいい加減にではなく真剣に考えたいし、ほかの人がどのような考えを持っているのかも真剣に聞いてみたいのである。

今日は午後から社外で開催される「Webユーザビリティ評価」に関するセミナーを受講するために外出する。いわゆるCI的な統一感やアクセシビリティだけではなく、より直感的な操作ができ、理解がしやすいユーザーインターフェースについて、個人のノウハウやセンスといった抽象的なものではなく、ノウハウをルール化した指標というものにを使い客観的視点で定量化、評価するというサービスを提供している会社が主催する。どちらかといえばその企業の持つ「ルール化された指標」に興味があったのだが、やはりここの具体的な説明までには至らず(というか、この企業にとって最も重要なものなわけだから、そう簡単には公開してくれると思えない)評価サービスという商品の紹介がメインであった。

とても天気が良い日だったので、市ヶ谷の会場まで歩いてみた。
途中、セミナー開始まで時間が多少できたので、靖国神社に立ち寄る。お参りを済ませて茶室の方に行って少し休憩。

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このような日本庭園が広がる。周りには3つの茶室(行雲亭・靖泉亭・洗心亭)がある。今日のこの時間は稽古が行われてはいないようだ。ペットボトルのお茶を飲みながら(味気ねぇな!)池を見つつ、ぼ~っとする。

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本殿の周りをぐるっと回ると、梅の木が視線に入ってくる。もう随分と咲いている。

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ピンクの梅。この小ささが梅の可愛らしいところだと思う。

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こちらは白。個人的には白の方が好み。

下ばかり見て歩いているので、こんな変化にも中々気づかない私。いろんな意味で余裕が無いようで、殺伐としている。潤いが無いガサガサとした生活で、うんざりしてくる。
自分達で忙しくして、自分達で勝手に消耗して、何をしているんだろうと、そういう疑問は尽きることが無い。
そんな風に考えてしまう私は社会不適応者なのではないかと強く思うのです。

今、息子の中でものすごいブームな本。読め読めとせがんで来る。

私の実家では昔、シベリアンハスキーを飼っていた。この本を読むと、その犬のことを思い出さずにはいられない。

本の内容はハスキー犬の視点から、飼い主のゆうた君(本の中では「おまえ」と呼ばれる)と自分のことを比較するという内容である。
 「おまえ すぐ なく」
 「おれ がまん する」
というように語呂が似た文章で俺とお前を比べる。そしてそれぞれの様子が絵で文章の下に描かれている。

この絵本の最後は
 「おれとおまえ ぜんぜんちがう。
  だけどすき。だからともだち。」
という文で締めくくられるのだが、ハッとさせられる。
違うことを認め合うこと、そしてそれを許容すること。それが大切だね。(妖精の三信調になってしまった...)

シンプルだからこそ、心に響く。
絵本の良さをまた実感させられました。

私が毎日のように利用しているJR東日本の駅である。

初めてこの駅を訪れる人がたいてい驚くことは、西口と東口のギャップである。私の家に来るには西口から降りる必要があり、発展しているのは東口側である。東口には立派に舗装された駅前ロータリーがあり、バスやタクシーが整然と並んでいる。エスカレーターもちゃんと設置されている(当たり前だよな、今さら)。比較的大きなスーパーや全国チェーンの電気屋さんがあったり、ファーストフードの店舗もある。
反面、西口はすごい。ロータリーとはとても言えないところに無理やりバスやタクシーが並び、それの間をかいくぐるように送迎の一般車が雑然と並ぶ。クラクションが飛び交い、歩行者や自転車は常に危険にさらされている。道路は舗装がめちゃくちゃな上に全体的に傾いており、周辺には古めかしい店舗が点在している。そして下水臭い。これは西口再開発計画が興って失敗してを繰り返した結果である。店舗の点在は、用地買取の失敗を表している。計画が立ってからもう20年以上が経過しているらしい。蓮田市はいつもこんな具合のようだ。国道122号バイパスの開通も、道路が出来ているにもかかわらず同じような具合だった。

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西口から駅に入るにはこの階段を上る以外に手段は無い。蓮田市の住民は高度経済成長期に家を構えた人が多く、高齢化が進んでいる。手すりを使いながら必死に登る高齢者や、車椅子の障害者の方への対応(駅員が二人がかりでこの階段を車椅子を抱えたまま上る)をする、そんな光景が日常的に見られるのだが、このままなのである。エスカレーターもエレベーターも無い。東口に渡るには踏み切りを越える必要があり、ちょっと現実的ではない。
数年前に蓮田市の市議会議員選挙があった。その多くの立候補者の公約には西口のエスカレーター&エレベーター設置が掲げられていたわけだが、未だこの状況である。義理の父に聞くと、これは今回だけの話ではないらしい。何年もこの公約は掲げられつつも、反故にされ続けてきた。何を公約として、実際にそれを遂行しなくても、縁故や何かで票は確実に入り、特定の人は必ず当選する。地方における代議員制の限界と言うものを感じさせられる。
ところで、駅にエスカレーターやエレベーターの設置をする場合、その費用はどのように負担するのだろうか?JRなのか、その自治体なのか、半々なのか?

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駅の外に対して、駅の中では積極的に色々な工事が進んでいる。

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まず、ベンチの数が増え、新しいものになった。

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そして、ホームの中に待合室が出来るようである。風雨が激しいときはとてもホームにいられる状況ではなったので、改札周辺に人がたまってしまっていたためだろうか?

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場所は15両編成の列車が来た場合には、グリーン車が止まる地点の前に立てられている。ちょっと改札口からは歩かなくてはならない距離である。

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ところで、蓮田駅内に表記されている看板上の「蓮」の字は普通のしんにょうではなく、点が二つのしんにょうである。これはパソコンから入力することが出来ない異体字である。

今日は私の誕生日。また歳を食うわけである。
見かけが老けているとか(いや、実際老けて見えるので)別に気にはしないのだが、やはり本当に身体能力が衰えていくのは悔しい感じがしてならない。

26歳くらいから感じ続けているのだが、この1年も短かった。私は何をしていたのだろうか?

  • 仕事
    あまりやりたくも無い仕事を続けた1年だったと思う。仕事を通じて成長を...とよく言うが、私は成長した感じは全くしない。今年1年の仕事ほど自分の記憶に残らない仕事は無かったのではないかと思えるほどだ。こんな感じで歳をとり続けていいのだろうか?不安感は拭えない。
  • プライベート
    まだまだ足りないと妻には言われそうだが、息子といる時間が比較的とれた1年だったと思う。息子は色々な表現が出来るようになり、生意気にもなったが可愛い。 趣味で言えば、やっぱり乗馬だろう。こんなに面白いものがこの世にあったとは...というくらいである。きっかけを持って来てくれた妻には感謝である。 あとはFちゃんかな~。意外な再会。会えると思っていなかっただけに、とてもうれしい
  • 考え
    盛大なる虚無感の1年だった。ふと時間が出来ると色々考え、やっぱり虚しいという結論に達する。一生背負っていくのでしょうね、これって。
  • 健康
    何だかわけがわからないうちに13kgも痩せた。そのあと3kgリバウンド。頭痛に悩まされ、腫瘍が出来たので二度摘出手術をした。骨折1頭痛は色々と回復の方策を練ってみたのだが、いい結果は得られなかった。それ以外はいたって健康。

やはり目下の悩みは仕事。誰でも出来るであろう、気の進まない仕事をし続けると言うのはやっぱり苦痛である。「自分でなければ...」というプライドが欲しいものだが、仕事そのものに興味が持てなければ、そんなプライドも生まれないような気がする。辛いところだ。

今晩はささやかながら、妻はケーキを作ってくれたりしてお祝いをしてくれた。クールでドライな妻だが、優しかったりもする。どうもありがとう。


恥の多い生涯を送って来ました。

人間失格 第一の手記より

あまりに難解で二度三度と読んだ本はいくつかある。哲学書などはそんな感じである。
しかし、内容が理解できているにもかかわらず三度読んだ本はあまりない。その中の一冊がこの人間失格である。

初めて読んだのは16か17歳の頃だった。私はこの最初の文章を読んで背筋が震える思いをし、そして全くもって「恥の多い生涯」そのものだと思った。あの頃、私の中の「恥」という言葉の定義は今の私の考えとは違っていたように思う。どちらかといえば客観的な、外面から見られ言われる「恥」ということに目を奪われていた。いろんなものをさらけ出して平気な顔をしていられる年長者に対する絶望的な意味合いと、自分自身が生きながら犯していった「恥」というものが入り混じり、嫌悪感を覚えた。私は太宰自身と言われているこの主人公を軽蔑した。歳をとるということ、それとその時間的経過に合わせて自分が経験していく「恥」というものの恐怖に大きく慄いたのである。

そして次に読んだのは25歳の頃。ちょうど入院していた時で、その病院の書棚にこの本があり再び手に取った。自分対する絶望に打ちひしがれていた頃で、半ばやけになって生きていた自分のことを、この本を読むことによって「ちょっと頼もしくなったのかねぇ」と感じた。多面的な感情を持ち、道化のように社会的役割を演じながら生きることに疑問を持ち、だけどその疑問に抗うこともできない。その無力さを嘲笑うことしかできなかった。その嘲笑う自分を認めてくれた本だった。本書の主人公よりはマシだと思った。そんな程度の低い思いもその頃の私には必要なものだった。

そして三度、私はこの本を手に取った。
虚無感にさいなまれて仕方が無いのが今の私である。何をしても自分の中にある客観的な視点が自分自身を監視しているようで、「恥」という概念もどちらかといえば内から湧き出してくる、つまり自分が恥だと思うことが恥であり、人が恥だと言おうと自分がそう思わないことは恥だと思わなくなってきた。ただその「恥」というもの基準が些か緩くなってきているようなのだ。ぶっちゃけていうと、どうでも良くなってきた。
ということを書いてみたものの、実際はいろんなことを気にしている。恥ずかしいと思っている。自分は随分と罪深いとも思っている。人に「あなたは恥ずかしい」と糾弾されるよりも、「自分は恥ずかしい」と気がついて悶えるほうが苦しいものだと思う。しかし、この虚無感...罪深いと思いながらも、そんなものは一瞬の出来事であり何の意味も持たないのではないか?気にするな。お前以外は誰も恥ずかしいなどとは思ってはいないと言い聞かせている自分がいる。そしてむしろ、この主人公のようなその場限りの後先追わぬ生き方というものに妙な憧れを感じてしまう。
つまり、葛藤の真っ最中なのである。

人間失格は、読む自分自身を写し出す鏡だと私は思う。
まだ生き続けていくのならば、この本を手に取る四度目というのがありそうな気がする。そのとき、私はこの鏡から何を見るのだろうか?

私はお酒が好きだが、毎日飲まなくてはならないと言うほどのものではない。うっかり飲み忘れてしまう日もあるし、飲んでもウィスキーをダブルで1~2杯くらいのものである。
ところが私の父は毎日飲まなくては気がすまない人で、仕事から帰ってきて6時くらいになるとビールを飲みだしている。飲んでいる人が身の回りに居ると付き合って一緒に飲んでしまう。そんな具合で、福島に帰省してからは一日も欠かさず、たいそうな量(私と父で700mLのウィスキーを1日で開ける)を飲んでいる。今日などは叔父がお昼に正月の挨拶に来たので、昼間から飲んでいた。

うちの父は65歳を過ぎている。それでも酒量は私とさほど変わらないか、もしかすると今でも私よりも強いのではないかと思われる。年齢的に一番飲める時期と言うのはきっと私くらいの年代で、そこから下降の一途をたどるのだと思うのだが。歳も歳なので、色々と体にはガタが来ているところはあるが、酒を飲みたくないとは言わないし、翌日にその影響が出ている様子も見られない(私は翌日によく悪影響が出る)。
父が「酒を飲みたくない」と言い出したら、これはまずいだろう。本格的に体調が悪いと疑う必要がありそうだ。

私も父も「いつ死んでもおかしくない」、「別段長生きしたいとも思わない」という思想の人である。年齢が違うのでその考えの根本となるものはお互いに違う。私は酒が父ほどは好きではないのだろうと思うが、酒のない長生きをするくらいなら、酒のある短命を選びたい。

よく「何歳までサンタさんが居るって信じていた?」と聞かれるが、私はそもそも居ると信じていた時期が無かったのではないかと思う。
自分が小学生に入るかどうかという年齢の頃、クリスマスという日を期待していた記憶が無いのだ。確かに、通っていた保育園にサンタが来たことがある(実は仮装した私の父だった^^;)。しかし、そういう人が居てプレゼントをくれるという存在だと意識してはいなかったような気がする。これは恐らく自分に夢が無いとかそういうことではなく、我が家にそういう風習が無かっただけなのではないかと思う。
翌朝になったら枕元におもちゃが置かれていたことがある。あれは小学校1年生のころだったか?当時放映されていた「宇宙刑事シャリバン」の被り物のような物だったと思う。色々とボタンがあり、電子音がピコピコ言いながら光るおもちゃだったように記憶している。それを見て私はなんと言ったのだろうか?それが全く思い出せないのである。

このサンタの質問をしてくる人達には「あなたはいつまで信じていましたか?」と聞き返すのだが、結構、信じていた時期が長い人が多いことに驚く。今の子供たちが、信じているような行動をとるという話を聞いたときも少し驚いた。

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別に自分の過去がどうだったということは関係ない。子供にも夢を見せようとちょっと思い立ち、妻に「少しばかりプレゼントあげましょうか?」と相談。妻はフェルトで息子が好きなアンパンマンのポシェットをつくり、私がその中にまたまた息子が好きなミニカーを入れた。上の写真がちょうど出来上がったものである。息子も妻も寝静まった頃、赤い服までは着なかったが、そっと枕元にポシェットを置いた。
ちょっと翌朝の息子の反応が楽しみだ。

 人間の頭の半分はおおよそつねにニヒリズムに冒されていると知っておくことが大切であろう。というのも、自意識とは、「自分は何者か」と問う意識のことであり、仮にひとまずその問いに答えが与えられたとしても、その答えの意味をさらに問うというふうに、自意識は進むからである。この問答の過程は、論理的には無限に続きうる。つまり、自意識の歩みには安住できる終着点のようなものはないのであり、そしてその「不安」がすでにニヒリズムの温床なのである。正確にはその不安はイズム、つまり「固定観念」にはまだなってはいない。しかし、論理的には無限に続く「みずからへの問い」に終止符を打ってくれるのは、「みずからの死」のみである。このような人間存在の冷厳な真実から少しでも目を逸らすと、ニヒリズムが待っていたとばかりに自意識を襲う。その意味で人間の精神の玄関にはいつもニヒリズムと言う訪問者がいるということになる。
 そのことにニーチェがあれほど注意を促してくれたにもかかわらず、今世紀の特に後半、普通「ヒューマニズム」とよばれる人間性の礼賛がさかんに行われた。もう少し正確にいえば、それを礼賛する素振りが固定され、そのために、ニヒリズムを人間精神の奥座敷にまでひそかに案内することになってしまったのだ。もとより、それを追い払う力量が私にあるわけはない。しかし、ニヒリズムにたいして、貴殿には玄関先まで退却していただきたいと正面きって申し渡すこと、せめてそれくらいのことをやらなければ、自分の精神が生きながらにして錆びついてしまうのではないかと、自意識のあるものは、不安になるのである。

本書序章「虚無について」より


西部先生の本を読むのはずいぶんと久しぶりである。保守論者として知られる西部先生の本を読んでいると「右な人ですね?」というレッテルをいきなり張られたりするわけだが、彼は保守は保守でも反米保守派としての考えを持っていおり、その点においていわゆる親米保守派と袂を分かっている(右とか左とかそういうデジタルな切り方だけで思想は表現しきれるものではない)。またジェネラリストとして多岐に渡る知識から生み出される、多種多様な書物には少なからず影響を受けつつ生きてきていると思う。

先日のブログにも書いたのだが、私にとっていま最大の課題とはニヒリズムに関する問題である。この問題にぶつかるや否や、もうすべてのものがどうでもよくなってきてしまう。死に向かってこのような世界を生きていく中で、ニヒリズム・虚無感との対決は避けることができない問題である。人の一生は短い。その短い時間の中で私は一体何をするべきなのか?退屈に仕事をこなし、趣味に享楽的に生きる。それだけなのか?
心から人や社会を思い、それを何とかして表現・実現しようとしている人たちが少なからず存在している。彼らとて私とさほど違わない時間しか与えられていないというのに、なぜそのようなことに邁進できるのだろうか?私は西部邁という人にその意見を求めようとした。西部先生ほどに著作を残し、世に言いたい放題してきた人物がこの点について考えたことが無いとはとても思えなかったからである。それがまとめられているのがまさにこの本である。

このニヒリズムとの関連性が少なからずみられるものの一つに、物事の判断基準への曖昧性(本書内では存在に関する曖昧性を「真理相対主義」、当為に関するものを「価値相対主義」と称している)がある。生き続けていくというのは様々な判断の連続であるが、判断の根拠とされる考え方はその判断をする人の立場によって大いに違いがある。そのことを出来る限り理解し、他者の意見と自分の意見の中で判断を下さなければならない。しかし、その考慮・比較という行為を慎重に行っていくと判断のための唯一絶対的基準と言うものが存在しないことに気づく。その中で「もがきつつ」最大限の配慮を持って判断すべき努力を怠ってはならないと私は思うが(私ができるだけ実践しようと日々努力している「一歩引いて見る」というのもその一環である)、真理相対主義者や価値相対主義者は他者を「ニヒル」に切り捨て自己の意見のみを絶対視するという、不感症な態度をとる。そういう人が結果的に世の中を引っ張るような状況にあるのがまさに今であるように思えるが、どこまで「一歩引いて見てみる」ことをするべきなのか、そのバランス感覚(逆に真の自分の言葉を発せられなくなっては元も子もない)の難しさと言うものを日々感じている。その引くことに順応されすぎると、よくわからない世論と言う無責任なものを判断基準としなくてはならなくなってしまう。これは個人の思想を奪う危険なものでもある。

この本にはもっともっと多くの問題提起がされている。ある点においては具体的な解決策を提示しているものもあるが、結論は人の意見に頼るべきではないと私は考える。ただ、そのも提起された問題について考えるきっかけとして、そしてそれを構成する歴史的、社会的な構造を見るうえでは実に有用な本だと思う。
でも、そういうことに悩みたくない人には絶対にお勧めしません。私は本書のおかげで悩みが増えました(笑)


ところで、私は自分の生死についてあまりに明確な答えを返せる人をどうも信用できない。だが、西部先生の死生観というのは実に謙虚でユーモアにあふれている。最後にそれを紹介したい。

私の念じるのは、評論家として、次のように思いつつそして死ぬことだけである。
つまり、この人の世にあるのは言葉だけであり、自分という極微の存在は、過去のあまりにも巨大な言葉の集積のうちほんの局所を受け継ぎ、そしてそれにごく僅少の加工をほどこして、死とともに、それを何処の誰とも知れぬ人に手渡す(素振をする)、私の生死の意味はそのことに尽きると思っている。

Amazonより中島先生の新刊が出たとのメールが届いたので、amazonでは買わずに(だって送料高いんだもん)会社近くの本屋さんで購入。この面白そうなタイトルにつられて、中身をほとんど見ずに購入した。

で、読み始めて「あれ?どこかで読んだことがあるような...」と思ったら、所持している中島先生の『どうせ死んでしまう... 私は哲学病。』のタイトルと出版社を変えて出したものだった...。同じ本が我が家に二冊...でも、著者が今年書いた後書と解説が追加されている。安かったものだし、まぁいいか。

内容は表題のものだけではなく、中島先生が散文的に書いた短い作品の寄せ集め的なものになっている。個人的には徹底的にこの本の題名となっている内容について言及して欲しかったのだが。

amazonの本書紹介文を引用させてもらおう。

所詮人生は、理不尽で虚しい。いかなる人生を営もうと、その後には「死」が待っている。「どうせ死んでしまう」という絶対的な虚無を前にしながら、なぜ私たちは自ら死んではならないのか?生きることの虚しさを徹底的に見つめ、それをバネにたくましく豊かに生きる道を指南する、刮目の人生論。無気力感に苛まれる時、自分に絶望し苦悩する時の必携本。

今の私にとって、最大の問題といっても差し支えないほどの問題、それがニヒリズム、虚無感である。ある瞬間瞬間、何かに集中しているとき(そういう時間そのものも随分と最近は減ってしまったのだが)を除けば、過去を見直したり将来を思ったりしてもただひたすらむなしいだけに過ぎなく感じられてしまう。あっという間にやってくる死という誰にもかわすことが出来ない現実、そしてその人が存在したという事実すらほんの少しの時間しか残らず、それがどれほどの時間なのか自分で知ることすら出来ないのである。生きているというのはどういうことなのだろう?何のためなのだろう?それに意味を見出すことが出来ないのならば生きることを止めてしまうのも一つの選択肢であると私は思っている。
私のこの思いは、例えば人生の何らかの選択や実行に失敗したときにやってくるだけではなく、日々、笑っても酒を飲んでも何をしていても頭をよぎる。もう一過性の問題ではなく、ずっとこのことを意識しながら生きていかなくてはならないのだと、心の中で思っている。多くの過去の賢人達がこの問題に全力で取り組んだのできた。人間は唯一、自分の存在というものに対して疑うことができる生き物だからだ。ハイデガーは「現存在」や「実存」という言葉でこの認識について超越した意見を述べたが、私は未だにその自分の存在すら揺らぐような思いをすることがある。

今の私は、過去の賢人達と書物というものを通じて対話し、その思いと自分の思いをぶつけ、考えながら生きることを生きがいとしている。他の全ての作業は、振り返ってみてみれば全て「壮大なる暇つぶし」に過ぎない。しかし暇つぶしばかりしているわけにもいかないのだ。
悪い頭を振り絞って、自分なりに「生きる」ということを考えながら生き続けるしかないようである。

結婚式は2004年5月23日にしたものの、入籍は2003年11月22日にしたので、一応結婚記念日は今日になる。
これで6年目。入籍する前1年くらいは同棲していたので、もう7年近く妻と付き合っていることになる。

結構私はろくでなしで、妻と付き合う前に何人かお付き合いした女性とは2年以上関係が続かなかった。彼女が居ないという期間はあまりなかったのだが、2年くらい経つと愛想をつかされてしまうという感じである。
私もさすがに何度もそういう目にあっているのだから学習はしてきたつもりだが、頭でわかっていることが実際に出来るかといえば微妙である。私は別れた女性達から見れば非常に冷たい男だったのではないかと思う。

私はたしかに冷たいのかもしれない。相手の気持ちを察するなんてことは出来る人間ではない(というか、今はますますそういうことが難しいと思っている。人の価値観は違う。超能力者でもない限り無理なんじゃないか?)。それ以上に、1人で居る時間を必要とした。だから、昔した遠距離恋愛というのは意外と面白かった。会える数日は徹底的につきあうが、それ以外は自分1人。その身の軽さが心地よかった(ただ、綺麗な風景を見たりしたときに「一緒に見られればもっと綺麗に見えただろうなぁ」なんて事を思ったこともしばしばあるけど)。

妻と長く居られた理由、それは彼女自身も1人でいる時間を必要としている人だったことなんじゃないかと思う。同棲していたといっても、家に居るとき私は自室に篭っていることが多く、彼女は好きなギターを「ポロロン...」と弾いていた。ご飯を食べるときにバカバカしい話をして、寝る場所もタイミングも全く違う。お互いがしてきたペースを2人になっても続けていた。続けられる相手だった。

結構、答えに窮する質問に「あなたにとって奥様はどんな存在?」というものがある。
私の場合は、空気のような存在というだろう。あって当たり前のように思うけど、それが無いとどうにもならない、そういう存在である。

子供ができて、いささか私たち夫婦の状況も変わった。一応、1人の親としての作業もしなくてはならない。結果として夫婦が一緒にいる時間は増えた。
だが、隙をみては1人で居ようとする私たち。傍目には不思議に見えるが、これぐらいが長続きさせる秘訣なのかもしれない。


せっかくなので、今日は妻に市場でステーキ用の牛肉を買ってきてもらい、先日のココ・ファーム ワイナリー収穫祭で買ってきた「オークバレル 赤」を開ける。予想に反せず、妻好みの味だったらしい。良かった。
最近、なんでもまねをしようとする息子にはワイナリーのぶどうジュース(下手なワインより高価なんだがな!)。
外食ではなく、自宅にて3人でお祝いをした。

開口部を完璧に閉ざされたダッソー家で、厳重に施錠され、監視下にあった部屋で滞在客の死体が発見される。現場に遺されていたナチス親衛隊の短剣と死体の謎を追ううちに三十年前の三重密室殺人事件が浮かび上がる。現象学的本質直感によって密室ばかりか、その背後の「死の哲学」の謎をも解き明かしていく矢吹駆。二十世紀最高のミステリー。

amazon.co.jp 本書紹介文より


良くわからない超人的な日本人青年「矢吹駆」が活躍する推理小説の4作目。ちなみに私は他の作品を全く読んでいません(笑)。そういう関係上なのか、この矢吹駆という人物がどうも好きになれず。常人の理解を超えた推理をして一人納得するようなヒーローが活躍するよりも、読者と同じような視点で迷い、戸惑うようなキャラクターを愛してしまう私向きではなかったのかもしれない。矢吹駆をヒーロー的に扱うためか、他の登場人物による推理があまりに稚拙というか無理やりで何だか苦しくなってきてしまう。

そんな私がこの小説に興味を持ったのは、作品の登場人物の中に「マルティン・ハルバッハ」という人物が居ること。彼の主な著書は「実存と時間」(笑)。もうおわかりでしょう。ハルバッハのモデルは「マルティン・ハイデガー」。ハイデガーの代表的書籍といえば「存在と時間」。そしてこの本の中で「実存」というものに現象学の手法を使って近づいている。ハイデガーによる「存在への問い」は、私の「自己の存在」に対する考え方に非常に影響を与えてくれた。

もちろん、ハルバッハがハイデガーの主張と全く同じなわけではない。それは物語を読み進めるにつれて明らかになっていく。

人間を生存本能の奴隷以上のものたらしめるのは、避けることの出来ない死の可能性を凝視し、その運命を先取りし、あえて宿命に忠実であろうとする実存的な意志である。

第一次大戦の経験がもたらした死の無意味性から、何とか意味ある死を救出しようとして、ハルバッハは死の哲学を考案した。それなのに彼の哲学は、さらに大量な無意味な死に帰結したんだ。

ハルバッハは、死を先駆し意味あるものと見据えよと「死の哲学」を提唱する。この考えが物語全体に横たわっている。私は本書を読んだ後もこのハルバッハの考えには結構肯定的である。英雄的な死、特権的な死。しかしそれを望み叶えても、その知覚を最も望んでいるであろう本人はこの世に存在しない。それでも見極めたい、平凡なまま死にたくはないと夢想する。

画然とした死ではない曖昧な死。人生の意味を残らず、一瞬にして照らし出すような特権的な死ではない、たんに人間を廃棄物に転化するに過ぎないような死。だらしのない、惨めきわまりない死。それを見すえ、その事態を心から承認し、それを肯定できないとしたら、人間は自分を肯定することなんかできはしない。

そして第二次世界大戦。近代兵器による大量殺戮による死。ホロコーストによる大量の死。それらを目の当たりにし、ハルバッハ自身も死の哲学という考えから怯む。結果として本書では特権的な死というものを否定している。
しかし、何をしても空虚であるというニヒリズム漬け状態の私には中々響かない意見だ。人が生きられる時間は実にわずかなものであり、その人が存在したことが明らかになっている期間とて、わずかなものなのだ。私は死を先駆するということを考えると、三島由紀夫のことを思い出さずにはいられない。確かに三島由紀夫なる人物の存在を知る人は、他の名も知れぬ人の存在を知るものよりも多く、その時間も期間も長かろう。だがその長さとて、地球や宇宙という規模の時間の中ではわずかなものである。
それでも特権的な死を私は求めてしまう。平凡な世の中から離れたいと思い、自分の死がどのようにあるべきかを考えてしまう。考えたところで、それが実現できないのだが。

自殺者はその行為によって、最終的な自由に他ならない私の死を得ようとしながら、それに失敗する。死んだのはもはや私ではない。

そう...そうなんだけどね。


訴えかけるものが納得できるかどうかは別として、展開は非常に面白く、30年前の密室殺人との相似性などとても面白く読むことができた。あるときはモガール警視の視点で、あるときはナディアの視点で、そして30年前のヴェルナーの視点で...いろいろな視点から状況は語られる。立場が異なればその言葉も異なる。こうした書かれ方が私はとても好きだ。

この本において一番問題なのは本の厚さかも。4.5cmの厚さがあり、読み終えるまでに相当な時間を要した。持ち運びもわりと大変(笑)。まぁ、それだけの甲斐はあったと思うが。


写真はアウシュビッツ駅から800メートルのビルケナウに貨車で到着したユダヤ人たち。アウシュビッツの第二収容所いうべきビルケナウ収容所の中には「ランぺ」(荷役ホーム)お呼ばれる引き込み線の到着ホームがあった。


『夜』は、その恐ろしさで我々を戦慄させ、同時にその美しさで我々を打つ。これは15歳の少年の時にアウシュビッツを体験した著者の最初の自伝小説である。
東方の片田舎の小さな町、ナチスのユダヤ人狩りなど想像もつかぬ平和な町。だが、ある日悲劇が音もなく訪れる。やがて一夜にしてこの世は地獄と化し、少年の中で神が死んだ。格調高い文体と淡々とした語り口によって、人間の悲惨な崇高がみごとに織りなされる。刊行されるや、たちまち世界中に翻訳された比類ないドキュメンタリー小説。アメリカで1966年度ユダヤ人図書賞を受けた。
「この並外れた書物が私の心をとらえて放さなかったのは、すべての結果のうちでも最悪のもの...すなわち、一挙に絶対の悪を発見した子の幼い魂の中で神が死んだ、ということなのである。」(F.モーリヤック)

本書裏表紙より


この日本と言う国に生きる私は、特定の宗教を信仰しているわけではない。これは世界的に見ると比較的珍しいことのようで、人の行動規範や道徳性の基盤は宗教によって支えられているという場合が多数を占めている。となれば、私のような人間の道徳基盤がどこにあるのかと言うことになるが、それは周囲との関係や伝統、歴史というものが構成しているとでも答えるほかはない。実に微妙な状況の中で自分が生きてきたということにあらためて気付かせられる。

本書の主人公エリエゼルは多くのユダヤ人がそうであるように、敬虔なユダヤ教信者であった。彼はビルケナウへ強制移送されたときも、「男は左!女は右!」の一言で母や姉や妹がガス室送りとなり一生の別れとなった時も神を信じ続ける。しかし、我々を創造し、我々を苦難から救ってくれる神はどれだけ祈ろうともこの強制収容所には手をのばしてはくれない。そんな中、エリエゼルの心の中でじわじわと生まれる神への信頼の揺らぎ...それが何よりも私には印象に残った。
エリエゼルは焼却炉にトラック一台分の生きた子供たちが投げ込まれる様子を見たときの様子をこう書き表している。
「私の<信仰>を永久に焼き尽くしてしまったこれらの焔のことを、決して私は忘れないであろう。」

私は深い信仰と言うものを知らない。ただ、それが私が持っている社会を生きるための道徳基盤と置き換えて考えてみると...全てが、生まれてから疑うことのなかった全てが逆行していくような感覚?それは体験のない私には正直、表現いや、想像すらできない。


第一次世界大戦末期のドイツ革命によりドイツ帝国は皇帝カイザーの亡命・退位、崩壊する。後に興るヴァイマール共和国は敗戦からの復興を順調に進めることはできず、世界恐慌がさらなる経済危機をもたらした。そんな中、ヒトラーはヴァイマール憲法を全権委任法をもって事実上崩壊させ、独裁体制を引いた。ヒトラーはアーリア人の優秀さを強調、他民族の排斥を開始しユダヤ人の大量虐殺に至る。それが時系列の歴史である。
私は歴史を後の価値観で裁くことは大いなる過ちであると考えている。その当時の情勢を的確に把握した上で顧みるべきことであろう。顧みるにあたり、こうした「当時を生きた一人の人間の視点」と言うのは非常に重要な資料である。第一次世界大戦という試練の後のドイツも、そしてユダヤ人たちにとっても、私たちの祖先にしても、その時代をどう生きたのか、もっと知るべきことは多くあるように思う。

母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画を見て笑い転げ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、不条理の認識を極度に追及したカミュの代表作。

本書裏表紙より



人が社会で生きていくためには、自分がある役割を演じることを強要される。その演じる内容は国や地方によって多少の違いはあるにせよ「演じる」という行為そのものはどの社会でも必要とされる。演じることとは自分に対して「嘘をつく」ということに同義だと思う。
この作品の主人公ムルソーはこうした「演じる」ことを拒否した。だから、社会は彼を同じ国の大衆として認めない。彼は大衆から見て「異邦人」なのである。そしてムルソーが「演じる」ことをしない限り、どの社会の大衆から見ても彼はずっと「異邦人」のままであろう。

その反面、彼は自分が好むものに対しては非常に積極的でもある。しかし、深刻な問題に対して「どうでもいい」という態度を崩さない。彼は自分自身というものに無関心なのである。ニーチェ風に言えば、ムルソーは典型的な「受動的ニヒリスト」というところだろうか。
ふとしたことからムルソーは人を殺すことになる。そしてこの国の宗教はキリスト教で、裁判は陪審員制だ。つまりキリスト教的な大衆規範によってムルソーは裁かれることとなる。弁護士はムルソーが有利となるために積極的に働きかけるが、それすらムルソー自身にとっては「どうでもいい」ことなのだ。半ば被告人不在のような状況で検事と弁護士は法廷で戦い、結果彼は死刑となる。斬首刑である。
死刑確定後、ムルソーの元に幾度となく司祭がやってくる。その司祭とのやり取りが私は本書の最大の読みどころであると思う。考えさせられることはたくさんある。

一つ、考えたことを明らかにしたい。それは「社会常識」というものについてである。私は「常識」という言葉を御旗のように掲げて話をされることをとても嫌っている。常識というものが非常に揺るぎやすい存在であるということを認識せず(国家、宗教、文化といった状況が変わればあっという間に変化するものである)、ただ思考を停止してそれを元に話すのは一種の暴力である。
さしあたり私もこの日本で生きていくため、大衆に迎合した存在にすぎない。しかし宗教的、国家的な思想の拘束が少なく、色々なことを(場所次第では)論ずることが出来る日本という国は比較的健全だと思う。ただ、その健全さを活かさないことが多すぎる点が少々もったいないと思う。

直太朗新曲の詞に賛否、コンビニ放送規制
8月19日9時43分配信 日刊スポーツ

 歌詞の内容をめぐり、賛否両論が巻き起こっている歌手森山直太朗(32)の新曲「生きてることが辛いなら」(27日発売)が、一部のコンビニエンスストアの店内放送で使用不可になったことが18日、分かった。テレビ、ラジオや有線放送では「問題ない」と流されている。だが、短時間に出入りする客が多いコンビニは「歌詞の一部だけ耳にする可能性がある」として放送されないことになった。
 賛否が起こっているのは歌詞の冒頭「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい 恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り」の部分。発売前から歌詞について、「心に残る」「過激すぎる」などの声が多数寄せられた。最後は「生きてることが辛いなら 嫌になるまで生きればいい」と締めくくられ、直太朗は「生きることに、自分なりに真摯(しんし)に向き合って作った楽曲」としている。
 テレビや有線放送などでは「問題はない」として流され、直太朗はNHKや民放の歌番組でも演奏する予定だ。だが、一部のコンビニは「不特定多数が、短時間に出入りする場所。歌詞の一部分だけ耳にする可能性があり、無差別に流すのはどうか」と議論に。審査の結果、店内放送としての使用を見送った。
 同曲は直太朗の楽曲の共作者でプロデューサーの御徒町凧(おかちまち・かいと=31)氏の作詞。書いたのは10年前で、生きることに疲れていた友人にメッセージとして贈った詩だった。後日、友人から「元気づけられた」と言われうれしかったという。そのまま、未発表のまま自宅に残していたが、直太朗が御徒町氏の引っ越しを手伝った際にこの詩を見つけ「曲をつけたい」と楽曲制作に取りかかった。
 賛否論争が拡大し、Yahoo!でも「『いっそ小さく死ねばいい』の歌詞は問題があるか」の意識調査が行われた。同調査では、10万件を超える投票があり「まったく問題ない」が46%、「ほとんど問題がない」が21%を占めた。
 直太朗は「メッセージは詩の全体に込められています。一部ではなく全体を聴いてほしい」。所属のユニバーサルミュージックは「社内外で議論した結果、詩の表現として大丈夫という結論に達し、発表することになった」とコメント。20日から歌詞付きの着うたフルの配信開始を行い、曲全体をアピールしていく方針だ。

最終更新:8月19日9時43分



なお、歌詞全文についてはこちらを参照のこと。

個人的には森山直太朗が好きじゃないので、この件と絡めて本当は記事にしたくなかったのだが(他の事件との関連ではなく、この問題のみを考えた記事にしたかった)。もう、ちょっとほっとけないんで書きます。

なぜ、この現代日本では「死」というものについて語ることをここまで忌み嫌うのだろうか。
人が生まれる、そして死ぬ。これは避けられないことだし、特に死はいつやってくるかわからない。何も考えずに(準備もせずに)いきなり死という現実を突きつけられるほうがよほど酷だと思うし、人間、いつ死んでも大丈夫なくらいの死生観を持っておいたほうが楽に生きられるのではないかと私は考えているのだが。
やっぱりや~めた。何故、死がこんなにも忌み嫌われるのかは、別な日に記事にします。この件と一緒にするとまとまらなくなってきた。


『コンビニなどでは、歌詞の一部だけを聞いて誤解してしまう可能性があるので、流さないことにする』
などと言っているが、私には全く理解できないことで気絶しそうである。

本曲の作詞家である御徒町凧さんが書いたこの詩は、どの部分だけを聞いても誤ってはいない。人が生きられる時間の短さ、人が死ねば悲しむが、悲しむだけでは済まされない現実が次々とやってくる。そんなことをしている間にその人の死は昇華され、そして、さほど時間の差もなく何年かすれば悲しんでいた人も死ぬのである。
この世に生きる価値が無いと心から思うなら、死んでしまって何が悪いか。問題なのは死ぬ人よりも「生きる価値すら無い」という世の中のほうにある。その指摘を全くせずに「歌詞に問題がある」などと言っているもの共に一言物申す!
『何でお前ら、そんなに鈍感なんだ!』

生きるために感情を荒げることがあるのも「人」。『何をしても虚しいなぁ』と思いながらも、虚しい中に一縷の希望をもって生きるのも「人」。あまりに生きている時間が短くて、100年も経てば人類の記憶からほぼ忘れられてしまう、それも「人」。
そして、散々ブログ中でわめいていますが、人類にだって、地球にだって、太陽系にだって、宇宙にだって寿命がある。結局私達がやっていること、それは長い歴史からすれば全て無意味であり、それは人類だけじゃなくて全ての生物に言えること。

無意味なのに生きなきゃならない。だから人の生は残酷だ。だが「仕事が楽しい」でも「子供が可愛い」でも、「飯がうまい」でもなんでもいいから、とりあえず残酷だけど生きましょう。ついでに、死ぬってことについても少し考えましょう。「死にたくない」と思えたら、幸せだと思いましょう。「死にたい」と思うなら、話しましょう。私ごときでよければ、いくらでもお相手いたしましょう。

私はこんな時代だからこそ、必要な歌詞だと思っています。もう、ガンガン流せ。でちょっと、死生観ってモノを考えてみませんか?もっと欲を言えば、年間3万人も自殺者を出すこの国をもう少しまともなものにしようと働きかけてみませんか?

『絶対的な真の数学的な時間は、それ自身でそのものの本性から外界のなにものとも関係なく均一に流れ、別名を持続とも言います』

アイザック・ニュートン(Issac Newton 1642-1727)
「自然哲学の数学的諸原理」より、絶対時間の定義

近代科学の基礎となったニュートン力学では、時間と空間は独立したものと捉え、それゆえ空間がなくとも時間だけが流れると考えていた。それら独立したもの同士を「絶対時間」、「絶対空間」と呼ばれる。近代科学の基礎となったニュートン力学はこのような考えのもとに構築され、以後200年間も揺るがなかった。時間は、誰にとっても同等のもの、等しく流れるものである。正確な時計を使えば、誰にとっても客観的に計測される時間がある。そう考えることが、近代科学の前提条件だった。
このような時間概念は20世紀に入り、アインシュタインの特殊相対性理論によって覆される。相対性理論は、空間の長さや時間の経過が、観測する立場によって変化することを証明した。
19世紀後半から、実験機器の発達で光の速度がかなりの精度で観測できるようになった。そして、様々な実験結果が告げていること、それは「光の速度、299,792km/sは絶対で、何があろうと頑として変わらない」というとてつもない事実だった。
つまりこういうことである。マッハ3(約1km/s)のスピードで飛ぶ飛行機があったとする。この飛行機と光が同じ方向に進む場合、飛行機から見れば同方向に前を走る光の速度はどうなるか?古典物理学での答えを求めれば(29,9792-1)km/sであり、もしもこの飛行機の中で同方向に歩いている人がいるならば、その人の歩く速度をも引いた速度で光の速度は求められると考えるだろう(このような関係をガリレイ変換という)。
光を同じ方向に追いかけているのだから、遅く見える。これは普通列車からで同方向を走る特急列車が実際の速度よりも遅く見えるのと同じ理屈である。

ところが、マッハ3の飛行機に乗っていようと、地上で光を観察していようと、光の速度299,792km/sは不変なのである。これは一体どういうわけか?

この問題を解決した特殊相対性理論について、もう少し深く見てみよう。
小学校の算数が教えるところでは、物体の速さとは
 移動距離/所要時間
で求められる。地上で光を見ている人にとっても、マッハ3の飛行機から光を見ている人にとっても、光速が同じように見えるということ...それはつまり、地上の観察者と飛行機からの観察者とでは時間の流れ方が異なる可能性があることを意味している。つまり、先ほどの物体の速さの式でいえば、分母になる「所要時間」が異なることになる。
言い換えると、マッハ3の飛行機内の方が地球上の観察者よりも時間がゆっくり流れるならば、光の速度が双方同じになる理由も説明できることになる。
時間は誰にとっても同じではない。絶対時間などというものはないということを証明した、まさに科学史上の大革命である。

この相対性理論が「量子力学」と結びつくことで、さらに不思議なことになっていく。時間は伸び縮みするだけではなく、逆行もできる。タイムトラベルは物理学上では可能なのである。
時間を逆行する粒子は「反粒子」と呼ばれる。あらゆる粒子には反粒子が存在する。たとえば電子の反粒子は「陽電子」で、重さなどの性質が電子と全く同じだが、電荷だけが電子とは逆の「+」になっている。
陽電子は電子と衝突すると、電磁波(光子)を放出して消滅する。これは、電子と光子が衝突して、はじかれた電子が時間を過去へと逆行していったことを示している。
時間を逆行する反粒子の実在は、皮肉にもアインシュタインと対立した量子力学の領域から提出された。物理学者のディラックがこの存在を予言していたが、1932年には実際に陽電子が発見された。


時について3回ほど考えてきたが、実は時間とこんな奇怪な性質を持っている。ここに過去ー現在ー未来とは何かということを考えた哲学理論を加えたいところだが、時についての1回目に話したように、アリストテレス、アウグスティヌス、カント、フッサール、ベルクソン、マクタガード、ライヘンバッハと、私が知りうるだけでこれだけの人々が各々が時間論を持っており、さらに宗教やその時代時代の科学がリンクして混迷を極めている。これは哲学科の時間論を専門とする先生でもない限り説明できないだろう。
いつか明確な説明ができるときが来たら紹介したい。

『時間とは何であるか。だれもわたしに問わなければ、わたしは知っている。しかし、誰か問うものに説明しようとすると、私は知らないのである。』

聖アウグスティヌス(Augustinus,354-430)
『告白』11巻より

この疑問は今も解決されず、続いている。
人間が時間を認識し始める起源を遡ると、農耕社会が成立した時代に辿り着く。「エジプトはナイルの賜物」という。世界最古の古代文明はナイル川が存在しなければ発祥はなかった。この世界一の大河はほぼ1年周期で規則正しく氾濫し、上流から押し流された肥沃な土は、農作物の栽培を助けた。それと連携するように土木技術や天文学が発展し「時を計る」技術も進歩した。

キリスト教の圧倒的な影響下にあった西洋中世では、「時間は神のもの」であり、時刻を告げる教会の鐘は教会の持つ特権だった。
時計の登場はこうした関係を突き崩していった。人々は時計を手に入れることで、教会の専有物だった「時間」を奪い取っていった。時計の獲得はまさに自由の獲得であり、「時間」とは優れて歴史的な概念といえる。

生物はたとえ暗闇の中でも24時間をかなり正確に把握できるらしい。これを実現しているのは脳の一番奥にある「視交叉上核」という細胞による働きで、いわば生物時計といえよう。しかし、24時間を知る正確さに比べると、1分や1時間という単位で時間を計ることは困難なのである。人間がどのようにして時間を把握しているか、まだまだ未知の部分は多いようだ。
ところで、時計を使わずに1分間を計ろうとすると、子供は短めにカウントし、高齢者は長めにカウントするという。歳を取るに連れて時間間隔は短くなるような気がしているのだが、それとは反比例する実験結果だ。どうしてこのような結果になるのだろうか?


あらゆる生物の中で「時間」という概念を持ち、「時間認識」を明らかにしているのはおそらく人間だけであろう。
そして全ての生物には寿命がある。セミは飛べるようになってすぐ死んでしまい、亀は数百年生きる。人間の時間認識で見ればそのような長短が感じられるが、これを人間の時間認識で判断するというのは不適切で、彼らには彼らなりの生物時計で測ると、それは意外と同じくらいのものなのかもしれない。

家の飼い猫を見ながら、そんなことを思った。

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今日、8月15日は終戦の日。終戦が1945年からだから、ちょうど63年目にあたる。

私の職場は九段下にあり、今日は手術後の経過を見せる予定になっていたので、九段坂病院へ向かう。職場から九段坂病院へ向かう途中に靖国神社がある。
表面の手術痕は特に問題なかったものの、皮膚の下を縫ったところの治りがいまいちで、今日は抜糸せずに来週の月曜か水曜に行うこととなった。

昨年もこの終戦の日にやってきた靖国神社
その成り立ちからすると、私個人からはここを参拝することに実は抵抗がある。そもそも靖国神社は戊辰戦争での朝廷方戦死者慰霊のためにつくられた「東京招魂社」が前身となる。私の祖母の家は会津藩の馬術指南役。もちろん戊辰戦争にも参戦し、ぼこぼこに敗れて死んでいる。会津の人々のこの恨みというか執念というものはいまだに微妙に存在しており「嫁は外国人でも構わないが、萩と薩摩だけは絶対に駄目だ」とまで祖母に言われたことがある。
しかし、今の靖国神社の役割はそうした点から離れてきている。合祀対象は大東亜戦争における軍属、準軍属が圧倒的であり、この戦争における戦没者のためと言ってしまっても差支えはないだろう。
私の親戚にも出兵した者たちがたくさんいる。祖父も行っているし、その兄弟3人も各戦地へ行ったがいろいろと戻ってくるには手間がかかったものの、命を落とさずに皆帰ってきた。先日遊びに行った、横浜のおじも少尉待遇で出兵している。もう数少ない、戦争というものを本当に経験してきた貴重な日本人である。いろいろな逸話を聞いている。

今日の東京も異様といえるほどの暑さである。汗が噴き出してくるので、ハンカチで拭いながら歩く。病院での診察が終わった後、会社にはすぐに戻らずに靖国神社へと向かった。去年もすさまじい暑さであったが、今年も去年と同じく全くその通り。玉音放送があった1945年はどのような天候だったのだろう?今日のように暑かったのだろうか?

さて、去年と同様、今年も街宣車を並べる右翼活動家の皆さん、署名活動をする人々がたくさん田安門周辺には集まっていた。現職閣僚の多くが参拝を見合わせたことに対する反発、北京で行われているオリンピックの反対声明、拉致被害者の救出を願う人々。そして、その暴動を抑制するがために集められた警察官たち。九段周辺はものすごい警備がひかれた。特に機動隊の人々は、この暑さにあの重装備。大変気の毒であるが、それが職務なので全うしていただきたい。

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神社に入り、神門をくぐる前に大手水舎で手と口を清める。そして、神門くぐると、まばゆい光とともに拝殿が眼前に広がる。

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去年は玉串料を払い本殿に昇殿したのだが、仕事の合間に来ているということもあり、拝殿前で二礼二拍一礼で祈りを捧げる。何に対してかって?それは過去の教訓を生かし、さらに良い国にしていくために、小さな力ではあるものの社会を住みやすものに変えていきたいという思いを、この国の礎になっていただいた方に誓うためである。
私は宗教というものをあまり信じないし、占いなどは嫌いなほどである。しかし、これは過去の歴史との対話である。死んだ後、人間はどうなるのかは本当に分からない。私は無に還ると言うことにしているが、そもそもその無とは何か?それもよくわからないのである。完全な無であるならば、歴史との対話などは無用な行為である。しかし、私にはまだ無になるということへの完全なる了解がなされていないのである。

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今日の青空なら、天からも地上が見えよう。この世でせせこましく生きている自分は何なんだろうと、汗を吹き出しながら考える。私の気持ちはまたまとまらず空を漂うばかりであるが、国のために無になっていった人々は確実に存在するのだ。今は死や無について考える前に、先人達へ感謝しておこうと思う。


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『私たちはみな人生のある「とき」に生まれてきて、そして、ある「とき」に、去っていく。人とはそんな存在なんです。』

スイス・オメガ社社長
ステファン・ウルクハート(Stephen Urquhart)

すべての営みには「時」がある。その時というものを私が強く意識しだしたのは、もうずいぶんと昔...そう、それは小学校の頃だったろうか?時というものがなぜこれほどまでに感覚的にとらえにくいものなのか、そのことに強く疑問を感じたのがはじまりだった。だから、自分の時計...特にいつでも身につけられる腕時計というものをかなり早くから私は身につけていた。そして、その割には随分と時間にルーズだと周囲からは反感をかっていたのだが。

社会人になるまで、雑貨店で売っていそうな比較的安価な腕時計を身につけていたが、社会人になって初めて貰った少ないボーナスで私は腕時計を購入した。ここではまだしっかりと紹介していない「RADO DIASTAR CITY」というクォーツの時計。10万円には満たなかったように記憶しているが、当時の自分にとってはとても大きな買い物であった。どちらか...というか、どこから見てもラグジュアリー路線のこの時計はベゼルが超硬金属でできており、風防はサファイアガラス。スポーツウォッチのごとく丈夫であった。まともな時計を1本しか持たなかった私はこれをどんな場面でも使った。スーツには似あっただろう。それ以外のOFFの時もずっとこれ。季節もオールシーズン使用。そのため、レザーストラップを3度交換した。RADOは高級ブランドというわけでもなく、純正のストラップでもそんなに値段はしなかった。
私はこの時計1本で20~26歳という6年間を過ごした。洋服は着替えるからその時々でいろいろと変わるが、身につけている時計はずっと一緒。外していたのは寝ているときと風呂に入るときくらい。自分の人生の中で最も濃密で会っただろう6年間を、ずっとこの時計と過ごした。時計自身はずっと機械的に動き時を刻むだけだろう。しかし、これを腕に身に着け、人とともに時間を刻むことにより、人生の証人となる。コレクションが増えた今としてはさほど目新しい感もしないこの時計を身につける機会はかなり少なくなった。だが、この時計は私の6年間の証人なのである。いくら出されてもとても手放す気にはなれない。

時間というこのとらえにくい存在には古くからの歴史があり、また多くの哲人たちが挑んだ大きなテーマである。私はその哲人たちの足もとにも及ばないが、私なりに時間というものを最近、特によく考えている。考えれば考えるほど、この深いテーマの前に頓挫しそうになる。だから今の私には哲学的観点から時について語る資格は残念ながらまだない。だが、歴史や科学的側面からの時についてならば、少々語ることもできよう。後日、二つほど「時について」というテーマで記事を書いてみたいと考えている。

ところで、私は最近ある方とメールをちょくちょくしている。そのある方とは16年前から私は会っていない。彼女は私にとって、初恋の人だ。彼女とのメールの中で「16年間でお互い何が変わったか」といったような話題をふったことがあったが、その返信に私は「昔よりも多くのことが許せるようになったかもしれない」と応えた。
しかし、今思うとこの答えを「時」との関係から考え直すと誤りだったのかもしれないと思う。たとえば悲しみの感情は時とともに癒される...というより、すこしずつ忘れていく。記憶という形では残っているし完全に癒されることなどない。だが少なくとも受け入れられるようにはなってくる。許せるというよりも、受け入れるだけの時間が経過しているだけなのかもしれない。

RADOの時計を手放せない自分は、ひょっとするとそのことを思い出し続けるために手放せないのではないか?そんな気すらしてくるのだ。


次は、時間を掌握するということに対する歴史的意義について、見ていこうと思う。

ちょっと想像してほしい。

とても広い草原に1本の木が立っている。その木の周りに50mの柵を作り、中に牛を1頭放つ。
そして、その草原の草は2日に1度、すべて食べられる状態に生え変わるのである。

柵の中に入った牛は、喜び勇んで草を1日で食べてしまうことであろう。そうすると、翌日にはまったく草がない状態となり、牛は空腹に耐えなければならない。その翌日、草はすべて生えているので、それを1日で食べてしまい、またその翌日、ひもじい思いをすることだろう。

これが牛ではなく人間だったらどうだろうか?
おそらく3~4日目にその草原の法則に気づき、1日に半分ずつしか草を食べないようにコントロールすることだろう。しかし、本当に自分が満足するまで草を食べつくすことは、一生できないのである。



この記事のタイトルは、イギリスの哲学者(という枠だけでは語れない偉人)「ジョン・スチュアート・ミル」が著書の『功利主義』の第2章で記した言葉であり、厳密には「満足した豚よりも不満足な人間である方が、また満足した愚か者よりも不満足なソクラテスである方がよい」が正しい。「のか?」という疑問は、私がつけたものである。
J・S・ミルがこの言葉から言いたかったことをかなり端折って説明すれば「満足の量ばかりを優先してはならない、人間に必要なのはその満足の質であるということ。」ということであろう。そしてここで人間とソクラテスをあげているというのは、あまり考えもしない普通の人間よりも、哲学的に生きることを選んだソクラテスの方がより質の高い生き方をしており、ほかのことで不満足であっても、その方が精神的な満足感が高いということだろう。

さて、私はこのブログなどで哲学的に生きるというか、人間として様々なことを考え続けることの重要性を結構説いてきたつもりである。しかし最近、本当にそれが人間として生きることの満足感を高めるのかどうかという点において、いささか疑問を持つようになってきた。人間とはたかだか数十年しか生きられない存在である。そして、人間以外の動物を見よ。彼らには瞬間的な幸せや不幸はあるかもしれないが、時間という概念すら持っていないのではないかと私には思わされる。人間らしく牛を書いたが、牛は「草がある」、「草がない」という事実だけをその瞬間に認めているだけで、1日我慢するなどという発想はまずもっていないだろう。

上で挙げた牛の例は、まさに動物としての本能のみで生きるものと、それを自重し、調整しながら生きる者との対比である。どちらが満足な生き方をしているとみなせるだろうか?満足な日も、不満足な日もある牛としての生活か、それとも思いっきり食べることが永遠にできない人間的な生活か?


J・S・ミルの功利主義は、私の挙げた例のようなところで使うのは本質的ではないのだが、どうも最近本当によくわからないのである。

しかし残念な現実に、考え始めたものはその考えを止めることができないのである。そもそも考えない人間が考えるようになることは十分にありうるのだが、これは非可逆な現象なのである。先日の記事で「これからの世の中を生きていくためには、数々の事象に対する複眼的視点と思考が必要だ」と書いたが、これは不満足な生き方をしてしまう人間を生み出す毒電波のような気分になってきた。

そこまでわかりつつも、不満足な生き方しかできな自分の不器用さには、なんとも悲しくなるばかりである。

今日、7月27日は妻の姉の命日である。
今から18年前、スキルス性の胃がんが急に見つかり、若かったゆえに進行が早く、手遅れとなってしまった。

数日後には結婚式を控え、全ての準備が整っていたにもかかわらず、あっという間に命を奪われた。
義理の父母は、高度経済成長期をつつましく過ごした、普通の夫婦。
そんな二人に対してこのような仕打ちがあるとは、世の中の理不尽というものを感じずには居られない。

世の中、平等だと人は言うが、決してそのようなことは無いと私は思う。
どんな悪い人間でも幸福は訪れるし、どんな良い人間にも不幸は訪れる。
残酷ながら、全く平等ではないのだ。そして、平等で無いと思いながら生きたほうが、気が楽になる。

小学生や中学生にこの理不尽を知れというのは難しいことだと思う。
その頃は教育の現場で「人は平等である」と語ることは良いかもしれない。
しかし「運命は不平等である」という事実を、高校を過ぎた頃からは知ったほうが良いのではないかと思う。

祖母が、祖母の息子である伯父を亡くしたときの落胆した姿を思い出す。
子供が自分より早く亡くなるということは、相当に落ち込んでいたようである。


妻は姉をなくしたという経験があるせいなのか、死というものに対して独自の考えを持っているようだ。
私とはまた違う考え方を持っている。それはそれとして尊重したい。


今は、義理の姉の冥福をお祈りしたい。

靖国神社 みたま祭り

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私の働く会社から靖国神社までは歩いて10分ほどの距離である。今日で最終日を迎える「みたま祭り」を眺め、お参りをしにいくことにした。浴衣をきたかわいい女の子、戦没者の遺族と思われる年配の方々、祭りが好きな外国人など、国籍無私な老若男女でごったかえしている。

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田安門側から靖国神社の境内に入る。どこの祭りでも同じだが、第二鳥居までは屋台がずっと連なる。これが祭りの醍醐味なのかもしれないが、この靖国神社という場所には少し似つかわしくないような感じがする。大村益次郎銅像の周りは盆踊りのステージになっており、威勢のいい太鼓の音にあわせて踊る方々が見える。

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その後ろには左右にものすごい数のちょうちんが掲げられている。ちょうちんには名前が書かれており「衆議院議員 小泉純一郎」などという名前も見当たる。大手水舎で手を清め、神門をくぐる。中には書画がかかれた灯篭がいくつも並んでいる。一つ一つ、残らず見てみた。私には伊東四朗さんが書いた灯篭が最も心に残った。

 あの頃 戦中だったのに
 みんな おだやかだった。
 今、親子が 学校が
 世の中が まるで
 戦争しているみたいです。
 お国の為に、父母の為に
 散った兵隊さんたちに
 羞かしいです

本当に、本当にごめんなさいと私は思わずには居られませんでした。
人を思う心を失い、ただ、人を蹴落として、私達は経済の発展を第一に考えて、こんないびつな世の中を作ってしまいました。
あの戦いで命を失った人たちに、この世の中を見せてよいのでしょうか?

私の父方の祖父の兄弟は、皆、戦争から生きて帰ってきた。本当に運が良かったと皆言っていた。
三男はシベリアに抑留されて大変な目にあった。五男は高校卒ということで、20才前後で少尉として出兵した。今の私はそれより10才以上年上だが、とても将校など務まるとは思えない。

拝殿をお参りしていると、やたらに威勢のいい歌声が後ろから聞こえる。
能楽堂では「つのだ☆ひろ」が子供達を引き連れて歌を歌っていた。

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神門に戻り、第二鳥居を眺める。
たくさん人がこちらに向かって歩いてくる。
祭りが好きなだけでもいい。この日にここに集ってくれるなら。でも、ほんの一瞬だけでもいいから、お国の為に戦って、散っていった人...そんな人たちが居たことを思ってほしい。

なぜ日本人は「汚い街」と「地獄のような騒音」に鈍感なのか?
我々は美に敏感な国民である。欧米人に比べても、心づかいが細やかで洗練されている――。しかし、いや、だからこそ、この国には騒音が怖ろしいほど溢れかえり、都市や田舎の景観は限りなく醜悪なのだ!「心地よさ」や「気配り」「他人を思いやる心」など、日本人の美徳に潜むグロテスクな感情を暴き、おしつけがましい「優しさ」と戦う反・日本文化論。

本書 帯より


私の出身地は福島県福島市である。
高村光太郎の妻、千恵子は「東京には空がない。」と言っていた。彼女にとっての本当の空とは、生誕した福島県二本松町(現在の二本松市)の、安達太良山が見える空だという。二本松市は福島市の隣だ。二本松市まで行って、私は空を眺める。そして私は思う。
 「おい、電線だらけじゃないか!」

本書は以前書評を書いた『うるさい日本の私』と『「うるさい日本」を哲学する』の間の時期に発刊された本である。先に紹介した二作は日本中を取り巻く騒音に対する内容が中心であったが、本書では日本固有の都市景観や美的感覚、日本的サービスについて言及している。

中島義道先生は、間違いなく現代日本におけるマイノリティである。ありとあらゆる「普通の人」がなんとも思わないことに日々、苦しんでいる。しかし、ほかのマイノリティと明らかに違う点が一つある。それは、表現する手段を持っているということである。
中島先生が上記の本を含めて強く主張し続けていること、それは「この日本で生きているのはマジョリティだけではない。マジョリティがなんとも思わないことに悩み続けているマイノリティが少なからず存在することを忘れずに、安易に物事を決めてくれるな」ということである。色々な人がいる。だからそれぞれの人々の感覚を許容する...そう「感受性の共生ができる社会」を目指したいという思いが随所から読み取れる。
だから本書でも「日本のマジョリティはなんとも思わないこういう事態は、いったいなぜ起きるんだ?」という点を、日本と他国、現代と近代・古代といった様々な軸を持って説明している。だが、この本の本来の目的を見誤ると「変人大学先生の変人紀行」にしかならない。おそらくamazonあたりで星ひとつをつけている人たちは、そうした表層的な面しか読み取れなかったのではないかと思う。これらは真意を伝えるための例に過ぎない。


まずはその例たる、目次を紹介しよう。

  1. ゴミ溜めのような街
  2. 欲望自然主義
  3. 奴隷的サービス
  4. 言葉を信じない文化
  5. 醜と不快の哲学

1~2章は日本の都市景観を中心に語られている。
特に声高に主張されているのは、日本の空を覆い尽くす電線と電柱の存在である。こうした景観に対して何の疑問を持たない人(マジョリティ)と、「こんな景観おかしいでしょう?」と訴え続けてきた中島先生の行動が記載されている。

私はバウハウスにインスパイアされたような造形物が非常に好きで、とくにモダニズム建築の家にはいつか住んでみたいと思っている。あの開放的な空間(特に窓。日照時間が短いドイツならではの工夫なのだろうか?)、機能とデザインが調和した(いや、最も機能的なものはデザイン的にも優れている)という合理的な考え方がとても好きなのである。
都心の高級住宅街を歩いていると、そんな建物に出会うことがある。日本人の美的感覚も捨てたものではないと思う。庭もよく手入れされている家が多い(我が家は微妙だが...)。
そして、東京や横浜のウォーターフロントの景観の美しさといったらない。ベイブリッジの光を見ながらドライブしているときなどは、こうした美しい景観を作れる日本人のセンスの良さは驚くばかりである。

私は就職活動等のために上京してきた19才の頃、東京の繁華街という洗礼を受けた。新宿歌舞伎町の電飾と音と人とゴミだらけの道路に驚かされた。同様に、上野や神田や秋葉原でも同じような衝撃を受け、こういうゴミ溜めのような街には居たく無いし、住みたくないと思った。
なぜ、自分の家はあれほどこぎれいにでき、美しいウォーターフロントの景観を作れる人たちがたくさん居るというのに、ちょっと繁華街に出ただけでなんでこんな風になってしまうのだろうか?
店レベルでいえば、あまりに典型的なので挙げさせてもらうとドンキホーテである。統一性がなく、商品を探しにくい陳列。人と人がすれ違うことすら難しいほどに商品が店内を埋め尽くしている。あの店なら、火事で死人が出るのも良くわかるというものである。おいてある商品も低俗なものと、比較的高価のブランド物が混在している(といっても、本当に一流のものはこのような店に卸されないから、街でよく見かけるような商品が多い)。少なくとも、この店でブランド品を買いたいとは微塵も思わない。究極のカオス店だと思う。私はこの店に居ると具合が悪くなってくる。しかし、私の住む近くに店舗が増えたりしているのである。つまり、多くの人々はこういうカオス状態に嫌悪感を抱かないのだろう。
茶の湯の侘び寂び、東山文化の代表とされる銀閣寺のようなものを愛する感性をも持ち、自宅はこぎれいにすることができる日本人が、なぜあのような街や店で買い物が出来るのか、不思議でならない。

そこで筆者は、欲望自然主義という言葉でこの日本人の不思議な行動を説明している。その点を引用してみよう。


欲望自然主義とは、その欲望の歯止めのない大きさを意味するのではなく(その点にかけてなら、欧米列強の欲望の方が桁違いに大きい)、欲望の様態を特徴付けるのだ。日本人にとって「自然」とはある決まった領域ではなく、そこにはいかなる限界も無い。まさに人間のなすこと全てが自然なのである。(中略)欧米人は美を実現する際に徹底的に「醜」を排除しようとするが、日本人はそうではない。「美」のすぐそばに「醜」があっても、それほど気にしないのだ。「醜」が「美」と共存していても目障り・耳障りではないのである。こうして、京都に典型的であるように、清涼な寺院の庭園が原色の看板に埋もれ、電柱が林立し、頭上では電線がとぐろを巻き、それにスピーカーががなりたてているゴミ溜めのような街と自然に共存していることになる


つまり、(マジョリティ的)日本人の特殊性としてその景観に一貫性を持たない(そういう意味での自由)ことができると解釈している。まぁ、この辺は正直、私の疑問が解けたわけではないが、自分の事実認識とさほど異なってはいないので納得できる話である。


3章の「奴隷的サービス」と4章の「言葉を信じない文化」では、日本的サービスの特殊性について語っている。

私たちが店で何かを購入する場合、その商品と、商品に対する対価(お金)をもって取引をしているわけだから、この点において、売る側と買う側の力関係は同等な筈である。
しかし、日本と言う国において提供されるサービスは非常にお客に対して謙ったものであり、そしてサービスを受ける側の客もそれを当り前だと考えている。ちょっとにわかには信じられないような要求をする客もいるし、そうした客に対応すべく、恐ろしいほどの対応マニュアルを用意してサービスを提供する側は待ち構えていたりする(特に公共交通機関やホテルでは非常に徹底している)。
そして、この王様のような客と奴隷的なサービス提供者の関係が成り立つとき、王様(客)は個性や人間味をすっかり洗い流して思いっきり匿名的な存在に留まろうとする。
例えばタクシーでのやり取り。ほとんどの日本人客はタクシーに乗り込む時「九段坂下交差点」と目的地を言うだけである(ちなみに私はタクシーの運転手と話をするのが好きなので、一人で利用した時は、東京中の道路の話などをしている。お互いに最短ルートを考えあったりする)。降車するときに運転手から「ありがとうございます。お忘れ物ありませんように」と丁寧に挨拶されても、多くの方は全くの無言である。
近所の方に挨拶をされても返さないという人はまれだと思うが、いざ、サービスを受けるという立場になるとこのような態度を平気でとる。むしろ逆に「安全運転ありがとう。さようなら。」などと返事をすると、妙に勘ぐられてしまうのではないかと思うほどである。
このような現象は西欧型市民社会に共通にみられるものらしく、社会学的には「儀礼的無関心」と呼ばれるものらしい。これが日本では気持ち悪いくらい徹底している。

さらには、コンビニでの「いらっしゃいませ~~こんにちわ~」という、こちらを見ることもなく発せられるあいさつから、町を埋め尽くす標語、注意を促す放送へと矛先が向けられる。つまり「実効性が伴わないにもかかわらず、ただ存在するだけで、かつ、マイノリティ(中島先生)の美的感覚を著しく損なう」対象(役所など)へと突進しつつ、言語哲学者の加賀野井修一の言葉を借りつつひとつ面白い分析をしている。


言語哲学者の加賀野井修一は、こういう日本人の言語観を「言霊思想」と呼んでいる。日本人の言語使用にあたっては、言葉はその意味伝達機能を無限に希薄化され、ただ「語っていること」が異様に前景にでてくる。加賀野井が言っているように、その典型的例は「祝詞」であって、「交通安全」も、「駅前放置自転車クリーンキャンペーン」も祝詞なのである。実効を期待せず「いつか気づいてくれる」だけでいい。人々の心に残って「だんだん改善していく」だけでいい。短期にならずに、その時まで忍耐強く待たなければならない。
こういう考えだからこそ、掛声、標語、警句、お願い...という「言葉」が街にあふれることになる。しかも、それによって直ちに効果を求めているのではないから、一度決まったら、えんえん何十年でも続くことになるわけだ。


こうした実効性のない「祝詞」も、景観を愛する人々からすればとてつもなく不快なものなのだろう。そう、私などはこういうものがありふれているところで育ってしまったので、あまり感じなくなっていたが...。しかし、定型的な「祝詞」で迎えられるコンビニの客と言うのも、ずいぶんとなめられた存在だなぁと思わずにはいられない。


以上が多様な感受性が存在するということに対する数々の例の一部である。

多くの進歩的(に見える)人々は感受性の多様化を認めているようであるが、その実、どうかはわからない。「個性を伸ばそう」という学校では児童・生徒の平均化に躍起になっているし、マイノリティはコミュニティの中で排斥され、いじめに苦しみあえいでいる。感受性のファシズムがまかり通っている。
私はこの本に書かれている数々の例に共感しているわけではない(だって、私は中島先生じゃないですから)。だが、こういう例題で具体的に説明されないと、鈍感な我々はその苦しみと言うものを寸でも理解できないのである。

本書のタイトル「醜い日本の私」は、感受性のファシズムが猛威をふるい、異端者を排除する日本と言う構造の醜さ、そして、こんな滑稽なことまでしないと皆に理解してもらえないという、中島先生流の皮肉のこもった自身に対する醜さ、双方にかかっているのだということを、最後まで読んで理解できた。

実は私は、ありとあらゆるスポーツが苦手であり、することはもちろん、観戦することにも全く興味が無い(唯一あるのはモータースポーツ位か?)。だから、世間話としてこの手のスポーツネタを振られることは、私にとっては猛烈な苦痛なのである。少なくとも、オリンピックの時期は、付き合いで出席しなくてはならない飲みはできるだけキャンセルしようと思っている。
ニュースを見ていてもスポーツコーナーがはじまったらチャンネルを変えるし(さらにいえば、スポーツ担当キャスターのはしゃぎっぷりや、まるで自分が優勝したかのように喜ぶのが見ていられない)、当然のごとくスポーツ新聞などは読む気にもならない。
比較的、事実を淡々と報道してくれるNHKのニュースばかり見ているのだが、それでも21:00のニュースではかなりはしゃいでいて(メインキャスターも元スポーツキャスターのため、うるさい)何だか見るのがきつくなってきた。

あと一ヶ月ばかりでオリンピックが開催される。電機メーカーはここぞとばかりに大型テレビとブルーレイやHDDレコーダーの新モデルを投入し、売りまくろうとしているようである。キャッチコピーも「北京を高画質で」とか、「オリンピックを大画面で」なんてのをつけているようだが、私個人の心には全く届かないキャッチコピーである。こういうときに、自分のマイノリティっぷりを猛烈に感じる。しかも、我が家でこうしたものに興味が無いのは、妻も一緒。マイノリティ一家なのである。
オリンピック競技を見ることが無いわけだから、録画してもう一度見る人の気持ちも当然のごとくよく判らず、さらにブルーレイのようなメディアで永久保存版を作っているなんて人の気持ちはますますわからない。我が家のような家における需要喚起には全く至らない広告宣伝なのである。

私は以前も同じようなことをブログに書いたことがあるのだが、なんで「スポーツ」というインターフェースを介することによって、人々はこれほどまでに愛国者に変わるのかが良くわからない。日本を愛するのならば、メダルの数で一喜一憂するよりも、社会保障費削減問題や、特別財源の透明化、労働問題、ガソリンの暫定税率、国内の食料自給率の向上(キリが無いんでもうやめます)などに意見をぶつけないのだろうか?住みよい国にするために、もっと別なベクトルに愛国心を向けてほしいものである。

話をスポーツ競技のことに戻す。
日本人選手は金メダルをもらったりすると「皆さんの応援のおかげです」とあらゆる方向に答える。そして報道する側は「すばらしい感動をありがとう」、「日本中が喜びに溢れている(私の中には喜びは溢れていません。どうでもいいです)」と結ぶわけである。金メダルを取るような選手は、血のにじむような(一般大衆には想像の付かないような)努力をしているのだろうが、決して「私のたゆまぬ努力の賜物です」とはいわない。こういうことをいうと、世間は「けしからん」というわけである。そして、選手もそのことを知っているのである。
社会学的に人の演技的行動を分類すると「表層演技」と「深層演技」に分けられる。表層演技は自分が演じていることを自覚しながら行われる演技であり、深層演技はその人の性格や体質にまで及んでいる、無意識の演技である。日本のスポーツ選手が「皆さんの応援のおかげです」というのはまさしく「深層演技」のレベルだろう。この国ではこうした「深層演技」に長けた人間が大人とみなされ、そうしない人を子供と見る。
でも、こんなに媚を売る必要は無いと思うし、それに対して反感を持つというのもかなりおかしいと思う。だって、あなた達はその選手のコーチでもなんでもないでしょうに?ただ単にテレビ見て、一方的に応援しているだけでしょう?何を期待しているというのだろう?

ところで、様々なニュースに対して発生する人の意思は、メディアが作り出すものであってはならないというのが私的信念である。だから、余計なコメントを挟むキャスターが居るニュース番組には寒気がするし、それが多くの人にこの世の普遍的意見として受け入れられている事実にガックリとさせられる。(私はそういうことを積極的にさせようとしている報道ステーションとニュース23が特に嫌いです)これはまさに集団的催眠の実施であり、中世の魔女裁判やナチスのユダヤ人迫害の構造とたいした変わりは無いのではないかと思う。そして多くの大衆は、このことを断罪される時が来たならば「私達は何も知らなかったのだ」と、魔女裁判の時と同じことを答えるのだろう。

最近、街を歩いて見かける女性の多くが美人で、かわいらしく見えてくるようになった。
妻と一緒に歩いているときに「あの女の子かわいいね」というと「え~?そうかな~?」という突っ込みを、3人中2人位にされる。
挙句の果てに「レンジがものすごく広いよね、あなた」と妻に言われてる。昔からこうだったわけではなく、最近、しかも急に本当にそう思えるのである。

先ほど、メガネ屋さんでお世話になったI田さんは、妻も「素敵ね」といっていたのでおそらくそんなに感覚がずれては居ないと思うのだが、その後に行ったスタバの店員や他の客も美人に見える。「こうじゃないと美人じゃない」とか、「かわいいとはこうあるべきだ」というこだわりが急激になくなってきているらしい。よく見ると、どんな方でもかわいらしいところが見つかったりするのである。

で、あまりにしつこくは言いませんが、素敵なところは素敵であると、出来るだけ人に言うことにしようかと思っているのです。でも、30過ぎ男にはちょっと難しいかなぁ。女性対女性なら「髪形変えたね~」とか、「今日は雰囲気違うね~」って自然に出る会話だけど、そういうことに嫌悪感を感じる人が居ないとも限らないから難しい。でも、ここ5日くらいは、少なくとも1日に接する女性1人以上にそんなことを言っているなぁ。

私は女性の自意識ってものはとても大事だと考えていて、やっぱりそこは捨てずに自分を磨く努力はずっとしていてほしいと思うのです。それは何歳になっても変わりません。
私の母は年齢の割にはそういったことに気を配っていたほうなのかなぁと思う。母曰く「仕事で疲れて家に帰ってきて、枯れたような妻が待っているっていうのは、良くないと思うのよね。うんざりするでしょ?」。本当にそのとおりです。
もしも、こうした一言がその人の自意識が高まる(というか、きれいに、かわいくなる気持ちをもっと推し進められる)といいと思うのですね。そうしたら、もっと美人でかわいい人が増えますね。それはとても良いことではありませんか?

ところで、妻は「死期が近づくと、その人のは周囲は俄かに華やいで、バラ色に見えるらしいよ。そろそろ死ぬんじゃないの?」と私にいう(笑)。そうかねぇ?私は死期が近いのかねぇ?

先日から、私のブログからハイパーリンクを張らせて頂いてます。
StayGold's cafe

ハイパーリンクを張るに至った発端は、2008/06/08の「秋葉原の通り魔」に対するコメントを頂いたこと。ネット上でちゃんと議論できる珍しい方だと感じ、その後の記事に対するコメントでも、結構熱いやり取りをさせていただいてます。

ブログマスターであるStayGold's氏の関心は社会問題をはじめ、音楽、写真など多岐にわたる。
見ている対象が私とかぶる事があるが、その視点は根本的に違う。私はネガティブで、ニヒリズム的で、厭世的と完全に陰のイメージだが、StayGold's氏は陽の視点から物事を見る(この議論を参照いただければ、よくわかると思います)。それに、議論があまり感情的にならないところ...日本人にしては大変貴重な存在だと思います。

そこで、StayGold'sさんにちょっと提案。
よろしければ、何かのテーマについてブログ記事での意見交換(往復書簡)のようなものをやってみませんか?
今までは記事に対するコメントとしてStayGold'sさんに意見を頂くという形でしたが、前の意見に対してはハイパーリンクやトラックバックの指定をし、コメントは我々の意見を聞いた方に入力してもらう。
もちろん、毎日そんなことをしていたら寝る時間がなくなってしまうので、10日に1回なんてペースが良いのではないかと思います。

いかがでしょう?
テーマ内容はあまりマニアックなものではなく(私が機械式時計を語るとか、宇宙の寿命について語っても仕方が無いので)お互い3案くらいずつ出し合って決めていき、ある程度の結論が見えてきたりしたら、そのあたりで終了という具合で。
あくまで思いつきなので「うちのブログはそんなんじゃねぇ!」ということであれば、それはそれでかまいません。

ぜひ、ご意見をお待ちしております。

8square.netのサイトには、簡単なアクセス解析ツールを導入している。
別に商取引をするサイトでもないので、ユーザーの導線分析のような本格的なことはしていないのだが、一日にどれくらいの来訪者数があり、リピーターがどれくらいあり、各ページのインプレッションがどの程度あるか、確認している。

このアクセス解析ツールの機能の中に「各検索エンジンでどのようなキーワードが入力され、このページへ至ったのか」を分析する機能がある。総じて時計関連のキーワードが多いのだが、最近増えてきたキーワードの中でちょっと気になる言葉がある。

それは「自殺」である。ここ数ヶ月で急に増えている。
このサイトで「自殺」というキーワードを使っている記事がどれほどあるかをちょっとカウントしてみた。21の記事の中で見つかった。だがそれらは、社会現象としての自殺者数を問題にしたり、書評の中に現れているものがほとんどだ。具体的な自殺の方法について述べたりは全くしていない。
どういう経緯でこのサイトまでユーザーが辿り着いたのかはよくわからないが、「自殺 方法」などという組み合わせで検索されていると、さすがにドキッとさせられる。そういう方法についてはこのサイトには一切記載してはいない。

私は本心から「人生に生きる価値が見出せないなら自殺するのもかまわない」という考えを持っている。
ただ、マジョリティ的な倫理観や生理的嫌悪感から、死のうとしている人に「おうおう、死んでしまえ死んでしまえ」とも言えないのも事実。ましてや、自分のサイトが自殺へのジャンプ台のような機能をしているのなら、もっと複雑な気持ちにさせられる。

私も過去、あることに絶望して本気で死のうと思ったことがある。というか、決行したこともある。どういうわけかその日に限って自分が見つけられ、病院送りになって助かってしまったという人間である。
その後も頭が痺れるような思いをして自殺について考え、私を知る少ない人間が悲しむという事実、そして多くの人に迷惑をかけるという事実に至り、再度実行には至らなかった。本気で死のうと考えている人に比べて、なんと根性の無いことか(笑ってやってください)。


忘れもしない、2002年9月1日。私はとある駅のホームで電車を待っていた。私の位置は、ホーム前から二人目。ホームに近づいてくる電車を眺めていたら、私の前に立っている人が線路に飛び降りた。何かが折れ、何かが絡まるような音がした。そして、私の靴に血が付着した。
私は不思議と冷静だった。警官に淡々とその様子を供述した。飛び散った死体を片付ける駅員が気の毒だった。それ以上に、血相を変えてやってきた奥さんと思われる方の姿を見たとき、私はうろたえた。

死とは無になることである。おそらく、周囲の人が悲しむ様子を見ることも感じることも無いのだろうと思う。だが、生きているうちはその様子を想像することが出来る。私はつい、その奥さんのことを思い出す。私の「自殺できない」という思いに決定的影響を与えた事件だった。


私は精神科医でもないし、心療内科医でもないし、臨床心理士でもないし、カウンセラーでもないし、夜回り先生でもない。多分、人の死にたいと思う気持ちを引き止めるようなことは出来ないだろう。だが、話を聞くことは出来る。
本当にこれが取り越し苦労ならいいのだが...もし本気ならちょっとだけその勢いに待ったをかけ、思うままにコメントを入力してください。もちろん、そのコメントは公開しませんが、急いで返信はいたします。

この頃、首都圏を電車に乗って移動してるといたるところにSEIKOウォッチ株式会社の腕時計販促用看板を見かける。

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3~4月は新入社員や新入学生があるから、腕時計の需要はあると思える。この頃によく見かけたのは菅野美穂さんによるLUKIAの販促看板。彼女は私と同じ年生まれ(私は早生まれなので学年は違うのだが)だから、新入社員そのものと言うよりは、理想の先輩像に近いのかもしれない。このモデルのコンセプトワードは"PLAY,WORK,LUKIA"。仕事とプライベートという境界線が希薄になりつつある中で、どちらにも合わせられる、そんなデザインだと思う。レザーストラップ&ホワイト文字盤にライムグリーンインデックスのSSVB081は、菅野美穂さんが動画の中で話していたように、ワンピースのような服装に合わせても魅力的だと思う。メタルブレス+インデックスがブルーのSSVB087はよりクールな印象。手堅く確実に仕事をこなす女性と言う印象を受ける。時間に対するけじめがある女性なんじゃないかと、私なら感じる。インダイヤルに対して同心円状に2本引かれる円のラインが、インフォメーションが多い文字盤に秩序を与えている。私はこういうデザインが好きだ。

SEIKOというブランドは、どうも自国製品であること、そして販売価格レンジが広いことから、同じ日本人からの評価がいささか厳しいような印象を受ける(自分を含めて、やはりスイスブランドに対する羨望というもののがなかなか抜けないことも一つの理由であると思うが)。ディスカウントショップ等で売られている、SEIKOの名を騙る逆輸入時計のようなものは今回は論外として、SEIKOは優秀な自社製ムーブメントを持ち、各パーツも自グループ外からの依存率が非常に少ない、世界に誇れるマニュファクチュールである。今までの販促戦略の中でそのブランドアピールがずいぶんと足りなかったと思えるし、プロダクトそのものに対するアピールも足りなかったように思う。身近な例をあげるならば、自分の父親が使っていたりすると漠然と「おっさんの時計ですか?」という印象を、少なからず持ってしまうと思うのだが、それを払拭するようなブランディング戦略が弱いような気がするのだ。「実用的な腕時計」という域を出ず(つまりステータス性に乏しく)さらに、腕時計をする必然性が無くなりつつある現代で、この苦戦は必至ではなかったかと思われるのだ。
そのSEIKOも、今年はずいぶんと販促戦略を変えてきたと思う。個々のモデルに対するイメージをより強調させるようなタレントをふんだんに使い、(過去も使っていたのだが、露出が足りなかった)ネットや看板といった、コストが比較的かかりにくいメディアを通じて、私たちの目に届く機会は確実に増えて来ている。

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5月に入って、よく見かけるようになったのはBRIGHTZ PHOENIXの販促用看板。こちらのイメージキャラクターは歌舞伎俳優の市川海老蔵と、プロ野球選手のダルビッシュ有。二人とも、その道では一流と言える人間だ。時間というものはどんな人間にでも意識され、そしてその中に個々の時間との向かい方というものが存在している。その時間に対する向き合い方(哲学)を二人に語らせている。だが、この哲学とBRIGHTZ PHOENIXというプロダクトの関連性は、語られてはいない。上記のLUKIAとは方向性がまったく異なる。それは商品の価格帯の違うわけで(LUKIAは4~5万だが、こちらは20~30万前後)同じ戦略をとれないのであろう。
感動を産み出すためには哲学は必要なもので、理想的にはZENITHのティエリー・ナタフ氏のように、プロダクトとデザインに全責任を負う人間の哲学をぶつけるのが最良だと思うのだが、やはりこういう人材は稀である。そう考えると海老蔵とダルビッシュを使わざるえなかったのかもしれないが、過去の販促活動に比べれば、相当に良くなってきていると思う。
BRIGHTZ PHOENIXは「キネティックダイレクトドライブ」と「機械式」モデルの2ジャンルがある。私はキネティックには興味がないので割愛するが、機械式モデルCal.6S28のクロノグラフ機構は見事なものである。スイングピニオン式を採用し、薄型化を実現。クロノグラフ操作機構にはピラーホイールを採用する。それでこの価格というのは、世界的に見ても相当安いと言わざる得ない。
でもね...デザインが私好みではないのである。細かく見ればかなり質感は良いのだろうけど、過去に私が批難したSEIKO逆輸入クォーツクロノグラフがちょっとマシになった程度にしか思えないのである。
そして、同価格帯のTAG HEUERの方が、圧倒的に売れるのだろう。Carrera Automatic Chronograph TACHYMETRE(Ref.CV2010)あたりがまともにバッティングするのだが、こちらはETA Cal.7750をベースムーブメントとした、カム式クロノグラフである。ムーブメントで比較したら、BRIGHTZ PHOENIXのほうが圧倒的にポテンシャルが高いのだが...

明日は、SEIKOを名乗らないSEIKOの高級ブランド、『CREDOR』について考えを述べてみたい。

妻が息子に絵本を読み聞かせているのを、私も一緒になって聞いていた。
「タンゲくん」は片目を失ったノラ猫で、この本の中の私(女の子)に飼われて、半ノラ猫になる。そんなタンゲ君と私の話だ。

話の内容は思いっきり省かせていただくが、大人になってから絵本を読むと、その中から意外な深い思いが読み取れ、驚く。絵本を読む大人が増えているという理由が良くわかった。

うちにも2匹ほど猫がいる。猫は何をするでもない。
うちの妻はそんな猫がいるだけでいいという。唯在る事を喜ぶという感覚を、私はどこかに忘れてきてしまったようだ。

我ながら、またミーハーな本を買ってしまったものである。

このブログ内で幾度と無く紹介しているちょっと変わった哲学者と、メディアへの露出度が高く、リベラルな女性心理学者との対談である。前回紹介した『「うるさい日本」を哲学する』のような往復書簡ではなく、座談会のような席を設け、その中で二人が交わした意見をそのまま本にしている。
メディア露出度が高い学者というのはあまり好きではないのだが、香山さんの意見(特に、働くということに対する考え方)については、結構、共感を覚えている。

目次を紹介しよう。

  1. 結婚しなくていい!
    やっぱりモテないといけませんか?
    結婚すると幸せになれますか?
  2. 就職なんかしなくていい!
    何のために働くのですか?
    夢がないといけませんか?
  3. 金持ちになんてならなくていい!
    格差って本当にありますか?
    お金が無くても生きていけますか?
  4. 常識なんてなくてもいい!
    今どき知識って必要ですか?
    人生の目的って何ですか?
  5. 生きがいなんてなくてもいい!
    生きていると面白いことがありますか?
    生きがいが無いといけませんか
  6. 生きがいなんて無くてもいい!
    人間関係がうまくいくコツはありますか?
    人間関係はどうあるべきですか?

もう、目次を見た瞬間から「ポスト・モダニズム的どうでもいい感」がプンプンしてくる。
総じて論じれば、この本は他人と自分とを比較して「何であの人があんなに恵まれているのに、私はこんなに惨めなの?」とか、「こんな私ですけど、生きていてもいいですよね?幸せになれますよね?」という、漂流気味な人がほしい言葉にあふれている。ルサンチマンの塊のような本である。「あなたはあなたでいいのよ」、「そんなに無理する必要は無いのよ」という優しい言葉であふれかえっている。

ここまで読んでいただいた方ならば「なんで中島義道がそんな意見にのっているわけ?あの人は幸福よりも真実を追い求めると宣言した哲学者でしょ?」と思われるのではないだろうか。
実は私も全く同じ意見で、中島先生は香山さんに飲み込まれている感じが否めない。この本における中島先生は、(今までの著作と比べれば)相当普通のおじさんになってしまっている。やはり、中島先生の思いは話し言葉というよりも、書き言葉という手段でしか表現が出来ないんじゃないかなぁと、この本を読んで思った次第である。

ちょっとイイねと思ったのは、働くということに対する考え方。
「やりたいことが何かということをとことん追求し、それを仕事にして自己実現を目指しましょう」
ということを企業も、就職を斡旋する会社も、社会人向けの各種スクールでもガンガン言っているが(そして私も過去にそう言ってきましたが)、実際に「やりたい」と思っていた仕事が確実にやれる保障など無い上に、仕事となると、趣味のレベルとは要求されるレベルが異なる。つまり、「やりたい仕事」に対して過剰に期待してしまうと、「そんなはずは無い」という思いと共にガックリ来て即転職のようなことにもなりえない。完全に嫌いなことを仕事にするのはつらいので、そこそこ好きな仕事を「飯のタネ」と割り切る程度に抑え、仕事に対しては取り組んだほうがいいと本書では提案している。
私も独身の頃は「自分の好きな仕事へ~好きな仕事へ~もっと自分の適性に合った仕事があるんじゃないか?」と思いながら、結構会社を移ってきた。飯を食えなくなって困るのは自分だけだし気楽に考えてきたのだが、結婚して子供が出来たりするとそうもいかない。幸い今の仕事がそこそこは好きだし、報酬もそんなに不満は無い。なので、私はこの会社に在籍し続け、本当にしたいことは自分の仕事以外の時間の中でするように、ここ最近は生活を変えてきた。会社に長時間いたり、仕事の延長で拘束されたりするのがたまらなく嫌なので、定時になるとあっという間に消えるのだが、私はそういう人として周囲に認識されている。そうなるとこれまた本当に気楽である。とは言え、定時内でクビにならない程度の仕事はもちろんしなくてはならないが。

その他の内容は、全体的に説教じみていてあまり面白い内容でもない。
立場が異なる人であれば「うんうん」と思えるのかもしれないが、私にとって『生きているだけでなぜ悪い?』という問いへの回答の片鱗すらも、本書から得ることは出来なかった。タイトルを変えるべきなのではないか?

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私好みの時計ばかりリリースしてくれるなんとも悩ましいウォッチブランド、ZENITH
ZENITHがLVMH傘下後になった2年後の2001年から同社のCEOを務めるのがティエリー・ナタフ(Thierry Nataf)氏である。デザインやコンセプトの考案から広告戦略のアートディレクションまでを行い、自らがスポークスマンとしても活躍する彼の時計に対する哲学は非常に熱い。
『TIME SCENE』誌に掲載された彼の名言を紹介したい。

Q1.人が機械式時計に惹かれるのはなぜか?
A.機械式時計への称賛は、私たちが時に対して抱く魅力に起因しています。
"時"とは何か?"時"とは何によって作られるのか?
機械式時計は、"時"の内なる性質を理解するのに重要な鍵であり、時計を称えることは、即ち"時"を称賛することなのです。
Q2.1日中何時間、時計のことを考えているのか?
A.一日中です!
幼いころより、私は"時"、そして時計の虜でした。
Q3.自らスポークスマンとなって、最前線で活躍する理由
A.CEOですから、会社の顔およびスポークスマンとして表に出ることは自然なことですが、私の場合、デザインの指揮者として表に出ているという方が正しいかもしれません。
私のほかに誰がゼニスの時計について語るべき人がいるでしょうか?
Q4.ファッションピース化する時計の現象について
A."ファッション"はいずれ廃れる運命であり、それではラグジュアリーな時計を作り出すことはできません。真のデザイン、純粋な美、絶対的な品質は、年代を重ねることで、より一層の価値を見出し、ひとつの芸術品となりえるのです!
重要なのは、ファッションを超越したところで、ファッションに左右されないスタイルを作り上げること。
私のすべての作品は"永遠なるもの"なのです。
Q5.時計のイメージを得る源
A.なぜ、ひとは"これだ"という新しいコレクションを見出すことができるのでしょう?
莫大な売り上げと成功ももたらすインスピレーションはどこから生まれるのでしょう?
少なくてもデザインでは世界中のすべての美を内包し、そこに"イタリアのクラシシズム" "アメリカのデザイン主義" "東洋主義"の3つの尺度を加えることが必要だと、私は思います。
時計のデザインイメージをつかむ秘訣とは、時計製作と感動を込めたデザインとの間で正しいバランスを見つけ出すことです。
そう、創造のミステリーを語り始めたら終わることはありません!
Q6.ナタフ氏がゼニスにもたらした変化とは?
A.全てが変わったと言えるかもしれませんし、何も変わっていないのかもしれません。
ゼニス社のこの7年を注意深く見ていただければ、私たちは、本来のゼニスの姿。つまり"天頂"の意のごとく、時計製造のトップブランドへ戻したということがお分かりになるのでは。私が成し得たことは伝統の再生であり、過去の偉業をたどり、それを現代に置き換えているのです。
Q7.LVMHグループに入って、得たもの
A.まずは、世界No.1のラグジュアリー・グループが親会社であることで、ブランドを業界のトップへと導くマネージメント・ツールと技術を学ぶことが可能となります。
第2に、クリエイティビティの点で非常なアドバンテージを持つことです。
ディオール、フェンディ、ルイ・ヴィトン...。
これらのブランドから、クラフトマンシップ、芸術性、伝統、モダニティなど、価値の高いものを得ることができるのです。
Q8.ゼニスの長い伝統の中で、最も大切にしていること
A."時はすべてを明るみに出す"という哲学者プラトンの言葉があります。
伝統の重要性はゼニスブランドのエッセンスでもあり、これは秘密の知恵です。
私たちが作る時計は、過去と未来への懸け橋なのです。
Q9.ゼニスの過去と現在を比較したときに、最も進化したところはどこか?
A.ゼニスの過去は、ゼニスの未来と同じように重要なものです。
ユニークな時計を作り上げるには、過去と未来の間で絶妙なバランスを見つけることが大切。"未来は過去の贈り物"なのです。
Q10.近い未来、人々が時計に求めるもの。
そして、その時ゼニスはどのような時計を目指すのか?
A.人々が求め、そして期待しているメジャートレンドがふたつあると思います。
ひとつは過去へ向かい、伝統の価値、古典主義そしてネオ・ヴィンテージを求める人々。
もうひとつは近未来へ向かい、モダニティ、最先端技術を求める人々です。
私達のコレクションたちは、その両者を満足させるでしょう。


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ZENITH社は"El Primero","Elite"の2つの自社製機械式ムーブメントを採用した時計以外を販売してはいない。
「腕時計を持つ必然性」ましてや「クォーツに比べて精度的に不利」な機械式時計を市場にリリースするためには、製品のクォリティの高さは当然、その上で共感できる思いが必要だ。

『モノを売るのではない。感動を売るのだ』
これは高級プロダクトを売る上の常識だ。
だが、ここまで率先し哲学を語り行動し(そして格好もつける...)CEOを私は見たことがない。
商品だけではなく、その販売戦略からも目を離せない、そんなブランドである。

「蟹工船」悲しき再脚光 異例の増刷、売り上げ5倍』 YOMIURI ONLINE

会社へ向かう途中、地下鉄東西線の車内で「蟹工船 130万部突破」という広告を見た。大変驚かされた。

「蟹工船」は1929年に小林多喜二により書かれた、プロレタリア文学の代表的作品。私も学生時代に読んだが、まだ仕事というものがどういうものか全く認識が無い頃のことで、ただひたすら暗い気分になったことばかりを記憶している。ただ、よくよく思い返すと、この蟹工船「博光丸」は、偽装請負の現場そのものなんだよな。

この時代、労働者は守られるべき仕組みも無く猛威を振るう「原始資本主義」の中でただ自らの運命を呪うしかなかった。だが戦争を経て、戦後は進駐軍が自国に導入したニューディール政策に近いものを導入し、政府がある程度経済へ関与する社会民主主義的政策へと転換されていった。高度成長時代に労働法が拡充し、労働者サイドの権利が保障されるようになったことはご存知のとおり。

ところが、これら労働諸法網の目を潜るがごとくして、保障対象外の環境で労働に従事せねばならない人々が年々増えている。業務請負業者を介して仕事に従事する労働者、明日の生活をも危うい日雇い労働者、研修という名目でやってきた外国人労働者など。まさに「原始資本主義」へと回帰し、それが猛威を振るっている。
こうした人々が「国民を守ってくれない国や資本家に対して団結して戦う」という「蟹工船」に憧れを持つ気持ちはよく理解できる。しかし、現代の労働環境において見ると、次の日は誰と一緒に仕事をしているか判らないという状況であり、中々難しいだろう。派遣ユニオンのような、特定の企業に対する組合ではなく、派遣・請負労働者であれば誰でも加入、相談できるそうな組織がもっと(特に地方に...)出来ればなぁ思う。

話は変わるが、日本共産党の志位和夫が国会でこの労働問題についてガンガン責めまくった効果で、共産党の人気がずいぶんと上がったとか。確かに国民の視点に立った真っ当な意見だと思うのだが、やはり「日本共産党」という時代錯誤で左翼的名称と、この党が歩んできた今までの歴史が私には受け入れられず、拒絶反応が出るのである。実態としては社会党(現社民党)あたりよりは相当マシなのだが...なんだかねぇ。

目次をパラパラっとみて、なんとなく手に取ってしまった一冊。だって、

  1. 「なぜ人を殺してはならないのか?」だって? ー法と倫理
  2. 「<私>は特別な存在」なのか?ー私と他者
  3. 「脳が心を産み出す」!?―こころともの
  4. 人は「意味という病」に取り憑かれた存在か?―言語と映像
  5. 「社会はリアリティを失った」のか?―社会とメディア

って、大変面白そうな感じはしませんか?さっさと手にとってレジに向かってしまった私です。

ぶっちゃけ言って、本当に面白かったのは5章のみ。

1章では2chにある時期あった「なぜ人を殺してはいけないんですか?」というスレッドへのレスを、ハンス・ケルゼンの法実証主義(法に従わなければ罰されるがゆえに、人は法に従う)、ストア学派などに代表される自然法論(法には当然従うべき合理的な根拠があるからこそ、人は法に従うし、また従わなければならない)、H・A・ハートの分析法学(日常的言語使用の分析によって、帰納法的に法の概念を抽出し、経験に見合うような形に再構成していく...不文法なイギリス分析哲学的な方法)、道徳性・倫理性(道徳感覚論、義務感覚論、快楽主義)などにマッチングさせ、それぞれのエッセンスを簡単に紹介している。レス内容が様々な哲学的方法論に収束していく様子は面白いのだが、それぞれに対する解説が少し薄い。

2章では「私は実在するのか?」という、哲学的には基本的な内容に言及。「私」ではなく、<私>である。哲学者永井均氏流の表現で、デカルトの有名なことば"cogito ergo sum"(邦訳は「われ思う、故に我あり」だが、適切には「我推う、即ち我在り」であろうと筆者は指摘)の「cogito」に該当する。考える主体の私とでも申しましょうか。この言葉を原点とし「独我論・独在論」、「他我認識の問題」について検証している。

3章の対象は「脳死臓器移植」の哲学的含意について。本件における「脳死は人の死の基準となりえるか?」、「それが倫理的に許容されるか?」という二つの問題を、2章でも扱った"cogito ergo sum"を原点とし「唯物論・唯心論」、「心身・心脳問題」から考える。肉体と言う実態に対し、心とはどういった存在なのか、過去にこれほどの諸論があったとは...

4章は一番面白そうと思っていたのだが...「いかに、哲学とは映像表現が適さないか」という内容でした。何度かブログにも書いたように、哲学と言うのは微細にわたり適切な表現をしなくてはならないため「書き言葉」以外では表現しにくいということの検証である。

そして5章。冒頭に井上陽水の『傘がない(1972年)』と『最後のニュース(1990年)』の歌詞が書かれている。「傘がない」については以前ブログにて歌詞とともに「社会問題に対して現実には傍観者にしかなりえていない」という思いを書いた。『最後のニュース』はこの方のブログに詳細に記述されているので参考にしていただきたい。この二つの曲をつなぐキーワード、それは「社会に対するリアリティの喪失」である。しかし、20年の時を隔てている二つの曲には大きな断絶が存在している。『傘がない』が「政治や社会のリアリティをどこか信じていて、でもそれにはあえて背を向けている」に対し、『最後のニュース』では後ろめたさや言い訳のらしき文言は見当たらない...つまり「リアリティを完全に欠いたバーチャル・リアリティ」だと筆者は指摘している。
戦前・戦中の時代、リアリティの中心は「国家」にあったが、戦後それは「革命」やその実行者である「市民」(学生運動あたりを連想してください)に変わった。そして学生運動が下火になってきたのが1970年頃、『傘がない』は発表された。そして1990年前後は、『ベルリンの壁崩壊(1989年)』、『ソ連崩壊(1991年)』といった共産圏の失墜、『湾岸戦争(1990年)』による戦争の仮想化、さらに1995年ころから急速に広がりを見せた『インターネット』というインフラ...『最後のニュース』はまさにこうした時代背景を適切に読み取った歌詞であると思います。
このようにして時代とともにリアリティの所在は変遷していった。こうした社会的リアリティの拡散と相対化を、思想的に正当化するイデオロギーが「ポストモダニズム」である。「ポスト」という言葉が付いている通り、「モダニズム(近代主義)」の後という意味で、それに対する「プレモダニズム(前近代主義)」という時代もあり、これぞれを筆者はこう定義している。


複数の共同体や社会が並立していることを前提とした上で、それらコミュニティーが相互に接触することなく、それぞれが固有の伝統的価値を信奉している状態のことです。世界史的には封建主義の時代がこれにあたります。ですから「プレモダニズム」は伝統に最大の価値を置く態度、そう定義していいでしょう。


さらに「モダニズム」については


複数の共同体や社会が接触・交流することが機縁となって、共通の単一的価値―たとえば「神」「理性」「進歩」「平等」など―の存在が信じられ求められる状態です。世界史的には、大航海時代から冷戦体制の崩壊までの時期と考えていいでしょう。したがって「モダニズム」は普遍的な価値を信じ求める態度と定義できます。

「ポストモダニズム」は警句をこめて、このように述べています。


これはあらゆる共同体や社会を超越するような、あるいはすべての共同体や社会が共有できるような普遍的価値など存在しないことがわかったあとの、価値の相対主義に陥った状態です。歴史的には冷戦体制の終焉以降、現在までの時期がこれにあたります。つまり「ポストモダニズム」とはカッコ良さそうに聞こえますが、ようは、普遍の追及に挫折し、絶対への衝迫を放棄した、価値相対主義的な思想的「ひきこもり」のことです。(中略)でもそろそろポストモダニズムに便乗した悪乗り、根なし草的な馬鹿騒ぎは止めた方がいい。ポストモダニズムとは、主張されるような説ではなく、ましてや、そこに居直られるような主義や立場でもなく、あくまでも乗り越えられるべき過渡的な状況に過ぎないこと、重要なことは新たな価値の創出に向けての模索であること、つまりポストモダニズムをいかにして乗り越えるか、というポスト・ポストモダニズムの問題こそが、哲学が今取り組むべき課題である


ポストモダニズムに対する考え方は人により多種多様で、「成長すること」が至上命題のようになっている現在の市場では疑うべきもないことなのかもしれません。しかし、それが本当に何の意味を持つのかということは、私にはよくわからない。「無駄なことはやめましょう」、「生産性を高めましょう」、「効率よくお金を儲けましょう」ということが何よりも優先される。そういう世界においては、哲学などというものは最大の無駄だということになるでしょう。私はどうしてもこうした世界に虚しさが感じられて仕方がない。そして、世の中には何か普遍的な価値があると(幻想であっても)信じて邁進してきた頃の人々が猛烈にうらやましい。
一つ、ポストモダニズムを超えられると私が期待しているものがあります。それは環境問題。考えれば考えるほど、ポストモダニズムと環境問題は相反する。だが、人間は愚かなもの。どれだけの犠牲を払うことで「ポスト・ポストモダニズム」へ移行できるものだろう?

例えば、公園で他の子供がみんなで遊んでいるのに、自分の子供が一人で遊んでいたならば子供に向かって多くの母親はこう言うだろう。
「みんなと遊んでいらっしゃい」

私は一人で居るというのがとても好きである。誰かが一緒に居ると気になって仕方が無いし、その人に自分のペースを崩されたりしたくないから。こういう人間が結婚したり子供が居たりするのだから奇跡的なように思えるのだが、未だ私は家に居る多くの時間を自室で過ごしている。引きこもり的である。妻などはこれをどう認識しているのかはわからないが、彼女も本質的には一人が好きな人間なので、何とか関係が成立しているのかもしれない。
引きこもりという行動に出られる人が私は大変うらやましい。私が外に出て仕事をしないと家族みんなが飯を食えなくなるし、引きこもる部屋も無くなる。仕方が無いから(そこそこ好きな分野の)仕事をしている。

引きこもりあたりはかなり社会に認知されるようになり、マイノリティ感が多少うすくなってきている。とは言え、他の事象に対するマジョリティの無神経な価値観の押し付けはやはり止まらず、非常に頭にくる。私は昼食はできれば自分ひとりで食べたいと思っていて、天気がよければ近くの公園に出かけたり、ひとりネットで調べものをしながら食べたりしたい。前職の職場では弁当持参の人が私一人だったので悠々と飯を食べていたのだが、ある日、弁当持参の新入社員がやってきた。そのとき、ある人物から「お昼の仲間が出来てよかったねぇ」と言われ、ものすごく頭にきたことを記憶している。自分の価値観が普遍的なものと信じて疑わず、それを強要してくるその態度がどうにも許せなかった。そして、言った本人は全く悪意を感じていないところが、またたちが悪い。

最近、疲れるようなことを無理にすることはやめるようにしている。何が疲れるって、人がたくさん居るパーティや、大人数の飲み会である。どうも自分の立ち居地がわからず、人に無理に話題を合わせて話すことも、笑顔を振りまくのも、大変疲れるのである。疲れることなく楽しめる許容範囲は、自分を含めて4人以内位の飲み会が精一杯である。出来ることなら、気心が知れた人との1対1のサシ飲みが一番いい。一人でじっくり飲むのも、もちろんいい。

自室で音楽を聴きながら、ウィスキーを飲むってのが一番の幸せな時間かなぁ。
息子が居ると、私に抱き付いてくるので、とてもゆっくり飲むところではありません。

<秋葉原通り魔>逮捕の男、「誰でもよかった」無差別に襲う
6月8日21時25分配信 毎日新聞

 8日午後0時35分ごろ、東京都千代田区外神田4の秋葉原電気街の交差点で、2トントラックが歩行者数人をはねた。運転していた男が車を降り、持っていたサバイバルナイフで歩行者らを次々に刺した。警視庁や東京消防庁によると、7人が死亡し、10人がけがをした。男は駆け付けた警察官に現場近くで取り押さえられ、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。

 男は、静岡県裾野市に住む加藤智大(ともひろ)容疑者(25)で、刺したことを認め、「人を殺すため今日、静岡から秋葉原に来た。(襲うのは)誰でもよかった」「世の中が嫌になった。生活に疲れた」などと供述しているという。警視庁は、通り魔事件として万世橋署に捜査本部を設置した。

 警視庁によると、けが人には、万世橋署交通課の男性警部補(53)も含まれている。死亡したのは男性6人(19、20、29、33、47、74歳)と女性1人(21歳)。けがをした10人は男性8人、女性2人。

 調べでは、トラックはレンタカーで、静岡県沼津市内のレンタカー会社営業所で8日午前8時から午後8時までの契約で借り出されていた。現場付近は、歩行者天国で日曜日とあってかなり混雑していたという。

 複数の目撃者によると、トラックが通行人をはねたのは、歩行者天国となっている南北の通り(中央通り)と、車の通行が可能な東西の通り(神田明神通り)が交わる場所。トラックは、神田明神通りを西から東に向かって通過する際、横断歩道を渡っていた歩行者らをはねた。

 トラックは数十メートル先で止まり、ベージュ色のジャケットを着て眼鏡をかけた男がトラックを降り、手にナイフを持ちながら交差点方向に歩いて戻ると、駆け付けた警察官に切りつけた。前後して、歩行者らに馬乗りになるなどして刺したが、男はその際、「ワー」「キャー」などと叫んだり、笑いながら追い回していたという。

 拘束された様子を見ていた男性店員によると、男は中央通りを南に向かって逃げた。制服を着た警察官が追いかけ、通りから30メートルほど入った狭い路地に追い詰められると、無言でナイフを振り回し、警察官が警棒で応戦。警察官が拳銃を取り出すと、男はナイフを路上に置いた。その瞬間に、警察官を含め周囲にいた数人が上に乗り、取り押さえたという。


このところ、同じような事件をよく耳にします。そのたびに世の中というものは非常に理不尽なものだと思います。それは今回の事件の被害者のみならず、加害者についても同じです。
人間、どこに生まれるということを選ぶことは出来ません。もしかしたら大地震直前の中国四川省に生まれてあっという間に死んでしまったかもしれないし、ドバイの資産家の下で生まれて、全く不自由ない生活を送っていたかもしれません。幸せとか不幸とかいう言葉は個人の価値観によって作られるものであり普遍的なものではないので、そういう軸で話を進めたくはありませんが(私は人として生まれてくる以上、たいてい不幸だと思ってます)、とにかく与えられた状況に応じた多岐多様な生き方を人はしていかなくてはなりません。

しかし、どんな状況下で生まれてきても絶対に逃れられない一つのことがあります。それは死です。生まれてきた以上、(あっという間に)死んでしまう。どんな権力者でも、どんな富を得ても、これを永遠に避ける方法はありません。
私はこのような居た堪れない事件を聞くたびに、大阪教育大学附属池田小学校(奇しくも2001年6月8日と本事件と同日に発生)の児童襲撃をした宅間守のことを思い出さずにはいられません。宅間は「どんな優秀な人間にも死という理不尽は訪れる」というようなことを繰り返し言っていました。つまり、社会における敗者である自分と、比較的恵まれた大阪教育大学附属池田小学校の生徒(とその両親)との間でも、死という現実の前には平等であるということを言いたかったのだと思います。宅間のした行為はとても許されないものですが、この言葉は否定のしようがない事実です。
宅間は本当にどうにもなら無いところまで追い込まれていましたが、この加藤容疑者はどうだったのでしょう?
加藤容疑者は製造業派遣会社(悪名高い○研)に属して自動車製造ラインで仕事をしていたものの、継続的雇用を望みにくい不安定な状況にあったと聞きます。リアルな世界よりもネットを中心とした交流が多く、日々の出来事をネット上で吐露していた様子がニュースなどで報じられています。その掲示板の書き込みに対してどのような反応があったのか(もしくは、全く無視されたのか)はわかりませんが、ネット上の反応はバイアスがかかっていることが多く、「自分は...ダメだな」という思い込みに追い討ちをかけてくる。秋葉原という場所で凶行に及んだのは、(安易な推測ですが)ネット上の言論を構築している人たちが集う場所だと考えたからではないかと思えます。そうした人々を対し「死」という、誰にでも平等な最大の理不尽を無差別に突きつけたのではないでしょうか。
ところで、犯行に及ぶまでの経過を逐一報告しています。「友達が居れば...」、「彼女が居れば...」、「世の中が嫌になった。生活に疲れた」。彼はネット上の掲示板などでそのようなことを書き込んでいたと聞きます。私にはこの行為をコミュニケーションへの渇望と、自分を止めてほしいという訴えと考えます。
確かに加藤容疑者のこの犯罪に対する動機は非常に身勝手だと思います。しかし、孤独で視野狭窄状態にある彼の心理状況をできるだけ客観的に判断する必要があります。

この事件に関するブログは世の中にごまんとあるので、あまり重複しないような路線から私は考えてみたいと思います。それは、派遣労働者という立場からです。
社会におけるあらゆる格差が大きくなり、未来に希望が持てなくなるにつれて、このような問題は今後ますます増えることでしょう。知らない間に改正されて、勤務対象業務が拡大し続けている労働派遣法。そうした「都合よく使える」リソースを積極活用しようとする企業。政界も経済界も格差是正のための措置はろくにとろうとしない。特定箇所にメリットが発生しているのと同時に、パスカルの原理のように他の箇所でデメリットも噴出していることをしっかりと認識する必要があると思います。
ナイフ・漫画・ゲームなどに規制、ネット監視、歩行者天国の中止などに矛先が向きだしているようですが、これは表層的な問題解決でしかありません。安心して将来に希望が持てるような環境...成人であれば、それを実現するための大きな要素として、仕事がまず挙げられるでしょう。この安定なくして、個人の安定、ひいては社会の安定は成り立たないと思います。

経済、産業の問題が日本だけでクローズドで考えることが出来ない今、(原則、否定はするものの)安価な賃金で労働力を集めなくてはならないという事情も、重々わかります。しかし、派遣・請負業者の中間搾取をただ見過ごす気にはとてもなれません。派遣先から派遣会社へ渡っている賃金の公表、派遣会社の利益(ピンはね分!)の上限値の制定、請負会社の免許制、労働基準監督署の派遣業免許取得企業への定期的な査察...これくらいは最低限、国がやらなくてはならない。現状のままでは、派遣労働者は日本国憲法第二十五条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」すら保障できていないと、声を大にして言いたいです。
被害者の無念は当然として、こうした加害者を生み出しやすくなっている現状を少しでも変えていきたい。
今回の事件、直接の殺人者は加藤容疑者ですが、そうした世の中を構成せざる得なかった私達は、極論を言えば間接殺人者なのではないでしょうか。

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今回は電車内における携帯マナーを喚起するためのものだが、相変わらず説明文が少ない看板である。
1~4がどのようなシチュエーションなのか、勝手に想像するしかないのだが、これであっているだろうか?

  1. 友達とのヒソヒソ話だろうか?ちょっと楽しげな表情である
  2. 何か不満をぶちまけている様子?個人的にはこういう電話が一番イラつく。
  3. いわゆる「男と女の修羅場?」ってやつ?私なら耳を大にして聞き入ってしまうだろう。個人的に言えば、かなり楽しめるので迷惑ではない。
  4. 恋人宛の電話か?これも耳を大にしてしまうが、あまりに恥ずかしいものだと聞いていられなくなる。目の前でキスされるのと同じくらい迷惑。
日本人は公共な場における私的な音というもの極端に嫌う傾向があり、私もその点については同じ価値観を持つものである。出来れば電車を降りてから会話してもらいたいものである。
この看板は若い女性が例になっているが、最近うるさいのは壮年以上の方々(男女とも)である。総じて声が高いので、いらいらさせられて仕方がない。

私はどうも過去の出来事に対する後悔や自責の念を打ち消すことができない人間らしく、生まれて30年近くの間に起きた様々なつらい出来事(実際に記憶としてあるのはここ20年位のものだが)思い返したり、自分の意志とは関係なく思い返さされたりして、時に冷や汗をかき、時には呆然となりながら何とか生きている。こういう後悔や自責の念を積み重ねていくことが「生きていくこと」ならば、私は何年生きられるか分からないが、結構な辛い思いをこれからもしていかなくてはならないということになる。

人はなぜ後悔するのか?「あの時、何でこんなことをしてしまったのだろう」という後悔が生まれるには、少なくともその事柄に関与しているという自覚が必要である。自覚すること、それは意図的な行為になんらかの仕方で関与させることができることに気づくことで、その限り後悔が可能になる。この「後悔しうる範囲」には個人差があるようで、どうやら私はその範囲が比較的広いのではないかと感じている。

「そうしないこともできたはずだ」という思いが人を後悔させるのだが、この思いは「そのとき私が自由だった」という思いとリンクしている。だが「あのときAを自由に選んだから、Aを選ばないこともできたはずだ」と推量するのではなく、私は「Aを選ばないこともできたはずだ」という信念を抱くからこそ、私はAを自由に選んだと了解しているのである。つまり自由とは自ら実現したある過去の意図的行為に対して「そうしないこともできたはずだ」(他行為可能)という信念のもとに生じてくる。この信念は根源的であり、ほかの何物にも由来するものではない。そしてこれを広義に「後悔」と本書では捉えている。
しかし、この後に「自由に選んだ」と思う自由とは一体何なのか?自由は「過去における自由」としてしか、つまり時間との連関によってしか認識できないのに、我々は往々にして時間を極小的現在に限定してとらえようとしてしまう。この意味での原型としての自由とは、あくまでも責任追及の到達点としての、禍を引き起こした原因としての過去における自由意思である。原型的自由は、過去において自分が選んだことに関して「それを選ばないこともできたはずだ」という後悔とともに現れる
AとBとの二つの選択肢のうち一つを選ぶという岐路に立たされているその時、どのようなメカニズムがはたらいて私がその一方を選ぶのか、正直全く分からない。このとき「自由」という言葉を使っても、「いかなる理由で」Aを選ぶのかに関して、いかなる説明もできない。そのわけは、自由という言葉は、その時の私の心に現に起こっている事実を説明する言葉ではなく、現在振り返って「どこまで」責任を追及するべきかという規範に属する言葉だからである。もし、その時まで私の責任が追及されるべきだと判定されるなら、私は「その時自由にAを選んだ」とみなされる。つまり、「そのとき私が自由にAを選んだ」ということは、そのとき現に私の心のうちで事実、何が起きているかとは独立なことなのである。そう冷静に考えると、正直救われるような後悔も私の場合は少なくはない。

ところで、上記は意図的行為に対する後悔であるが、「思わずしてしまった」という非意図的行為に対する後悔というものも存在する。どう見ても自分の意図的(目的論的)行為が直接かかわっていないことに対しても、「そういうこともできたはずだ」という後悔の念を募らせる。交通事故を起こしてしまった人が「その時違う道を走っていたら…」、「もう少し早い時間に家を出たら…」と考える、そのような後悔である。
本書では車に排気ガスを引き込んで自殺した父を持つ少年の例が紹介されている。その少年は「自殺直前の朝、学校に行くときそのすぐ傍を通ったのに気がつかなかった。気が付いていたら救えたかもしれない」と涙を詰まらせながら訴えていたそうだが、「気がつかなかった」ことを後悔するのは自分の意図的行為以外の後悔であったといっていいだろう。むしろこの場合は自分が一定の意図的行為を思い立たなかったことに対して後悔している。これは、具体的な行為以前の心の状態であって、心の状態において「気がつくこと」と「気がつかないこと」という新たな選択肢がここに形成されている。つまり後悔が先にあり、そして後悔するからこそ「気がつくこと」ができたような感覚になり、それに導かれて「気がつくこと」と「気がつかないこと」の両方を自分が対等に選べたような気がしてくる。
上記の少年の例は人間存在の根本的なあり方として、ハイデガーが提唱していることに非常に近いと思う。人は誰しも「生まれてきたい」という意志を持ち、この世に生まれてきたわけではない。日本人としてであるとか、男として、どの親のもとでといった条件の提示は全くなく、生まれてしまう。というか、生まれさせられてしまう。こうしたどうしようもない「事実性」つまり「投げ込まれてしまっていること」から人生はスタートしている。ハイデガーは「投げ込まれてしまっていること」の自覚から過去が発生していると考えているが、むしろ「投げ込まれてしまっていることに対して一定の態度をとること」つまり広い意味で「後悔すること」から、過去は発生している。人間は自分が投げ込まれてしまっている事実性を何の抵抗もなく素直に受け入れるわけではないからである。むしろ、各人の事実性は超えられない枠であって、絶えずその枠を超えようとする可能性を認めつつも、そのつど決して超えられない枠として立ちはだかっている。言い換えれば、人間は動物と違って未来へ絶えず可能性を投げかけるからこそ、そしてその可能性がほとんどかなえられないからこそ、さらに後悔を堆積させる。


私はこんなことを考えたり、いろいろと後悔したり、時々は自責の念にかられたりもする。これはどう考えても不合理であることを知ってはいるのだが、それでもやめることがどうもできない。それどころか自分の実存のすべての重みをかけてしがみついてしまう。
こんな態度をとっていると、人は私の周りに駆けつけて「後悔はやめなさい」という。「後悔しても過去は変えることができない」と説得してくる。みんなが後悔や自責の念を熱心に叩きつぶしに来てくれる。なぜもこんなにみんな熱心なのか…それは、みんな私の「幸福」を望んでいるからだろう。そしてそれを通じて、自分も「幸福」になることを望んでいるからだと思う。だいたい、後悔や自責の念にばかり駆られている人間など見ていたくないのだろう。そしてそれが、社会で潤滑に生きていくための知恵なのだと思う。
しかし、いかんともごまかしがきかない大いなる後悔の前にはそうした企ては無力である。真実を知りたいがために、さらに古傷をえぐるような真似までしてしまう。
後悔や自責の度合いが私とは比べものにはならないだろうが、たとえば子供を殺人などで失った親が、その子供がいかにして死んでいったのかを知ろうとする…それを知ることによって不幸になることは分かっていても、周囲の慰めよりも真実を優先するようなその気持ちに近い。
これはもう、私の性質なのである。そして、その性質自体をもつにいたった自分に対して、後悔と自責の念が絶えない。

日経エンターテイメント!の「嫌いな芸人」ランキング6年連続1位、ananの「嫌いな男」ランキング2年連続1位。
年間10回ほどしかテレビに出ていないというのに、これだけのインパクトを世の中に与え続けてきた芸人、江頭2:50。彼の妥協無く、インパクトの強い芸風には1位というランキングが似合う。2位や3位ではダメだ。常に1位というステージを突っ走っていただかなくてはならない(実際、日経エンターテイメント!の「嫌いな芸人」ランキング2位である『出川哲郎』の3~4倍の得票数。ぶっちぎりである)。

『1クールのレギュラーよりも1回の伝説』

数々の過激な芸により各番組からの出演停止を喰らっている江頭2:50。詳細には書ききれないほどの伝説が残っている。命がけで無茶なこともする。上り詰めた地位に甘んじること無く、常にアグレッシブな芸を披露する彼を私は尊敬している。芸人は保身に走り出せば出すほど面白くなくなっていく。江頭2:50も多くの芸人のように保身に走ってもおかしくないだけのキャリアがある。しかし彼はそれをしない。

『目の前で悲しんでいる人を見つけたら何とかして笑わせたい。そのためなら警察につかまってもいいし、寿命が縮まってもいい。』

好かれていても嫌われていても、1位になるということはそれなりに「意識」されているということだ。その気持ちがこの言葉にはこもっていると思う。確かにトルコで警察につかまった。バイアグラの多量摂取で倒れたりした。
TVだけを見ていると行き当たりばったりだけでどうにかしているようにも見えるが、彼はまじめで礼儀正しい常識人である(週刊文春の芸能人特集で「店員が恐縮するほど礼儀正しい人」と記載されるほど)。彼はその出番が決まったら、それに向けてものすごい準備をする。トーク番組のために用意しているノートにはびっしりと話すべきことをまとめている。彼は「自分ほど緊張する芸人は居ないだろう」という。その緊張を払拭するために全力で準備をする。しかし、自分の想定した予定通りに物事が進まないとき、その場を盛り上げるために彼は全開で頭を使う。そしてそれを実行する。笑いというものにどこまでもストイックであり、頭が下がる思いだ。

『生まれたときから目が見えない人に、空の青さを伝えるとき何ていえばいいんだ?こんな簡単なことさえ言葉に出来ない俺は芸人失格だよ…』

彼の所属事務所である大川豊興業では演劇を興行することもある。彼もまじめな青年や狂気的なサラリーマンの役で出演している。また、映画にも出演している。表現者としても大きな幅があるが、現状で満足することが無い。驕ることなく、自分の限界を常に乗り越えようとしている。世の中にこんなことを言う芸人がどれほど居ようか?

『俺の夢は野垂れ死にだ』

芸人として笑いがとれれば死すら厭わない。『人生に保険は無い』、『人間いつ死ぬか分からないからその時のすべてを出し切りたいんだ』。彼の言葉はズサズサと私の心に突き刺さる。こういう覚悟がある人間にほど「あんたは死ぬな」と言いたい。

江頭2:50は現在、私が最も尊敬するピン芸人である。

生物がその色彩や形・行動によって周囲の環境と見分けが付かないようにする効果(能力)を擬態という。

この『擬態』という行動を人に(特に子供など)説明する際、どのように話すだろうか?
コノハチョウ」を例として説明するならば
「危険を感じると体を前後にユラユラを動かし,木の葉が揺れるように見せかけて、捕食されないように身を守っている。」とでも説明するのが妥当だろうか?

しかし、自然科学的視点でこの現象を見ると、上記のような説明は適切ではない。非常に人為的な意味づけである。
コノハチョウは何らかの突然変異で擬態の能力を持つことになり、偶々生き残ることが出来たというだけのことである。突然変異しなかった種は絶滅してしまったのかもしれないが、コノハチョウが「護身」という意思を持って突然変異したわけではない。

人というものは物事に対して意味づけをしたがる。
だからコノハチョウは「捕食されないように身を守っている」という説明をし、それに対して納得する。
時として、意味づけされていないことに不安を感じたりする。

自分自身が存在するのは何故か?恐らく少なからずこうした疑問を持った人は居ると思う。
私も随分と考えてはいるのだが、どう考えても意味が無いのである。
無意味。
絶望的に思えるかもしれないが、これ以上の答えは見つからない。

私も含め、この世の人間は確実に自分の意思で生まれてきたわけではない。
色々なことが認知できるようになったときには、既に自分は存在しているのである。
そして生物の持つ本能のままに欲求を満たし、種を存続させていく。この点において、人と他の生物とは変わりは無い。
そう思うと、享楽的に生きることも決して悪い事ではない。但し、人に迷惑はかけない範囲でである。

これからもこんなことを悶々と考えていくのだろう。
辛いことがある度に。

何だかぐだぐだになっているのでしばらく静観していたのだが、そろそろ辞任問題については代表復帰という形で終止符が打たれそうである。

私は今の自公連立という形がどうにもこうにも歪に見えて仕方が無い。様々な意見の食い違いがあるはずの両党が妥協しながら共存している。だが民主党も烏合の衆の政党で、自民党出身者も社会党出身者も、もう右も左も混在しているわけで、これもまた非常に歪。自民民主で大連立し、民主党も、あわよくば自民党も割って、主義主張的にも整合が取れた二大政党制を目指したほうが良いのではないかと思っていた。参院選はなんとなく大勝しちゃったけど、今国会の重要法案に対する対案もまともに出せず、うだうだしている党を見て小沢代表が言った一言「民主党も本当に政権担当能力があるのか?」という台詞に、私はかなり同調した。

ここまで言われても「小沢氏を代表にしないと選挙に勝てない」などといっている方々が多数居ることには驚きを禁じえない。プライドは無いのだろうか?

代表に復帰して、このまま何も無いとはとても思えない。期待を裏切らないで頂きたい。今後の動きに激しく注目である。

昨日に引き続き、薬の話。

私は睡眠障害を持っており、入眠前に睡眠薬を服用しないと寝付けない。いわゆる「常習性不眠症」というものである。仮に寝付けたとしても眠りが浅く、途中で覚醒してしまう。また、全然疲れが取れない。まぁ厄介な話なのだが、最近はこれはこれで仕方がないものと半ば諦めている。

睡眠薬にも色々な種類があり、効き方(即効性、持続性など)に随分と違いがある。睡眠薬を服用しだして間もない頃は「グッドミン」のように軽いものから、「マイスリー(酒石酸ゾルピデム)」という即効性あり、持続性なし(翌朝まで残らない)の薬を服用していたのだが、どうもこれでは効果が弱くなり今は「アモバン」という薬を使っている。「ハルシオン」も即効性という意味では選択肢の一つになりうるのだが、一過性前向性健忘という副作用があるので避けた。

この「アモバン」という薬はものすごく苦い。薬を口の中に入れると錠剤が溶け出し、薬そのものの味から苦味を感じているものとばかり思っていたのだが、実は違うようである。この薬は脳の苦味を感じる神経自体に作用しているのである。つまり、口の中で溶ける溶けないは関係なく、服用した以上苦味から逃れることは出来ない。翌朝は口の中が苦味でいっぱいになるわけである。
しかし、こうした薬を使ってすっきりとした睡眠を得られているかといえば、答えは「否」である。眠気が残っていたり、どこと無く体のだるい感じが抜けなかったり…と、寝起きの悪さは相変わらずなのである。まぁ、眠れないという状況よりはそれでも随分マシなのだが。

リタリン不適切処方で立ち入り=新宿のクリニックに-東京都
2007年9月18日(火)18:54

 依存性の強い向精神薬「リタリン」を、必要がない患者に不適切に処方していた疑いがあるとして、東京都と新宿区は18日、医療法に基づき同区内の心療内科診療所「東京クリニック」を立ち入り検査した。実態を把握した上で改善指導を行う方針。

 都によると、リタリンは本来、難治性のうつ病や睡眠障害のナルコレプシーなど限られた症状への処方しか認められていないが、同クリニックでは十分な診察をせずにリタリンを処方していたほか、処方後に副作用の経過観察を怠っていたなどの疑いが持たれている。診療をせずに希望する患者にリタリンを処方した例もあるとみられている。

[時事通信社]



<リタリン>製造元、うつ病を適応症除外へ 乱用に歯止め
9月21日3時3分配信 毎日新聞


 依存性の高い向精神薬「リタリン」の乱用が広がっている問題で、製造・販売元の「ノバルティスファーマ」(東京都港区)が、適応症から難治性・遷延性うつ病を削除する方向で検討していることが分かった。リタリンは覚せい剤と似た効果があり乱用による依存者の急増が明らかになっている。ノバルティス社は関係学会や厚生労働省の了解が得られ次第、同省薬事・食品衛生審議会に自主的に削除を申請する方針。うつ病への処方の全面禁止は乱用への大きな歯止めとなりそうだ。
 リタリンは中枢神経興奮剤「塩酸メチルフェニデート」の商品名。1958年の販売開始以来、軽いうつ病に使われていたが、爽快(そうかい)感や多幸感が得られたり、食欲抑制効果があるため、若者を中心に乱用が社会問題化。旧厚生省は98年、通常の抗うつ薬では効果が不十分な難治性・遷延性うつ病に適応症を限定した。
 しかし、インターネットの普及などで十分な診察もせずにリタリンを処方する医療機関の情報が簡単に手に入るようになったことを背景に、その後も乱用者が急増。適応症のない患者が掛け持ち受診して大量に入手したり、違法に売買するケースが後を絶たなかった。また、国立精神・神経センター(東京都小平市)の調査で、リタリンを乱用して依存症などの副作用で入・通院したケースが06年度、精神科病床を持つ全国の医療施設で15例に上り、2年前の約2倍になったことが明らかになっていた。
 関係者によると、ノバルティス社は乱用に歯止めがかからない現状を重視。検討した結果(1)現在の科学水準に照らし、うつ病に効果があるとの十分な根拠が得られていない(2)他に効き目がある抗うつ薬が多数販売されている――として、適応症からうつ病を除外しても問題はないと判断した。すでに厚労省や精神疾患関連の学会と協議に入っている。
 うつ病が削除されれば、リタリンの適応症は「ナルコレプシー」(睡眠障害)だけとなる。この病気の患者は国内で約20万人程度と推計され、診断も脳波などの厳格な検査が必要なため、医療関係者は「うつ病を適応症から外せばリタリンの乱用は激減する」と期待している。【精神医療取材班】


つい先日、NNNドキュメントでオーバードーズ(薬の処方量以上の多量摂取)の特集を見たのだが、この番組の中でもリタリン中毒の患者が紹介されていた。簡単にリタリンを処方してくれる病院が歌舞伎町にあると番組内で明かされていたのだが、これは東京クリニックのことだったのだろう。
中々衝撃的な映像ばかりで、登場する女性は一日に20錠くらいリタリンを常用しており(普通に処方されるのは1日3錠くらい…)、しかも経口服用だけでは効果が薄いらしく、いきなり錠剤を「ゴリゴリ…」と潰し鼻からスニッフし始めた。人前でもかまわずである。映像ながらも引いてしまった。
番組中ではリタリン中毒を克服するためサナトリウムに入るのだが、禁断症状を起こしている様子や、日に日に痩せていき、つめで肌をかきむしった後が痛々しく、なんとも複雑な気分になる。番組でこの女性は2週間ほどで中毒を克服して退院するのだが、どうも相当早い退院である感は否めなかった。

リタリンはアンフェタミン(俗にスピードといわれている合成覚醒剤)に非常に似た中枢神経刺激薬である。上のニュースにあるように、難治性・遷延性うつ病やナルコレプシー患者に効果がある薬として処方されている。最近はアメリカの学会で注意欠陥多動性障害(ADHD)にも効果があると報告されてその治療にも用いられるようになったとのことだが、一時的な覚醒水準の向上は見られるものの、根本的な解決になっていないような感じが否めない。強い依存性を持つ本薬を若年層に与えるリスクはADHDの症状以上にあると思う。大丈夫なのだろうか?
とは言いながらも、この薬の効用から難治性・遷延性うつ病をいきなりはずすというのはどうも反応が極端すぎるような感じもする。長いこと治療薬とされてきたわけで、この薬がないと困るという患者も居ることだろう。

ところで、アンツェタミンに似た薬の代表といえば、メタンフェミンこと商品名「ヒロポン」である。とっくの昔に覚せい剤取締法の対象となって駆逐されているものとばかり思っていたのだが、薬学辞典を見ていたら大日本住友製薬(そもそもヒロポンは戦争時に戦意高揚のために作らせたもの。大日本住友製薬の前身は日本製薬合資会社という半官半民の企業。大日本…で始まる社名の会社には国との関係が密接な企業が多い気がする)が特定医療機関向けに未だに提供しているようである。おそらくリタリンも同じような扱いになるのだろうなぁ。

この話題、散々ブログに書かれているのでしょうね…

私は率直に「お疲れ様でした」と言いたい。
年金問題では過去からの累積であるずさんな管理や不正が噴出し、閣僚からは不正資金の問題が露見、自殺者まで出た。閣僚の件は首相には任命責任があると指摘されたが、閣僚の任命は「その分野の知識や経験」から行われのが普通であろう。資金面でクリーンかどうかが決定的な理由になるのでは「クリーンだけど無能」な政治家ばかりを閣僚に登用することとなり、その弊害の方が計り知れないような感じがある。多少の毒気を含んでいても、意欲的で有能な人物に仕事をしてもらいたいと私は考えている。
少し話がずれたが、この時期ではどんな人間が首相を担っても同じような状況になったはずである。自民党内での求心力の低下や参院選の惨敗もしかりだろう。そう思うと、批判を繰り返す野党(社民党の党首を見ていると反吐が出そうだ。元自民党所属の民主党議員も少しは反省しなさい。)や各メディアの無責任な姿勢には憤りすら覚える。

時局の問題があったとはいえ、全く安倍首相に問題が無かったとまでは言わない。私が最も問題に感じていたことは安倍首相の姿勢が次第に軟化してしまったことである。小泉政権においては強硬な姿勢を持って内政・外交共に取り組んできたが、首相になった途端にその姿勢が崩れていってしまった。強硬策を貫いていたなら支援する政治家やメディア、有権者も多く居たように思うが、それがなし崩しになることによって、従来までの支援者までも安倍首相の元を離れてしまった。結果として自分の立場を相当に悪くしたように感じられる。
妥協というのはダムの決壊のようなもので、「1つの妥協」というヒビが入っただけで一気に他の事項まで妥協を余儀なくされる。全てにおいてそうした姿勢をとれとは言わないが、自身の信念としている部分まで妥協しては自分が無くなってしまう。そうした人に求心力が生まれるわけが無い。私は安倍首相よりも相当に意思が弱い人間なので、公私においてこのことを相当強く意識している。そうできずに失敗したことが、今まで数え切れないほどあるからだ。
そして…今日の辞め方もあまり理解が出来なかった。組閣、所信表明演説を終えた後のこのタイミングに何故…?次の政権における組閣人事に影響を与えたかったのか…。与謝野官房長官の言う「健康問題」が急に深刻になったのか…。謎は深まるばかりである。


私はこの辞任のニュースをキヨスクで売られている夕刊紙で知ったのだが、夕刊紙では後継者を含めてしっかりとした記事が数ページにわたって出来ていた。次期首相候補の一人である麻生氏は9/9の夕方に辞任の意向を安倍首相から聞いていたとのことだから、各メディアは「あとは辞任の会見を待つばかり」といった具合にスタンバイが出来ていたとしか思えない。
政界とのコネクションは大事ですね、本当に。

今日は終戦記念日である。
時の首相をはじめ、閣僚が揃って靖国神社への参拝を取りやめるといった「腰抜け」っぷりを見事に露呈させていることに腹立たしかったから、せめて自分くらい…ってこともあるが、今日くらいは参拝に行くことにした。現代日本の礎として散っていった英霊に感謝の意を表することは、今の日本で生きている人間であれば当然の行為だと思っている。今の政治責任者であればこうした気持ちを持った上で、国益に反する戦争を回避するような政治をしていくことが当然だと思うのだが…。

靖国神社は私の職場から歩いて15分位の場所にある。今日は日差しが肌に刺さるように強く、アスファルトから照り返される熱が体を覆う。ちょっと歩くだけで体から汗が噴出してくる。東京はここ1週間以上、気温35度を越える真夏日となっている。暑さに弱い私には耐えがたい苦痛である。

靖国神社の鳥居は何度来ても立派に感じられる。
そもそも靖国神社は明治政府設立に貢献した兵士達のための神社である。祖母の祖先が会津藩士であり、新政府軍にボコボコにされた歴史があったもので何となく抵抗があることは否めない。しかし、現在はそうした色よりも大東亜戦争で戦死された方のための神社としての色が圧倒的に強い。私の身内にもこの戦争経験者が多く居るのだが、あれほど多くの戦死者が出た戦争にも関わらず運良く戦死を皆免れて帰ってきた。そのため、私の血縁者が靖国の英霊になっているわけではない。しかし、先に申したように靖国神社を参拝するという行為は「身内が居るから」という身近な理由だけで終始しない。

手と口を清めて神社の門をくぐる。外からだけではなく、玉串料を払って神社内に入って参拝をすることにした。
よくモーニング姿の政治家なんかが参拝の様子を撮影されている廊下を通り、大きな鏡がある本殿で祈りをささげた。

参拝が終わった後、九段下駅から地下鉄に乗り込もうと大鳥居から外に出ると、右翼の活動家が演説をしていた。この暑い中、大変ご苦労なことである。やはり演説の中心は首相の参拝が無かったことである。相当憤りを感じているようだ。他にも北京五輪反対を訴える人もいれば、南京事件の事実解明を政府に訴えるための署名を集めている人も居た。署名しようかと思ったが、暑かったのでさっさと地下鉄に乗って帰宅した。

社会人にとって、時間を守れないというのは相当致命的なことである。10年あまり社会人生活をしてきて、このことを身にしみて感じてきた。いくら仕事ができても、仕事のできる、できない以前に時間が守れるかどうかという「基本」がなっていないと、評価は著しく低下する。
私はかなり時間にルーズな人間である。これは社会人になる前…学生のころからそうであった。学生の頃は友達に迷惑をかける位で済んでいたのだが、社会人になってからは学生の頃と比較にならないほど、私自身が不利益を被ってきた。過去、最も時間にシビアだったのは専門学校の講師をしていた頃である。私が遅れると多くの受講生に迷惑をかけてしまうため時間内に間に合うように教室に入ったのだが、私は余裕を持って教室に入るということをしなかったために、いつもギリギリであった。ギリギリだと何かトラブルに巻き込まれると確実に遅れてしまう。そうしたことまで予期して受講生を待たせないようにせよと学校側からは再三言われていたのだが、私には時間通りに来ることが精一杯であった。

こんなギリギリの生活をしていると、時間を瞬時に確認する手段がどうしても必要になる。私の場合、携帯電話で時間を確認するのでは間に合わないのである(腕時計を着用せずに済む方というのは、常に時間に余裕を持った生活をしている方ではないかと思う。立派である)。しかも、私は時刻を多少進ませて使用している。その進ませ具合も時計によってまちまちである。というか、機械式時計は一日数秒の日差が必ずあるため、勝手にまちまちにされているというのが実情である(機械式時計の動力源であるぜんまいは金属製であり、気温によって伸縮する。夏は時刻が遅れ、冬は時刻が進む傾向がある)。時計技師の方は時刻が進むほうには寛容らしく、オーバーホール後の時計は大体進みがちになっている。これを定期的に戻しているのだが、時間にルーズな私にとっては都合が良かったりする。こういうところもクォーツと異なる機械式の味であると思う。

公職選挙法 第150条

第3項
衆議院(比例代表選出)議員、参議院議員又は都道府県知事の選挙においては、当該公職の候補者(衆議院比例代表選出議員の選挙にあつては衆議院名簿届出政党等、参議院比例代表選出議員の選挙にあつては参議院名簿届出政党等。第5項において同じ。)は、政令で定めるところにより、選挙運動の期間中日本放送協会及び一般放送事業者のラジオ放送又はテレビジョン放送の放送設備により、公益のため、その政見(衆議院比例代表選出議員の選挙にあつては衆議院名簿登載者、参議院比例代表選出議員の選挙にあつては参議院名簿登載者の紹介を含む。以下この項において同じ。)を無料で放送することができる。この場合において、日本放送協会及び一般放送事業者は、その政見を録音し又は録画し、これをそのまま放送しなければならない。

第5項
第3項の放送に関しては、それぞれの選挙ごとに当該選挙区(選挙区がないときは、その区域)のすべての公職の候補者に対して、同一放送設備を使用し、同一時間数(衆議院比例代表選出議員の選挙にあつては当該選挙区における当該衆議院名簿届出政党等の衆議院名簿登載者の数、参議院比例代表選出議員の選挙にあつては参議院名簿登載者の数に応じて政令で定める時間数)を与える等同等の利便を提供しなければならない。

公職選挙法 第150条の2

公職の候補者、候補者届出政党、衆議院名簿届出政党等及び参議院名簿届出政党等は、その責任を自覚し、前条第1項又は第3項に規定する放送(以下「政見放送」という。)をするに当たつては、他人若しくは他の政党その他の政治団体の名誉を傷つけ若しくは善良な風俗を害し又は特定の商品の広告その他営業に関する宣伝をする等いやしくも政見放送としての品位を損なう言動をしてはならない。


立候補者の政見放送について、上記のような取り決めが公職選挙法にてなされている。
つまり、どんなに得票数が見込めない候補者であろうと、当選有力候補者であろうと、同一の時間だけ政見放送の時間は割り振られるわけである。

地方にもちょっと変わった候補者(羽柴へいぞう秀吉氏など)がいるが、東京のそれに比べると変わり具合の程度と人数が相当に異なる。そんな候補者でも、○条ネットや女○党あたりの候補者よりは「参議院の活性化(爆弾投入とも言う)」という意味で、いっそのこと当選させてみたほうが良いのではないかと思う。そもそも参議院なんて大して役に立たないのだし…


今回、生で見てぶっ飛んだのは「日本スマイル党」の「マック赤坂」候補の政見放送である。最初は何だか気味が悪かったのだが、「口角が下がり、眉間にしわがよった人間ばかりで挨拶すら無いこの国を改革したい」という公約を聞いているうちに「何だ、とても良い事言っているじゃないか」と感じ始めてしまった(笑)。比例区に「日本スマイル党」が無かったため、埼玉選挙区の有権者である私は投票することが出来なかったが、東京在住だったら投票していたかもしれない。


今回の参院選は民主党の圧勝にて終わったが、大政党に属している一人一人の議員が自分の考えどおりに政治を行えるとは到底思えない。そうした意味で、この2大政党の争いは本当にどうでも良かった。喜ぶべきは無所属候補の当選数が随分と多かったことである。
参議院にはこうした「猛烈な個性」を持つ議員がたくさん欲しいと思う。そういう方向で生き残るのであれば、参議院の存在価値もまた生まれてくるのではないだろうか。

社会人になって初めて属した会社の同期たちと久しぶりに会った。もう7年も前に退職しているのだが、友人としての付き合いはずっとさせてもらっている。「社会人になって初めて」という時期を共有した仲間というものは、今でもとても貴重な存在である。

まだ私がその会社に属していた頃…そして退職して数年の間、我々は「残業」と呼ぶイベントを定期的に実施していた。ここで言う残業とは、もちろん会社に居残って仕事をするというアレではない。夜から大体、翌朝にかけて行われる大カラオケ集会である(なぜ、残業という名前になったのかその由来はよく覚えていない。ただ、この残業メンバーとは最初の1年間同じところで研修を受けており、同じ顔を突き合わして遊びまくるから「残業」という名がついたのかも知れない…)。残業の開始当初は二週に一度のペースで週末に実施していた。22:00頃から歌い始め、終了するのは翌朝5:00位である。つまり、7時間位カラオケで歌いまくるのである。しかも歌うのは自分が入れた曲だけではなく、知っていれば集団で絶叫するように歌う。実質、7時間歌い続けるといっても過言ではない。このようなハードなイベントなわけだから、残業の終わりに近づく3:00頃には声がガラガラになっている。しかし、それでも屈せずに歌い続けるのである。肉体と精神と喉の限界に挑戦するのが残業であり、終了する頃にはβ-エンドルフィンが分泌されて「ランナーズハイ」のような状況になっていた。毎度ボロボロになりながらも翌週には残業に行きたい(我々の中ではこのような心情を「残業感」と読んでいた)という気持ちになっていた。
残業の主要メンバーは5人であったが、入社2年目にあった異動で1人が北海道へと移った。彼が東京に出張してきた際には残業で暖かく迎えることも合ったが、その頃からは主要メンバーは4人となり、そこにゲストが参入するという具合である。
残業ではだいぶ恥ずかしいこともした。当時、神楽坂にあったカラオケ店にはカラオケで歌ったものをCD-Rに書き込むシステムが導入されていたのだが、その残業の酷さっぷりをこのCD-Rに注ぎこんだ。今の私にとって「このCD-Rを再生される」ことは、最も強烈な罰ゲームであるといっても過言ではない。

今日は恵比寿で飲みとなったのだが、かなり珍しく東京にやってきた残業メンバーの一人は、飲みの前に飛行機の出発時刻を迎えてしまい、顔を合わせることは出来なかった。彼は「残業があるなら東京に残る」とまで言っていたそうだが…。実はこの恵比寿の飲みの後、どうも飲み足りない雰囲気に包まれていた私たちは川口にて残業を実施した(うむー、裏切ってしまった…)。残業を実施するのはかれこれ5年ぶり位であり、私はそれ以降カラオケには行っていない。つまり、カラオケ自体も5年ぶりなのである。
かなりのハイテンションで残業現場へ向かった我々であったが、残業絶賛実施中の頃に比べると全くといっていいほど声が出ない…高い声が特に出ない。音程も微妙に狂っている気がするし…5年も歌わないとこういうことになるのだなぁ。あまりの退化っぷりに結構、ショックを受けた。歌も相当忘れてしまっている。どういうわけか、今回の残業はメドレー曲のラッシュ(それだけ多くの曲を歌いたいという心情の現われか?)だったのだが、どこから歌い始めていいのか良くわからないというヘボさを見事に露呈した。
時刻も2:00を過ぎると既にグダグダの状態になり、風邪気味だった参加者の一人は声が完全におかしくなってしまった。3:00頃になると私は逆に勢いがついてきた。β-エンドルフィンが分泌され始めたのだろうか?
5年という月日は我々を完全に衰える方向へ向かわせているようである。今日、それを実感した。

学生時代の友人と神楽坂で久しぶりに飲んだ。彼は地元である福島県内の、ある音響メーカーの開発部門にて働いている。主にDSP処理によって実現される音場プログラムの開発を担当しているそうである。

現在、ホームシアターを除くと、ピュアオーディオ機器の市場は非常に厳しい状況にある。単品コンポを購入するのは一部のオーディオファンに限られ、昔あった多くのメーカーがここ15年ほどでかなり淘汰された。家庭内で音楽を再生する機器は一体型の小型コンポやパソコンで行われ、また、音楽を聞く時間自体も家にいる時間よりも移動の際に行われることが多い。つまり、iPodのようなポータブルプレーヤー携帯、カーオーディオにて再生される時間が圧倒的に多いという状況である。

過去に一度ブログにも書いたが、ポータブルプレーヤーにて再生される音はとんでもなくひどい音である(しばらく音楽を家で聞いていない方は、ぜひとも眠っているコンポでいつも聞いている曲をあらめて聴いてみて欲しい。感動すると思う)。音楽データがデジタル化の際に圧縮されることも音が悪くなることの一因ではあるが、やはり小型化されたプレーヤーから再生される音には迫力がなく、そしてノイズがかなり入り込んでいるのである。「鑑賞する」というよりも、「ただ鳴っている」という感じである。
車というのも、音楽を鑑賞するには決して適した環境とはいえない。主なリスニングポジションは運転席になるかと思うが、そこで最適に聴こえるようにスピーカーが設置されているとはいえない。また、スピーカーの大きさにも限界がある。車のシートは音を吸収するし、音の反射も不自然な環境である。そして何より、エンジン音やロードノイズといった雑音が常に聴こえてくる。そうした環境下でノイズを出来る限り軽減するような処理をすることも彼の仕事の一つのようだが、音響にも金がかけられるような車は元々ノイズが少ない高級車である場合が多く、ノイズ軽減処理を施したい安価な車には音響に金をかけるだけの余裕がない。お客様(自動車メーカー)はこうした無理難題を押し付けてくるが、やはりスピーカーが悪くてはどれだけ努力しても要求を叶えることは不可能だという。そのような「現実とのせめぎ合い」を日々、続けているらしい。

味が極端なものを食べ続けると微妙な味の違いに対して鈍感になるという統計結果があるが、聴覚についてもそのようなことが言えるのではないだろうか?良いものを良いと感じられなくなると、感動する機会も減っていく。音楽を愛する者として不感症にはなりたくないので、出来る限りまともな環境で音楽を聴くように今後もしていこうと思う。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070723-00000060-san-pol

群馬県知事に大沢氏初当選 現職の5選阻む
7月23日8時0分配信 産経新聞


 任期満了に伴う群馬県知事選は22日投開票され、自民党新人で元県議会議長の大沢正明氏(61)=公明推薦=が、現役では全国最多と並ぶ5選を目指した無所属現職の小寺弘之氏(66)や、無所属新人で元県議の山本龍氏(48)ら4人を大接戦の末に破り、初当選を果たした。投票率は過去最低だった前回より16・0ポイント高い53・41%。

 自民党は過去4回の知事選で推薦した小寺氏と県政運営などをめぐり対立。知事選では全国で11年ぶりの公認候補として大沢氏を擁立し、保守勢力が分裂する激しい戦いとなったが、年金問題などの逆風にさらされる中、公認候補の勝利によって「保守王国」の健在ぶりを示し、参院選に弾みをつける形となった。

 選挙戦で大沢氏は「多選による閉塞(へいそく)感が生まれている」と多選批判を繰り広げ、無党派層から一定の支持を得た。また、福田康夫元官房長官を選対本部長に迎え、県選出国会議員や県議を動員するなど徹底した組織型選挙を展開。公明党支持層にも浸透した。当選が決まり、大沢氏は「県再生の先頭に立つ」と意欲を語った。

 小寺氏は4期16年の実績や子育て支援などの少子化対策をアピール。連合群馬や各種団体、企業の支援を受けたが、多選批判も響いて支持を固めきれなかった。

                   ◇

 ◇群馬県知事選       開票終了

当 305354 大沢 正明 自新【公】

  292553 小寺 弘之 無現

  190651 山本  龍 無新

   52808 吉村 駿一 無新【共】

   12523 清水  澄 無新

                   ◇

 大沢(おおさわ) 正明(まさあき) 61〔1〕 

 社会福祉法人理事長(県会議長・町会議長)群馬県太田市・慶大


私は群馬県民では無いため、この選挙への投票権はないのだが、候補者の一人、山本龍氏の情報を草津に滞在しているときに散々見たため、ちょっと選挙結果が気になっていた。
草津町は山本氏の後援者が多いようで(出身地だったのかなぁ?)、何度か訪れたトンカツ屋の親父は
「山本龍も県知事か~」
と、半ば当選が当たり前のようなことを言っていたが、どうやらそうはならなかったようである。

投票が20時に締め切られて開票作業にうつった。昨日の21時現在で開票率が3%だったのだが、その時は山本氏が当選した大沢氏や前職の小寺氏の2倍程度得票していた。トンカツ屋の親父の言うとおりになったか…と思いつつ、なぜNHKニュースが「当選確実」と言わないのであろう…と疑問に思っていた。

今朝、新聞を読んでいて驚いた。山本氏は2位どころか、大沢、小寺両氏の2/3程度の得票数だった。一体どこの自治体から開票作業を始めたのだろうか?

以前…ちょっと何年前か思い出せないが衆議院選の際、マスコミが当確を出した後にその候補者が落選するという事態が起きた(報道機関はNHKではなく民放だった)。バンザイをした映像が全国に映った後、他の候補者が当選してしまったのである。さすがにそのような事態を見たのは一度きりだが、出口調査というものの重要性を改めて感じた。開票率数パーセントで当確が出る場合は、出口調査の結果と合致している場合なのだろう。

群馬県知事選も、山本氏の得票数が圧倒的でも、出口調査の結果と合致しなかったから当確を出さなかったのだろう。数パーセントという開票率で表示される得票数は人口の少ない自治体の者だけだったのかもしれない。草津町やその周辺といった、人口の少ない山本氏の地盤はさっさと開票作業が済んでしまったのだろう。
選挙とは実に深いものである。


来週日曜日は参院選がある。これはもちろん私も有権者なのだが、参議院不要論者の私にとっては非常に悩ましいイベントである。参議院は設立当初の「良識の府」としての機能が十分に果たされていないことは、多くの有権者が感じているのではないかと思う。議論が必要な法案はもちろんたくさんあるのだが、参議院を経ることによって有意義な議論がされているとは全く感じられない。スピードを何より必要とする法案に関しては、無駄に時間を消費するだけの害悪に過ぎない。衆議院で可決され、参議院で可決されなかった法案は衆院が出席議員の2/3以上の多数で再可決すれば成立するほか、予算の議決、首相の指名などで衆議院の優位性が認められている。参議院の運営費用だけでもバカにならないだろう。議員の人件費等を考えた上で、それでも必要かどうかを国民に問うべきではないかと考える。
こんな考えを持っているので、投票に行く気がどうしても萎えてしまう(誰か、参議院の必要性を私を納得させてください)。とはいえ、「数」ばかりで実の無い議会制民主主義になっている日本において、この参議院の議席という「数」も今後の政局に影響してくるのだろうから、一応行くつもりである。

現時点ではどの党の誰に投票するべきか、全くイメージがついておりません…

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070718-00000315-yom-int

「段ボール肉まん」はやらせ、中国TVが謝罪
7月19日0時28分配信 読売新聞


 【北京=佐伯聡士】豚肉の代わりに使用済み段ボール紙を詰めた肉まんが北京市内の露店で違法に販売されていたと北京テレビが報道し、市公安局が調査した結果、テレビ局の“やらせ報道”であることがわかったと、市政府系のインターネット・ニュースが18日伝えた。

 これを受けて、北京テレビは「管理が行き届かず虚偽の報道をしたことで社会に良くない影響を与えた」と謝罪したという。

 同ニュースによると、市公安局の調べでは、6月中旬、北京テレビの番組「透明度」の臨時職員が自ら持参した肉や段ボール紙などを出稼ぎ労働者ら4人に渡した上で、水に浸した段ボール紙を肉に混ぜて肉まんを作らせた。その過程を自分で撮影し、編集、今月8日に放映し、国内外で大きな反響を呼んでいた。

最終更新:7月19日0時28分


ちょうどミートホープ社の牛肉偽装事件がひと段落したところで聞いたニュースであったため、「さすが大陸はやることのレベルが違うな」とちょっと特殊な意味で感心していたのだが、北京市公安局によると、この報道自体が捏造だったとの事である。

日本という国は非常に言論の自由が保障されている国で、国家に対して明らかに不利益となる報道であっても情報を統制するようなことはしない(というか、できない)。しかし、いくら改革開放指向とはいえ、シナは赤い旗の国である。私はこのニュースが「やらせ」であるかどうか、まだ疑問を持っている。緑地化といって山を緑のペンキで塗ったり、芝生に緑のスプレーを吹きかけているような現状を見ると、決してありえない話でも無いと私は思う。
シナ国内でも、海に近い場所に住む富裕層は、国内の野菜を「毒菜」と呼び、口にすることは無いという。しかし、それしか口に出来ない国民が内陸に向かうにつれたくさんいるわけで、そんな環境下であれば「段ボール入り」もありうる話に私には見える。
時を同じくして、中国国内で販売されているミネラルウォーターはただの水道水で、ミネラルどころか有毒であると報道されていたが、あれも「やらせ」だったのだろうか?

オリンピックを目の前にし、形振りかまわぬ様子の北京の姿が段々と明らかになっていた。
こうした報道がされるということは、今までのいい加減な取り組みを改める一環と私は見ており、それだけシナが国内を戒め、そして言論の自由を保障するようになってきたものと好意的に受け止めていただけに、このような結果になることは全く持って残念であるといわざる得ない。

もっとひどい現実を知ってうんざりしたい方はこちらを。
http://jp.youtube.com/watch?v=09bZdV9C0t4
http://jp.youtube.com/watch?v=1oswALS6FOg
http://jp.youtube.com/watch?v=5MkphI-B-5c
http://jp.youtube.com/watch?v=CzK-673MBVE

私の父の叔父(私の祖父の弟)が横浜に住んでいる。父方の祖父の兄弟ではこの叔父だけが今も元気にしている。

実に多彩な人で絵画、書、造園と趣味がどれだけあるのか数え切れない。年齢は84才だが、精神的な若さには20代と自負するほどの方で、そのバイタリティたるや私など既に到底届きそうもない。
今は肉体的な老いのため遠のいているようだが、叔父は釣りの名手でもあった(釣り仲間に梅宮辰夫なども居る)。ものすごい大きさの魚を釣り上げ、新聞に掲載されたり、魚拓がキッコーマン醤油の広告に採用されたこともあった。ちょくちょくクルーザーで外洋まで出かけていた叔父が身に付けていた時計は、ROLEXサブマリーナー(Ref.16800)であった。風防にサファイアクリスタルを採用することで300mの防水性能を持たせ、ベゼルと文字盤は黒。ケースとブレスはSSで黒とシルバーのコントラストがなんとも逞しくみえる。まさに「海の男」のための腕時計である。
しかし、横浜という洗練された街では逞しいだけでは通用しない。無骨なだけではなく、どこか優美さも感じられるサブマリーナーはこの街に最も似合う時計ではないかと私は密かに思っている。

OMEGA贔屓な私ですらダイバーズウォッチの性能、デザインにおいてSeamasterではサブマリーナーやシードゥエラーには到底敵わないように感じている。1958年(Ref.5508)にほぼ完成されたまま現在まで継承されているサブマリーナーのデザインは、多くのダイバーズウォッチの指標となった。そしてそれを追い抜いている時計に私はまだ出会っていない。

叔父の息子(父の従弟)も叔父と同じサブマリーナー(Ref.16610)を身に付けている。親子揃って同じシリーズを身に付けているというのもまた面白い。

叔父は寝ているときと風呂に入っているとき以外、どんなときでもサブマリーナーを身に付けている。造園をするときも身に付けているため、時計に傷が絶えず、20年以上使い込まれたブレスは緩々になっている。しかしそのヤレた感じが、またたまらない。どのようなときにも一緒で、あくまで道具として使われる。これが本来の腕時計の姿で、傷を恐れながらチマチマと使っている自分が何とも貧乏っぽく感じられて居た堪れない(OMEGAの時計、すぐ傷つくんだもん)。ROLEXが採用しているSSは316ステンレススチールと呼ばれる傷や腐食に強いものである。普段使いの時計にはベストマッチである。

サブマリーナーやシードゥエラーは腕が細い私はあまり似合わないかもしれないが、恐ろしく腕が太い私の父なら似合うであろう。お金に余裕があるのならば、買って差し上げたい1本なのだが…妙に人気が出てきて、高騰が続いているのである。

J-WAVEのとある番組を聴いていたら、昨日が七夕だったせいか「今の願い事は?」という質問を小学生に向けてしていた。
野球選手やサッカー選手など「自分が将来なりたいもの」を話す子供もいれば、ゲーム機やソフトを買って欲しいと言う「物欲」が願い事になっている子も居た。
そんな中で私が猛烈に印象に残ったのが「自分が死にませんように」と願う子供であった。

私も小学生の頃、死ぬことが猛烈に怖かった。死んだ後にどうなるのかということよりも、家族と離れ離れになって永遠に会うことが出来ないということにものすごい恐怖を感じていた。大人になるにつれてそうした感覚は麻痺してきたが、大病を患ったときを境に「死ぬ」という事をまた再び考えるようになった。何の因果か…この世に生まれるということを渇望したつもりはない(というか、希望したところでどうにもならないのだが)のにこの世に生を受け、そしてまた自分の意志とは全く関係なく死んでいくわけである。それも地球や宇宙と言う時間尺度で見れば、私が生きられるのは一瞬である。その一瞬のために何をあくせくしているのかと、一気に物事に対して無気力になった。ただそう無気力にばかりなっているわけにも行かず食っていかなくてはならないので、社会と「ある程度」の折り合いをつけて騙し騙し仕事をしてきた。ここ数年は、無気力は多少克服できるようになってきたが「自分は何で生きているのだろうか?」と言うことを常に問い続けながら生きている。そして、その答えはまだまだ見つからない。

仮に、永遠の(といっても、銀河にだって寿命があるわけだから永遠と言うのは厳密にはありえないが、人間的視点で永遠に限りないくらいの時間ということ)時間を人間が与えられたらどうなるのだろうか?私の空頭で考えただけのことだから何ともいえないのだが、何か覚えようとか成長しようとか、そういう気持ちは持てなくなるのではないかと思う。いつかいつか…と、全てを先延ばしにする行為を永遠に続けそうな気がする。いつ尽きるか不確かで迷惑この上ない「寿命」というものがあるから、限られた時間の中で出来るだけ自分にとって良い時間を持てるように成長したいというのが今の私の正直な気持ちである。しかし「寿命」が不確かであるが故に心的プレッシャーになっていることもまた事実で、なんとも本当に付き合いづらいものである。

生きている意味を問うという行為は、精神的にあまり健全な状況を作らない。刹那的になったり無気力になったり、厭世的にもなる。そして、こういう話を人に対してすることはその人をも精神的に不安定にしてしまう可能性があり、人に迷惑をかけてしまう。だから私はこの話を出来る限り外に出さず、心の内にしまっておくことにしている。こんな話ばかりしている人間とは付き合いにくいだろう(笑)しかし、「何のために生きているのだろう」という問いを死ぬまでやめることは無いと思う。
「きみのからだは、きみの頭脳の知らないことを知っている」というニーチェの言葉がある。生き続ける事によって生きる意味を問うしか道は無いのかなぁと思い、私は生き続けている。とてつもなく生きにくいんですけど。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070628-00000007-mai-soci

<抗うつ剤>「パキシル」服用の自殺者増加 副作用の疑い
6月28日3時2分配信 毎日新聞

 抗うつ剤「パキシル」(一般名・塩酸パロキセチン水和物)の副作用が疑われる自殺者が05、06年度と2年連続で2ケタに増えたことが厚生労働省などの調べで分かった。パキシルはうつ病やパニック障害などに有効だが、若い人を中心に自殺行動を高めるケースがあり、添付文書にはすでに警告や注意が明記されている。厚労省は医療関係者に「患者の状態の変化をよく観察し、薬の減量など適切な処置を」と呼びかけている。
 パキシルは世界で発売され、国内では00年11月から販売。製造・販売元の製薬会社「グラクソ・スミスクライン」(以下GSKと略)によると、推計売り上げは01年は約120億円で、年々増え06年は約560億円。推定物流ベースでは抗うつ剤全体の約25%を占め人気が高いという。一方、厚労省の患者調査では、うつ病などの気分障害も増加傾向で、96年の43万3000人に対し、05年は倍以上の92万4000人に上っている。
 厚労省と独立行政法人「医薬品医療機器総合機構」によると、同機構への報告が義務化された04年度以降、パキシルの副作用と疑われる症例のうち、自殺をした「自殺既遂」は04年度が1件だったが、05年度は11件、06年度は15件と増加。自殺行動が表れた「自殺企図」も04、05年度の各2件に対し、06年度は24件に増えた。いずれも03年度以前は1ケタとみられ、06年度は厚労省が5月末現在でまとめた。
 増加の原因について、医療関係者によると、処方される患者が増える中、医師が投与後、経過を十分に観察していないことなどが考えられるという。
 一方、同社は「患者が勝手に服用をやめると、病状が悪化する恐れがあり、必ず医師に相談してほしい」と話している。【玉木達也】
 田島治・杏林大教授(精神保健学)の話 パキシルはうつ病に有効で、自殺関連の副作用が表れるのもごく一部とみられる。ただ、投与後、最初の9日間は慎重に様子をみて注意が必要だ。また、うつ病を早く見つけ、治療するという流れにのって、軽いうつ状態にまで、すべて薬を投与するのは問題だ。特に若い人の場合、カウンセリングで治るケースも多く、慎重にすべきだ。

最終更新:6月28日3時8分


あるアメリカの精神科医の言葉である。
「我々は精神障害を起こすような社会を治そうとはせず、薬を使って無理やりその社会に適応させようとしている。これが正しい方法なのだろうか?」

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上のニュースで挙げられている坑うつ剤「パキシル」は確か3年ほど前から処方されるようになった新薬である。多くの坑うつ剤はセロトニン、ヒスタミン、アドレナリン、ドーパミン等の脳内神経伝達物質を受容する量をコントロールすることで症状を改善していくのだが、このパキシルは特にセロトニンの受容体取り込み阻害に強い効果がある。多くの坑うつ剤は眠気や口の渇き、手の震えなどの副作用を伴うものだが、パキシルはそれらに比べ副作用が非常に少ないとされている。また、薬の効果の出方が強く、一気にうつ症状が改善されたかのように感じられることもある。
…ということになっているのだが、副作用の発生はかなり個人差があると聞く。焦燥感の増大や前立腺系の障害、血圧の変動、頻脈etc... また、妊婦に投与した際の奇形児の発生比率は、他の坑うつ剤に比べて高い。18歳未満への投与は原則しない。

うつが原因の自殺というのは、うつがどん底の状態から少し回復期に入ったときに発生することが多い。自殺するということも結構パワーが居ることで、うつがどん底の時は、何かしたり考えたりするようなパワーが全く無くなる。そこから薬を投与しながら休養をとって次第に回復させていくのだが、この頃になると色々と考え、行動するパワーが生まれてくる。
パキシルに特に自殺の危険性が強いのは、かなり急速にこれに近い状態へ持ってくることが出来るためではないかと私は考えている。

坑うつ剤はロングセラーの製品も多く、古いものだと40年位の歴史があるものもある。こうした古い薬は十分に副作用が知り尽くされており、投与する側としてもどのような反応があるのかが予測できる。坑うつ剤の中には、開発された時点では坑うつ剤としての効能を目的としていなかったようなものもあり、実に面白い。とある薬は血圧を上げる事を目的に開発されたのだが、たまたま血圧の障害だけではなくうつも併発している患者に投与したところうつも改善したため、うつにも効果があるとされ現在はどちらの患者にも処方されている。このように何らかの「結果」から「原因」を分析するリバースエンジニアリング的(ブラックボックス的?)なアプローチにより生まれた薬はその効用と副作用が広く知られている。
それに対して新薬の怖いところは、どのような副作用が出るかがまだ良くわかりきっていないところである。実験レベルで副作用が無いといわれても、うつの原因が千差万別なように、患者ごとに反応が異なることである。非常に慎重な処方が必要だといえよう。


そもそも、脳の障害が原因でうつを発症する患者は1,000人中3人くらいの割合しかいないらしい。しかし、現実社会において潜在的なものも含めると、うつ患者は10人に3人程度の割合で存在していると言われる。つまり1,000人中297人は、ストレス等の外的要因によりうつ状態に至っているといえる。
この「パキシル」を開発した会社はGSKである。GSKは米国の会社であり、米国ではこうした薬がとにかく必要なほどにワーカーホリックが多く存在している国である。そして、そのワーカーホリックの原因となる「効率化」や「市場のグローバル化」を強力に推し進めているのも米国である。

米国は他国で紛争を起こすと同時に、それに必要となる兵器も輸出している。どうも私にはこの構図が「うつ」という病を通して見え隠れしているような感じがしてならない。国家間の経済競争が過熱すれば、それだけ労働によるストレスも増えてくる。それを米国製の薬で解決する。まさにマッチポンプというやつである。

昨年1年間の自殺者数は32,155人で、昨年より1.2%減少したものの、9年連続で3万人を超えたことが本日、警察庁から報告があった。

年齢別にみると
 60才以上:11,120人(全体の34.6% 前年比2.1%増)
 50才代:7,246人(全体の22.5% 前年比4.5%減)
 40才代:5,008人(全体の15.6% 前年比3.8%減)
 30才代:4,497人(全体の14.0% 前年比2.4%減)
 20才代:3,395人(全体の10.0% 前年比0.4%減)
 19才以下:623人(全体の0.02% 前年比2.5%増)
という結果となった。
男女別では男性が22,813人(全体の71% 前年比3.1%減)、女性が9,342人(全体の29% 前年比3.7%増)という結果になった。

自殺の動機だが
 1位:健康問題
 2位:経済生活問題
 3位:家庭問題、勤務問題
となっている。昨年の統計では経済生活問題が1位であったが、順位が変動している。

職業別では
 無職者:15,412人(全体の47.9%)
 サラリーマンなど被雇用者:8,163人(全体の25.4%)
 自営業者:3,567人(全体の11.1%)
となっている。


年齢別統計を見ると、全体的に減少しているのは現在就労をしている年齢層であり、景気回復による経済的不安が多少緩和されたのかと考えられる。それに対し、社会福祉への依存度が高い高齢の無就労者の自殺が増加しているが、社会福祉が今後さらに財政再建と共に削られていくだろうという仮説の元に考えると、今後はさらに「高齢者の健康問題による自殺」は増加していくと予想できる。社会レベルでは60才以上の雇用の促進が必要であろうし、個人レベルでは生きがいを持ち健康的な生活を送れるようにするための努力や啓蒙を退職前にする必要があると思われる。

自殺理由についてだが、「学校問題」が前年に比べて28.2%増加、「勤務問題」も8.4%増加している。組織内におけるいじめ等が増加しており、精神的に追い込まれた状況での自殺が非常に増えている。昨年10月に自殺対策基本法が施行されて相談窓口等が増えているものの(何をすべきなのかがわからない自治体も多かったようだが…)、実質的な効果は2ヶ月間だけでは法律の効果を判断することは出来ない。今後の行政の動きを見守り、来年の報告をみてその効果を考えてみたいと思う。
学校問題を掘り下げていくと、小学生14人(前年比100%増)、中学生81人(前年比23%増)、高校生220人(前年比2%増)という結果で、小中学生については異常な増え方である。学校という空間が異常な空間になりつつあるということが、この統計から読み取ることができる。学校関係者はもちろんだが、親としても子供を見守って、コミュニケーションを積極的にとって「気づき」を大事にしなくてはならないと思う。死ぬくらいなら、学校なんて行かなくたっていい。


昨年の統計結果を元に自殺問題を考えた際も述べたが、意外と自殺しようと思ってもちゃんと死ぬことは難しく、未遂で終わるということが非常に多い。おそらく未遂者は死亡人数の10倍以上は居るのではないかと私は見ている。自殺未遂は重症なものになると脳をはじめとした心身に多大なる悪影響を残すことが少なくは無い。こうした未遂者まで見据えて自殺問題は取り組まなければいけない。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20070530/20070530-00000035-jnn-soci.html

ペンシル型けん銃所持、組幹部を逮捕
 東京の暴力団幹部の男が、自宅マンションにペンシル型のけん銃2丁と実弾およそ40発などを隠し持っていたとして、警視庁に逮捕されました。

 銃刀法違反などの現行犯で逮捕されたのは、東京・江戸川区に住む松葉会系暴力団の幹部、折橋君臨容疑者(30)です。

 調べによりますと、折橋容疑者は自宅マンションにペンシル型けん銃2丁と実弾41発、さらに、覚せい剤およそ4グラムを隠し持っていたところを逮捕されました。鑑定の結果、ペンシル型けん銃には、発射した跡が残っていたということです。

 調べに対し折橋容疑者は「銃は知り合いの暴力団関係者に頼まれて預かった。覚醒剤は逮捕前日にJR亀戸駅前で買った」と供述しているということです。警視庁は、銃や覚醒剤の入手ルートについてさらに追及しています。(30日11:16)

[30日13時11分更新]


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070530-00000076-jij-soci

自宅にペンシル型拳銃=組幹部を逮捕-警視庁
5月30日12時1分配信 時事通信

 自宅にペンシル型拳銃や覚せい剤などを隠し持っていたとして、警視庁組織犯罪対策5課と高輪署は30日までに、銃刀法違反などの現行犯で、東京都江戸川区松江、指定暴力団松葉会系組幹部折橋君臨容疑者(30)を逮捕した。「拳銃は知人から預かっただけで、覚せい剤は自分で使うために路上で買った」と話しているという。


H中学校卒業生の中でピンと来た方だけで結構なのですが、どう思われますか?この珍しい名前と一致する年齢…偶然とは思えないのは私だけでしょうか?彼は14才の時に行方不明になっているし…。
何か情報があったら教えてください。私ももう少し情報を集めてみたいと思います。

我が家の8畳和室には、5.1chスピーカー構成のホームシアター環境が構築されている。
この部屋の隣の6畳和室にて、最近は妻と息子が寝起きしている。息子が「はいはい」から「つかまり立ち」をするようになると、おそらく8畳和室にも来ることが想像できるため、危なそうなものは今のうちに撤去したり、配置を換えたりしようという話が出ていた。

ホームシアター環境を構築するのに使用しているリアスピーカーはYAMAHA NS-120というトールボーイ型スピーカーなのだが、床がたたみのため、通常使用では問題ないものの、何かが捕まったりすると倒れてくる可能性が考えられる。まずこれが危ないと槍玉にあがった。確かに12.5kgの自重があり、危険といわれれば危険である。
ということで、このスピーカーをやめて吊り下げ型のスピーカーに変える事にした。ついでに、使用しているアンプは6.1ch対応のYAMAHA DSP-AX1200であるため、リアセンターにもスピーカーを1台用意しようと思う。(といっても、DVDプレーヤーがDTS ES対応じゃないので、CD等のPCM信号をアンプのDSPがDTS ES処理したときのみの活躍…と、あまり意味がなかったりするのだがw)
我が家の天井は素材が良くわからないため、屋根からの天吊りはそのままスピーカーが落下してくる危険性も否めない。しっかりした壁の、しかも木材が確実に奥まで存在している位置に取り付けるのが無難であろう。そうなると、スピーカー固定用のブラケットが必要となる。スピーカー+ブラケットとなると結構な費用が必要となる。私はこの計画にあんまりお金を投入するつもりはない。そのため、中古のスピーカー+新品のブラケットで構成しようと考えていた。近所のハードオフ(かなりスピーカー類は充実している)を2店ほど回ったところ、YAMAHA NS-90が2本で\10,000で売られていた。このスピーカーは一本\10,000なので、ちょうど半額である。NS-90は「NS-120の上半分を切り取りました」という感じのもので、同等の能力は期待できる。ブラケットが1つ\6,500だから、定価で売られると想定して\23,000か…ちょっと嫌な出費だなぁと思っていた。吊り下げ型スピーカーの王道というか、名機「BOSE 101MM」あたりがオークションで十分に落札できてしまう位の出費である。うぅ。
そんなことを考えている時に、他のハードオフのような店を見つけたのでちょっと覗いてみたところ、オースミ電気製スピーカーAV-635がブラケット付きで、しめて\5,000(定価の1/4以下)で売られているのを発見!しかもほとんど新品同様で傷一つない…(オースミ電気ってかなりマイナーな印象を受けるが、結構業務用なんかでは導入されているもので、この価格帯の製品にしては珍しくMADE IN JAPANだったりする)ううう、\23,000の1/4以下か…現在は決して金に余裕がある状況ではないし、サラウンドスピーカーだしなぁ…と迷った挙句、これを導入することに決定。センタースピーカーも変更して、現在のセンタースピーカー(元々は天吊り用のスピーカーをセンタースピーカーとして使用していた)をリアセンターに配置しなおした。

というわけで、比較的安価に6.1ch環境を完成させて、転倒防止問題も解決。それでも子供は予想外の事をしてくれるから怖いなぁ。あとはCDラックにCDが入りきらなくなってきてCD雪崩が置きそうだから、ラックの増設かな?

今日の客は私のみであった。このペンションの良いところは、夕食の時間が特に決まっていないことである。出先からペンションに電話をかけ「何時に戻ります」と伝えておくと、それにあわせて夕食を用意していてくれる。今日、ペンションに戻ったのは21:00頃であったが、帰ったら熱々のステーキにありつけた。客が少ない日のスペシャルサービスなのかもしれない。

今日は食事をしながらペンションのオーナーと話をした。聞くとこのペンションのオーナー、前オーナーから3年前にペンションを譲られてからペンション経営を始めたらしく、それまではずぶの素人だったらしい。なるほど…と思われる点が考えてみればいくつかある。ペンションであれば当然あるべきものが無かったり、どうもペンションというよりも民宿に近い感じが否めなかった。言われてみれば料理も実に家庭的(言い換えれば普通すぎ)だなぁと感じていた。でも3年でここまで作れるようになるということは、料理を担当している奥さんは相当努力なされたのではないだろうか。このオーナーはペンション経営を始めるまでは、米を研いだことすらなかったというのだから(笑)

私は結構ペンション好きで、多分20ヶ所以上行っていると思う(ホテルは実はどちらかというと苦手)。妻があまりペンションを好まないので最近は行く機会が減っている。このペンション、風呂がいいのだからもうちょっと集客出来そうなプランはないものかと、オーナーと一緒に考えてみた。
色々話した中で出た結論、それはもうちょっとオーナーには修行を積んでもらうということだった。まずまずいと感じたのは「他のペンションに宿泊したことが無い」というオーナーである。それでよく経営できたもんだなぁと別な意味で関心してしまったのだが、とにかく勉強するつもりでオフシーズンに自分のペンション休業してでも行くべきであることを薦めた。それと、オーナーがお酒が飲めないというのが致命的であるように感じられた。大概、食事を出してくれるペンションであればワインをはじめとした酒類のメニューがあるはずなのだが、ここではそれが無く実に不思議に思っていた(私が一人で宿泊しているから出さないのかと勝手に思ってた。でも、一人だって酒をオーダーすることはあると思うけど…)。大概、今日の料理を教えていただいた上で、数種類のワインの中から合いそうなものを紹介してもらってきたのだが、それが出来ないのは非常に痛い。奥さんは飲めるそうだから、これは奥さんがやってもいいかもしれない。

ペンションに必要なのは「非日常性」である。非日常性があるからこそ、いつもは出来ない贅沢をちょっとしてしまう。そこが客にとっても楽しいのであり、そうしたあぶく銭っぽいところからお金を儲けないとペンション経営なんてやってられないと思う。どうもこのペンションは日常的過ぎるのである。日常的なのは湯治宿や民宿に任せて、もう少しAmazingな感覚を味あわせてくれ~。
こんな談義をオーナーとついつい12時過ぎまでしてしまった。でもまぁ、その間にただ酒たくさん飲ませていただいたので、大変感謝しております。

ペンションの風呂からも星空を眺めることは出来る。だが、寝ながら星を見るということはできない。これをするためには「西の河原露天風呂」へ行くしかない。今回の草津湯治では一度もこの風呂に行って居なかったので、車を飛ばして行って来た。幸いにも今日は晴天である。前回は4月だったため夜の気温がグッと下がったが、あれから一月経過し、夜の気温も多少は上がっている(でも、夜は暖房必須な草津…)
入浴したのは19:00頃であったが、随分と日が長くなっていてまだ空は完全な漆黒には包まれていなかった。これから暮れて行く夜空に付き合いながら、星が見えるのを待とうと思う。19:30頃になり、あたりは大分暗くなった。しかしここの風呂は20:00までしか営業していないのである。早く暗くなれなれなれ…と念じていると北斗七星が見えてきた。他にも星がまばらに見える。二等星が見える位になったとき、20:00になってしまった。しかし周囲を見回すと、まだかまわずに入浴している人が居るのでドサクサにまぎれてもう少し見せてもらうことにした。

星を見ながら少し考えた。私は一体何をしているのだろうか?私は物書きを生業にするものではない。今回のようにハンセン病市民学会に出席したり、在住されている方と話をする必要など無いのだ。ハンセン病のことも大分調べたり紹介を受けることで知識を得ることは出来た。だがそれを積極的に伝道したりするつもりも実はそれほど無いのだ。ただ知りたい。そう思わされる好奇心のなすがまま動かされている。これでは患者の方々やその家族の方々に失礼ではないのか?自分一人が正しいことを知っているかのような傲慢な気持ちすら見え隠れしていることに気がつき、何だか嫌な気持ちになってくる。

っと、考え事ばかりするのはやめて星に集中しよう。ただ光っているきれいなものを眺めるために無心になろう…と思っても中々無心になれない。そんな具合にむずむずしていたら、20:30になっていた。まだ入浴している人は居るが、いくらなんでもそろそろ出ないと、たぶんバイトの受付の兄ちゃんが困るだろう…と思い湯を出た。

駐車場に戻ると、街灯が全く無いことに気がついた。天を見上げると、プラネタリウム並みの…何か光る石をぶちまけたかのような星空が見られた。露天風呂には街灯があったのだが、街灯の有無でここまで星の見え方が違うものかと驚かされた。10分位ボーっとしていると急に冷えてきた。湯冷めしてしまう。宿に戻って夕食をとることにしよう。

M氏は栗生楽泉園に直接勤務されている方ではなく、他の病院に勤務されている方であるが、元同僚や知人が5~6名ほど栗生楽泉園で看護の仕事をしているという。その方たちからM氏が聞いた労働環境の印象等について聞くこととなった。午前中のH氏同様、ハンセン病市民学会とは無関係の方である。

M氏の知人の話に寄れば、栗生楽泉園という職場は入所者や自治会に反抗するようなことはせず、それなりに言いなりになってさえ居れば、それほどきつい労働環境ではないとの事である。仕事の多くは医療行為よりも介護に近いようなことが多いそうである。民間の医療機関に居た頃に比べれば、忙しさは雲泥の差であるという。
特に不満が出ない理由には、給与の良さが挙げられるだろうとM氏は言っていた。つい最近まで伝染病患者を扱っていたため、給与の25%分の「危険手当」なるものが支給されていたとの事だ。現在はこの手当ての支給はされていないが、同等の額を保障する様々な手当てのおかげで、やはり民間と比較すると割りの良い収入が得られるそうである。昨日のハンセン病市民学会の中では「看護師が集まらない」ということが挙げられていたが、M氏からすれば集まらないことも無い(栗生楽泉園だけ例外?とは考えにくいのだが)といっていた。

また、同じ医療機関に勤めるものとして、これ以上の職員増加が本当に必要なのかどうかという点について疑問を抱いているようだった。医師が不足していることは確かかもしれないが、年がら年中看護師と事務職員の募集をしている。それが不思議であるとの事だった。
本当にそれだけの職員が必要ならば、やはり統廃合が必要であろうというのがM氏の考えであった。M氏によれば、群馬県においても北海道ほどではないにしても医師不足により診療科目を制限せざるえない病院が出てきているそうである。適切な医療か「第二の故郷」かのトレードオフになるというのがM氏の考えであった。

M氏の意見は医療現場に実際に属している方のリアルな意見であると思うが、ハンセン病患者が療養所に強制連行され、劣悪な環境下で治療といえないような治療を施され人権蹂躙されたという歴史的認識が残念ながら希薄であることが感じられた。しかし、問題は紛れもなく今起きているのであり、それにどう対応すべきかという答えを早急に出さなくてはならない。正直、私にもどの方法が最良なのかはわからないのだ…

若干、前のシンポジウムの時間が押してしまい最初から参加することはできなかったが、ハンセン病違憲国家賠償訴訟全国原告団協議会会長で「谺 雄二」さんらに栗生楽泉園の中を紹介していただくというイベントである。前回、単身で見学に来た際にほとんどの施設を回ったが、それらにどのような歴史があるのか説明を受ける機会は無かったので、より理解が深まるであろうと楽しみにしていたのだが、集合場所の中央会館前に居る人影はまばらだった。
中央会館には大学生と思われるボランティアの方(リクルートスーツのようなものを着て、まだなれないような革靴を履いていた女の子)が居たので、「フィールドワークはもう出発出発してしまいましたか?」と聞くと、「出発したばかりなので、今から向かえば間に合うと思います。おそらく地獄谷のあたりに行っていると思います」と回答を得た。


さて、地獄谷とはどこなのだろうか?とりあえず納骨堂の方に歩いていくと、ちょうど納骨堂とその前にある「命 カエシテ」と書かれた「堕胎児の碑」の説明をされているところだった。前回来たときにはこの「命 カエシテ」の文字に圧倒されて石碑の背面を見なかったが、そこには

堕胎児の碑
1932年設立のとう栗生楽泉園において強制堕胎された児のうちこの事実が判明した加藤順一桜井真理子の両氏ら26人にわたる堕胎児のその位置の奪われた無念を遺族と共に衷心より悼み茲に「命 カエシテ」の一念刻む碑を建立する
2007年3月28日 国立ハンセン病療養所 栗生楽泉園入園者自治会
と記されている。前回訪問したときは、この石碑が出来た直後であったらしい。本来であれば生まれてくるべき命が、暗黙の了解の中で闇に葬られたという悲しみがものすごい勢いで伝わってくる。暗黒の歴史を伝えるためには十二分の効果がある石碑である。

次に地獄谷と呼ばれる、栗生楽泉園の端にやってきた。草津の中でもはずれにある栗生楽泉園では今、さくらが満開である。
地獄谷は栗生楽泉園が出来る前から地獄谷と呼ばれていた場所である。一見すると断崖絶壁だが、もう少し下に下がると坂はなだらかになるのだという。木や笹が生い茂っていてなだらかな坂まで見ることはできなかった。
ここは戦中に石油の供給停止を受けた際、代理の燃料とする薪を拾うために谷にロープを架けて作業をした場所だと説明を受けた。戦中は患者作業の負担が最も多かった時期で、ここで足を滑らせて死亡した人、手足を骨折して障害を残す人が絶えなかったという。ロープ越しに登ってくる薪には下で薪を拾っている人たちの血が付いていて、最も辛い作業であったと谺氏は語っていた。まさに「地獄谷」だったわけである。


ちょうどその後ろ側には供養塔が立っている。昔はハンセン病患者は遺体焼却に一般町民が使用する施設を使用することが許されておらず、ここの場所に焼却炉があったという。戦時中は焼却用の石油が無いため薪で焼却したが、完全に焼くことが出来なかった。完全に焼けていない遺体は地獄谷に捨てられたという。


この後、前回の訪問で見忘れてしまった(というか、場所が良くわからなかった)重監房跡を見学した。重監房跡は栗生楽泉園の入り口すぐそばにある。現在ではこのように土台だけが残っている。入り口付近には形ばかりの医務室(全く使われた形跡は無かったとのこと)があり、その先に房がいくつかある。房になっていた場所の一角には必ず四角い穴がある。これは便所の跡である。外から汲み取ることが出来るようになっている。房には屋根はあったが小さな窓があるだけで、くもりや雨の日は昼夜の区別も付かなかったという。房以外の廊下は天井が無く、足元には雑草がぼうぼうと生えていたという。午前中の分科会で聞いた話では、この重監房跡地の半分を復元し、半分は土台だけ残す予定とのことだった。そのため、土台や転がっているコンクリートを踏まずに見学するように注意を受けた。冬には零下20度にも達するという草津の冬。凍死する人間が出てくるのもうなずける。

これにてフィールドワークは終了し、ハンセン病市民学会のイベントは全て終了した。意外だったのが、このフィールドワークの参加者に若い方が多かったことである。そして、どのような施設であったかを初めて聞くという方も少なくなかったようだ。こうした活動を通じて、病気への理解や差別意識の撤廃が出来ればと強く思う。

午後からは場所を栗生楽泉園に移してのシンポジウムである。今回は車で栗生楽泉園に向かったが、草津市街地から車で行っても割と時間がかかるように感じられた。前回草津に来た際は良く平気でここまで歩いてきたものだと我ながら驚く。栗生楽泉園の門をくぐり中央会館前に車を駐車したが、このシンポジウムが開催されている場所がわからず、市民学会の運営補助をしている若い女性の車に乗せてもらい、目的地までたどり着いた。栗生楽泉園もかなり広大な施設であり、場所さえわかれば自分の車で会場前まで乗りつけたのだが…

本シンポジウムで扱われた「胎児標本」とは何か…?

胎児標本
ハンセン病に関する研究が不十分であった時代、ハンセン病は「遺伝病」でもあると考えられていたため、夫婦どちらかがハンセン病にかかっている場合、その子もいずれは発症(垂直感染)すると思われていた。そのため、療養所内で結婚を希望する場合、男性はハンセン病の子孫を残さないためにほぼ強制的に断種させられていた。それが結婚の条件であった。だが、断種前の状態で男女間関係を持って妊娠したり、療養所へ入所する時点で妊娠している場合、堕胎を強制された(1948年の優生保護法成立前に行われた堕胎は堕胎罪が適用されるはずである。優生保護法成立後であっても、任意承諾の無い妊娠中絶は違法である)。堕胎が困難な時期まで妊娠が発覚しなかった場合は出産後、嬰児殺をしていた(もちろんこれも非合法であるが、療養所内では当たり前に行われていた)。「ハンセン病は遺伝しない」という医学的知識が当時の患者には無く、これらを屈辱と感じながらも甘んじて受けざるえないような状況があった。後に医学的に「ハンセン病に遺伝は無い」ことが証明された後も断種・堕胎は続行されていた(1949年から1996年までに行われたハンセン病を理由とする優生手術は1,400件以上、人工妊娠中絶の数は3,000件以上)。また、懲罰的意味からこうした屈辱的行為が強行されていたという事実も少なからず存在しているようである。
堕胎または出産された嬰児の行方はその両親にすら伝えられて居ない。世の中における一般的処置(妊娠12週未満の胎児は「廃棄物」としての処分、それ以上のものは死産として届けた上で火葬・埋葬)がされているかと思われていたが、実際にはそうではなかった。2005年1月に提出されたハンセン病問題に関する検証会議の最終報告書にて、国立療養所ならびに関係施設に放置されたホルマリン漬けの「胎児標本」が114体存在することが明らかになった(後に2体発見され、現時点では116体の存在を確認)。標本作成の目的は垂直感染の研究や、らい菌の培養(らい菌は非常に弱く、人工培養ができない)考えられるが、前者は1910年代~20年代の研究者達によって、胎児の血液中や胎児諸臓器の細血管内もしくは神経組織内のらい菌の証明などがすでになされている。その実験結果により「胎児への菌の移行は認められるが、それによる感染の成立はみとめられない」という考え方が、学界内で一般的になり、現在でもこの考え方が支持されている。その後新たな研究はほとんどなされていない。後者はハンセン病治療薬の開発等の目的が考えられる。しかし胎児標本には実験に用いたのであれば必ず残る切開創が見られるのは20%程度であるという。つまり、何のために標本化したのかが良くわからないのである。
さらに、現在残っている胎児標本はホルマリンのメンテナンスが適切にされていないがために真っ黒で何にも使いようが無いものがほとんどであるが、駿河療養所には定期的なメンテナンスが施されたものが入所者からも見える位置に展示されているという。

さて、この問題が何故急に浮上してきたかというと、2007年2月14日の朝、国立ハンセン病療養所星塚敬愛園(鹿児島県詩化屋市)にて、これら胎児標本の火葬が強行されそうになったからである。胎児標本については、誰の子供であるか、またどのような状態かを明確に判明させる必要があるし、火葬するのであれば家族である入所者や退所者への確認や承諾が必要である。しかし、それら正当な手続きを踏まぬまま、「子を産み育む自由」という権利を奪い続けた証拠を隠滅しようとしたのである。
結果的に、火葬が予定されていた18体のうち、家族などの確認がなされていない6体については、今回の火葬は延期された。とにかく患者の高齢化が著しい現在、胎児標本の身元調査は急務である。しかし国としては資料が残されておらず、全ての身元解明は非常に難しいと回答してきている。しかし、このシンポジウムのパネリストの一人である平野氏によれば、カルテから身元をたどることは現在でも可能であるとの意見が出された。
しかしこの身元解明も非常にデリケートな問題で、場合によっては誰と誰の子供なのかということが明らかにならない方が良い場合もありうる。強制的に開示されてしまうということについても配慮が必要である。

今回は胎児標本が主な対象となるシンポジウムであったが、他にもハンセン病の研究を目的とした(必ずしもそうでない例もあるようだが)病理標本・手術摘出材料とされたものも数は少なくないと見られている(昭和12年に行われた「癩患者の胎児に於ける癩菌の検出」実験では、18体の胎児を使用しているとの記述がある)。非常に管理がずさんで、手術の結果残った体の一部が放置されているような例もあったという。こうした「人体実験」が日常的に行われてきたという点とも関連付けながら考えていかなくてはならない問題である。

なお、本問題については2006年1月10日にハンセン病市民学会が下記のような文書を厚生労働大臣あてに提出している。


ハンセン病療養所の「胎児標本」の取扱いに関する要望書

厚生労働大臣  川崎二郎 様

 昨年11月28日の朝日新聞の報道によれば、厚生労働省は、各療養所に対して、「今年度中に各施設で丁重に焼却、埋葬(合祀)、供養および慰霊を行う」旨の通知を行ったとされています。
 厚生労働省が設置した第三者機関「ハンセン病問題に関する検証会議」の『最終報告書』では、「今回の検証事項の中で、この胎児標本の問題ほど、入所者の人間としての尊厳を傷つけ続けているものはない」と述べ、「標本として残される場合の基本は遺族の承諾であるが、検証の結果そのような承諾書はどの施設にも存在していない」と指摘して、法的にも違法であった可能性が高いことを示唆しています。
 標本化に際して遺族の承諾をとっていなかった事実を踏まえれば、標本の焼却、埋葬に関しては、なおさら当事者である遺族女性の意向が最大限に尊重されなければならないと考えます。当事者の意向に反した胎児標本の焼却、埋葬が強行されれば、国は二重の過ちを犯すことになります。
 また、当事者の意向調査は、国の責任において、じっくりと時間をかけてなされるべきであると考えます。「今年度中に」という時期を限定したやり方は、当事者に大きな精神的圧迫を加え、当事者の心に大きな傷跡を残す危険性があります。
 さらに、胎児標本が、何のために、何を目的として作成されたのか、その歴史的な検証もまだ済んでいません。また、標本にされた多くの胎児の身元すら判明していない事実、さらには標本のなかには新生児も含まれているのではないかという疑問も解明されていない事実を鑑みれば、国の責任において、関係者のプライバシーなどにも十分配慮した丁寧な身元確認を行い、胎児標本に関する歴史の検証をきちんと行うことが先決であると考えます。すくなくとも、胎児標本を焼却・埋葬することで、この問題の真相解明に蓋をするようなことは許されません。
 以上のような理由から、私たちハンセン病市民学会は、早急かつ全国一律の胎児標本の焼却、埋葬に強く反対します。

   2006年1月10日             ハンセン病市民学会

とあるつてで、草津に長年在住する町民2名から「ハンセン病国立療養所がある町の住民の声」を聞くこととなった。これは今回のハンセン病市民学会とは全く関係は無い。一つの事象を分析するにあたって、一方からの意見のみを聞いて判断することは非常に危険なことである。過去にどのような思いをし続け、現在どのような印象を持たれているのか、率直に聞いてみた。

H氏は草津町に在住してもう60年近くになる方である。まず忘れられないと話してくれたことは戦後の食糧難の時代の事だ。田畑が無く(草津は温泉が強酸性であることからもわかるように、ほとんどが不毛の地である)食べ物に非常に不自由する経験をH氏はしているが、療養所の入居者にはそれが無かったという。戦時中は療養所もひどい状態であったが、GHQの管理下になった後はH氏から見ると療養所内に居る以上、食料の保証は確実にされていたように感じられたそうだ。
H氏は現在は不動産関連の仕事をなされているが、以前はタクシー会社を経営していた。経営だけではなく、自分自身もタクシーを運転することがあったという。その際、ハンセン病患者を東京の新宿まで乗せるような経験を幾度もしているそうだ。草津の栗生楽泉園は他の療養所にはない「自分の住宅を持つことが出来る」療養所であった(そもそもある程度資産を持った患者が草津には集まって部落を作っていた。その部落の方々をより療養所へ入居しやすくさせるための措置であろう)。しかし、草津から新宿までタクシーに乗るというのはかなりの金銭を要するのではないだろうか?実家からの仕送り等で金銭的に不自由しない方が多かったのかもしれない。だが、その当時であれば「感染する恐れがある」と一般的に信じられたハンセン病の患者をタクシーに乗せていたということは少々、驚きを隠せなかった。その点について聞いてみると「新宿までの客となれば上客だからね。やっぱりお金には代えられないよ。ただね、彼らを乗せると彼らについている消毒の臭いが車から1週間はとれなくて、それにはとても困ったよ。」との返答であった。こうした返答であっても、当時はハンセン病患者が歩いた後に消毒液をかけたり、一般客と隔離した電車で療養所へ運んだ時代である。それに比べると、H氏との感覚の違いというのが大きく感じられる。湯之澤部落時代にハンセン病患者と接する機会が多かったことがこの点に影響しているのではないかと私は感じた。

H氏からはもう1点興味深い話を聞くことが出来た。町議会選挙や町長選挙に関してである。
栗生楽泉園の患者数のピークは昭和20年の1,331名であるが、新たな患者、死亡者を加え、しばらくは平均1,000名ほどで推移してきたようだ。患者には「らい予防法」という大きな法律の壁はあったが、成人であれば当然選挙権があった。今は市町村合併にて人口7,500名ほどになった草津町であるが、合併前はもっと人口が少なかった。当然そうした人口規模であれば、栗生楽泉園にいる患者達の持つ票は非常に影響力が大きかったことは容易に予想がつく。以前は町議会選挙によく温泉旅館の主人の息子などが出馬したらしいが、そうした際には大々的に旅館を使って接待をしたそうである。らい予防法が廃止になった後、熊本の温泉旅館宿泊拒否問題が取りざたされているが、このような接待があったのはそれより過去の話である。利権が絡めば何でも活用しようという話なのだろうか…
そうした大っぴらなアピールは出来なくなったにしても、やはり候補者にとって栗生楽泉園の存在は無視できるわけが無く、必ず候補者は演説に行ったという。ただ、国が決めた「らい予防法」と戦ってきた経緯上、左よりの共産党や社会党候補者への投票が多かったそうである。また、療養所内自治会から投票を強力に推奨される候補も居ただろうことは容易に想像できる。

ところで、H氏はハンセン病は遺伝病であると完全に誤解しているふしがある。ハンセン病そのものが遺伝するというのではなく、ハンセン病に感染する因子が遺伝すると言うのである。また、性交によって遺伝するとも話していた。やんわりと「それは今の医学では違うといわれていますね」と伝えたが、このような誤解が未だに存在することには驚きが隠せなかった。


コーディネーターの新潟大学准教授 宮坂道夫氏

先の分科会を途中で抜け、午前中の後半は草津町役場会議室で行われている分科会に出席してきた。まず重監房というのが何かを説明する必要があるだろう。

 「重監房」とは、国立ハンセン病療養所栗生楽泉園に設置されていた、ハンセン病患者のための監禁施設である。正式には「特別病室」という名称であった。1938年に旧・癩予防法の懲戒検束規定に基づいて設置され、1947年までの9年間にわたって運用された。施設はコンクリート、鉄材、木材による堅固な独房施設であり、独房に到達するまでに数層のコンクリート壁に設けられた鍵付きの扉を通らなければならなかった。暖房はなく、医師による医療行為も行われなかった。運用された期間に、「特別病室収容簿抜き書き」によれば、全国から93名のハンセン病患者が収監された。このうち、収監中に内部で死亡した者(獄死者)が14名、監禁中に衰弱して出所後に死亡したとされる者(出所後死亡者)が8名に達する。このように、施設の性格は「病室」ではなく「監禁・懲罰」目的に設計された施設であることは明確であった。

栗生楽泉園・重監房の復元を求める会のサイトより引用

市民学会が草津で行われている以上、避けて通ることは出来ない問題である。
ちょうど私が到着したときには、この「負の遺産」をどうするかという論議に至っていた。こうした歴史的遺物に対する意見は2つに分かれる。

  • 非人道的な事が行われてきた施設を見ることには精神的苦痛がある。そうした施設は破壊し、文章や写真にて残すだけで十分である
  • 非人道的な事が行われてきたという歴史をより具体的に伝えるために、実際にその施設を復元すべきである
私はこの施設の問題についてどちらが正しいのかを判断することは出来ない。しかし、第二次世界大戦中にユダヤ人虐殺の現場となったホロコーストや、戦中に全て破壊しつくされたと言われているワルシャワの旧市街等は復元されている。また、重監房の復元運動を通じて10万を越える署名を既に集めており、これを2004年6月に厚生労働省へ提出している。
現在の運動方針では、残されている重監房跡の半分を復元し、半分は現在残る土台部分のみをそのままにすることで話が進んでいるようである。今後の運動を見守りたいと思う。

今日はいくつかの分科会に別れ、自身が興味を持った内容について聴講するようになっている。午前中前半は、熊本県にある国立療養所「菊池恵楓園」退所者である60代男性Kさんの事例の報告を聞きに、草津町総合福祉センターへと向かった。

  1. 菊池恵楓園への入所
    1. 子供時代
      父親が兵隊にとられ貧しい生活。その中で足の皮膚の異常に気が付いたという。検査の結果、ハンセン病であることが判明し、菊池恵楓園へ入所となる。
    2. 入所のとき
      「解剖承諾書」に署名をさせられる。自身が死亡した後、解剖検査に遺体を使用していいという許諾書である。このような書面が取り交わされる場合もあるが、取り交わされずに勝手に解剖される例も少なくは無かったという。
      「園名」に改名させられた。全ての療養所、患者が対象であったわけではないようだが、入園前の名前から改名させられる例は少なくなく、Kさんもそうであったという。人によっては屈辱的と感じることもあったようだが、反対に「ハンセン病患者が親類に居る」ということを隠蔽する意味で、変えざるえないと思った人も少なく無いようだ。
      Kさんの実家の地域では、Kさんは福岡市に居ることになっていた。これもハンセン病患者が親類に居るということを知られることで不利益を被ることを避けるための措置であった。
    3. 園での生活(1)
      少年舎に入ることとなったが、その中での先輩後輩関係が非常に厳しかったという。これは少年舎に限った話ではなく、当時は20畳ほどの部屋に12人位入居させられていた。新規の患者は窓際など寒いところに追いやられることが多く、冬など凍えそうになったという。そうした「牢名主」的な存在がどこでも見られたという。
      「ひもじい」食糧事情。芋などが完全に焼かれていない状態で出されるなど、日常茶飯事であったという。
    4. 園での生活(2)
      何の治療のために何を投与されているなどの説明は特にされていなかった。他の患者でも説明が無い場合がほとんどで、場合によっては新薬の実験台とされた方もあったとのこと。
    5. 園での生活(3)
      まだ患者作業(本来であれば医療従事者や、園の職員がすべき作業を患者に行わせ、ハンセン病の国立療養所は成り立っていた)があった。このことが病気を悪化させる一因になっているのではという疑問もあった。
      このまま患者が作業に埋もれて死んでなるものかと、療養所を出ることを決意する
  2. 「社会」での生活の喜びと苦労
    1. 社会と園とを行ったり来たり
      社会に出てからは、運転免許を取得して運搬の仕事に従事したが、取り扱っていた品が盗品で会社が倒産。失業する。実家で起業するがうまく行かず、再度療養所に入ることとなる。
    2. 子供を産むために園を出る
      再入園して園内で結婚。療養所内にて、一度目の子供は出産が許されず堕胎。二度目の子供はなんとしても出産したいため、療養所を出て生活を再度始める。しかし、近所で「ハンセン病患者なのではないか?」噂を立てられて非常に辛い立場に追い込まれる
      仕事に従事していたが、どれだけ働いても正社員にはなれなかった。正社員の半分くらいの給料で働き続けた。
    3. 子供が小学校で差別される
      何よりも一番悲しかったという(熊本では黒髪校事件のような事件が発生している)。
    4. 「子供の将来のため」に離婚を決意
      子供の結婚問題に大きく影響を与えるため、父親であるという立場を捨てる。その後も関係が悪化したわけではなく子供と会うことが出来たが、結婚後は許されなかった。
    5. 再婚して正式に退所手続きをとる。
      しかし、入退所を繰り返していたため「新規退所」とは認められず、新規退所者向けの補助を受けることが出来なかった。
    6. 現在の近所とのつきあい
      「退所者の会」に入会して活動している。一般社会となじめない感覚は否めず、できるだけ恵楓園の関係者がやっている店(理髪店など)に通っている。

この後、Oさんというハンセン病患者の家族の方から直接、体験してきた社会的差別(お子さんの結婚時の差別経験が中心)について紹介を受ける。

まぁ、とにかく悲惨と言うほか無い。時代の影響もあろうが、病気知識の不足による偏見がまかり通っていた時代で「感染症である」「遺伝する」という意識が絶対的に働いていると恐怖感情を持ってしまい、排斥したくなるという感情も理解できないことは無い。私自身が市民学会に加入してこの病気の真実を積極的に説くという事まではできないが、少なくとも自身は正しい知識を持って患者の方々と接して行きたいと思う。

入浴後、車で昨日と同じシンポジウムの会場「草津音楽の森国際コンサートホール」へ向かった。ここは草津の街中から少し離れているため、バスや車を使わないと来るには非常に骨が折れる。

参加費を支払い、会場に入るとほとんどの席が埋まっていた。このシンポジウムのために、日本中の療養所の患者や、ハンセン病患者を家族に持つ方々が私は報道の方が多く居るかなり前方に座った。どういうわけか、テレビ局、しかも「山陽放送」が来ていた。国立療養所長島愛生園が岡山にあるため、わざわざやってきたのか?

このシンポジウムで挙がってきた問題をざっと羅列すると…

  1. 療養所内に住む患者が高齢化し亡くなる方もかなり増えてきており(現在は年間200名のペースで亡くなっている)、空き病床が非常に多くなっている。
  2. 療養所の統廃合が検討されている。第二の故郷として過ごしてきた療養所から、また別なところへ強制的に移転させられるのか?
  3. 先端医療に接する機会が少ないため、医師が療養所に来たがらない。医師が居ないために診療できない科目が増えてきている。
  4. 1996年施行の「らい予防法廃止法」にて療養所はハンセン病患者か元患者しか受け入れられないようになっている。医療機関としてだけではなく、人権教育の場として療養所を地域に開放する必要がある
  5. 療養所から退所した方たちが一般医療機関にかかることが出来ない(ハンセン病であるということを告知したくないという患者に対する偏見への思いと、思い切って告知しても医師が「この病院ではあなたの病気を見る見ることができない。療養所に行ってください」といわれてしまい、適切な治療を受けることが出来ない)
  6. 未だに患者やその家族への偏見や差別が少なくない。社会復帰の足枷となっており、結局同じ病気の仲間としか良好な関係が築けない
といったところであろうか。

私も先々月に入院しており、患者に対し看護師の人数が少なすぎることを痛感していた。民間の病院ではそのような状況であったが、国立療養所でも同じような状況なのであろうか?草津の市街地に入る道路脇や栗生楽泉園の入り口脇に「職員募集」の看板を見ていたので、薄々感じてはいたが果たして…
Web上にあったデータをいくつか確認してみると、現在のハンセン病療養所の職員は、看護を主体業務にしない医療事務等も含めて患者と同数ほどであった。これは年間200人ペースで亡くなり続けている患者数の減少によるところが大きいのであろう。看護師がどの程度実数居るのかはわからないが、民間の病院に比べれば高待遇なのではないかと思う。もっと苦しい状況下で動いている地方の病院は多く存在するはずである。
シンポジウムの後半で、パネリストの石井勝夫氏(松丘保養園自治会長)が、若年看護師からの応募があったことに大変喜びを表していた。今までの歴史からすれば、ハンセン病療養所は忌み嫌われるような場所であったわけで、そこで若い人間が働きたいという意志を示したことに感動したと話していた。通常と同じプロセスをふみ、採用と至ったとのことだった。こうした活動の中で、病気に対する正しい理解が進んだと、好印象に捉えておきたい。

そして療養所の統廃合の問題だが、患者作業をはじめとした強制作業が無くなり住環境が以前に比べればかなり好転した現在、強制連行された上に「とにかく出たい」という昔抱いた思いも果たされること無く、療養所を第二の故郷と感じさせる入居者の気持ちもわからないでもないが、国の社会保障の現実を見た場合、正直これは無理な願いなのではないかと思わざるえない。また、これは1の問題とのトレードオフであるとも思える。療養所自体の数が減少することで、医師や看護師を集中させることができる。よって、3で挙げた問題の解決にもつながると思う。

ハンセン病は治療の方法が既に確立された病で、適切な処置をすれば完治する病となっている。問題なのは、過去のずさんな治療体勢の中で失われた視覚や四肢へのケアとなってくる。つまり、今後ものすごい医学的進展があるというよりも、医学の進歩的には現状維持となるであろう。医師にとってより先端医療機関としての魅力を感じさせるようにするためには、4で挙げた法改正が必須となる。つまり、療養所を一般市民に開放し、ハンセン病患者以外も受診できるようにする。
こと草津に関しては、湯のph値が高いため滅菌作用があり、大腸菌などは湯だけで死滅してしまう。特にアトピー性皮膚炎にはその効果が高く評価されている。温泉療法ができる皮膚疾患の専門病院というのは魅力的な構想ではないかと考える。

4、5の問題は、こうした市民との交流集会の中でハンセン病という病気がどのような病気であるかを正しく知ってもらうことが何よりも大事であると思う(そういう意味でも、前日の映画はもっと病気を正しく知ってもらう内容を込めて欲しかった)。
私自身、社会の教科書に一行「ハンセン病」という言葉が載っているのを見たことがあるだけで、法改正の裁判の報道がなされるまでハンセン病というものがどのような病気なのかを知ることは無かった。そして、何も知らないで報道のみを見てしまったがために、原告団の方々の姿を見て、正直驚いた。何がどうなって、この方達はこのような姿になってしまったのか、私は全く知識が無かった。中途半端な報道というのは恐ろしいもので、私は逆に恐怖感を抱いた。草津に来て、ここ数ヶ月調べることによって、病気についてそして、国が採ってきたひどい過去の施策についても知るようになった。とにかく知ってもらうための活動を地道にしていくしか、社会の偏見を退ける手段は無いように思える。

日本におけるハンセン病の歴史は悲しい歴史であるが、今現在進行している社会保障問題も明らかに存在している。その実情も理解していただいたうえで、療養所を今後どうして行くか、患者・元患者の皆様や家族と政府がお互いを理解しあいながら、最良な道を選択して行って欲しいと思う。それが社会に病気を理解してもらうための一歩だと考える。明日、草津に長く在住されている一般市民の方の声を聞き、その認識の乖離について考えてみようと思う。

母から近所のスーパーに行って水を汲んでくるよう頼まれた。天然水だかアルカリイオン水だか忘れたが、そういう類のものを専用の水タンクに入れて持って帰るのである。最初の水タンク代のみ有償で、それ以降の給水は永久に無料。私の自宅周辺のスーパーにも同じような給水用の機械があるのだが、我が家では全く利用していないので行列をなしている人を見て少し不思議に思っていた。そして、多くのスーパーでこのような給水機が突如、すごい勢いで普及したのかを不思議に思っていた。
それが今日、自分自身が給水することで「何故、急に普及したのか?」を知ることができた。
どうもこのスーパーで提供している水は自然界のミネラルを失わないようにするために、水道水のような殺菌処理をしていないと記載があった。大体、消費期限は3日間。それを越えると品質の保証が出来ないと、給水機に記載があった。
つまり、この水の恩恵を適切に受けるためには、少なくとも三日に一度は訪れて、給水しなければならないわけである。これは完全なスーパーの顧客囲い込み戦略でもあり、かつ、水だけではなく、ちょっとしたものを購買させるという意味でも(タンク購入以降は給水無償という部分に義理を感じてしまう人もいるだろう)非常に有効な戦略である。
「いまさら気がついたのか!」といわれそうだが、我が家ではこの手の水を飲んでいないので気がつかなかった。そりゃ、普及するよな。

最近、中島らもの作品ばかり読んでいるが、どれも秀逸で本当に亡くなられたことが惜しまれてならない。
この本は、彼の死後に発売された、短編集である。中には今まで発売された短編集に既に掲載されている作品も重複してあるのだが、私はほとんど始めて読むものばかりであった。

細かい書評は別として、作品を読むにつれて思うようになったのは、中島らもと言う人は完璧主義な人なのではないかということだ。ネタや結末に妥協が無いのである。彼は躁鬱病であったため、躁状態(私は経験がないのでわからないが)の時に作品を書くと、このようになるのだろうか?
それが一番表に出ているのが「バッド・チューニング」という作品である。ピアノの調律師と、強迫神経症で二度入院したことがある、少し壊れた女性との恋愛の話だ。「人間は自分自身や性格を変えることが出来る唯一の動物である」と話す調律師の彼と、「変える必要は無い」と考える女性と意見がぶつかり、二人の関係は終末を迎えそうな状況から話はスタートする。
彼女の笑顔はシンメトリーではない。笑うと少し口が曲がってしまう。そんな笑顔すら彼は許すことが出来ない。全てのものを調律しようとするが、それが出来たからといって結果としてどうにもならないということに気づく。漢字の「正」の字ですら、シンメトリーではない。
確かに人間は自分自身の性格を変えることが出来るのかもしれないが、私の数少ない経験から言えば、外的要因で人間を変えることはほとんど不可能に近い。その必要性を認めるという行為が伴って、初めて人は変わったりする。それも成功するのは非常に低い確率だ。
人間、ちゃんとコードがAに揃っていなくてもいいのである。世の中は不協和音ばかりであるからこそ面白いし、そこを許したいと思う心が、この作品を書かせたのではないかと私は感じている。

他にも秀逸な作品がたくさん。おすすめの一冊です。

選挙の度に同じネタを書いているような気がしてならないのだが、もう市議会議員なんかになると全然、誰に票を入れていいのか判らないのである。どこの誰の息子だとか、お世話になったとか、もうそういう次元で議員が選出されているわけである。公明党や共産党のように「有無を言わさず入れる」という状況の人と同じようになってしまう。

しかもだ、落選者は2名しか出ないという。

そうなるのも仕方が無い。過去の実績として掲げているものは、たかだか数万の市民しか居ない小さな市である以上、候補者ごとにかなりの部分が重複している。「本当にあなたの発言や行動がその事業の成功に役立ったのかどうか」など、判るはずが無いのである。

とは言え、そのままダンマリなのも如何なものかと思う。まぁ、自分が投票すれば、その候補者の名前は少なくとも覚える。どうした働きをするのかを意識するようになる。
よく知らない町の市議会議員選挙は、こうでもしないと永久にわからないままになってしまうだろう。

考えてみると、私は家に入るときから料理をしたり、掃除をしたり、選択をしたり、風呂を洗ったりと、家事と言うものをほとんどしていない。
つまり、湯治の生活に入る前も入った後も、それをしないことには変わりは無かったのである。ということは、湯治とは本当は女性のためにあるのではないかと気がついた。
妻が毎日している作業から、この宿に来ることで開放される。風呂に入りたければ入ればいい。寝たければ布団で寝ればいい。
湯治というものがどういうものか、妻を宿に連れてきてようやく気がついた。

私はカメラを肩から下げ、地図を見ながらふらふらと歩いている。するとジャージ姿の湯西川小学校、中学校の生徒とすれ違うのだが、彼らは必ず「こんにちは」、「こんばんは」と挨拶をしてくれる。今は知らない人とは会話しない、できるだけ関わりあわないという風習が強いものだと思っていたので、このような反応は正直、意外であった。でも、これが普通の人と人の対応だよなぁと、考えを改めさせてくれた。

湯西川の小学校と中学校は一緒になっている。校舎は最近全改修されたのか、非常に美しい。何人くらいの生徒が通っているのだろうか?

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蝶なのか何なのか、いまいち良くわからないのだが、平家の赤旗にはこの家紋が記されている。家紋と言うものは種類が多く、それらに呼び名がそれぞれ点けられている。由来などを調べると面白いものかもしれない。

本当の湯治とは、湯に入りつつ気が向いたら寝たり、飯を食べたりして体を休めることである。これらの準備は普段の家での生活であれば自分自身が担当しなければならないが、宿にいれば宿の方がしてくれる。日常的な作業から開放され、十分に休養をとることが湯治なのである。

私の行動がその湯治に該当しているかどうかと言われると、ちょっと微妙な気がしてならない。こんなに観光していろいろなところを回ったりしては、湯治にならないのではないかと言う気がしないでもない。むしろ普段よりも動いているために疲れてしまいそうなのだが、温泉というものは不思議なもので、多少疲れるようなことをしても、翌日には大概回復しているのである。だからどうしても動いてしまうのである。
今日はあいにくの雨である。あまり動かず、布団の中に入ったままゴロゴロしていたのだが、どうも体を動かさないとお腹が空かない。夕方16:00頃になって、宿の近くを散策してみることにした。今まで車で移動してばかりいたので、この辺りの観光名所はあまり見ていないのである。晩飯までの散歩に出かけることにした。

頼朝が発見した草津温泉から、平家の落人の里湯西川温泉に移ってきたために、私の体内で源平合戦をしているのか、もしくは源氏の血を引くものが平家の里に入ったための呪いか…いや、単なる食べすぎか、口の周りに大きな口内炎が出来てしまった。運動不足の状態のまま食べてばかりいると、このような現象に見舞われるのだが、結構体は動かしているのである。なんだかなぁ。早く治るといいけれど。
湯西川の湯は草津の湯に比べるとかなり弱い。というか、草津の湯畑源泉の湯が強すぎたように思うが、皮膚が丈夫な私には、ここの湯は少々物足りない。といいつつも、これだけ動いて翌日疲れが残らないということは疲労回復という薬効は十分に効いているのである。温泉ってのは不思議だなぁ、本当に。

草津町内には十数の共同浴場が存在する。私は日々、これにお世話になってきたが、元々は草津町の住民が入るための浴場で、その運営維持費は近所の人々からの出資金で賄われている(もちろん、観光者はその分、草津町で買い物をしたり宿泊をしたりしてお金を落していくわけだが)。また、住民のためということをより強調している浴場では、町民の方のみが入れる時間帯が決まっているところもある。微妙に違う浴場ごとのルールは、浴場内の看板などで確認して欲しい。
さて、全部の共同浴場に入ることは出来なかったものの、私は逗留中に下記の浴場に行った(お金を支払う必要がある浴場は除いています)。
 4/08 煮川の湯
 4/09 長寿の湯
 4/10 白嶺の湯
 4/11 白旗の湯翁の湯
 4/12 地蔵の湯
こうして見ると、意外と行ってないものだなぁ。

で、勝手にランキング、
 3位 長寿の湯:まず出来たばかりで綺麗。浴槽が広く、洗い場もしっかりある。
 2位 地蔵の湯:ここもまだ新しい風呂。目にしみないので、洗顔しやすいのも評価できる。
 1位 翁の湯:利用者があまり多くないのか、あたらしい上に綺麗である。但しトイレが無いので、用を済ませてからくること。
といったところか。また草津に来る機会があったら、他の共同浴場も訪問したい。

コンウォール・リー女史の墓所からさらに六合村方面へ歩き、草津町と六合村のぎりぎり境辺りにある国立療養所栗生楽泉園。火葬場や斎場、霊園は忌諱される傾向があり、一般的に街のはずれに作られるが、それよりも外れたところに栗生楽泉園はある。湯之澤部落、リー女史、ハンセン病と色々なことが交錯する中で、今、草津にいる私はここを訪れるべきなのではないかと思うようになった。2001年5月11日の「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟のニュースでは、正直、この問題の本質を私は全く知らなかった。どんな苦しみがあり、国はどんな政策をハンセン病患者にしてきたのか、あの報道だけでは判らなかった。だが、それがどんなに苦しい闘いであったかが今、おぼろげながらに見えてきた。
一番の心配は、栗生楽泉院が見学を受け入れてくれるかどうかということだった。栗生楽泉園近辺にある公務員宿舎地区には、関係者以外立ち入り禁止の看板が掲げられている。となれば、栗生楽泉園はもっと厳しい立ち入り禁止礼が布かれているであろうことは容易に予想できる。しかし、行ってみない事にははじまらない。ノンアポというのもどうなのかと思ったが、アポイントメントをとる段階で拒否されてしまい、それで終わってしまうことはなんとしても避けたかったため、直接足を運んだ。

栗生楽泉園の入り口